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悪なるミタマ  作者: 九尾
最終幕 悪なるミタマ編
66/100

序・悪 取捨/月夜/雨

 ――幼き日。

 あの日は確か、保育園の生徒たちに喧嘩を売られたのだったか。どうして喧嘩を売られたのかは覚えていないが、理由は大したものではない。周囲に馴染めない久世原阿久を、見下してのものであったと思う。周囲から浮いている阿久を、集団で苛めるためのものであったのだと思う。

 だから、買ってやった。ボコボコにした。そうしたら、保育士と親に怒られた。

 どうしてこんなことをするのと問われたから、気に入らなかったから、と言った。

 こうした小さな事件を、久世原阿久は何度も繰り返した。

 あいつらが喧嘩を売ってくるから、自分は買っているだけだ。

 そんなことを親や保育士には言ったけれど、誰も信じてはくれなかった。

 いつしか、阿久は不要な子だと言われた。見下された。避けられるようになった。心が無いと言われた。どうしてこんな子供が生まれたのかと、阿久は親から暴力を受けた。

 ――暴力を振るう親の子供なのだから、子供も暴力を振るうものだろう。

 幼いながら、阿久は、そう思っていた。


 いつしか、阿久は親に捨てられた。父親のアルコール依存症、繰り返される暴力。それに耐えかねた母親が、家を出た。そして父親も、阿久を捨てて家を出たのだ。

 孤独だった。このまま死ぬのかと思った。

 そんなときに、遠藤という男が阿久の前に現れた。

 遠藤は、孤児院で働く男だった。その男に連れられて、阿久は孤児院に預けられた。


 孤児院でも、阿久はやはり人と馴染むことは出来なかった。保育園時代はまだ人と関わらずとも困ることはなかったが、小学生にもなると、小さな社会が出来上がる。人と馴染めないのは少し厄介だと思ったが、阿久はおおそよのことは一人で何でもこなせた。

 一人でも、よかった。


 この孤児院で、一人だけ過剰に阿久の世話をやく者がいた。それが、阿久を此処へ連れてきた男――遠藤である。

 彼は、阿久に実に多くのことを教えた。それは勉学に限ったことだけでなく、道徳や人生観についてもだ。

 彼の教え中でも、特に覚えているのは、『己の生きたいように生きなさい』という言葉。

 遠藤には、外国の幼馴染がいたらしい。もともと彼は大英帝国の生まれであるらしく、その時の遠藤は友達がいなかったそうだ。その時に仲良くしてくれたのが、近所のキャロラインとかいう年上の女性。出会って数年で、遠藤が家の都合で遠くに引っ越してしまったために、そこから長い間会っていなかったが、先日に偶然出会い、話す機会があったという。その時に、いい言葉を聞いたから教えてやろうと、得意げに言っていたのを覚えている。

 久々に見た『憧れのお姉さん』、遠藤の幼馴染である女性――キャロラインは、とうにおばさんを越え、お婆さんに差し掛かったところであったらしい。「もうババアだな」と彼は言っていたが、遠藤も大概いい年であったものだから、阿久はどっこいどっこいだろうと思った。

 とにかく、遠藤はキャロラインから聞いた言葉を、阿久に教えた。

 

 ――使命に生きる人生はつまらない。生きたいように生きなさい。


 遠藤もまた、長い人生経験を得てそう思っていたらしく、「これはいい言葉だぞ」と、笑顔で阿久に教えた。

 また、阿久と遠藤は、二人で一緒に遊んだりもした。たまに他の教師の机に悪戯をしたりして、多少なりとも一般道徳から外れることもあった。


『他の人は、ダメっていうよ』


 阿久が言うと。


『なに、おれが謝っておく。お前は楽しいことをすればいい。悪戯が楽しいと思ったら、悪戯をすればいい。なんなら一緒にやろう。おれの悪戯は、お前よりだいぶたちが悪いぞ』


 そういって、彼は笑った。

 遠藤という男は、本当に楽しそうに生きていた。

 他の教師はあれをしろ、これをしろ、全部規律や道徳に縛られたことしか言わなかったものだから、楽しいときに楽しいことばかりする遠藤を見て、阿久は不思議に思った。

 この世界は、つまらない。

 この世界は、怖いことが満ちている。

 それなのに、変なの。どうしてこの人は、楽しそうなんだろう。


 ある時、阿久は遠藤に孤児院から少し離れたところへ連れてかれた。

 『丘』というらしい。月が良く見える場所だった。

 その日は満月。とても綺麗だと思った。


『月を見ろ、阿久。月はな、みんなに同じ顔を向けるんだ。みんなを、同じように見てるんだ。例え他のみんながお前のことを嫌いでも、月は、お前の優しいところを知っている。本当のお前を、見てくれている。月だけは、絶対にお前の味方だ』


 へぇと、阿久は思った。

 自分にも、味方という存在がいるのだと、思った。



 数年の時が経過したある時、遠藤は外国へ行くことになった。いつかに彼が話したキャロラインという幼馴染が亡くなり、その葬式で大英帝国連合まで行ったのだ。けれど、彼はもう、日本に帰ってこなかった。

 もう二度と。阿久の前に、彼が現れることはなかった。

 悲しくなかった。ただ、もう彼と話すことはないのだなと、思うだけだった。まるで感情が死んでしまったかのように、何も感じなかった。


 やがて、遠藤が死んだという噂だけが、孤児院に広がった。


 遠藤が死んだという噂を聞いたその日、阿久は丘に月を見に行った。

 その日は、満月だった。

 綺麗な、満月だった。

 彼の死に、悲しみ一つ覚えない自分。月から見たら、そんな今の自分は、とても薄情な人間なのだろうな。

 そんなことを、ふと思った。



 遠藤が孤児院からいなくなり、阿久は他の者たちから、完全に心を閉ざすようになった。

 ――冷徹無常の悪魔の子。

 いつしか、阿久はそう呼ばれるようになった。

 感情が、麻痺して。誰とも仲良くなれず。久世原阿久は、その心を凍らせていった。


 氷川悠斗の存在を認識したのは、その頃だったか。

 教師の話を聞くいい子、という面を被った彼は、その実、阿久に負けず劣らずの好奇心を持ったやんちゃ坊主だった。そんな彼は、孤児院の中で一際目立つ阿久に興味を持ったのか、孤高を貫いていた阿久についてくるようになった。

 食事には誘ってくるし、一緒に勉強しようと誘ってくるし、授業の後も他の生徒からの誘いを蹴って、阿久を遊びに誘った。

 エリートが自分のような者の隣にいて、何が面白いのか。蔑むためなら、適当に陰口でも叩いていてほしい。

 そう思いながら、無視を続けた。

 それでもついてくるものだから、ある時、一発殴ってやった。

 彼はそれでも、ついて来た。

 どうしてついてくるのか問うた。


「ぼくは、キミと友達になりたいと思ってね」


 彼は、そう言った。


「俺じゃなくても。他に友達はいるだろ。そいつらと遊べ」


 阿久は、そう返した。これは、心からの本音だった。

 どうして、久世原阿久なのか。

 それを問うたとき。


「キミには建前がないからだよ。キミは先生たちにも嘘なんかつかない、とても素直なヤツだから。ぼくは、そんなキミと友達になりたいと思った。なにかおかしいかい」


 おかしいと思った。

 絶対に変な奴だと思った。

 けれど彼は、頭が良かった。なにかに使えるかもしれないなと思って、阿久は彼と仲良くすることにした。

 利用し、利用され。利害が一致した時に、互いのために物事を成す。

 一応は、友人と呼べる関係であったのだろうと思う。

 そんな日々を、咀嚼するように過ごしていきながら。

 

 阿久は、月を見た。

 阿久は、月を見た。

 阿久は。――月を、見た。


 かつて遠藤と共に見た、満月。月だけは、誰にも同じ顔をする。月だけは、本当の自分を見てくれる気がする。

 阿久は、月が好きだった。

 月だけは。月だけは。

 ――お前は、生きていてもいいのだよ。みんなと同じように、幸せを求めてもいいのだよ。好きなように、生きなさい。

 そう、言ってくれている気がしたから。


 時は流れ。

 大きく成長した阿久は、不意に月が見たくなり、丘に月を見に行った。

 その日は、綺麗な満月だった。

 途中雲行きが怪しくなったが、月を見たかった。丘にたどり着いて月を見ていると、雨雲で月が隠れてしまった。

 雨が降っている。月が見えないので、大人しく帰ることにした。


 それは――ひどい雨の、夜だった。


 帰り道。空から降って来た女を見た。

 何故かはわからない。突然、近くに止めてあった車の上に降ってきた。車はぼこぼこにへこみ、見る影もなくなっていたが、どうやら女は無事だったらしい。

 黒い髪、黒い服。白い肌の女だった。

 女がすぐに起き上がったところで、彼女はたまたま阿久を見た。

 阿久もまた、たまたま彼女を見た。

 偶然、目が合った。

 阿久は彼女のことを、表情のない、つまらなそうな女だと思った。幸薄そうな女だと思った。それと同時に、何故かこの女の笑顔を見てみたいと思った。

 この女は、顔だけはいい。

 表情がなさそうで、幸も薄そうなこの女がもし笑ったら、自分はどう思うだろう。

 そんなことを、ふと思った。

 どうかしているな。頭では分かっていながらも、阿久は彼女と目を離すことができなかった。


「なんだ、あんた」


 あんまりにも彼女が此方を見つめてくるものだから、思わずそう言った。

 彼女が何か言いたげに口を開こうとしたときに。


「ようやく鬼ごっこは終わりかな、《天使の姫君》。今宵は満月。月は見えぬが、このような落ち着いた日に死ねるのは、幸福と存ずるが――如何に」


 奇妙な恰好をした怪しげな古老の男が現れて、女に向けて何かを出した。

 それは触手ともいえるものだったが、その時の阿久には何も見えてはいなかった。

 ただ、此処でこの女を殺してはいけないと思った。思ったときには、身体が勝手に動いていた。


 ――生きたいように生きればいい。


 不意に、いつかの遠藤の言葉が蘇り。

 久世原阿久の心臓は、女を庇うための代償となる。


 どうして彼女を助けたのか、わからない。わからないけれど、阿久は女を助けるために命を使った。その時に、これまで感じたことのない達成感と呼べるものがあった。

 自分は、生きていたんだな。

 なんとなく、そんなことを思った時に。


「あなたを、死なせない」


 ――ドクンと、心臓が跳ねた。

 これまで聞えたことのない心臓の鼓動が。古老によって抉り取られたハズの心臓が、跳ねた。

 ――ドクン。

 阿久の肉体に、明確な鼓動が生まれる。感情が生まれる。全身に血液を巡らせ、冷えた心を熱くする。これが、“心臓”。これが、生の“鼓動”。ああ、生きている。自分は今、此処にいる。確かに此処に、存在している。


「あなたを死なせない。失くした心臓の代わりに、わたしがあなたの心臓になるから――」


 久世原阿久は、初めて生の実感を得た。

 彼女と共に生きることこそが、自分の生まれた理由なのではないかと疑うほどに、その時の阿久は満たされていた。

 とうに壊れた心臓に代わり、新たな“心臓”の鼓動が刻まれる。

 抉られたハズの阿久の肉体は瞬く間に修復され、そして目の前に立っていた黒い女は、吸い込まれるように、阿久の体内へと消えていった。

 どういう原理かはわからない。ただ今は、戦う力を手に入れた、それこそが重要な事柄であったから、阿久は告げた。


「一方的に女をなぶるのは、男のすることじゃないだろう」


 修復された胸部に次いで、阿久の身体に変化が始まった。

 瞳は、赤く。

 爪牙は、鋭く。

 その姿はまさしく――吸血鬼(ヴァンパイア)


「貴様のような外道には、俺のような外道の制裁が相応しい。狂い哭き叫べ吸血鬼、食刑(しょけい)の時間だ――」


 この満月の日。雨の夜。雲に隠れた月光の下で。

 吸血鬼にとって、最悪の吸血鬼(そんざい)が生まれた。


 ――それは、ひどい雨の、夜だった。

 けれど、とても美しい月の、夜だった。


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