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悪なるミタマ  作者: 九尾
第四幕 敢為邁往編
51/100

挿入・第四/悪臭

 ――ほぼ、同時刻。

 とある城で、すんすんと、僅かな臭いの違和感を感じた美女は、己の女従者の太ももに、指先を刃へと変えて突き立てた。

 従者から、小さな悲鳴が上がる。


「ねぇ、何を考えているのかしら、あなたはぁ。臭いわ、この餌。ちゃんと(わたくし)の指示通りに保存しておいたのかしらぁ」


「も、もちろんです! これで妙な臭いがつく筈は――」


 下手をすれば、殺される。それを知っている従者は、文字通り必死で弁解をしようとしたのだが。すっと、美女が顔の前に広げた制止の意味を込めた右腕に、なにも言えなくなる。

 従者である彼女は、数分前、下処理が完全ではなかった人間を美女に捧げようとしたらしい男を見ていた。彼はやはり彼女のように、保存庫から取り出した人間を担いできたのだが、美女曰く「下処理が雑」という理由で殺された。

 ――『緑の崩壊』、という言葉がある。

 美女――第四真祖エリザベス・バートリは、他の真祖と違って強力な忌能を宿さない。代わりに、爪や牙を刃のように硬質化させるという少し変わった特性と、そして己の肉体の中で特殊な薬物を生成するという特性を持つ。おそらく、己の内の薬物を対象に注入させやすくするため。爪や牙を硬質化させるのだろう。それはさながら、注射器のようだった。

 そんな彼女が多くの吸血鬼を従え、それでもおおよそ百年間、ただの一度も反逆を許さない理由が、『緑の崩壊』である。彼女の薬物によって、彼女の下の吸血鬼は残らず強化される。例え第三世代第四世代の吸血鬼であっても、第二世代程度の力はつけられるし、一部は彼女の血族として、その忌能をも身に宿すことが許される。

 しかし、美しいバラには棘があるもの。メリットの裏にはデメリットが隠されているもの。

 彼女から身体強化の薬物を与えられた者たちは、彼女の意志一つでその生死が分けられる。彼女が命を下せば、たちまち体内の薬物は奔流し、その肉体を喰らい尽くす。

 その様はさながら、体内に寄生した植物が肉を食い破るかのよう。

 故にそれを、一部の者たちは『緑の崩壊』と呼んでいる。

 先の男の死に様もまた、その『緑の崩壊』であった。命乞いの間はなく、抵抗することも許されず。ただ己の内にある彼女の薬物(さいぼう)が、己の肉体を破壊する。

 故に、女従者は震える他ない。

 ――これは、死ぬ。確実に殺される。

 死を覚悟した従者であったがしかし、『緑の崩壊』を行う前に、エリザべスは鼻をひくつかせて、何かの匂いを追っていた。

 やがて、「ああ」と、総てを理解したように破顔した。


「ごめんなさいね、この悪臭はあなたのせいではないわ。お詫びと言ってはなんだけれど、この傷、私が直々に癒してあげる」


 怯える従者のスカートをビリと破った美女は、怪我をした彼女の太ももに口づけをした。

 次いで口を開き、ぬるりと舌を這わせた。

 従者には、これが如何なる意味をもつものかはわからない。ただ、彼女にはバイセクシャルであるという噂が一部従者の中で広まっていた。

 もしかしたら今宵、わたしはこの人に――。

 好奇、期待、羨望、絶望、忌避。奇妙な感情が渦巻いた中で、美女は従者の太ももから口を離した。


「もういいでしょう? ほら、あちらへ行きなさいな。この餌は、あなたにあげる」


 従者が傷口を見ると、どういうわけか塞がっていた。

 エリザベスに与えられた、人間(エサ)

 近頃、吸血していなかった従者にとって、これは思いもよらぬ幸運だった。

 ありがとうございますと、一言告げてエリザの下を去る。

 他の従者が彼女に餌を運ぼうとしていたようだったが、どうやら興が削がれたらしく、エリザベスは今日の吸血は行わないことにしたらしい。彼らを引かせた。

 そして吸血の代わりに、「あはは」と小さく高笑いを始めた。

 とぎれとぎれでよくは分からなかったけれど。確かに、第四真祖エリザベスは笑っていた。

 何よりも、艶めかしく。なによりも、狂おしく。

 さながら喜劇の狂った女のような色と狂気を垂れ流し、歌うように彼女は言葉を紡ぐ。


「うーん、臭いなぁ。匂うなぁ。腐った肉体を無理やり修復して誤魔化しているようだけれど、うーん、鼻が折れ曲がる! あの忌み子が近くにいるわねぇ。殺さないとねぇ。ねぇ、あなたのことよ――《第二》。くふっ、くふふふっ……あ――ははははははははははは!」


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