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悪なるミタマ  作者: 九尾
第四幕 敢為邁往編
58/100

挿入・大英/少女の真実

 黒い服を身に纏った男に連れられて、トーアはとある場所へ来た。

 石畳の、洋式の造りの大きな広間。

 ――此処は、大英帝国連合のとある集落。その中心に建てられた大きな城。

 名は、『csejte』。


「――お連れしました、エリザべス様」


 男が告げた先には、純白のドレスと赤い装飾に身を包み、城の中だというのに黒い日傘をくるくる回し、退屈そうに待っている女の背中があった。


「……あら。あらあらあらぁ」


 くるくると、傘を回し。

 ぴたりと、止まる。そして女はトーアを見る。


「――お久しぶりぃ。トーア」


 ふりふりと片手を振って、くすりと、笑った。

 トーアの表情が、こわばった。


「あらあら、鉄仮面のお嬢様も、(わたくし)を前にしては竦むしかないのかしらぁ?


 ――第二真祖、《蛇髪(ゴルゴン)》のトーア。トーア・エンフィールド」

 彼女の周囲には、おおよそ百人の吸血鬼。

 その多くが通常種であるが、これほどの数を相手にするとなれば、さしもの真祖もどうにもならないところがあるだろう。のみならず、血族が七人。なるほど、エリザベスはエリザベスなりに舞台を整えて待っていたらしい。

 悠斗の調べでは、先日発生した吸血鬼と教会の大規模戦争によって戦力が多くが失われたものと思っていたが、どうやら彼女は、それほどの兵を戦地には出さなかったようだ。

 しかし、トーアが見るのは吸血鬼ではなく、その先にいる人物ただ一人。

 手錠をはめられ、体中を鎖でつるされた男、氷川悠斗。

 彼はトーアが来ない間、エリザベスに拷問でもされたのか、体中に鞭で打たれた跡があり、全身が蚯蚓(みみず)腫れになっていた。また、所々指の爪が剥がされている。小さく呻いた彼の視線が、トーアを見た。

 ――酷いことを、する。

 どうして、こんなことをするのか。

 トーアは、いつも疑問に思っていた。

 自分は吸血鬼。相手は人間。それだけだ。互いに心を持っている。それを通じ合わせる言語という手段を持っている。なのに、どうして。こんなにも、相容れないのか。

 拳を握りしめたトーアは、一歩前に出た。


「これ以上、その人を傷つけないで」


 しっかりと、エリザベスの目を見ていった。

 背けることもなく、真摯に。

 ――ふ。

 けれど。

 ――ふふふ。

 エリザベスは。


「――ふふふふふふ。……あはははははははははは!」


 真摯なトーアの姿勢を、腹を抱えて笑いだした。


「笑うことではないと思うけど」


 トーアが答えると、また笑う。

 上品さのかけらもなく、ただエリザベスは笑った。

 ひとしきり笑った後、くるんと日傘を回して、大きな目を細めて言う。


「これだから、(わたくし)はお前が嫌いなの」


 その声は、これまでのエリザベスのものではなかった。

 どこまでも冷たく、それこそ氷のよう。胸の奥底に怒りを秘めた、絶対零度の視線。


「目的もないまま、お前を此処に連れてくると思う? お前を連れてきたいなら、お前だけを呼べばいい。なのにこの男をわざわざ此処へ連れてきた、その意味も解らない?」


「……あなたの目的は、なに」


「ふ――ふふふっ。ただの嫌がらせに、決まってるでしょう」


 本当に、本当に心の底から、エリザベスは吐き捨てるように言った。

 彼女は第四真祖。そして眼前の少女は、第二真祖。

 同じ吸血鬼。同じ真祖。同じ女同士。

 なのに、どうしてか。彼女らはどうにも、相容れない。

 それはおそらく、根本的な考え方が異なっていたからだろう。


 第二真祖は、人間が好きだった。同じ姿、同じ形で、吸血鬼同様にそれぞれの考え方を持ち、懸命に生きようとする様が美しいと思った。自分も、そうありたいと思った。だからこそ、第二真祖は簡単に人を殺めてはならないと考えていたし、むやみやたらに人を襲う吸血鬼とは戦った。

 正義の味方。吸血鬼と戦う吸血鬼。どこかで、彼女のことをそう呼ぶ人間がいた。


 第四真祖は、人間が好きだった。同じ姿、同じ形で、吸血鬼同様にそれぞれの考え方を持ち、懸命に生きようとする様が美しいと思った。自分も、そうありたいと思った。だからこそ、第二真祖と同様、簡単に人を殺めてはならないと考えていたし、むやみやたらに人を襲う吸血鬼とは戦った。――しかし、いつしか彼女は変わっていった。

 家畜を殺す虐殺魔。吸血鬼を従える屍姫。教会から、彼女はそう呼ばれるようになった。


 どうして彼女らは、ここまで意見が食い違うのか。

 百年前。真祖アルカードが教会に封印されるまでは、仲良くしていたハズなのに――。


 ――いつかを境に、エリザベスは人間を家畜と罵るようになった。人間を、生物と思わないようになった。毛嫌い、忌み嫌うようになったのだ。


「どうしてわたしをそんなにも嫌うの、エリザ」


 トーアが、問うた。

 当たり前のことを聞くのね。

 少し表情を柔らかくしたエリザベスは、静かに語る。


「善人ぶったあなたが嫌いなの。正義の味方を気取るあなたが、本当に大っ嫌いなの。

 ねぇ、トーア。お前には何もない。生きる目的も、何も。なのにお前は、いつも人間の味方をする。さも(わたくし)たちが狂っているかのような言い方をする。狂っているのはお前なのよ、トーア。

 人間は家畜。人間は食料。(わたくし)たち吸血鬼が生きるために必要なもの。それ以上でも以下でもないわ。人間だって、多くの豚や牛を飼育し、己の都合で殺して食べている。ならば(わたくし)たちがそれを行ったところで、一体どこの誰が咎めるというの。

 そもそも、食料を食べずに生きようとするなど、生物として破綻しているでしょうに。所詮は喰われるだけの存在なの、人間は。そう、この男も」


 ついと、エリザベスの視線が悠斗に向いた。


「……人間は家畜では、ないわ。その人も、食べられるだけの存在なんかじゃない。氷川悠斗は――わたしにとって、大切な人」


「この家畜が、大切な人?」


 一度穏やかになったエリザベスの表情が再び険しくなり、その眉が吊り上がった。

 それでもトーアは怯まずに、言葉を続ける。


「ええ、大切な人。かけがえのない人。他の、誰よりも」


「……そう。そうなの、大切な人なの。……人間が? 家畜が? ふざけないで。本当の姿を見られたら、お前はどうせ裏切られるわ。――いつものように」


 ――本当の姿。

 ――いつものように。

 それらの単語に、びくりとトーアは肩を震わせた。


「お前がいくら信じても、いつかは裏切られる。そんな生物なのよ、人間は」


「そんな、ことは……。悠斗は、違う……」


 己の身体を抱くように、トーアは肩を強く握りしめた。

 そんな彼女を視界の隅に、かつかつと、エリザベスは歩いて悠斗の前に立つ。

 虚ろな瞳で首をあげた悠斗の唇を、なんの前触れもなく、突然エリザベスが奪った。

 思わず、悠斗が引こうとする。けれど腕を首に絡めて逃がさず、また今の疲弊しきった肉体で、悠斗は十分な抵抗ができない。悠斗の唇を奪ったエリザベスのその瞳は、トーアを見る。

 舌先は悠斗の唇の隙間に潜り込み、口内を舐り、唾液を流し込み。しばらく唸る悠斗を無視したまま、エリザベスはようやく口を離す。

 とろりと、流し込んだ多量の唾液が悠斗の口から零れ出た。


「何を――!」


 トーアがエリザベスを止めようとしたところを、周囲の血族が彼女の小柄な肉体を抑えつけた。動けない。


「あら、もしかしてキスはまだだった? だとしたらごめんなさぁい、とうに経験済みなのだと思ったわぁ」


 くすくすと笑ったエリザベスは、その手で悠斗の胸元を這わせる。

 びくりと、悠斗が震えた。


「今貴方に流し込んだのは、とっても素敵な媚薬。肌に触れられるだけで、ゾクゾクするでしょう? 吐息を耳に吹きかけられるだけで、どうしようもない甘美が訪れるでしょう?」


 ふぅと、エリザベスの吐息が悠斗の耳をくすぐった。

 押し殺したような声で、悠斗が呻く。


「ねぇ、見えるかしら。貴方の前にはね、トーア・エンフィールドがいるの。貴方が、大切な人といった女の子がいるの。その子の目の前で――どう? (わたくし)と素敵なことをしてみない?」


 嫌な予感に、悠斗の顔が青ざめた。

 その嫌な予感が的中しないようにと願ったが、その表情こそが、彼女の心に火をつける。


「好きな女の目の前で、他の女を孕ますの。これほど興奮することはないでしょう――?」

 

 そう、エリザベスは言った。

 がたりと、音がする。

 どうやらトーアが抵抗をしようとしたらしい。しかし、残念かな。真の姿を見せないトーアには、エリザベスの血族を振り払う力はない。

 そして、トーアが悠斗の前で真の姿を見せることもない。

 第二真祖、トーア・エンフィールド。その二つ名、《蛇髪》は伊達ではない。彼女の真の姿は、真祖の中でも得に醜いとされている。だからこそ、彼女は。

 ――化け物と、蔑まれてきたのだから。

 好きな男の前では、トーアは真の姿を晒せない。それを確信したエリザベスは、再び悠斗に目を向けた。

 びくりと震えた悠斗はさながら小動物のようであったが、しかし、怯えを隠してエリザベスを睨み付けた。


「……ふふ、強がって。可愛いところ、あるじゃない。でも、ダメ」


 再び、エリザベスの唇が悠斗に重ねられた。

 顔を逸らそうとしても、エリザベスの腕が悠斗を離さない。


「止めなさい、エリザ!」


 トーアが叫んだ。彼女が叫ぶというのは、生半可な怒りではないのだろう。けれど彼女は、真の姿を見せようとはしない。

 邪魔が入らないのをいいことに、エリザベスは悠斗の口に、唾液を乗せて舌を差し込んだ。当然、唾液には《忌能》によって生成した薬物――媚薬を含んで。

 最後に大きく悠斗の口内の唾液を吸って、エリザベスは口を離した。

 悠斗を見ると、彼はエリザベスを睨んでいた。

 くすりと、耐えきれずにエリザベスは笑う。


「ふふふ、悔しいの? やめてほしいの? それなら、ねぇ。それはあの子(トーア)に頼んでよ。お前を嫌ってやるから、はやく俺を助けろって。お前の醜い真の姿を見せろって、みんなが嫌うその姿を見せろって。ほら、言ってあげて。命じてあげてっ」


 堪え切れずに笑い出すエリザベスに蹴りでも入れたいところだったが、生憎悠斗の全身は鎖で繋がれている。

 ガシャガシャと音を立てるばかりで、悠斗の身体はミリ単位でしかエリザベスに近づくことは叶わなかった。

 その様が滑稽だと、エリザベスはまた笑う。

 このままでは、状況は悪転しかしない。ならば、どうするべきか。

 考えた悠斗は、すぐさま実行へと移すため、その口を開く。


「トーア、逃げろ! このままでは二人とも殺される。せめて君だけでも――」


 君だけでも、逃げてくれ。

 掠れてほとんど声の出ないことに構わず、そう言おうとした悠斗の口を、頬を挟み込むようにしてエリザベスが塞ぐ。


「余計なことは言わないでくれるかしら。わざわざ役者をそろえたのよ、ここで逃げられたら堪らない。もっとも、今の彼女の力では、あれほどの血族の相手はできないでしょうが」


 トーアを、男女合計五人ほどの血族が動けないようにと締め上げている。

 畜生と歯噛みする悠斗の胸に、エリザベスの艶やかな指先が触れた。

 くっと、漏れそうになる声を抑えて、悠斗が唇を噛む。


「ふ、ふふ。ふふふふ。 そうなのそうなの、そんなにも気持ちよかったの。なら次は、これを触ればいいの? ほら、こんなにも固くさせて。あの女の目の前で、この(わたくし)を孕ませたいんでしょう? さぞ甘美な味わいだと思うのだけれど――ふふ、どうかしらぁ」


 エリザベスのその手が、悠斗の下腹部から、下へと這っていく。

 その様を、トーアは見ることしかできなかった。

 ――嫌だ。嫌だ。やめろ、悠斗を汚らしい手で触るな、その身体で悠斗を穢すな。

 トーアが必死で抵抗して、周囲の血族たちを振り払おうとするも、無理だ。少なくとも、この姿では。

 悠斗を、助けたい。ここから、抜け出したい。

 それなのに、どうして。どうして。この手が、震えて。吸血鬼としての力を、振るえない。

 ――化け物め。

 誰かが、言った。

 人を、助けた。たくさん、たくさん助けた。別に恩を売ろうと思っていたわけではないし、自分が間違っていると思ったことを間違っていると告げて、それを貫き通しただけであったのだけれど。助けた者から吐き捨てられたその言葉は、トーアの心を傷つけた。

 自分の姿は、醜いものだ。忌能を使ってはいけない。人に見せてはならない。

 いつからか、トーアはそう考えるようになっていた。


「悠斗……」


 震えたトーアの頭には。

 ――ぼくは、キミのために生きていこう。

 そう言った、悠斗の顔が思い出された。


        ☆


 とある夜、半月の夜。

 吸血鬼に襲われた氷川悠斗は、死にかけていた。どうやら、どこかの女性に言い寄られたところを断ったところ、理不尽にも相手は怒り、悠斗を襲ったらしい。それも運悪く、たまたま相手は吸血鬼であったようで、自分のものにならないのならば、ここでお前を殺してやるとヒステリックに叫んだ。その吸血鬼は、誰もいない夜道で悠斗に襲い掛かろうとしていたところであった。

 殺されると確信した時、悠斗の前に一人の少女が降り立った。

 別に何の下心があったわけでもない。ただいつものように、無益な殺生を止めようとしただけだった。


「あなたはもう、一週間の食料を食べた。無益な殺生は止めて」


「何様のつもりよ、あんたは」


 人間だって、生き物を殺し、食べて生きている。それでありながら、すぐに残して捨ててしまう。

 きちんと食べる。残さない。我ら吸血種は、人間よりもよっぽど良心的だ。

 吸血鬼の言葉に何も言えないが、少女――第二真祖トーアは吸血鬼を倒し、そして氷川悠斗の前で倒れた。

 原因は空腹だった。

 思えばここ数か月、人の血液を吸っていない。近頃は貧血気味であったのだが、まさかこんなところで倒れてしまうとは。

 辛そうに息を荒げるトーアに悠斗は「ぼくに出来ることはなんだ、なんでも言ってくれ」と言った。

 いつもなら「あなたには関係ない」の一言で済ませてしまうトーアだが、相当心身共に参っていたのだろう。

 自分は吸血鬼である。近頃吸血をしていないから、血が欲しい。どこか血が手に入りそうなところはないか。そう、悠斗に問うた。


「なら、ぼくの血を吸ってくれ」


 血が欲しい。そう言ったトーアに、彼は迷うことなくそう告げた。


「でも、それは」


 それは、下手をすれば彼が死んでしまうことを意味していた。トーア自身としては己の過剰吸血によって彼を殺すつもりは毛頭ないが、今はどうしようもないほどの空腹に襲われている。もし一度でも血を吸い始めたら、吸い尽くすまで終わらないかもしれない。

 トーアはそう告げた。

 事情を説明して、死の危険性があると告げたのに。

 普通の人間なら、気味が悪いと逃げて然るべきところなのに。


「どの道、君に救われた命だ。使ってくれよ。じゃなきゃ、此処で舌を切って死ぬさ」


 彼は、そう言ったのだ。

 トーアは何度も断ったが、「なら舌を噛み切る」と彼が譲らないものだから、やむなく厚意に甘えることにした。

 彼の血を吸って、トーアはなんとかその場を生き延びた。理性も上手く働いてくれて、なんとか悠斗を殺さずに済んだ。

 助けてくれたお礼だと悠斗の部屋に案内されたときに、多くを話した。

 自分は吸血鬼であること。吸血鬼でも異端とされていること。そして、吸血鬼喰いを探し、当てもなく彷徨っているということ。

 トーアに居場所がないことを知り、悠斗はトーアに実に様々な用意をしてくれた。家を与え、食料を与え、服を与え。そして、彼のいる場所がトーアの帰る場所となった。

 その時に彼は、こう言ったのだ。


「ぼくは、キミのために生きていこう」


       ☆


 ぼくは、キミのために生きていこう。

 あの日、氷川悠斗はそう言ってくれた。

 ――では、自分は?

 トーアは、自分自身に問いかける。

 自分は一体、どうしたい?

 氷川に嫌われたくない一心でここまで耐えてきた。けれど、違う。それはきっと、正しいことじゃない。本当にすべきことから、目を背けていただけに過ぎない。

 自分がしてきたことは結局、悠斗を信じていなかっただけのこと。その証拠に、見ろ。彼が、氷川悠斗が、叫んでいる。やめろと、エリザベスを拒絶して。ごめんと、トーアに謝って――。

 違う、あなたは謝らなくていい。

 謝るべきは、自分。恥ずべきも、自分。

 思ったときには、トーアの口が勝手に言葉を紡いでいた。

「――下がれ、下郎」と。

 ざわりと、空気が変わったことに気付いたのだろう。周囲の吸血鬼たちの雰囲気が変わった。これまで弱者をなじる強者のものであったその目に、脅えが混じる。

 しかし、トーアのプレッシャーは同じ真祖に対しては意味がない。


「……ん~? どうしたのかなぁ、トーアちゃんっ」


 呼吸を荒げる悠斗から手を離し、笑顔でエリザベスは振り向いた。


「その人から、離れろ。エリザ、あなたのような淫乱豚が触れていい人じゃない」


「――…………は?」


 エリザベスの笑顔が、凍った。

 ――嫌われてもいい。もともとこの身は醜いもので、本来あなたに優しさを貰う価値もないのだから。どんな結果になってもいい。ただ今は、あなたを助けたい。

 トーアは胸に手を置いて、すぅと息を吸う。

 周囲の血族共が邪魔だが、声を出すことには支障はない。


「聞えなかったの、エリザ。涎を垂らして腰を振るしか能のない豚が、その人に触れるなと言ってるの」


 トーアの言葉に、エリザべスの凍った笑顔に亀裂が走った。


「豚……? わたしが、豚……」


 困惑し、お前が何を言っているのかわからないと言った様子で「豚」と繰り返すエリザベスに、トーアは追い打ちをかける。


「ええ、豚。その証拠に、誰にでも。豚と罵る人間にすらも股を開こうとしているわ。

 この――ガバマン女」


 その一言が。

 エリザベスの脳血管を、弾けさせた。


(わたくし)を、怒らせたわね」


 叫ぶことはない。その怒りを表面に出すことはない。

 しかし確かに、彼女の内には怒りが見えていた。

 だが、第四真祖程度の怒りが何だと言う。


「先に怒らせたのは、あなた」


 トーアは、血族の一人を振り払った。

 またまとわり着こうとする血族を睨み付けると、びくりと震え、一歩下がった。

 エリザベスが何かしらの合図を出したのか、トーアを掴んでいた血族たちは、数メートル離れてトーアを中心に円形で囲んだ。他の血族、通常種の吸血鬼たちも、いつでもトーアに襲い掛かれるよう、臨戦態勢を取る。


(わたくし)を怒らせたことを後悔しなさい、醜い化け物。お前は、ここで死ぬ」


 氷のような目で、エリザベスがいった。


「わたしの真の姿を望んだのは、あなた。それを見せると言っている。素直に喜んで」


 トーアもまた氷のような目で、言った。


「――っ。……いいわ、見せなさいよ。もっとも、それを見せたところで、生きていられるかは別の話よねぇ!」


 またもや、何かしらの合図を送ったのだろう。ほぼ同時に、血族が石の床を蹴り上げ、トーアへと向かった。

 四方より迫る血族。それを――。


「あなた、忘れてる。数字の意味」


 トーアの包帯で包まれた右半身が、膨れ上がる。まるで包帯の内に獣でも飼っているかのような尋常ならざる(うごめ)きを見せて、とうとう腕を包みきれなくなった包帯が四散した。

 包帯の内より現れたその右腕は、漆黒の凶器。名状しがたい不気味な黒色、不気味なフォルム。それを見るだけで気分を害するほどの、少女のモノにしてはあまりに大きな異質の刃。剣のようで、剣ではなく。槍のようで、槍ではなく。(つち)のようで、槌ではなく。惨殺、刺殺、殴殺。多くの武器の特徴を秘めた暴虐的な腕が、此処に解放される。

 ――醜い。と、思う。

 それが例え、自分の身体の一部であったとしても。――否、自分の腕であるからこそか。

 その醜い腕で。四方より迫る血族を薙ぎ払う。

 一人が、臓器をぶちまけて両断された。残りの五、六人は彼女の腕の並ならぬ狂気に恐怖し、退いたのだろう。掠った程度であった。

 血族が退いたところに、トーアは人の形を保った左手で、自分の顔に巻かれた包帯をはぎ取った。現れた彼女の右目は、異常のもの。色黒い緑と赤で構築された蛸のような眼球が、ギョロリと覗く。


「この程度の軍勢で、わたしを相手取るというの」


 蛇髪。《第二真祖》トーア・エンフィールド。

 屍姫。《第四真祖》エリザべス・バートリ。

 この数字は、真祖の順である。

 それは、一体何の順番か。大したことはない、実に簡潔なものだ。

 この数字こそは、真祖の力関係を表すものである。

 最弱の第九。最強の第一。数字が小さくなるほどに、その強さは浮き彫りになる。

 エリザベス単体では第九程度の力もないが、その軍勢は、現在ではもしかしたら第三真祖すらもを上回るほどだ。もし今真祖の力比べが行われれば、その順序が変化する可能性は十二分にあり得るだろう。第四勢力総てをを真祖に置き換えてみれば、まさに第九真祖五人相当の力量に匹敵するといっても過言ではない。如何に第三真祖オオダイラであろうとも、一人で立ち向かえば殺される。当然、第二真祖であるトーアであっても、この軍勢を相手に勝ち目はないはずなのだ。

 けれども。

 そんな巨大な軍勢を相手に。


「《第四(ガバマン)程度(おんな)が、《第二(わたし)》を相手に図に乗るな」


 第二真祖、トーア・エンフィールドは啖呵を切った。


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