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悪なるミタマ  作者: 九尾
第三幕 ユダ編
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白円卓Ⅱ

 ふとトイレに行きたいと思い、阿久は部屋を出て、用を足した。

 あの白い部屋はどうやら病室というわけでもないらしく、台所などもついていたのだが、どうもトイレや風呂は別らしい。

 用を済ませた阿久は、部屋に戻ろうと、廊下を歩く。

 廊下には、色がない。これといった模様もない。ただ、続くのは白い廊下だ。壁は悉くが汚れない白で、一体どうやってここまでの白さを保っているのか気になるほどであった。

 ふと曲がり角を曲がったところで、人に出くわした。


「あ」


 ちらりと、誰かは阿久を見た。

 知らないやつだろうと思って、挨拶もなく通り過ぎようとすると、


「なんですか、挨拶も無しですか」


 と、不機嫌な声がかかった。

 関わるのが面倒だなと思った阿久はそのまま通り過ぎようとするが、肩を掴まれた。

 嫌々振り向くと、そこには見知った顔がある。

 銀の髪に、翡翠の瞳。

 北条久遠だった。


「よう」


 それだけ言って去ろうとすると、「それが挨拶ですか!?」と驚かれた。


「俺はお前にする挨拶なんかねぇよ」


「あなたになくても、わたしにはありますから」


「あっそ」


 再度この場から去ろうとすると、「まだ挨拶してませんから!」と止められた。


「だから、なんなのお前。俺の時間奪うのがお前の挨拶なの?」


「いえ、そういうわけではなく。あの、そのですね……」


 十秒経過。

 二十秒経過。

 三十秒経過。

 あの、その、という単語ですらない感動詞を繰り返し、一向に話が進まない。

 帰ろうと思ってその場を離れようとするも、久遠に肩をがしりと掴まれる。

 そろそろキレてもいいのかな、と阿久が思った頃に、ようやく久遠がすぅと息を吸った。


「おはようございます、阿久……」


 大きな声を出すのかと思ったが、なんだか絞り出すような小さな声だった。

「おう」それだけ言ってやはり去ろうとする阿久の肩を、「待ちなさい」とやはり久遠が掴む。


「それがあなたの挨拶ですか」


「おう」


「せめてもう少しないんですか。おはようと言われたらおはようと返す、これ、日本の常識なんじゃないですか、和の心なんじゃないですか」


「そんなもんは捨てた」


「それでもあなたは日本人か!」


「遺伝子的にはな」


 だからいい加減離してくれと阿久が言おうとすると、「言いたいことはこういうことではなく……」と勝手に頭を抱え始めた。

 だから本当に、なんなのだこの女は。

 困惑する阿久に、久遠はまたもや「すぅ」と大きく息を吸った。

 これは大きな声を出されるだろうなと思って、両手を耳元へ寄せ、阿久は耳を塞いだ。


「その、なんといいますか。……――――――――ました」


 耳を両手で塞いでいたので、全く聞こえなかった。

 何がなんだか阿久にはよくわからなかったが、いい加減挨拶は終わりだろうと背を向けようとすると、また肩を掴まれた。


「今度はなんだ」


「精一杯の勇気を出したのに、どうして耳を塞いでいるのですか」


「俺の勝手だろ」


 何度目かわからないほどこの場を離れようとした阿久に、久遠は絞り出すように、何かを言った。

 全く聞こえなかったので、耳を澄ますと、またすぅと息を吸う音がしたので、阿久は耳を塞いだ。


「……少し、話しませんか」


「嫌だ」


 言って、阿久が歩を進めようとしたときに、ふと、マリアという単語が頭をかすめた。

 正直久遠の相手をするのは面倒だが、引き出せる情報は引き出しておいた方がいいだろう。この教会は、後々阿久の敵になる可能性もある。

 キッと此方を睨み付ける久遠に、阿久は「気が変わった」と、そのあたりにあるベンチへ彼女を誘うことにした。



「おい、久遠。聞きたいことがある」


「わたしも一つ、話したいことが」


「後にしろ」


「……」


 睨まれた。

 そして久遠は、有無を言わせない様子で握り拳を突き出した。


「……なんだ、それは」


「どちらの要件が先か、ジャンケンで決めましょう」


 阿保らしいと思ったが、ここいらでどちらが上なのか、しっかりとわからせておく必要がある。そう思った阿久は、良いだろうと拳を鳴らす。


 結果は惨敗だった。


 フンと、鼻で笑われた。

 死ぬほど屈辱的だった。


「とりあえずは、これを」


 久遠は、奇妙な紙切れを阿久に渡した。

 くしゃりと丸めて近くのゴミ箱に投擲しようとすると、手首をがしりと掴まれた。


「……なにをしようとしているんですか」


「ゴミはやっぱりゴミ箱だろ」


「ゴミ、じゃ、ない、です」


 混血者である久遠の力は、非常に強い。今は普通の人間と大差ない阿久の手首から、ぐきりと、嫌な音がした。


「……」

「……」


 まずいことをしたかもしれない。

 目を細めて、口を逆三角に開いた久遠は阿久を見る。

 やってくれたな。

 脱臼でもしたのか、手首をぶらぶらと揺らした阿久が恨みつらみを込めた視線で久遠を見る。

 こほんと、久遠が咳払いをした。


「その紙には、わたしの電話番号が記してあります。先日の恩返しとして、何か連絡を頂ければできうる限りあなたを助ける所存ですので、どうぞ御活用を」


 こほん、こほん。

 わざとらしく再度咳払いをして、ちらりと横目で阿久を見る。

 阿久の久遠を見る視線は、変わらない。

 こほん、こほんこほん。ちらり。

 こほんこほん。けふけふ。けふけふけふ。ちらり。


「……慰謝料請求……」


 阿久がポツリと紙を見てつぶやくと、「こんなものすぐ治りますよ!」と久遠が無理やり手首をはめ込んだ。


「痛ッ!?」


 これでなんの問題もありませんね、とでもいいたげな目線で阿久を見つめた久遠に、阿久は「いや良くないだろ」と恨みが増しい視線をぶつけるが、


「ではわたしから! 始めますね!」


 と言って、完全に無かった事にした。

 話し出そうとする久遠から目を移し、阿久は手首をぶらぶらと揺らしてみる。多少の痛みはあるが、動きに支障はない。あとでアルラに軽く治してもらえば、医者に行く必要もないだろう。

 久遠の声を流しつつ、肘をついて白い天井を眺めた。

 本当にこの廊下は、シミ一つない。ここまで小奇麗だと病的だな。

 そんなことを思っていると、久遠が阿久のこめかみにグリグリと、抜刀した鉈を押し付けてきた。


「聞く気、あるんですか?」


 笑顔でそう言った久遠の眉間は、心なしか青筋が浮いて痙攣しているように思う。つり上がった口の端も、ぴくぴくと引きつっていた。


「一人語りなら勝手にやってくれ」


「あなたがそういう態度なら、わたしもあなたの問いには応えません」


 それは、困る。

 正直他の使徒たちに話を聞いてもいいのだが、彼らが客人である阿久にほいほいと教会トップの存在のことを口にするとは思えない。久遠が相手なら、あの時助けた恩を売ればなんとか答えるだろう。

 もし渋っても、「お前に義の心はないのか」とかそういうことを言えば答えるのではないかと踏んでいる。

 ――仕方ない。

 ため息をついて、聞いてやると阿久は言った。

 初めからそうすればいいのです。どこか勝ち誇ったような笑みを向けて、久遠はまた鼻を鳴らした。

 本当にムカつくな、この女。

 しばらく笑みでいた久遠は、次第に笑みを崩し、目を伏せて語り始めた。


「その、なんというか。正直そろそろ鬱陶しいと思うのですが、まずは謝罪を。申し訳ありませんでした」


「おう、鬱陶しい。はやく終わらせろ」


「~~~~~~~~ッ!」


 水を差してやると、鉈を振りかぶって涙目で睨み付けてきたので、舌打ちしながらも「聞いてるよ」と言った。

 少し間をおいて、久遠は鉈をしまい、ため息をついた。

 話しますねと念を押す久遠に、「おう」とだけ返す。


「わたしは、本当に自分しか見えていなかった。あなたは、わたしと戦いたくないと言ったのに。……自分のことしか見えていなかったから、あなたの大切な人を目の前で失わせてしまった」


 大切な人を失う悲しみを、わたしは知っていたはずなのですが。

 呟いて、自嘲気味に、久遠は笑った。

 別に久遠のことはどうでもいい。どうでもいいけれど、……けれど、彼女にそんな表情は、どうにも似合わない。

 なんだか調子が狂うと、思った。


「だから、本当に、申し訳ありませんでした」


 久遠は深々と、阿久に頭を下げた。

 阿久は頬杖をついたまま、彼女を見る。


「頭、あげろよ」


「……ですが。これは、許されることでは……」


 だったら、永遠にこのままでいるつもりなのだろうか。

 それでも構わないが、マリアのことだけは話してもらいたい。

 適当に励ましておくかと結論する。もっとも、阿久は気の利いた言葉など言えないだろうが。


「俺には俺の生き方がある。お前には、お前の生き方がある。その結果がどうとか、過程がどうとか、そんなのは所詮、自分たちの都合でしかないんだ。俺は守ろうと思ったヤツを守れなかった、お前は倒したかったヤツを倒した、それだけだ。その結果はお前だけのものではないし、起こった事象総てを、お前が起こしたわけじゃない。お前だけが気負うことはないだろ」


 確かにあの時、久遠と戦っていなければ、かえでは生きていたかもしれない。

 けれど、その後はどうだろう。

 どこかで阿久は、ウォルターと遭遇していたかもしれない。であれば、果たしてその時に阿久はかえでを守ることができたのだろうか。答えはおそらく、否である。

 ウォルターの存在密度は、並みではなかった。あの《天使の片翼》とやらがなければ、おそらく勝ち目などなかった。

 けれど、今。阿久はこうして、生きている。第七真祖を破って、此処に居る。

 かえでが死んだということは決して褒められたことではないし、満足できる結果でもない。けれど第七を破ったという本来成し遂げられないような十分以上の結果もまた、此処にある。

 もしかえでが死なず、阿久が怒りを覚えることなくウォルターと対峙していたのなら、きっと阿久は死んでいた。

 守ると誓ったもの総てを、失っていた。

 だけど今は、“心臓”が此処に在る。まだ、総てを失ってはいない。


「守れなかったのは、単に俺の力不足が原因だ。だから、頭をあげろ。第七を破った、お前はそのことを誇ればいい」


 不思議そうな様子で、おそるおそる久遠は顔をあげた。

 その瞳は、「怒らないのですか」という、悪いことをした子供のようなものだった。

 なんだか目を合わせ辛くて、阿久は天井を見た。


「お前、吸血鬼を駆逐するんだろ。だったら、こんなことで悩むなよ。悩んでる暇があるなら、自分の目的のために、鍛えるなり傷を癒すなりすればいい」


 阿久が言い終えて、久遠を見てみると、口を開いたまま呆けていた。

 バカみたいな顔だった。

 しばらくその顔を続けた後に、ハッと口を両手で抑えてポツリと。


「……あなたは、優しいですね」


 そう、呟いた。

 けれど阿久は、聞こえなかったことにして。


「とりあえず、俺の番でいいか」


 そもそもの目的を達成しようと、口を開く。


「あ、はい!」


 呆けた表情をキリリと引き締めて、なんなりと、といった様子で久遠は背筋を伸ばし、ピシリと姿勢を整えた。


「いつでも、どうぞ!」


「簡潔に言ってくれ。マリアって誰だ」


「教会のトップです」


 それはもう本当に単刀直入に答えてくれて、それは既に知ってる事柄であるし、簡潔すぎた結果むしろ全く理解できず、会話が通じないのだなと思って、誠にありがとうございましたと言葉を切り上げる他ないと思った。

 けれど他に聞ける者が居ないので、阿久は粘ることにした。


「それはわかる。どんなヤツだ」


 それを問うと、「うーん」と久遠は顎に手を添えた。


「わたしにはよくわかりませんね。そもそも、あの人の姿は誰も見たことがない」


 ――誰も見たことが、ない?


「どういうことだ」


「そもそも、マリア様と面会できるのは、コーネリア様だけですから。コーネリア様がマリア様の予言の声を聞き、その声をコーネリア様が伝える。そうしてこの教会は成り立っているので」


「……へぇ。そりゃまた、妙な組織だな」


「そうですか? 吸血鬼にマリア様が襲われるリスクを考えれば、妥当だと思いますが」


「……なるほど」


 そこまで考えてはいなかった。

 阿久はもともと、人と関わることを避けてきた。だから、人の組織とも関わることが少なかった。

 自分には組織の事などまるで分らないな、と阿久が心中思ったときに。

 目の前を、二人の男が歩いていった。

 会話の内容を阿久はほとんど聞いてはいなかったが、『鬼神』、『老害』、『カミナリジジイ』などと、あまり快いものではないワードがちらほらと聞えた。

 自分には関係ないな、と思っていると、隣に座っていた女は「すみません」と阿久に一言告げて、彼らの方へ歩いていった。


「あなたたち、そういう言い方はないでしょう」


 何をするのかと思えば、久遠は男二人の会話に文句を付けに行ったらしい。

 会話の流れから察するに、『エリアス』とかいうジジイの文句を二人の男が言い合っていたところを、耳ざとく聞きつけた久遠が突入し、「悪口は止めろ」と人間道徳を説いているらしかった。

 陰口など、好きにさせればいいだろうと阿久は思う。

 陰口を言うものは、どこへ行っても陰口を言う。そういうものなのだ。

 だから彼らに陰口をやめろと言ったところで、今度は止めたそいつが陰口を言われるだけだ。

 久遠らの様子を見ていた阿久の前を、今度は一人の老人が通った。

 彼は足が悪いのか、杖を突いている。たまにふらふらとよろめき、危なっかしさを感じた。もちろん、手助けなど阿久がするわけもないが。けれど、その腰には確かに、刀――それも、日本刀と呼べる類の刃物がぶら下がっていた。

 阿久は、いつかの久遠の言葉を思い出す。


『名は、『霞ノ葉』。『エリアス・リッケンバッカー』という剣士から奪った、我流の奥義です――』

『エリアスは日本古武術、柳生新陰流一刀が最も己の身に合うと述べていましたが――』


 この老人が、もしやエリアス・リッケンバッカーではないだろうか。

 皆が聖職者を思わせる修道着を着る中で、唯一着物を着て刀をぶら下げた厳格な雰囲気の老人。その視線は小動物など睨み殺せそうである。彼からは外国人とは思えない、『剣士』『武士』を思わせる独特のオーラとでもいえるべきものが漂っていた。


「どうした、己ら。一体何を口論しておるか」


 問いかけた老人に、男たちは「げ」という顔をした。

 頼むから余計なことはいうなよ、と久遠に念を送る男たちであったが、その甲斐空しく、「エリアス。彼らがあなたの悪口をですね」と単刀直入に述べていた。

 ――あいつが、エリアス。エリアス・リッケンバッカーか。

 なるほど確かに、腰に携えた一刀で敵を切り伏せることができそうな老人ではあるが……しかし、それだけか。長年培われてきた阿久の目には、どうもそれだけとは思えない。

 何故か、彼が使う杖が気になった。


「なんぞ、お主ら儂に陰口か。なに、文句があるなら儂に直接言えばよいわ。それが正しいことならば、儂もこの年で起こした間違いを恥じ、しかと事実を受け止めようぞ」


 もっとも。

 老人は、細い目を更に細めた。


「己の怠慢、己の力不足の言い訳に他者の陰口を叩くなどは、言語道断と存ずる。かような不徳の(やから)は此処で斬り捨てても良しと考えるのだが――如何に?」


 声が、低い。

 自分は間違ってはいない。自分は正しい。正義は我に在り。

 老人――エリアスからは、そういった意志が見えていた。

 阿久が聞いた限りでは、先の男たちの会話は、己の怠慢を正当化する類の陰口であった。だからこそ、男たちは本当に切り伏せられると怯え、何も言えなかった。


「面と向かって言えぬ陰口ならば、叩くでないわ」


 大きな睨みを聞かせた老人に、男たちは完全に委縮した。老人よりも高い丈を縮こまらせて、老人が一歩踏み出す度にビクリと震え、こうべを垂れていた。

 老人が去った後、しばらく沈黙が流れる。

 エリアス・リッケンバッカーか。いつか戦うことになるかもしれない相手だが、できれば敵に回したくないと思いながら、阿久はその場を去ろうとすると、久遠が後ろから駆けてきた。


「何処に行くのですか、阿久」


「部屋に戻ろうとな」


 阿久が歩き出そうとすると――。


 ジリリリリリリリリリリリ。


 突如、大きな警報が鳴らされ、白い壁が赤いライトによって真紅に染まる。


「おい、久遠。こりゃなんだ」


「……わかりません。何が起きているのか。この教会が設立されて以降、このサイレンが鳴らされたことはないはずなのですが――」


 そこまで言って、久遠はこの警報の意味、そしておかれた状況を整理し、結論を導き出す。


「――まさか、“ユダ”が――」


 久遠が呟くとほぼ同時、赤に染まった廊下を修道着の者たちがそれぞれの部屋から飛び出し、廊下を駆け回った。

 久遠もまた、どこかしらへ向かおうとするが、それを制止するかのように、阿久と久遠の前に一人の女性が現れた。

 年は三十ほど、身長は久遠より高いが、阿久よりは低い。柔らかな母性を感じさせる視線に、豊満な胸。知的なメガネに、口元の小さなホクロが特徴的な女性である。


「久遠、こんなところにいたのね」


 嫌な人に出くわしたと、久遠は口をへの字に曲げる。


「ソフィア……あなた、玄道の看病はどうしたのですか」


 久遠の問いに「聞かなくてもわかるでしょ」と、ため息交じりに警報を鳴らすランプを指して、ソフィアと呼ばれた女性が言った。


「それより久遠、あなたの方こそ、こんなところでどうしたのかしら。あなたは怪我人よ、この警報が鳴った以上、怪我人は速やかに己の部屋へ戻るべきでしょう」


「それは、そうなのですが……」


 俯く久遠に、ソフィアの視線が鋭くなった。


「もしかしてと思うけど。あなた、その傷で「わたしも戦う」とでもい言うつもりなのかしら」


 ソフィアの言葉が図星だったのか、久遠はウッと奇妙な声を出した。


「ダメよ。怪我人の出る幕ではないわ」


「ですが、わたしは――」


「――久遠。あなた、一つ忘れているわ。誰のせいで、キャロラインが死んだのか。誰のせいで、今、玄道がたくさんの注射針に囲まれながら、わたしに看病されているのか」


「それ、は……」


 歯を食いしばって床に目を落とした久遠の頭に、ソフィアはポンと手を置いた。


「大丈夫、ここはわたしたちが守るから。だから信じて待っていて、ね?」


 片目を閉じてウインクするソフィアの表情は、まるで子供を嗜める親のそれだ。先の鋭い視線とは、打って変わったものだった。


「わかり……ました。わたし程度の者が、余計な口を出して申し訳ない」


「ううん、いいのよ。帰ってきたら、また一緒に食事にでも行きましょう」


 それだけ言って、ソフィアもまた、他の修道着を着た者たちと共に小走りで去っていった。

 たまに困惑している者に「大丈夫」と諭しながら去っていく後姿を見て、阿久は本当に、彼女は母親のようだと思った。

 裏では、皆からお母さんやママと呼ばれているに違いない。


「……そういうわけです、阿久。悔しいですが、わたしたちは部屋に戻りましょう」


「俺は最初からそのつもりだったけどな」


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