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悪なるミタマ  作者: 九尾
第四幕 敢為邁往編
59/100

満月の狂人 ―ムーン・マニアック―

食刑(しょけい)の、時間だ」


 阿久の一言に、アルバートは大声をあげて笑った。


「なるほど、食べるに刑と書いて処刑。これまで数多の罪を背負った私に対する刑罰というわけか、納得納得。けれど、私からしてみれば、キミとて吸血鬼殺しの大罪人。であるなら、狂い哭き叫ぶといい。私がキミを――食刑しよう」


 ――上等だ。

 二者は、睨み合う。

 先に動いたのは、阿久だった。左腕を伸ばして、剣のようにアルバートを切り裂かんと風を切る。けれどアルバートは、なんなくその剣を右手で掴みとる。

 この剣は、コンクリートであろうがなんだろうが――例え真祖の肉体であろうとも、容易に裂ける強度のはずだ。それを易々と、忌能もなく掴まれたというのは、驚くほかない。


「なんて身体だよ」


「いやはや、こちらも驚きだ。思った以上にキミの攻撃は素早いね、危うく串刺しになるところであった」


「アルラ、あいつの忌能は――」


 アルラはその問いに応えなかった。代わり、“今すぐ手を戻して”と命じる。

 ――手を?

 剣に変化させ、掴まれている左手の事だろう。すぐに引っ張って戻そうとしたが、アルバートに掴まれているために上手く戻せない。液状化させるか、別の形にするかして逃れるのが得策だ。さっさと離してもらおう、――と。

 阿久の左手を掴んだアルバートの右手が、不気味に光る。左手首に当たる部位から並みならぬ激痛が走る。

 これは、火傷の類の痛み。それも生半可なものではなく、溶解炉にでも腕を突っ込んだような。彼の握力は相当のものなのだろうか。となれば、ここでこれ以上肉体を掴まれるのはマズイ。判断してすぐに引く。

 腕を液状化させ、引き戻そうとした阿久の腕が、アルバートの掴んだ部位を中心としてポロリと零れた。


「――が、ァ――ッ!」


 阿久は腕を液状させていた。折れたのではなく。斬られたのではなく。

 ――消えた。蒸発した。

 即座に再生能力と変身能力を使い、左腕をもとの腕へと戻す。

 激痛がまだ左腕に残るが、もう数分もすれば痛みはなくなるだろう。

 涼しい顔をして、フム。と、阿久の左腕であったものを見て、アルバートはニンマリと微笑んだ。


「これはこれは。これが吸血鬼喰いの肉か。どれ、試食を」


 ポイと。

 アルバートは、自らの口に放り込む。


「ああ、美味いッ! この柔らかさ、繊細さ、これまで食したどの肉よりも甘美だぞ!」


 なにやら放心し、大絶賛しているアルバートを気持ち悪いの一言で片づけて、鈍器に変身させ、伸ばした左腕で、アルバートの腹部を殴りつけた。

 アルバートは後方へ吹き飛び、壁を抜いて隣の部屋の何処かにぶつかる音がする。しばらくは倒れてくれるだろう。

 その隙に、阿久はアルラに問いかける。


「今のは、なんだ」


“第六は第一、第三に次ぐ身体能力を持っているわ。流石に第一や第三に並ぶほどではないけれど、その身体能力は真祖の中でも突飛している。どうやら切断武器では不利、打撃武器に切り替えて、質量にモノを言わせた攻撃方法に切り替えるべきではないかしら”


 阿久が聞きたいのは、剣を止められた理由ではない。


「違う、どうして俺の腕が千切れた。あの痛みは、単なる圧迫じゃない」


“第六真祖、アルバート・クルックス。彼の忌能は食屍鬼としての肉体、そして両の掌から発せられる奇妙な光”


 記憶を取り戻したアルラは、どうやら真祖の情報総てを得ているらしい。

 だが、まるで意味は分からない。

 食屍鬼としての肉体云々は直接戦闘に関わりがなさそうだが、しかし両の掌から発せられる光とは何だ。一体、どのような効能がある。


“――熱よ”


 阿久の問いに答えるように、アルラが言った。


“太陽というものは、光と共に熱を発しているでしょう。彼の光もつまりは、そういうこと。あまりに強力な光であるが故に、物体を融解させるほどの力を持つの。けれど、今の光を見たところ――どうやら、光よりも熱の方に主軸を置いて展開することもできるようね”


「細かい原理は良くわからんが、つまりアイツの掌は焼却炉ってことでいいか」


“ええ。大雑把にいえばそういうこと”


 なんだそれは、滅茶苦茶だと、阿久は思う。

 これまで阿久が戦った第七真祖、そして第四真祖血族はそれなりに吸血鬼らしいといえばらしい能力であるが、光を放つ食屍鬼とは、また奇怪な吸血鬼も生まれたものである。

 阿久は、隣の部屋からのそりと歩いて来たアルバートを見る。

 彼の掌はもう、光を発していない。

「ふぅ……」スーツについた埃を掃って、問題の真祖は恍惚と吐息を吐いた。

 ようやく彼の興奮も収まったのか、アルバートはゆっくりと、阿久を見る。


「失態を見せたね、《姫の花婿》。その詫びだ、次は此方から行くとしよう」


 すっと、アルバートは両手を広げて姿勢を低くする。

 ギリギリと黒板でも削れるような奇妙な音を立てて、アルバートの両掌が発光した。

 赤。青。黄。紫。緑。黒。

 それらの色を総て雑に混ぜ込んだような、異常で名状できぬ、不気味な光。

 光が、奔る。


“後ろへ跳んで、阿久!”


 空間に軌跡を描いて、その掌底(ひかり)が阿久の正面に突き出される。

 こんな掌底に当たって堪るかと、阿久は拳を振ろうとして、気付く。ウォルター戦では近接戦闘が有効であったが、このアルバートに対しては近接戦闘は不利でしかない。

 ウォルターを遥かに凌駕する身体能力、そして掌の光。

 最強の盾、最強の矛を兼ねるあの光には、触れてはならないのだから。


「――く」


 阿久は後方へ跳躍し、左手を杭にして天井へ打ちこんみ、そこに留まった。

 阿久を攻撃し損ねたアルバートの両手は壁を易々と抉り貫き、綺麗な楕円型の穴を形作っている。あの掌底を何度も当てられてしまっては、豆腐のように肉体を削り取られること請け合いだ。

 阿久は周囲を見渡して、舌を打つ。

 この場は密室、狭い部屋に近接戦闘を得意とする真祖を相手にするというのは、こうまで恐ろしいか。この部屋の外に出て広い場所で中・遠距離戦闘を中心とした戦闘を行いたいところだが、此処は市街地。周囲には民家、少し離れたところには高層ビルの立ち並ぶ人口が密集した街中だ。

 できるなら、周囲の人間を巻き込みたくはないが――。


「アルラ、此処を出る」


“ええ。それが賢明ね”


 巻き込みたくはないが、背に腹は代えられない。

 もし死人が多く出たとしても、それは運が悪かったと諦めてもらおう。恨まれても構わない。ただ、ここで死ぬことだけは、許されない。

 杭のように突き刺した左腕を、巨大な螺旋(らせん)状にして回転させ、天井を破壊する。

 ここは地下一階。

 分厚い天井を抜いて一階まで上った阿久は、腕をそのままに跳躍。更にいくつかの天井を破って、最後に屋根を抜き、空へと飛び出した。

 時刻は二〇時頃。周囲は電灯のためか、それほど暗くはない。アルバートの別荘とやらの周囲にはあまり人が多くないのが幸いだが、それでも軽く目に映るだけで、一〇人程度は存在している。

 突如、家から天井を突き破って爆音と共に空に出現した男に、多くの視線が集まった。


「死にたくなければ、さっさと離れろ」


 空を舞い、落下した阿久は、近くを通行する者たちにそう告げた。

 あまりに常識外れな阿久の動きに現実味を感じられなかったのか、彼らは首を傾げたり、メガネをくいとあげるばかりで、逃げようとする意志が感じられなかった。


「俺は逃げろと忠告したからな」


 阿久が言い終わると同時、アルバートもまた、阿久の開けた穴から飛び出した。


「どこへ逃げるつもりだ吸血鬼喰い(クルースニク)! (うたげ)は始まったばかりだぞ!」


 飛び出したアルバートを見て、阿久は周囲を見回した。左側に、車。

 アルバートの家の隣にある民家の、白いプリウスだった。


「借りるぜ」


 左拳を車に突き刺して、阿久はその車をアルバート目掛けて投げつける。

 右手を鍵爪のように構えたアルバートは、自身に向けて(ほう)られた車体を縦に一閃、切り裂いた。

 アルバートが阿久の正面に着地し、少し遅れて、アルバートの後方で両断された車体が轟音をあげて落下し、爆発した。

 これによってようやく状況を把握してきたのか、周囲の者たちの一部が元来た道を引き返していく。また近所の住民も爆音に姿を現し始めた。逃げ惑うものを見て逃げ始めるものもいれば、好機の目で阿久とアルバートを見る者もいる。

 チッと、阿久は舌打ちをして。


「さっさと此処を離れろ、死にたくなけりゃあな!」


 それだけ叫んで、近くにあった電柱を掴んで蹴りでへし折り、やり投げの要領でアルバートに投擲する。

 フム。少し考え込むような様子を見せたアルバートは、胸の前に右手を伸ばした。

 電柱が、彼の右手に向けて飛んでいく。そして彼の右腕に吸い込まれるかのように、電柱が溶けて消えた。

 焦げ臭いにおいと、電柱が溶けて蒸発した時の熱風が吹き抜けた。


「何度も言わせんな! さっさと走れ!」


 阿久が言うと、周囲の人間たちはようやく我に返ったのか、我先にと逃げ出した。

 ようやく静かになった。これで戦闘に専念できる。

 阿久はアルバートを睨む。

 対するアルバートは、次は、一体何をするのかな。子供が遊園地で新しいアトラクションを見るような視線で、阿久を見ていた。


“……余裕の態度ね”


「あの顔面、絶対に一発殴ってやる」


“そのためには、さて。どうしましょう”


「俺が聞きたい……」


 一体どうすれば、アルバートに勝てるのか。

 近接戦闘など行えば、あの光に焼かれて蒸発する。かといって遠距離戦闘では、阿久は決め手になるほどの攻撃手段を持ち得ない。身体を変化させて突き刺すぐらいは出来るが、先の車や電信柱のように蒸発させられるのがオチだろう。

 となれば、やはり隙を見つけて距離を詰め、一撃で仕留めたいところだが――。


“隙を作り、一気に落とす。現実的な手段はこれぐらいしかないわね”


 同じことを、アルラがいった。


「ああ」


 阿久自身も、それぐらいしか思い浮かばない。

 もし一撃で決めることができなければ、それで終わりだ。

 玉砕覚悟を決めて、右手でコンクリートを切り裂き、壁の塊を手に取った時に。


“――阿久”


「なんだ」


“一つ、案があるわ”


「そりゃ楽に勝てる方法か? だったら是非とも教えてほしいね」


“少なくとも、玉砕覚悟の作戦の勝率を上げるものよ”


 それを聞き、阿久の視線が“心臓”へ落ちる。


「……どういうことだ」


“            ――――という作戦で行きましょう”


 アルラの言葉に、阿久の顔が引きつった。

 驚き半分、呆れ半分、といったところか。


「おい。ホントにそんなこと出来んのか」


“おそらくは”


「ダメじゃねぇか……」


“いえ、先ほど試してみたのだけれど、“作る”ことは出来たわ。残る問題は、第六に通じるかどうかだけれど――彼の胃袋は丈夫でしょうが、肉体の方はどうかしらね”


「あいつの食いモンは人間だ。マムシや毒蜘蛛じゃない。それを考えると、可能性はゼロとは言えんな。試す価値はあるか」


“そうね。ではその方向で行きましょうか。もちろん、あなたが一撃で決めるに越したことはないのだけれど”


「俺だって博打にかけたくはない。やれることはやる。だが、最後に博打がなければ目的が果たせないのなら――いいだろう。その博打に乗ってやる。……んじゃ」


「――行くぞ」

“――行きましょう”


 役割はもう、決まっている。

 阿久が、攻める。

 アルラが、“作る”。

 ――フム。

 これまで静かにしていた第六真祖が、此処に顔を上げた。


「相談は終わったかね」


「ああ。続けよう」


「では――」


 ――行かせてもらおうか。

 姿勢を低く、両手を広げ、アルバートは駆けた。

 流石、身体能力を誇る真祖だけあって、その速度は速い。赤い瞳、不気味な両掌の光が、月と街灯だけが照らす夜の世界に軌跡を描く。

 阿久は正々堂々と戦う……と見せかけて、跳躍。近くの民家の屋根に着地した。獅子や虎を思わせる獣のような巨大な腕に変化させた右手で、足元の天井を削り取り、無数の瓦をアルバートへ飛ばす。


「小賢しい」


 アルバートは避けることなく、そのまま瓦の雨の中へ突入する。

 両手を前へ突き出して、一部瓦を蒸発させつつ、阿久と同じ民家の屋根に立つ。

 立つ、と同時に疾走し、アルバートは阿久に向かって、その手を振るう。


「――チィッ」


 あの手で近寄られては、阿久は成すすべなく敗北する。あれに当たってはならない。

 咄嗟に獣の右手で屋根を捲り上げ、壁のような形にした阿久は後方へ跳躍し、いくつかの民家の上を飛んで距離をとり、道路に降りる。

 周囲を見渡せば、民家におかれた車――軽トラが目に入ったので、獣の右手で掴み、アルバートがあると思われる先の位置に向けて放り投げた。

 捲りあがって壁のようになった屋根を蒸発させて阿久に向かおうとしたアルバートの眼前に、軽トラが飛来する。しかしそれを難なく蒸発させ、アルバートは阿久を探す。すぐに見つかった、少し離れた通路の上に阿久はいた。

 屋根が沈むほどに踏み込んだアルバートは、一度の跳躍で阿久のいる通路へと着地する。

 その衝撃で、アスファルトが僅かに凹み、アルバートは阿久の前に降り立った。


「逃げてばかりでは勝ち目がないが、さて。どうするね」


 不気味に笑って、アルバートは阿久に問う。

 流石、第六真祖ともなれば冷静だ。第七のウォルターはすぐに激昂し周囲が見えなくなっていたが、こいつは冷静に周囲の状況を見て攻撃を仕掛けて来る。今もおそらく、軽口を交わしながら頭の中では、どのように阿久を追い詰めるかを考えているに違いない。

 阿久が遠距離では決め手に欠けるように、アルバートもまた、遠距離における攻撃手段が少ない。それも、阿久よりも。であれば、如何に距離を詰めて蒸発させるかを考えているハズだ。


「近接戦で勝ち目ねぇから逃げてんだよ」


 獣の腕を元に戻しつつ、阿久は言った。

 ここでアルバートに考えさせる時間を与えるというのは得策ではないが、しかし此方も準備がいる。まだ、時間が必要だ。出来るなら、会話で時間を稼いでおきたいと思う。


「フム。そう卑下するものでもないと思うが。キミは真祖を破った吸血鬼。であれば、少なくとも切り札の一つ二つは存在するものではないかね」


 ――隠しているだろう?

 ――見せていない力が、あるだろう?


 アルバートの瞳は、それを見透かしているような視線でニヤリと笑う。

 それを、見せろと。彼は、そう言っているように思った。


「俺が本気を出す前に倒すのが、利口な手だと思うぜ」


「ふふふ。こう見えて私はなかなかに変態でね、痛覚に快楽を覚えるのだ。故にキミから与えられる一撃がどれほどのモノなのか、感じてみたくてね」


「……気持ち悪ィな、お前」


「よく言われるよ。自分でもそう思うのだが、どうにも変えられない(さが)というやつでね」


「――だが、いいだろう。後悔すんなよ、ドM野郎」


 ――ドクン。

 阿久の肉体に、明確な鼓動が生まれる。感情が生まれる。全身に血液を巡らせ、冷えた心を熱くする。これが、“心臓”。これが、生の“鼓動”。

 瞳は、真紅に光り輝き。

 爪牙は、更に鋭く。

 その背に、漆黒の片翼がずるりと生えた。


「――ほう、《堕天使の翼》かね」


「第六アルバート。てめぇを此処で落とす」


 ぐっと、腰をかがめ、アスファルトを爆発させ、漆黒の羽を散らして。阿久は、アルバートに向けて突貫する。


「はッ! はははははッ! 上等、上等! この私に近接戦を申し込むかッ!」


 アルバートの眼前に移動した阿久に顔に向け、アルバートの掌底が放たれた。首をかがめて回避した阿久は、肘から杭を突き出して、鳩尾目掛けて打ち付けた。

 怖いのは、アルバートの掌底。アレさえ回避してしまえば、懐はそれほどの脅威を持たない。確実に先行を取り、アルバートが攻撃に移るよりも早く距離をとればいい。

 かくして、阿久の肘撃ちは、アルバートの肉体を後方へ吹き飛ばした。

 吹き飛んだアルバートの肉体は、いくつかの民家を瓦礫にしつつ、最後にどこかの民家へ突っ込んで、止まった。

 ようやく、まともな一撃。しかし。

 阿久が、膝をつく。


「やっぱ、簡単にはいかねぇな……」


 阿久の左の脇腹が、ごっそりと削れていた。

 肘を打ち込み、吹き飛ぶ刹那、アルバートは右手で阿久の左わき腹に触れていたらしい。

 触れただけでこの威力というのは、恐ろしいなどという一言では言い表せない。

 すぐに修復と治癒に力を回した阿久だったが、いくつかの崩れた民家から砂煙をかき分けて、阿久へと向かう不気味な光の軌跡が在った。


「――冗談だろ」


 肘から突き出した杭を思い切り鳩尾へ打ち込んだが、アルバートはまだまだ健在らしい。そもそも、杭が肉体に入り込んだという感触がなかった。考えたくはなかったが、今の決死の一撃は、決定打からはほど遠い。

 これはもう、先のアルラの言った博打に賭けるしかないではないか。

 光の軌跡が、迫る。


「おい、まだかアルラッ!」


“あと、十秒。なんとか持ちこたえて”


「十秒!?」


 阿久が叫ぶとほぼ同時、砂煙を完全に抜け、疾走するアルバートが現れた。

 彼の右掌底が突き出される。

 左手で矛先をずらした阿久は、指の骨を変身させて拳から杭を突き出して、アルバートの顔面に向けて振る。対するアルバートもまた、阿久に向けて左掌底を突き出していた。

 アルバートの顔面に拳の杭を打ち付けることに成功するも、攻撃の犠牲として阿久の二の腕が削れた。

 すぐに修復に取り掛かりたいが、今度は先と違ってアルバートの肉体が吹き飛ぶことなく、目の前に留まっている。

 ――次が、来る。

 すぐに後方へ跳躍しようと思ったが、この距離ではすぐアルバートに追いつかれて溶かされる。今はこのまま、近接で耐える他ない。

 阿久は左手をナイフに変身させ、アルバートの胸を貫こうとするが、アルバートの肉体が硬すぎるせいか、剣先がずれた。心臓を狙ったものが、胸板を削るだけに終わる。阿久の顔に、アルバートの掌底が迫った。

 この一撃で死ぬことはないだろうが、しかしこれを食らえば、五感のうち視覚・聴覚・嗅覚・味覚が失われる。味覚はともかくとして、残りの三つは非常に重要な感覚だ。もし失えば、この戦い、敗北を期す。

 ――させるか。

 咄嗟にかがんで回避した。地面が映るハズの阿久の眼前には、迫る、アルバートの膝があった。


「な――」


 膝が、阿久の顔面を強打する。

 バキバキと音を立てた。少なくとも、鼻が折れたのが分かる。なんとか頭蓋は無事であったが、蹴り飛ばされた阿久の頭はアルバートとは反対方向を向いてしまい、肉体も宙に浮いた。この距離で、大きな隙が出来でしまった。

 このままでは、殺される。

 宙に浮き、アルバートとは反対方向に顔が向けられている中、アルバートの掌底が阿久に打ち込まれようとしているのが分かった。

 死ねる、ものか。


「おぉぉぉぉおおぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉッ!」


 掌底が撃ち込まれる刹那に漆黒の翼を変身させ、アルバートの胸に巨大な杭とし打ち込んだ。

 第七真祖ウォルターの胸部を貫いた、あれである。

 それ、なのに。


「む、ぐぅ――」


 アルバートの胸部を強打し、後方へ弾き飛ばすだけに終わる。

 再度吹き飛んだアルバートを警戒し、落下した阿久はすぐに起き上がって体制を整えた。

 はぁはぁと、呼吸が乱れる。

 極限の殺し合い、身を削る緊張感。ウォルター戦以上の過酷な状況に、阿久の肉体は疲労する。

 ――否、肉体だけではない。

 ゆらりと、立ち上がる影が見えた。


「今のは、なかなか。悪くないではないか」


 第六真祖、アルバート・クルックス。奴は、不死身か――!

 ――阿久の肉体以上に、その精神が、どうしようもなく疲弊する。


「化け物め……」


 思わず呟いた阿久に、あと五秒とアルラの声がかかる。

 残り五秒なら、今のうちに距離を取るべきだ。阿久が漆黒の翼を羽ばたかせ、跳躍した時に。眼前にあったのは、光の軌跡を走らせるアルバートではなく。跳躍したことにより見渡せる、夜の景色でもなく。

 アルバートのいる位置から砂煙をかき分けて飛ぶ、大型トラックだった。

 ――この状況でアルバートを見失うわけには、いかない。

 咄嗟に、阿久は右腕を変身させる。

 右腕が、変身(かわ)る。

 その手は、悪魔のようで。その手は、人のそれでなく。

 限りなく、冒涜的。限りなく、暴虐的。どこまでも純粋に破壊のみを求めた、名状しがたく、また狂気じみたフォルム。闇を思わせるその腕は、まさに混沌の象徴。

 ――《漆黒の腕》。


「づぁあああああッ!」


 漆黒の腕で殴りつけ、車体を粉砕した阿久はすぐさま周囲を回し見た。

 アルバートは、何処に。

 探しても、探してもアルバートの姿はない。彼は空中では留まれないハズだから、空中にはいない。ならば一体、何処に?

 この戦いの状況からして、一歩上をいっているのはアルバートの方だ。彼が撤退する理由などはない。だからこそ、どこかに潜んでいるハズ――と。


「お探しものかね」


 探している者の声が、背後から聞こえた。

 冷静さを欠いた阿久は、真っ先にトラックが飛んできた方向を探してしまった。初めからトラックを目隠しとして使用するつもりのあったアルバートが、いつまでもそこに居るわけがない。トラックを蹴り上げた瞬間、場所の移動をしたはずだ。

 それを読み切れなかった、己の失策――。


「アルバ――」


 背後の敵を漆黒の腕で殴りかかろうとした阿久だったが、漆黒の腕に向け、アルバートの掌底が向けられた。

 右拳と、左掌底が衝突する。

 従来であるならば、拳が掌底を砕くことも可能であろうが。

 相手が、悪すぎた。

 ジュッと、音がした。

 ジュクジュクと、音がした。

 音がする度、拳は削れ。音がする度、肉が焦げる音がして。


「がぁあぁぁぁッ!!」


 阿久の漆黒の腕が、肘まで解けた。

 次いで、アルバートの右掌底が阿久の顔に向けられる。

 激痛の中、咄嗟の判断で首を後方へ顔を逸らした阿久の目に、掌底の奥でニヤリとほくそ笑むアルバートの顔が見えた。何故、笑う。その掌底は届かない。この顔は焼けないハズなのに。

 次の。

 瞬間。


「――――――――」


 阿久の視界が、壊れた。

 目が、焼けた。

 何が起きたのか、わからなかった。

 阿久は確かに、アルバートの攻撃を回避した。当たらなかった、ハズなのに――。

 右腕、そして両目が訴える激痛に続き、伸ばされたアルバートの掌底が、阿久の側頭部に触れた。頭が、焼ける。頭蓋が、解ける。脳が、壊される。

 ここで、死ぬ。絶望しかけたその刹那。


“阿久、出来たわ!”


 阿久は、“心臓”の声を聞いて我に返った。

 まだ、終われない。こんなところでは、負けられない。


「おらぁぁあああああああッ!」


 漆黒の翼を杭に変化させ、アルバートの脇腹を狙って打ち込んだ。

 視界も嗅覚もない、聴覚と触覚、そして第六感に頼った一撃であったが、なんとかアルバートに突き刺し、吹き飛ばすことに成功する。しかし感触からして、ロクなダメージは無いだろう。

 多少の斬り傷は作ることができたかもしれないが、その程度。真祖ほどの治癒力があれば、一瞬のうちに塞がる小さな傷だ。

 ――だが。

 ――だが、それでも。今の一撃は、この戦いの勝敗を決める。

 嗅覚は、焼けこげる自分の腕と頭の悪臭に塞がれて。

 視覚は、先の何かで潰されて。

 聴覚と触覚しか頼るもののない阿久の肉体は、そのまま落下した。

 びしゃりと、アスファルトに何かがぶちまけられる音が聞えた。

 おそらく、腕や頭から飛び出した血液だろう。腕の傷を塞ぎ、頭を最優先に修復させる。

 ボロボロの肉体で立ちあがった阿久は、削れた頭を復元させた。視力もどうにか、もとに戻る。元ほど良く見えるわけでもないが、敵の姿を察知できるならば十分。今はこれでいい。

 視力が回復した。心の余裕を取り戻した阿久は、どうしてアルバートの掌が辺りもせず視力が奪われたのかと考えた時に、アルラの言葉を思い出す。


 ――太陽というものは、光と共に熱を発しているでしょう。彼の光もつまりは、そういうこと。あまりに強力な光であるが故に、物体を融解させるほどの力を持つの。けれど、今の光を見たところ――どうやら、光よりも熱の方を主軸に置いて展開することもできるようね――


 ……勘違いしていた。彼の《忌能》はそもそも、モノを溶かすものではなかった。尋常ならざる光を発するものであったのだ。

 ――であれば、なるほど。目が焼かれた理由も頷ける。


「く――」


 壁にもたれかかりつつ、ここでアルバートに襲われたら終わりだなと思い、身体の修復に専念する。

 アルラ、状況は。

 問うと、


“削れた顔の右半分はある程度修復したわ。右腕も変身で保管できる。ただ、先ほどまでのように近接戦闘を行うのは、無謀という他ないわ”


 荒い息を繰り返し、阿久が空を見る。

 真紅と奇妙な光の軌跡が見えないことを願って、月を見る。


「ウォルターんときもかなりやられたが、流石は第六。もう少し楽に戦えると、思ったんだがな……」


 ごほごほ咳をした阿久の口から、血が零れた。


“阿久、来るわ”


「……アルバートか」


“ええ。かなり近づいている。警戒して”


 アルラが言い終わり、沈黙。周りの家々を飛び越えて来ることを警戒した阿久は、空を見回す。まだ、姿はない。それなのに。


“阿久、来た!”


 アルラが、言う。

 一体どこに。

 空を見上げた阿久の胸に、大穴が空いた。

 アルバートの腕が、突き出していた。


「ご――ぷ……」


 吐血した。

 辛うじて心臓には当たらなかったものの、右の肺が完全に消滅した。


「おやおや、いけないね。治療に必死で、背後を取られたことも気付かなかったかな」


 アルバートの右腕が完全に阿久の右胸部を貫いて、そのまま阿久を持ち上げた。

 ガラガラと音をたて、背後の壁を破ってアルバートが路上に歩み出る。


「て、めぇ……」


 阿久はアルバートを睨む。満身創痍の阿久に対し、彼の服はボロボロになっているものの、彼の肉体の方にはほとんど傷がない。あまりに強固な防壁、優れた身体能力。そして、近接向きの一撃必殺(カース)

 あまりに、相性が悪すぎた。


「それでは、遺言を聞こう」


 アルバートが、左腕の手刀で阿久の左腕を切断した。

 ぼとりと、阿久の腕が落ちた。


「――」


 もはや、痛みは感じない。けれど身体から大切なものが零れていくというのが理解できた。イノチのミズが、自身の肉体から零れている。

 止めないと。止めないと。このままでは、イノチが零れてしまう。

 それなのに、止める手段が無くて。それなのに、腕は動かなくて。

 ――久、しっかりして、阿久!

 “心臓”が、叫んでいる。

 けれど、阿久の意識は薄れていって。

 まだ、“心臓”が無事であることに安堵して。

 これ以上は、もう。意識が保てない――。


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