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悪なるミタマ  作者: 九尾
最終幕 悪なるミタマ編
76/100

demise

「おいアルラッ! こりゃあどういうことだッ!」


 疾走を止めないまま、そして背後より迫る暴風を、床、壁、天井を蹴って縦横無尽に避けながら、久世原阿久は虚空へ叫ぶ。

 その眼には、暴風によって破壊されるコンクリート。その背後には、ふひひと笑いつつ、暴力の風をまき散らす第九真祖クラウン。そしてその胸には、“心臓(アルラ)”。


“――どういうこと、と問われても。見たままでしょう”


 見たまま、とはつまり。

 第九真祖は、第七真祖の力を持っている、ということだ。


「ふひひッ。どうしたんだい、|《吸血鬼喰い(クルースニク)》。逃げてばかりでは、ボクを喰らうことなんて、できやしないよ」


 宙に浮いたまま、クラウンは両手を合わせ、徐々に広げていく。その中心には小さな風で構築された球体が存在しており、クラウンが手を広げるほどにその球体が大きく広がっていく。

 阿久は、アレを知っている。第七ウォルターが使用した、風の球体。それは総てを切り裂く。阿久の腕も、易々と切断する。アレは、空気を圧縮した、鎌鼬の詰まった爆弾だ。

 阿久が大きく跳躍すると同時に、クラウンが風の爆弾を阿久に向かって投げつけた。

 直接当たることはなかったものの、しかしその爆風は阿久の肉体を大きく吹き飛ばし、そして阿久の肉体に多くの斬り傷を刻み付けた。

 幸いながら、深く傷を受けることはなく、小さな斬り傷を多く受けたまま、床に着地した。


「どうした、クラウン。ウォルターの時のは、こんなもんじゃなかったが」


 強がりとも取れるセリフを吐きつつ、阿久は考える。

 先のクラウンの一撃は、思えばウォルターと同等程度の強さであったように思う。それでも、自分自身にはそれほど大した傷はない。これは一体、どういうことなのか。

 考えてみる中で、ふと第六アルバートとの戦いを思い出した。

 アルバートには、ウォルターのような素早さはなかった。また、当たればただでは済まないものの、並み外れて優れた忌能というわけでもなかった。けれども、その肉体があまりに頑丈であったものだから、阿久の切り札ともいえる攻撃が通らず、かなりの苦戦を強いられた。

 吸血鬼の心臓を喰らったものは、その吸血鬼の力を手に入れる。

 ということは、もしかして。アルバートの頑丈な肉体が、少しばかり阿久の今の肉体に影響しているのかもしれない。

 阿久の挑発に、僅かな苛立ちを見せたクラウンは、フンと鼻で笑って、次はどうにもならないからな、と言わんばかりの表情で、これまでとは比べものにならないほどの大きさの球体を頭上に創り出した。


「これなら、どうだい」


 大きさは実に、全長数メートル。なるほど、先の攻撃のおおよそ数倍、これならば避けることは叶わないだろうし、直撃しないにしても、腕の数本は千切れ跳ぶかもしれない。

 けれど、阿久の笑みは変わらなかった。

 僅かに額に青筋を浮かせて、その風の爆弾をクラウンは放つ。

 右腕を即座に螺旋状の太い槍へと変身させて、阿久は壁に大きな穴を開ける。そこから他の部屋へ飛び出して、走った。阿久の開けた穴から、爆発した風が広がって壁を裂いていったが、阿久には届かなかった。


「アルラ、正確な位置はわかるか」


“正確とまでは言わないけれど、ある程度なら”


「奇襲になる。それでいい」


 見えない位置から敵が攻撃してくるというだけで、相手にとっては十分脅威だろう。肉体的に影響はなくとも、精神的に影響は与えられるハズであると阿久は踏む。

 アルラからおおよその位置を聞いた阿久は、腕を剣にして、思い切り壁に突き刺し、クラウンを狙った。狙いは僅かに逸れて、クラウンに上手く刺さりはしなかったものの、掠ったような感触はあった。今の攻撃が避けられたと悟り、すぐさま腕を戻すと、今度は別の場所から、アルラの指示を受け、再度剣にした腕を放つ。

 次は、先ほどよりも上手くできたようで、肉を裂いたような感触があった。

 これは悪くないと、再度突く。

 今度は、掠りもしなかった。そして、阿久の眼前の壁に大きな打撃音が響き、壁が崩れた。

 クラウンが風を放ち、二人の間を隔てていた壁を破壊したようだった。


「見えないところからの攻撃かい。それ、本来はボクの十八番(おはこ)なんだけどな」


 でも、いいよ。

 笑ったクラウンは、宙から一旦床に足を着いて、そして、右手を阿久に向けた。

 その右手は、ぼこりと沸騰するように変化を始め、次第に大きく太く、黒くなり、最後にはクラウンの身長を超えるほどの大きさとなり、また木の幹ほどもある太さのものとなる。そのフォルムは非常に暴虐的で、見る者の精神に並ならぬ不快を与えるものであった。


「今では、そんな戦術が小さく見えるんだ」


 言うと同時に、クラウンは阿久に向けて駆けた。


「アルラッ!」


 咄嗟に阿久も、右腕を変身させる。右腕が、変身(かわ)る。

 その手は、悪魔のようで。その手は、人のそれでなく。

 限りなく、冒涜的。限りなく、暴虐的。どこまでも純粋に破壊のみを求めた、名状しがたく、また狂気じみたフォルム。闇を思わせるその腕は、まさに混沌の象徴。

 ――《漆黒の腕》。

 クラウンが振る黒い腕に対し、阿久もまた、漆黒の腕を振るった。

 黒い腕と、漆黒の腕。それが衝突すると同時に、爆風が発生する。それでも互いに退くことはなく、床を踏み砕かんという勢いで力を込めて、互いに引く様子をまるで見せない。

 しかし、一体なんだ、あの腕は。

 アルラに問うと、アルラは「わからない」と答えた。アレは確か、第二真祖の忌能であると、アルラは言う。ならばどうして、第九のこの男が第二の力を――。

 阿久の思考を遮るように、クラウンがふひひと笑う。


「へぇ、この腕に対抗できるんだ。キミ、なかなか丈夫なんだね。それなら、これはどうだろう」


 そして、左腕の指先をナイフのように鋭く尖らせた。

 クラウンの忌能(おはこ)は、先も自分で言っていたように、変身ではなく、幻術だ。それなのに何故、右手をこのように変化させることができるのか。そして何故、左腕の指先をナイフのように変身させることができるのか。黒い腕の方は知らないが、しかし指先を変化させるだけの、この小さな変身の能力を、阿久はどこかで見たことがあると思った。

 けれども、気付いた時には遅すぎた。

 ガクリと、阿久の肉体が膝を着くと同時に、クラウンの黒い腕が阿久に押し勝って、そのまま顔面を殴り飛ばした。


「ぶ――ッ!」


 口の中が切れて、僅かに血を零しながら、阿久は後方へ吹き飛び、床へ突っ込んだ。

 全身に砕けたアスファルトの破片が突き刺さって、少し痛い。けれど、活動には大した支障はない。しかし、瓦礫を崩して立ち上がった阿久の両足が、ビクビクと不自然に痙攣した。


“阿久、これは――”


 心臓が、言う。

 言わずとも、阿久は気付いていた。これは、本来第九クラウンが持つべきものではない。第四エリザベス、もしくはその血族が所有している第四の忌能。それを、一体どうして第九が持っているのか。もしか、第九が 第四の血族になったとでも――?


「ふひひ……。やっぱり毒には耐性がないようだ。このまま、打ち砕かせてもらうよ」


 阿久の疑問を打ち消すように、クラウンが黒い腕で拳を握り、阿久へと駆けだした。

 このままでは、拙い。

 震える足を筋肉で押しとどめ、何とか直立させて、阿久は心臓へ問う。あとどれほどで、この毒が中和されるかと。心臓は、あと少し、時間が必要であるという。

 クラウンがその黒い腕を、阿久に向けて。阿久の顔面に当たる、直前。

 阿久の腕が、動くようになった。すぐさま身体を捻ってクラウンの拳を寸前で回避し、体勢を戻すと同時、右拳を強く握りしめ、クラウンの顔面を殴り飛ばした。

 クラウンの肉体は大きく後方へ吹き飛んで、床や壁に幾度もぶつかりながらも砕いて、ようやく最後に小さなクレータをつくって、留まった。


「……痛いなぁ」


 ふひっと笑ったクラウンは、静かに立ち上がる。

 これまでは、阿久を見下すような視線があった。けれど、もう。彼の目の中に、その視線は見えない。彼の視線には、ただ眼前の敵を殺すという殺意があった。

 ゆらりと、阿久の視界が歪む。

 あまりの景色の歪みに、阿久は一度目を閉じた。そしてもう一度開いた時には――本来見えるべきものが目に映らず、阿久の視界は、完全なる闇に覆われていた。

 その闇には、たくさんの影があった。

 よく見てみれば、その影は一つ一つがどこか違う。男がいれば、女もいる。その多くが若い男女のようであったけれど、まるで、実在する人物のような影だった。その影の一つが、阿久に襲い掛かってくる。対処しようと阿久が腕を振るったが、空気を切ったような感触しか腕になく、影は阿久の背後を抜けていった。


「アルラ、これはやはり」


 阿久は己の胸にある確信に近い答えを、アルラに問うた。


“ええ。第九の忌能(げんじゅつ)ね”


 やられたか、と阿久は舌を打つ。

 これまで使っていた他の真祖の忌能は、どうにも自分の身には合わなかったのだろう。一撃を与えられた怒りからか、クラウンは使い慣れない他の真祖の力から、自身の本来の能力である幻術に切り替えた。

 幻術世界で何も見えない状況から先のような攻撃が飛んでくることを考えれば、なるほど、これは確かに脅威であると、阿久はどこか冷静に考えていた。

 ひゅんひゅんと、影が阿久に向かって走る。

 しかし、阿久には焦らない理由がある。


「――アルラ。奴は何処にいる」


 アルラには、クラウンの存在する場所がわかるのだ。

 だが。


“さっきから探っているのだけれど、どうにも。彼の居場所が、わからない”


 アルラにも、わからないらしい。この幻術はどうやら、天使の細胞の位置を直接探るアルラの力ですら惑わすらしい。忌能とは、吸血鬼の特性の一部。この幻覚はどうやら、相手の視覚に影響させるだけのものではないようで、細胞の位置もまた広範囲に広がるように感じ取れるらしい。


「こりゃ、第六感に頼るしかねぇな」


 ため息をついた阿久の前に、無数の影が駆けた。欠けると同時に、阿久の両肩が裂け、血が噴き出した。

 どうやら、影と共にクラウンが阿久に攻撃をしたらしい。

 だとすれば、背後にクラウンが居るのだろうかと、阿久は後ろを向く。そこには、何もない。ただ、闇がある。

 くすくすと、正面の方から笑い声が聞えた。それはクラウンのものではなく、どこか上品さを醸し出しながらも、根底には嘲りを思わせる、女の笑いだった。

 その方向を阿久が向くと、黒い傘をくるくると回し、紅い装飾を施した、きわどい純白のドレスに身を包んだ女の姿があった。


「あなたのような豚は、ここで死ぬのがお似合いよぉ。ふふふ、《天使の姫君》もこれまでねぇ。けれど、あなたたちにしては、よく頑張ったのではなくて?」


 かつかつと足音が響いて、彼女の姿がパッと消えた瞬間に、阿久の胸に、ドスリと音を立てて、何かが刺さった。

 いつの間にか、女が抱きかかるように阿久の胸に頭をうずめており、その指先がナイフのように尖り、阿久の肉体にぬるりと入り込んでいる。


「――」


 阿久の口から零れた血がつたい、彼女の純白のドレスを赤く染めた。

 この女、もしや第四真祖か。心臓の近くに毒を撃ち込まれたようで、指先が震える。アルラに問いかけようとするけれど、彼女に声が届かない。

 阿久が腕を振るうと、やはり空を切る。阿久の腕から離れるかのように、女の姿は花びらのように離散して、闇の中に溶けていった。

 次いで現れるのは、褐色肌で白い髪の若い女と、どこか気品を感じさせる男、それに付き従うような、修道着の男の三人だった。最後の一人はどうも、教会の使徒のようにも見える。

 褐色の女が駆けた。駆けて跳躍し、空中で回転。阿久の胸を、両手の爪で切り裂かんとしている。彼女に応戦しようと、阿久が構えを取ろうとすると、左右から蜘蛛の糸のようなものが阿久の両腕をがんじがらめにして、束縛する。見れば、先の気品を感じさせる男と、それに付き従うような修道着の男の腕から、その蜘蛛の糸は出ているようだった。

 回避の術はない。しかし、攻撃の術はある。

 阿久は胸から刃を突き出すと、空中の女は、先の女のように、攻撃が当たる前に、花びらのように離散して消えていった。その隙に、阿久は両腕にまとわりついた蜘蛛のような糸を振り払おうとすると、思いのほかすぐに外れた。見回せば、男二人の姿は糸と共に消えていた。

 代わりにトコトコと、阿久の前に、何者かが歩いてくる。

 次に阿久の前に現れたのは、小柄な少年だった。


「やぁやぁ、御機嫌よう。いい、殺し合い日和だね――」


 ギラリと、少年の真紅の瞳が輝く。

 久世原阿久が、彼を他の誰かと見間違えるはずもない。この少年は、南かえでを殺した吸血鬼――第七真祖ウォルターだった。

 ウォルターの風が、(ぼう)と周囲を()いで。一直線に、阿久に向かって風が飛ぶ。

 下手に受ければ腕が裂かれると判断した阿久は、咄嗟に右に避けようとしたが、そこには暗闇に紛れる、見えない壁があった。壁に大きく肩をぶつけた阿久は、壁を僅かに破壊するも、避けきれず、ウォルターの風に正面からぶつかった。

 阿久の全身には斬り傷が現れて、大きく阿久の肉体は跳ね、天井を抉り、床に落ちた。

 次の攻撃が来る前に、立ち上がらなければ。

 即座に立ち上がり、周囲を見渡すと、眼前には少女が立っていた。

 メイド服のような服装で、右手、顔の右側に包帯をして、黒い髪が綺麗な少女。見ようによっては、小学生にも見える。


「……さようなら」


 そう呟いた彼女を、阿久は知っている。

 彼女はトーア。記憶が正しければ、氷川悠斗の結婚候補にある少女だというが……。


「おい、なんでお前がそこにいる」


 どうしてその彼女が、この幻想の世界にいるのだ。

 阿久の疑問はそのままに、彼女の右腕がぼこぼこと沸騰するように変身し、先ほどクラウンの見せた巨大な右腕に変化した。異常な右腕、残る左腕で右眼を隠す包帯を取り去ると、そこには蛸のような、緑と赤の瞳が現れた。

 まさか、こいつも真祖。

 その疑問を打ち消すように、ギョロリと、彼女の瞳が阿久を見ようとして。


“阿久、見てはダメ”


 アルラの声を聞き、そして己の心臓が鳴らす警鐘を聞いて、阿久は咄嗟に目を逸らす。阿久がトーアから目を逸らしたその先に、一人の男が立っていた。

 インテリメガネに、ふんわりとした髪型。ぴっちりとしたスーツ。背丈はそこそこ、見た目は悪くない。そして真紅の瞳に、口元から覗く犬歯。


「キミには、此処で死んでもらう」


 ――氷川悠斗。

 久世原阿久が唯一、友人と呼べる存在で。唯一の。唯一の――。


「どうしてお前が、其処にいるッ!?」


 そして何故、吸血鬼の力を手にしているのか。

 悠斗の腕はぼこぼこと沸騰するように変身し、先のクラウンや、トーアのように暴虐的な黒い腕へと変化して、阿久の胸部を思い切り殴りつけた。

 おそらく、現実でもクラウンに大きな一撃を与えられたのだろう。遥か後方へ吹き飛んで、いくつかの壁を破壊して、阿久は床を抉りながら転がった。

 それでも、この暗闇は晴れることはない。

 第四真祖が。トーアが。そして氷川悠斗が、他の者たちが、阿久を見下して笑っていた。

 そして、暗闇に浮かぶ顔だけの道化が、ふひひと笑う。


「おやおや。第二真祖と知り合いかい。それだけじゃなく、第二の部下も知っているようだったけれど」


 人を見下す優越感。人を踏みつける快感。人の驚愕、人の絶望を糧とする悪魔のような男。第九真祖クラウンは、驚愕、言い得ぬ絶望の表情を浮かべた阿久を見て、堪え切らずにふひひと笑った。

 見下された。下に見られた。その視線は、気に食わない。それは、もう。おそらく、物心がつく前から、久世原阿久が嫌悪した人の表情。それでも、クラウンの表情に対して、阿久の心に怒りは沸かなかった。

 代わりに、ドクンと心臓が跳ねる。

 どうして、氷川悠斗が第九真祖クラウンの作り出した幻覚の中に、真祖と共に紛れていたのか。この場にコーネリアや久遠、玄道がいたのなら、もしか、彼の幻覚だからと自身を抑えられたのかもしれない。

 けれど、居なかった。クラウンの見せた幻覚の中にいた者たちは、おそらく、クラウンに喰われた者たちだ。それは、クラウンが彼らと同じ忌能を使用したことからも伺える。


「――喰ったのか」


 思わず、阿久は問うた。

 けれどクラウンは、ふひひと笑うばかりである。なにも、答えない。

 ゆらりと歩を進め、阿久は再度問う。


「喰ったのか、そいつらを。喰ったのか、その男を」


 ゆらりと。歩く。

 阿久の視線を受けるクラウンに、恐怖はない。彼の目には、他者を踏みつける優越のみがある。にちゃりと、笑みを浮かべた道化の口から、涎が垂れた。


「うん、喰べたよ。第二も、第四も、第七も第八も第九も。全部、ボクがね。それもこれも、パパのためさ。パパの子供であるボクが、立派な大人になるために」


「ああ、そうかよ」


 クラウンの言葉に、咆哮することもなく。

 ただ静かな怒りを込めて、阿久は、ドクンと震える心臓の鼓動を、その胸に感じていた。

 ――行くぞ。力を貸せ。

 その言葉に呼応するかのように。

 ドクン、ドクンと。

 二つの“心臓”が。

 ドクン、ドクンと。

 “心臓”が、跳ねた。

 阿久の肉体に、明確な鼓動が生まれる。感情が生まれる。全身に血液を巡らせ、冷えた心を熱くする。これが、“心臓”。これが、生の“鼓動”。ああ、生きている。自分は今、此処にいる。確かに此処に、存在している。

 瞳は、真紅に光り輝き。

 爪牙は、更に鋭く。

 その背に、漆黒の両翼がずるりと生えた。


「だったら、俺もお前を喰らってやる」


 ――お前のような外道には。


「お前の中にいる真祖ごと、お前総てを」


 ――俺のような外道の制裁が相応しい。


「それもこれも、俺とアルラのために。俺たちクルースニクが、俺たちの目的を達するためだけに」


 ――狂い哭き叫べ、吸血鬼。


「待たせたな、第九真祖クラウン・ゲイシー。――食刑(しょけい)の、時間だ」


 阿久の声は、闇に溶けた。


「うーん、威勢よく吠えるのはいいけれど、具体的にどうやってボクを殺すのかなぁ」


 代わりに、闇にはクラウンの「ふひひ」という神経を逆なでするような笑いが響く。

 いつもの阿久ならば、彼の笑いに苛立つことだろう。けれど、今の阿久はどこか、冷静だった。心の奥底は激しく燃えているのに、頭のどこかは、敵を確実に殺すために、どのような手段を取るかと考えていた。

 まず、この状況を如何に打破するかだが――。


「アルラ。第四の毒、その解毒を頼む」


“もうやっているわ。幸い、以前撃ち込まれた神経毒の類。これなら、もう少しだけ時間があれば掻き消せる”


 ならば、次。

 この暗闇を晴らし、クラウンに一撃をぶち込むには。

 ――第九真祖クラウンは、己の喰らった真祖である、第二、第四、第七、第八、第九の力を行使することができている。そして久世原阿久は、己の喰らった第四真祖血族の力を行使することができている。となれば、阿久には、もう一つだけ、行使できる真祖の力があるハズだ。

 すなわち、第六アルバートの力である。それをもって、阿久はこの常闇を破壊する。

 阿久の掌に、ギョロリと、瞳のようなものが開いた。そして、不気味に光を漏らす。


「な、なんだそれはッ!」


 闇の中、阿久の放つ不気味な光に動揺を始めたクラウン。阿久の周囲には、トーアや悠斗、ウォルターを中心として、先ほど姿を現した者たち――おそらく第四、第八、第九だろう――が取り巻いて、阿久に向かって一斉に駆けた。

 それぞれはもう、何も言わなかった。それこそが、おそらくクラウンの動揺を現しているのだろう。


「力を借りるぞ、アルバートォッ!」


 クラウンの幻覚が阿久にたどり着くより前に、彼の両手が、激しく発光する。

 まるで己の視覚すら潰しかねない圧倒的な光は、おそらく目を閉じていたところで、それをかざされた者の目蓋を焼くだろう。

 あまりの光に、クラウンがその幻術を解いた。


「ぁぁぁあぁっぁぁあああああああッッ!!」


 眼を開いた阿久のほぼ正面、獣のような咆哮を上げて、鋭く尖った爪を振り下ろそうとするクラウンの姿がある。

 この程度の速度で、俺に当たると思うなよ。

 阿久の握った右拳が、クラウンの顔面を思い切り殴りつけた。

 床を転がるのは、クラウンの番だった。やはり不愉快な奇声を上げて、床を転がり、壁にぶつかり、そして痛みにもだえ苦しむように、「痛い」「嫌だ」とひたすらに繰り返していた。


「おいおい。あれだけやっといて、今更、降参なんて言うんじゃないだろうな」


 ニヤリと笑った阿久の表情を、おそらくクラウンが見ることはなかっただろう。今頃彼の目は、第六の光に焦がされて、ろくに機能しないはずだから。それでも、阿久の邪悪な笑みを空気から感じ取ったようで、「ひぃ」と小さく悲鳴を漏らす。


「待って、待って、ボクは今、目が見えないんだ! まさか、目が視えない相手を攻撃するなんて、酷いことはしないだろう!?」


 床を這いずり、土下座のような形で両手をついたクラウンに、阿久は静かに問いかけた。


「なら聞くが。お前は一体、幻術で目が見えない相手を、何人殺した?」


 ――クラウンは、弱いもの虐めが大好きだ。

 暗闇に視界を覆われた子供をいたぶるのが好きだ。暗闇の恐怖に悲鳴を上げる女を殺すのが好きだ。暗闇の世界で生き足掻こうと命乞いをする老人の姿を見ることが、堪らなく好きだ。なによりも、これまで知らなかった苦痛と快楽の世界を、少年たちの肉体に教え込むことが、クラウンにとって、これ以上ない快感だったのだ。

 今の己の状況のような者たちを。クラウンはきっと、数え切れないほど殺していることだろう。何度も命乞いをされた。それでも、そんなものは認めなかった。

 何故なら、無様に生き足掻こうとして死んでいく者たちが、最高に滑稽だから。

 そしてそんな者たちを見ることが、クラウンにとって、忘れられない蜜の味だったから。

 その蜜の味を、不意に思い出し。


「――……ふひっ」


 命乞いを忘れて、クラウンは、思わずその快楽を思い出した。


「つまりは、そういうことだ」


 クラウンに歩み寄った阿久は、ずぷりと、その右腕を差し込んで。あばらを砕き、彼の心臓を抉り出す。


「が、あ――ッ」


 滝のように、クラウンの口から血液が流れ出した。

 痛い痛いと暴れまわるクラウンを無視して、阿久は。その心臓を、変身させた右掌で、喰らった。バクリと、容赦の欠片もなく。無慈悲に、奪った。

 びくびくと痙攣したクラウンは、最後に。「お父さん」と、呟いた。


        ☆


 生と死の境界をさまようクラウンは、小さな夢を見た。

 幼き頃の、夢を見た。

 クラウン・ゲイシー。本名を、フレッド・ゲイシーといった。

 フレッドが幼いころに、父と母が離婚した。離婚の理由は、母の浮気だった。それ以降、父ジョージは、息子である彼の前で、母親は下らないものだ、あの女は人間のクズだと罵った。

 それを聞いて育ったフレッドもまた、そう思っていた。

 フレッドは幼き頃から、父親から「俺のように在れ」と言われてきた。クラウンの父、ジョージは、大英帝国の中でも有名な大企業で働く、大変優秀な人であった。大変優秀ではあったけれども、それ故に、どうにも出来の悪い息子、フレッドにはよく、暴力を振るった。

 どうして、俺のようになれない。どうして、俺のようにできない。

 どうして、どうして。お前には、俺の血が流れているハズなのに。そんなことを言い続けるジョージの頭に、ふと離婚した妻の顔が浮かぶ。そして、フレッドが自分のように優秀ではない理由を、こう結論付けた。

 ――お前には母の血が多く流れているから、俺のようにはなれないのだ、と。

 やがてフレッドは、お前はあの女のようだと言われるようになった。

 それでも、フレッドは父が好きだった、男手一つで自分を育ててくれた、父の期待に応えられない自分を、文句を言いつつも育ててくれた。そんな父親に並ならぬ尊敬と、そして感謝を感じていた。それはもはや、狂気の域であった。

 フレッドは、努力をした。父ジョージを慕って、ひたすらに努力を続けてきた。しかし、結果は出ない。結果がでないために、彼の努力は認められず、自分も父のように優秀な人間になりたいと願い続けた。

 そんなある時、彼は道化のアルバイトを行った。理由は特になかった。ただ、道化のように、いつも笑いたいと思った。ただ、いつも怒っている父を楽しませることができたらいいなと、思った。

 フレッドは、道化という存在に夢中になった。道化でいる間は、自分は自分とは別の存在になる事ができる。道化でいる間は、皆に好かれる自分で居られる。だからフレッドは、一部から道化(クラウン)と呼ばれるようになった。

 それは、もしかしたら。父を敬い、従う純粋無垢な少年の仮面の下にある、小動物を虐待するという奇妙な一面を見た人々が、彼に対する嫌悪の意味を込めて付けた、悪意あるあだ名だったのかもしれない。

 けれども、ジョージの求めたフレッドの姿は、道化などではない。アルバイトなどはいいから、もっと学をつけろと、多くの本をフレッドに渡した。

 その時にフレッドが読んだ昔の文学に、こういうものがあった。

 とある天使が、悪い天使を食べるのだ。そして、悪い天使のものであった不思議な力を白い天使が身に付けるという、御伽噺で聞いたことがあるような話だった。

 もはや狂信とも言える域で尊敬した父。父のようになりたいと願った彼の心は、気付けば父そのものになりたいと願うようになっていた。

 そしてその方法を、父に近づくための方法を、フレッドの読んだ御伽噺は教えてくれた。

 フレッドは。人間を捨てた。

 

 ――そして。父親を、喰らった。

 

 最も尊敬し、あわよくば彼として生まれたいと願うほどに大好きな父親を、喰らった。以降、フレッドは――否。道化(クラウン)は、自分の才能が開花し、多くのことが可能となったように感じた。

 他者を喰らうことの味を占めたクラウンは、以降泣きながら、また悲しんでいる自分、不幸な自分に酔いながら、己の恩師を殺して、その肉を喰らうようになる。

 後に、恩師の一人を喰らっていたところを、たまたま血の匂いに釣られた吸血鬼に見つけられ、誘拐されることとなった。その時に彼は、第九真祖であるヴィーデに見初められ、血族となった。

 吸血することによって人の才能を手に入れられると信じたクラウンは、数多の人々の血液を吸った。それでも満足することができなかったものだから、クラウンはある時、己を吸血鬼という超越存在に仕立て上げた恩師――第九真祖ヴィーデを、喰らった。

 こうして、第九血族クラウン・ゲイシーは、《天使の欠片》を意図せずに手に入れることとなり、真祖となった。

 人の上に立てることに、優越感を感じた。他者を見下すことの快感を知った。他人の不幸が蜜の味であると、クラウンは理解した。かつて父親が自分を殴ったのは、こういった理由からではないかと、思った。

 そして彼の心に在るのは、いつも、ただ一人。――父親である。

 クラウンの心には、いつでも、一つの欲望がある。それが、父親に認めてもらいたいという欲求だ。クラウンの父ジョージは、彼に喰われて死んだ。けれど、クラウンの心には、いつでもジョージがいた。そしてジョージが、お前はまだまだダメなのだと責め立てる。

 クラウンは、ずっと、褒めて欲しかった。

 ただ、父に認めてほしかった。

 誰よりも優秀であった父に、お前は俺の子だと、言って欲しかっただけなのに。

 そんな小さな願いも、叶わない。

 なら、もういらない。望むものは、何もない。

 ならば、いっそ。こんな世界は。



 ――こんな世界は、壊れてしまえばいい。



 死にゆく中で、第五真祖アフム・ザーは、そんなことを思った。


 かつて、神の救いを信じる神父があった。彼は真摯に神を信仰し、そして己が間違っているなどと疑うことのないほどに規則に忠実な、正義の聖職者であった。

 しかしある時、同僚の神父が、己に抱かれれば神に救われると女をだまし、多くの女を抱いているところを目撃してしまう。どういうことかと彼が問い詰めた時、同僚は言った。


「俺が彼女らを救っているのだよ」


 まるで何を言っているのかわからない神父だったが、彼を告発した時に、同僚の言ったその意味を知る。

 同僚が女たちを騙していたという事実が発覚した途端に、女たちの多くは自殺し、そして残りは精神病院などに運ばれたというのだ。同僚は女たちを抱きたいがため、嘘をついていたというのに。そして自分は真実を暴き、彼の悪行を裁いたというのに。

 ――世界は、神父が良かれと信じた行動を批判した。

 女たちは、真実を知りたくなかったと口々に言った。お前が真実を告げなければ、救われたのにと口々に言ったのだ。

 終いには、彼女らの両親から、「彼に抱かれている間は、わたしの娘は幸せだったのに、どうして余計なことをしたのだ」と告げられた。

 何が正義で、何が悪なのか。

 これまで正義と信じて行動を起こしてきた神父だったが、この時ばかりは己の正義を疑った。そして、己自身に問いかけた。

 ――正義とは、何ぞや。

 正義とは、何か。それがわからなくなった神父は、一度教会から離れ、これまでの貯金で、放浪の旅をすることにする。

 旅先で神父が見たものは、どうしようもない、人間の醜さだった。そして、神という存在に縋らなければ生きていけない、脆弱な生物の本性だった。

 そして神父自身もまた、そういった生物であると悟ってしまった。

 知りたくなかった事実に、神父は苦悩した。

 やがて人に価値を見いだせなくなった神父は、終末思想というものを知る。そして、とある終末思想を掲げた宗教で行われる儀式に、参加することにした。それこそが、かつて大災害(パンドラ)を巻き起こした天使降臨の儀であった。

 罪がはびこるこの時代にもたらせる救いは、もはやノアの大洪水以外にあり得ないと思った。真に生き抜くべきは、ノアに選ばれた者たちだけだと悟った。

 神父は、世界に破滅をもたらす天使降臨の儀によって、己の正義に光を見る。

 この世総ての罪を浄化する存在。世界の破壊という神の天罰を与えられることで、この世総ての邪悪を駆逐する存在。ありとあらゆる争いを、根本的に根絶する、人を超越した高みに君臨する絶対的存在。――それこそは、破壊者。降臨する天使。外なるもの。

 混沌(それ)をこの世界に顕現させるのだと、誰かが言った。

  その時、神父は生涯感じたことがないほどの幸福感と、安心感に包まれた。

 この世界に、神は、居たのだ。

 この世界に、正義は、在ったのだ。

 総てを平等に破壊し、そして、総てを平等に奪うもの。それこそが、かつての名無き神父――現在の第五真祖である彼が願うものであり、彼の求める救いであった。

 すなわち、彼が求める救世主とは、破壊の神である。


「世界に……救いは、あるのだ……」


 罪深き人々の破滅。罪深き己の、死。

 それこそが、かつての神父の得られる、唯一の安息で。

 それこそが、かつての神父の得られる、唯一の救いであったのだ。


        ☆


 ふらふらと、大穴の開いた胸から血液を流しつつ、壁を這うようにつたうアフムは、既に大穴を空けられた壁をくぐって、その奥、巨大な怪物を見る。

 その姿はとても地球上の生物のようには思えず、四本の獣のような腕、毛などはなく、つるつると光沢を放つ肉体、かつて見た映画の「エイリアン」を彷彿とさせるような見た目、そして何より異常であると感じさせるのは、その大きさか。

 実に、四〇メートルほどの怪獣が、巨大な氷の中に眠っているのである。

この氷は、コーネリアら真祖たちがおよそ八〇年前に堕天使の細胞を使用して構築したものである。その本質は『裏切り者を氷漬けにする川』だ。故に、人類の裏切り者であるアルカードに対し、尋常ならざる効能を発揮する。

 しかし、よくよく見てみれば、その右手のうち、小指の部分、そして胸部は、氷が不自然な形で溶けている。また、そこに存在するはずの小指は存在しなかった。これが意味するところを、アフムは知っている。


「断片はコーネリアに敗れましたか。けれど、もう安心だ。あなたそのものが復活さえすれば、この世界は真に救われる……」


 ゴプリと口から血を吐きながらも、這うようにアフムは怪獣に近寄り、その心臓部の氷を炎であぶりつつ、手をかざした。


「封印を解く鍵は、此処に」


 かつて、人の裏切りを多く受け、人に絶望したアフム。

 まさかその自分が、人類を裏切った大罪人を解き放つ『解放者』となるとは、思いもしなかった。大罪人とはいえ、幾重もの裏切りを受けてきた自分であるからこそ、そして冷気を司る自分であるからこそ、この氷を抜けることができる。

 吸血鬼の“心臓”たる天使の欠片。その本質を理解しているのは、おそらく真祖の中でも己一人だけであろう。もしやコーネリアは知っているかもしれないが、しかしもう遅い。目覚めたアルカードの前では、総てが無に帰すことは目に見えている。


「断片解放。――主の目覚め(demise)……hyperborea」


 アフムの腕を中心に、並みならぬ冷気が発せられる。刃の如き氷が、アルカードを封じる氷を押しのけて、掘り進むように向かっていく。既にある程度掘り進められていたのか、残り少しというところで時間がかかるが、それもものの数分で、アルカードの胸元までたどり着く。

 ピシリと、氷がひび割れた。

 一筋の亀裂から、亀裂、亀裂、亀裂。こうなれば止まらない。氷のほぼ全体に亀裂が所狭しと走り、そして。

 咆哮。

 大気を揺らし、氷塊を破壊し、そして第五真祖までもを吹き飛ばし。


 ――真祖・アルカードは、此処に蘇る。

 

「は、ははははッ……あっははははははははははははは! 今宵、世界は救われるのだ! 我らの神が、此処に降臨なされたッ! ひれ伏せ、絶望しろ! これより罪の浄化が始まるのだ……神の裁きが、この世のありとあらゆる罪を消し去る時が来たッ!」


 破壊神の復活。

 その様子を恍惚と眺め、諸手を広げて狂ったように笑い散らす第五真祖アフム。彼の存在に気づき、生まれたばかりの破壊神は、アフムを見た。


「さぁ、世界を破壊しましょう、アルカード。貴方がいてくれたおかげで、己は真に――」


 真に、救われる。

 その言葉を言い切る前に、彼の肉体は突如、大きく開かれたアルカードの巨大な口に呑み込まれた。あまりの唐突な行動に、アフムは成す術もなく飲み込まれる。

 ごくりとアルカードの喉が鳴って、アフムの肉体は消えた。

 第五真祖を喰うことで、長年手に入れることのなかった栄養を補給した真祖(アルカード)は。――此処に、世界の破滅を予感させる、終焉の産声を上げた。


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