序・使徒 翡翠/復讐/鎌鼬
コツコツと、足音。
白い廊下を歩く、男と女。
男は日系人にしては大きな図体で、ガタイがいい。背中には巨大な棺を抱えており、病院のような白い廊下では、あからさまに浮いている。
女は、背に二本の鞘を背負っていた。やはりこちらも顔立ちだけ見れば日系人のようであるが、髪は銀。瞳は翡翠だ。ハーフなのかもしれない。
神父と、シスターか。服装を見るとどうも、二人は聖職者であるらしかった。
異常な雰囲気を纏い、しかしそれがこの場にいるという事実が、いっそう彼らを際立たせる。周りの視線を集めながら、二人は建物の外に出る。
二人が出た建築物の一般名称は警察署。それも、この都市――帝都最大の警察署である。
入口に立っていた警官が不審な視線を向けながらも、二人の聖職者らしきものたちに敬礼をし、見送った。
外は夜。今宵は満月。
招かれざる愚者たちが、この世に生を授かる悪夢の夜だ。
「先の長官の話、あなたはどう捉えますか。――玄道」
満月の夜は、一般人は基本的に出歩きをしない。それはこの世界において暗黙の了解とも言えるべきことだ。
いつからそれが人間の習慣となったのかはわからない。けれど何故か、人は満月の夜を避けるのだ。本能的な部分から来るものなのか、それとも、理由があるのか。
いずれにせよ、その決まりごとはもう数百年も前から決まっている。
だからか、二人きりで満月の夜を歩く聖職者の他には、周囲に人が存在しない。在るのは建造物と闇ばかり。
此処ならば、話を聞かれたところで問題はないと判断したのだろう。
玄道と呼ばれた男が、そうだなと呟いた。
「あの長官に抱いた印象は一つ。自分たちの利益しか見えない愚か者、ってとこだ。その話も、また然り」
ほう、驚いたように目を開いて、女は「その理由を聞かせてもらえますか」と次いで問う。
「この帝都にもし、《鎌鼬》がいるとしても、俺たちは必要以上の手出しは避けるべきだ。むしろ、帝都にいるのなら《教会》にとっては好都合。今は鎌鼬よりも、《串刺し公》の血族を優先するべきだからな。あの裏切り者の居場所は近いうちに特定され、俺たちは招集されるだろう。それを見越して、当分の間は鎌鼬を捜索する振りを見せつつ、雑魚狩り――ってのが、妥当な線だろう」
彼らがこの日本に派遣されたのは、他でもない。
《鎌鼬》や《The Ripper》の二つ名で知られる《第七》の吸血鬼が帝都に存在するとの情報を政府より受けた帝都警察長官が、極秘で対吸血鬼対策機関である《教会》に、吸血鬼狩りを生業とするもの――《使徒》の派遣を要請したためである。
そして長官の命は鎌鼬の討伐、もしくは帝都外への追放だ。
なのに男は、鎌鼬が帝都にいることが好都合だという。
鎌鼬の目的はわからない。けれど、アレは気分屋なところがある。もしかしたら、ただの気分で日本に来たのかもしれない。尤も、警戒するに越したことは無いのだが。
「……そうですね。玄道、貴方の言う通りかと。確かに今は、串刺し公を落とした好機に乗じて、《第八》の勢力を無力化することが重要に思います。第八と第七の勢力を同時に敵に回すなどは、不可能な話ですし」
「その割に、納得してはいないような顔だが」
「――それは……はい。そうですね」
先の言葉とは対照に、女は濁すように言った。
男――玄道は、女に顔を向けた。
女は、一般的にいえば美人の部類に属する。俗にいう中年と呼ばれる玄道とは違い、女の齢はまだ二〇ほど。教会の使徒にしては、異例の若さと言えるだろう。
若い。彼女はまだ、若いのだ。恋をしたい年頃でもあるハズだ。しかし彼女の瞳の中に灯る信念ともいえる焔は、色恋など照らさない。ただ黒く、深く、静かに燃えていた。
「気になるか。鎌鼬が」
「――ええ。とても」
黒い瞳で頷いた久遠を見て、玄道は嘆息した。
――お前ほど一途な女はいないよ、と。