乱入者
「チィ、なかなかどうして、上手くはいかねぇな」
「これでも全力のつもりなのですが、しかし」
――決定打には、なりえない。
阿久の腕は久遠の肉体に、いくつも切り傷を作った。
対する久遠もまた、阿久の肉体に細かな線を入れていく。
しかし、それまで。
あろうことか、二者の実力はほぼほぼ拮抗しており、どちらの攻撃も決定打にはなりえない。
いや、それは違うか。
“いい加減、覚悟を決めなさい、阿久”
幾度となく切り結び、最後に一撃。その衝撃に、互いが後方へ弾かれた。
崩れた体制を整えた阿久に、“心臓”の叱咤がかかる。
“いつまで相手の攻撃を受けているつもりなの。このままでは押し切られるわ、殺すつもりで斬りなさい”
殺すつもりで、やっている。
ああ、そうとも。殺すつもりでやっている。
けれど、けれど。
――阿久は、優しいね。
かえでの言葉が離れない。
守りたいと、思った。その笑顔を。
初めは、こんなにもかえでが大切になるとは思わなかった。こんなにも、守りたいと思うとは考えなかった。けれど今は、知ってしまった。
久世原阿久は、人の心を持っていた。
それは“心臓”の影響なのかどうかは知らない。ただ、少なくとも、迷いがあった。
戦い以外で、彼女とのけりをつける手段はないか。
どうにか和解し、今だけでも退くことはできないか。
かえでのように、心を通じることはできないか――。
甘い、甘い、本当に甘い。
ああ、わかってる。そんなことは分かってる。
俺は悪だ。俺は邪悪だ。既に幾人もの吸血鬼を喰らい、葬り、お前ら総て俺の家畜だと、お前ら総て俺に喰い潰されるだけの存在だと、この手で喰い潰してきた。
なのに、どうして今更。
こんなにも、殺すことを迷うのか――。
ドンと、心臓に衝撃。
呼吸が止まり、後方へ吹き飛んだ。
「が――ッ」
どうやら、鳩尾の辺りに一発、蹴りを撃ち込まれたようだった。
無様に路上に転がり、倒れこんだ。
斧の右手を杖代わりに、立ちあがる。
「いい加減、本気を出したらどうですか。言ったはずです、わたしは仕合いが好みと。虫も殺せないような剣筋で、わたしの首が取れるとお思いか」
心なしか、眼前の彼女だけでなく、“心臓”もまた、同じ視線を阿久に向けている気がした。
「うるせぇ、俺の勝手だろ」
そうですか。ええ確かに、その通り。
呟いた久遠は、鉈を振りかぶり。
「では、さようなら」
振り下ろそうとした瞬間、その場を悲鳴が切り裂いた。
「――――」
「――――」
阿久は即座に、悲鳴の方向――背後を向く。
久遠もまた、阿久の奥――悲鳴の主を見た。
「ああ、うん。この味はなかなか悪くない。こんな時間まで腹を空かせたかいがあったよ」
ぽたぽたと口から血を流し。
「あーあ。こりゃ『南』の家はもう使えないなぁ。せっかくいい隠れ蓑になると思ったのに、すぐ教会に見つかるんだもんなぁー。わざわざ『カイシャ』や『ガッコ』に電話して、偽装までしたのに。ぼくも大概、運が悪いや」
悲鳴の主――血の気が失せて、完全に青くなった少女の身体を引きずって。
「やぁ、キミたち。こんばんは。本日はお日柄もよく……うん、ニホンの挨拶はよくわからないから、どうでもいいや。良い夜だね、お二人さん」
口を三日月に歪ませた少年は、笑った。
――ドクンと、心臓が跳ねた。
それは、一体、どうしてか。
聞いてもアルラは、応えない。
震える。わかる、これは畏怖の類だ。怖い、震える、とまれ、震えよとまれ。なのにどうして、思い通りにいかなくて。
――怖い。
阿久はこの少年が、怖い。
「お……お前は……」
先ほどまで「吸血鬼は殺す」と吠えていたあの女ですら、見ろ。身体が震えているのが目に見えて分かるほど。
――異常だ。
異常だ、あり得ない。この世のものではない。
尋常ならざる神気――否、この場合は悪気とでもいうのか。
悪を名乗っていた自分でさえもが小物に見えて、かすむほど高密度な悪。
これは、邪悪だ。存在そのものが悪なるものだ。
そして。
――さわらぬ神に、タタリなし。
絶対に、関わってはならない“モノ”だ。
「お前は――《第七》ッ!」
これまでにないほど声をあげて、久遠が叫んだ。
第七。それが表す言葉の意味を、阿久は知っている。
曰く、鎌鼬の如く人を切り裂くという。
曰く、通り魔の如く無差別に斬るという。
そこからつけられた異名は、《鎌鼬》。
――第七真祖。ジャック・ウォルター。
この世界に存在する九人の真祖、その一人。
真祖の数字は、真祖ごとのおおよそ強さを分類されているため、彼は上から数えて七番目の強さを持つ真祖ということになる。
なのに、それなのに。
こいつが持つ圧倒的な存在感、圧倒的密度はなんなのか。
こんな化け物が、世界に九人はいるという。こんな化け物が、まだ七番目だという。こんな化け物が、こんな化け物が、こんな化け物が――。
――阿久が敵に回そうとした“もの”だというのか。
でたらめだ。法外に過ぎる。
戦う前からこの威圧。これが、第一世代。これが、真祖。
こんな化け物相手に、戦いなんて出来るわけが――。
「ウォルタァァァァ――――ッ!」
阿久の横を、久遠が駆けた。
両刀を水平に構え、真祖へ駆ける。
「ずっとお前を待っていた! ずっとお前を探していた! ようやく見つけたぞウォルター! お前を殺すために、お前を否定するために、わたしはこの数年間、どれほど――」
おそらく彼女は、阿久に対して本気ではなかったのだろう。
更なる加速をもって、第七真祖ウォルターへとその刃を走らせる。
「んーと、……誰キミ」
本当に興味がなさそうに耳をほじり、耳垢をふっと吹き飛ばしたウォルターは。
「まぁ、どうでも良いからさ。退いてくれない?」
鉈で斬りつける前に、久遠の肉体は腕の一振りによって吹き飛んだ。
それは、もう。止まった蠅を、人がハエタタキか何かで払うが如く。
苦戦だとか、争いだとか、そういった次元ですらなく。
邪魔だから、どかした。
それ以上でも以下でもない現実に、阿久は震えた。
とことこ、ずりずり。
まるでスキップでもするかのように阿久の前に現れたウォルターは、ねぇねぇと、無邪気に語り掛ける。
「そんなに怯えないでよ、《花婿》。ぼくは別に、キミを取って食おうというわけじゃない。食事はもう終わっちゃったしね」
ぽいと、手に持った少女を阿久の前に投げた。
「さっきの戦い見てたんだけどさ、そりゃまあ無様なものだった。でもさでもさ、オオダイラに一発くれたキミの実力は、あんなもんじゃないだろう? だから、いいよ。その女の血を吸いなよ。そうすれば、キミはきっと、本当の実力を発揮してくれるよね」
無邪気な笑みで、彼は阿久にそういった。




