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悪なるミタマ  作者: 九尾
第二幕 ウォルター編
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少女の涙

 遂に、来た。

 南かえでの、家だった。

 古すぎず、新しすぎず。端的にいえば普通の、これといって大きな特徴のない、二階建ての一軒家であった。

 同時期に建設されたのだろう、周囲の家と似たような作りで、似たような家が何件も連なるように建っていた。

 ――しかし、何故だろう。

 この近隣は、どうにも不気味であった。

 灯りがない。音もない。

 本当に人がいるのかと、疑わしくなるほどである。

 誰もいない野球スタジアムというものは、試合が行われなければ静かなものだ。あれは騒がしいときには騒がしいし、静かなときは静かで、両極端なものである。

 しかし、夜の街はどうか。

 誰一人として人が存在しない時間などは存在せず、また朝に仕事を行うものもいれば、夜仕事を行うものもいる。いずれの時間にしても、無人などというのは本来、あり得ないモノなのだ。

 それがほんの一部であるとはいえ、住宅街となれば、尚更である。

 であるのに、何もない。

 もう秋の終わりだ。寒いのだ。なのに、なにも使われていないのだ。

 電気はある。ガスもある。なのに、使われてはいないのだ。

 ほんの少し手前の家では、灯りが灯されていたというのに、『南』とかかれた表札の一軒家を中心として、数件、あからさまに不自然な家があるのだ。

 いってみれば、あまりに異質。あまりに怪奇。

 夜の墓場や、夜の竹林とはまた別の静けさが、この空間を支配していた。


「……阿久」


 隣の少女、かえでの脅えが、コートの裾を掴んだその手から阿久に伝わった。


「――最悪だ。どうやら、サバトは始まっているらしい」



 ぎぃと、阿久は『南』と書かれた表札、その右側の家、『平井』宅の居間へ入った。

 ――しんと、耳に響く音がある。

 あまりに無音過ぎて、音を求めた鼓膜が響かせるものだ。

 断わりもなく、チャイムも鳴らさずに土足で入ったにも関わらず、彼を咎める者は誰も現れない。そもそも、居間であるのに誰もいない。

 時刻は二二時とはいえ、一般家庭ではおそらく、まだ起きているものだろう。

 しかし、人のたてる音はしない。強いて言うならば、自分たちのたてるものだけだ。

 ぎゅっと、強く腕を握るものがあった。

 かえでだ。


「無理、無理!」


 口にこそ出さないが、あまりの恐怖に耐えかねて、開閉する口が、涙のにじむ目が――彼女の表情が、先へ進む阿久に全力で拒絶を訴えていた。

 だから、外で待てと言ったのに。

 けれど外は外で怖いらしく、しぶしぶ阿久はかえでを連れて此処へきた。

 居間には、誰もいなかった。

 居間の先にある台所へ、阿久は足を進める。

 必死で首を振ったかえでだが、阿久の足が止まるわけもなく。

 先へ、進む。

 台所の奥を見る。何も、なかった。


「次は、上だ」


 その意図を込めて人差し指を天上に向けると、かえでは今にも白目を剥きそうな顔をしていた。



 このままでは、かえでの精神が持ちそうにない。

 仕方ないと、阿久は一度外に出る。

 かえでがホッと安堵の表情を浮かべた、その瞬間。

 パリンとガラスが割れる音がした。


「嘘ぉおおおお!?」


 すぐ隣の阿久が、片手に持った石を、暗い部屋の窓に投擲したのだ。

 あまりに衝撃の出来事に、思わず大声を出してしまったかえでは、ハッと自分の口を両手で押さえるがもう遅い。


「最初から探さずに、こうすりゃ楽だったんだ」


 もし吸血鬼がいるならば、此方に気付いて警戒するだろう。しかし吸血鬼はおそらく、かえでの家族だ。かえでの姿を見かければ、すぐ襲うことはなく、姿を見せるに違いない。

 ――多分。

 もし吸血鬼がいないならば、それはそれ。

 ピンポンダッシュならぬ、窓割りダッシュを決めればいい。

 しばらく、静寂。

 そして、案の定。

 数分の時をかけて、一人の男が、恐る恐るといった様子で『南』の家から現れた。

 正直、意外だった。

 既に捕食のため、他の家を襲っていると思ったのだが。


「か……かえで、か?」


 かえでの父親らしき人物は、どこか周囲を警戒しつつ、口を開いた。

 阿久は、氷川から手に入れた情報を思い出す。

 ――南正之(みなみまさゆき)

 かえでの父、会社員(サラリーマン)。その顔も、身長、体型、その他情報総てが一致する。

 間違いない、かえでの父だ。


「お、とう……さん?」


 疑問。

 かえでが己の父親を見つけた。

 その再会はたかが数日ぶりだというのに、疑問形だった。

 それは、その服が尋常ならざる血液に濡れていたからかもしれない。


「なあ」


 阿久が少し声を張り上げて、かえでの父――正之に呼びかけようとする。

 すると身体を震わせた正之が、慌てた様子で人差し指を口にあてて、「静かに」という意図であるのだろう、歯の隙間から空気を押し出した。

 ――何か、妙だ。

 疑問に思った阿久が一歩近づくと、正之は背後を気にしつつ、静かに此方へ駆け寄って来た。


「に、逃げよう、かえで。なんか、母さんが変なんだ。突然暴れ出して、和希(かずき)を殺した。びっくりして逃げたら、今度は近所の人たちも襲い出して――」


 びくびくと震える様子で、彼は告げる。


「お母さんが、和希を――?」


 阿久は、考える。

 もしやこの男――吸血鬼ではない?

 冷静に考えてみる。

 阿久には、氷川の報告に一つの疑問があったことを思い出す。

 ――会社や学校は家に連絡を入れなかった、と報告には在った。

 それは、おかしい。

 よほど嫌われ者でなければ、無断欠席をすれば会社から連絡はあるだろうし、ましてや学校――それも、高校はともかく、未だ義務教育の中学校からも来ないというのは、一体どういうことなのかと。

 家族が全員、殺されずに生きていた。そして、正之があらかじめ休みの連絡をしていた?

 いや、それもおかしい。

 それならば、氷川からはそう連絡があるハズだ。

 かえでの家族の通話履歴は、かえでのものを含め、総て調べたと言っていた。携帯電話、スマートフォンなどの携帯型端末はおろか、家の電話もだ。

 結果、どの端末にも通話履歴はなかったらしい。通話履歴どころか、インターネットを使用した様子もなかったらしく、阿久がかえでと出会う三日前――事件の日から、ぷっつりと使用履歴が途絶えているという。

 かえでから直接聞いたわけではないので、どのような状況であったのかは推測の域をでないが、かえでが家族の生死を確認せずに逃げ出したこと、そして昨日の牧村の言い方から察するに、かえでの家族の状態は、相当にひどいものであったのではないだろうか。

 だったら、救急車の一つでも呼ぶのが常識だ。しかしそれもしなかった。

 ならば、何故。

 何故、かえでの父親・南正之は此処に居る。

 何故、連絡を入れなかった。

 何故、何故――。

 ――もし。もし、仮に。

 かえでの家族とは別の――すなわち他の何者かが、会社、もしくは学校に連絡をしていたとするならば、この微細な違和感に、納得ができはしまいか。

 となれば、少なくともこの男は――。

 かえで、その男から離れろ。

 阿久が口を開く前に、次なる異変は訪れた。

 今度は、阿久は何もしていない。

 今度は、先のように生易しいものではない。

 バリンと、ガラスが割れる音。それも、ベランダを突き破るような規模の大きなものだ。そして、バリバリと阿久たちの背後にあった木造の塀を突き破り、一人の少年が転がり出てきた。

 その服はかえでの父親同様に血に濡れている。

 容姿は、中学生のそれ。

 氷川から聞いたかえでの家族構成、そして見た写真の一枚を思い出し、確信する。

 ――南、和希(かずき)

 かえでの弟だ。


「なかなか往生際が悪いですね、あなたは。しつこい男は嫌われると、あれほど教えてあげたのに。しかし、安心してください。人祓いは済ませてあります、例えどんな物音を上げようと、近隣住民の方々には『逃げ出した動物の保護』を行うと町内放送で告げてありますから、助けは来ません。

それで……ですね。わたし個人としては、そろそろ――」


 声が聞えた。

 それは、かえでの弟――南和希が現れた方向、その木造の塀の内側からの声だった。

 透き通るような女の声。

 この冷たい空気の中でも更に冷たさを感じるような、冷気を持った声。


「――そろそろ、終わらせたいのですけれど」


 咄嗟に阿久は、かえでの目を塞いだ。

 その判断は正しい。

 いつの間に目の前に現れたのか。

 手には巨大な凶器――(なた)

 聖職者なのだろうか、シスターを思わせる服装。

 彼女の正面には、首が吹き飛んだ男子中学生の肉体。

 バヅンと、人体から発せられたとは思えない音がした。

 突然首を失った血管がその状況に適応できず、頭に送るハズであった血液を、その場にぶちまけた。

 血しぶきの先に阿久が見た、翡翠色の女の目は、とても冷たい色であると思った。

 それこそ、(はがね)。それこそ鋼鉄(こうてつ)。温度など感じさせない。

 まるで、銀を思わせる。


「これ以上来るなッ!」


 突如、阿久とかえでの肉体を正之がひっぱり、己の腕に抱き寄せた。


「それ以上近寄ると、こいつらを殺すぞ!」


 この女が何者かはわからない。しかし、先ほど正之が怯えていたのは、この女に対してであったことが容易に想像できる。

 それにしてもこの男、自分の娘を人質にするつもりか――。


「なるほど、人質ですか。如何にも低俗、如何にも卑劣。如何にも吸血鬼が考えそうなことですね。しかし確かに、此方にとっては由々しき事態です。どうしましょうか」


 焦ることもなく言った女は、手に持った鉈を振りかぶり、ぐしゃりと、和希の心臓をその肉体ごと押し潰した。

 その様子をみて、正之が恐怖に震えたのがわかった。

 一歩、女が踏み出した。


「来るな! 殺すぞォッ!」


 叫ぶ正之。

 踏み出す、女。

 正之にとって悪転でしかない状況に、


「お父さん、やめて……」


 かえでがようやく、口を開いた。


「ねぇ、どうしちゃったの。お父さん、むかしはもっと優しかったよ? 人に「殺す」なんか言わなかったよ? 一体、どうし――」


「黙れ! お前から殺すぞ! 人質は一人で十分だ、あと一人殺せるんだからな! いいか、死にたくなかったら黙れ!」


 かえでの声を遮って、正之は眼球が飛び出そうなほどに目を見開いて、唾をまき散らした。


「お父さん……」


「殺すぞッ!」


 かえでを、殺す。正之のその言葉に。

 ――ドクン。と。

 そろそろ、いい加減にしてほしいと――“心臓”が、跳ねた。

 阿久の肉体に、明確な鼓動が生まれる。感情が生まれる。全身に血液を巡らせ、冷えた心を熱くする。これが、“心臓”。これが、生の“鼓動”。ああ、生きている。自分は今、此処にいる。確かに此処に、存在している。

 瞳は、真紅。

 爪牙は、鋭く。

“なかなかに、素敵な状況ね”

 阿久の“心臓”が呟いた。

 しかし無視して、阿久は後ろの男に語り掛ける。


「おい、クソ親父。娘が「やめて」っつってんだ。いい加減、ここいらが潮時ってもんじゃねぇのかよ」


 どう見ても、眼前の女は止まる気はないようだ。

 明確な殺意がある。人質を取ったところで、アレが相手では意味がない。速攻首を飛ばされる。

 例え人質を殺していようと、殺していまいと。

 あの女は聖職者のような服装をしていながら、人質を救うことなど欠片も考えてはいない。

 目を見れば、わかる。

 なのに正之は、自分が助かりたい一心で。


「黙れ黙れ、お前ら全員殺されたいかッ!」


 娘を殺すと、叫ぶのだ。

 これで、五度目。

 ――なぁ、そろそろいいよな。俺の我慢は限界だ。

 ――ええ、わたしもいい加減、うんざりよ。

 阿久の手には、暖かくも冷たい何か。それが少女の涙だと、一体誰が間違えようか。


「死ねぇえええああああああああああああああ!」


 正之が腕を振りかぶり――。


 ――お前が。

 ――死になさい。


 ずりゅり。

 阿久の背中に熱が走り、背骨が異常に変形し黒く色を変え――すぐ背後の正之、その心臓を貫いた。


「げァふ――」


 まさか、正之も思いはしなかっただろう。

 警戒すべきは、眼前の鉈女だけでなく。

 人質にとった、この男すらもが吸血鬼の天敵ともいえる存在であったなど。


「お前のような外道には、俺のような外道の制裁が相応しい。狂い哭き叫べよ、吸血鬼」


 貫かれた心臓は正之の肉体を離れ、剣のように突き刺さった阿久の背骨、その先にある。

 どくどく脈打つ心臓は。

 更に変形した背骨が、口のように開いて。がぶりと。


「――食刑(しょけい)の、時間だ――」


 喰われて、消えた。

 やはり、不味い。下衆の味だ。

 背骨を、戻す。

 第三世代の吸血鬼、南正之は倒れ、そして灰となった。

 阿久は、眼前の女を見る。


「そういうわけで、あんたの仕事はお終いだ。お互い、とっとと帰って寝るとしよう」


 弟の和希が斬られる直前から覆っていたかえでの両目を解放して、阿久はかえでの耳元で「下は見るな」と言った。

 では、帰ろうと、阿久がかえでを連れて行こうとしたときに。


「吸血鬼を喰らう吸血鬼がいると、風の噂で聞いてはいましたが――まさか、偶然見かけた捕食現場で出会うとは。無断の《第七》捜索は無駄に終わると思いましたが、わたしはどうやら運がいい」


 女は、笑う。

 待て。これは、拙い。

 非常に、拙い。

 ――どうやら、逃がすつもりは無いようね。

 阿久が頭で描いた最悪の予感を、胸の“心臓(アルラ)”は呟いた。


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