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悪なるミタマ  作者: 九尾
第四幕 敢為邁往編
48/100

『おやすみなさい』

「いただきます」


 小さな明かりの中、両手を手を合わせたアルラは、うまく使えない箸でじゃがいもを掴み、口に運んだ。


「……美味しいわ」


「そうか」


 頷いて、阿久は器用に箸で魚をさばき、白米と共に口に運んだ。


 今日の夕食は、遅かった。

 昼に氷川悠斗が家に訪れて、大量のお菓子を腹に詰め込ませたということも原因の一つに上がるが、なによりも大英で不味い飯を食べた分、日本では美味いものを食べたいという阿久の我儘(わがまま)からだった。

 夕方に、阿久は近所のスーパーに向かった。この店はやけに防犯対策がしっかりしているので、大人しくレジに並び、商品を購入。久々の買い物であったからか、一万を超える買い物をしてしまったが、そのすべてが肉や魚、野菜が食品だ。無駄になることはないだろう。

 帰ろうとしたときに、阿久の影から家にいるはずだったアルラが現れ、告げた。


『――吸血鬼よ』


 そうして吸血鬼を喰らって帰宅した頃には、既に日は沈んで月が空に浮かんでいた。

 アルラに野菜を包丁で切らせつつ、台所で調理をしていたら、もう二三時近くだ。

 いつもは二〇時ごろには適当に食べるものだから、阿久からしてみたら遅い時間だった。

 紆余曲折ありながらも、夕食を作り終えて食べようとしたのだが、自分は少し多めに料理を作っていたことに気付く。

 ――南かえでは、もういないのに。

 折角買ったのだから、残すのももったいないと思い、阿久はアルラに問うた。


「お前、まだ食えるか」


 阿久と悠斗が多くを食べていたが、アルラもお菓子を少しばかり口にしていた。もしかしたら、満腹を感じているかもしれないと思った。

 吸血鬼は基本的に人間の血液から栄養分を得るが、しかし普通の食事からも栄養を取れなくはないらしい。アルラの場合は、吸血鬼の心臓を喰らえば、しばらくは生きていけるらしいのだが、人間の食事をとっても問題はない。


「……ええ。入るわ」


 本から顔をあげて、声も表情も変えないけれど、どこか不思議そうに、アルラは言った。

「なら、食え」


        ☆


 そういうわけで、二人は食事をとった。

 何も話すことはしないけれど、阿久は悪くない気分だった。

 白米、肉じゃが、味噌汁に、焼き魚と大根おろし。

 昼にたくさんのお菓子を食べたので、少し軽めのものにした。

 何はともあれ、とにかく飯が美味い。

 ほとんど自分で作ったものだから自画自賛であるが、なかなか悪くない出来だった。

 アルラも気に入ったようで、上手く使えない箸の動きを阿久から学び取りながら、パクパクと口へ運んでいった。

 こうして、二人は食事をとった。


        ☆


 食事を終えて、阿久は茶碗を洗う。

 久々にまともな食事ができて、気分が良かったのかもしれない。いつもは水につけておいて、次の日の朝に洗うところを、その日は食べてすぐに洗い始めた。

 カチャカチャと、小さな明かりを頼りに茶碗を洗う阿久の後ろに、アルラが立った。

 いつもは食事に関して「我関せず」といった姿勢を貫き、居間に座り込んで文庫本を読んでいるのに、今日は阿久の背中から顔を出し、茶碗を洗う様を見続けていた。

 初めは放っておいた阿久であったが、どうにも気色が悪く、「なんだよ」と言った。


「……いえ、なにも」


 嘘をつけ。

 思ったが、わざわざ踏む込むことでもないだろうと思い、茶碗を洗い続けた。

 その間、アルラはずっと、「ふぅん」といった様子で、何かに頷いていた。


「手伝う?」


 しばらくして、アルラが問うた。


「いや、いい。俺がやる」


「……そう」


 カチャカチャと、アルラが見つめる中で、阿久は食器を洗い続けた。


 食器を洗い終わり、あとは拭くだけだと阿久が布巾を取り出した時に、白い手が阿久に向けて差し出された。


「……なんだよ」


 問いかけると、今度はちゃんとした答えが返って来た。


「わたしが、やるわ」


 思わず阿久はアルラの顔をまじまじと見つめて、熱があるのではないかと疑う。

 いつものように、白く、人形のような顔に表情の変化はない。

 なにも、変わらないように思う。のだけれど。


「それ、貸して」


 いぶかしむ阿久に何を言うこともなく、布巾だけ奪い取って、アルラは皿を拭き始めた。

 正直、下手だった。

 濡れている部分がまだあるし、皿の裏に至ってはほとんど拭いていない。


「皿すら拭けないのか、お前」


 アルラから布巾を奪い取った阿久は、アルラに見せるようにして、ゆっくりと、皿を一枚拭いた。

 こうするんだ、わかるか。

 そういった視線を向けると、心なしか険しい表情でアルラが頷いた。


「ほらよ」


 阿久はアルラに布巾を渡すと、皿を一つとって、アルラは懸命に拭き始めた。

 何度も何度も、丁重に、綺麗に。一つの水滴も残さないよう、何度も皿を見回して、一つの皿に五分近くもかけて、皿を拭いた。

 そんなに時間をかけなくてもいいだろうにと思ったが、拭き方には問題はない。好きにさせようと思い、「あとは頼む」と阿久は風呂へと向かった。


「任せて」


 大真面目で皿拭きに取り組むアルラの姿勢が、どこかおかしくて。

 ふっと、阿久は小さく息を噴き出した。


 阿久が風呂から出ると、アルラも風呂に入るといった。

 アルラは吸血鬼だからか、ほとんど体臭が無いし、腰まである髪にもほとんど汚れがない。油などというものも適量が分泌されているのか、ニキビなどもなく、綺麗な肌である。

 だからいつもは、風呂などに入らず本を読んでいるのに。

 どういう、心持ちなのか。

 感情を窺わせない声と、無表情な顔で風呂へ向かった。

 布団を敷き終えた阿久は、風呂から出るのを待たずに先に寝てもよかったが、今日はアルラが少し心配だった。

 少し、待とう。

 窓から身体を出して、空を見上げた。

 今日の空は、星が綺麗だった。

 月は、そろそろ半月。

 もうすぐ、欠けていくことだろう。

 あれから、一体。教会と真祖はどうなっただろうか。そんなことをぼーっと考えていると、少しの間どたばたと音が鳴り、風呂からアルラが出てきた。

 髪は濡れたまま、身体は多少タオルで拭いたようだったが、それでも濡れた髪のせいか、着用したカッターシャツをべしゃべしゃにして、阿久の下へとやってくる。


「……阿久、ごめんなさい。替えの服を借りているわ」


 いや、謝るところはそこじゃないだろ。

 水に濡れた足跡と、長い髪から滴る大量の水滴を見る。床はともかくとして、ひたすらに居間に敷かれた畳の状態を心配した阿久は、開いた口が塞がらなかった。


「お前、実は風呂入ったことないだろ」


 灯りをつけるからな。アルラの返事を聞くことなく、阿久は電灯をつける。

 暗闇で見えなかったが、アルラの頭には、滑って転んだのか、それともシャワーの噴出口を頭にぶつけでもしたか、大きなたんこぶが出来ていた。


「……そんなことはないわ」


「そんなことあるだろ……」


 何故か強がるアルラの手を引いて、阿久脱衣所へと向かった。

 引いたアルラの手は、とても冷たい。雪のようだと思った。もしかしたら、こんな季節に冷水でも浴びていたのかもれない。

 ため息をついて、阿久はアルラを脱衣所に置いてある椅子に座らせた。

 ぱちりと、脱衣所の電気をつける。


「なにをするの?」


「ドライヤー」とだけ言って、阿久はコンセントを差し込み、ドライヤーを起動させる。

 右手には、ドライヤー。左手には、濡れた髪を拭くためのタオル。

 ドライヤーで乾かしながら、髪を拭いていった。


「……暖かい」


「そうか。熱かったら言え」


「わかったわ」


 会話は、それきり。

 静かに、髪を乾かしていく。

 乾いたアルラの髪は、とてもしなやかで、指で掬うだけでもさらさらと指の合間を抜けていった。


「ねぇ、阿久」


 あとは先の方を乾かすだけになった時に、アルラが口を開いた。


「どうした」


 やはりアルラの表情は、無表情。正面の鏡に映る彼女は何も変わらない。阿久は目線を、鏡の中のアルラに向けた。


「ごめんなさい」


 謝罪の理由に思い当たる節がなかった阿久は、「何がだ」と問いかける。


「わたしは、あなたに迷惑をかけてばかりだから」


 初めは、何のことを言っているのかわからなかった。しばらくして、今日の帰路や、先ほど床を濡らしたり、こうして髪を乾かしている事についてを言っているのだろうと結論付けた阿久は、「そうだな」と頷いた。



 アルラの髪を乾かして、濡れたカッターシャツを脱がし、それを洗濯機に放り込んだ阿久は、代わりにアルラの寝巻用に購入したワンピースタイプのルームウェアを差し出した。

 未だ使われたことが無かったので、封がされたままのものだ。

 じっと、アルラはパッケージに包まれた服を見つめる。

 外出用の用途のものでなく、パジャマ代わりに使う部屋着のような服。それを着用した女性の姿が、パッケージには印刷されていた。


「……さっきの服の方が、動きやすいわ」


 カッターシャツが放り込まれた洗濯機に、アルラは目を向けた。


「あれは濡れてる。これを着ろ」


 阿久が睨むと、少し間をおいて、しぶしぶと言った様子でアルラは服を手に取った。

 女の着替えをまじまじと見るのも嫌だったので、阿久は雑巾を片手に、濡れた床を拭いていく。

 拭いている最中、アルラが背中から「阿久」と名前を呼んだ。


「なんだ」


「この服、着方がわからないわ」


「……そういうことは、先に言え」


 思えばアルラは、普段着ている服以外のものは、カッターシャツ程度しか着ることが無かったように思う。

 彼女の普段着は、ベルトで胸を覆う布を固定し、腰のベルトでスカートを固定し、とにかくべルトで固定尽くめであったものだから、服は頭からかぶるように着る、という選択肢がなかったのかもしれない。

 スカートから頭を突っ込んで、腕を通せば着れる。

 それだけ教えた阿久は、再び雑巾を片手に床を拭いていった。

 ちょうど床を拭き終えて灯りを切った頃に、アルラ脱衣所を出て、阿久の所へやってきた。


「何をしているの」


「お前が濡らしたところを拭いてんだ」


「……そう」


 ほとんどすれ違いの形で阿久は脱衣所に向かい、洗面器で軽く雑巾を水洗いして、物干し用に引いてある縄にひっかた。

 居間へ向かうと、アルラが腰を下ろそうとする度に、「痛い」と呻いて立ち上がるという奇妙な場面に遭遇した。


「……」


 なんというか、言葉が出ない。


「阿久。この服、内側で髪が絡まるわ」


「髪の毛ぐらい外に出せよ……」


 アルラの長い髪は、未だ寝巻の内側に入ったままだった。



 アルラの髪を外に出してやって、電灯を消し、さて寝るかと、敷いた布団に阿久が入る。すると、部屋の隅から視線を感じた。

 振り向けば、本を読むこともなく、アルラは阿久を見つめていた。


「なんだよ」


 暗闇の中、彼女に真顔で見つめられるというのは、思いのほか不気味だった。

 黒い髪に、黒い瞳、そして白い肌。完全に心霊モノのそれである。


「今夜は、一緒に寝たい」


 そんな幽霊同然の女が、そんなことを突然言い出すものだから、こいつの頭はどうかしてしまったんじゃないかと思う。

 けれど思い出してみれば、アルラは風呂で冷水を浴びたようだった。

 もう一度風呂に入れなおしてもよかったのだが、今度は熱湯をかぶって体中を火傷する未来が見えたのでやめておいた。アルラは火が苦手のようだから、あまり熱いものはダメなのかもしれないと思ったからだ。

 結局、ドライヤーの暖風も、アルラではなくアルラの髪に向けたものであったから、彼女自身の身体は冷たいままだろう。

 布団は、これだけ。暖房はない。気温は低く、まだ寒い。

 となれば、仕方ないか。

 阿久は、「好きにしろ」と布団の隅に寄った。

 後ろから、もぞもぞとアルラが入ってくるのを感じる。

 本当に冷水を浴びていたのだろうか、彼女の身体はとても冷たかった。

 アルラに背を向けるように身体の向きを変えた阿久の前に、白く細い手が置かれた。

 なにが起きたと反対側を向こうとすると、アルラが覆いかぶさるようにして、阿久の顔を眺めていることがわかった。


「なんだ、突然」


 アルラをどかして起き上がった阿久の問いに、「あなたの幸せって、なに?」と、アルラは問いで返してきた。

 黒い瞳が、阿久の顔を映している。

 今日のアルラは突然の行動ばかりで、阿久は文句の一つでも言ってやりたかったが、彼女が突然で意味不明なのは今に始まったことではない。

 自分の幸せというものを少し考えた阿久は、「大雑把すぎてわからん」とだけ返した。

 そう。

 言ったアルラは、次の問いを投げかける。


「わたしは、あなたにとって、なに?」


 これはまた、奇妙な問いを投げかける。

 けれど真面目に、阿久は考えてみた。

 彼女は、自分の心臓。生きるために必要なもの。また吸血鬼と戦う武器であり、頭のおかしな記憶喪失の同居人。相棒であり、命の恩人。飯代、水道代、電気代、あらゆる面で金のかからない女。

 いくつかが浮かんだが、どれも違った。

 どれも、ぱっとしなかった。


「さあな」


 それだけいって、寝ころび、阿久は目を閉じた。


「寝る。続きは明日でいいだろう」


「……そうね」


 アルラは頷いて。

 おやすみなさいと、薄れゆく意識の中で声が聞えた。


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