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悪なるミタマ  作者: 九尾
第四幕 敢為邁往編
52/100

ヒトリノヨル

 久世原阿久は、目を覚ます。

 外では、雨音が聞えていた。

 いつものようにはっきりと覚めた頭は、ふと違和感を感じた。

 おはよう。その声が、かからない。

 不思議に思って、いつも彼女が壁にもたれ掛って本を読んでいた方向を見てみたが、おかしい。彼女はいない。

 吸血鬼だからトイレに行く必要もないといつぞやに言っていたから、トイレということもないし、別段何処かへ行く理由もないだろう。一体、どうしたのだろうか。

 すっと布団から出た阿久は、布団を畳んだ。

 彼女は、いない。

 空腹を感じたので、とりあえず冷蔵庫の中に在るもので、朝食を適当に作ることにした。

 彼女は、いない。

 一時間が過ぎた。

 ――彼女は、いない。


 流石におかしいと思った阿久は、別にアイツを心配しているわけじゃないと心の中で言い訳をしつつ、彼女の姿を探す。

 脱衣所には、昨日彼女が着ていたハズのワンピース型のルームウェア。

 どこかに出かけたのだろうか。けれど、これまで彼女が無断で外出したことはないし、そもそも、もう朝になる。いくら雨で空が曇っているとはいえ、いつ晴れるかはわからない。こんな時間に、吸血鬼が自ら外出しようとするわけもない。

 なのに、どうして。アルラの姿が、どこにもない。

 もう少し家の中を探してみると、玄関に本が置いてあった。

 いつもアルラが読んでいる本だった。

 パラリと、捲る。

 『ヒトのためにできるコト』という本だった。この本を、阿久は知っている。端的にいてしまえば、罪を背負ったと考え、幸福になるまいと生きる少年が、とある少女と出会うことにより、幸福に生きていこうと考え改める内容の作品だ。

 正直ご都合主義な展開が多いために阿久は好みではなかった。けれど、アルラが読みこんだことで本の色が僅かに黄ばんでいたのは、作品の見どころとなる部分ではなく、主人公の陰鬱なモノローグである。


『罪を背負った自分には、幸せに生きる資格はない』

『人を殺したのだから、それは悪だろう』

『善人のためにも悪人は、苦しむべきだ。――だからぼくは、苦しみながら生きてく』


 そういった文やセリフが、書き連ねてあった。

 

 ――あなたは、それでいいの?


 ――恨むなら、わたしを恨みなさい。


 アルラの言葉が、不意に蘇る。


 ――わたしは、あなたにとって、なに?


 どうにも、彼女らしくないと思っていた。けれど変なのはいつもの通りだから、気にすることはないだろうと思った。

 考えるのが嫌だったのか。七転八倒する状況に、心が疲れていたのだろうか。自分の心を偽って、楽な方楽な方へと進んで、結局、阿久は彼女のことは何も考えていなかった。

 その結果、アルラはいなくなってしまった。

 今更後悔しても、遅すぎる。


「……くそ」


 自分のバカさ加減に、呆れてきた。

 彼女のことは分かると思っていた。“心臓(こころ)”を共有していたから、彼女の心が分かると思っていた。けれど、何故だろう。ウォルターと戦った後からか、彼女の気持ちがどうにも掴めなくて。それなのに、それなのに――。

 彼女が変わりつつあることに、気付かないふりをしていたんだ。

 アルラは、自分が罪深い存在だと。そして、幸福に生きてはいけないと。これまでずっと、そう思ってきたのだろう。


 ――ごめんなさい。


 昨日、彼女が言った言葉の意味が、今になって理解できる。

 突然風呂に入ると言い出したり、やけに料理や片づけを手伝おうとしたり。それは全部、昨日が最後のつもりだったからなのか。


「ざ――んな」


 幸福に生きてはいけない者がいるものか。

 自分には幸福になる権利がないなどと言わせない。与えられたこの生が、不幸になるためだけの生なんて認めない。

 人間だとか、吸血鬼だとか、吸血鬼喰いだとか、そんなのは関係ない。この世界に生まれた以上、己の生きたいように生きて、何がいけないという。


「ふざっけんな!」


 阿久が本を壁に叩き付けてドアを蹴りつけ、開くとと、ハラハラとはがき程度の紙が舞った。

 そこには、ただ一言。「さよなら」とだけ、記されていた。

 

        ☆

 

 阿久は月区画を探し回った。

 雨の中、傘も差さずにとにかく走り回った。

 アルラが良く足を運ぶ場所と言えば、書店。


 とある書店に入る。店員に変な目で見られた。髪から滴る雫が、書店を濡らす。それでも、阿久は構わない。一度「雫が本の上に落ちる」と店員に文句を言われたが、知ったことかと叫んだら、もう何も言われなくなった。とにかく、探した。くまなく探した。それでも見つからなかったものだから、仕方なく外へ出た。

 外は、雨。

 ひどい、雨。

 土砂降りともいえる雨の中、やはり阿久は、傘を差さずに走り出した。


 とにかく書店を探し回った。片っ端から探し回った。けれど、何処にもいない。

 一人で駆けまわるには、月区画だけとはいえ、この帝都は広すぎた。

 たったの一人が、たったの一人を何十万という人の群れの中から見つけるなどと言うのは、到底無理な話だ。

 わかっていた。わかっていたけれど、探さざるを得なかった。そうでなければ、見つからない。ここでアルラを探すことを諦めてしまったら、彼女に二度と会えないような気がした。ここで彼女を見つけられなければ、自分の人生に意味がないような気がした。

 とにかく、見つける。絶対に見つける。

 探した。探した。探した。

 彼女と食べた、公園のクレープ屋。やはりそこには彼女の姿はなく。

 彼女と眺めた、近所の高層ビルの屋上から見た街の景色。けれど屋上に彼女の姿はなく。

 こうして思い返してみれば、阿久とアルラの思い出など、数える程度のものしかなかったことに気が付いた。

 朝起きて、吸血鬼を探して、倒して、そしてまた、家に帰る。

 あのアパートしか、ない。阿久にとっても、アルラにとっても。あのアパートこそが、二人の帰るべき場所。

 もしあのアパートに帰らないのなら。アルラは一体、何処にいる――。

 とにかく、阿久はアルラの姿を探した。

 黒い服の女を見かけては、片っ端から声をかけた。白い肌の女を見かけては、とにかく走ってその顔を正面から見た。

 

 ――それでも。

 ――それでもアルラは、見つからない。

 

 気付けば、夜になっていた。

 昼食も取る事を忘れていたことを思い出し、そこらのコンビニで適当に食料を調達した阿久は、すぐに外に出て、ゴミ箱に不要なものを放り込み、その隣に座り込んで食品を詰め込んだ。

 空を見る。

 暗い。冷たい雫が、幾つも身体を打つ。

 もう感覚がとうに麻痺して、寒いとも思わなくなっていた。

 ありがとうございました。いらっしゃいませ。その声だけがただ耳に届く。多くの視線が、阿久を見た。けれど誰一人として阿久に声をかけることはなく、ただ通り過ぎていくだけだった。

 

 ――一人だ。

 

 まるで、一枚の絵のようだった。

 歩く人たちも、この世界も。総てが同じに見えるのに、自分一人だけが浮いていた。

 人々が流れるように歩いていき、暗くなってきた街中に光が灯る。

 流れていく。流れていく。人々が流れて、けれど自分は一人、此処に留まっていて。行く当てはなく、目的もあやふやで、何をすればいいのかもわからず、途方に暮れる。


 ――俺は、一人だ。


 思えば、数年前まではこんなものだった。

 いつも、一人。まともな会話をするのは、氷川悠斗くらいものだった。他の者たちは知らない。彼らはいつも、汚らわしいものを見る目で阿久を見た。

 彼らは群れることしか能がないくせに、己より能力のある自分を妬み、複数で囲み、見下し、排斥しようとするだけだった。

 それでも構わないと思った。

 自分は、これからも一人で生きていく。

 孤児院を出る頃には、阿久はそう考えるようになっていた。

 ――あの、ひどい雨の夜までは。

 守るものが出来た。生きる理由を見つけた。彼女と生きるためだけに、他の総てを犠牲にしても構わないと思った。

 なのに。

 それなのに。


「俺は……また、失うのかよ」


 南かえでの時のように。

 自分の考えもしなかったところで、指から零れていってしまう。

 空を、見た。

 雨が、降っていた。

 ひどい、雨の、夜だった。

 ――ああ、そういえば。あの日も、ひどい雨の夜だったな。

 思った阿久は、立ち上がった。

 どうしてか、そこに行くべきだと思った。

 雨の中。傘も差さず。阿久は、帝都月区画、四番ゲート付近へと向かう。


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