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二つの昨日と、一つの明日  作者: 逸亜明
2/5

交差 1


(りく)っ! もう八時十五分よ!」


ダダダダダダ……ズデデデデンッ


 母親の声は、階段から滑り落ちる音でかき消された。


「いってぇ……」


 尻をさすりながら、制服の男の子は玄関へと向かう。白いシャツの裾は、左半分がズボンの中で、右半分は飛び出ている。実に前衛的な着こなしだった。


「朝御飯はいるのっ?」


「パスっ!」


 (りく)と呼ばれた男の子は、靴の踵を両方踏みつぶしながら家の外へ出た。


美空(みそら)! おはよう!」


 辺りに男の子の声が響いた。だが、通りには、彼以外の姿は無い。


 陸は、ポケットから二つ折りの携帯を取り出しながら歩き、向かいの空き地の前に立った。空き地には、黒く焦げた柱が何本か立っており、その下には、焼けたような木材が転がっている。


 陸の携帯の小さな画面には、すでに作成されたメール文章が表示されていた。そこには、


『ごめん、俺が悪かった』

 と、書かれている。


「……送信……っと!」


 陸がメールを送った数秒後、陸の携帯が鳴った。『MAILER-DAEMON(宛先人不明)』となり自動返送されたメールであったが、陸はまったく意に返さず携帯をポケットに戻した。


「じゃあ、美空、行ってくるなっ!」


 陸は、けんけんをしながら踏みつぶしていた靴の踵を元に戻すと、通りを右へ、真っすぐに走り出した。





 十五分後、駅向こうにある『公立 川西高校』の、二年六組の教室へ滑り込む陸の姿があった。


「ぎりぎりセーフ?」


 後扉をそっと開けて中を伺うが、クラスメート達は殆どが着席しておらず、窓際や教室の後ろで井戸端会議をしていた。


 席の最後尾に座っていた少しぽっちゃりめの男子が、そばの扉から顔を覗かせている陸の存在に気づき、声をかける。


「おいっす相沢(あいざわ)ちん。センセまだだよ」


「なんだ……。急いで損した」


 陸は額の汗を指で拭いながら、人の良さそうなぽっちゃり男子、林田(はやしだ)(ひと)()の隣の空いている席に座った。


「オイラみたいに坊主にしたら涼しいよん」


 林田は、自分の頭を指さして言う。陸は、そのスポーツ刈りを眺めながら、自分の長めの髪をかき上げる。


「別にこだわりは無いんだよ。ただ……切るタイミングが分からなくてさぁ」


「へぇ? じゃあ 今までどうしてたんよ? 伸びてくると誰かが、そろそろ髪を切りに言って来~い、とでも言うのん?」


 そう林田に聞かれると、陸は、ごまかすかのように窓の外を見た。


 ……その目の前に、ピンクのハンカチが現れた。陸は、それを差し出した子へと目線を遣る。すると、陸の前の席に座っていた女子は、慌てて顔を背けた。そして、赤い頬をちらりと覗かせたまま言う。


「あ…相沢君、これ使って下さい」


「えっ? ……ありがと」


 受け取った陸は、ハンカチに入った高級(たか)そうな刺繍に遠慮しながら、それで額の汗を少しだけ拭った。


「ヒューヒュー。熱いねっ! ヒュー!」


 そんな陸達に林田が指笛を吹く真似をしながら言うと、恥ずかしくなったのか、ハンカチを渡してきた女子は、完全に背を向けて俯いてしまった。


 それを横目で確認した陸は、呆れた顔で林田に言う。


「なんだよヒューヒューって……。お前 歳 いくつだよ?」


「脳内は、ゲームで恋愛の全てを経験し尽した三十歳ですしおすし」


「の、割には、現実(リアル)ではずっと彼女いないんだな」


 陸は皮肉を言うが、林田はにやにやしながら立ち上がり、陸の腕を引っ張って教室の後ろへと連れて行く。


 怪訝な顔をする陸へと顔を寄せてきた林田は、先ほどピンクのハンカチを差し出してきた女子の背を指さす。


「今の、美少女偏差値六十の、(かざ)(はや)(こと)()だって分かってんのかい?」


「美少女偏差値……ってのは初耳だが、もう二学期なんだから名前はもちろん知ってるに決まってるだろ。けど、確か(かざ)(はや)は彼氏がいるんじゃなかったか? バスケ部のエースだっけ……?」


 すると林田は、陸へ人差し指を振りながら、「チッチッチッ」と舌を鳴らしてみせる。


「ノン、ノン。彼氏とは、夏休中に別れたらしいよ。ボクのアンテナ ビンビンキャッチでおます」


「へー。じゃあ、狙えば?」


 陸の即答に、林田は足を滑らせてコケる真似をする。


「相沢ちん(セニョール)! 彼女が、お主に気があるのが分からないのかっ! ハンカチを貸してくれるなんて、ゲームでは定番やでぇ!」


「……えっ? そうなのか? でも……付き合うとか興味ねーよ」


 めんどくさそうに顔を背けた陸の隙を狙って、林田は、陸のズボンのポケットに手を滑らせる。そして、その中にあった陸の携帯を奪った。


「ちょっ、何すんだよ!」


 取り返そうとする陸だが、林田は背を向け、肉厚の尻を押し付けて陸に携帯を奪わせない。タイマン押しくらまんじゅうで陸を遠ざけながら、林田は陸の携帯を勝手に操作する。


「まさか親友のオイラにも内緒で、夏休みの間に彼女を作ったとか? 機械オンチで未だにガラケーを愛用している相沢ちんの事だから、どうせこの基本写真フォルダにでもその子の画像が……」


 陸の携帯画面に、柔らかく笑うセミロングの女子が映し出された。それと同時に、林田は膝から崩れ落ちた。その握力が消えた手から、陸は自分の携帯を抜き取る。


「……ったく」


 陸は通話終了ボタンを連打し、素早く画面を元に戻した。


 そこでようやく、固まっていた林田は首を動かし、陸の目を見て言う。


「び…美少女偏差値七十OVER……。神クラス、アイドルクラスじゃないですかぁ……」


「んなわけねーだろ。普通だ」


 そうは言うものの、陸はまんざらでもない顔をし、口元を緩ませた。


 膝立ちのまま羨まし気に陸を仰ぎ見ていた林田だったが、ん? と、何やら思いついたように目をぱちくりとさせてから言う。


「あれ? 今の子の制服って……、地元の光陽台中学のじゃなかった? まさか、相沢ちんの彼女って中学生? ……ロリコン?」


 眉間にしわを寄せ、林田は渋い顔をする。その坊主頭を、陸はぺちんと叩いた。


「中学の時の画像だ。俺は光陽台中出身なんだよ。それに、……こいつは彼女じゃねぇよ、幼馴染だ」


 彼女じゃないと聞き、林田の目はきらりと光った。林田は立ち上がると、指でタバコを吹かす真似ごとをしながら、陸の肩に自分の肘を乗せた。


「それで、その美少女は、現在 どちらの高校へ?」


 林田の質問に、陸の顔は曇った。しかし、林田はその陸の表情をもったいぶっていると解釈し、更に顔を寄せて聞く。


「教えてくれよん。オイラと相沢ちんの仲じゃん! その子は今…」


「……死んだ」


 陸がぽつりと言うと、林田は数秒固まった後、苦笑いしながら聞く。


「冗談でしょ?」


「こんな嘘つくか馬鹿」


 すると、林田は再び崩れ落ちた。そして、膝立ちのまま両手で頭を抱え、体を仰け反らす。そして、両の拳を床に叩きつけた。


「ち…地球規模の優良遺伝子損失……。あんな美少女が亡くなってしまっただなんて……。代わりにこんなボンクラが生きているってのに……」


「ボンクラ言うな」


 陸は林田を見下ろしながら舌打ちをする。


 悲しげに地面に伏していた林田だったが、すぐに立ち上がってまた陸へ顔を寄せる。


「しかし、天国の超美少女より、現実の美少女よん。中学の時の好きな子はそろそろ忘れてだな、新しい彼女を作り、そしてその友達をオイラに紹介してみてはいかがだろうか?」


「タフだなぁお前……。で、主旨は、俺よりお前の彼女を作る事なんだな?」


 陸がそう突っ込むと、林田はにかっと、暑苦しく笑った。


「けど……」


 そう言いながら、陸は視線を動かす。すると、いつの間にかこちらを見ていた(かざ)(はや)(こと)()と目が合った。彼女は、慌てて背を向けた。そんな可愛らしい仕草から目を反らした陸は、窓の外を見る。雲一つない青空だった。


「あれから一年半か……。俺は、どうしたら……」


ガラッ


 そこへ、教室の前扉から、体格の良い男性教諭が入ってきた。教諭は、あご髭を指で掻きながら言う。


「遅くなってすまん。はい、ちゃくせ~き。ホームルームを始めぇ~る」


 思い思いの場所にいた生徒達は、慌てて自分の席へと走る。


 林田も、これから良い所だったのにと残念そうな表情を浮かべ、陸の背を押して言う。


「もう来たかヒゲゴリラめぇ……。ほら、『あ』の相沢(あいざわ)ちんは一番に呼ばれるんだからさ、行けいけ~い」


 陸は、気だるそうに窓際の自席へと急いだ。



「それじゃ、いつものように水野(みずの)、出席頼む」


 ヒゲゴリラこと、二年六組担任、松尾(まつお)教諭がそう言うと、一人の生徒が教室の真ん中で立ちあがった。


 彼は黒板の前まで来ると、くいと眼鏡を中指で押し上げ、教卓の上に置かれていた出席簿を手に取る。きちんと髪が分けらて切りそろえられ、実に清潔感があった。加えて百八十センチを超える高身長で、見た目も良く、成績も学年でトップで、全員が納得の学級代表(クラスを仕切るよう任命された者)、それが水野(みずの)誠人(せいじ)だった。



 水野は、出席簿の一番上に書かれている名前を指さし確認し、ゆっくりと口を開く。


井口(いぐち)美空(みそら)さん」


 そう言いながら、水野は窓際の女子を見た。すると、彼女はセミロングの髪を揺らしながら、手を上げて席を立つ。


「はぁ~いっ!」


 小顔に大きな目と、アイドルと見まがうような容姿を持つ美空(みそら)を、男子はデレた目で眺め、女子は憧れを持った目でうっとりと眺める。心なしか、水野の頬も赤く染まっているようだった。


「次、(かざ)(はや)(こと)()さん」


「はい」


 元気だった先ほどの美空とは対照的に、(かざ)(はや)(こと)()はにっこりと小さく返事をした。


「斉藤珠緒さん」「はい」「佐藤陽太さん」「へいっ」「須藤真美さん」「はい」…………


 次々と名前が呼ばれていくが、立ち上がって手を上げて返事をしたのは美空だけのようだった。


「じゃあ次……林田(はやしだ)(ひと)()さん」


「……あい」


 林田は、スマホを片手にボソッと返事を返す。


 そして大野は更に名前を読み上げ続け、ついに出席簿の一番下にある名前に辿り着いた。


「最後、…………八雲(やくも)(あや)()さん」


「はいは~い!」


 教室最後尾に座っていた茶髪ロングの女子生徒は、美空のように手を上げて立ち上がった。窓際の美空とアイコンタクトをすると、お互いにVサインを送り合っている。


「コホンッ」


 水野が咳ばらいを一つすると、八雲(やくも)(あや)()はペロッと舌を出して、ようやく着席した。


「欠席無しです」


「ご苦労さん」


 松尾教諭は、出席簿を受け取って脇に挟み、水野の着席を見送った。そして、教卓の前に立つと、話を始める。


「今日のホームルームだが、いくつか注意事項があって、学校周辺での主に下校時の買い食いにマナーについてだが、ゴミはきちんと……」


 生徒達は、一斉にスマホを触り始めた。





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