協力者Ⅱ
「やぁ、阿久」
相も変わらずスーツ姿で、仕事の交渉相手会社からの帰りなのか、現れた氷川悠斗の左手には大きな紙袋が握られていた。
こんな時間に悪いね。お邪魔するよ。
それだけいった悠斗は、阿久を扉の脇へどけて、ずかずかと室内に入り込む。
「おい、氷川」
玄関のドアをしめ、廊下を歩く悠斗を追って肩を掴み、彼の進撃を止めようとする阿久に構うこともなく。悠斗は、居間の方へと向かって。
「……いらっしゃい」
「お邪魔します」
超絶さわやかな笑顔で、アルラに挨拶をした。
悠斗から顔を離して再び手に持った本に視線が戻るアルラ。悠斗はその様を見て、ふむふむと、阿久を見る。
「彼女が阿久の女かい。なるほど、美人だし、肌も美しい。ファッションは少しばかり露出が多いが、個性がある。なにより、突然の客にも寛容だ。合格点」
ピクリと、アルラの肩が動いた気がした。
「そんなこと言いに来たのか、氷川。だったら今すぐ追い返すぞ」
大股で歩を進め、苛立たしげに部屋に入った阿久が、悠斗の胸倉を掴む。
阿久の視線は、本気だ。
本気で、怒っている。
そんな阿久の視線を受け流して、悠斗は「ははは」と朗らかに笑った。
本当に一発殴って追い返してやろうかと阿久は思ったが、悠斗は人差し指を立てて言う。
「なに、生存確認をしておこうと思ってね」
またもや「ははは」と笑う悠斗を見て、阿久の怒りが一周回って呆れに変わる。
「どういう意味だ、生存確認ってのは」
ため息をついて、阿久は悠斗の隣にどっかりと座った。
「なに、簡単なことだよ」座った悠斗は、左手に持っていた紙袋からお菓子の包みを取り出し、袋をやぶき、中に入っていた羊羹を口に詰めて続ける。
「キミ、しばらくぼくからの連絡を無視しただろう。電話もつながらないモノだから、心配して、仕事の合間に此処まで来たというわけさ」
「連絡?」
阿久がスマートフォンを見てみれば、なるほど。とうに電池が切れている。
大英帝国連合に連行されていたものだから、充電することも忘れていた。
「……まぁ、なんというか。キミは昔から、ぼくを心配させることに関しては超一流だね」
もむもむと、もう一つ羊羹を口に詰めこんで、悠斗はもの言いたげに阿久を見た。
「……なんだよ」
「ところで、お茶はまだかな? 流石に羊羹だけで食べるのは趣がない」
どこまで図々しいのか、この男は。
けれど自分も似たようなものであったなと思って、渋々腰をあげようとすると、肩に白い手が置かれた。
アルラだった。
「いいわ、わたしがやる」
普段は本ばかり読んでいるのに、一体どのような心境の変化なのか。
しかし彼女がやってくれるというのだから、ここは素直に甘えておこう。
「そうか」
阿久が悠斗に目を戻すと、彼は羊羹を差し出した。
「食べるかい、阿久」
もむもむと、悠斗はひたすらに羊羹を食べている。
本当に、人の家に来て、持ってきた羊羹をひたすら食べるだけという男はどうなのか。
「要らん」
差し出された羊羹を払うように悠斗の手を押しのけるが、「そんなこと言わずに」と、再び差し出して来る。
くうと、お腹が鳴った。
そういえば、まだ食事をしていない。
「やっぱり、食べたいんじゃないか」
「……」
熱くなった顔を背けながら、悠斗が差し出した羊羹を受け取る。
タイミング悪く音を鳴らした腹を、阿久は恨んだ。
封を切り、羊羹にかじりつく。
不味くはない。すくなくとも、そこそこ根が張る商品のようだった。
「お前、この羊羹どうしたんだ」
悠斗が持ってきた紙袋を見ると、その中には羊羹の他に、実に多くのお菓子が詰まっていた。それらもぱっと見る限り、とても高級そうである。
ああ。と、悠斗は困ったように肩を竦めた。
「いやなに、仕事の交渉のためにとある会社に行ってきたんだが、そこの女性社員の中では、ぼくのファンクラブなるものが出来ているらしくてね。彼女たちから貰ったんだ」
相も変らぬモテ男の発揮っぷりである。
「お前の家にはメイドがいるだろ。あいつと食えばいいだろうに」
残った羊羹を詰め込んだ阿久は、次を寄越せと悠斗に手を差し出す。悠斗も、さっさとこの羊羹総てを食べきっておきたいのだろう。すっと渡した。
「それか、会社の同僚と食えばいいだろうが」
「会社で食べるというのは、ぼくも考えたのだけどね、ぼくくらい飛び級まがいの昇進をしていると、同世代は居らず、周りは女の子に飢えたアラフォーばかりなんだ。そこにこのような大量の女の子からの贈り物を投下してみろ、原発に火をつけるようなものだよ。菓子を取り合う醜き男たちによって第一次会社大戦が勃発、血で血を洗う抗争の中、モテ男狩りと称してぼくは磔にされ、発狂した彼らに五寸釘をぼくの心臓に打ち込まれる未来が見えている」
「……なるほど。例えはよくわからんが、男の嫉妬は醜いということか」
「そういうことさ」
呆れた声で、悠斗は阿久に羊羹を数本まとめて差し出した。
手渡す時に、「それと」と、少しばかり鋭い目つきで悠斗は口をとがらせる。
「何度でも言うがね、阿久。トーアはメイドではなく、ぼくのお嫁さん候補だ。そこを間違えないでいてほしいね。また、嫁の前で『ファンクラブからラブレターと一緒に貰った』とお菓子を差し出す男は、普通は嫌だろう」
ラブレターと一緒に貰ったのか。
ふと悠斗のスーツを見てみれば、なるほど。胸元には多くの紙が僅かに覗いていた。
「あ、そうだ阿久。このラブレター、ゴミ箱に捨てて帰っていいかい?」
「はっはっは――殺すぞお前」
阿久の口は笑っていたが、目だけは笑っていなかった。
「ははは、冗談だよ」
今のはあながち冗談にも聞こえなかったのだが、と阿久が毒づいた時に、アルラが茶を盆にのせて持ってきた。
急須が一つ。湯呑は、三つ。
思わず阿久は、アルラを見る。
「お前も食うのか?」
じろりと、アルラが阿久を見た。
「ダメかしら」
無表情で言われるのはいつもの事だが、この時ばかりは、彼女の無表情が少し怖いと感じた。
喧嘩はよくないな。笑った悠斗は、アルラにも羊羹を差し出した。
「キミも食べるといい。まだまだたくさんあるからね」
阿久は、羊羹の箱を見る。
けれどもう、羊羹は残り数本だ。たくさんはないだろうと思う。
しかし悠斗は、その手を紙袋へと伸ばした。
まさか、と思った。
そのまさかだった。
紙袋に手を伸ばした悠斗は、紙袋からやはり高級そうなチョコレート菓子の箱を取り出して、ビリと破く。封を開いて、どんと三人の真ん中へ置いた。
「……」
この男、ここを残飯処理場と勘違いしているのではあるまいな。
抗議の眼差しで阿久が悠斗を見たが、悠斗は「どうした。羊羹よりもこちらが食べたかったかい?」と言ってきたので、「ああそうだよ」と、やけ食いしてやった。
ばくばくと、三人はひたすらにお菓子を口に運んでいく。
昼間から何をやっているんだろうと阿久は思ったが、味は大英の時の食事と比べればよっぽど美味い。多少胸焼けを感じたが、アルラの注いだ緑茶で緩和して口に放り込んだ。
「さて、これであと一つなわけだが……」
けぷ。
「……失礼」
悠斗が小さなげっぷをして、
「これはなかなかに、強敵だ」
最後に箱を開いた。
これは大きな紙袋の中でも奥底に、他のお菓子を排斥せんと、王者の如き謎の貫録を秘めて眠っていたものであるが、しかし思った以上に大きい。
その中身は。
おおよそ三〇センチほどの直径の円形、高さは一〇センチ近くもあり、もはや要塞だ。周囲には甘さの代名詞、生クリームが壁の如く巨体を隠し、無数の槍の如くいくつものイチゴがそびえ立っている。その城の中央には、手書きであろうチョコレート板に文字が刻まれていた。
その内容は、なんというか。「氷川様お慕いしております」に始まり、変態的な文句がひたすらに書き連ねてあり、これはとても人様に見せられるものでは無いだろうという出来である。
流石に空気が凍った。
阿久の額はひくひくと小刻みに動き、悠斗に至ってはこれまで崩れたことがない笑顔が完全に崩れ、顔は魚のように青ざめて、目が完全に死んでいた。
「……なるほど。確かにこれは、嫁には見せられんな」
阿久が悠斗の目を見ると、悠斗も阿久の目を見て、互いに頷いた。
――もったいないが、これは、捨てよう。
二人の心が一つになったその時に。
「ねぇ、阿久。この×××とは何かしら」
アルラを無視して、二人はその手作りと思しきケーキをゴミ箱へ放り込んだ。
☆
そういえば。
阿久は、隣で胸焼けが酷いと壁にもたれている悠斗に言う。
「お前、歴史に詳しいか」
唐突に聞いたからか、それとも意外だったのか、悠斗は完全に死んでいた目に生気を宿らせて、「突然どうしたんだい」と聞いて来た。
「……いや、百年前の空白について知りたいと思ってな」
「ふむ、百年前の空白か。それはぼくも、中高の教科書以上には知らないな。もともと不明瞭な点が多いし、当時生きてた人たちも亡くなって、調べようとしない限りはその知識など得られないからね」
歴史の教科書にも存在する、百年前の空白。
政府すらもが調べようとせず、故に教科書にすらほとんど乗らない時代。
教会の白円卓第一席、コーネリア・ルートレッジが阿久に百年前のことを聞いたのには、なにかしらの意味があるように思えた。
あのアメジストの瞳には、きっと何かが見えている。
「文献か何か、手に入らないか?」
阿久の問いに、悠斗はくすりと笑う。
「ほう、キミが歴史に興味を持つとはね」
「茶化すところじゃないだろ」
「そうだね。お詫びだ、過去の文献や参考になりそうなものを見つけたら、送っておこう」
「いや、いい。いつものように、お前のところまで取りに行く」
ああ、それがね。
悠斗は苦笑して、人差し指を上に突き立てた。
「ぼく、しばらく海外出張になったんだ」
☆
出張でしばらくここを離れるから、用事はメールか電話で頼むよ。
それだけ言って、悠斗は別の仕事へ向かった。
その姿を見送ったアルラに、「なるほど、阿久はキミのような献身的な女性が好みらしい」と言って去っていった。
本当に、余計なことにばかり口が回る男だ。
なんだか疲れて、壁にもたれ、座り込んだ阿久に。
「彼から、僅かだけれど、吸血鬼の匂いがした」
アルラが、言った。
「……狙われているのか?」
「――いえ、わからないわ。ただ、どうも。彼の近くには、何かがいる」
言われて、阿久は一つ思い当たる節があることを思い出した。
「……」
少し、考えて。
けれど、大丈夫だろうと思って。
「気のせいだろう」
阿久は言った。




