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悪なるミタマ  作者: 九尾
第三幕 ユダ編
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終・真祖 家族/幸福/羨望

 ――お帰りなさい。

 家の扉を開いた時に、聞えて来るその言葉。

 白円卓第一二席、アラン・ダウエルという男にとって、それは何年経っても色あせることがなく、またかけがえのない宝物であった。

 帰るべき場所。迎えてくれる家族。それだけが、彼の望むものだった。


 その日、いつものように吸血鬼を狩り、帰宅しようとした時に。

 お帰りなさい。その声の代わり、家から一人の男が逃げ去っていった。

 何かの勧誘かと思ったアランが家の中を見ると、そこかしらに家のものが散乱していた。

 何があったのか、大方推測できる。けれど、頭が精神を守ろうと、それを認めようとしない。

 足が、自然と家の中へ進む。

 赤いものが、見えた。赤かった。赤い池が、いつも笑顔で自分を迎えてくれる妻と娘から広がっていて。呑気なことに――まるで小さな泉のようだなと、思った。

 けれど、状況を理解して。


「――――――――ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 獣のように、叫んだ。


 アランの妻は、死んだ。

それは決して吸血鬼のせいではなく、任務中離れている間に強盗に襲われ殺されたというものだった。

 アランはその罪人をなんとか捕まえることに成功するが、意図した殺人ではなかったということで、強盗は二〇年刑務所に詰められることで年月を生きながらえた。

 何故、裁くことが出来ないのか。何故、人を殺した者を許さねばならないのか。

 守っていたハズの人間に、守りたかった家族を殺されたというその事実。アランは、これまで自分が何をしていたのかわからなくなった。

 そして、自分はこれから何をすればいいのかも――。

 事実を許容したくなかった彼は、神の存在を疑い、信仰を捨てかけた。

しかし一二になる娘だけは辛うじて一命をとりとめた。娘を守るために、アランは戦った。娘が生きているだけで、この世界の吸血鬼と戦う、理由になった。

だが半ば植物人間になった娘は、本当に幸せなのだろうか。

 親として、彼女とどう接するべきなのだろう。このまま植物状態として生きることが、彼女にとっての幸福になるのか。彼女にとっての幸福は、なんなのか。

 わからない、わからない、わからない。

 このまま生きることが最善なのか、それとも、ここで楽に死なせてやることが最善なのか。どうすれば彼女は幸せになれる。どうすれば救われる。

 空に聞いても、神は答えない。

 誰に聞いても、目を伏せるばかりで答えない。

 ある時、カトリックの教会に行った。そして問うた。わたしはどうするべきなのか。すると、その神父は言った。

 ――信じるものは救われる。

 また、それか。信じている。信じている。娘がいつか目を覚ましてくれると信じている。なのに、目を覚まさない。何年も、何年も。

 医者に問うた。娘はどのような状態なのかと。

 かなりの衰弱状態にあるのだと聞いた。このまま眠り続けたら、脳に障害がでて、下手をすれば五体満足にはいかないかもしれないと言われた。

 どうして。どうして。どうして。どうして、娘がそんな目に合わなければならないのか。

傷つくのは、戦いに身を置く自分だけでいい。なのにどうして、平和な世界に生きた妻が死なねばならぬ。娘が、傷つかねばならぬ。

おかしい。この世界は間違っている。絶対に。認めない。

 この世界に、神はいないのだ。

 

 アランは、考えた。自分は、娘にどうなってほしいのか。

 元気になってほしい。笑顔になってほしい。あの幸福であった日々のように、己の帰りを、待っていてほしい。

 そして、一つ、思い至る。


 ――現代医学で、人を治せぬのなら。

 ――人を、辞めてはどうか。


 アランは、戦った。

 戦い、戦い、何振り構わず、戦った。

 そして、たどり着いた。

 第八真祖、ヴラド・エンライトの下へ。

 吸血鬼至上主義。人を人と思わぬ悪魔の男。歯向かうものはすべからく串刺し刑にて殺す、無慈悲の吸血鬼。

 しかし彼は、己に付き従う者になら、信を置くという。


「頼みがある、第八真祖ヴラド・エンライト」


 アランは、言った。


「ぼくを、あなたの血族にしてほしい」


 娘が現代医学で助けられぬのならば、人を辞めるしかなかった。ならば、人を辞めるためにはどうするか。――吸血鬼になるしかないだろう。

 もとより、家族のために捧げたこの命。家族のためなら、悪魔にだって売り払っても構わなかった。最後に残った娘だけは、守ると誓った。

 アランは人の身でありながら、かつて仲間であった多くの使徒を葬り、やがてヴラドに信頼され、その血族となることを許された。

 そして娘に己の血液を分け与え、吸血鬼にした。

 吸血鬼になった娘の治癒能力は人のそれを大きく上回り、数日もすれば意識を取り戻した。その時に娘は、「おはよう、パパ」と、アランの顔を見ていった。

 アランは、涙した。

 暗闇しか見えない絶望の中に、光が差した気がした。

 己の選んだ道は、悪の道。それでも、こうして娘が無事に動けるのなら、己のしたことは間違いではなかったのだと、信じた。

 

 ――第八が、死んだ。

 

 教会が新しい《聖痕》とかいうシステムを作り上げたらしい。細かい原理などはわからないが、第八はとにかく。アランを庇って死んだ。

 どうして第八がアランを庇ったのかはわからない。けれど、数日前に交わした会話がアランの脳裏をよぎった。


「なぁ、アランよ」


 ――はい、なんでしょう。


「昔は吸血鬼こそが至高と思っていたが、お前と出会って私は気付いたよ。私たち吸血鬼には、守るものがない。我々吸血鬼は、己のために他者を侵すことしか能のない、下劣極まりなく、低俗な生物なのだな」


 ――吸血鬼が低俗などと、そんなことは。


「けれど、人は素晴らしい。お前のように、誰かのために命を懸けられ者がいる。誰かのために、世界を敵に回す勇気を持っている。とても私には、かようなことは出来はせん」


 ――ぼくは、己の我を通しているだけにすぎません。仲間を売り、かつて守ろうとしたものを裏切り。ぼくこそ、低俗なものだ。


「尊いのだよ、その感情は。己よりも他者の幸福を願うその精神は。だから私は、お前を見習い、家族を守ろうと誓ったよ」


 ――家族、ですか。


「然り、家族。我が血族、我が下に集いし同胞たちのことだ。アラン、お前を含めたな」


 ――やはり、貴方は変わっておられる。第四を筆頭に、真祖は吸血種の多くを……例え血族といえど、道具程度にしか考えぬでしょうに。


「ふふふ。お前は家族のために総てを裏切る己を狂っていると称したが、私も大概狂っているのやもしれんな。似通った狂人(くるいびと)同士、相応の(えにし)でもあったのだろうよ」


「だからな、アラン。お前はおそらく、そのままで良いのだ。娘のために生きろ。狂ったままであれ。なに、安心せい。教会からも、他の真祖からも、私が命を賭して守ってやる。なにせお前は、私にかような生き方を教えてくれた。私に生きる理由をくれた。大切な、初めての『家族』であるのだから――」


 ――その時の、瞳が。

 お前を守るといったヴラドの視線が、アランを庇った際に告げていた。

 お前は、生きろと。娘を、家族を守れと。

 どうしてヴラドが自分のような者を庇ったのか、自分ではよくわからない。けれど、彼の意志を継ぐべきだと思った。数十程度の、吸血鬼の群れ。第八真祖ヴラド・エンライトが作り上げた家族。互いが互いを重んじ、助け合う。そんな人間の目指す理想を、ヴラドは目指した。ならば、アランも目指さねばなるまい。彼の理想を、遂げねばなるまい。

 それがきっと、残された者のすべきことだと思うから。


 なのに。

 ――なのに。

 なのに何故、皆が死んでいる?

 

 此処はどこかの洞窟。

 太陽の光から逃れるために、教会との戦闘の後、第八の勢力はここに隠れ潜んだ。

 第五真祖アフムは、第三真祖オオダイラへ結果を報告すると外へ出た。彼は吸血種でありながら、光は苦手ではなかった。アランは光が苦手であったが、戦に傷ついた皆を癒そうと、雲の動きを見つつ日の光を避けながら、遠くにある町の店で包帯などを購入し、そしてこの場へ戻った。


 お帰りなさい、パパ。

 いつもはそう告げるハズの娘の首が、アランの眼前に立つ道化の腕にある。

 ――何故?

 その目は、恐怖に見開かれ。その口は、『パパ』と叫んだのだろうか。その形に開かれて、閉じることができなくなった口から、涎と血液が流れ出ていて。


「ああ、お帰りなさい。――パパ」


 ふひひ。ふひひひひひ。

 アランが守ろうとしたものを、眼前の道化が踏みつけ、笑った。

 ――何故?

 何が起きているのか、わからない。この道化は味方であったハズだ。教会を攻めるために一時の協力関係にあったハズの同種だ。それなのに何故。それなのに、何故。


「お前が殺したのか、クラウン」


 それなのに何故、家族同然の同朋たちが、第九真祖クラウン・ゲイシーによって踏みつけられているのか。どうして、家族同然の同胞たちが、血に濡れて大地に横たわっているのか。

 アランには、ソレがどうしても理解できない。

 うーんとねぇ。しばらく唸った道化師の青年は。


「ボクはね、まだ足りないんだよ。完璧じゃないんだ」


 意味のわからないことを、言った。


「お父さんがね、言うんだ。お前はまだまだダメな子だ。バカなんだって。だったら、頭が良くならないといけないよね。それでボクなりに考えた。ボクの周りで頭がいい人は誰なんだろうって。まず思い浮かんだのはオオダイラなんだけど、流石にアレは相手にするには強すぎるんだよね。それで、次に思い浮かんだのはキミだった。キミにならまだ、ダメダメなボクでも勝てなくはないよね」


 だからボクは、キミを食べるんだ。

 本当に意味のわからないことを、言った。


「――そんなことの、ために」


 そんなことのために。

 裏切ったのか。

 そんなことのために。そんなことのために。


「ぼくの『家族』を殺したのか、クラウン」


 そんなこと? クラウンは首を傾げた。


「そんなこと、なんて。ボクにとって、何より重要なことなんだ。キミらのくだらない家族ごっことは違うんだよ。ボクの目的は、もっともっと崇高だ」


 帰ってこない。もうみんな、帰ってこない。

 吸血鬼にも、心はあった。

 心を持つ優しい者は、確かにいた。

 第八が死に、家族が崩壊しかけたこともあったが、多くがアランについてきてくれた。第八が認めた唯一の血族だからと、皆ついてきてくれた。アランの娘にも、優しくしてくれた。

 行ってきます。おかえりなさい。気を付けて。

 そんな言葉を言い合える、存在であったのだ。

 彼らは本当に、家族のようであったのだ。彼らと過ごす日々は、本当に、幸せであったのだ。

 それなのに、この第九は、それを「くだらない家族ごっこ」という。

 確かに、お前にとってはくだらないものだろう。血が繋がっているわけでもないのだから、ごっこと嘲るのもまだわかる。

 それでも、壊す理由にはなりえない。如何なる理由があろうとも。

 彼を許す理由にはなりえない。如何なる理由があろうとも。


「ああ、これあげるよ。一応食べてみたんだ。頭がいいキミの娘を食べたら、もう少し頭が良くなれるかなって。でもやっぱ、キミを食べるのが一番いいみたい」


 ぽいと、クラウンが投げたそれは、少女の首。

 アランの、娘であったもの。

 助けて、パパ。

 彼女が最後に浮かべた表情は、その言葉を彷彿とさせるのに十分な代物で。

 お帰りなさい。

 かつて願った幸福は、此処に壊れて。


「貴様ァアアアアアアアアアアッ!!」


 咆哮し、クラウンへと駆けたアランの肉体は、腹部を境に分断された。

 血が舞い、臓器が零れる。

 まだ死なない。すぐに再生する。アランが修復を行おうとしたときに、歩み寄ったクラウンはアランの下半身を蹴り飛ばした。

 おかしい。第九真祖の忌能は切断など不可能だ。幻術を見せるだけの忌能であったハズ。アランの思考が状況を把握しようとするも、答えは出ない。

 何故だ。何故だ。

 その問いばかりが響くアランの頭に、「教えてあげる」と、クラウンの声が浸入する。


「アラン。ボクの中にはね、ヴィーデ様、キミの娘、そして実はもう()()、吸血鬼がいるんだよ」


 ふひひと笑ったクラウンは、半身になったアランの耳元で、彼の内に存在する一人の吸血鬼、その名だけを告げた。もう一人、喰らった吸血鬼の名を隠し。

 アランの目が、見開かれた。


「喰ったのか! ヴィーデのみならず、彼もお前が喰ったのかッ!」


 その少年は、端的にいえば鬼畜であった。外道であった。しかし、それはあくまでも人から見た一方的な話だ。

 少年は、自由に生きていた。風のように、自由気ままに生きていた。けれど彼は、多くの吸血鬼を助けてきた。使徒と戦うのが愉快だからと、多くの命を救ってきた。

 その言葉は本当なのだろう。彼はおそらく、自分のことしか考えてはいない。それでも、それでも、アランは彼に恩があった。第八が教会に落とされ、アランが教会から狙われていた時にも、気まぐれだからと助けてくれた。

 そして日本へ行くと去った。その彼は、日本で死んだと聞いてはいたが。

 ――まさか。まさか。


「お前が、殺したのかァッ!」


 極大の憎悪を込めて第九真祖を睨み付けたアランのその首は、《鎌鼬》によって肉体から離れ、空を舞った。

 その忌能(ちから)は元来、少年のものであったはずなのに。

 第九が、その忌能(ちから)を振るっているという事実。

 アランの切り離された脳が、総てを理解して。


「ついでに言えば、第八にトドメを刺し、喰らったのもボクなんだ。おっと、このことは墓場まで持っていかなければダメだったね。さて、そろそろおしゃべりはお終いだよ、アラン。さようなら。そして――」


 ――いただきます。


 道化の口が、開かれた。


        ☆


 後日、潜伏場所を特定された吸血鬼は一網打尽に合い、この戦いは終結した。

 結果として、教会は第八勢力を落とすことに成功。

 残る勢力は、第二、第三、第四、第五、第六、第九となる。

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