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悪なるミタマ  作者: 九尾
最終幕 悪なるミタマ編
81/100

罪の行く先

 ――助けたい、命があった。

 ――助けたい、少女がいた。


 そのために、男は総てを費やした。

 己の頭脳を費やした。けれど、足りなかった。

 己の財産を費やした。けれど、足りなかった。

 人の心を捨て、非人道的な実験を繰り返した。それでも足りない。

 どんな手段も試した。なんでもした。一人の少女を救うために、男は悪魔に魂を売っても構わないと思った。

 妻は死に、ただ一人生き残った娘ももう、死んでしまうと知った男は、己の総てを費やした。それでも、足りない。なにをしても、ただ一人の少女を救うことすらできない。

 どうして。どうして。どうして。

 幾度も問うた。この世に神はいないのかと嘆いた。それでも結果は変わらない。少女が死ぬという結果だけは、いつまでも変わらない。

 どのような原理なのか、人体の血液が消え去るという『枯血病(こけつびょう)』と呼ばれる疫病。百年前の災厄、Pandoraと呼ばれた災害は、数多の人々の生命を蹂躙し、そして情け容赦なく奪っていった。


 そんな時代、彼の名は、歴史の裏に刻まれた。

 男の名は、ノーマン・マーレイ。科学者であり、Pandoraが引き起こされた際に、堕天使には何かしらの可能性があるハズだと、枯血病患者に小さな光を差し込んだ男であった。

 しかし、彼の掴もうとした『希望』は、なんの皮肉か、人類に『絶望』を与えることとなる。

 彼の生み出した『絶望』……それこそが、人を越えし存在。人を喰らう化け物――すなわち、吸血鬼であった。


 枯血病は、『ヴァンパイアウイルス』と呼ばれる地球外のウイルスが何らかの形で体内に入り込むと、人体の何処へともなく血液が消えていくという、死の病だ。初めは血液感染であると考えられていたが、あまりにも爆発的に流行したため、空気感染だとも言われている。

 人類は枯血病の対策として、健康的な市民の多くに献血を義務付けた。しかし枯血病は、どんな人間であろうとも必ず死に至らせる、恐るべき病である。常に輸血していたとしても、病状が悪化するごとに輸血は追いつかなくなり、いつしか全身の血液が蒸発していってしまった。

 対処法はなく、また旧ヨーロッパ全体にその病が流行したために、血液――特にO型の血液に並みならぬ価格が付けられて、輸血ショックを巻き起こすこととなった。

 このままではいけないと、『Pandora』を引き起こしたとされる《堕天使》の研究に、ノーマンは着手を始めることとなる。


 ノーマンは研究の末、とある事実を発見した。

 空から舞い降りた《堕天使》。その血液から、枯血病を引き起こす謎の物質、通称『ヴァンパイアウイルス』の活動を抑える未知の抗体があるという。ノーマンはこの抗体を『アンチヴァンプ』と名付けた。アンチヴァンプの発見によって、一部の上層の人々は救われた。

 けれど、一時的に血液の消滅を緩和させるだけであったアンチヴァンプでは、人類を救うには、あまりに効果が薄すぎた。月に四度ほどの周期で、定期的に堕天使の血液から取り出した免疫機能であるアンチヴァンプを患者に与えなければならない。その上、アンチヴァンプは人類の及ばぬ未知の物質である。地球の物質のみでアンチヴァンプを生成することは叶わず、かといって、アンチヴァンプを創り出すための堕天使の血液の量は、患者の人数に比べてあまりにも少なすぎたのだ。

 少しばかりの延命は出来たとしても、総ての命はとてもではないが、救えない。

 全世界を混乱に巻き込んだ病に対処するためには、一体どうするべきなのか。それを考えたノーマンは、人体に血液を送り込む機関である心臓に、アンチヴァンプの生成を行う役割を新たに設けるべきだと仮説を立てる。


 彼の導いた答えは、間違ってはいなかった。


 ――堕天使の細胞の一部を、心臓に埋め込む。そして常に、アンチヴァンプの含まれた血液を、その心臓より生成させて、ヴァンパイアウイルスの活動を抑える。これによって、枯血病の死の運命を逃れたものは、確かに存在するのだ。

 しかし彼のこの発想は、世界に公開されることはなかった。彼はこの発想を、自分一人のものとした。

 時間が、なかった。

 マウスで実験を行う時間も、人体にどのような副作用があるのか確かめる時間も。

 彼の娘、シャルロット・マーレイは、重度の枯血病に犯されて、常に輸血していても血液が減少するばかりになっていた。そして、彼――ノーマンの肉体すらもが、枯血病に犯されていた。政府の許可などを待っていては、救えるはずの命も救えない。

 ノーマンは、全国に存在する孤児や死刑囚らをかき集め、人体実験を極秘に行った。

 彼の行った堕天使の細胞を心臓に移植するという方法は、延命処置の一環にすぎない。だが――ただの延命と異なる点が、一つあった。堕天使の細胞を移植された者は、輸血などを必要とせず、また血液型の関係も無しに、体外から血液を取り込むことが可能になったのである。

 そして、枯血病患者が体外から血液を取り込む方法とは。


 ――他者の血液を飲むことによって、どこかに消える血液を補完する、というものだ。


 枯血病の原因として名付けられた、血液をどこかに消滅させてしまう『ヴァンパイアウイルス』。ノーマンの生み出してしまった“もの”たちは、皮肉にも、そのウイルスの名に基づいた、伝説上の化け物であったのだ。



 実験体としてノーマンに買われた、八人の枯血病患者。彼の違法実験によって、それぞれは吸血鬼として覚醒し、生存に成功する。九人目の実験体であるノーマン自身も吸血鬼として覚醒することに成功し、彼はこれで娘を救うことができると、歓喜した。


 ――しかし。

 一〇人目の実験体であるノーマンの一人娘、シャルロット・マーレイが意識を取り戻すことは、なかった。


 彼女は既に、ヴァンパイアウイルスによって肉体を蝕まれすぎていた。吸血鬼として覚醒するにも、あまりに肉体が衰弱しすぎて、体内に埋め込まれた異物への大きな拒絶反応、そして急激な肉体構造の変化に耐えられなかったのだ。

 堕天使の細胞は、もとより本来人間の体内に存在してはならない物質だ。これまでの検体が比較的病状の軽い者たちであったために気付くことは出来なかったが、衰弱した肉体には、堕天使の細胞は毒物と同等のものであった。

 シャルロットを助けるために移植したハズの堕天使の細胞が、枯血病以上の速度で、シャルロットの肉体を大きく蝕んでいった。輸血しても、足りず。治療を施そうとしても、方法はなく。ただ時間ばかりが、ノーマンの前を過ぎていく。

 いつしかシャルロットは、ただ死を待つばかりの植物人間と化していた。

 ――遅すぎたのだ。

 妻を失い、娘を失い。総てを救おうと生きもがいた男。けれど、手に残るのは何もなく。そんな彼ばかりが生きて、なんになる。

 シャルロットを生かそうと苦悩する日々の中、ノーマンは奇妙な夢を見るようになる。

 夢には、おぞましい怪物が現れた。そしてそれは、自らを《天使の欠片》であると名乗るのだ。


「お前、堕天使の細胞か?」


 ノーマンが問うと、その怪物は、そう思ってくれて構わないと言った。

 ノーマンの目には、怪物は天使どころか悪魔にしか見えない化け物であったが、怪物が言うには、怪物は《外なる神》の具現化した姿らしい。そして彼――《外なる神》には、ノーマンの娘を救う力があるという。

 娘を救いたい一心で、ノーマンは彼の話を聞いた。

 怪物が言うには、娘を生かしたければ、この世界を破壊しろというのだ。

 死にゆく者を無理やり生きながらえさせるという行為は、他の宗教によって考えられる『輪廻転生』という法に背き、世界法則を破壊することと同義である。そして世界法則を破壊するということは、『IF』の世界を創るということに他ならない。すなわち、本来生まれるはずのない、平行世界が生まれてしまうことになる。怪物が言うには、そういうことであるらしい。

 ただ死者を生き返らせるだけならば、簡単だそうだ。しかし本来生まれるべきものと、本来死んで生まれ変わるべきものが同時に存在してしまっては、同じ『魂』とやらを持つ者が、同じ時代、同じ世界に存在してしまっては、矛盾が生じてしまう。その矛盾を正すために、本来生まれ来るものを生まれないことにしなければならない。

 かといって、次にシャルロットが転生するものが何かわからない以上、本来生まれ来るものを生まれないことにするというのは、非常に困難なものである。

 

 ――故に、殺せ。


 ノーマンの夢の中、神を名乗る悪魔が囁いた。


『矛盾を生じさせないため。お前の娘が生まれ来る可能性を破壊しろ。総てを壊せ』


 ――故に、殺せ。


『でなくば、お前の娘は死ぬだろう。矛盾を正すために、世界がお前の娘を殺すだろう』


 ――総てを、破壊しろ。生命が生まれる状況を、ことごとく。


 そう、神を名乗るものは言った。

 ならば、如何にして今の娘を助けるのか。それをノーマンが問うと、簡単なことだと、夢の中で怪物は答えた。


『我は、空間・時間を超越する神である。貴様の娘が病に倒れる時を少しばかり遅らせるならば、貴様の治療が間に合う未来を創り出せるだろう。この未来変革にも多少の人死にがでるだろうが、今更そんなことを厭う貴様ではあるまい』


 世界を生贄に、己の娘を助けるという、悪魔の契約。

 それを、男は。躊躇うことなく、結んだ。

 そして、夢から覚めた時、娘が幸福に生きられる未来を、望んだ。


「I know the gate. I am the gate. I am the key and guardian of the gate.

 Becouse past,present,future,all are one in me.

 The sun doesn’t rise to the world.」

 

 知らないハズの、言葉の羅列。それこそが、己の内にある神本来の力を行使するためのものであると、ノーマンは悟る。


「――主の目覚め(demise)。『概念(extinguish)変革(origin)』」

 

 こうして彼は、人を辞めた。

 人としての心を捨てて、そして、人としての身体を失った。

 罪は、己一人が背負えばいい。己一人が心を殺し、そして数多の命を手にかけるだけで、世界でただ一つの命が救われる。それならば、安いものであると。


 しかし、彼の内に宿る神――《天使の欠片》は、他の実験体に与えたものと比較すると、あまりに強大すぎた。とても、ノーマン一人の精神で抑えられるモノではなかった。

 結果、ノーマンの肉体は天使の欠片によって大きく変貌。その脳までもが細胞に犯された結果、正常な思考が保てなくなってしまった。彼の本来の目的である「娘を救う」という行為は忘れてしまい、その過程である「世界を破壊する」という行為のみが、彼の目的として脳に残ってしまうこととなった。

 世界を、破壊する。

 それだけを刻まれた男は、心から願った大切な目的をも忘れ。

 ――そうして、破壊神となったのだ。


        ☆


 ――物語を、見た。

 ――誰かの、悪夢を、見た。


 彼女――コーネリア・ルートレッジは。否、シャルロット・マーレイは、その物語の主人公、その男が誰なのかを知っていた。

 コーネリアがアルカードに呑み込まれ、気を失っている間、何かしらの影響によって無意識に作用した、コーネリアの《聖痕(ガブリエル)》。おそらく、アルカードに取り込まれた堕天使との連鎖反応だろうが――それが、彼女に真実を伝えた。

 伝えて、しまった。

 一人の男の、半生を。

 一人の男の、悲劇の物語を。

 一人の男の、どうしようもない、愛を。

 押しつけがましい、愛だった。人類の多くを犠牲にした、自分勝手な願いだった。けれど、その願いの根幹に、愛はあった。


「わたし、は……」


 コーネリア・ルートレッジは。シャルロット・マーレイは。どうしようもなく、愛されていた。世界総てを投げ打ってでも救いたいと思われるほどに、愛されていた。

 コーネリアがこれまで吸血鬼と戦ってきたのは、父の罪を清算するためだ。

 力に溺れ、狂ってしまった父を止めることが、娘である自分が神より与えられた使命であり、神より与えられた試練であると思っていた。

 なのに。それなのに。

 その父を狂わせてしまったのが――そもそもの原因が自分自身であったのだ。


「なにが、罪の清算ですか……」


 父を狂わせたのは、自分。悪いのは、狂ってしまった父ではなく、狂わせてしまった自分。そんな自分が、どうして世界をやり直す資格を持つという。

 父を狂わせ、破壊の道を選ばせてしまった自分が、一体どうして、神として世界を巻き戻すなどと言えるというのか。


「真に罪深いのは、わたしではないですか……」


 父の過去を、そして父が狂ってしまった理由を知った以上、コーネリアにはもう、罪の精算などを行う資格は自分にないと知る。

 誰が、父の罪を責められるものか。己を助けるために手を血に染めた父を、一体誰が咎められようか。

コーネリアには、父の深き愛が間違っていたなどとは、思えない。思いたくは、なかったのだ。

 それ故に、己の目的が分からなくなる。世界を捨ててでも己を助けようとした父。過去をやり直すということは、彼の努力や決意、総てをやり直すということだ。愛のために、多くの人々の命を奪った父は確かに、罪深い存在だろう。けれどそれも、すべて己のためであると知って、それでも尚世界をやり直すなど、コーネリアには考えられなかった。

 間違っているだろう。自分は、悪魔のような女だろう。

 ジャンヌ=ダルクとも呼ばれた己が、父に愛されていたことを知った程度で、立ち止まっていいわけがない。聖女の名を冠した己だからこそ、身勝手な我儘などは捨てて、世界のために動くべきである。

 父でなく、己の罪を清算するべきだ。そのために、過去をやり直すべきだ。

 そう思うのに。この身体はもう、動かない。

 コーネリアは、涙を流した。自分には、すべきことがある。自分には、成すべきことがある。それなのに、父の愛を裏切る事だけは、どうしてもできなかった。


「なんて、身勝手な……」


 絶望に沈んだコーネリアの言葉に対して、誰かが言った。


「いえ、死なれては困ります」


 この場には自分一人しか存在しないと思っていただけに、驚いたコーネリアは声の方向を見る。すると、ボロボロになった鉈を片手に、肉壁を破ろうと切り付けている北条久遠の姿があった。


「どうやら、目が覚めたみたいですね」


「……どうして、久遠が此処に?」


「ええと、ですね……」


 コーネリアの問いに久遠は、阿久と共にアルカードと戦ったこと、その結果、自分たちがアルカードに呑み込まれたこと、そして此処がおそらく、消化器官――それも胃に当たる部位なのであろうと推測していることを簡潔に話した。コーネリアも呑み込まれたところまでは覚えていたようで、説明は数分で片が付く。

 話を聞いて、コーネリアは己と久遠を取り込む巨大な肉壁を見回した。

 改めて見れば確かに、自分たちを取り囲む肉壁からは、酸性らしき液体が零れているようであったし、久遠の持つその鉈も、まるで溶かされたように刃が丸まっていた。


「……もう、『空切』とはお別れですかね」


 ぽつりと呟いた久遠は、手に持った鉈を背の鞘に納めた。瞳を翡翠に輝かせ、使い物にならなくなってしまった鉈の代わり、自らの爪を突き立てた。

 肉壁を裂こうともがきながら、久遠はコーネリアに目を向けた。


「何かいい手はありませんか? 此処から早く出たいんですけど、いい案が浮かばないんです」


 そんな久遠に、《未来予知(ガブリエル)》の力を使うこともなく、コーネリアが言った。

 立ち上がる力も、きっとコーネリアには残されてはいないだろう。それは、実際に残る力の問題ではなく、おそらく意志の問題であったが、同じことだ。


「無駄ですよ。何もかも」


 自分に言い聞かせるように、コーネリアは呟く。

 その言葉に、久遠は小さく首を傾げて「やってみなければわかりません」と、おそらく初めてコーネリアに反発するように、告げた。

 コーネリアは、《未来予知(ガブリエル)》を行使した。

 彼女に映る未来は、敗北の未来。確かにここから脱出することは出来るようだが、しかし堕天使を取り込んだアルカードには、例えもう一度三人が力を合わせたとしても、勝ち目はないようだった。

 ならば、脱出しても意味がない。


「わたしには未来が見えています。脱出まではできるようですが、それ以上は無理です。此処から出ても、死の未来には変わりありません」


 再度無理と告げたコーネリアに、むっと、久遠は顔をしかめた。


「確かにあなたは未来が見えているかも知れません。けれど、諦めなければ、未来を変えることだってできるはずですよ」


 コーネリアは久遠に見向きもせず、肉体が溶かされる激痛、それを再生する吸血鬼の肉体を恨みながら、「無理です」と、無情に告げた。


「何をしても無駄です。大人しく食べられた方が、楽ですよ」


 諦めの言葉を発するコーネリアに。

 そうですか。

 頷いた久遠はコーネリアから目を離して、再度自らの爪で、アルカードの肉体を斬りつける。あまりに強い酸に、久遠の両手は皮膚がはがれ、ボロボロになっている。それでも、久遠はアルカードの肉体から外へ出ようと、右手の六芒星を輝かせた。


「でも、無駄だからといって、諦めるなんてできませんよ。わたしは、玄道から託されたものがありますし」


 ――《公正判決(ミカエル)》。

 静かに呟いて、白銀の杭打ち機を右腕に召喚する。

 それを肉壁に、久遠は幾度も打ち付ける。

 傷一つ、つけられない。杭を打ち出しても、弾かれるばかりである。

 無駄だろう。滑稽だろう。それでも、久遠はやめようとしなかった。

 大城玄道から、託された思いがあった。

 母親であるキャロラインから、示された生き方があった。

 最後に諦めて死ぬようじゃ、とても笑って死ぬことなんてできやしない。

 死の間際に笑えなくとも、無理だからと勝手に決めつけて、総てを放り投げて無意味に死ぬぐらいなら、精一杯生きて、それでも手が届かなくて死ぬ方が、よっぽどいい。

 無言で久遠を見つめるコーネリアの視線を感じて、久遠は《公正判決(ミカエル)》を打ち付ける手を休めぬまま、言った。


「コーネリアさま。何という天使がジャンヌ=ダルクに神の啓示をもたらしたのか、知っていますか?」


 最後の最後の世間話だろうか。

 疑問に思ったコーネリアは、「さあ」と嘆息するように息を吐く。答える気のないコーネリア。その瞳を見つめた久遠が、答えを告げた。


「ミカエルです。ガブリエルでは、ありません」


 ――だから、なんだというのか。

 まるで、質問の意図がわからなかった。

 けれど、首を傾げたコーネリアを見て、久遠はにっこりと笑うのだ。

 このような、絶望的な状況であるにも関わらず。


「ジャンヌ=ダルクと呼ばれた聖女は、此処にいる。そして、かつてジャンヌ=ダルクを勝利へ導いた大天使ミカエルもまた、(ここ)にある。であれば、オルレアンの聖戦同様、勝利を呼び込めぬ道理がどこにありましょう」


 なんのことを言っているのか、よくわからない。諦めが完全にコーネリアを支配していて、思考が上手くまとまらない。ただ、彼女はコーネリアを励まそうとしていることだけは、薄らと伝わっていた。

 けれど、もう。コーネリアは、神になどにはなれない。世界をやり直す意志などは、心の何処かに溶けて消えてしまった。

 神に成ると決めていたあの時ならばいざ知らず、今の状況では、コーネリアに真なる平和を願うことはできないだろう。今のコーネリアはきっと、己の、そして父の幸福を選んでしまうだろうから。

 そんな自分勝手な願いは、許されない。


「わたしは、……もう。神には、なれません……」


 目を伏せてそう告げたコーネリアを、批判することもなく。久遠はコーネリアのもとまで歩み寄る。眼前で、止まった。コーネリアは頬でもはたかれるのかと思ったが、久遠の腕が振り上げられることはなく、代わりに、彼女はしゃがみ込み、コーネリアと顔の高さを同じにした。

 目を伏せたままの、コーネリア。

 久遠はしっかりとコーネリアの目を見つめて、「なら」と手を合わせ。


「ならせめて、神の資格を譲りましょう。少なくとも、諦めていない男が一人いる」


 そんなことを、久遠は唐突に言った。


「諦めていない、男……?」


「ええ。本当、人の気持ちも考えない、自分勝手な男ですけど」


 これまで『あの男』に行われたこれまでの所業を思い出しているのか、久遠は眉をしかめた。「ホント、これまで散々なことされてるなぁ」などと呟きながら。

 けれど、「それでも」と、久遠は最後に笑った。


「悔しいことに、最後の最後まで諦めないあの姿勢にだけは、勇気を貰えるんです。ええ確かに、かなりムカつく男ですよ。冷めた態度も気に食わないですし、きっと、わたしと彼は相容れない。いっそ憎めたら楽なんでしょうけど。……けど、一生懸命なあの男の声を聞くと、なんか、憎みきれなくて」


 ――力を貸してやりたいと、思うんです。

 久遠は、眼を閉じて。

 何かを祈るように、けれど同時に、心地の良い音楽を聞くかのように。


「ほら、聞えるでしょう? 神にすら喧嘩を売って、自分の生きたいようにもがき続ける、みっともない男の声が」


 声の方向――上方を指差して、久遠は苦笑した。

 久遠の言葉、『あの男の声』が気になって、コーネリアは耳を澄ませた。

 ぐじゅぐじゅと消化器官が動く音。けれどその奥、ずっと遠く、ほんの小さなモノではあったけれど、確かに、声が聞えた。

 破壊神として存在する化け物、真祖アルカード。それに抗おうと、守るべきものを守るために、一人で戦う男の叫びが、この胃袋にも届いていた。


「……どうでしょうか。あの男に賭けてみるのは」


「賭ける……?」


「ええ。コーネリアさまが世界をやり直すことができないのなら」


 世界の命運を、あの男に委ねてみませんか。

 それはつまり、あの男が神になるということで。それはつまり、あの男が望む世界が誕生するということである。

 久遠の問いに、コーネリアは――。

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