戦闘開始
「帰りてぇ……」
思わず阿久は、その拳を強く握っていた。
雑魚の処理で終わると思っていたら、まさかこんな化け物が紛れていようとは。
「エリアスは日本古武術、柳生新陰流一刀が最も己の身に合うと述べていましたが、わたしは違う。剣術も『霞ノ葉』しか知りませんし、そもそも繊細な仕事に向いていません。だから、わたしの目指した戦い方は――」
右手に持った、大きな鉈。
そして更に、左手を背中に回して取り出すは。
「ただ押し潰すことのみを追求した、圧倒的な暴力です」
もう一本の、鉈。
鉈でも刃と数えるのか知らないが、とにかく。こいつは――二刀使いか。
一刀でも厄介なのに、それが二刀。どちらも必殺、どちらも脅威。
人に扱えるとは思えない凶器を二本とは、本当に。
これは一体、何の冗談だ。
まるで小さな包丁でも振り回すかのように、宙でくるくると鉈を回した女は、サーカスの道化師のように軽々と空中でその手に掴む。
「なんつー、怪力……」
とても、人のものとは思えない。
先の吸血鬼かくもあらんという加速にも驚かされたが、これはなんというか、もう。目の前の相手は、人と思わない方がよさそうだ。
「しかし、わたしに二刀を抜かせた吸血鬼はあなたが初めてです。流石、真祖に近い忌能を持つだけのことはある。――名前を聞いてもよろしいか」
初めて、女は阿久に“視線”を向けたように思う。
これまでのものはおそらく、彼女にとって挨拶のようなものなのだろう。その挨拶を受けてようやく、彼女の相手が務まると認められる。
「名前を聞く時は、自分からだろう。そんな礼儀も知らないか」
阿久が言うと、「失礼」と女は頭を下げた。
「わたしは《教会》……ああ、詳しい組織名は秘匿のため明かせませんが、俗語としてそう呼ばれています。その教会の使徒、すなわち狩人。名は――」
――北条 久遠。
「へぇ、久遠ね。中々悪くない名前だ。親に感謝するといい」
「それはどうも。言われずとも感謝していますよ、あの偉大な母には。それはそうと、此方は名乗りました。あなたの名を教えてほしい」
この女――北条久遠。
あまり気の長いほうではないようだ。
「俺は無職、バックの組織は何もない。完全孤立の吸血鬼喰い、久世原阿久だ」
「久世原阿久。悪くない名です」
「そりゃどーも。名前に免じて、今日は見逃してくれねーか」
「此処であったが百年目、と言いますし」
「俺もお前も、長年相手を求めるような年じゃないだろ」
「わたしは求めている相手がいますよ。もっとも、その相手はあなたではありませんが」
だったら尚更、逃がしてくれてもいいだろう。
ぼやきたかったが、言ったところで逃がさないと言われるのがオチだ。
いい加減、腹をくくるしかあるまい。
「――行くぞ、アルラ」
“ええ。行きましょう。こんなところでは終われない”
右腕が、変化する。それは鋭く重い、斧のようなものだった。
本来の腕の質量を遥かに超えた重量。超重量の鉈を相手するなら、此方もやはり重量で。
目には目を、歯には歯を。重量武器にはやはり、重量武器を。
「いい覚悟です。では」
始めましょうか。
言うが早いか、久遠が駆けた。
その加速はやはり、先の加速に匹敵するまでの凄まじい加速。
惜しみなく加速するあたり、彼女のいった「押し潰すことのみを追求した圧倒的暴力」とは、全力を以て押し潰すと、言葉の意味通り単純明快なものらしい。
そして阿久の攻撃様式もまた同様。
――二者は此処に、激突する。