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悪なるミタマ  作者: 九尾
第二幕 ウォルター編
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アクノココロ

「帰った」


 阿久が昼過ぎに帰宅すると、かえでが「どこへ言っていたの」と両手を腰に当てて詰め寄って来た。

 何が彼女をそこまで強気にさせるのかは知らないが、居候の分際で何様のつもりなのか。

 居候の説教など、聞くつもりもない。


「かえで、今日は行くからな」


 強気な彼女に阿久は、それだけ告げた。


「は? どこに」


 無視された不快を隠すこともなく、かえでは顔を歪めた。


「決まってる。お前の家だ」


        ☆


 離して。痛い。嫌。帰る。

 それらの言葉を、阿久は一体何度聞いただろう。

 ほんの数十分の間に、それぞれ数十回を優に超える回数であったので、途中で数えるのも嫌になって(無意識に頭が数えていたので、数えていたという表現は適切ではないが)、諦めて新手の行進曲のテーマか何かだとでも思うことにして歩こうとしたのだが、どうにも人目が増えてくると、そうもいかなくなる。

 曜日は金。時刻は一五。場所はビル群の囲まれた細道。

 阿久はともかく、かえでの服装は制服だ。

 部屋に居る間はアルラの服を貸して、制服は綺麗にしてはあるものの、問題は綺麗かどうかではなく、制服というその服装。そして、場所と時間である。

 本日は平日であるのだから、制服を着たかえでは学校に行かなければ問題だろう。

 なのに、明らかにチャラチャラした格好の男に引っ張られているのである。

 ――誰がどう見ても、これは強姦目的の誘拐だ。

 舌打ちした阿久は諦めて、かえでを掴む手を緩める。すると、かえでは今が好機と阿久の腕を振り払った。


「帰る!」


 それだけ叫んだかえでは、元来た道を引き返そうとして――。


「――何処にだ」


 阿久の言葉に、立ち止まる。


「あたしの、帰るところ」


 呟くように、絞り出すように、かえでは言った。

 その唇は、強く引き締められて青くなっている。


「泊まっていいって、言ってくれたもん」


 確かに言った。好きにしろとも言った。

 だがそれは、かえでが現実から目を背けるために与えたものではない。


「お前の本当に帰るべき場所は、そこじゃない。現実を見ろ、かえで」


 その言葉は、南かえでという少女にとって如何なる意味を持つのか、総てではないにしろ、阿久にもなんとなく想像ができる。

 昨日姿を見せた、『牧原健二』と名乗った吸血鬼。

 彼は、総てを告げた。

 これ以上なく、残酷に。


『――家族全員、キミと偶然出会ったあの夜に――殺しておいたよ』


 これ以上なく、非道に。


『――キミの家族はもう、いないんだよ』


 南かえでという少女にとって、これ以上ないほど過酷な事実を、無慈悲に、告げた。

 辛いだろう。苦しいだろう。

 でもだからといって、現実から目を背ける理由にはならない。

 辛いけれど。苦しいけれど。だからこそ、その現実を受け入れなければならない。そうしなければきっと、人は前に進めない。


「お前は、総てを知るべきだ」


 かえでの手を取ろうとした阿久の手を、かえでは再度振り払う。


「いや!」


 嫌、嫌、嫌。

 自分の身体を両手で抱きしめて、かえではその場にしゃがみ込んでしまった。

 通行人の目が痛いが、これならまだ駄々をこねる不登校娘を学校へ連れて行く兄に見えなくもない――だろうか。今警察を呼ばれるのは面倒だ。

 頭を掻いて、どうしたものかと阿久は空を見上げた。

 腹が立つことに、今日は悪くない快晴だ。


「ねぇ、どうしてこんなにあたしばかりがひどい目に合うの? わたしが一体、何をしたの? 弟の誕生日に、近道しただけなのに、なんでこんな目に合うの……?」


 教えてよ、阿久。

 今にも泣きそうな目で、かえでは阿久を見た。


「人生ってのは、そういうモノだ」


 誰が何をしたとか、そういうことはおそらく、関係ない。

 ――人は、生まれながらにして罪を背負う。

 これは、どこかの宗教の言葉であったか。

 宗教などに関心はないし、ましてや神など信仰していない久世原阿久は、しかしその言葉だけは真実であると、二十年程度の人生であったが、その中で感じてきた。


 生まれた瞬間、歪なものを持つものがいる。

 生まれた瞬間、多くのものから呪われるものがいる。


 健全な肉体で、生命の祝福を与えられて生まれるものたちがいる裏側には、確かに、そうしたものたちが存在している。

 それでも、この世界に生まれた。

 恵まれなかったとしても。望まれなかったとしても。それでも、この世界に生まれたのだ。

 ならば、その意味があったと。

 阿久は、思いたい。


「もう、嫌だよ……死にたいよ……」


 だから阿久は、かえでのその言葉が許せなかった。

 死にたいなどという言葉が、許せなかった。


「おい」


 正面に歩み寄り、その胸倉を掴んだ。

 補修された部位が破れ、僅かに下着が覗く。

 それでも阿久は、思い切りかえでを睨み付けた。

 その視線はおそらく、これまでかえでがぶつけられたことのないものであっただろう。


「次は、殺す」


 ――完全なる、殺意。

 牧村健二に向けたものか、もしくはそれ以上のもの。

 自分などはどうでもいい。諦めが支配していたその瞳が、たちまち殺されるという恐怖に支配される。


「二度と、言うな」


 それだけ言って、かえでを離す。

 崩れるようにアスファルトの上に倒れこんだかえでは、小さく「ごめん」と言った。


「でも、ならあたしはどうすればいいの。お父さんも、お母さんもいなくて。頼れる人、いなくて……どうやって、生きればいいの……」


 もう……本当に。

 こいつ、此処に置いていこうか――。

 本気で考え始めた阿久だったが、どうにも、昨日の会話が離れない。


 ――どうしてあたしを、助けてくれるの。


 そんなもの、俺にもわからん。ただ、知り合った以上、困っているなら助けるものだ。そういうものだと、教わった。


 ――阿久は、優しいね。


 俺は、優しくなどはない。

 なのに、ああ。

 腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ。

 生きることを諦めようとしている、かえでにも。かえでを助けることを諦めようとしている、自分にも。なにより、自分の感情が制御できない自分自身に一番、腹が立つ。

 ほんの少し前の阿久ならば、こんなことで迷いはしなかった。迷わず、かえでを捨てていった。

 なのに、どうして。今はこんなにも――彼女を助けたいと願っているのか。

 これではまるで、正義の味方だ。

 自分とはもっとも縁遠い、最低最悪の偽善者だ。

 それでも、この胸から消えたハズの心臓は。

 自分に価値を見出した、もう一つの“心臓”は。

 彼女を助けろと、叫んでいるのだ――。


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