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悪なるミタマ  作者: 九尾
第一幕 序章編
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クレープ

 久世原阿久は、目を覚ました。

 まだ日は昇っていない。時刻にして、午前四時と言ったところか。

 畳で寝たために身体は少しばかり痛かったが、時間が経てば痛みは消えるだろう。

 横で本を読んでいたアルラに、目を向けた。


「おはよう」


 本から目を離すこともなく、アルラが言う。


「どうだ」


 脈絡のない阿久の問いに、アルラは「そうね」と、視線を本から、寝ているかえでに移す。


「見ているわ、彼女」


「やはりか」


 立ち上がった阿久は、コートを羽織り、部屋を出ようとする。


「どこへ行くの」


「とりあえず、朝飯の調達だ」


「そう。気を付けて」


        ☆


 近くのコンビニへ入った阿久は、適当にパンと栄養管理食品をポケットに入れた。

 アルラはおそらく食べない。けれど、今日は客がいる。一応、二つ。


「ありがとうございました」


 何にお礼を述べているのかもわからない挨拶を背に受けて、阿久は帰宅した。


 阿久が帰宅したことで、かえでが目を覚ましたらしい。目をこすって、布団から起き上がった。


「……おはよう」


 阿久を見て、挨拶をした。


「おう」


 左右を見渡して、アルラを見つける。


「おはようございます」


「ええ、おはよう。でも、外はまだ暗いわ。まだ寝ていてもいいのよ」


「いえ、あたしだけ寝ているのも悪いので」


「誰も気にしないのに」


「あたしが気にしますから」


 阿久は、盗って来た食品を冷蔵庫の牛乳と共に食べている。かえでが寝ている隣で、アルラは「そう」と言った。かえでは、布団から出た。


「……あの、明かりを点けてもいいですか」


 まだ、午前五時を過ぎたばかりだ。日も昇らない。電気がないと、よく見えない。


「いいわよ。ただ、布団は畳まなくてもいいわ。この後、わたしが少し休むから」

「あ……」


 結局夜は、自分一人で布団で寝てしまったことに罪悪感を覚えたのか、「すみません」とかえでが言った。


「いいのよ。それより、朝ごはんでもどうかしら」


 阿久はちょうど食品を食べ終えたようで、栄養管理食品と牛乳を、かえでにむけて差し出した。


「いや、流石にここまでしてもらうわけには……」


「貰えるもんは貰っとけ。遠慮はいらん」


 トンとかえでの前に食品と牛乳を置くと、阿久は台所へ向かい、小さな明かりを点けた。

 水を流し始め、昨日の食器を洗い始める。

 アルラは変わらず、本を読んでいる。

 差し出された食品を見つめて、そのあと台所に視線を移して、かえでは阿久に問いかける。


「あの、あたしも手伝っていい?」


「好きにしろ」


 振り返らないまま、阿久は言った。

 かえでは食品と牛乳を数分で食べ終わり、阿久の隣に立つ。


「これでも、家事は多少やってたから」


 阿久の洗った食器を、かえでは食器用の布巾で拭いていく。

 かちゃかちゃと、食器の音だけが響く。

 誰も、何も話さない。これが、阿久にとっての普通だ。この静かなのは、嫌いじゃない。


「なぁ、お前」


「……あたし?」


 しばらくして話しかけられていることに気付いたのか、少女は小動物のような視線で、キョトンと阿久を見る。


「他に誰がいる」


 視線を居間の方に逸らしたかえでは、「アルラがいる」とでも言いたげであったが、何も言わなかった。代わり、「かえでよ」と答えた。


「南、かえで」


「かえで。お前、今日も泊まっていけ」


 カタリ。最後の食器を置いた時、阿久はそう言った。


「……え?」


「泊まっていけ」


「いいの?」


「無理にとは言わん。お前が泊まりたいなら好きにしろ」


「……うん」


 どこか嬉しそうに、かえでは笑った。

 ――何故だろう。彼女の笑顔は嫌いではないと、阿久は思った。


        ☆


 朝が来た。アルラは眠れなかった分を眠ると言って布団に入り込み、阿久はかえでを連れて外へ出た。


「そういえば、阿久。あんた仕事は?」


 どうしてこいつは俺の名前を知っているのか。どうしてこいつは、アルラがいないところでは敬意の欠片もないのか。

 幾つかの疑問が頭をかすめた阿久だったが、どうでもいいことだと結論して、考えるのをやめた。


「明確な職はないな」


「じゃあ、どうやって生きてるの?」


「仕事なんざなくても、人間生きていけるもんだ」


 昨夜と同じく、かえでを気遣うことなく阿久は歩いていく。


「今、どこに向かってるの?」


 かえでの問いに、阿久は「お前の家だ」と答えた。


「あたしの家?」


「ああ、そうだ。案内しろ」


「……なんで、あたしの家なの」


 これまで小走りで阿久について来た彼女の足が止まった。


「嫌か」


 こくりと、かえでは頷いた。

 ――ならば、仕方ない。

 心の中で呟いて、阿久は頭の中で別の行動を考える。


「お前、甘いものは好きか」


「え? まぁ、人並みに……?」


「なら行くぞ」


 かえでの腕を掴んで、阿久は方向を変えた。

 

         ☆


 その日は、綺麗な晴れ空だった。

 行き着いたのは、近所の公園だ。時計を見れば、時刻はちょうど昼過ぎだった。

 平日だったが、多くの子供たちが母親と共に砂場や遊具で遊んでいた。

 その風景を見ながら、二人ならんでベンチに座り、近くのクレープ屋で購入したクレープをついばんでいる。

 初めは、クレープを買ってもらうのにも気が引けるからと断わったかえでだったが、食べないならクレープを捨てると言われては、受け取らざるを得ないようだ。

 今度から、何かを与えるなら捨てると脅そうと、阿久は思った。

 阿久はイチゴ、かえではブルーベリー味だ。


「……あのさ」


「なんだ」


 クレープの甘さに眉をしかめながら、阿久は言葉を返す。


「どうして、こんなにあたしに優しいの。あたしに優しくしても、良いことなんてないのに」


「変なことを聞くな、お前。昨日は家に泊めないと暴れそうな勢いだったくせに」


「それは……そうだけど。でも、ここまで優しくするのは変っていうか。怪しいっていうか」


「少なくともそれは、恩人に対する態度ではないな」


「ごめん。だけど、なんでなんだろって。アルラさんも、怖いけど、すごく優しいし」


「……よくわからんが、人が人に親切にするってのは、そんなに可笑しな話か?」


「え?」


「社会という概念が成立している以上、人が一人で生きるのは難しい。だいたい、社会道徳からしても、人が人を助けるのは当然のことなんだろ。だったら、お前に優しくすることに問題があるとは思わんな」


「……そういうことじゃないんだけど」


 なら、どういうことなんだ。

 疑問の表情を浮かべる阿久に、かえでは嘆息した。


「普通、世の中は……なんていうの? ギブ&テイクじゃない。自分に利益がないなら、人助けなんてしないものだと思うの。まぁ、あたしも嫌な世の中だとは思うけど」


 そういうものでしょと、かえでは付け足した。


「だったら聞くが。お前みたいなガキが俺に、何を与えられるんだ。金か? 権力か?」


「……何もないけどさ。でも、その、強いて言うなら……身体、とか」


 しばらく考え込んだ阿久は、「なるほど」と手を叩く。


「臓器か。そりゃ確かに金になる」


「違うでしょ!」


 わからない、という顔をする阿久に、かえでは小さな声で「昨日の男たちがやろうとしたことだよ」と言った。


「ああ、そっちか。でもお前、嫌がってただろう」


「けど、あたしがあげられるの、それぐらいしかないから」


「貰って欲しいのか」


「そういうわけでも、ないけど」


「面倒臭ぇな、お前。助けてほしいときには助けろって言うくせに、優しくしたら見返りは要らないのか? ってか。……だいたい、お前みたいなガキに見返り求めてねぇから、最初に断ったんだろうが。それでも助けろっつったのはお前だ」


 もう既に、助けてしまっている。ならば、最後まで助けてやる。渡りに船、とかいうやつだ。一度関わってしまったのだから、キリが付くまで面倒は見てやるものだろう。

 少なくとも、阿久は昔そう習ったし、この道徳とやらに間違いがあるとは思わない。

 だったら、一体どこに問題があるのか。


「あんたがそれでいいなら、あたしはいいんだけど」


「俺は最初からいいと言ってる。お前がいちいち文句を言うんだろう」


「なら、もう気にしない。遠慮なんかしたげない」


「最初からそうしとけよ、ガキが」


 ガキという言葉にカチンときたのか、顔を赤くしたかえではずいっと身を乗り出して、胸元を強調し、阿久を押し倒さんという勢いで迫って来た。


「ガキガキってさっきから言うけどさ、あたし脱いだら凄いんだからね! 着やせするタイプ! これでもEはあるんだよ! 一応クラスでもモテる方だし!」


「あっそ」


 心底どうでも良さそうに、阿久は食べ終わったクレープの包み紙を丸めてゴミ箱へ放り込んだ。


「何、この敗北感……」


 アルラさんがいるし、そういうのは困ってないんだろうけどさ。と、かえでは阿久には聞えないような声で呟いた。


「しかし、見返りか。……ああ、一つだけ、欲しいものがあった」


「ん、なに?」


「お前、何か変なものを見たことはあるか」


 しばらくの、間の後。


「何それ、おおざっぱすぎてわかんない」


 震えた声で、かえでは言った。

 彼女が誤魔化すのなら、こちらも単刀を直に入れるしかあるまい。


「例えば、そうだな。奇妙な事故現場に遭遇……とか」


「……ッ」


 びくりと、かえでの身体が跳ねた。


「そこで何を見たのか、俺は聞きたいね」


 小刻みに、かえでは震えた。

 それこそ、本当に小動物のようだった。例えるなら、蛇に睨まれた蛙。

 まるで天敵を見てきたような顔をする彼女を見て、むしろ阿久は、総てを悟る。


「言えないか」


「……ごめん」


「なら、言わなくていい。言いたくなったら言え」


 かえでは、もう一度自分が天敵に遭遇するまでは話をしないだろう。しかし体面として、阿久はそう言っておいた。

 俯いたかえでは、笑顔で阿久を見た。


「――阿久は、優しいね」


 阿久は、かえでと目を合わせることはしなかった。


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