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悪なるミタマ  作者: 九尾
最終幕 悪なるミタマ編
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生の意味

 北条久遠が、床を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り。空を駆け、その二刀鉈を振るう。対する第三真祖オオダイラは、立ったまま、縦横無尽に駆ける久遠を見るだけだった。

 舐めているのだろうか、久遠は思うも、敵の余裕は此方にとっては好都合。余裕を見せている間に落とそうと、斬りつける。都合一〇数にも及ぶ剣撃の末、オオダイラに与えた傷は、――しかし、何一つなかった。それどころか、見れば鉈が僅かに欠けているほどである。

 久遠に加減はなかった。極限まで精神を研ぎ澄まし、必殺の意志の下にオオダイラを攻撃していたハズなのに。なのにどうして、傷つかない。

 第三真祖オオダイラ――通称『土竜(もぐら)』。彼の異能は大地を掘り進むという、実に単純で、また攻撃性の低いものである。まだ、第五アフム、第六アルバート、第七ウォルターらの方が強く見えるというものだ。にもかかわらず、彼は第三真祖という位置にある。それはつまり、忌能以外の所で強力な特性を備えているということなのだろう。

 そしてそれが、この強靭な肉体か。

 第六はなかなか強靭な肉体を持っていると聞いていたし、第五も物理の無効という並はずれた特性を持つ。それらを上回るのが、第三オオダイラ。だとするならば、今のままでは傷一つ負わせることは出来ないか。

 判断した久遠は、胸から一錠の薬を取り出し、飲み込んだ。

 ドクンと心臓が跳ね、瞳は翡翠に輝き、爪牙は鋭く尖る。

 ――《禁忌解放剤(カースバイト)》。吸血を行わずして、吸血すると同等の肉体強化を吸血鬼に与える作用を持つ、教会の作り出した薬品である。

 以前は、なぜ教会に禁忌解放剤(カースバイト)衝動鎮静剤(アンチヴァンプ)などといった吸血鬼専用の薬品があるのかと疑問に思った。もしかしたら北条久遠のため作られた薬品なのかとも思ったが、どうやらこれらは、第一真祖であるコーネリアが己のために作らせたものであるようだ。故に、その性能はお墨付きである。

 久遠の忌能(とくせい)、肉体強化。日本の鉈を持ちながら、縦横無尽に駆けめぐる速度は更に上昇し、北条久遠は第三真祖オオダイラに切りかかる。


「ほう、肉体強化。それがお主の忌能(カース)か。流石は儂の娘か、吸血鬼としての特性が似通るっておるようだの」


 しかしオオダイラは、己の娘が己に似通ることを喜び、じゃりじゃりと顎髭を擦るばかりで、一向に久遠を警戒する素振りを見せることはない。どこか煮え切らない気持ちを抱えたまま、北条久遠は、その二刀鉈でオオダイラを切り裂いた。

 今度は、入った。

 これまで弾かれるばかりであった鉈の剣筋、それがオオダイラの肉体へと侵入し、切り裂き、その傷口から僅かに血液が零れ出た。

 ――ようやく、一撃。

 久遠が僅かな安堵と希望を抱いた時に、オオダイラの腕が初めて動き、久遠の銀の髪を掴んで、その頭に膝を打ち込んだ。


「……あ――」


 視界が、ぐらりと揺れた。これまで攻撃をしてこなかったオオダイラの、初めての攻撃。どこか攻撃はしてこないだろうという心の隙が、今の隙を創り出した。久遠の髪を掴んだまま放り投げたオオダイラは、ニヤリと笑って、鋭い爪を光らせる。

 オオダイラが久遠に与えられた傷口はたちまち治癒し、消えてなくなった。


「この儂に傷を負わせるか。成程、流石は儂の娘子よ」


 笑うオオダイラに対し、床を転がった久遠は、ぐらつく頭の痛みを振り払い、しゃがみ込んだまま、離さなかった二刀鉈を水平に構えて、オオダイラの動きに備える。


「どうじゃ、北条久遠。儂と共に、吸血鬼として生きてみはせんか」


 不意に、彼はそんなことを言った。

 彼の瞳は、本当に、久遠を敵として見ていない。ただ純粋に、娘に語り掛ける父親のように、彼はそう言った。


「吸血鬼の身では、人の世は生き辛かろう。迫害、差別、飢えに孤独感。その多くが、汝を苦しめたろうよ」


 その言葉に、かつての記憶が蘇る。

 自分は人間だといっても、信じてはもらえない。人並み外れた怪力に、度重なる吸血衝動。孤児院をたらいまわしにされて、信じれるものはなにもなく。

 ただ、孤独であった。


「吸血鬼として生きぬか、久遠。今更父親面出来たものではないが、お前の生活は儂が保障しよう」


 オオダイラが、手を伸ばす。けれど久遠は、構えた鉈を解かないままに、ボソリと小さく呟いた。

 なに? オオダイラが聞き返すと、今度は大きな声で、久遠は言った。

 父親なら、既に居る――と。


「姓は北条、名は久遠。どちらも、誇るべき父、そして誇るべき母から授かった名です。他者を悲しませることに喜びを感じる異常者の血は流れていても、その意志を継ぐ気は欠片もありません」


 苦しいことは、あっただろう。悲しいことも、あっただろう。

 それでも、楽しい日々は、輝ける日々は、確かにあった。吸血鬼として生まれたことに、不満を感じたことはあったけれど、吸血鬼の力があるからこそ、今、こうして世界のために戦える。吸血鬼の力があったからこそ、孤児院をたらいまわしにされて、結果、母と出会うことができ、過去を知り、父を知ることができた。多くの人々から、愛を受けた。

 それならば。――それならば。

 きっと、北条久遠の生に意味はある。北条久遠の生に、幸福はある。


「――此処で斃れてください、吸血鬼」


 確かに、久遠はそう宣言した。

 エルフィンストーンを孕ませ、自分という異常な存在を産ませた父を恨み、北条久遠が短い人生の恨みつらみをぶつけるためでなく。純粋に、人の害と成る吸血鬼を倒すと。

 一人の使徒として、吸血鬼を倒すと。

 久遠の(げん)を聞き。「ふは」と、オオダイラは息を漏らし。


「ふはッ、ふはははは……ふあっはっはっはっはっはっはっは! よくぞ言ったりィ!」


 諸手を広げて、彼は叫んだ。

 それは父として、娘の成長を喜んでいるのか。それとも、娘ですら敵になる己の生き方が滑稽に思えたか。どちらにせよ、彼のやることに変わりはない。


「ならば此処で、その華を散らしてくれる!」


 瞬間、オオダイラの肉体が“ぎゅぼん”という異常な音と共に床に沈んだ。


「――」


 咄嗟に久遠は、彼が何処へ行ったのかと視線を這わせる。

 床に沈み、姿を消した第三真祖。なるほど、土竜の異名は伊達ではない。しかし、久遠とて一人の吸血鬼。その聴覚は、人のそれを優に超える。

 オオダイラが床を動く時、僅かに音がする。その動きを先読みして攻撃を仕掛ければ、勝てる。確信した久遠は耳を澄まして、周囲の動きを視る。

 僅かに、振動音を察知した久遠は、「そこです」と跳躍し、床に逆手を持った鉈を突き立てる。しかし、コンクリートを貫いた感触こそあれど、肉を貫いた感触はない。何が起きた、と動揺する間に、久遠の背後から男の影が現れた。

 すぐに振り向き、対処しようとする久遠だったが、遅かった。背後から床を突き破って現れた男、オオダイラは大きなコートを広げ、そこから突き出す蚯蚓(ミミズ)を思わせる触手で久遠の腹部を刺し貫いた。

 久遠の口から、僅かに血液が零れる。けれど容赦はなく、その触手で久遠の肉体を持ち上げ、振り回し、空中に放り投げた。空中に投げ出された久遠を追うように、オオダイラはその上に跳躍する。

 彼の周囲を取り巻くのは、無数の蚯蚓のような触手。まるでイソギンチャクのように、腹部からそれが飛び出していた。あの触手で彼は床を掘り進んでいるのだろう。そして久遠が飛びついたのは、おそらくあの無数の触手の内の一つが意図的に立てた音――オオダイラの陽動であったわけだ。

 オオダイラは腹部からイソギンチャクのように飛び出した触手たちを一つにまとめ、それをある種の打撃武器として、宙に浮いた久遠の腹部に叩き付けた。


「か――ッ」


 声にならない音を口から漏らして、久遠は床に打ち付けられ、コンクリートを円型に破壊する。けれどオオダイラの攻撃がやむことはなく、再度一つにまとめた(つち)のような触手で、久遠の腹部を再度強打する。

 久遠の肉体は更にコンクリートを抉り取り、大きなクレーターを作り上げた。

 跳躍から着地したオオダイラは、久遠の隣で見下ろして立つ。


「さて、まだ息はあるようだのう。茶番は終わりじゃ、ここいらで幕を下ろそうか」


 オオダイラの腕が、久遠の首に伸びる。その腕を、鉈から手を離した久遠の両手が掴んで止めた。

 まだ動けるのか、とオオダイラが驚きの表情を見せるが、すぐにその表情は笑みに変化して、流石は儂の血を流すだけはあると称賛した。けれど、それまで。腕が届かぬのならば、触手で殺せばいい。

 オオダイラの触手が久遠に伸びた、その時に。


「――“執行(エイメン)”ッ!――」


 ぼぎゅん! という、半固体が一度に空気を取り込んだような音と共に、その胸から白い杭が突き出した。

 それによってオオダイラの左胸部が消失し、代わり、ガシャンと消えた白杭のその場所に、見たことのある白銀の杭打ち機が現れた。

 どさりとオオダイラが倒れると同時に、現れた男はその姿を見せる。


「よう、久遠。生きてるか」


 ――大城玄道。

 額から多量の血を流し、ところどころ燃えて消滅した修道服を身に纏い、手に《公正判決(ミカエル)》を持つ彼が、そこに立っていた。

 床に埋まった久遠に手を伸ばし、彼は微笑む。その手を取って起き上がった久遠は、ふらつきながらも立ち上がり、倒れたままのオオダイラから距離を取る。以前の戦いでは、倒したと思ったウォルターが生きていたために、大城玄道は大きな傷を負った。吸血鬼が死んだとき、その肉体は灰になる。それを確認するまでは、油断してはならない。

 じゃこん、とカートリッジを装填し、再び杭を打ち出せるようにして、玄道は今から、心臓に一発、手に持つ白杭を打ち込んでやろうとオオダイラに歩み寄った。すると、突如床が沈み、オオダイラの肉体がコンクリートの床――その更に奥、地中ともいえる場所に消えていった。

 追おうとするも、血に濡れた身体では、返り討ちに合うだけだろうと判断した玄道は、追おうとするのをやめて立ち止まる。


「……逃げた、か……」


 絞り出すように呟いた玄道は、どさりと、仰向けに倒れこんだ。


「大丈夫ですか、玄道!」


 その場にしゃがみ込んで、玄道の身体を抱き起そうとする。しかし、その手に違和感を感じて、すぐに手を引いた。何か、ぬるりとした感触があった。引いた手を、見る。


「玄道……」


 その手は、玄道の背中から流れ出す血液で真紅に染まっていた。

 この傷は一体、と声にならない声を上げた久遠に、玄道は笑い、「ただで第五には勝てねぇよな」と告げた。


「すぐに、傷の手当てを――」


 久遠は自分の修道服にあるポケットに手を入れるも、この戦場に臨むにあたって少しでも軽くするために、要らないモノは総て置いてきたことを思い出す。玄道を手当てする手段は、久遠にはない。けれどせめて、傷口を抑えるくらいにはと、頭のウィンプルを取り外して、玄道の背に回そうとすると、その手を玄道が止めた。


「お前に、渡すものがある」


 そう言って、玄道は己の右手を差し出した。

 そこには、聖痕がある。まるで、己の腕を持ってけと言わんばかりに、玄道は微笑んだ。


「玄道?」


 という久遠の疑問をそのままに、玄道は久遠の鉈『空切』を手に取って、己の右手首を切断する。


「――っ」


 玄道の血が舞って、久遠の唇を、紅く濡らした。

 久遠の心臓がドクンと跳ねて、吸血衝動を誘発する。己の身体を抱きしめるように、その衝動を抱き留めて、震える肉体が痙攣する。

 ――その血を吸えと、本能が叫んでいる。


「玄道、何を……」


 小刻みに震える声で問いかけた久遠に、玄道は笑顔で言った。


「久遠。俺の血を飲め。そして、聖痕(コイツ)を持っていけ」


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