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感謝の花束

作者: 置きねこ

自分の気持ちを伝えることができるのは自分だけだ。

 今日は全国的に母の日である。あれから1年… 早いものだ。町は店から店まで赤一色に染まり、そこに集う人々からは感謝の気持ちが、見ているだけで伝わってくる。日頃の感謝を込めて、人々は創意に工夫を重ねて、毎年訪れる母の日を作り上げるのである。

 一口に母の日と言っても、その姿は世界各地さまざまで、たとえば英語では「Mother'sDay」、ドイツ語では「DerMuttertag」という風に、世界を見渡せばこの5月の第2日曜日の重要性が分かるだろう。

 日本では、母の日にはカーネーション(carnation)を贈るのが一般的で、これはナデシコ科ナデシコ類の多年草である。花言葉は「女性の愛」「感動」が有名だが、カーネーションの中でも特にポピュラーな赤色のカーネーションは「母の愛」という意味が込められている。

 だが、私はこの雰囲気に馴染めずにいた。5月の風はどこを歩いても向かい風である。沈みかけた太陽も、私を置いていくような気がして、ただただ虚しくなるばかりだった。


 商店街を抜けると、太陽は家と家の裏側に隠れてしまった。今年も私は母の日を失ってしまうのか。手に入るはずだった母の日を何度も失い続けていた私は、商店街の明かりに背を向けたまま立ち止まっていた。

 これまでの私が「来年こそは」と願い続けた夢を、祈りの連鎖として受け取っていた今を生きていた私は、毎年その重さに耐えきれずに同じことを繰り返しては受け取って、結局何もできずにいた。

 だから、今年こそは私が私に託し続けてきた悠久の想いをかたちにするのだ。

 私は180度後ろに向き直った。商店街の明かりが春の終わりを思わせるように、真っ黒に深い星空は母の日の終わりを私に訴えかけているように思えた。

 母は私を産み、育て、今に導いてくれた。幼い頃の私は頑固で素直になれない子供で、何度も他人に迷惑をかけてきたし、わがままだけで自分を通してきた。それでも母はしっかりと私を愛してくれた。私だってそんな母を愛していた。

 それなのに私はこれまで一度も、三十年間全く、感謝の気持ちを伝えられずにいた。幼い頃の私を喜ばせるのに、母はどれだけ苦労しただろうか。幼い頃の私の罪を償うのに、母はどれだけ頭を下げてきただろうか。幼い頃の私を養うために、母はどれだけ汗を流してきただろうか。

 母を喜ばせるには「ありがとう」と、たったその一言でいいのに。私はただ一方的に、伝わるはずのない自己満足の薄っぺらい感謝だけを並べて、私自身の本当の感謝の気持ちを伝える勇気がなかった。

 次々と消えていく商店街の明かりは、皮肉にも私の背中を押してくれた。最高の愛を受け取りながら不器用にしか育てなかった自分が悔しくなった。涙が出て視界がぼやけるのをこらえて強く握りしめた拳が熱くなった。

 絶対に届けよう、この三十年を。感謝することを恥じてはいけない。母は私に、他人に感謝できる人間になってほしかったに違いない。だから、これまで一度も、母は私に涙を見せてはくれなかった。私が母に伝えたいことを、母はこれまでずっと待っていたに違いない。私は母に感謝していながら、母を待たせていたのだ。だから、これ以上母を待たせてはいけない。

 私は閉店間際の商店街の花屋でカーネーションを手に取った。

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