失い行くもの
鈴町貞夫が昭和後期、中区神保町のカルタ屋で「こんなものがあるのか」とつぶやいた。
一見将棋の盤のようだが升目が多い。
「これは中将棋の盤じゃないのか」貞夫はつぶやいた。
丁寧にも「中将棋の指し方(岡崎史明)」の書を付属品として入れている。
早速5000円代で、購入し冊子を読む
「えっと銅将はこう動くのか」
貞夫はいろいろ試している。
「まったく物好きねえ」妻はあきれかおだ。
ほかにもいろいろな将棋があるのはしっている。
①大将棋:15*15で駒の数は130枚。出てくる名前は飛龍、猛牛、鉄将、石将など。
②天竺大将棋:16*16で駒の数は156枚。種類は36種。車兵、四天王、水牛など
③大大将棋は17*17で駒の数は192枚4。種類は65種。猛虎、猛牛など。
④摩訶大大将棋19*19で駒の数は192枚4。種類は51種。猛虎、猛牛な
他にも秦将棋、和将棋、などがある。
しかし実際に指された形跡があるのは大将棋ぐらいらしい。
それでも中将棋の駒の種類は多い。
「猛豹」「銅将」「盲虎」「醉象」「反車」「竪行」「横行」「鷲」「鷹」「獅子」「奔王」が基本駒である。成り駒で「飛鹿」「「白駒」「鯨鯢」「飛牛」「奔猪」「飛鷲」「角鷹」などである。
指し人きまらずでは意味がないので中将棋を覚え、なんとかして差し手をさがすことであった。
「将棋会場に意っても誘うという人はいない」
「わざわざやろうと思わないよ」
そういわれるのが常だった。
「将棋雑誌に投稿してみるか」
そう思って登校し、
盤上に駒を並べ、動かし方の練習をしてる毎日である。
「あきれたもんだわ」毎度のごとく妻の愚痴がこぼれるとそそくさと別室に行く生活が続く。
すると一人の人物がやりましょうという手紙を送ってきた。
「拝啓雑誌を読ませていただきました。」
わざわざ筆で書いてある。これは几帳面な人だと貞夫は思った。
PN木下四肢雄というらしい、なんとも不吉なと思ったが、対戦することになった。
棋譜は「4六銅将」といったぐあいに現将棋と同様である。文字が多いくらいだ。
最初は100手ぐらい1ヵ月半かかった。意外と時間がかからないとおもった。
それ以上にかかるのが金額だが。
通常の手紙対極だと1ヶ月ぐらいだ。そして
今の将棋だと80手ぐらいが平均値であろう。
もっとかかるかなと思ったがやはり駒の再利用がないのが大きい
と貞夫は思う。あと特徴なのは
駒の獅子、前後左右2増すまでしか動かせないが1手に2回動かせる。つまり、行って戻ってきたり、2回駒を取ったりする。
二度目の対極は引き分けになった。王将は取られたが酔象が太子になったのである。
酔象という駒は王将の動かし方の下の中以外は動かせるものである。太子になると王将当然の動きとなり同時に、王が取られても太子が残ってれば勝敗にはならないというものである。
この勝敗のばらつきが本将棋が指されても戦前まではさす人がいたのも、もしかしたら醍醐味だったのかもしれない。
猛虎という駒の性質が重要だ。と先の岡崎史明さんもこういってる。
岡崎さんが言うには(下記引用)
「 古来、中将棋には定跡がないといわれるが、定跡に似た序盤の駒組みがあるし、心得も残っている。
心 得
1 獅子を陣頭に出す。
2 敵獅子を付けられないようにする。
3 駒に足をつける。
4 大走りを下段におく。
5 小駒でくり出すこと。
はいう。」
しかしそれでも半年ぐらい数回は返信のやりとりをした、なんとも贅沢な遊びだ。と思えた。盤上に駒が並び、出しっぱなしだ。大体盤の大きさ45*45cm、コタツが60cm×60cmだから完全に占拠してしまっている。
「まったくあきれたものだわね」妻のため息というかあきらたというかそんな言葉が続く毎日である。
次第に向うはよれよれな字で帰ってきた。なんとも失礼だなと思ったがある日ばったりと連絡が取れなくなった。
思うところがあった。
「いっそ見舞いにでも・・・」
とおもったが流石にそれはと思いとがめた。いきなり合うのも失礼な話に思えたからだ。
あるひ見知らぬ人から手紙が届いた。いや毛利と書いてあったので苗字から察するに彼なのかもしれない。
手紙にはこう書いてあった「死んだと」
彼は不治の病であり、立つことも困難でなかった。
「しかしあなたとの対極は生というものをよみがえらせてくれてたと思う。
中将棋はほぼ寝たきりの自分の中で外界でありすべてだった。
また中将棋という滅び行くかもしれないもの
複雑におもいきやいがいとあっさりつくのもそうなのかもしれない」
それに自身を共感した。棋譜という生それをのこしたっかったんだ」
本当に老人の最後の遊びに付き合ってありがとう」
彼は戦前期の動乱のころから関西のあたりで中将棋を楽しんでいたらしい。
しかし戦争を経てぶっつりと途絶え始めた。
しかし、将棋の岡崎史明サンの活動をみ、自分もと思ってっていたころにわたしの投稿が目には言ったらしい。
生きている喜び、その将棋の世界、思う度折に動かしてる世の中、もう何も外界との接点のない世界の中中将棋で必死で対局してるのが彼の唯一の外界であり生きる糧になっていたのだった。
わたしもまた、何かを残して生きたいと思う。
そう思ってるうちに妻から一言告げられた。「子供が生まれた」そうだ。
わたしも一児の父親になれるのか、まず何かを残す、「太子」という名前はどうか、大げさかもしれない。けどそんな大事なことを少しづつしていく日々に歩みだそうとしていた。




