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悪なるミタマ  作者: 九尾
第二幕 ウォルター編
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小手試し

「待て。俺に戦う意志はない」


 阿久は、かえでを庇うように前に出る。

 しかし女は、やはり笑みを崩さない。


「それはとても、残念です。わたしとしては、一方的な虐殺は好みません。むしろそちらよりも、仕合(しあ)いの方が好みなのですが……致し方ありません、ここは我慢いたしましょう。ああ、ちなみに、この場合の仕合いは、殺し合いを指すものですが」


 我慢をすると言ったが、どうみても、戦いを我慢する顔ではない。


“くだらない補足説明、とても助かるわ”


 焦りを感じる阿久とは対象に、“心臓”は冷静だった。


「皮肉言ってる場合か」


 すっと、歩みを止めた女は、自分の太ももに手を這わせた。

 聖職者を思わせる修道服。そのスリットから露わになるのは、艶めかしい太ももだ。弾力の在る張り、玉のような美しい肌。それでありながら、どこか柔らかしさを感じさせる。

 阿久は、見とれた。

 否、正確には、見とれたのは彼女の太ももではなく。


人外(じんがい)は、死んでください」


 彼女の太ももに取り付けられた――拳銃である。

 手に在る拳銃、そして鉈。

 銃刀法違反、仕事をしてくれ、頼むから。

 阿久のツッコミも空しく、パンと、彼女の銃口が火を噴いた。


「――ッ!」


 背には、かえで。

 阿久はかえでを守らなければならないと知って拳銃を使ってきたのなら、この女は相当たちが悪い。


“阿久、この弾丸は――”


 此処まで来て、ようやくアルラの声に焦りが混じる。


「ああ、分かってる!」


 阿久は、アルラに向けて叫ぶ。

 発射された弾丸、その弾着地点は阿久の心臓だ。

 彼女との距離はおおよそ一〇数メートルと言ったところであるが、しかし弾丸は迷いなく阿久の心臓――それもそのちょうど真ん中に向かっている辺り、いい腕をしていると思う。

 阿久は心臓を庇うように、硬質化させた右掌を突き出した。

 ガギンと、鋼鉄がぶつかり合うような音。

 ――否、鋼が潰れる音か。

 阿久の掌に受け止められた弾丸が、ことりと落ちる。 

 彼女の放った弾丸がくしゃりと丸まっているところを見ると、うまく防御は成功したらしい。

 ほうと、女は感嘆の声を漏らす。


「腕の硬質化。先の背中からの牙。それらを見たところ、どうやらあなたの《忌能(カース)》は肉体の変身といったところでしょうが――しかし、それは真祖クラスの忌能ですね。なのに、わたしの知る限り、九人の真祖、そのどれにも該当しない。てっきり、《吸血鬼喰い》は《第九》の身内かと思っていたのですが……」


 ――何者ですか、あなた。

 女の目が、細まった。


 そも、忌能(カース)と呼ばれるものは、一部の吸血鬼にのみ許された異能である。

 真祖の二つ名は、この忌能に基づいて名付けられることが多い。

 そしてこの忌能の大本は、真祖、もしくは吸血鬼と人間の混血――ダンピールにしか存在しないとされている。

 つまり、第二世代以降の吸血鬼には、オリジナルの異能は存在しない。もし第二世代が異能を持つとしても、それは真祖の力が弱体化されたものであり、すなわち、それが『大本は真祖』という意味合いだ。

 久世原阿久の忌能は、どの真祖の忌能にも該当しない。

 これが表すことはすなわち、久世原阿久が《混血者(ダンピール)》、もしくは真祖(オリジナル)であることだ。


「何者ですか、といわれてもな。とっくにご存じなんだろ、俺は吸血鬼を喰らうもの――吸血鬼喰い(クルースニク)だ」


 弾丸を受け止めた右腕が、僅かに痺れる。

 あの状況では受け止めるしかなかったとはいえ、出来るならば避けておきたかった。


“初っ端のプレゼントにしては、上等じゃない”


 やはり感情を表さないまま、アルラは告げた。


 銀、という物質がある。

 英語で「silver」、元素記号「Ag」、原子番号47番、金属元素の一種によって構築される物質である。

 人間にとっては。

 人間にとっては、ただのそれだけのものである。

 しかし――これは元来、心臓や日光に次ぐ、吸血鬼の弱点だ。

 吸血鬼が銀に触れることがあれば、日本で公害病認定されている『水俣病』――別名『イタイイタイ病』――の末期症状に近い激痛が身体を蝕むとされている。


 もし、もしも。

 今の弾丸が己の腕に刺さっていたら。

 自分の忌能が、変身ではなかったら。

 阿久の右腕は、痺れる程度では済まなかっただろう。日本の公害に勝るとも劣らないとされる激痛を受け、悶える隙に更に幾発――一発でも激痛で動きが鈍くなるというのに、幾発も受けたら、ショックで絶命必至だろう。これ以上、考えたくもなかった。

 そんなものを初っ端にブチ込もうとして来るのだから、眼前の女は本当に最高だ。

 女はすらりと、手に持った鉈を持ち直した。

 あれはどう見ても普通の鉈だが、いきなり銀をブチ込むような女の武器だ。ただの鉈、それだけであるはずがない。

 ドクンと、心臓が跳ねた。

 おそらく、“心臓”も緊張しているのだろう。


「かえで、隠れろ」


 女が踏み出す前に、阿久は背後の少女へ告げる。


「でも、阿久は……」


「俺なら問題はない。それよりも、お前が後ろにいることで、お前を守りながら戦う方が危険だ」


「あたしが前に出れば、攻撃されないんじゃ――」


「そんな相手なら、とっくに見逃してくれてるだろ普通」


 そこまで言えば流石に理解できたのか、背後で動く気配があった。

 あとは女を、一歩も後ろにいれなければいい。それならば上等、やれるはず。


「背後の彼女を逃がしましたか。ですが、無駄です。必ず殺しますよ」


「あいつは人間だ。血族でも混血者(ハーフ)でもなんでもない。嘘だと思うなら、俺を殺してから、優しく確かめてやってくれ。人間なら、殺す理由はないだろう」


「なるほど、確かに。もし人間ならば、わたしは彼女を殺す理由も権利もありません」


「そういうことで、一つ頼む」


「吸血鬼が人を心配するのも奇妙な話ですが、いいでしょう。しかし、彼女が吸血鬼と判明すれば、殺しますよ」


 もしかえでが吸血鬼なら、泣こうが詫びようがなんだろうが、女はかえでを殺しただろう。

 けれど人間ならば殺さないといった彼女の言葉は、さて、どの程度信頼できるのか。

 ここで死ぬわけにはいかない以上、負けるわけにはいかないが、また一つ、負けられない理由ができてしまった。


「それと、最後に一つ。俺は出来れば平和に過ごしたい。悪さをするつもりはないし、見ての通り俺は吸血鬼喰いでね、人の血を吸う気はない。見逃してはくれないか」


「くどい。吸血鬼は、ここで殲滅する」


 ゆらりと、女が鉈で弧を描く。

 ふわりと、女の身体が、宙に浮かんだ気がした。

 総ては、錯覚。頭では分かっていても、阿久の視覚が錯覚を起こす。

 これは、来る。

 左胸部にある“心臓”が激しく脈打ち、これまでに無い警鐘を鳴らしている。


「エリアス、あなたの(わざ)、借り受けます」


 ――瞬間、女が駆ける。

 ほんの一歩。その跳躍ともいえる足運びで女の速度は吸血鬼のそれに匹敵する加速を伴い、鉈という武骨な凶器を下段に構え、一気に阿久へと突き進む。

 (はや)い。これまでいくらかの吸血種と対峙してきたが、おそらくそれでも、彼女は、これまで阿久が目にしてきたものの中で一番疾い。

 ――正面か。

 拳を握って突き出そうとした刹那、女は更に加速した。

 バカなとしか、言いようがなかった。

 人の身体能力を大きく超える吸血鬼。その目を、あれほど武骨な重量を持った武器を片手にかいくぐるとは、一体何者だ。

 背後に、殺気。

 消えたと思ったのは、姿勢を低くしたからか。阿久の脇を抜け背後に回ったらしい。

 ――拙い、死角だ――。

 女は右足を伸ばして、アスファルトが沈むほどに踏み込み、それを軸に回転。

 武骨な凶器を、下段より、逆袈裟(ぎゃくけさ)の形で斬り上げた。

 ただ、武骨な武器を振り回すだけでない。遠心力を生かし、振り回す。

 女の身体によって、下段に構えた刃は直前まで目に見えぬ。しかもそれが、斜めの背後という完全な死角から飛び出すのだ。もはや魔剣・秘剣の類ともいえる、見えない剣。

 それを、己の筋力、それに物理法則を乗せた凶悪な武器を、その場における最大の効率かつ最大の威力を最高の技として――此処に発揮する。

 これを行うにあたり、必要な要素は大きく二つ。


 一、敵の視覚に直前まで刃を映さぬよう、己の肉体位置、敵の身長、目の高さから視覚角度を念密に計算すること。これだけで既に、その『目』は大きく一般を突き放す。


 二、かかとを軸に回転する際に必要とするバランス感覚。これは単にバランス感覚の問題と思うかもしれないが、それは凡人の発想だ。一メートルを超える鉈という超重量の武器を持ち、全力疾走、そこから威力を殺さず、遠心を味方につけて、更に死角より逆袈裟に斬るというのは、もはや達人の域である。


 たかが鉈という凶器で、否、鉈でこそ可能であるこの日本剣技を応用したこの兇暴(きょうぼう)な一振り。

 当たれば斬る。斬れなければ押し潰す。

 これを喰らえば吸血鬼といえども、無事であるハズがない。

 そして死角からの一振りかつ、背後からの一閃。吸血鬼ですら無事ではすまない閃光を、回避などさせない、究極的なまでに洗練された技術によってもたらすのだ。

 まさに、必殺――なんという、技術か。


「――()ッ!」


 しかし、その刃は。

 風を切った。

 その勢いのまま軽い女は、掴んだ超重量の鉈に振り回されて小さく宙に浮き、円運動と共に後方へ飛び、そして着地した。

 なるほど、あの逆袈裟斬りで技は終わりではない。攻撃からの回避(ヒットアンドアウェイ)すらも視野に入れた至高の剣技、その一つ。

 魔剣、秘剣の内に数えられても、差し支えはないと言えるだろう。


「――名は『(カスミ)()』。『エリアス・リッケンバッカー』という剣士から奪った、我流の奥義です。不可避の斬撃という名目で作られた魔剣の一種を改良したものであったのですが……如何に回避しましたか」


 女は、阿久を見る。

 阿久の背には、斬り傷が一つ。けれど致命には至らない、小さな斬り傷だ。

 しかし僅かに、影がある。久世原阿久という人間の肉体の他に、もう一つの肉体がある。


「……なるほど、忌能によって己の分身を創り出しましたか」


 その通り。

 女の姿が消えた瞬間に背後から来ると悟った阿久は、咄嗟に変身能力の応用で己の身代わりを創り出し、そちらを斬らせた。

 即興であったために上手くできた自信はなかったが、どうやら引っかかってくれたらしい。さらりと分身は、阿久の内へと溶けていった。

 しかし次は。避けられる自信は、無い。

 自然と、冷汗が頬をつたう。


「わたしもまだまだ未熟ですね。敵と見違え影を斬るとは。やはりどうも、日本の剣術のように繊細な技術は、わたしには向かないらしい」


 いや、十分脅威であったと、阿久は思う。

 あれでもし、直進の足運び、それがまばらであったのなら。

 彼我の距離感を狂わせるものであったなら、知らぬうちに彼女の姿は視界より消えただろう。背後にいることに気付くこともなく、斬られたことに気付くことなく、両断されていたに違いない。それこそ――まさに、究極的な魔剣の一つの完成だ。

 

 ――(カスミ)(マギ)レタ()一閃(イッセン)

 

 なるほど、『霞ノ葉』という名称も伊達ではない。『霞ノ葉』、その『葉』は、おそらく『刃』の『ハ』との掛詞。

 しかし、それを。その卓越した至高の一閃を。それでもこの女は、自分に向いていないという。

 ならば、これ以上に、この女に適した戦い方があるというのか。

 ――冗談だろう。


「帰りてぇ……」


 思わず阿久は、その拳を強く握っていた。


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