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悪なるミタマ  作者: 九尾
第一幕 序章編
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黒い女

「ねぇ、さっきからどうしてこんな道を歩いてるの?」

「近道だ」

「どこに向かってるの?」

「決まってんだろ、俺の家だ」

「そういう意味じゃなくて、地域っていうか、方向っていうか……」


 わずかな会話をして、数十分。ひたすら早足で歩き続けた結果、少女の前には見慣れたアパートがある。三階建て、普通の家族は住まないであろう、ボロアパート。

 とても、人を招きたいとは思わないような、アパートだった。


「此処だ」


 男と共に、少女はギチギチと年代を感じさせる音の鳴る門を潜る。

 思わず、アパートと男の顔を見比べた。

 アパートは、なんというか。男に比べると、どうしようもない違和感というギャップに悩まされるほど、非常にアンティークというか、古めかしいというか、趣があるというか……端的にいえば、とても地味だった。

 これといって大きな装飾もない、古びた階段を登っていく。

 慌てて、少女も付いていった。

 こんなところは、一人でいるには薄気味悪い。

 金属でできた階段も、今では錆びて劣化している。体重の軽い方だと自負している少女ですら、一歩踏みしめるだけで、今にも抜け落ちそうだと思うほどに。

 男――阿久の服装は、どうにも大人のそれとは言い難い。首回りに毛のついた細みの黒いコートに、黒いシャツ、鎖とドクロのネックレスに、黒いズボン。ヴィジュアル系というのか、パンクというのか、とにかく、イカした部類の格好だった。

 なんというか、一般人は最悪な第一印象を受けるだろうなと、思った。

 彼の容姿を見る限り、まだ二〇を超えたかどうか、といったところだ。自分と五年も離れていないだろう。そんな男が、どうしてこんなアパートに住んでいるのだろうか。

 まだ、親は生きているだろうに。此処に親はいないのか。それとも、親元を離れてこの帝都に就職したのだろうか。

 しかしそれにしては、彼の服装は仕事をする男には見えない。

 うーん。少女は悩むも、答えは出ない。

 なのでいっそ、答えを聞くことにした。


「あの……あんたの親は?」


「さてね。どっかでくたばってんじゃねぇか」


 それだけ男は、吐き捨てるように言った。

 初っ端から地雷を踏んだ気がして、出鼻を挫かれた少女は黙ることにした。

 カツカツと、昇るには心細い階段を登り、部屋の前に来た。304号室。

 鍵を開けようともせず、男はそのままドアノブに手を伸ばして開けた。

 鍵は掛けていないようだった。不用心だ。


「帰った」


 電気のつけられていない、暗い部屋。主が今帰ったのだから、暗くて当然か。

 今更ながら、男に同居者がいるという考え方を欠いていたなと少女は思う。けれど、いなくて助かった。どうやら一人暮らしらしい。

 部屋は見たところ、和室が二つの2LDKだ。

 では、お邪魔します。心で呟いて、少女が靴を脱ごうとした時だった。

 玄関の正面の先にある台所で、黒い何かがもそりと動いた。


「お帰りなさい」


 誰もいないハズの場所から声が聞えた。

 ひぃと、少女が悲鳴を上げる。

 ひたひたと、台所にいたソレが此方に歩いてくる。

 長く、サラリとした黒髪。雪のように白い肌。人形のように整った顔。全身を黒い服で包んだ、幽鬼が如き存在が正面に立つ。

 どうして、人がいるのか。明かりが無かったために、人などいないと思っていた。


「これは、何かしら」


 目蓋が半分閉じたような、たれ目の女だった。

 じっと、黒い女は、やはり黒い瞳に、少女を映す。

 じろじろと、値踏みでもするように、事細かに。気のせいか、首や手首、太ももを重点的に見られた気がした。


「拾いもんだ。今日は泊める」


「……」


 少女から視線を移し、黒い女は同居者の男を見る。


「わかったわ」


 しばらく男の目を見た後、無機質な声で言って、再び台所に戻った。

 とんとん、とんとん。包丁の子気味のいい音が暗闇に響く。

 靴を脱いだ男が先へ進むと、ついと少女の手も伸びた。どうやら気付かないうちに、男のコートの裾を握っていたらしい。

 慌てて靴を脱ぎ、お邪魔しますと囁くように告げて、少女は男にぴたりとくっついた。

 男は手前の和室ではなく、奥の和室に歩を進める。

 必然的に黒い女の後ろを通ることになった少女は、びくびくしながら女の手元を見た。

 部屋が暗いのでよくは分からないが、赤い何か。

 一瞬、人間でも切り刻んでいる山姥(やまんば)村の住人か何かなのではないかと疑ったが、どうやら人参か何かを切っているらしかった。少し安堵する。

 男がドアを開いて、さあ部屋に入ろうという時だった。


「ねぇ」


 黒い女が口を開いた。

 どくんと、少女の心臓が跳ねた。


「な、なんでしょう」


 震えながらも、精一杯の勇気を振り絞って出した声はしかし、空気に沈んでいった。

 黒い女の視線は、初めから男の方に向けられていた。


「下準備が終わったわ」


「そうか。なら、交代だ」


 黒い女は、男が入ろうとした和室に入り。男は、女が切っていた人参らしきものを鍋に放り込み、ボッとコンロに火をつけた。


「え、えと……」


 ――自分は、どこにいればいいのだろう。

 少女が困惑していると、閉じきっていない和室の襖の隅から、黒い瞳がこちらを見ていた。

 暗い部屋に、黒い女。此方を見つめる黒い視線。

 ――死ぬほど怖すぎる。と、少女は思う。

 まるでホラー映画に出てくる幽霊だった。

 この黒い女を見てから、どうにも足の震えが止まらない。

 彼女は数分ほど少女をじっと見つめて、ようやく「入らないの」と聞いてきた。

 思わず「え、何が?」と聞き返したところ、「部屋」とだけ言われた。


「は、入ります! 入らせていただきます!」


 ようやく意味を理解して、少女が部屋に入ると、女は押し入れから取り出した座布団を差し出した。

 ありがとうございますと、どもった声で言う。

 普段、少女は敬語を使わない。家族や教師、先輩たちはもちろん、この部屋に連れてきた男にすらも敬語を使わなかったのに、何故だろう。この女にはどうしてか、敬語を使ってしまう。

 少女が襖を閉めると、背後でぱちりと電球に明かりを灯す音が聞えた。


「……アルラ」


「――はい?」


 自分の足元に準備した座布団の上に正座した黒い女は唐突に、何かを言った。


「アルラ」


 もう一度言った。

 ――なにそれ。魔法の呪文?

 この人暗い部屋に篭っているし、なんていうか変な薬でもキメちゃってるんじゃないかしらとかいう不穏な思考は頭の隅に追いやって、でもどう考えてもこれ少なくとも電波は受信してるよねぇ間違いなくねぇという頭の中のツッコミも、どうにかこうにか喉を押し潰す勢いで耐えて呑み込み、下腹部に押しとどめて。


「えと、それが何か……」


 少女は問うた。

 笑いでも恐怖でもない、我ながらなんだこれと思うような、奇妙な震え声が出た。


「名前よ。わたしの」


 ――はい。完全に地雷踏み抜きました、と。

 思いっきりやらかしたと思った。

 冷静に自分にツッコミを入れたいいが、自分も早く名前を名乗らなければと、パニックになる。「あの」「その」などといった言葉を発しながら、ようやく少女は大きく口を開いた。


「あたし、『かえで』っていいます! (みなみ)かえでです!」


「ちゃんと聞えているわ」


 少女の大声に両耳を塞いでいた手を降ろして、黒い女――アルラが言った。


「その……すみません」


 黒い女は、表情を変えない。声も抑揚がなく、感情が全く読めない。サラリとした髪、人形のような顔を見て、まるでロボットのようだと、失礼だとは思いつつも少女は感じた。


「南かえで、ね。覚えたわ」


「ど、どうも……」


「ちなみに、そこの人は阿久(あく)。覚えてあげて」


 調理らしきものを始めた男の方向を指してアルラが言う。

 かえでもまた、男を見た。


「あ、悪?」


阿吽(あうん)()に、久しいの()で、阿久(あく)


「わ、分かりました」


 会話が終わった。

 どうにも、彼女――アルラは話しにくい。一番怖いのは、何を考えているのかまるで分らないことだ。なにも、心の裏を見透かしたいわけではない。けれど、喜怒哀楽ぐらいは分からなければ、話し辛いものだろう。少なくとも、かえでにとっては。

 それが、かえでがアルラに対して抱いた印象だった。

 第一印象もホラー映画の幽霊なのだから、印象は本当に最悪だ。


「かえでは、何か聞きたいことはあるかしら」


 この空気の中、口を開いたのはやはりアルラだ。

 しかしかえでの方も、真顔で「何を聞きたい」と問われても困る。

 けれど、何か聞かなければならないという使命感に駆られたかえでは、「じゃあ一つだけ」と、おずおずと右手を上げた。


「どうしてこの家は、電気をつけないんですか」


 それは、純粋な疑問だった。

 いくら猫目といえど、夜に電灯の一つもつけない人間はいないだろう。

 電気が通っていないなどの理由があるか、それとも他の理由があるのか。もっとも、阿久は明かりを点けていたから、電気が通っていないということはないだろう。となれば、何か知らの理由がある。

 明かりが、苦手なのだろうか。

 だとしたら、それでは、まるで。アレだ。以前見た、アレの特性とよく似ている――。

 かえでの脳裏に、数日前の記憶が蘇る。

 血。

 血、血、血、血。

 流血。死。

 ――死。

 ぞわりと、血の気がよだつ。

 首を振って、かえではその光景を頭から振り払った。


「暗い方が、心地がいいからよ」


 アルラが言った。


「わたしは、身体が弱いの。目も色素が薄いみたいで。明るいのは、苦手なの」


 確かにアルラは、目に見えて血色がよくない。身体が病弱で、あまり外にも出られないのかもしれない。彼女の血色は明かりをつけない部屋でもわかるほどなのだから、相当と言えるだろう。

 ――あんなにも黒い瞳なのに、色素が薄いのか?

 いやいや、こんなところで嘘をつく理由はないでしょう。と、心に抱いた疑問を振り払い、かえでは自分を納得させた。


「次は、わたしの番ね」


 つい。と、アルラの指がかえでの喉を撫でた。

 突然喉に触れられたものだから、身体が跳ねた。

 それは、驚きか。反射か。それとも――恐怖か。


「どうしてあなたは、此処へ来たの」


 ――どうして。

 そんなの、自分(かえで)にだって、わからない。


 あの日、遅くなった塾からの帰宅途中。細い路地で、変な景色を見た。

 倒れた女と、立つ少年。

 血の気の引いた女と、笑顔の少年。

逃げるように家に帰ったら、弟が■んでいた。両親も、■んでいた。

 見開かれた目は、何処も見てはいなかった。

 怖くて。怖くて。怖くて。逃げ出して。あの場に留まる事が、できなくて。


「あたしは……」


 簡単なことだ。路地裏で“変なもの”を見て逃げ出したら、家族が■んでいた。

 ■ぬのが怖くて、逃げ出した。戻りたくない。真実を知りたくない。

 それだけの事だった。言おうと思えば一行でも説明できる。言葉にするのは簡単だ。

 けれど、言葉にできない。言えない。それは、自分が見た異様な光景を現実にするように思えて。あの光景を、肯定してしまうように思えて。

 そこでふと、暖かさを感じた。

 誰かに、抱きしめられているようだった。


「いいのよ、無理にいわなくて」


 アルラが、かえで抱きしめていた。

 ――暖かい。

 かえでが感じたぬくもりは、優しい抱擁は、無機質なものではなく。いつかの母のやわらかな抱擁と、父の力強い抱擁の安心感にも似た、暖かいものだった。

 確かに、そこには鼓動があった。暖かい、心があった。


 阿久が、食事が出来たとカレーを持ってきた。

 アルラは食欲が沸かないからと、手を付けずにに文庫本サイズの本を読んでいた。だから、阿久とかえでの二人で食べた。

 会話は無かった。けれど、彼らと食べる食事は何故か、とても暖かいと思った。

 変な話だが、まるで家族のようだな、と思った。

 そして始めに抱いた彼らの印象をかえでは思い出して、苦笑した。


 この家には、大きな敷布団と掛布団、それぞれ一枚づつしかないらしい。

 阿久は、毛布と枕があればいいと言った。

 アルラは、読みたい本があるからと布団を貸してくれた。……やはり明かりを点けずに読むのだろうか。

 風呂を借り、アルラから寝巻を借りて、かえでは布団に入る。

 怖い夢を見ませんようにと、願いながら。


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