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悪なるミタマ  作者: 九尾
第一幕 序章編
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南かえで

 ――なぁ、知っているか。“吸血鬼喰い”の噂を。


 ――ああ、最近ネットで評判のアレね。聞いたことはあるけど、実際どうなの。


 ――ってか、“吸血鬼喰い”ってなに? 吸血鬼じゃなくて?


 ――ああ、“吸血鬼喰い”だ。なんでも、吸血鬼を喰らう吸血鬼だとか。


 ――そりゃ聞けばわかるって。そういうことじゃなくてさぁ。そもそも吸血鬼なんてのが存在するのかって話っしょ。


 ――日本は知らねぇけど、ほら、大英連合にはいるとかなんとか……。



 そんな高校生たちの会話を小耳にはさみながら、すっと、男は手を伸ばした。

 近所のコンビニエンスストア。時刻は一九時頃。

 そろそろ小腹が空いたと思い、適当に街をぶらついて、たまたま目にしたコンビニへ足を運び、そして出た。

 レジには並ばなかった。けれど、その手には栄養調整食品。

 外は曇り。雨でも降りだしそうな天気である。太陽など欠片も見えず、湿気が凄い。

 嫌な天気だと空から地上に目を戻した時、肩が近くを歩いていた誰かとぶつかった。

 男の歩く歩道は、五人ほどの人間が横一列に並べそうな道幅だ。しかし、この歩道を歩く者は五人やそこらでなく、数百人単位。これでは、広いように思える道が狭く感じることも致し方ないか。

 此処は帝都(ていと)

 日本国最大の都市。その(つき)区画。今では使われていないモノも多いが――超がつくほどの高層ビルが立ち並び、そしてあまりの人口密度により、車よりも電車、自転車よりも人が行き来する、その公道の一つ。

 都市部となれば、どれだけ広い道でも狭くなる。肩がぶつかってしまうのも仕方がない。

 肩をぶつけた男――中年のサラリーマンだろうか――が謝罪の無い男に目を向け、眉間に皺を寄せた。

 ぶつかったことを謝罪の代わり、男が睨む。

 すると肩を震わせて、素知らぬ顔で、中年の男はそそくさと歩き去って行った。

 その後姿を見送って鼻を鳴らすと、男は、先ほどコンビニからいただいた食品を口へ運ぶ。


「……マズ」


 相も変わらず、クッキーを柔らかくしたような触感と味。口の中の唾液が奪われる。どうせなら飲み物も一緒に盗っておけば良かったかと後悔する。

 食品を盗ったことに、罪悪感はない。

 謝らなかったことに、罪悪感はない。

 もし仮に、この男が人を殺したとして。

 もし仮に、男の行動が全世界から否定されたとして。間違っていると、謝罪を行えと糾弾されたとして。それでも。

 それでもこの男は、罪悪感など抱くことは無いだろう。

 この男の名は、久世原阿久(くぜはらあく)

 情の心は無い。道徳など知らない。他者を思いやることなどは論外だ。故に、彼の“心臓(ココロ)”は、壊れているのかもしれない。

 見上げれば曇りきった空。雨が、降りそうだった。


        ☆


 久世原阿久(くぜはらあく)は、夜の帝都を歩いていた。

 帝都、月区画。

 帝都の闇は深い。特に、月区画は。

 これは、誰かが残した言葉だ。

 それはただ単に、暗いということではなく。人の心の闇のことも指しているのであろう。

 それほど、夜の月区画は治安が悪い。

 おそらく、立ち並ぶ建造物のために細い道が多いせいだろう。ここには、警察の目にとどかないような暗い場所などいくらでもある。

 現在、阿久が歩いている道も、どうやらその場所の一つであるようだった。


「――――」


 向かう先、路地裏から怒鳴り声が聞えた。

 声の主は、女。それも、若い。

 また複数の男の怒鳴り声も、それに連なるように聞こえてきた。どうやら、阿久の行く先では口論が起きているらしい。

 一度道を変えようかと思ったが、ここで道を変えてしまうと、大きく戻らなければならなくなる。それは面倒だ。

 この先で喧嘩が起きようが、戦争が起きようが、地獄が現れようが。戻ることのほうが、億劫だ。

 何も起こらないことを神に祈り、先へ進んだ阿久。その目には、やめろと叫びながらも、複数の男たちに無理やり服を剥かれている少女の姿。

 少女の服装からして、近所の高校生か。スカートの丈や、茶色く染まったセミロングの頭髪を見るに、それほど素行が良くない生徒のようだ。もっとも、素行が良ければ、こんな時間に夜の街など歩くことは無いだろうが。

 こりゃあ、犯されるのも時間の問題だな。とだけ思って、先へ進もうとする。

 すると、少女が阿久に気が付いた。運悪く、目があった。

 助けて、助けて。

 ひたすらに、叫ぶ。

 おいおいよく考えろと、阿久は心の中でぼやいた。

 この状況で助けるということは、阿久に男数人を相手に喧嘩しろと言っているようなものだ。下手をしたら今の少女よりもひどい目に合うかもしれないというのに、少女は阿久に助けを求めるのだ。

 自分の一時の利益しか考えず、少女は助けを求める。

 もし阿久が喧嘩に勝ったとして、男たちから少女を助けたとして。その阿久に犯されるという可能性を考えないまま、助けを求める。

 世の中、何も考えないやつらばかりだな、と、自分にも当てはまる自虐の言葉を、心の中で呟いた。

 同時、こんな奴らとの関わりはごめん被りたい、と思う。

 神さまお願い、どうかこんな奴らとの関わりのない人生をお願いします。

 阿久は祈って、少女から目を逸らそうとした時だった。


「……んだよ」


 少女の衣服に手をかけていた男の一人が、阿久に目を向けた。

 阿久は何も言ってない。


「何見てんだよ」


 お前のことは見てない。心の中で嘆息した。

 ――ああ、早速俺の祈りを裏切ったな、神さまよ。

 もっとも、阿久は特定の神はおろか、日本の八百万の神すら信仰していないのだが。

 ぞろぞろと、男たちの視線は少女から阿久に向けられる。

 面倒事に巻き込まれる前に移動しようと歩き出すと、駆けてきた男が目の前の道を塞いだ。


「……通行の邪魔だ、退()いてくれ」


 阿久が言う。

 それを見て、阿久を囲んだ男たち――数は四人――は笑い出した。

 ――ああ、その目だ。その目。

 侮蔑、嘲り。それらを含んだ、悪意の目。

 その目は、気に喰わない。

 今も、昔も。

 何もしないで、帰るつもりだったのに。数発殴って相手の気が済むのなら、そのまま許してやろうと思っていたのに。どうにも神さまは、阿久のことが嫌いらしい。

 ポケットから手を出して、阿久は殴った。正面の男の顔面を、欠片の容赦もなく。

 くぐもった声をだし、男は鼻を抑えてうずくまった。ボタボタと、コンクリートに赤い雫が垂れる。

 感触からして、おそらく折れた。

 だが、構わない。邪魔をしたコイツが悪い。蹲った男の脇腹を蹴りつけて、横に転がした。

 悲鳴を上げた。

 相応の報いだ。害される覚悟もないくせに、害する側へと立とうとした弱者の末路だ。


「この野郎!」


 阿久を囲んでいた男のうち、二人が阿久に殴りかかる。

 華麗に躱した阿久は、一人の頭を掴み、もう一人の顔面へぶつけた。頭をぶつけられた男はよろめき、コンクリートの壁で側頭部を打つ。そこに、阿久は掴んだままの頭をぶつけた。

 鈍い音がした。再度ぶつけた。今度は、口元を狙って頭をぶつけた。咳き込んだ声と共に、多量の血液と共に白いカルシウムの塊がコンクリートに落ちるのが見えた。再度ぶつけた。今度は、頭を狙った。ごめんと、悪かったと、声が聞えた。再度ぶつけた。鈍い音が繰り返される。

 情けはない。容赦もない。そんなものは不要だ、意味がない。

 同情で、自分の身は守れない。暴力に対するは、それを超えた暴力のみだと、阿久は身を以て知っている。

 幾度も頭部をぶつけられた男の頭を阿久が離す。涙と鼻水と、頭部から流れる血が汚く入り混じった顔で、アスファルトにキスをしていた。おそらく、血の味がしたことだろう。

 三人の男を倒した阿久は、残った男を見る。


「邪魔だ」


 退いてくれとか、頼むのもバカバカしい。退かなければ、殴る。その意を込めて、端的に一言のみ告げた。

 男は震えているようだ、可哀相に。動きたくても動けないらしい。

 ――だが、邪魔なものは邪魔なのだ。退()かなければ、退かすのみ。

 阿久は殴った。

 やはり情けはなく。やはり容赦はなく。躊躇すら見せず、阿久は男を殴って退かした。

 無駄に時間をくった。少女に目を付けられたのが運のつき、だったろうか。次からは強姦現場に居合わせても、誰にも目を合わせないようにしようと思い、阿久は先へ進む。

 ある程度進み、男たちの姿が物陰に消えたあたりで、声をかけられた。


「あなた、強いんだね」


 先ほど強姦されそうになっていた少女だった。


「助けてくれて、ありがと」


 無視した。

 無視したまま歩き続けても、「ねぇ」「聞いてる?」「ねえってば」と、何度も繰り返し話しかけて来る。


「話、聞いてよ」


 無視を決め込んでいたのだが、少女は最後には、阿久の前に立ちはだかった。

 (わずら)わしいと、思う。


「あの男たちのようになりたいか」


 冗談ではない。阿久は、本気でそう言った。


「殴ってもいい。ただ、話だけは聞いてもらうから」


 彼女もまた、冗談などではなかった。

 この目は、何を言っても止まらない目だ。それでありながら、殴られることを覚悟している眼。何が彼女をそこまで掻き立てるのかはわからない。興味もない。けれど、無視をしても意味がないことだけはわかった。


「……聞いてやる。言ってみろ」


 渋々と、問う。


「まずは、助けてくれて、ありがと」


「それはもう聞いた」


「……うん」


 話は終わりだと言わんばかりに、阿久は少女の脇を抜けて歩き出す。

 軽い駆け足のような形で、少女は阿久の隣に並んた。


「あのさ、お願いがあるの」


「助けてもらった上に、要求があるのか」


「それは……申し訳ないけど。けど、あなたみたいな強い人にしか頼めないから」


「どうしてだ」


 しばらく歩いて、曲がりくねった細道を通り。たまに大通りを出て、人ごみに紛れて。それでも阿久を見失わないようについて来た少女が、言った。


「寝床が、欲しいの」


 ハッと、阿久は鼻で笑う。


「調子乗んな。家に帰れ」


「家は……帰れなくなったから」


「だったらその辺の男誘って、ホテルにでも連れて行ってもらえよ」


 少女の服装を見る。

 改造された制服。破れて開けた胸元に、丈の短いスカート。客観的に見ても、男を誘っているようにしか見えない。これならば、身体目的で寄って来た男ぐらい釣れるだろう。

 もしかしたら寝床だけでなく、駄賃まではずんでくれるかもしれない。


「それは……」


 少女が唇を噛んだ。

 大きな目蓋が、初めて阿久から目を外す。

 彼女が次の言葉を考えるよりも先に、阿久はさっさと歩き出した。


「待って! 助けてほしいの!」


 そんな義理はない。

 止まらず、阿久は歩き続ける。


「あなたみたいな人じゃなきゃ、ダメなの!」


 知ったことか。他を当たれ。外れくじを引かなきゃいいな。


「狙われてるの、変な化け物に!」


 一瞬、阿久の足が止まる。

 ――化け物に、狙われている。彼女は確かに、そう言った。

 突然立ち止まった阿久の背中に、駆けてきた少女がぶつかった。転ぶ音がした。

 阿久は少女に振り返る。

 阿久はなんともなかったが、少女は阿久の背中に鼻をぶつけたらしい。赤くなった鼻を抑えて此方を見上げた。

 その視線は、天敵に遭遇した小動物を思わせる。

 これまで反応が無かった男が、唐突に立ち止まり、振り返ったのだ。それも、人気のない場所で。

 何をされるかわからない恐怖。

 怯える彼女とは対象に、初めて彼女に興味を示した阿久は、言った。


「――気が変わった。一日だけ泊めてやる」


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