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残華  作者: さーさん
6/39

第五話:ゲイル


「アス、客だ」


 いつも通り工房で一心不乱に武具の製作に勤しんでいたアマリリスに、リックが運んできた一言は一日の最悪を一緒に運んできた。

 誰だろう、と示された場所に出て行ったアマリリスは待ち人を見るなり、さっと青ざめた。言われるまでもなく、相手の用事を察してしまったからだ。

 工房の入口には、見覚えのある少年が身なりの良い服を着て笑顔で立っていた。


「……ファランシス」

「やぁ。迎えに来たよ、アマリリス」


 回れ右をしようとする足を抑え込み、顔を引き攣らせてアマリリスは客を睨みつける。

 つい先日、この王子様はアマリリスの話を勘違いした上、王家主催の夜会に招待してとある男との見合いの席を設けてくれたのだ。

 そして、約束の夜会は今日である。


「あのな。はっきり言うが、夜会なんて面倒なものに出る気はない」

「あはは、そんな堅苦しい場じゃないから心配しないで」

「アホ! 王太子様の感覚でものを言うな! 平民からしたら夜会ってだけで堅苦しいわ!」


 だいたい夜会に出るための衣装なんて持っていないとアマリリスが言うと、心得ているとばかりにファランシスはうなずく。


「ドレスとかはこっちで用意しておいたから」

「はぁ!? 民衆の税金をなんてことに使ってやがる」

「税金じゃなくて、私の私財を使ってるから」

「私財?」

「そう。私が自分で儲けたお金だから気がねしなくていい」

「ってそんな問題じゃない。そもそも、俺は傭兵なんかに興味は……」


 ない、と断言する前にファランシスがパンパンッと両手を叩いた。

 思わず言葉を止めたアマリリスの前に、どこからか数人の女性が現れる。その服装は皆、王城の女中メイドが着る御仕着せだ。


「さぁ。アマリリス、外に馬車を待たせているんだ。急ごう、時間がない」

「は? 開催時刻までまだ三時間もあるじゃねーか」

「三時間しか、だよ。母上が君に会ってみたいとおっしゃられててね。それなりの準備をしなきゃいけないだろう?」

「母上って……王妃様!? ちょ、待て。聞いてないぞ、そんなこと! 十分堅苦しい席じゃねーか!」


 叫んで後ずさろうとするアマリリスに、ファランシスは笑顔で女中メイドたちに命じた。


「彼女を連れてきて」

「「かしこまりました」」

「っ……!」


 あっという間に女中メイドたちはアマリリスを囲み、その手でしっかりアマリリスを捕らえる。これが男なら暴れて逃走するが、女性に乱暴はできない。

 くっと顔を歪めてアマリリスはなおも抗議する。


「だ・か・ら! 夜会なんか、でるかってんだ! 離してくれっ」


 しかし、思いのほか女中メイドさんたちの力が強い。振り払うに振り払えないのをいいことに、ずるずるとアマリリスは引きずられていく。

 額に青筋を浮かべてファランシスを振り返ると、彼はのんきな笑顔でこちらを見ている。


「ファランシス!」

「ああ。怒った顔も可愛いよね、アマリリスは」

「お世辞は要らない! てめぇ、覚えてろ。後で締め上げてやる」

「怖い怖い。母上は約束破ると怖いんだよなぁ」

「それが本音かーっ!」


 輝く笑顔で肩をすくめるファランシスに、アマリリスは確信する。この王子様はけして勘違いなどしていなかったのだ。ただ、王妃と会わせるためだけにこの見合いを仕組んだのだ。

 見事に騙されたことに歯噛みしつつ、しっかりアマリリスは報復を誓った。


 かくして、簡単にアマリリスは馬車で王城に連れ去られたのである。

 工房で働くロジャスティンがその一部始終をばっちり目撃し、深々と嘆息したのはアマリリスの知らない話。



 ***** 




 ウィンターソン家は貴族ではなかったが、由緒正しい上流階級の家柄であった。つまり、双子はまさに良家のお嬢様だったのだ。八歳まで双子を育てた両親は、双子に多くの知識と教養を叩き込んだ。

 そこにはもちろん、礼儀作法もふくまれるわけで。

 幼い頃は毎日それなりに綺麗なドレスを着て生活していた。一人称も「俺」ではなく「私」。現在とは正反対に女の子らしかったが、勝気な性格だけは変わっていない。


 王太子一向に連れ去られたアマリリスを待っていたのは、アマリリスにとって拷問のような時間だった。まず、身体を数人がかりで頭の上から足のつま先まで綺麗に懇切丁寧に洗ってもらい、しまいには身体中に香油まで塗ったくられた。


『まぁ。素晴らしいお身体ですわね』


 裸に剥かれて女中メイドに感嘆された瞬間をアマリリスは死んでも忘れられないだろう。これ以上の辱めがあるだろうか。思い出すだけで鳥肌がたち、ぞっとする。

 その後も身体中、同性とは言え否応なく触られまくった。貴族の女性はいつもあの扱いを受けて満足しているのかと思うと、彼女らが未知の生物に思えてきたほどだ。 

 全身ぴかぴかにされてぐったりしたアマリリスに、今度は山ほど積まれたドレスを見せられ、何度もあれじゃないこれじゃないと数多のドレスを着せられた。


 俺は着せ替え人形じゃねぇっ!

 

 何度そう叫んだだろう。怒鳴られてもニコニコ迫ってくる女中メイドたちに恐怖を覚えたアマリリスを誰も責めないで欲しい。

 そもそも、一度の夜会のために何着のドレスを用意したのだろう、あの馬鹿王子は。

 王族の金銭感覚を疑った瞬間だった。


 ようやく一着のドレスを選び終わったかと思うと、次は装飾品と髪型だ。両親とサフィニア以外の人間にあそこまで髪をいじられ、褒められたのは初めてだった。

 アマリリスが女中メイドたちから開放されたのは、丁度夜会の開催される時間帯で、ファランシスが「時間がない」とのたまっていた理由を身に染みて実感してしまった。


 精神的に疲労したアマリリスはぐてっと身体を丸めたい衝動と必死に戦い、姿勢を正していた。背筋をぴんと綺麗に伸ばし、疲労などけして窺えない完璧な表情を作り上げる。

 久しぶりにドレスを着せられ、その正装姿で無様な姿を晒すのはウィンターソン家の誇りが許さない。

 ファランシスが一体何を考えて、アマリリスに王妃と噂の傭兵を会わせようとするのかさっぱり分からない。それでも、みじめな姿だけは晒したくない。

 ここまで来ればいい加減腹もくくれる。

 アマリリスの前には、王城の大広間に続く扉が据えられている。一歩、扉をまたいだ先にいるのは、この島国を支配し統治する上流階級の男女たちだ。

 本来なら縁もゆかりもなかったはずの場所に立ち、アマリリスは妙な感慨にふける。思えば、ずいぶん遠い場所に来たものである。


 この先は未知の世界。国の上流階級の者が集う場所。無様な姿を晒して、自らとその身に流れる血を貶めることだけはアマリリスの矜持が許さない。 


 すっと父譲りの蒼の双眸で扉を見据え、一歩踏み出す。

 扉の横に立った衛兵が手元にあった大きな鈴をシャランッと鳴らした。それは広間に集った招待客に、新たな客が入場してくる合図。

 ギギッと音を立て、大きな扉が開いていく。

 アマリリスはその先を見据えたまま仮面の微笑を浮かべた。


 今ここにいるのは“アス”と呼ばれる鍛冶師ではなく。

 アマリリス=ウィンターソンという気高き女性・・である、と自らと周囲に知らしめるように。


 アマリリスが夜会の会場に足を踏み入れた瞬間、多くの視線がその身に注がれた。会場にいる全ての視線をただ一人が独占する。

 シンッと静まり返った会場に、アマリリスは堂々と足を踏み出した。

 

 その歩き方はいつもの粗雑さのにじみ出るものではなく、よく躾けられた貴族のお姫様のそれ。どこまでも優雅に、美しく、水が流れるように自然な動作。

 身に着けたドレスは灼熱の赤。身体にぴったりした形で、女性らしい完璧な曲線を描いている。肩と腕には薄い色素の透けるショールをかけ、一歩踏み出すごとに深くスリットが入ったドレスの合間からすらっとした美脚が覗く。

 近年流行しだした露出の多いドレスだが、あからさまなはしたなさはなく、完璧に着こなされている。

 きめ細かい白い肌と薄桃色の唇。その端正な顔立ちに浮かぶ微笑は妖艶な色気をたっぷり放っていた。

 彼女を輝かせるのは、芸術品のような完璧なバランスを誇る肢体ではなく、その蒼の双眸に乗る力強い意思。堂々と会場を見渡すその瞳の強さが、女性の儚さを打ち消し、気高く高貴な花として咲き誇っていた。



――老若男女関係なく、全ての人々を魅了する絶世の美姫がそこ存在した。



 沈黙を破ったのは、こつりという靴が床を踏む音。会場の視線が集まる中、この国の王位継承者にして王太子たるファランシスがゆっくり歩み、アマリリスに近寄った。


(この、ド腐れ王子が……っ)


 内心のそんな想いを隠しつつ、目の前に現れたファランシスをアマリリスは笑顔で見つめた。

 そうすることで絵になる美男美女の姿が出来上がる。

 ファランシスは無邪気に見える笑顔ですっと片手を差し出してくる。


「お手を拝借しても構いませんか?」

「よろこんで。ファランシス様」


 淑やかな自分の声にぞっとしつつ、ファランシスの手を取る。その際に懇親の力でぎゅっと握ってやると、ぱきっという音と共にわずかにファランシスが顔を歪めた。

 日々仕事で鍛え、さらに身体強化の魔術がかかったアマリリスの握力をなめないで欲しい。


――なんて美しい

――あの方はどなた?


 アマリリスがファランシスの腕を取り、二人並んだところでざわめきが復活する。

 会場の女性から向けらる嫉妬と羨望の視線が痛い。あからさまに舌なめずりする男ども視線も。

 その中を悠然と歩きだして、ファランシスが小声で得意げにささやいてきた。


「言ったでしょ? 君は誰よりも綺麗だ」

「そんな戯言のためにこんな夜会に拉致ってきたのか?」

「君みたいな美女をエスコートできて私は幸せだな」

「人の話をきけや、コラ」


 そんな会話を声を落として行う。今すぐにでも高いヒールの踵でファランシスの足を踏んでやりたい衝動に駆られ、我慢する。


「それより、ほら。約束どおりゲイルを紹介しよう」

「てめぇが勝手に取り付けた約束だろうが」

「それでも約束は約束さ」


 笑顔のまま、アマリリスは密着したファランシスの腕をぎゅっと締め上げる。

 器用にもファランシスはぴくっとまゆを震わせただけで、笑顔で小さく抗議する。


「痛っ、痛いんだけど」

「このくらい耐えろモヤシ王子」

「モ、モヤシ……。ねぇ、アマリリス。顔と言ってることが一致してないっていうか、凄い仮面だね」

「ふん。伊達に十年間男としての演技を追及してきてねぇっての」

「演技? あれ、演技だったのか?」

「初めの頃はそうだった。今はあれが地だ」

「いやはや。その変貌っぷりには叶わない」


 苦笑しながらファランシスがアマリリスをエスコートしていく先に、会場内でも一際目立つ巨体がいた。きちんと正装しているが、いかにも窮屈そうに着こなしている。彼には高級なタキシードよりも無骨な鎧の方が数段似合うはずだ。

 目を丸くしている巨体の前に来ると、ファランシスはアマリリスを紹介する。


「ゲイル。彼女は私の友人なんだ。彼女が君に興味があるらしくてね」

「え!? あの」

「アマリリス=ウィンターソンです。よろしくお願いします」

「あ。えっと、ゲイル=ジャントレアだ……です。よろしく」


 困惑顔でゲイルは慌てて頭を下げる。

 そわそわと落ち着かない彼は、アマリリスと同じく優雅な夜会の会場に不似合な存在だった。


「じゃ、私はまだやる事があるからね。ここは頼んだよ、ゲイル」

「って、殿下!」


 慌てるゲイルに笑顔で手を振り、ファランシスはさっさと去っていく。

 これで約束通りの見合いの席が出来上がる。

 アマリリスは舌打ちしたい衝動をぐっとこらえた。

 そんなアマリリスを凝視して、ゲイルが恐る恐る訪ねてくる。


「……すいませんけど。その、家族に“サフィニア”という方は」

「妹だ。双子でね、似ているだろう?」

「へ?」

「すまん。これが地だ。きちんと他の奴らの前では猫被るから気にするな」

「はぁ」


 笑顔を浮かべて、口調だけを変えたアマリリスをしげしげと眺めてゲイルは目を丸くする。格好と口調があまりに違いすぎて違和感があるのだろう。

 アマリリスも油断なくゲイルを観察する。サフィニアの話ではゲイルに双子を害する気はないようだが、念には念を押した方がいい。初対面の相手をすぐに信用するものではない。


「この前は妹を助けてくれたんだって? 礼を言うよ」


 とは言え、昔ならともかく今のサフィニアなら、ゲイルの手助けがなくても魔狼フェンリル程度なら撃退できただろう。それだけの技術と度胸をサフィニアは持っている。


「いや。仕事を果たしただけだ」


 すっと顔を引き締め、真顔でゲイルは言う。

 二人の間に流れる雰囲気が変わったことを察して、アマリリスは率直に切り込んだ。


「本題に入ってもいいか? 一つだけ、確認したいことがある」

「どうぞ」

「――お前は、俺たちの敵か?」


 すっと殺気を乗せてゲイルを射抜く。

 反射的にだろう、彼の手が腰に下げた剣の柄を握る。傭兵らしい反応だ。ゲイルは厳しい顔つきで剣の鞘から手を放し、首を横に振る。


「今のところ、あんたらに手を出す気はねぇけど。一応、あんたの妹と手を組んでるしな」

「魔物の件か」

「ああ。まだ、新しい獲物はあぶりだせてないがね。あと、二体は確実にどこかに潜んでるぜ」

「それはたぶん、サフィー……妹が探し出すさ」


 こと魔術においては、アマリリスもサフィニアには到底叶わない。サフィニアはその人生を魔術に捧げてきたと言っても過言ではないのだから。サフィニアなら、禁術ですら使いこなせるはずだ。最も難しいとされる時限の魔術にはてこずっているようだが。

 アマリリスは殺気を収めて言う。


「あんたが敵じゃないなら、いいのさ」

「今あんたらを殺しても利益はないからな。大陸でならともかく」


 と言うことはやはり、サフィニアとアマリリスが“予言の双子”であると気付いたのか。すっとアマリリスは目元を厳しくする。

 あと一ヶ月、その間に他の大陸出身者と接触しないことを切に願う。邪魔者はゲイルだけで十分だ。


「ところで」

「ん?」

「その、腰に下げてる剣。普通の品じゃねーな?」

「ああ。神剣だ。一目でよく見抜けたな」

「そりゃ、俺は一応鍛冶師だからな」


 見習い、ではあっても八年間伊達に武具を打ち続けてきたわけではない。その品を一目見れば、どんな武具でどんな扱いをされて来たのか分かる。


 神剣――それは、魔術とは一線を画す力で創造された剣。大陸の遠く、端の方にある国で独自に発展した神聖術という力で造られた剣なのだ。魔術と神聖術がどう異なるかは知らないが、その剣はあらゆる力を無効化し切り裂くという。

 一種の魔剣のようなものだ。


「鍛冶師?」

「ああ。この王城の近くにある工房で働いてる。衛兵の持ってる槍とか剣の中には俺が鍛えたものもあるぞ」

「へぇ。若いのに凄いな、あんたら姉妹は」

「……必死に生きてきたからな」

「何か言ったか?」


 いや、と首を振ってこの十年間を思い出す。自分の死期を知ってから、双子は悩んで苦しみいてきた。何故、予言の双子と呼ばれ故郷も家族も失わなければならなかったのか。日に日に増える魔力と異常なほどの魔術への才能を持って生まれた意味は?

 理不尽な状況の中で、一秒ごとに近づく死に怯え、双子が最終的に欲したのは存在意義だった。――この世に、自分たちが生まれた意味を見出したかった。

 その想いがサフィニアに魔術と文学を追求させ、アマリリスに鍛冶師となる道を選ばせた。

 たくさんの物を残して、それが何かの役に立ったら――祖国を滅ぼすとされた自分たちでさえも、世界の役に立てるのではと思った。


「俺たちは同年代と比べて早熟でね。生き急いでるのさ」

「生き急ぐって、あんたらまだ十代だろう」

「今年で十八だ」

「まだまだ時間はたっぷりあるじゃねーか」

「……普通ならな」


 アマリリスの含みを帯びた返答にゲイルが眉を寄せ、口を開こうとする。

 しかしその前に再び来客を知らせる鈴が響き渡り、ゲイルは口を閉じた。

 会場の視線が、開かれる重々しい扉に向かう。


「王妃様のおなーりー」


 扉の前にいる衛兵が一言告げると、会場全ての人間が居住まいを正す。

 扉が開かれ、現れたのは二児の母とは到底思えない美しい女性だった。年頃は二十代に見えるが、実年齢は確か三十七だったか。素晴らしい若作りだ。

 古式ゆかしい蒼のドレスを纏っている。確か、蒼はこの国の王族にのみ許されたドレスの色だ。

 そして、アマリリスとサフィニアの双眸に宿る色と同じもの。 

 典型的な淑女、それがアマリリスの王妃に対する初印象だった。王妃としてはこれ以上ないほどふさわしい方だろう。影ながら王を支え、次代の王を生み、反発なく臣下を抑えることのできる優秀な女性。その理想像のような人間だ。

 実際に話してみないと確信は持てないところだが。


 息子であるファランシスが悠然と王妃に歩み寄り、アマリリスにしたように腕を取ってエスコートする。仲にいい親子だ、と二人の様子を眺めながら思う。

 ファランシスがまっすぐアマリリスとゲイルの方に向かって来ているのを見て、さすがにアマリリスは頬が引き攣った。


「あの、くそったれ……!」


 低くしたつぶやきにゲイルが隣でぎょっとする。

 アマリリスは自分が目立っていることを十分、自覚している。そこへ、まっすぐ王太子と王妃が向かってくるのだ。自然と会場の視線がひしひしと注目してくる。

 夜会の場で、王妃と王太子が初めに声を掛ける存在。それはこの夜会で二人がもっとも親しく重要視している存在だと公言したも同然。

 アマリリスにこれ以降、人間関係という厄介事がもたらされるのと同義だ。

 しかし、この場で逃げ出すわけにはいかない。

 仕方なくアマリリスは猫を被って二人の貴人を受け入れた。


「母上、紹介しますよ。彼女が私の友人です」

「お初にお目にかかります、王妃様。アマリリス=ウィンターソンと申します」

「まぁ。こちらこそ、よろしくお願いしますわ」


 紹介された王妃は目を輝かせ、一礼したアマリリスの手を取り握り締める。

 全身で会えて光栄だと表現する王妃に、アマリリスは困惑した。ファランシスがどんなことを吹き込んだかは知らないが、嫌な予感しかしない。


「初めてファランシスが友人を紹介してくれると聞いて楽しみにしておりましたの。こんな美人をどこで捕まえたのかしら。アマリリス様、ファランシスを頼みますわ」

「は? あの、それはもちろん、友人としてなら」

「いっそ、嫁に来てくださってもいいのよ?」

「いえいえ。ご遠慮させていただきます。私はただの一般庶民ですから」

「ただの一般庶民がそのような教養を身に付けているはずがありません」

「異国の人間ですよ。祖国では良家の出身ですが、この国では庶民ですから」

「構いませんわ。身分なんて関係ありません」


 唐突な話の展開にアマリリスは目を剥く。一体どうしてファランシスの嫁、もとい王太子妃にならなければならないのか。

 しかも、王妃が「会いたい」と言い出したのではなく、ファランシスが「会わせる」と言ったのか。どういうことだ、と視線でファランシスを問い質す。

 ファランシスはそれを笑顔で無視して言った。


「お待ちください、母上。話が性急過ぎます。そういうことには順序と言うものが」

「ファランシス!」


 順序とかいう話じゃねぇ!

 カッと頭に血が上り、思わず王太子を呼び捨てにする。暴言を吐かなかっただけましだろう。それから目を丸くしている王妃に必死に弁解を図る。

 それでなくても、アマリリスはファランシスを友人だと思っていても、恋愛対象にはしていない。あらぬ誤解は与えないに越したことはない。


「王妃様。誤解です。私とファランシス様はそのような関係ではありません。私はただの悪友、ただの鍛冶師です」

「あらあら。残念だわ。鍛冶師でいらっしゃるの?」

「はい。リック=モンクレアの弟子です」

「あのリックの? では、城下の工房にいらっしゃるのね?」

「はい」

「聞いたことがあるわ。優秀なお弟子さんが二人、いらっしゃると。貴方のことでしたのね」


 ほぉと感嘆する王妃に曖昧に笑ってうなずく。その顔がさらに輝いてアマリリスを注視しているのがもの凄く気になる。


「なら、一つお願いしてもいいですか?」

「……何なりと」


 嫌だ、と口に出掛かるのを抑え込む。何かとてつもなく嫌な予感がするのだ。

 王妃はきらきらと目を輝かせたまま言った。


「私の護身刀を一本作ってくれないかしら?」

「護身刀?」

「ええ。この頃は物騒でしょう? いつも持ち歩けるものが欲しいの」


 アマリリスがそっとファランシスを窺うと、力強い肯定が返ってきた。これが本題か、と苦々しく思う。

 王妃の護身刀を作るということは、いわば王家お抱えの鍛冶師になると同義ではないか。しかも護身刀というと切れ味だけでなく細かな細工まで追求しなければならない。王妃専用の護身刀を造るとなると話はアマリリスのものだけに留まらないだろう。武具というのは、鍛冶師だけで造れるものではないのだ。


「お言葉ですが、王妃様。私はまだ見習いです。それに、工房の方に要請されれば私よりも腕の立つ職人が最高の品をお届けすると思います」

「貴方では駄目なの?」

「まだ、独り立ちしいない未熟者です」


 遠まわしに辞退しようよすると、ファランシスが口を開く。


「けれど、アマリリスはもうすぐ“見習い”ではなくなるはずだろう? 貴方はもう、八年もリックの下で腕を鍛えているのだし」


 悔しいが反論できない。八年という年月は、アマリリスを一流の鍛冶師にするには十分な年月であり、もう少しすればリックがアマリリスとロジャスティンを試験し、満足な結果を出せば晴れて一人前と認められるはずだ。

 

「なら、問題ありませんよね?」

「どうしても、私なのですか」

「できればお願いしたいわ。リックからもファランシスからも腕の良さは聞き及んでますし」


 逃げ道はないらしい。あとでファランシスを絞め殺そうと覚悟を新たにし、渋々アマリリスは腹をくくることにした。

 もとより王妃の要求など早々拒めるものではないのだ。


「条件があります。私はまだまだ未熟ですので、凝った細工や装飾は造れません。ですが、武具として、王妃様の身を護るためだけの性能を追求するものなら造ることができます。それでよろしければ、短刀を一つ、造らせていただきます」

「ええ。それでいいですわ。もともと、護身用にという意図ですから」

「承りました」


 護身刀――それも、か弱い女性の握力で携帯でき、たやすく扱うことのできる短刀となると、造るのは難しい。さて、どうしたものかと製作について頭の中が占められる。 

 王家の人間に渡すとなると下手なものは造れない。

 ふと、隣で黙っているゲイルに視線が行く。正確にはその腰に下がった神剣に。

 武具としての切れ味以上に、付加された能力が重要視される道具。魔術に置き換えてみれば、魔導具だ。


「王妃様」

「何でしょう?」

「身を護るものなら、それは刀でなくても構いませんか?」

「え? ええ。護身刀が一番手ごろかと思って頼みましたから」

「ありがとうございます。一ヶ月以内に献上しますので」


 ふと閃いたものに、無意識の内に笑みが深くなる。今すぐ工房に戻って作成図を作り、この手で造り出したい衝動に駆られる。職人としての躍動感に震えながら、初めて王妃と会い見えたことに感謝した。


「話が纏まったところで、母上。もうそろそろ他の方々の下へ行った方が良さそうですよ」

「そうですね。では、アマリリス様。次に会えるのを楽しみにしておりますわ」

「有難きお言葉にございます」


 深々と頭を下げて名残惜しげな王妃とファランシスを見送る。その途中でファランシスが振り返り、ゲイルに付いて来るよう促す。

 ゲイルはゲイルでこの夜会でやることがあるらしい。

 気さくに別れを告げ離れていくゲイルを見送り、アマリリスはほっと息を吐いた。


(慣れねーことはするもんじゃない)


 猫被って淑女の演技をするなど、疲れが溜まる。自分らしくないことはしたくない。

 面倒ごとが去ったと息を吐いたのは一瞬。すぐにアマリリスはさらなる面倒ごとに巻き込まれることになる。 



 *****




(これも全部あの馬鹿のせいだっ)


 王妃とファランシス、ゲイルが去ってから間もなく、アマリリスはさらなる面倒ごとを目の前に突き出されていた。

 いい加減、我慢の限界である。どれほど怒鳴り散らしたいことか。腹の底にぐっと力を込め、アマリリスはどす黒い怒りの炎を抑え込む。もうそろそろ、厚い淑女の仮面も剥がれそうだった。 

 あの三人が去り、一人になったアマリリスをわっと人が囲んだのは間もなくのことだった。それも何故か男ばかりである。中にはあからさまに鼻の下を伸ばした奴らもいる。

 さりげなく手を伸ばしてくる奴らをどれほどあしらっても沸いてくる沸いてくる。しかも、会場中の着飾った女性の冷ややかな視線が痛い。

 望んで出席したわけでもないのに、何故こんなことに巻き込まれなければならないのか。


「姫君、どうか私と一曲踊ってくださいませんか」

「いえいえ、それなら私と」

「皆さん。姫君が怯えていらっしゃる、さぁ姫君私の手を」

「何か飲みたいものはありませんか。こちらのワインなんて」


 云々(うんぬん)、ひっきりなしにアマリリスを囲む男たちは誘いを掛けてくる。

 ああ、ここでいつもみたいに尻を蹴たくって追い散らしてやれればどれほど爽快かと額にびしっと青筋を浮かべ、アマリリスは全てを断る。王妃と別れた時点でさっさと退出しておけば良かったと後悔しても、後の祭りだ。


(どうしてくれようか、この状況!)


 だいたい、ドレスを着て淑やかに微笑んでいるのはアマリリスではなくサフィニアの領分だ。けしてアマリリスの役割ではない。アマリリスはむしろ、騎士服を着て剣を持って敵を迎え撃つ役割だ。

 どうしてここにいるのが俺なんだろう。


 そんな感じにかなり困っている時だった。救いの手が現れたのは。


「すまない。遅くなった、アマリリス」


 そんな一言と共にアマリリスを取り囲んでいる男たちを押しのけ、すっと造作もなく自然な動作でアマリリスの手を取った人物がいた。

 目の前に立ったそいつをアマリリスは目を丸くして凝視する。


 絶句。


 有り得ない、と思った。


「一体君は誰だ」

「急に現れて無礼だぞ。この姫君は私と今約束を」

「何を言う。私だ」 

「きちんと礼節をわきまえ給え」


 周囲の男たちがあからさまに気分を害し文句を垂れるが、アマリリスの手を取った青年は涼しい顔で応えた。青年は憤慨する貴族たちを見回し、堂々とその名を告げる。


「少し遅れてしまいましたが、この方のエスコートは王太子殿下から直々にこの私、ロジャスティン=ド=アラモンドが預かっております。ですので、どうかお引取り願います」

「アラモンド……、アラモンド侯爵の御後胤か!?」

「――お引取り、願えますね?」


 有無を言わさぬ威圧感をかもし出すロジャスティンに、周囲の男たちはたじたじになり、わざとらしく「ああ、用事があったのだった」「そうだ、私も」などと言いながら散り散りになって行った。

 その手際の良さに唖然とする。


「まったく。こんなことだろうと思ったよ」

 

 はぁとため息を吐いてこちらを振り返った貴公子・・・を、アマリリスは呆然と凝視する。


「ロ、ロジャー?」

「それ以外の誰に見えるのさ」

「嘘だろ、おい」


 自分の手を取る身形の良い青年に、アマリリスは「有り得ない」と何度もつぶやく。

 何でこんなところに。貴族だとは知っていたが、この会場にいるとは思ってなかったし、何より『侯爵』だったとは。頭が破裂パンクしそうだった。 


「お前、何やってんの?」


 やや苛立たしげに聞かれ、アマリリスは絶句したまま思った。

 それはこちらの台詞せりふだ、と。

 



思いのほか、アマリリス視点の話が長くなりそうです。

今回は中途半端に終わってしまったので、次回もアマリリス視点でいきます。



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