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悪なるミタマ  作者: 九尾
最終幕 悪なるミタマ編
80/100

堕天使の行方

「――さようなら」


 コーネリアの瞳には、怒りはなかった。ただ、悲哀に満ちた瞳で、総てを破壊する螺旋の刃を、アルカードの胸に突き刺した。

 彼女の刃は、存在原則を知ったものを破壊する。貫くのではなく。アルカードの筋肉、骨、臓器――心臓。その総てを、破壊して。

 声もなく、アルカードのその身は、静かに生気を失くしていった。


「終わった、のか……?」


 阿久が“心臓”に問いかける。


“どうやら、そのようね”


 どこか納得していないような声で、アルラがいう。


“なんだか実感が沸かないけれど、物語の終わりというものは、これくらい呆気ないものなのかもしれないわ”


 阿久もまた、アルラ同様に呆気なさを感じていた。けれども、アルカードの肉体からはもう、生気というものを感じない。コーネリアの持つ、総てを破壊する刃を心臓に突き立てられて、その心臓を破壊されたのだ。普通の人間はもちろんのこと、例え如何なる吸血鬼であろうとも、心臓を破壊されて生きているものはいないだろう。

 全身を炎に変えることのできるという第五真祖ですら、コーネリアの螺旋の刃の破壊からは逃れられないはずなのだ。

 アルカードから螺旋の刃を引き抜いたコーネリアが力を解いて、アルカードの亡骸を抱えたまま、着地した。それを見て、久遠もまた、静かに《公正判決(ミカエル)》を解く。

 その場には、三人の息遣いだけが聞えていた。


「……それで」


 沈黙した空間で、始めに口を開いたのは、阿久だった。

 阿久にとって、最終的な目的はアルカードを倒すことではない。アルカードを倒すことは目的を達成するための過程の一つでしかなく、真の目的はアルラと共に生きることである。


「そいつは、どうするつもりだ」


 そのために、堕天使を喰らったアルカードの亡骸をどうするのか、それを気にするのは至極当然であるだろう。

 阿久の問いに、どうして今そんなことを聞くのかと、久遠は眉をひそめて呆れるように息を吐いて、阿久を白い目で見る。

 けれど、そんなものに物怖じする阿久ではない。

 ――お前に聞いているわけじゃない。

 久遠を無視して再度、コーネリアに問いかける。


「阿久、今だけでも、そっとしてあげて下さい……」


 久遠の模範的かつ道徳的な言葉が、気に障った。


「お前は黙ってろ」


 久遠の目的は、アルカードを倒したことによって達成されたのかもしれない。けれど阿久の目的はまだ、達成されていない。アルカードが倒された今、コーネリアという一時的に協力関係にあった相手が、敵になるかどうかという瀬戸際だ。

 もしコーネリアが此処で阿久を出し抜き、堕天使を手に入れ、阿久を襲おうものなら、阿久にはおそらく、二度と勝機は訪れない。絶対に、ここでコーネリアにアルカードの亡骸を渡すわけにはいかないのだ。

 コーネリアに歩み寄り、阿久は彼女の肩を掴んだ。

 はらりと、彼女の頬から涙のようなものが零れたように見えた。


「……」


 アルカードは、彼女にとって父親だ。そしてアルカードの今ある姿は、おそらく彼が吸血鬼となった時の姿――すなわち、コーネリアの知る父親の姿であるのだろう。その父親を自らの手で殺したのだ。彼女が何を思うかなどは、阿久にも想像ぐらいはできる。

 それでも、阿久はコーネリアの涙に何かを思うことはことは、できなかった。

 ――後悔しないと、決めたのだ。

 あの日。ウォルターと戦ったときに、阿久は大切なものを失った。阿久の甘い考えが、南かえでを死に導いた。

 情は捨てろ。正義の道も、道徳も不要だ。ただ己の目的のために、その時に行える最善を成せ。

 堕天使を渡さないのなら――コーネリア・ルートレッジを、今、此処で殺すべきだ。

 アルカードとの戦いで、既に身体は満身創痍。けれどそれは阿久に限ったことではなく、コーネリアにもいえることだろう。ならば、勝機はある。欠片ほどでも勝機があるのなら、あとはその欠片を掴みとればいい。


「コーネリア。アルカードを渡せ。渡さないなら、お前を殺す」


 殺す。その言葉に、久遠が動いた。

 吸血種の中でもトップクラスの速度で、彼女が阿久の正面に現れた。


「コーネリアさまを殺す、とは。阿久、それはどういうことですか」


「どうもこうもない。アルカードは死んだ。俺たちの協力体制は終わりだ。そして俺は、残る敵を殺す。それだけだろうが」


「敵だからと、話せるはずの相手の話も聞かず、容赦なく殺すのですか」


 久遠の瞳は真剣だ。彼女はおそらく、本音からその言葉を発している。けれど、阿久にはそれがおかしくて仕方がなかった。だから、笑った。


「何故、笑うのですか」


「『吸血鬼は殺す』。いつか、戦いを避けようとした俺の話に聞く耳持たなかったのは、さて。一体、どこの誰だったかな」


「……それは……」


 目を伏せて言葉に詰まる久遠に、阿久は畳みかけるように続ける。


「結局お前の世界は、自分の価値感で作られた善悪の二元論でしかないんだよ。だからお前は、敵を庇わない、同情もしない。けれど、味方であるそいつは庇う。そいつには同情する。なぁ、北条久遠。自分勝手な解釈でしか人の心が分からないようなやつが正義面するのは止めろ、反吐が出る」


「そんな、わたしはただ……」


「黙れ。一般道徳を用いてでしか正義を語れないヤツは消えろ。俺には俺の目的がある。絶対に譲れないものがある。あの時のように、失ってからでは遅い」


 わかったら、退()け。

 久遠の肩を掴み、その身体を退けようとすると、本来ではあり得ない空気の流れを感じた。阿久は咄嗟に後方へ跳躍し、久遠から距離を取った。

 見れば、久遠は左手を手刀のようにして振るったようである。


「待ってください、阿久。せめて、コーネリアさまの心が落ち着くまでは」


 コーネリアの身体は、小さく震えている。彼女はまるで、この場に存在していない者であるかのように沈黙していた。あまりのショックに意識を失ったか、もしくは、衝撃的な事実に放心でもしているのか。

 どちらにせよ、阿久にとっては好機に違いはない。これを逃す手は、ない。


「いや、待たない。むざむざ好機を逃す理由はない」


「お願いします、阿久。どうか、あと少しだけでも……。わたしとあなたの仲でしょう? これくらいの願いは聞いてくれても……」


「ハッ、俺とお前の仲だぁ? なんだそりゃ。そんなものは幻想だ。くだらん“絆”なんぞで俺を縛れると思うな」


 再度駆けた阿久。けれど久遠は、加速の特性を有する吸血鬼である。速度で阿久に引けを取ることはない。先手必勝。忌能が自在に扱えるのならば、阿久に分があったのだろうが、しかし今は力を使い果たして満身創痍である。対する久遠は多少余力があるようだ。

 悔しいが、久遠に近接で挑むことは不利に思えた。


「そうですか。くだらないですか……」


 ぽつりと、久遠が呟いた。


「は?」


 思わず聞き返した阿久に、久遠は。


「わたしは、少しばかり、あなたのいう、その()()()()()()()を感じていたのですが……そうですか、あなたにとって、わたしは――」


 ――ただの、他人なんですね。


 泣きそうな声で、俯いた顔を上げた久遠。その表情は、これまでのように阿久に向けてきた表情とは、いささか異なっていた。彼女の今の表情を、阿久はたった一度だけ、見たことがある。

 初めて会った夜。阿久を敵であると認識し、排除すると決めた翡翠の瞳――。

 背中に一つ残された鉈に、彼女は手をかけた。


「そういえば。……あなたとは、決着がついていなかった」


 その声にはもう、暖かさなどは消えていた。まるで機械のように、冷たく抑揚のない声が、この場に響く。

 初めて会ったときに繰り広げた戦闘。ウォルターの乱入でうやむやになってしまった殺し合い。その決着を今、ここでつけてもいいだろうと、久遠は言う。


「なんだお前。喧嘩売ってんのか」


 とぼけたような言いぶりの阿久だが、その精神は既に戦うつもりでいる。いつ仕掛けられても、相応に対応できる自信があった。


「先に売ったのは、あなたでしょう」


「……何でもいいが、後悔しても知らねぇぞ」


 二者の瞳の色が、それぞれの色に輝いた。

 真紅の瞳の吸血鬼食喰い。そして、翡翠の瞳の混血者。

 これからでも殺し合いが始まるのではないかという一触即発の空気の中、「やめなさい」と小さな声が響いた。

 アルカードの死骸を抱いたまま、コーネリアが、久遠に向けて言い放ったもののようだった。

 その言葉に、阿久はどうもしないものの、久遠は「しかし」とコーネリアに意識を向けた。一瞬だったが、久遠に、隙が出来た。

 本来ならばその隙ですら狙ってやろうと思う阿久だったが、今、久遠の隙を狙えば、例え久遠を倒せたとしても、確実にコーネリアまでもを敵に回すことだろう。堕天使を巡っての戦いならば望むところだが、正直なところ、正面切っての彼女との戦闘は極力避けたいというのが本音である。

 彼女の螺旋の刃に関しては、今の阿久では対処法などが存在しない。確実に敵を葬るあの刃の前では、己の創る防壁など、彼女にとっては障子を破る程度のものだろう。加えて、彼女の両手に宿る聖痕で忌能を無効化されてしまっては、いかに堕天使の心臓を宿す阿久であっても、おそらく、成す術がなくなってしまう。

 楽にコーネリアを殺す、もしくは堕天使を手に入れる手段が無くなった以上、話し合いで済むことならば、話し合いで済ませたいものである。

 阿久はただ、アルラが生きる未来があればいい。もしコーネリアが神にはならず、世界のやり直しを行わないという選択をするのなら、阿久には彼女らと戦う理由がなくなるのだから。


「久世原阿久。先の問いの答えですが」


 静かにアルカードの亡骸を寝かせて、阿久を見て立ち上がるコーネリア。亡骸を背後に、阿久へ歩いた彼女は、口を開いて。


「やはりわたしは、神の力が欲しい。世界をやり直すための力が欲しい。そのために、わたしはあなたと――」


 そこまで、言ったところで。


「――え?」


 久遠と、共に。

 コーネリアの、その声は。その、肉体は。


 ―― () () () ()

 ―― () () () () 、 () () ()


「――ッ!?」


 久遠と一触即発の状態であったためか、阿久は異常事態に対応できたが、完全に油断していたコーネリアと久遠は違ったらしい。背後より迫った爬虫類のような巨大な口に、成す術なく飲み込まれ、その姿を消してしまった。

 居なくなった二人の代わりに、先ほど阿久と戦った四〇メートルもの爬虫類を思わせる怪獣が、人から姿を変えながら、阿久の目の前に現れようとしていた。

 あまりの展開に、阿久の頭が冷静さを失ってしまい、状況を把握できない。

 どういうことだ、どういうことだ、どういうことだ、どういうことだ。

 その単語のみが脳内を反復して、何も考えることができない。目先の現実ですらもが悪い夢のように思えて、ただ漆黒の翼を広げて、化け物から距離を置くことが精一杯だった。

 爬虫類のような、化け物。

 それこそが、理性を失くして破壊神と化した真祖アルカードの、真の姿である――。


「どういうことだよ、アルラッ!」


 十数秒の時を経て、パクパクと開閉するばかりであった阿久の口が、ようやく声を発することができた。


「なんでアイツが生きてんだ! 死んだんだろ、心臓を破壊されたんだろッ!?」


 激しく動揺する阿久と同様に、その心臓も並ならぬ動揺によって激しく脈打つ。ドクドクと、胸の鼓動が叫びをあげる。


“わからない! わからないわよ! 確かにあの時、アルカードの心臓は破壊されていた! 第一真祖が破壊したのよ! あれは存在の原理・概念ごと消滅させる必滅兵器、再生能力だろうと例外ではない。だから……だから生きているわけがないの! 動けるはずがないの! こんなこと、有り得るはずがない――!”


 そこまで言って、アルラはふと、「もしかして」という可能性を考える。仮にそれが真実であったのなら、これ以上ない絶望的な回答だ。しかし、それ以外に考えようもない。

 考えようも、ない――。


“……阿久”


「……なんだ」


“わたしは、堕天使が『神話の登場人物の集合体のような存在』だと言ったわね”


「ああ、言ったが? だがそれがどうした」


 苛立ちを含めながら、アルラの遠まわしな言いぶりを疑問に思う阿久に、アルラは絶望的な回答を差し出した。


 ――もし、不死身の神がいたのなら。その力を手に入れた場合、アルカードはどうなるのかしら。


 時間が、凍った。

 阿久の時間が、思考が、完全に凍り付いた。


「――は?」


 脳が、理解を拒んでいる。何を言っているのか、ワカラナイ。

 不死身の神が、いたとする。もしその神を宿した吸血鬼がいるとしたのなら、その吸血鬼は一体、どのような能力を持つのだろうか。

 ――わからない。

 ――わからない。わからない。

 答えは出ない、考えても、考えても、答えは出ない。――否、答えは、アルラの言葉を聞いた時に既に出ているハズなのに。どうしても、理解ができない。納得ができない。その現実を、直視したくない。


“もし不死身の神の力を手に入れて、アルカードが不死身になっているのなら、アルカードが今生きている理由が、簡単に説明できるの”


 ――説明できて、しまうの。

 アルラの言葉が、阿久にも理解できてしまう。嫌というほど、納得できてしまう。

 それと同時に、他に答えがないのだと、確信してしまう。


「……なら……」

 

 敵は、不死身。


「なら……」


 敵は、どんな攻撃を受けても復活する。

 どう足掻いても倒すことは叶わない。完全に堕天使を取り込まれてしまっては、阿久が相手をするのはまさしく、地球上の生命の頂点に君臨する唯一存在。それこそ、神と呼ぶに相違ない存在なのだ。

 ならば、一体。

 ――一体、自分は。


「なら俺は、一体どうすればいいんだよッ!?」


 阿久の叫びが、広い鍾乳洞にこだまする。この鍾乳洞はとても広いものであったはずなのに。今では、どうして。まるで小さな鳥かごにでも閉じ込められているかのように、狭く感じた。

 そして、眼前の敵は。四〇メートルの怪獣は。

 それより二倍も三倍も、大きく見えた。

 こんな相手に、どうすればいいのか。阿久のその問いに、アルラは答えられないでいた。


「答えろよ、アルラ……」


 アルラにですら、答えは出ないことぐらい分かっている。

 阿久の心臓が、強く鼓動を鳴らしている。その鼓動が絶望を刻んでいることぐらいは、理解できる。

 それでも聞かずにはいられなかった。アルラの答えを、聞かずにはいられなかった。


“……わたしには、わからない”


 静かに告げたアルラの声に、感情は無かった。

 ただ、事実のみを述べていた。

 その言葉を聞いて、阿久もまた、「ああ、そうなのか」と頷くだけだった。

 ――無理、なのだ。

 気合いでどうこうなる問題ではない。阿久の内に宿る力は、“心臓(アルラ)”、第二真祖、第四真祖、第六真祖、第七真祖、第九真祖の六つだ。対する、アルカードの内に宿る力は――さて、一体如何ほどか。

 これまでの無量大数に近い数に加えて、久遠の持っていた聖痕《公正判決(ミカエル)》、そして第一真祖コーネリアをも喰らったのだ。

 簡単な算数の問題だ。どちらが、強い?

 勝ち目は、あるか?

 愚問だ。あまりに、愚かしい問題だ。答えなど、計算しなくてもいいだろう。

 質も、量ですらも。明らかに、負けているのだから。

 こんなもの、どんな奇跡が起きようとも、勝ち目などが見えるはずがない。


「なら、一体……」


 ――どうすれば、いいんだ。

 呟いた阿久の前に、ナニカが突如現れた。そのナニカがアルカードの振るった長い尾であることを理解した頃には、阿久の肉体に鞭で打たれたような激痛が走り、遥か後方へと飛ばされ、大地に叩き付けられた。

 薄らとした視界には、つららのようにぶら下がる鍾乳石だけがある。


「いってぇ……」


 痛みに呻いた阿久は、身体を起こす。目に映るのは、大口を開いたアルカード。大地を這うように、二本の足と四本の腕で六足歩行で移動して。阿久を――“天使の心臓”を喰らわんと、その大口を開いたアルカードの姿だった。


“……ねぇ、阿久。あなたは一体、どうするつもり?”


 焦りと疲労に冷静さを欠いている阿久とは対象に、“心臓”は既に、冷静さを取り戻している様子であった。


「あァ? なんだよこんな時に!」


 痛む頭を押さえて、阿久は首を振る。目の前には迫るアルカード。このままでいてはいけないと跳躍し、風の力を使って速度を上げ、アルカードから逃げるように飛ぶ。いずれいつかは追いつかれるだろうが、今すぐ追いつかれるよりはマシだと考えたためだ。

 どうすれば逃げられる。どうすれば、生きられる。

 必死で生への道を考える阿久の“心臓”は、阿久に問いかける。


“勝ち目のない敵を相手にして、あなたはどうするつもりなのかしら。今のあなたを見ると、諦めが半分以上に見えるけれど”


「諦め? ああ、そうだろうよ! あんな化け物を相手にして、勝ち目があるわけが――」


 そこまで言って、阿久はアルラが言わんとすることに気が付いた。


 ――そうじゃ、無いだろう。

 ――自分の生き方は。自分が貫こうとした、自分の道は。


 ドクンと、心臓が跳ねている。小さいけれど、確かに生の鼓動が、胸にある。

 その音が、いつか存在した小さな少女の生の鼓動を、思い出させた。


 ――もう、会うことはないだろうけど、あたしはあんたを応援するよ。あんたの心臓として、あたしが力を貸したげる。


 力を貸せと、言った。そして約束通り、少女は阿久に両翼(ちから)を与えた。

 彼女が望む幸福の未来を、阿久は己の都合で破壊した。成したい目的があるからと、彼女の望みを断った。

 だったら、どのような状況下でも、最後まで足掻くのが道理だろう。不死身の化け物が相手だからといって、諦めてしまうというのは、彼女の思いを裏切ることだ。勝機があるうちに大きく吠えるのは、ただの弱者のすることだ。そんな(おれ)は、死ねばいい。

 ドクンと、心臓が跳ねている。

 ドクン、ドクンと、心臓が鼓動を刻んでいる。

 それは、まるで。あんたはそれでいいんだよと、頷いているようでもあった。

 俺は諦めないと。後悔しないと。そう、かえでと、約束したんだったな。

 諦めたら、あいつはきっと怒るよな。


 ――手は、動く。足もまだ。


 後悔しないって、決めただろう。やり通すと、決めただろう。例え勝ち目がないからと諦めてしまったら、阿久は二度もかえでを裏切ることになる。そしてアルラすらもを、裏切ることになる。

 それは、いけない。

 そんな生き方、ダサすぎて。かえでのいるあの世にだって、満足に行けやしないだろう。


“……どうやら、気付いたようね”


「ああ。悪ィな、アルラ。少し弱気になってたみたいだ。敵が強からって諦めてるようじゃ、世話ねぇよな」


 決めたことが、あったんだ。

 彼女と共に道を進む困難は、分かっていたつもりだった。それでも。

 それでも、阿久は。彼女と共にいたいと、望んだのだから。

 だったら、困難などという壁は、些細な問題であるはずなのだ。

 望むものがある。その前に困難が立ちふさがるからと逃げてしまっては、そんな気持ちは嘘だろう。阿久は、望んでいる。心の底から、彼女と共に生きることを望んでいる。であれば、その前に立つ困難などは、残らず総て小さなハードルだ。

 例えその困難が、真祖総てを相手にすることだとして。

 例えその困難が、教会総てを相手にすることだとして。

 例えその困難が、この世界総てを、敵に回すことだとして。

 そして、例えその困難が、不死身の神を相手にすることであったとしても。

 その総てを乗り越えてでも、久世原阿久は、彼女(アルラ)と共に生きる未来が欲しいと望んでいたのだから。こんなところで諦めるなんて、かえでも、アルラも、そして過去の自分自身もが、今の自分を許してくれるわけがない。

 だから、なぁ。

 ……力を、貸せ。

 ――力を、貸せよ。

 今こそ、力を貸せ。俺に力を貸すんだろ。

 その力は、物理的な力じゃなくてもいい。その力は、神にすら勝てる保証のある、奇跡の力じゃなくていい。そんな高望みができるほど、大層な生き方はしていない。

 今の自分が欲しいものは、ただ一つ。

 ただ、戦う意志を。もう二度と迷わない心の強さを、俺にくれ。

 自分が守ると決めたものを、死んでも守り切るという、心臓(こころ)を、俺に。

 俺は、一人では弱いから。

 俺たちは、一人では弱いから。

 お前の力が、必要なんだ。

 ――ドクンと、心臓が跳ねた。

 阿久の気持ちに応えるように。まだ終わりではないと、知らせるように。

 此処に、久世原阿久は生きているのだと、証明するように。


 ――仕方ないなぁ、阿久は。あたしが居なきゃ、駄目なんだから。


 はにかむ誰かの声が、聞えた気がした。


「うぅぅぅおぉぉぉおぉぉぁぁぁああぁぁぁぁあぁあぁぁあぁぁぁああああッ!!」


 これまで逃げるために行使していた、風の力。

 それを丸々逆転させて、阿久はアルカードへ叩き付けた。けれども、ガギンと、アルカードの放った風の力が、阿久の放った風を弾き返す。ならばと、阿久はその右手を振るおうとして――。

 バヅンと音を立て、その腕が宙を舞う。どうやら、阿久の攻撃を防ごうとしたアルカードの放った風が有り余って、阿久の左腕を切り裂いたらしかった。

 なんて力の差だよと、阿久は毒づいた。

 けれども、諦めない。まだ生きている。心臓はまだ、その鼓動を刻んでいる。


「忘れていたよアルラ。迷う暇も、諦めてる余裕も、俺にはない。とっくの昔から、突っ走るだけだった」


“……ええ。それでこそ、あなたよ”


 全力を振り絞って、阿久は第九の力と変身の力を行使する。

 第九の力――幻術によってアルカードに自分本来の位置を誤認させ、阿久の持つ変身の力で、残る左腕を漆黒の腕へと変える。幻覚を追って走るアルカード、その頭上にまで両翼で飛び、その額に向けて、渾身の拳を打ち込んだ。

 視えない盾が、アルカードを守る。阿久の拳が、弾かれた。だが、まだ腕は此処に在る。


「もう一丁ァッ!」


 再度打ち込むが、アルカードの盾は壊れない。

 二度も攻撃すれば、いくら幻術を使っていようと、流石にある程度の位置は露見する。けれども構わず、阿久はアルカードの額に向けて拳を振り続けた。

 二度、三度、四度、五度。

 アルカードの透明な盾が砕けるどころか、阿久の拳が砕けるばかりだ。それでも、漆黒の腕の先を杭にして、その盾を突破しようと、もがき続ける。

 例え勝ち目が無かろうと。例え滑稽に思われようと。例え、その結果が無駄な行為に終わるのだとしても、諦めることだけは、したくない。

 後悔だけはしないと、決めたのだ。久世原阿久は久世原阿久の道を進むと、決めたのだ。自分で決めたことくらい達成できずに、何とする。諦めたまま死んで、なにもやらずに後悔するなんて、かっこ悪すぎて、死んでも死にきれるわけがないだろう。

 生きもがくぐらいのことは、誰にも出来る。

 後は神を超える奇跡を呼び出すだけだ、やってやれないことはない。

 阿久は、拳を振う。

 けれどそれを嘲笑うかのように、アルカードの盾が拳を弾いた。アルカードの出した透明な盾は、びくともしない。のみならず、アルカードが阿久に意識を向けて、その尾を振るった。

 阿久は避けた。完全に避けたはずだった。それなのに。その風圧、爆風が阿久を襲い、全身から血を吹き出した。


「――ッ」


 それでも、拳を振ることは止めない。あの盾を破るという確固たる意志をもって、久世原阿久は咆哮する。


 アルカードの背より、地獄の針が伸びて阿久の肉体を貫いた。

 アルカードの鱗から、宝剣が飛んで阿久の額を切り裂いた。

 アルカードの尾の先が槍となって、阿久の足を切り落とした。

 アルカードの放った矢が、阿久の左翼を打ち抜いた。


 それなのに、何故。一撃ごとに、阿久の拳は威力を増していく。


「GRUAAAAAHHHHHHHHHHHHH!」


 初めは嘲笑うかのように阿久の拳を弾いたアルカード。しかしその不屈の闘志に対して、次第に恐怖を感じたのか、ついぞ、本来の忌能である空間湾曲を発動する。

 アルカードの起こした空間の歪が、阿久の内臓(はい)を捻じ曲げた。

 それでも、心臓はまだ、此処に在る。

 それでも、心臓はまだ、鼓動を刻んでいる。

 ならば、まだ。終わりではないハズだ――。

 血反吐を吐いても尚、久世原阿久は、その拳を強く握り、振り上げた。


「ぶち抜けぁあああああああああッ!」

“貫いて――ッ!”


 そして、阿久の拳が振るわれた。

 その拳はついぞ、アルカードの盾を破壊することはなかった。

 吹き飛んだ左腕、切断された右足。貫かれた左翼、破壊された内臓。どうに満身創痍であったこの肉体は、既に死に体。

 けれど。けれど――。

 その拳は、見えない盾ごとアルカードを吹き飛ばし、その顔を地につけた。

 大した損傷にはなりえないだろう。この程度の攻撃では、戦闘不能になどなりえないだろう。なにしろ、その盾を貫くことは叶わなかったのだから。

 それでも、その一撃は、久世原阿久の胸に焔を灯すに十分すぎるものとなる。


「来いよ、アルカードォ! 例えこの命を奪われようと……この心は、この“心臓”だけは――絶対に渡さないッ!」


 阿久の啖呵を耳に、アルカードもまた、大きく咆哮し。

 最後に残った二人の吸血鬼は、最後の死闘を開始する。


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