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悪なるミタマ  作者: 九尾
第三幕 ユダ編
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天使とは

 夜、しっかりと睡眠をとった阿久は、朝に目を覚ます。

 身体が、軽い。それは、このベッドが快適であったためであろうか。それとも、ウォルターとの戦いで負った傷がようやく治りかけているからだろうか。

 身体の何処にも痛い部位はなく。また、疲労もない。

 久々の、目覚めのいい朝だった。


「おはよう、阿久」


 ぱたんと本を閉じ、白い肌、黒い髪の女は阿久に目を向けた。


「よう、アルラ。状況、分かるか」


 状況。

 それは、言うまでもない。阿久が寝ていた間に起きた、二つの勢力の状況である。


「……そうね」


 少しの間目を閉じて、ふうと息を吐き出したアルラは、目を開いた。


「各々の主勢力はいずれも消えず、教会も帰還を始めているわ。ただ……多くの人が――死んだようね」


 死んだ。

 その、言葉に。

 やはりアルラは感情を表さないまま、言った。


「……そうか」


 阿久の頭によぎるのはやはり、南かえでの死。

 一体、何人が死んだのだろう。一体、その者たちの死に何人の者が悲しむのだろう。もし自分が参加していれば、どうなったのだろう。自分が戦っていれば、犠牲者は――。

 そこまで考えて、やめた。

 阿久は、教会の味方ではない。ましてや、吸血鬼の味方でもない。

 第三の勢力だ。世界の敵だ。

 だから、考えない。他の事を考えない。心を閉ざす。

 心を閉ざし、ベッドから出て、いつものコートを羽織った。


「ねぇ、阿久」


 不意に、アルラが問うた。


「あなたは、それでいいの?」


 思えばこの問いは、二度目であった。

 初めて出会ったとき。あの、雨の夜。アルラは、問うた。

 本当に、これでいいのかと。

 阿久は頷いた。これでいいと言った。もとより人の心など持てなかった。人ならぬ心の者が、人ならざる身を持ったところで問題はないと。


「……どういう意味だ」


 阿久は、アルラの言葉に違和感を感じた。

 ほんの少し前のアルラであれば、阿久の行動に文句を言うことはなかっただろう。

 それが、あなたが決めたことならば。

 まるで決め台詞で在るかのように、その言の葉を紡いでいた。

 しかし、南かえでが死んでから、彼女の言葉の節々に違和感を感じることがあった。

 彼女には、表情がない。声の抑揚もなく、おおよそ感情というものは感じられない。

 それでも、心と呼ばれるものがあることを、この“心臓”を介して知っている。

 感情がある。表情はなくとも、心がある。その心の違和感を隠して阿久と話しているような、気がした。


「いえ、ふと思ったの。南かえでといた時のあなたは、ずいぶん幸せそうだったから。やっぱり、人は人と共にいることが一番なのではないかと」


「つまり、何が言いたい」


「あなたは、優しい人。誰かのために、怒れる人。だから、わたしのような“モノ”と出会うべきではなかったの、きっと。そうすれば、あなたは……」


「そうしたら、なんだ」


「あなたは、こんな辛い思いをすることなんてなかった。わたしたちは、出会わなければ――」


 そこまで言ったアルラの口を、阿久は塞いだ。

 突然の行動に驚いたのか、身体を震わせたアルラの目をみて、阿久は言った。


「俺は、お前と出会えてよかった」


 それだけ言って、阿久はアルラを離した。

 目を逸らしたアルラは、「変なことを言ったわ。ごめんなさい」と告げた。


「そろそろ、出るぞ」


 もう、日が昇ろうとしている。

 アルラには日が少しばかり辛いかもしれないが、それでも阿久の影にでも潜ませていれば、いくらかマシになるだろう。

 昨日コーネリアが置いていったカードとパスポートを手に、阿久は外へ出た。


        ☆


 外へ出るのは、とても簡単だった。

 多くの使徒たちは、戦闘の傷を癒すために、そして次なる戦いに備えて眠りにつき。他の者たちは彼らの看病であったり、彼らの食事の世話などを行っていた。これならば、わざわざ隠れている必要もない。

 阿久の姿に気付いても、誰もそれどころではないのだから。

 そうして、白い病室のような廊下を抜けた。

 数多のステンドグラス。大きな椅子に、キリスト系統の宗教を思わせる彫像に、それらしき装飾。いわゆる万人の教会というイメージを具現化したような場所に出た。

 俗にいう、礼拝堂とかいうものだろうか。

 そこを、阿久はアルラと歩く。

 周囲には誰もいない。


 阿久は、門のように大きなドアを開いて、外へ出た。

 外は、森。多くの樹木が生い茂る森だった。

 それこそ、富士の樹海のような、自然ばかりが目に付く森。

 背後を見ると、既に教会の姿はなかった。確かにそこから出てきたはずなのに、その扉の存在も気付けなくなるほど、完全に姿を消していた。


「……どういう原理だ、こりゃ」


 少なくとも、建物の構造で周囲から見えなくしているとか、そんな生易しいものでは無かった。これはもしかしたら、コーネリアの言った聖痕と同じ機構――白魔術の類なのかもしれない。

 周囲を森に囲まれているため、これでは吸血鬼も教会の場所を特定するのは難しいだろうな、と阿久は思いつつ、アルラに自分の影へ入るように言った。


 アルラは、曰く吸血種である。

 彼女には過去の記憶はなく、また人の血を吸わない吸血鬼。けれど他の真祖と違い、彼女の力は極端に弱い。第二、第三世代程度の治癒能力しか持たず、また忌能も、ものの影に入り込むだけという大して役にもたたないモノだ。

 けれど、阿久と同化することにより、彼女の真価は発揮される。故に、阿久は彼女を“心臓”と呼称する。それ単体では役割を持たず、けれど臓器として肉体の内に収まることにより、その能力を発揮するからだ。

 アルラが阿久と同化することで、その忌能は変化し、影に潜むという脆弱な能力から、“変身”という能力へとすり替わる。

 どうして彼女は、他の真祖とここまで違うのか。それは分からない。

 もし彼女が記憶を取り戻すことがあれば、わかるかもしれないのだが。


 森の中を歩きつつ、阿久はふと疑問に思って、阿久はアルラに問いかけた。


「なぁ、アルラ」


 何かしら。

 やはり感情のない声で、アルラが問うた。


「お前って、本当に吸血鬼なのか?」


 アルラは、答えない。

 もしくは、答えられないのかもしれない。

 無言だった。

 あの夜以前の記憶を失っているのだから、それも仕方ないのかもしれない。しかしアルラは、他の真祖と比べるとどうにも、吸血鬼とは別の存在であるように思えてならなかった。

 人間の力を借りなければ戦えない、吸血鬼。

 吸血を必要としない、吸血鬼。

 本当に、不思議な存在だ。

 けれど確かに、アルラは吸血鬼と同じ特性を持っていた。

 流石に試したことはないが、おそらく弱点は心臓。阿久の影に潜めばどうということはないが、明かりも苦手だ。また十字、聖水にはあまり近寄ろうとしない。これは触れたところで何がどうということもないが、人間がゴキブリなどの害虫を前にするとき同様に、それらに対する生理的嫌悪と似たものがあるようだ。そして、なによりも、彼女は炎を苦手とする。

 それがどうしてなのかはわからない。けれど吸血種の多くには、本来弱点として在るべきもの、いわゆる『設定』された弱点がまばらになっている。

 例えば第五真祖は日光が平気な代わりに水が苦手だそうだし、第三真祖は他のものはともかく、明かりだけはどうしても苦手のようだ。他の真祖については詳しくはわからないが、おそらくは各々苦手とするところがあるのだろう。

 真祖と一概にいっても、ここまで違いが出るのだから、不思議な話だ。

 ――堕天使の翼。

 ――天使の欠片。

 ふと、それらの単語が頭をかすめる。

 彼女が他の吸血鬼と異なるのは、まさか、天使だから?

 考えるも、それはないと頭を振った。

 天使が、太陽の光を拒むものか。

 ――けれど、堕天使だとしたら?

 阿久は、堕天使がどういうものかは知らない。けれど堕天使ならば、天から落とされたものならば、太陽を恐れることもあるのではないか? そう、思った。


「……まさか、な」


 天使、堕天使、もしくは神。

 そんな存在がいるのなら、きっとこの世界は、これほどまでに悪意に満ちてはいないだろう。

 そんな存在がいるのなら、きっとこの世界は、幸福な世界であるハズだ。

 久世原阿久というかつての少年は、望んで生まれることができたに違いない。

 そして、アルラも。

 この世界に、神はいない。この世界は、悪意に満ちている。

 自分の影を見て、阿久は苦笑した。

 悪意でできているのは、自分たちの心も同じだろうに、と。


 阿久が歩いていくと、森の先に平野があった。平野には、戦いの傷跡があった。

 おそらく昨日、此処で教会と吸血鬼の戦闘が行われたのだろう。

 なんとなく眺めていた時に。


「阿久」


 突如、アルラが阿久の影から這い出て、阿久の背中を守るように周囲を見渡した。


「どうした」


 アルラの並ならぬ警戒の視線を見て、阿久の声が低くなる。


「――敵よ」


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