“D”
「――――っ」
身体の痛みに、阿久は目を開く。
一体、何が起きたのだったか。と、少し前の記憶をさかのぼり、ようやく、アルカードとコーネリアの激突から今の状態があることを思い出した。
周囲を見渡せば、先の衝撃によって、つららのように垂れ下がっていた鍾乳石や、下から突き出すように伸びていた鍾乳石のほとんどが消え去っていて、奇妙な球体のように抉れている場所がある。そこはまさしく、二者の『神器』と『無名の刃』が激突した場所であった。
まるで、空襲でも受けたかのような、巨大なクレーター――。
ふと横を見てみると、阿久の近くには久遠が転がっていた。
内臓の方はわからないが、外傷の方はそれほど目立たない程度である。咄嗟にしまっていた《公正判決》を出して、盾にしたのだろう。その腕には、白銀の杭打ち機がある。
良い判断だ。思いながら、ふらふらと阿久が立ち上がると、阿久の数十メートル離れた後ろから、何者かが立ち上がる音がした。
――アルカードか。
右腕を剣にして、背後を向くと同時に、その者の喉元に剣となった右腕を付きつける。しかしそこに居たのはアルカードなどではなく、螺旋の刃を杖代わりにして立ち上がった、コーネリアだった。
「……お前も無事だったか」
「ええ、一応は」
一応、という言葉が気にかかったが、阿久は聞くことは止めておいた。
阿久の足元で、僅かに呻く声が聞える。どうやら、久遠も意識を取り戻したらしい。
アルカードは、一体どこに。と考えた時に、コーネリアが背後から、その螺旋の刃で、阿久の胸を狙って飛びかかる。
「お前、何を――」
その一撃を回避した阿久の問いに答える代わり、コーネリアの螺旋の刃に、何かが粉砕される。
その方向を見れば、なるほど。金色の弓を構えるアルカードの姿があった。
「相手は真祖。くれぐれも、油断なされぬようにお願いします」
一歩阿久の前に出で、阿久を黄金の矢から守ったコーネリアは告げる。
その瞳はアメジスト。総てを見透かすような銀河が渦巻き、アルカードの持つ黄金の弓に、幾つも重ねられる黄金の矢を見て、ぽつりと呟いた。
「あれもまた、必殺必中を誇る神話の武具ですね。狩猟の女神、『最も優れた女』の弓矢ですか――」
コーネリアのアメジストの瞳。それを見て、アルカードは「止められるか」と視線で訴え、そして指を離した。黄金の弓にかけられた幾つもの矢は、此処に己を縛る枷より解き放たれる。
ひゅんと風を切り、十近い矢は、コーネリアを狙って突き進んだ。
阿久が前に出て、変身を駆使した防壁を張ろうとするが、コーネリアは前に出たまま下がらない。手にした螺旋の刃で、次々と黄金の矢を打ち払う。
彼女の螺旋の刃に触れた弓はその総てが掻き消えて、その存在が昇華していった。
“……神話上の兵器すらも破壊する螺旋の兵器なんて、聞いたこともないわ。けれど、彼女の『無名の刃』、そして大天使の力である《公正判決》があれば……”
コーネリアの持つ螺旋の刃を見て、アルラは勝機があると確信する。
下を見ると、完全に意識を取り戻したようで、久遠が立ち上がった。
それを視界の隅で捉えたコーネリアは、久遠にも聞こえるような声で、「ところで」と阿久に問いかける。
「これまでのアルカードの力を見るに、どうもわたしの知っているアルカードの能力とは別の力を使っているようですが。やはり、堕天使は……」
「残念ながらその通りだ」
――堕天使を、喰いやがった。
阿久の言葉に、「やはり」と、久遠は青ざめて、コーネリアは唇を噛みしめた。
「参考なまでに聞きますが、堕天使をどれほど……」
もしかしたら、総ての堕天使を喰らったわけではないかもしれない。コーネリアの淡い希望に、久遠もまたハッとして顔を上げる。
「全部喰われた。バックリとな」
しかし、阿久の一言によって、その希望は粉々に打ち砕かれた。
二人の表情には、僅かに諦めや絶望、もしくは口惜しさといったものが見えた。かつてアルカードを封印したコーネリアはともかくとして、久遠の方は、本当に勝てるのかと、不安が心の中に渦巻いているのだろう。
「……だが、悲観することはない。俺には第二、第四、第六、第七、第九の真祖の力がある。吸血鬼最強の第一真祖、そして白円卓十三席の白杭。その力があるのなら、勝機はゼロではないだろう」
阿久の言葉に、久遠が顔を上げ、コーネリアは目を開いた。
彼女らの驚きは、阿久が長いセリフを吐いたこともあるだろうが、何よりも、阿久が励ますような言葉を送ったことに対しての驚きだろう。そう思った阿久は目を逸らして、ぽつりと「……堕天使の心臓が、そう言ってたんだよ」と吐き捨てるように言った。
三人の力を合わせれば勝ち目があるというのは、今さっき、阿久の言った通りに“心臓”が阿久へ告げた言葉だ。阿久がまだ諦めていないのと同様に、アルラもまた、諦めてなどいない。
そしてきっと、今の言葉を聞いて、久遠とコーネリアの胸にも、明確な闘志が宿ったはずだ。
二人の視線を誘導するかのように、阿久は、アルカードを見た。
二人はてっきり、アルカードは余裕綽々といった様子でいると思っただろう。だが、違った。彼自身は冷静を装ってはいるものの、その周辺には、バケツでもひっくり返したかのような大量の血だまりがあった。
また、アルカードの足元には、先ほど手にしていた金色の弓矢が転がっている。
“あれだけの神の力を使えば、いくら真祖とはいえ無事であるハズがないわ。平気そうにしているけれど、相当の激痛が肉体を苛んでいるでしょうね”
アルカードは、己の器を大きく超えるほどの堕天使の力を無理に引き出したのだ。特に先ほどコーネリアに破壊された金色の槍の負担は、相当のものであるはずだ。元が人間の肉体では、相応の代償もあるだろう。
それは、なにも。アルカードだけに言えるものではないのだろうが――。
天使の欠片を宿すのは、人間一人につき、一つが限界だ。だからこそ、かつてのアルカード――研究者ノーマン・マーレイは、人間一人につき一つの天使の欠片を埋め込んだ。
けれど、堕天使そのものを喰らったアルカードが宿す欠片の総数は、本来地球上に存在するとされる神々・悪魔ら総ての数と、ほぼ同等である。日本だけでも、八百万の神々と伝えられるほどに多くの神々が存在するのだ。地球上の神・悪魔の総数が一体どれほどのものか、考えるだけでも気が遠くなる。そして彼の受ける痛みもまた、納得できるというものだ。
アルラが言うには、本来ならば肉体の維持も不可能である、とのことだ。そこを、《神は癒される》を中心として、多くの治癒の力を持つ神々や天使、悪魔の力で、辛うじての所で形を保っているらしい。
確かに、敵は強大だ。自分で起こした奇跡ではない故に、本来あり得ない、人を遥かに越えし力を持っている。だが――先も述べたように、人ならざる者から与えられた奇跡には、それ相応の代償が必要なのだ。
だからこそ、勝機はある。アルカードの肉体が堕天使に馴染む前に、そして大きな力を使用し、代償を払っている間に、確実に落とす必要性があるのだ。
久遠は阿久の言葉を聞き、己の目でアルカードを見た。次いでその真偽を確かめるかのように、コーネリアを見る。コーネリアは自分の持つ聖痕――《未来予知》で、ある程度のことを悟ったのだろう。静かに頷いた。頷いたコーネリアを見て、久遠もまた、勝機はあるのだと確信した。
そして二人は、強く己の武具を握りしめた。
「そういうわけだ。アルカードを、此処で落とすぞ」
どうしてあなたが中心となって指示をするんですか、とでも言いたげな不満の表情で嘆息した久遠は。
「あなたの指示に従うのは、今回だけですからね」と、念を押して。
そういうわけなら、仕方ありませんね、とでも言いたげな満悦の表情で微笑んだコーネリアも、また。
「構いませんよ。ただし、わたしに遅れぬよう、しっかりと付いてきてくださいね」と、頷いた。
二人とも、どうも一筋縄ではいかない女たちだ。けれどそれも、しっかりと『自分」を持っているからこそである。そのことに小さな不満と、そして大きな心強さを感じて、阿久は叫んだ。
「よし、全員覚悟は決まったな。――行くぞォ、お前らァッ!」
その言葉を開戦の号砲にして、三人が同時に駆ける。
阿久らの接近に気付いたアルカードは、元来の忌能であるために使い慣れているのだろう、やはり空間湾曲の力を行使する。三人を近づけないようにと、幾つもの空間を歪めた。
しかし、その能力は既に、幾度も使用している力だ。いくら透明な攻撃だからといっても、発動に少しばかり時間がかかる。その上、視えにくいとはいっても、攻撃がまるで視えないわけではない。
――いい加減、眼も慣れる。
空間の歪みを回避するために、阿久の左右を走る久遠とコーネリアはそれぞれ左右に散開し、変身させた左腕で防壁を創り出した阿久のみが、その正面を突破しようと駆ける。
そのまま突破されることを想定していなかったのか、アルカードは空間の湾曲が少し遅れた。何も起こらない空間を、阿久は疾走する。その右手には、風の球体を創り出しながら。
「もう年かァ? 体力が尽きたんじゃねぇの、爺さんよォ!」
アルカードが「しまった」と思う頃には、もう遅い。阿久が右手より放った爆風が、空気を切り裂いて。アルカードは無抵抗なまま、阿久の鎌鼬をその身に受けた。しかし、それほどの斬り傷はアルカードには与えられることはない。
それもそのはず、今の一撃は、アルカードを攻撃するためのものではなく、アルカードを無防備にして宙へ投げるためのものであったのだから――。
「貫け、《公正判決》ッ!」
見事アルカードを宙に巻き上げたところに、久遠が右手に展開した《公正判決》でアルカードの胸部を撃ち貫いた。もしかしたら心臓を貫いたのかもしれないが、しかし彼を相手にしてやり過ぎということはないだろう。そのまま杭は伸びていく。アルカードを貫いたまま、白杭は留まる事を知らずに伸び続け、最後、天井へとアルカードを打ち付けた。
アルカードが吐血する。けれどまだ、生きている。
久遠の背後より、久遠の肩を跳躍台として跳んだコーネリアは、右手に持った螺旋の刃を構え、《公正判決》の杭の上を疾走する。
コーネリアの持つ螺旋の刃は、原則・概念を理解したものの総ての存在を否定するものだ。物質ならば存在原則を崩壊させ、分子レベルに破壊し、また霊的・超常的現象であるならば、その存在概念すらも破壊することのできる、最強の破壊兵器。モノを破壊するという事柄において、この兵器の右に出るものは無いだろう。
その並ならぬ破壊兵器――螺旋の刃を使用するにあたり、最低条件が一つある。
それは、破壊対象の現在の存在原則――構成分子、構成精神を含めた総てを識った上で使用することである。これは通常、普通の人間や、吸血鬼を含めた総ての地球上の生物には不可能な事柄だ。そう、知識を司る神のような存在でなければ――。
けれども、それを可能にする術を、彼女は持っている。その両手に、彼女はその力を宿している。彼女の両手の甲に刻まれし聖なる痕は、一体何の力を借り受けるものか。
――《未来予知》と、彼女はいう。
それはすなわち――神の言葉を伝える天使である。
そして未来をも知らせる天使の啓示は、未来を伝えるだけに留まらない。ありとあらゆる知識を与えうる。故に。
それ故に、彼女は万象の存在原則を識ることが可能となる――。
「アルカード、此度は封印などという温い手は行いません。今度こそ、この手で、完全に消滅させます――」
銀河の渦巻くアメジスト。彼女の瞳が映すのは、真祖アルカード。彼女が視ているものは、アルカードの存在原則。そしてその螺旋の刃が破壊するのは、アルカードの心臓そのものだ。
彼女の一撃を受けて、アルカードが生き残る術はない。
「――さようなら」
コーネリアの瞳には、怒りはなかった。ただ、悲哀に満ちた瞳で、総てを破壊する螺旋の刃を、アルカードの胸に突き刺した。




