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残華  作者: さーさん
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第四話:アマリリス


 むっと熱気が篭った工房。そこは年中を通して熱が空気を蒸し、かんかんっと武具を打つ金属音が絶えない場所である。

 王都の中心に聳え立つ王城の足元に居を構えた工房は、国中から名工が集まった国一の鍛冶工房だ。鍛冶工房とは言っても、鍛冶師だけが所属するのではなく、白金師や鞘師、研師なども所属している。またこの工房は王家直属の鍛冶工房であり、国に支給される武具の多くはこの工房で作られる。

 まさに国中の技術を集積した工房の一角、男の姿ばかりが見られる中に一人、女であるアマリリスは混ざっている。アマリリスは八年前から工房で鍛冶師見習いとして働いているのだ。

 アマリリスは額に流れる汗をぬぐって再びハンマーを持ち直した。それっと腕に力を込めて、炎で熱された武具の刃を打ち付ける。

 工房中に響く金属音が耳に心地よかった。 

 仕事がひと段落したところで、聞きなれた声が背後からかけられた。


「おう。アス、早朝から頑張ってんじゃん」

「……ロジャーか。今何時だ?」

「五時だけど?」

「夜明けじゃないか」

「おいおい。アス、まさか家に帰ってねぇとか言わねーよな?」

「そのまさかだ」


 同じ鍛冶師見習いであり、幼馴染であるロジャスティン=ド=アラモンドが呆れ顔で嘆息する。

 彼は名前から分かるとおり貴族の息子だ。酔狂どころか珍動物としか思えない彼の父親は、貴族にあるまじき慈善意識の高さと自由奔放性を兼ね備えており、その息子もまた貴族とは思えない平民っぷりだ。

 ダイヤモンドの輝きより、剣の刃の物騒な輝きの方が好きなのだそうだ。 

 ちなみにロジャスティンの父親が、アマリリスとサフィニアを保護した孤児院を援助している貴族である。


「お前さぁ、この頃無理しすぎじゃねえ? 身体壊すぞ」

「分かっている」

「サフィーが心配するぞ?」

「そこは心配しなくていい。サフィーの方が不健康な生活を送ってるからな」

「……お前ら姉妹は……」


 あと一ヶ月しか猶予がないアマリリスとサフィニアにとって、一分一秒が大切で貴重な時間だ。

 休んではいられない。

 身体が睡眠を渇望するまでは、限界まで鍛冶師として生きていたいのだ。武具と向かい合い、磨ぎ、打ち、その形を成すまでの過程をしっかり目に刻み、新たな武具を世に生み出していく。

 サフィニアが小説家として本を遺すように、アマリリスは数多の武具を世に遺すことを選んだのだ。

 アマリリスにとって鍛冶師はまさに天職だった。鍛冶師見習いとなって八年。磨いて来た鍛冶職人として腕は見習いのそれでなく、たしかにアマリリスは創造の天才だった。

 アマリリスは制作途中の武具を見つめてつぶやく。


「いいんだよ。俺にはもう時間がないんだから」

「はぁ? 何だよ、それ」

「もう一ヶ月もすれば分かる」

「そーかい」


 やってらんねーとぼやきながらロジャスティンは傍らを通り過ぎていく。

 アマリリスはそれを呼び止めた。一昨日サフィニアに伝えられたことが頭に残っていた。


「何だよ?」

「調べて欲しいことがある」

「ふぅん。言ってみ」

「異国の人間で、この頃果物屋の娘を助けた男の素性を調べて欲しい。できれば、現在地も」

「曖昧な情報だけど、まぁいいよ。調べとく」

「頼む」

「おう。頼まれたぜ」


 一昨日、サフィニアが懸念していた人物のことだ。大陸から渡ってきた可能性の高い、双子にとっては現在の平穏を壊しかねない不穏分子。

 情報通のロジャスティンのことだ、数日中には調べて報告してくるだろう。


(そう言えば、サフィーとオスカーはどうなったんだろうな)


 昨日、朝早くに訪ねてきたオスカーと一緒にサフィニアは孤児院を出て行き、それ以来サフィニアとは会っていない。アマリリスはその後工房に出向いて今まで武具とずっと向かい合っていたから、二人がどんな結論を出したのか、知らない。

 それこそ幼い頃は片時も離れず共に在った双子だが、成長するにつれて別行動が多くなった。互いにするべきことを決め、自分の道を進み始めたのだ。

 昔のように傍にいなくても、互いが繋がっていると直感的に認識できている。


(まぁ、オスカーがどんな結論だそうが、サフィーを泣かせたら俺が絞めるけどな)


 サフィニアは今までずっと胸に隠し続けてきた秘密を話すかもしれない。――あと一ヶ月で死ぬ、という秘密を。

 そんな予感が、オスカーがサフィニアを迎えに来た時からアマリリスの胸に巣食っている。

 そして、オスカーはそれを聞いてなおサフィニアを求めるのだろうか?

 残りわずかな時、サフィニアに幸せな日々を過ごして欲しいとアマリリスは願っている。万が一にも有り得ないとは思うが、オスカーがサフィニアを捨てて逃げるようなら半殺しにしても気が済まない。


「おや。アス、ずいぶん物騒な顔をしているね」

「……リック爺」

「また徹夜したな? ひでぇ顔色だぞぅ」


 ロジャスティンに続いて現れたのは、人の良さそうな笑みを浮かべた好々爺だった。この工房を取り仕切る頭領である。リック爺と呼ばれて親しまれる彼は、鍛冶師として腕は確かで、一度鉄に関わればとんでもなく厳しくなる。だが普段は気遣いと優しさを忘れない尊敬すべき老人だ。

 またリックはアマリリスとロジャスティンの師匠であり、昔から多大な恩を受けている。


「すみません」

「いやいや、お前さんにはお前さんの考えがあるだろうさ。文句は言わねーが、倒れたら承知せんぞ」

「そこは大丈夫です」

「なら、いいわい」


 油と熱で汚れたアマリリスの頭をわしゃわしゃと撫で、リックは去っていく。

 普段起きている時のアマリリスは魔術で身体を強化した状態にある。何日も身体強化の魔術を持続できるのは、生来の魔力量の恩恵だ。

 鍛冶師になるためには体力と腕力、女では望めない身体能力の高さが不可欠だ。本来なら女の身で鉄を打つなど、才能に恵まれない限り、無理がある。そこをサフィニアは魔術で代用しているのだ。

 魔術で身体を強化している間は倒れることはない。しかし、一度魔術を解除すると蓄積した疲労のために多くの休眠が必要になる。なまじ魔術で誤魔化しているだけ、反動は大きい。

 アマリリスは後のことを考えて、ほどほどに休息を取ろうと考えを改める。

 ふとアマリリスは手元に視線を落とす。八年もかけて鍛冶師として腕を磨いてきたアマリリスは、出来の如何はともかく、多くの作品を生み出してきた。


「俺は、鍛冶師」


 サフィニアが小説家として名を残すように、アマリリスは鍛冶師として作品を残す。世界に名を刻むほど大層な業物は、八年鍛冶師を極めた程度では残せないが、アマリリスが作り出したものは人の手を渡り長い時の中を生きていく。――長く生きられない、アマリリスの代わりに。

 だがアマリリスには、鍛冶師ではないもう一つの役割がある。


(そして、魔術師でもある)


 才能こそサフィニアには及ばないが、アマリリスとて生来の魔術師としての素養は充分に持っている。予言の双子として祖国を追われなければ、間違いなくアマリリスも一流の高等魔術師として名を遺したはずだ。

 サフィニアは魔術の改良という多くの魔術師たちが挑み、敗れてきた難題をこなして見せた。彼女の残す術式は大陸でも通用するだろう。

 ではアマリリスは魔術師として何を残せるだろう?


『貴方たちは誇り高きウィンターソン家の魔術師であることを忘れてはなりません』


 最期に母が遺した言葉が脳裏によみがえる。

 誇り高き魔術師として。一人の鍛冶師として。


「どちらも、両立した何かを」


 創り出したい。

 そう願うことは、おかしなことだろうか?




 *****




 十年前。言葉も文化も違う場所で、意識が戻らない昏睡した妹の隣で目を覚ました時。アマリリスは自分が生きていることを呪った。

 何の説明もされなくても、サフィニアの一ヶ月の不調がアマリリスを甦らせた副作用だと分かっていたからだ。

 十日間もの間昏睡して目を覚まさなかったサフィニアが目覚めた時、アマリリスは心底安堵した。

 護るべき妹に護られて、さらに右も左も分からない未知の場所で一人生きていくことなんてできなかった。サフィニアが目を覚まさなかったら、後追い自殺だって躊躇わなかっただろう。

 サフィニアから、自分たちがあと十年の命だと聞いた時は驚いたもの、すんなり受け入れられた。もとより死ぬはずだった身。それが十年の猶予を与えられたのだから僥倖だ。

 その十年がサフィニアの寿命を削って与えられたものと知った時は、自分の存在を憎んだものだ。


 アマリリスは妹を護りたかった。だから、幼いアマリリスが求めたのは明快な力。武術だった。けれど、誰に言っても「女の身で武術なんて」と返って来る。

 その頃、孤児院を援助する貴族の息子・ロジャスティンに出会い、鍛冶職人の工房に連れて行かれた。その場所で、アマリリスは鍛冶職人が作る武具の輝きに惹かれたのだ。

 ロジャスティンと共にリック爺を「見習いにしてくれ」と拝み倒して工房に通い出したのが、十歳。以来、アマリリスは武具を作る側に回った。

 サフィニアを護るためにたくさんの人間と縁を結び、少しでも周囲の環境を穏やかで過ごし易い様に良好な人間関係を育む工夫をしだしたのもこの頃。

 その頃にはすでに、アマリリスは男のような振る舞いをするようになっていた。一人称は「俺」。言動も、性格も男のようにさばさばしたものになり、何故男に生まれなかったのかと疑問に思うこともあった。

 それでも女であることに変わりなく、ひ弱な腕力や体力を補助するために日常的な身体強化をするようになった。当時からサフィニアは魔術の改良に明け暮れ、どこまでも便利な魔術をアマリリスに提供してくれたことも幸いだった。

 それから八年。アマリリスは工房でリックの下、鍛冶師として昼夜を問わず腕を磨いてきた。 

 


「ん。美味しい」


 半日ぶりにとった食事にアップルパイを食べながら、アマリリスは頬を緩ませる。

 せっせと思う存分働いた後の食事は格別だ。さらにそれがパイだとなお素晴らしい。   


「何か、こんな時だけお前って女らしいよなぁ」


 横で同じようにアップルパイをせっせと消費しながら、ロジャスティンが白い目を向けてくる。

 確かに、小さい頃の教育の賜物でアマリリスの食事マナーは綺麗だ。ただし孤児院にいる時のように食事確保の勢いはセールスに来たおばちゃん以上にすさまじい。

 アマリリスはむっとした顔で幼馴染を睨み付ける。


「何だ、お前だって食事マナーにはうるさいほうだろう。綺麗に食べて何が悪い」

「俺は貴族じゃん。義務だよ、義務。どこでも貴族としての義務は果たさなきゃいけねーの」

「ならばその粗雑な口調をどうにかしろ」

「嫌だ。公私の区別はちゃんとつけるんだい。貴族流で行くと、俺はアスまで“お嬢さん”として扱わなきゃいけなくなる」

「……それは嫌だな」


 ロジャスティンに丁寧な口調と優雅な動作、素晴らしい笑顔で「こんにちは。おレディさん」と言われるのを想像し、アマリリスは身震いした。思わず鳥肌が立つ。

 なんて気持ち悪い。


「おい。今何かしつれーなことを考えなかったか?」

「まさか」


 しらじらしく睨んでくるロジャスティンを無視し、アマリリスは食事に専念する。目の前にはまだ手を付けられていない、数種類のパイが三つも並んでいる。

 取り敢えず手元のアップルパイを食べ終わったロジャスティンが、思い出したように切り出す。


「そういえばさ。今朝、お前に頼まれた調査だけど」

「お? もう情報が入ったのか?」

「偶然だけどね。その男、何でもこの頃王城に出入りしているらしい」

「――王城?」

「ああ。だから、あんまり深入りはしたくないんだが」

「衛兵なのか?」

「いや。そうじゃなくて、雇われ傭兵らしいな。どこぞのお偉いさんに雇われたんだろ」


 そうなると、余計な探りを入れれば痛くないこちらの腹を探られるかもしれない。それか、知ってはいけない何かを知ってしまうか。どちらにしても平穏な未来はない。

 危険要素を調べるために、友人を巻き込んで綱渡りをするのでは本末転倒だろう。


「そうか。ありがとう」

「詳細調べらんなくてすまねぇ」

「そこまで分かったら十分だ」

「ちなみに、そいつの名前は……」


 その時だった。アマリリスの目の前で、皿に乗ったパイが一つ堂々とかっさらわれたのは。真横から伸びた手がパイを取って行き、一瞬アマリリスは驚きで固まる。


「!」

「へ?」


 その現場をばっちりロジャスティンも目撃し、目を丸くする。

 二人の驚きにも関わらず、隣からやや幼い声が割って入った。


「何の話だ? ロジャスティン」


 アマリリスのパイを堂々とかっさらい、あまつさえ口に運んで租借しながら尋ねたのは、二人の座ったテーブルの横に現れた少年だった。

 パイを追って少年に気づいたロジャスティンは目を見開く。


「ファ、ファランシス様!」


 ガタンッと座った椅子を蹴たくって立ち上がり、ロジャスティンは唖然と少年を凝視する。

 一方、愛するパイを盗まれたアマリリスは怒りの頂点に達しつつあった。衝動のままに椅子を蹴って立ち上がり、隣を振り返る。


「俺のパイ! どこのどいつだ、何しやがる!」


 食べ物の恨みは怖いことを叩き込んでやる! と憤慨したアマリリスは盗人の顔すらろくに見ず、子どもの頃から培った凶暴なパンチを相手のみぞおちに決めた。

 これに少年の正体を知るロジャスティンが目を剥く。


「ア、アス――っ!? おまっ、何やってんだ!」


 ぐふっと少年は呻き声を上げて崩れ落ちる。

 殴った相手を確認しないまま、アマリリスは憤慨して高らかに断言した。


「もちろん、パイの制裁だ!」

「相手を良く見ろよ、アス! ファランシス様、大丈夫ですかっ」

「……ファランシス?」


 焦った様子で怒鳴ったロジャスティンは、アマリリスが制裁を加えた少年に駆け寄る。

 目をぱちくりしたアマリリスはここに至ってようやく少年を認識した。見覚えのある顔の少年は白目を剥いて気絶している。さすがのアマリリスも、やりすぎたと思った。


「あ、やっべ」

「やっべ、じゃねぇえええええっ」


 友人でもある少年の気絶した姿に、アマリリスは頬を掻く。まず一番にしたことは、周囲を見渡して警備の衛兵が飛んでないのを確認することだった。

 少年の対外的身分を鑑みれば、いくら食料を横から盗まれたとは言え、アマリリスは投獄されてもおかしくない状況だった。

 しかし警備の衛兵が来ることもなく、アマリリスたちのやり取りはよくある揉め事として喧噪の中に紛れ、有耶無耶となる。


「――ううむ。初めてあんなに気持ちいい拳を貰ったぞ」

「ドM発言すんなよ」

「アス! 意味が違う、意味が!」

「ん? 分かってるぞ。つまり、温室育ちで直接攻撃を加えてくれる人がいなかった、という話だろう」

「その通りだぞ」

「……分かってるなら混ぜっ返すなよ、アス」


 ここ数分で一気にげっそりとしたロジャスティンがテーブルの上に突っ伏す。

 アマリリスが制裁を加えた少年ことファランシスは二人の手で丁重に介抱され、意識を取り戻している。今はにこにこと笑顔で二人と同じテーブルについている。

 懲りた様子のないファランシスにロジャスティンは切々と説教する。


「あのですね。ファランシス様、もっと貴方はこう御自分の立場というものを理解してですね」

「王子らしく振舞えというのだろう? 聞き飽きた。爺やと同じことを言うな」

「言われないようになって下さったら、何も問題ありません!」


 怒鳴られたファランシスは笑顔を崩さないまま、ロジャスティンの説教の効果は見られない。

 本人の言った通り、ファランシスは正真正銘この国の王子である。第一王位継承者にして、王太子の彼はそれは長い本名を持っているが、アマリリスは長すぎて覚えていない。

 それよりも、とアマリリスは旧友を眺めて笑う。


「しかし、なぁ。何度見ても面白い」

「何がだよ」

「お前の変わりっぷりが」

 

 宣言に違わず、ロジャスティンは公私をきちんと区別して生活している。アマリリスを睨む彼は素で、粗暴でそこらの平民と同じような振る舞いをする。しかし、王族のファランシス相手には貴族として態度をきちんと取っているのだ。

 どうも、性格まで変わって見える気がするが。


「なっ、悪いか!」

「いいや。面白い見世物だ」

「俺は珍獣かよ。お前もお前で王族に対する敬意とかはないのか」

「少なくとも、パイを強奪する王族に向ける敬意はない」

「……根に持ってるな」

「食べ物の恨みは怖いのだ」


 アマリリスがファランシスと初めて会ったのは三年前。ロジャスティンに会いに王城を抜け出てきて迷子になっているところを助けたのがきっかけだ。

 あまりに能天気で違和感なく平民に紛れ込む王子に、これでいいのかと思ったりもしたがこの頃は慣れで諦めている。


「こら。二人で話してないで私も仲間に入れてくれ」

「あー、はいはい。で、今回は何をしに出て来たんだ?」

「何となくアマリリスの顔が見たくなってな」


 純粋な笑顔で断言されて、アマリリスは気恥ずかしさを隠すように目をそらす。それからファランシスを軽く睨んで訂正を促す。

 

「ファランシス。アスって呼べっていつも言ってるだろ?」


 少しでも男らしくあろうとするアマリリスにとって、“アマリリス”という女の子らしい名前は好きになれないものだった。

 孤児院の人間とサフィニア以外の人間に“アス”と呼ばせているのもそれが理由だ。

 ファランシスは毎回のごとく、きょとんとした顔で言う。


「何故だ? そなたに似合っていると、私は思うが」

「嘘だろ。俺のどこが」

「嘘ではない。そなたが着飾れば王都一の美姫になれるのは約束する」

「着飾るのはサフィニアの領分だ。俺の柄じゃない」

「サフィニア、とは妹君だったかな?」

「そうだ。俺よりずっと女らしい。顔も体型もまったく同じなのに性格は真反対だ」


 アマリリスとて女なのだから、着飾りたいと思ったことがないとは言えない。一瞬だけ着飾ってみてもいいかな? と思うことはある。

 だが、結局は“女らしい自分”を拒絶してしまう。アマリリスが“女らしさ”を追求すれば、それは弱味になってしまう気がするのだ。第一、昔はともかく今の自分に女らしい装いは似合わないとアマリリスは本気で思っている。

 そんなアマリリスの心情を知ってか知らずか、ファランシスは満面の笑みで続けた。


「いいや。アマリリスだ。妹君ではなく、アマリリスが着飾れば王都一の美姫になる。そなただからこそ、引き出せる女性の美もあるはずだ」

「どこからそんな自信が」

「何? 信用できないか? これでも着飾った女性や美女は王城で何度も見てきたから、目が肥えてる自信があるのだが」


 肩を落とすファランシスの姿にアマリリスはそれ以上反論できなくなる。

 ロジャスティンから見れば、ファランシスのそれは明らかに演技で、アマリリスはその手の上で言いように転がされているのだが。


「アスもファランシス様の前じゃ形無しだなぁ」


 うかつにロジャスティンがつぶやいて、テーブルの下でアマリリスに足を踏まれるのは定番だったりする。


「ってぇな。ったく、凶暴なんだからよ。――それより、ファランシス様。一つ聞きたいことが」

「何?」

「この頃王城に出入りしてる傭兵を知りませんか?」

「っ……!? ロジャー、いいのか。それ」


 つい先ほど深入りはしたくない、と言っていたはずだと驚くアマリリスを、ロジャスティンは視線を向けるだけで制する。

 ファランシスは二人のやり取りに首を傾げつつ、あっさりと教えてくれた。


「ああ。たぶん、ゲイルのことだな。私の用心棒に期間限定で雇ったのだ。腕は確からしいぞ」

「だ、そうだ。アス」

「ん? 彼がどうかしたのか、アマリリス」


 話を振られてアマリリスは言葉に詰まる。まさか、ありのまま話すわけにはいかない。短い思案の末、

アマリリスは嘘を含まない程度に理由を告げた。

 しかしそれは言葉を省略しすぎたためにあらぬ誤解をうけることになる。


「ちょっと、興味があって」

「興味!? 何だ、確かにゲイルは筋骨隆々で逞しいが。そうか、そなたはああいう男が好みなのか!」

「へ?」

「それならそうと、もっと早く言ってくれればいいのに。なに、遠慮するな。すぐに紹介してやろう。幸い、あっちも独り身だ。問題はないだろう」

「ええっと?」


 上手く意志疎通が図れず、アマリリスは額に冷や汗を掻く。何故か、猛烈に嫌な予感が込み上げてきていた。

 ロジャスティンも話の流れのおかしさに気付いて止めに入るが、時すでに遅し。

 ファランシスは嬉々として立ち上がり、まくしたてる。


「そうだな。早い方がいいだろう。三日後に軽い夜会があるから、そこにアマリリスを招待しよう。そこでゲイルを紹介すればいい」

「ファ、ファランシス様。興味、といっても種類が違うと!」

「うん?」

「ですから、その興味じゃなくてですね。アスが言いたいのは」

「つまり、ゲイルに一目惚れしたんだろう?」

「一目惚れぇえええっ!?」


 まさかそんな有り得ない。

 アマリリスは絶叫するが、ファランシスはそれを独特の感性で肯定しているのだと受け取った。逆に目を輝かせて怒涛の勢いで宣言する。


「おお。そんなに惚れてるのか! ならば、今すぐ手配しよう。パイを盗ったお詫びだ。気にするな!」

「ちがっ」

「ファ、ファランシス様!」


 慌てる二人に盛大な笑顔を見せ、ファランシスはこうしてはいられないと席を立つ。その身のこなしは、アマリリスの制裁を受けた時とは違い、とても俊敏だった。

 呆然とする二人を取り残し、あっという間にファランシスは姿をくらませてしまう。


「う、うっそ」

「取り逃がしっちまったぁ」

「ど、どうしよう」


 引き留めようと伸ばした腕をぱたっと落とし、アマリリスは呆然となる。同様に腰を浮かせて呆然としているロジャスティンを振り返り、確認する。頭が現実を受け入れることを拒否していた。


「なぁ。ロジャー、誰が誰に惚れてるって?」

「お前が、ゲイルって傭兵に」

「だよなぁ。やめてくれよ、嫌だ。夜会って、紹介って……うっそおおおおおっ」

「……まぁ、がんばれ」


 引き攣った笑みで励ますロジャスティンをぎろりと睨み、アマリリスは脱力した身体から力を振り絞って叫ぶ。


「あんなのが王太子でいいのかよっ」



 *****



 その後の一日は最悪だった。悶々としたまま取り掛かる作業に覇気が出るわけもなく、ロジャスティンからは気の毒そうな視線を向けられ、午前との様子の違いに何人もの鍛冶師仲間から心配されてしまった。


「もの凄く、嫌な予感がする」


 珍しくまだ太陽が顔を見せている夕方に帰宅したアマリリスは、家の前に設置したごく普通の郵便ポストを凝視していた。まさか、と思いながら恐る恐る中身を覗き、アマリリスは驚愕する。


「う、嘘だろ。早すぎる」


 震える手で取り出したのは、小奇麗な白い封筒だ。流麗な文字でアマリリスの名が刻まれ、裏には王家の紋章の入った蠟で封が成されている。間違いなく、ファランシスからの招待状だ。

 夜会の中止とその謝罪であって欲しいと心底願いながら、アマリリスはその場で封を切る。

 アマリリスの願いも空しく、招待状にはこう記されていた。


『 アマリリス=ウィンターソン様


  王家主催の夜会に正式にお招きいたします。

  花残月の十九日。八時より王城にお越しください。 』


 その他にも美辞麗句や前置きなどが連ねられているが、要するに次の夜会への正式な招待である。アマリリスはファランシスの賓客扱いになるらしく、文末にはファランシスの長い正式名も署名されている。

 アマリリスは一字一句余すと来なく読み込んで、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえる。


「貴族でもないのに、夜会って……。大袈裟すぎる。しかも、この俺が見合いかよ」


 夜会に着ていくドレスも持っていない上、第一夜会に行く理由もない。何故危険指定の人間にわざわざ自ら会いに行かなければならないのか。

 アマリリスはどこか抜けたところのあるファランシスを内心で罵倒して、重いため息を吐く。考えれば考えるほど泣きたくなってくる。


「とにかく、今日はもう寝よ」


 さっさと身体の汗を洗い流してベッドに入ろう。嫌なことは忘れてしまうに限る。今日は夕食ものどを通りそうになかった。

 とぼとぼとアマリリスは郵便ポストから玄関まで歩いていく。


「はぁ。ただいまー」


 今すぐ招待状など捨ててしまいたいが、仕方なく持って家に戻る。玄関を開けると、丁度自室から出て来たところらしいサフィニアと目が合った。

 サフィニアはふわっと優しく微笑んでアマリリスを迎え入れる。


「おかえり。今日は早かったねぇ。ちょっと疲れてる?」

「うん。精神的打撃がきつくって」

「……何かあったの?」


 瞬時に心配そうな顔になったサフィニアに、よろよろ歩み寄って招待状を渡す。

 いぶかしげにそれを受け取ったサフィニアは、まず王家の紋章に驚き次に中身を見て唖然となった。


「何をしたの、アマリー?」

「俺にもよく分からん。誤解が連鎖して何故か夜会で男を紹介されることになった」

「どんな誤解をされたの!? アマリーが男を紹介されるってそれ、見合いだよね」

「だよなぁ。しかもそれが、例の果物屋の娘助けたっていう男なんだよなぁ」

「……ゲイルを?」


 そうそう、と相槌を打ちかけてアマリリスは足を止めてサフィニアを振り返る。

 何故サフィニアがあの男の名前を知っているのだ?

 瞬時に顔を険しくして振り返ると、気まずげにサフィニアは目を逸らす。


「サフィー?」


 何があったのだと無言の内に問いかける。

 サフィニアは苦い表情のまま、正直に告白した。双子の間で隠し事がされることは、ほとんどないと言っていい。


「実は昨日。ほら、オスカーが私に会いに来た時ね。そのゲイルに会ったのよ」

「オスカーの知り合いか?」

「ううん。彼は王家に雇われた傭兵だって言ってた。――魔物退治に呼ばれた傭兵だってね」


 慎重に言葉を選びながら告げられた内容を、アマリリスは理解するのに十秒もの時間を要した。理解が追い付くと、顔色を変えて叫ぶ。

 それはこの平穏な島国において、けして聞くことがないと思われた単語だった。

 

「魔物、だって!?」


 大陸から遠く離れたこの島国に、魔物は存在しない。まず魔術さえ存在しないのだ。

 そもそも魔術が生まれた理由は、太古の昔の大陸であちこちに蔓延る魔物を退けるためであった。

 魔物とはまさに読んで字のごとく“魔”を孕んだ獣。普通の獣が強力な魔力を持ち、種族的に進化した存在である。

 そもそもの発端が、太古の昔に生きた大陸の研究者だった。


 むかしむかし。大陸に“神”になることを望んだ研究者がいた。研究者は“神”すなわち絶対的な“力”を求めてたくさんの研究をした。結果、動物実験の末に特殊な能力を持った獣が生まれた。研究者の失敗作であるそれらは、研究者の実験で量産され、やがて“魔物”という種類の生き物として繁殖し始めた。

 

 大陸の歴史はそう刻んでいる。

 魔物は人間の手によって生み出された生物であるがゆえに、魔物は大陸にしか生息せず、島国でかの研究者とは何の関わりもないこの国に魔物がいるはずもない。

 事実、双子は十年間この島国で魔物の存在を耳にしたことはなかった。

 アマリリスは昨日の朝の出来事をサフィニアから聞き、心胆を凍りつかせる。サフィニアの身に危険が迫っていたことに気づかなかった点もそうだが、にわかには信じがたい話だった。


「それは、本当に魔物だったのかっ? よく似た間違いじゃ」

「有り得ないよ。たしかにアレは魔物――魔狼フェンリルだった。ちゃんと口から火を吐いてたし」

魔狼フェンリル! 火を吐いたって、サフィー怪我は!」

「ないよ。防御の魔術とか使ったし、ゲイルが後から撃退したし」


 ほっと安堵したアマリリスだが、すぐにサフィニアの表情が暗くなったことに気付いてまゆをひそめる。


「サフィー?」

「撃退したけど……オスカーに、魔術師だってばれちゃった」

「っ……!!」


 魔術師だと知られてしまったのか。アマリリスは十年護ってきた秘密の一部が暴かれたことに絶句し、サフィニアにかける言葉を失った。

 未知の力を持ったサフィニアに、オスカーは何を思ったのだろう。怖れただろうか。気持ち悪いとでも思ったのだろうか。例えそうだとしても、双子はオスカーを責められない。――自分たちがどう思われても仕方のない存在だと、正しく双子は理解している。

 アマリリスはその時のサフィニアの心を想像し、真青まっさおになって拳を握った。


「オスカーは何て?」


 サフィニアがうつむく。

 アマリリスは息を呑んで最悪の返答を予想した。

 しかし。


「……たよ?」

「え?」

「オスカーは、受け入れて、くれたよ?」


 再び顔を上げたサフィニアの頬は薔薇色に染まり、はにかむ姿は幸せだと全身で訴えていた。

 その姿にアマリリスははっと息をのみ、確信する。 


(サフィーは、幸せになれたのか)


 魔術を受け入れたオスカーに、サフィニアが寿命の真相を話さないはずがない。サフィニアの幸せそうな乙女の笑顔を見ていれば、それさえもオスカーは受け入れたのだと分かる。

 アマリリスはゆるゆると緊張で詰めていた息を吐き出し、柔らかく笑う。


「……良かったな」


 双子に残された時間はあとわずかだ。その時間を有効に、幸せに過ごすことこそ双子の最大の望みだ。 オスカーはサフィニアのその願いを叶えてくれた。

 サフィニアは嬉しそうに笑って頷く。


「うん。今度は、アマリーの番だよ?」

「そうするよ」


 苦笑して頷きながらも、アマリリスは不安を抱えていた。アマリリスはまだ自分の成すべきことが何か、見つけられずにいる。アマリリスの幸せはどこにあるのだろうか?


「アマリー、夜会にはでるの?」

「出なきゃならんだろ」

「面倒そうだね」

「面倒だ。代わりにサフィーがでないか?」

「私が見合いする必要はないし……いっそのこと、本当に恋でもしたら?」

「恋? 鉄に恋するだけで十分だ」


 男になりたいと願うアマリリスが、女として恋をするなんて想像もできない。その場合、相手は誰になるのだろう? とっさに浮かぶ顔は一人としていない。

 第一、余命一ヶ月の時点で恋などしたら、あとが悲惨ではないか。


「ゲイルはけっこう男前だったけど。本当に見合い気分で行ってみたら? 普段しないこともしてみたら、面白いかも」

「ドレス着て化粧して、見知らぬ男に媚びるなんてやだよ。どうせなら素の自分で恋してみたいもんだね」

「アマリー……、自分が女だって忘れちゃダメよ?」

「忘れられるんならとっくに忘れてるさ」


 皮肉交じりに肩をすくめ、アマリリスは話題を切り換える。自然と表情が硬くなったのを自覚した。


「魔物がどうして現れたのか、分かるか?」


 たかが一匹の魔物、と油断はできない。一匹いれば二匹いるかもしれない。その一匹とて人間には大きな脅威になるのだ。

 そしてアマリリスより魔術師としての自分に固執するサフィニアが、今回のことに無関心でいられるはずがない。そう見越しての質問だった。

 サフィニアも表情を引き締めて答える。


「まだ、はっきりしたことは言えないかな。でも、一ヶ月以内に解決してみせるわ」

 

 案の定、サフィニアは原因特定のために動いているらしい。


「この王都に被害が出る前に、脅威の芽は摘み取らなくちゃ。アマリーも手伝ってね」

「おう。何か分かったら知らせてくれ」


 普段の大人しさは成り潜め、固い決意と共にサフィニアが浮かべた微笑は、思わずぞっと背筋が凍るほど美しく――恐ろしかった。




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