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残華  作者: さーさん
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第六話:魔刀

 

 出会って九年。サフィニアの次に長い時間を共に過ごしてきた。

 それでも。まだ、こいつのことを理解できてはいなかったのだと実感した。


「お前、何をやってんの?」


 やや苛立った様子のロジャスティンを絶句したまま上から下まで凝視する。

 どこからどう見ても、貴族の子息にしか見えない。長い付き合いだが、貴族としての正装をしたロジャスティンを見るのは初めてだった。

 貴族にありがちな金糸の髪を綺麗に整えて、身に纏うものは最高級の布で作られた黒と銀の礼服。珍しい形の衣装ではないが、隅々に凝った文様が銀糸で描かれている。立ち居振る舞いもいつものだらけたものでなく、すっと背筋を伸ばした丁寧で威厳のあるものだ。

 見慣れたアマリリスでさえ、今のロジャスティンには見惚れてしまう。まるで別人に見えるほどに、今の彼は輝いて見えた。

 ただ、その新緑の瞳に宿る意思と向けられる親愛の情だけが、アマリリスにとってこの青年が自分の見知ったロジャスティンであると証明していた。


「アス?」

「……あ。その、どうしてここに?」

「お前を迎えに来たんだよ。どうせ、ろくなことにならないと思ってね。――まぁ、その貴婦人顔負けの化けっぷりには正直驚いた」

「似合わなくても悪かったな」


 対外的な問題で、笑顔のままドスのきいた声を出すとロジャスティンはわずかに顔をしかめた。少し怒っているように見えるのは何故だろうか?


「それ、本気で言ってんの?」

「俺の柄じゃねーだろ、こんな格好」

「……お前はもう少し、自分を知るべきだぞ……」


 大きくため息を吐いて嘆くロジャスティンに、顔をしかめたくなるのを堪える。

 ロジャスティンは人が違ったような優しい笑みを顔に張り付けて、提案する。 


「アス。とりあえず、テラスの方に避難しよう。じゃないと、また厄介なのにからまれっちまうよ」

「今確信した。お前も大概猫かぶりなんだな」


 はたから見れば、アマリリスとロジャスティンは仲睦まじく良好な会話をしているように見えるだろう。まさか、こんな粗雑な口調でいるなんて思わないはずだ。

 呆れたふうに言うと、何を今更とつぶやきながらロジャスティンはアマリリスをテラスの方へ案内していく。

 会場内からはこちらの様子が全く見えない位置に来て、アマリリスはほっと肩の力を抜いた。


「あー、面倒なとこに来ちまったよ」

「ファランシス様の思惑にあっさり落ちんなよ」

「悪い悪い」


 人目がないのをいいことに、ロジャスティンは一気ににだらっとした姿勢になる。そうするときちっとした礼服も着崩しているように見えるから不思議だ。

 

「何だよ、アス。そのぴしっとした姿勢、面倒じゃないわけ?」


 アマリリスの苦笑に気付き、ロジャスティンはいつものぶすくれた表情で聞いてくる。


「そりゃ面倒さ。でもな、こんな場所でだらけて誰かに見られてみろ。言い訳できないほど無様じゃねーか。影ながら馬鹿にされるのは、俺の誇りが許さねぇ。死んだ両親に顔合わせらんねーよ」

「……良いとこのお嬢様だったわけか」

「それなりにな。一応、礼儀作法なんか叩き込まれてんだよ。今更、それを表に出す日が来ようとは思わなかったが」


 綺麗に着飾って、女らしい恰好をする日が来るとは夢にも思っていなかった。アマリリスは叶うなら男に生まれたかった。男だったなら、手に入れられたものは確かにあったはずだ。

 アマリリスはふと自分の名の由来を思い出す。


「知ってるか? “アマリリス”の花の花言葉。“内気”“素晴らしく美しい”そして――“誇り”だ」


 それは幼い頃、何度も両親がアマリリスに囁いた名前の由来。“内気”も“素晴らしく美しい”もアマリリスには不適当だが、“誇り”という花言葉はまさにアマリリスのためにあるようなものだ、と何度も思ったものだ。

 例え、どんな場所にどんな身分でいようと誇りだけは失うまいとアマリリスは決意している。それは母の遺言にも適うものだ。


「俺は、自分の名を損ない、ウィンターソンの名を貶めることだけは赦さねーよ」


 女性特有の儚さも脆さもなく、浮かべる笑みは猛々しく力強い。けして折れない不屈の精神を窺わせるその意思が、アマリリスの魅力をさらに大きくする。

 間違いなく、この会場で誰よりも輝いているのはアマリリスだった。

 ロジャスティンは呆れたようにぼやく。  


「お前さぁ。自分の格好鏡で見てみれば?」

「見たぞ? あそこまで自分の格好にぞっとしたのは初めてだ」


 その時のことを思い出し、アマリリスは顔色を真っ青にする。鏡に映った自分は、綺麗な装飾品に飾り立てられ、どう見ても女にしか見えなかった。

 違う。これは自分じゃない

 そんな強烈な違和感を覚えたのを鮮明に覚えている。


「無自覚かよ」

「は?」

「何でそのドレス選んだわけ? ずいぶん挑発的な衣装だけど」

「選んだのは女中メイドさんたちだ。別に喧嘩なんか売ってねーぞ?」

「……どこまでボケてんだよ……」


 顔を引き攣らせて脱力したロジャスティンを首をかしげて見つめる。何が言いたいのか、さっぱり分からない。

 身体の線が出るドレスは、歩くたびに覗く白い美脚を際立たせ、自分が妖艶な色気を放っていることをアマリリスはまったく自覚していなかった。


「まぁ、ファランシス様の見立ては正しかったということだな」

「ファランシスの見立て?」

「お前は王都一の美姫だってこと」

「は!?」


 アマリリスは思わず耳を疑った。他の誰でもない、ロジャスティンの言葉だからこそ。どこかむくれた様子で言った言葉に嘘はない、そう察せられるほどには長い付き合いだと思っている。


「……んなわけ、ねーだろ」


 美姫、というのは王妃のような人を言うのだ。夜会の会場内を見渡せば美しい女性はたくさんいる。

 そう自分を納得させながらもアマリリスはかっと火照った頬を隠すために顔を逸らす。


「俺さ」

「ん?」

「王妃様の護身刀造ることになった」

「はぁ? 造れるの?」

「鋭意努力する、ってとこだな」

「……頑張れ」


 胸に渦巻く羞恥を誤魔化すために話を逸らすと、いくらかロジャスティンを直視できるようになる。


「ところで」

「何だ」

「もうそろそろ、この会場から退出しようか。変なお貴族様に目を付けられるのも嫌だろ? 下手すれば、愛人になれとか簡単に言われそーだしな、お前」

「あ、愛人!?」

「何驚いてんだ。当たり前だろ、本当鏡見てみろってんだよ」


 まさか、と鼻で笑いたいが先ほどの男たちに群がられた事実を考えるといかにも有り得そうだ。アマリリスは貴族に迫られるのを想像して、ぶるりっと身体を震わせた。

 ああ、女のこの身が憎い……!

 顔色も真っ青なアマリリスに、ロジャスティンは軽く笑って何でもないことのように言い放った。


「でも、俺も目の前でアマリリスを掻っ攫われるのは嫌だし。今回限り、俺に頼れば? 王族でもない限り、権力にもの言わせて蹴散らしてやるから」


(く、黒い)


 幼馴染の笑顔を見て、別の意味でぞわりと悪寒がはしる。何て腹黒い笑みを湛えてくれるのか。親友の新たな一面を知ってしまった瞬間だった。


「侯爵様、だったんだな。ロジャーは」

「まだ跡継ぎってだけ。当主の座を譲られるのは二年後かな。親父ももうそろそろ身体にガタが来てるし」

「後を継いだら、鍛冶師の仕事はどうすんだ」

「兼業、になるかな。どっちも両立して見せるさ。時期が来たら弟に当主の座は譲るしな」


 ロジャスティンには一人、まだ十歳の弟がいる。その弟が成人するまでの代理として当主になる気らしい。この夜会の貴族が侯爵家の次期当主の顔を知らなかったように、ロジャスティンはほぼ貴族社会に顔を出していない。これからもそうするつもりなのか。

 内心で首を傾げるが、それもアマリリスの死後の話だ。どうなるかなど、それこそ分からない。


「さて、行きましょうか。アマリリス?」

「エスコートよろしく」


 本名で呼ばれるのはむずがゆく、気恥ずかしい。頬が上気するのが分かる。ただ、貴族としての立ち居振る舞いをするロジャスティンは、思っていたより頼もしく凛々しく思えるから不思議だった。


 その後、ロジャスティンは言葉通り鮮やかな手方で寄ってくる貴族たちをいなし、二人は無事に会場から退場することができた。

 慣れない衣装を脱ぎ、いつもの男装姿に戻った時の安堵感を、アマリリスはいつまでも忘れられないだろう。



 *****                   



 夜会を退出し、ようやくいつもの自分の格好に戻ったアマリリスは精神的な疲労を抱えて帰宅の途に着いた。がしがしと綺麗に洗われてさらさらになった髪をかきむしる。そうするたびに、身体に塗りたくられた香油の花の匂いが漂ってくる。

 それがまた我慢ならなくて、闇夜の中でアマリリスは唸る。

 

「あー、早く身体洗いてぇっ」


 本当はその足で工房に向かいたかったのだが、化粧や香油の匂いを完全に落とすために一度家に帰るしかなかったのだ。今では疲労がどっと押し寄せてきて、そのままベッドに特攻してもいいかなと思っている。

 時刻はすっかり夜も深けて、周囲は真っ暗だ。出歩いている者はいない。一応ロジャスティンが家まで送ろうと言ってきたが、遠慮しておいた。変質者に会っても魔術か武術で反撃できる自信がある。


「っと?」


 ようやく家が見えてきたところで、アマリリスは足を止めて顔をしかめた。視線の先に見覚えのある背格好の青年が見えた。


「あれは、オスカー?」


 丁度、双子の自宅からオスカーが出て来るところだった。こんな時間までサフィニアと一緒にいたのか、と納得する。若い男女が二人きり、という環境に憤慨する気持ちは起こらなかった。サフィニアとオスカーには触れ合う時間がもう残っていないのだから。

 

「っ……アマリー?」


 家の門を出て、路上に出たオスカーがアマリリスに気付き驚く。その顔が、罰が悪そうな表情を作った。

 アマリリスは気にせず近寄っていき、気軽に声を掛ける。オスカーが何を思ったのかは知らないが、アマリリスはオスカーを非難する言葉は持っていない。


「よお。久しぶりだな、オスカー」


 孤児院に双子が保護された頃からの付き合いであるオスカーはアマリリスを“アマリー”と呼ぶ希少な人物だ。アマリリスが彼と会うことは少ないが、互いに仲が悪いわけでもない。


「今帰ったのか?」

「ああ。サフィーに聞いてないか? 今日はどこぞの馬鹿に付き合わされて王城の夜会に出席さ」

「や、夜会? ……君の人間関係の広さには感嘆するよ」


 呆れと感嘆の混ざった表情でオスカーは笑う。

 普段はサフィニアを挟んで話すことが多いので、話が弾まない。無理矢理作ったような和やかな雰囲気が二人の間に流れている。

 だが、アマリリスにはずっとオスカーには言いたかったことがあった。次に会えるのはいつか分からないのだから、この機会を有難く使わせてもらうことにする。


「なぁ、オスカー」

「何だ?」

「ありがとうな」

「……何のことだ?」

「サフィーを受け入れてくれたんだろう? 途方もない話を信じたんだろ? ――何より、サフィーを好きになってくれた」


 アマリリスはいつだってサフィニアの幸せを願っていた。幼い頃から続くサフィニアの初恋が実って欲しいといつも願っていた。失恋すれば次の恋を探せ、そんな悠長なことを言えるほど双子には時間が残っていなかった。辛い失恋をして欲しくなかったから、オスカーがサフィニアを好きになってくれて良かったと本気で祝福しているのだ。

 だがアマリリスはそれによってオスカーが背負うことになるものも、きちんと把握していた。


「あんたには辛いことだろうけどよ。もうすぐ死ぬ女を想ってくれ、なんてさ」


 反論できずにオスカーはぐっと押し黙ってうつむく。

 一ヵ月後に死ぬ、そうと分かっていながらサフィニアの傍にいることがどれほど重く苦しいことか。双子が死んだ後に、たくさんの思い出を持っていれば持っているほど悲しみは膨れ上がるはずだ。――何もかも投げ捨てて、逃げ出せればそれが一番楽なのに。オスカーはその選択をしなかった。


「一瞬でもいい。サフィニアを幸せにしてくれてありがとよ」


 オスカーに告白された時、サフィニアはどれだけ嬉しかっただろう。どれだけ哀しかっただろう。自分の片割れを想って、アマリリスはできる限りの感謝をする。


「言いたかったのはそれだけだ。じゃあな」


 それだけ告げて家に戻ろうとすると、その横を通り過ぎる間際にオスカーがアマリリスの肩を掴んだ。驚いて立ち止まる。


「オスカー?」

「待ってくれ。俺にもまだ、言いたいことはあるんだ」


 間近で見たその瞳が、嫌に真剣な感情を帯びているのを確認し、自然とアマリリスの表情も硬くなる。

 オスカーは何度か深呼吸し、自分を落ち着けてから切り出した。


「手伝ってもらいたいことがある」

「それは、サフィーのためになることか?」

「分からない。ただ、俺がそうしたいんだ。俺が決めたことなんだ」

「……言ってみろ」


 サフィニアが嘆くことなら即座に断ろう。そう決意したアマリリスの耳に、度肝を抜く発言が飛び込んできた。思わず、アマリリスは自分の頭を疑う。


(俺もとうとうボケたか?)


 いや、そんな歳ではないはず、とアマリリスは動揺しながら問い返した。


「なん、だって? もう一度言ってくれ」

「――サフィニアと結婚したい」

「け、結婚!?」


 それはあれか、婚姻を結ぶってやつか。

 唖然と口を開けてアマリリスは混乱の極みに陥る。

 たしかに年齢的には問題ない。家柄や身分的にも釣り合っている。サフィニアとオスカーの両親との仲はこれ以上ないほど良い。

 しかし――サフィニアは一ヵ月後に死ぬのだ。


「おい。それは、サフィーを正式に妻にするって事か? 夫婦になる、と?」

「それ以外の何て意味に聞こえる?」


 遠まわしな肯定に、アマリリスはふらりと身体をよろめかせた。

 混乱する頭をなだめるために何度も深呼吸を繰り返す。どれほど経ったか、衝撃から開放されたアマリリスは改めてオスカーを凝視した。


「オスカー。おまえ、そこまでサフィーのことが好きだったのか」

「俺を疑うのか?」

「いや。驚いただけだ。なぁ、分かってるのか? 逃れられなくなるぞ」


 恋人ではなく、妻を亡くす。それは世間的にも精神的にもダメージが大きくなるではないか。

 純粋にオスカーのその後を考えてアマリリスは質問した。

 その覚悟がお前にあるのか、と。


「分かってる。でも、決めたんだ。俺は一生、サフィニアを忘れたくなんかない。だから、確たる何かが欲しいんだ。サフィニアは絶対にここに、俺の傍に存在したんだって確証が」

「――そうか」


 必死に訴えるオスカーの瞳に嘘などない。人を見る目はある方だと、アマリリスは自負している。

 果たしてサフィニアはどう想うだろうか。

 しばし悩んで、アマリリスは腹をくくってオスカーを見た。


「そこまで言うなら手伝ってやるよ。たぶん、サフィーはお前のことを考えて拒否するだろうな。でも本当は嬉しいはずだ。サフィーは幸せだろう、その言葉を聞けるだけで」


 だから、とアマリリスは視線を鋭くして笑った。


「本人さえ騙して、サフィーが断るに断れない状況を作ってやるよ」

「っ本当か!」


 ほっと脱力してオスカーは肩の力を抜く。よほど緊張していたのだろう。言わば、これは結婚相手の父親に向かって『娘さんをください!』と頭を下げているようなものだ。


「さぁて。オスカー、具体的にどうしたいんだ?」

「結婚式を、サフィーに花嫁衣裳を着せてやりたいんだ。女の夢ってやつなんだろう?」


 それは自分には当てはまらない、と顔を渋くさせて一応うなずく。サフィニアにとっては確かに夢のまた夢、という感じだろう。焦がれても手の届かない夢だ。


「ほんっと、サフィーの相手があんたでよかったな」


 ここまで相手を思い遣ってくれる男はそういない。サフィニアは恵まれている、とアマリリスは頬を緩ませた。


「よし、分かった。俺がどんな手を使っても結婚式は挙げてみせる。いいか、サフィーには隠しておけよ? ばれたら、全部おじゃんだ」

「分かった」


 アマリリスの人脈を考えれば、サフィニアを王都一美しい花嫁に仕立て上げ、王都一素晴らしい結婚式を挙げることができるはずだ。その時を思い描いて、アマリリスは顔を輝かせた。


「要望があったらまとめて俺に言って来い。衣装とか式場とか、そういうのは俺が全部手を回す。けどな、主役はオスカーとサフィーだ。サフィーが望むものを用意するのはあんたの役目だ。俺はそのためならどんな手助けも引き受ける」

「頼もしいかぎりだよ」


 春の訪れるこの時期は一番、結婚式が執り行われやすい時期だ。式場を一ヶ月以内の結婚式に間に合うために準備するのは普通なら無理だ。

 けれど、アマリリスが十年で培った人脈を最大限駆使すればいとも簡単に成し遂げられる。


「アマリー、ありがとう」

「こっちこそ。じゃあな、また今度だ」

「ああ。またな」


 今度こそ、二人はお互いに別れる。アマリリスはほころぶ顔を抑え込み、わざと表情を憂鬱にしながらすぐそこの家に戻った。

 玄関の扉を開くと、帰宅の気配を知ってサフィニアが奥から駆けてくる。


「おかえり。大丈夫? 疲れてる……というか、凄い。綺麗な化粧ね」

「似合ってないだろ? もう、すぐにでも風呂入って流し落とすさ」

「えー、もったいない」


 不満げなサフィニアを受け流し、とりあえず居間に二人で行く。居間の中央に設置した四人掛けのソファーに腰を落ち着けると、身体にふっと安心感が湧いてくる。

 向かいのソファに座ったサフィニアは、少し不満そうな顔で言った。


「私も見たかったなぁ。アマリーのドレス姿」

「やめてくれ。もう二度とあんな格好はごめんだ」


 心底からそう思い、ソファに身を沈める。こんなに疲れたのは久しぶりだ。

 ちらりとサフィニアを窺うと、健康的で頬も上気している。今サフィニアは最高に幸せだと実感しているのだろう。迫る死期さえ忘れられれば、だが。


「サフィー、小説の方どうなってんだ? 進んでる?」


 確か、『残華』だったか。残りの時間で仕上げると言っていたと思う。どんな内容か知らないが、その中身をアマリリスが読むことはおそらくない。

 サフィニアは小首をかしげながらも、肯定する。


「うん。順調だよ。それよりも、魔物の方の動きがないから手詰まりかなぁ。ま、被害が出ないならそれに越したことはないんだけどね」


 それでも内心ではさっさとこの事件を解決してしまいたいのだろう。自分たちが生きているうちに。  ふとサフィニアが悪戯でも思いついた子どものような顔をした。身を乗り出してきて、ふふっと笑う。


「それとね、もう一つ考えてることがあるの」

「何?」

「魔導書を一冊、仕上げようと思って」

「……? それ、いつものことじゃないのか?」


 これまでにサフィニアが綴ってきた魔導書の数は軽く三十冊を超えるはずだ。どれも、サフィニア独自の理論と独自の改良を行った魔術について記述がある。仕上がったサフィニアの魔導書は全てアマリリスも目を通しているから内容は完璧に見知っている。

 不思議そうな顔になったアマリリスに、サフィニアは首を振って否定する。


「というかね、魔術詞マジックフレーズを唱える古語ルーンそのものを改良してみようと思うの」

古語ルーンそのものを?」


 魔術詞マジックフレーズは魔術を行使するために必要不可欠な呪文だ。それは普段アマリリスたちが使う言語とは異なる言語で発音される。つまり魔術を使おうと思ったらまず、魔術詞マジックフレーズを唱えるための古語ルーンを覚えなければならないのだ。

 古語ルーンは千年以上前に大陸で用いられていた言語を改良したもので、魔術を造り出した研究者が造り出したものだ。


「ほら、古語ルーンって結構覚えるの難しいじゃない? あれのせいで容易く魔術を使えない人は多いのよ。だから、普段私たちが使ってる言語でも魔術を行使できるようにしたいの」

「なるほどね。でも、できるわけ?」

「何となく。初めに人間が作り出した言語なんだから、どうにかなるでしょう?」

「……思い切ったことをやるもんだよ」


 サフィニアが言ったことは、魔術そのものを全く違う形式で発動させるということだ。それが成せるなら、それは現存する魔術とはまた異なる“力”と成り代わるかもしれない。

 とは言え、そこにも一ヶ月という時間的制限が掛かってくる。どこまで成功するかは時の運次第だろう。


「やってみて、魔導書ができたらまた読ませてくれよ」

「うん」


 こと魔術改良においてはどこまでも天才だとアマリリスは半ば呆れ気味に思う。今まで魔術師がどれほど研究を重ねても達せなかった境地に、サフィニアはあっという間に達している。

 もしサフィニアの魔導書が大陸に渡ることがあれば、大陸の魔術の根幹を覆してしまえるはずだ。


(俺もやれることをやっとかないとな)


 すでに頭には王妃からの依頼があった護身刀について占められている。どんなものを造るのか、じっくり考えて造らなければ。

 それでも、とりあえず今日は休もう。

 アマリリスはうとうとしてきたまぶたを必死に開け、立ち上がる。


「うー、眠い。さっさと風呂入って寝るわ。お休み、サフィー」

「お休み」


 ひらひらと手を振ってアマリリスはまっすぐ風呂に向かった。

 サフィニアは今日も徹夜するのだろうか。もう、止めろとは言う気力もなかった。



 *****


 

 自宅のふかふかの布団は目覚めた後も眠気を誘うが、何とか二度寝の誘惑を抜け出して工房に急いだアマリリスは、すっかり化粧を落とした顔を輝かせていた。

 朝早く、徹夜した職人を除いて同僚たちはまだ姿を見せていない。この時間帯ばかりは熱気の薄い工房の中で、アマリリスは依頼品の構想に取り掛かる。

 王妃のような普段刃物など持たない女性が携帯し、確実に身を護ることができる武具。それも王妃が護身刀を抜く時はよほど切羽詰った時だろう。慣れない物を持って逆に自分が怪我をしかねない。

 今回追求するのは、短刀としての鋭さではなく携帯しやすく扱いやすいということ。

 そして何より、確実に持ち主の身を護れるということだ。

 アマリリスが夜会でゲイルの腰に差した神剣を見て閃いたものは、奇抜なものではない。むしろ安直で、それゆえに効果は抜群の案だった。


 アマリリスは鍛冶師である。

 そして、魔術師でもあるのだ。


 そのどちらも必要な物を造る。

 海の向こうの大陸では多少値は張るものの、魔術を使えない一般人でも簡単な魔術を使うための道具があった。一般に魔導具と呼ばれるそれを、アマリリスは試し半分に幾つか作ったことがある。だが日常生活に大した不便も感じず、サフィニアによって改良された魔術に不満もなかったアマリリスは、魔導具を使う場所を見いだせずにそれらを御堂入りさせた。

 しかし魔導具なら王妃の無茶な要求も可能にする。素人に簡単に使えて、さらに効果も十分な短刀が仕上がるだろう。魔術を付与させた短刀は、言わば魔刀とでも呼ばれるべきものだ。

 ここで一つ問題になるのは、この島国――ひいては王妃も魔術の存在を知らないということだ。王妃の介助なしに魔術を発動させる魔導具を造らなければならない。

 アマリリスはひとつひとつ、注意点を上げていく。


「まず、防御の魔術を短刀に付加するするのは絶対だ。発動条件は王家の血を引いていること、でいいだろう」


 この発動条件を付加するためには純粋な王家の血が必要だ。それはどうにかしてファランシスから一滴血を分けてもらえばいい。


「鞘に仕掛けをして、鞘から抜けるのと同時に魔術を展開する?」


 特定の人が鞘から刃を抜く場合のみ、魔術を発動する。

 付ける条件はこのくらいだろうか?

 だが、純粋に刃物として使いたい場合もあるだろう。短刀の手入れをする時や何気なく鞘を抜くことも考えられる。そうなると鞘を抜いてすぐに魔術が展開されるのはいただけない。


「なら、強い人間の感情に反応するようにしておくか」


 人間には本能の中に強い防衛本能がある。自分の身に危険が迫る時に無意識に出てくるもの。それに反応するような仕掛けにしておけばいい。

 危険な状態で、鞘が抜けない状況の時もあるだろう。その場合も考えて、所持者に特定の攻撃を向けられた場合の自動対応もできるようにした方がいいはずだ。

 なんだかんだと付与する魔術の数は多くなる。あまり多くの魔術を付加させると魔導具としての機能を上手く果たせなくなるため、刻む魔術の術式はできる限り省略した方がいい。


「あとは外装か」


 まず王家の紋章は必ず彫らなければならない。これは彫るのに許可が必要なので、あとで王城に許可証を申請しに行かなければならないだろう。王族を象徴する蒼の宝石を埋め込むのも必須だ。これも貴重な原石だが、商人と交渉すれば手に入る。

 外装は工房に所属する職人に依頼して作ってもらえばいい。鞘などは鍛冶師であるアマリリスの専門外で、材料さえ提供すれば工房の職人たちも快く請け負ってくれるはずだ。それでなくても王家の依頼なのだから、名誉とすら思える。


「とりあえず、リック爺にも相談するか」


 この手の話は王家お抱え鍛冶師であるリックの方が数段詳しい。ついでにリックの熟練した技を盗むのもいい。その他、アマリリスでは思いつかない考慮すべき問題も処々あるはずだ。

 久しぶりに満足のいく武具が創造できる、とアマリリスは上機嫌になる。


「そういえば……」


 リックと言えば、もうそろそろ鍛冶師として一人前になるための試験が行われるだろう。リックにその試験で認められれば、晴れて一人前。鍛冶師の資格が取れる。

 ずっとアマリリスもロジャスティンも心待ちにしていたことだが、何故か、胸騒ぎを感じる。


「リック爺が、変なことを言い出さなきゃいいけどな」


 工房の中でも群を抜いて高齢のリックの顔を思い浮かべ、顔をしかめる。

 何事も無く一人前になれた日には、もう思い残すことはないと思えるだろう。だがそう簡単にはいきそうにないと感じるのは、気のせいか。

 王妃の依頼品も一ヶ月で何とか仕上がる。今回の依頼品がきちんと作れれば、第二の魔導具を造ってもいい。使い道はないが、今なら自分の形見として誰かに渡すこともできる。


「これで、俺も俺らしいものが遺せる」


 サフィニアが魔導書を残すように、アマリリスは魔導具を残す。

 それは思いついてみれば、とても心躍るものだった。一時はファランシスを恨んだが、王妃の依頼を受けられたことは嬉しい誤算である。王家に奉納される品は後生まで大切に扱われることが確定するのだ。


 魔術師として。鍛冶師として。生きた証を――遺せるのだ。


 わずかに残る未来への危惧を打ち消したアマリリスはいそいそと工房で動き始める。

 この時感じた胸騒ぎが、現実となってアマリリスに降りかかって来るのはまだ先の話である。




 アマリリス 彼岸花科 五月から六月に咲く赤い花。

 今回の話を書くにあたって、双子の名前にはずいぶん悩みました。

 双子の姉の名前をアマリリスとしたのは、花言葉が“誇り”だったからです。

 まさに、このキャラにぴったりな花言葉だと思っています。      

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