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悪なるミタマ  作者: 九尾
第四幕 敢為邁往編
50/100

挿入・大英/わたしの王子さま

 吸血鬼について非常に重要であるとされる、大英帝国の研究施設。

 今回、氷川悠斗が任された仕事は、施設に関しての捜索及びその指揮であるのだが、どうもこの施設はおおよそ百年前に設立されたものであるらしい。

 今ではほとんどの施設が使用されておらず、故にこれまで人目につくことはほとんどなかった大英帝国連合、旧英国の一部に存在するビル群。これが、大英帝国連合がかつての災厄より復興し、ようやく増えた人口のために新たな居住区を増やそうとした政府の政策によって開発されるにあたって、何の用途によって使用されたビル群であったのかを一部業者が調べたところ、とある事実が発覚する。

 ――このビル群では、吸血鬼に関してのデータが僅かながら発見されたのである。

 たまたま、ビル群のうち、いくつかを担当していた業者に、悠斗の部下がいた。部下から報告を受けた悠斗がそれを本社に連絡したところ、直ちに調べるようにと、本社はそこら一帯のビルを土地ごと纏めて買い取り、そしてその調査を氷川悠斗に任せる運びとなった。

 そうして、悠斗は部下たちを的確に動かし調査を進めていたわけなのだが――。


 一日、優に十数時間を超える労働に疲労を感じた悠斗は、ようやく本日の仕事にキリをつけて、車の距離でビル群から小一時間ほど離れた日本式のホテルに到着した。


 本来、この大英には日本人向けの施設など存在しなかったのだが、悠斗がいつかに言った「そろそろ我が社は海外進出も視野に入れるべきでは」という発言を受けて、本社が安かった大英の土地を買い取り小さな研究所を作った。その時に、多くの日本社員が楽に生活できるようにと、研究所の付近にホテルを建築した。

 それが、此処。日本式ホテル『境界(kyo‐kai)』である。


 三三階、3345室。

 己の部屋のドアをガチャリとあけて、悠斗は帰宅した。


「……ただいま」


 いつもなら笑顔で帰宅したいところであったが、流石に時刻が遅い。同居人の少女には先に夕食を食べておくようにと伝えておいたし、もしかしたらとうに就寝しているかもしれない。そういった可能性を考慮して、小さな明かりだけつけて座敷の方向へ歩いていたのだが、トテトテと此方に向かって歩く足音が聞えた。


「おかえりなさい」


 一人の少女、悠斗の同居人が彼の前にちょこんと立った。

 顔の半分を隠すほど長い黒髪、その黒髪から覗く、包帯で囲まれた右半分。柔らかに細められた左目が、悠斗の帰宅を心から喜んでいることを思わせる。

 今日はもう寝るだけであったのだろう、服装は水色のタンクチュニックパジャマだ。


「……うん、ただいま」


 仕事の疲れが、今の笑顔で総て吹き飛んだ。

 トーアの頭を撫でてやると、彼女は猫のように目を細める。


「あのね、悠斗」


 頭を撫でる悠斗の手を、右手でどかし、そのまま繋いで。


「目を、瞑って」


 そういった。

 初めこそキョトンとした悠斗だったが、何か意味があるのだろうと思い、目を閉じた。

 けれど、何も起こらない。代わりに、トーアが「うーん、うーん」と唸るような声が僅かに聞こえていた。

 何をしているのだろうと目を開こうとすると、トーアの小さな手に視界を塞がれた。


「まだ開いちゃ、ダメ」


「了解した」


 そのまま目を瞑っていると、不意に唇に柔らかいものが触れた。

 思わず、目を開く。

 そこには、頬を高揚させるトーアの顔があった。


「え……っ、と……。その、トーア?」


 これは、一体、どういうことなのか。

 普段は頭が回る悠斗だが、どうしてだろう。どうにも、上手く頭が回らない。仕事で疲れているのだろうか。


「目、開けちゃダメって言ったのに」


 頬を高揚させたまま、視線を床にずらした彼女は、唇を尖らせていった。


「あ、いや……ごめん。突然のことで驚いてね。……いや、そうではなく。トーア、今のは……」


 普段の彼からは想像もできないほどに言葉を詰まらせて、悠斗は困惑した様子で周囲を見渡しつつ、最後にまたトーアを見た。

「――、だよ」と、トーアが何かを言ったが、悠斗には上手く聞き取れなかった。

 頭どころか、耳も上手く働いていないようだった。


「すまない、もう一度言ってくれないか?」


 悠斗の問いに、トーアの視線が鋭くなり、目元に皺が寄る。

 けれど、あまりに恥ずかしかったのか、ボッと蒸気のようなものを吹き出し、顔を赤らめて。


「だから、キス。おかえりのキス」


 彼女は、そう言った。

 この時、氷川悠斗は死んでもいいと思った。


 悠斗が軽くシャワーを浴びた後、二人は同じ布団に入った。

 悠斗の腕を、トーアの小さな体が抱いて寝た。


「ねえ、悠斗」


 暗闇の中、トーアの声が耳に届く。

 彼女の声は、悠斗が寝ていることを考慮したのか、とても小さなモノであったが、「なんだい」と、薄れかけていく意識の中で悠斗は問うた。


「あなたの幸せって、なに?」


 不意に来た問い。けれど困ることもなく、悠斗は素直に思いのままを告げる。

 自分の幸せなんて、とうの昔に見つけていたから。


「キミと、一緒にいられることかな」


「――――」


 暗闇の中、なんとなくトーアが赤面したことがわかった。

 キミの幸せは、どうだい。悠斗の声に、照れながらも、「あなたと一緒にいられること」とトーアは答えた。

 しばらくの沈黙の後、トーアが再び口を開いた。


「悠斗。初めて出会った時の事、覚えている?」


 今度は、返事はなかった。

 もう、寝てしまっただろうかと、トーアが思ったときに。


「ああ、忘れもしない」


 悠斗が、言った。

 

「キミが、ぼくを助けてくれた」


 その言葉に、トーアは小さく首を振る。

 それは、違う。

 あなたが、わたしを助けてくれた。

 そんな言葉を、胸にしまって。

 おやすみなさい。トーアがそう言った頃にはもう、悠斗は寝ていたのだろう。

 返事の代わりに、安らかな吐息が、一定のリズムに沿って吐き出されていた。

 トーアは、悠斗の顔をじっと見つめて、目を閉じる。

 そして、誓う。

 あなたと共にいることがきっと、わたしの存在する意味。わたしがうまれた理由。あなたがわたしに、総てを与えてくれた。

 ――だからわたしは、あなたを守るよ。

 そう、強く誓う。


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