偉大な母
北条久遠は、歩く。
一人で、歩く。
仲間はいない。現在教会は《第八》を追っているし、唯一の相棒であった大城玄道は、自分の勝手な行動のために倒れた。そして自分の勝手な行動のため、多くの人が死のうとしている。
久世原阿久に共闘を頼んだが、やはり断られた。当然だ、彼の守ろうとした少女を、わたしが殺したのと同義なのだから。
――ああ、後悔が残る。本当に、後悔ばかり。
あなたの言う通りだ、玄道。復讐なんて、本当にくだらない。
わたしはずっと、勘違いして生きてきた。本当に大事なのは、復讐なんかじゃなかった。
本当に、大切なのは――。
久遠は、玄道との会話を思い出す。
「久遠。復讐はやめろ」
――突然、なんですか。
「なあ、久遠。もう、復讐に生きるのはやめろ。目の前で婆さんを殺されて、復讐に燃えるのは分かる。お前はずっと一途だった。一途に、ウォルターを追っていた。でもな、もうそれも、今日までにしろ」
――どうしてですか。復讐が、そんなにいけませんか。
「悪いとは言わん。復讐を糧に戦う使徒は、エリアス・リッケンバッカーを筆頭に、多くいる。だがな、お前は、大切なことを忘れているぞ」
――大切なこと、ですか。
「お前、覚えているか。婆さんがいつもお前に教えていた言葉を」
――いえ、覚えていません。
「……そうか。
婆さんはな、復讐が下らんものだといっていた。復讐ばかりの人生は、結局最後に何も残らず、振り返っても、そんな人生はつまらないといっていた。
だから、だろうな。常日頃、後悔しない人生を送りなさい、人生は最後、笑って死になさいと言っていたよ。俺にも、他の使徒にも、みんなに、そう言って回っていた。
当然、お前にも言っていたはずだ」
――それ、は……。
「なぁ、久遠。後悔しない人生を生きろ。そして、笑って死ね。復讐なんかしなくていい。笑っているだけでいいんだ。それが、お前だけができる、あの人への恩返しなんだ――」
――後悔しない人生を生きろ。
――そして、笑って死ね。
久遠の脳裏には、かつての記憶が蘇る。
あの時の出来事はとても鮮烈で、今でもよく覚えている。
師として、そして弟子として、最後の吸血鬼討伐の命を受けたあの日。
キャロラインは、足手まといの弟子など放っておけばよかったのに、弟子――久遠を庇い、ウォルターの鎌鼬をその身に受けたのだ。そして彼女は、問うた。
「怪我はないかい、久遠」
久遠は頷いた。
本当に怪我はなかった。それよりも心配だったのは、彼女の身体だ。
溢れる血液は見るからに致死量。誰が見ても助からない。なのに、彼女は。
――よかった。
最後に、笑った。
笑って、死んだ。
ねぇ、キャロライン。あのときあなたは、どうして笑ったの。
痛いのに、苦しいのに、死んでしまうのに。
――どうして、笑ったの?
その意味が。
彼女の笑顔の、その訳が。
「ごめんなさい、キャロライン……」
玄道に言われて。大きな過ちを犯して。今になって、ようやく理解できた。
自分を育ててくれた恩師は、久遠に復讐などは望んでいなかった。ただ、己の信じる道を生きろと言った、自分の後悔しない道を生きろと言った。
ようやく。ようやく、その意味を理解して。
彼女は、ウォルターと戦う決意をした。
復讐の為ではなく。自分の為ではなく。
己の信じる、正義のために。
本当に大切なことは、これなのだ。
復讐ではない、己の正義を信じ、貫くことであったのだ。後悔しない生き方で、最後に笑うことなのだ。
「そして、ありがとう」
これまで本当に、育ててくれてありがとう。助けてくれてありがとう。戦い方を教えてくれた。勉強を教えてくれた。この二本の鉈をくれて。素敵な名前をくれて。
そして何より、こんなわたしを愛してくれた。どうしたって感謝しきれないほどに、愛してくれた。
あなたがいたから、北条久遠は此処に居る。
だから、わたしは。あなたの子として、恥じない人間になるよ。
胸を張って、笑えるような大人になるよ。胸を張って、笑って死ねる人生を送るよ。
――あなたのように。
だから、だから――。
「見ていてください、お母さん――」




