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残華  作者: さーさん
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第三十七話:世界の終り

とても遅くなりました!

本当に申し訳ないです!

 世の中、理不尽なことばかりだ。


 サフィニアは泣き腫らした目元を手でこすり、ひっくと収まらないしゃっくりを上げる。

 たった三人と一匹という最低戦力で異空間に飛び込んで三日近く経過した。この異空間には昼夜の概念がないので、それも三人の体感に頼った計算だ。

 そして先ほど、今回最大の目的だった魔術師の掃討に成功した。

 正直、この穴だらけの計画でよく目的を達成できたものだと思う。成功した最大の要因は間違いなく、アマリリスがロドラルゴの血を媒介に、その記憶を受け継いだことだろう。

 結果だけ見れば成功だったが、そこに至る過程は無謀の一言に尽きる。

 

(だいたい、成功だなんて……こんなの、言えないわ)


 ずずっと鼻を吸って、サフィニアは双子の姉を睨み付ける。

 アマリリスは今、静かな寝息を立てて眠っている。一度目を覚ましたが、半ば気を失うようにまた眠りに就いた。その身体に掛かった負荷を考えれば、当然と言える。

 魔術師の仕掛けた毒の罠は激烈な効果を発揮した。アマリリス自身の魔術による解毒で事なきを得たが、その猛威は痣となって肌にまざまざと残っている。元々、異空間に来る前に最大限に警戒して様々な魔術で強化したその衣服は、一瞬でぼろ屑となって溶けた。魔術師に直に触れた肌はケロイド状になって、赤黒く引き攣っている。

 アマリリスは毛ほども気にしないだろうが、年頃の女の子の肌だ。叶うなら、そんな醜い傷跡など綺麗に消してしまった方がいい。何より、その傷跡の惨さからアマリリスの受けた苦痛がどれほどか窺えて、痛々しすぎる。

 しかし、ロドラルゴから知識を受け継いだアマリリスを以て、完治には時間がかかると言わしめた。ロドラルゴに遥かに劣るサフィニアの魔術では言わずもがなだ。

 サフィニアは悔しくて、悲しくて、辛くて――そして怒っていた。


(やっぱり、肝心な時にわたしは何もできない……!)


 十年前も今回も。

 サフィニアは姉の背に庇われて震える小さな子供でしかなかった。家族の仇に一矢報いることも、魔術師を相手に一発打撃を与えることも、どちらも叶わない。背後から前線で戦う姉を応援し、最低限の守りを固めるしかできない。

 もちろん、サフィニアに後衛として与えられた役目も重要なものだった。一般の魔術師程度では成し遂げられない広範囲を、緻密な制御で以て己の魔術の支配下に置いた。魔術師とアマリリスの激突で何が起きても周囲の空間や魔物に影響がないように、いちいち彼らの魔術を相殺し、ひたすら魔物に深い眠りを促した。

 つい、とサフィニアは頭を斜め後方に向ける。

 

 初雪のように真っ白な、巨大な繭玉。

 あれが、大陸を破壊せしめる程の強大な魔物だと言うのだ。


 アマリリスは魔術師よりも、地下の底に封印された魔物たちを最も警戒していた。上の階層の魔物のように、ロドラルゴの威を借りたアマリリスの命令では従えられない魔物の集団。それがうじゃうじゃと、長い眠りに就いている。

 ロドラルゴが仮死状態になって数百年が経ち、その魔術も効果を薄めているはずだ。もしも何かの弾みに目を覚ましたら、魔物らは外を目指して飛び出すだろう。いずれは、あの島国にも――

 そう考えたら魔物らの眠りを少しでも長くして、刺激を与えないように気を付けなければならなかった。

 排除はできない。それだけの戦力は世界各地から募っても、掻き集められないだろう。

 それほどの危険な生命体を目の前にして、サフィニアは畏怖と少しの不思議を感じる。

 確かに繭玉からは巨大で恐ろしい気配を感じる。

 だが、それが大陸をひとつ木端微塵にしかねない存在だなんて実感が湧かない。


「……案外、世界は脆くできてるのかな……」


 極められた魔術は世界を意のままに操る。

 ロドラルゴ然り、目の前の魔物然り。サフィニアとアマリリスだって、全力で攻撃特化の広範囲系魔術を使用すれば、国のひとつ落とせるだろう。

 人々が思うよりずっと、世界は簡単にその有様を変えるのかもしれない。 


「サフィニア」


 不意に呼ばれ、サフィニアはぼんやりと傍らの人影を見上げた。

 巨大な神剣を背に負った傭兵が、心配げな眼差しをサフィニアとアマリリスに向けていた。

 

「ゲイル?」

「その……大丈夫か? そろそろ、俺たちも地上に出た方がいい。食糧も、尽きかけている」

 

 食糧、という単語が生々しくサフィニアに現実を思い出させた。

 元々身軽な出で立ちで来たため、持参した保存食は節約しても三日分程度だった。普通の旅程や冒険なら、周辺の野草や街で補給ができるだろう。

 しかしこの異空間は予想以上に人間の生活に適していなかった。

 そもそも魔物の栄養の糧は魔力である。人間の食せる真っ当な食料は地下空間にはないし、研究所の外の森に自生した植物は大量の魔力を孕んでいて、人間の身には毒である。

 空腹程度なら何とか、耐えられる。問題は水だった。食料は少し残っているが、持参した水は尽きていて、また補給できる場所もない。

 サフィニアはざっと自分たちの状況を考え直し、ため息を吐いた。


「そうね。もう魔術師は倒したのだし、早く地上に戻りましょう。……ぼーっとしている暇はなかったわ、ごめんなさい。面倒をかけるけど、アマリリスを背負ってもらっても?」

「おう。気にすんな、後は脱出するだけだろ」

「助かるわ」


 ゲイルは丁寧な所作でアマリリスをそっと抱き上げる。そのまま左腕だけで、幼子を抱えるように持ち上げた。念のため、危機に対応できるように利き腕は空けておきたいようだ。

 サフィニアも空間の片隅に固めておいた荷物を取りに走る。

 その途中、斬り捨てられた魔術師の遺体の傍を通り掛かり、一度足を止めた。


(可哀想……だなんて、思いたくなかった)


 サフィニアはその遺体を眼下に、かすかに顔を歪ませる。

 魔術師の遺体は既に原型を留めていない。元々、生者であることを疑う干からびた身体を成していたが、今では見事な白骨体と化していた。

 ゲイルの神剣に斬られた魔術師の遺体は、通常の人間のように血液を散らすことなく、すぐにぶくぶくと内側からどす黒い泡を立てて溶けていった。かろうじて、骨の太い部分だけが溶けずに残っている。

 魔術師の身体にはたくさんの魔術が掛けられていた。神剣で斬られたことで、それらの魔術まで効力を失って人体をまともに維持できなくなったらしい。

 正しく、魔術師はその身と生をロドラルゴから受け継いだ技術で維持していたのだ。

 食物を摂取し、排泄をして、時と共に歳を重ねる。そういう人間としての理を捨て、無理矢理に魔術で操っていた身体の末路がまともな訳がなかった。

 いずれ、残った白骨も塵となって地下空間に溶け込んで行くのだろう。

 あの、《なりそこない》と同様に。


(あのまま……怒りのまま、赦せないと思えたら良かったのに)


 《なりそこない》の哀れな姿を見た時、サフィニアは魔術師の行いに激怒して憎しみを抱いた。こんなことがあってはいけない、と魔術師を絶対悪と見なすことができた。

 あの島国で魔物の襲来を知った時から、原因たる魔術師は一貫して憎むべき敵だった。

 しかし。


 魔術師は……――泣いていた。


 ヒヒッと喉を引き攣らせたような笑い声を上げながら、慟哭していた。

 はやく、はやく殺してくれ。そんな懇願が聞こえてきそうな姿だった。 

 

 あの、憐れな姿が脳裏を離れてくれない。

 サフィニアたちは目的を果たし、魔術師の悪行を止めることができた。それなのに、魔術師の末路を前にして欠片も清々としたと言えない。

 むしろ《なりそこない》と魔術師の姿が重なって見えてしまう。

 一時胸を焼いた魔術師への憎悪と憤怒は行き場を失い、ただ今はやるせなさを噛み締めている。

 結局、魔術師も被害者だったのだ。

 

 アマリリスのこと。魔術師のこと。魔物のこと。ロドラルゴのこと。


 たくさんサフィニアには考えることがあって、その分だけ無力感と虚脱感に苛まれる。

 サフィニア一人ではどうしようもない現実。

 とても理不尽な世界の有様。

 そんなものばかり見て、サフィニアの心はもうぐちゃぐちゃだった。


 疲れた。


(ああ……、早く家に帰ってオスカーに会いたいなぁ)


 今、とても恋人に会いたいと思った。

 ぎゅっと両腕で抱きしめてもらって、頑張ったねと褒めてもらいたかった。

 そして元気になったアマリリスにも、もう大丈夫だと笑って頭を撫でてもらいたかった。


「うん、帰ろう」


 双子を待ってくれている人々の顔を思い浮かべ、サフィニアは泣きそうな顔でつぶやく。

 その時ちょうど、ゲイルの声に呼ばれた。魔術師の遺体の傍で立ち尽くすサフィニアを、ゲイルは訝しそうに見てくる。

 サフィニアは荷物を抱えて、慌ててゲイルの傍に戻った。


「何かあったのか?」

「いいえ、大丈夫。時間を取らせてごめんなさい」

「それは全然構わねーが……用心するに越したことはねーからな」


 ゲイルの険しい眼差しが魔術師へ向けられる。

 何もかもが異常な空間では、白骨化してもまだ安心はできない。何か仕掛けがないかとゲイルは軽快しているようだった。

 サフィニアも、その姿に刺激されて緊張感を取り戻す。呆けている場合ではなかった。

 

「とにかく、地上に戻りましょう」

「おう。頼む」

「地上の座標は分かるけど一気に転移するのは不安だから、地道に転移していくわ。その分時間が掛かるけど大丈夫よね?」

「魔術のことはよく分からん。任せる」


 ここに至るまではアマリリスの案内があったが、今回はアマリリスは宛てにならない。一応、地上の座標は覚えていたが、一気に転移するには地上まで距離があり、また何が魔術に影響を与えるか分からない以上、慎重に行きたかった。

 つまり、一日以上掛けて来た道程をそのまま引き返すことになる。

 とは言え、あらかた魔物は一掃しているし、魔術師は既に倒した後だ。懸念事項が少ない分、行きよりは早く地上に戻れるだろう。

 サフィニアは消耗した魔力を掻き集めて、転移の魔術を編み始める。

 こういう時ばかりは、寿命まで奪って行く魔力の膨大さが有り難いと感じていた。普通の魔術師なら、地下の最深部に到達するのに年単位の時間が必要だろう。


「《転移せよ》」


 視界の暗転。

 さて。地上に戻るまで、何時間かかることか。

 サフィニアの苦手な体力と魔力と集中力の勝負の時間が始まった。





 *****


 

 

 結局、外に出たのは半日後のことだった。日を跨いで地下深くまで潜っていたことを思えば、早く着いた方かも知れない。

 サフィニアは嘆息して、灰銀色の異様な空を見上げた。雲も星もない、ロドラルゴの魔力のみで構成された異空間の天井は美しさの欠片も見受けられない。疲労しきった精神に鬱屈ばかりが溜まっていく。

 もう体力も魔力も限界まで使い尽くした。気力だけで全身を動かしている。魔物や魔術師との戦いの後、転移の魔術の連発は思いの外、集中力が必要で神経が疲労した。 

 ざくざくと、久しぶりに柔らかい土の感覚を足裏に確かめながら、雑草を掻き分けながら歩く。目指すのは自宅のある島国へ続く異空間の綻びだ。その前にもう一仕事あるが、とりあえず帰り道を急ぐ。

 ふと、何か呼ばれた気がしてサフィニアは顔を上げた。


「アマリー?」

「……おー」


 サフィニアの少し前を歩くゲイルの腕の中から、アマリリスがだるそうに片腕を上げる。

 どうした、とそれに反応したゲイルが足を止めて振り返る。


「あー、うん……あいつが(・・・・)

「何か、来るぞ」

 

 ゲイルがぴりっとした雰囲気を纏って、背から大剣を抜く。ついでにアマリリスを地面に下し、背後に庇った。

 しかしアマリリスは警戒の欠片もなく、だるそうに片手をパタパタ横に振って見せる。

 サフィニアは二人の様子を視界に収めながら、魔術で周辺を探ろうとしていた。もともと魔術の制御が難しい土地だが、疲労のせいで上手く自分の魔力が扱えていない。

 双子の姉が大丈夫、と言いたげな動作をするからには、大事ではなかろうと魔術の行使は諦めた。


「ちげーって、敵じゃない。……ほら、もう見えてきた」

「……――なるほど」


 薄暗い木々の隙間から、急速に近づいてくる巨大な影が見えた。

 それを視界に入れたゲイルは少し安堵したように息を吐く。


「あれは……テンテン?」


 あっと言う間に近づいてくる獣の姿に、サフィニアはひゅっと息を呑む。

 濃厚な赤の毛を逆立たせて迫る魔物は――ひどく、怒っているようだった。その憎悪すら感じさせる怒気に、サフィニアの肌はざっと鳥肌を立て、一気に顔面蒼白になった。

 彼の魔物が何に対して激しているか、サフィニアには分からない。

 だが感情の矛先は間違いなくこちらに向けられており、そして……サフィニアには彼の魔物の怒りに抗える力も残っていない。

 元来、彼の魔物は飛び抜けて知性の高い上位の魔物だ。双子と彼の魔物の間には大きな力の格差があり、魔術師の討伐によって限界まで疲労したサフィニアたちに勝ち目は万が一にもなかった。

 サフィニアは双子の姉がまるで平然としていることすら気づかず、一瞬、絶望の念を覚えていた。

 

 そうしてサフィニアが混乱の渦に叩き込まれている間にも、彼の魔物は俊足で彼我の距離を縮めていた。畏怖すら伝える雄々しき血色の獣が、ずざざざざっと地面を抉って三人の直前で急停止する。


 グォォォォオオオオオオオオオオオオオゥ――ッッ   


 びりびりと異空間全土を震わせる猛り狂った咆哮が、目と鼻の先で放たれた。

 剥き出しの肌を引き攣らせるほどの音波はもはや凶器となり、サフィニアとゲイルは呻き声を上げて耳をとっさに塞ぐ。キーン、と耳の奥で鼓膜が震え、ぐらぐらっと視界は酔ったように揺らぐ。


「こ、鼓膜が破れるじゃねえか……!!」


 ゲイルがぱくぱくと数回口を開閉した後、耳を抑えて毒づく。

 その声は一種の麻痺状態に陥ったサフィニアの耳には届かなかったが、同じ想いだった。

 サフィニアは収まらない耳鳴りに顔を歪め、意識して周囲に目を向ける。しばらく耳が使い物になりそうにない状態では、視界に映る情報だけが頼りになる。

 ただでさえ、目の前に怒り狂った魔物がいるという緊急事態だ。相手に理性がなければ、今の隙にでも死んでいた可能性は高い。


 そして、この時初めて。

 サフィニアは双子の姉と魔物が、異様な様子で睨み合っていることに気付いた。


「っ……!!」


 双子の姉は微動だにせず、疲労を乗せた苦味のある顔で獣を見上げていた。遥か頭上から直撃する凄烈な激情に屈した様子も、先ほどの咆哮に耳を傷めた様子もない。

 一方で血色の魔物は苛立たしげに、鼻息も荒く、一心にアマリリスだけを睨んでいた。

 

 血色の魔物の怒りは、サフィニアやゲイルの存在を無視し、アマリリス個人に向けられていた。

 そしてアマリリスも当然のようにそれを受け止めているようだった。


 その場の緊迫した空気の中で、サフィニアは瞬きもできず、一人と一体の様子を伺い見た。魔物の怒りの理由さえ知らないサフィニアにできることは、何もなかった。

 やがて、長く永く感じられたその場の沈黙を破ったのはアマリリスの方だった。何かに戸惑うように数度、口を開閉し、最終的に一言だけ魔物に声を掛ける。


「……ひ――しぶ……だな」


 未だ聴覚が正常に機能しない中で、サフィニアは必死に耳を澄まし、言葉の響きを聞き取る。


――久しぶりだな(・・・・・・)


 確かに、アマリリスはそのような言葉を告げたようだった。

 そこにどういう意味が含まれていたのか。ただの三日ぶりに再会を果たした魔物へ挨拶というようには、サフィニアには思えなかった。

 あるいは――


(そう、ロドラルゴなら……そう声を掛けても可笑しないかもしれない)


 サフィニアは双子の片割れが数日前に受け入れた、ロドラルゴの記憶の存在を忘れていなかった。それによるアマリリスの変容は明らかで、いつか恐ろしい事態を招くのではないか、と漠然とした怖れさえ抱いていた。

 魔術は便利で有用だが、何でも無利子で叶えられる万能品ではないように。

 ロドラルゴという神に最も近付いた人間の記憶は、便利で有用ではあっても、それにふさわしい対価を要求されるに違いないのだ。

 そして、対価として何を奪われるのか――サフィニアには分からないのだ。それを支払うのはアマリリスであって、サフィニアではないから余計に。

 

『き……貴様……っ、――どういうつもりだっ!!』 


 果たしてサフィニアの推測は当たっていたのか、この場ではまだ分からない。

 だが血色の魔物はアマリリスの一言に過剰な反応を見せた。ぶわぁっと全身の毛を逆立たせ、まるで畏れるように少しだけ身を引く。小さな唸りと共に出たアマリリスを糾弾する声音は、悲鳴のようでもあった。

 わなわなと魔物が巨体を震わせている。


『我が主を……あやつを、愚弄するかっ!! 貴様がそのつもりなら、すぐにでも八つ裂きにしてくれるっ!!』


 過ぎた怒りゆえに罵倒の言葉が出ないとばかりに、魔物はもどかしげに叫ぶ。

 アマリリスは静かに魔物を見上げ、のろのろと首を横に振った。


「俺は別に、ロドラルゴを……お前の創造主を侮辱する気はねーよ。ただまあ、お前にそう受け取られても仕方ないとは、思っている。お前らにはさぞ、気に食わねえことだろうしな」


 ふっ、とアマリリスはうつむいて嘆息を零す。

 サフィニアはその疲れ果てた姉の姿にドキドキ、と嫌な胸の高鳴りを覚えた。自分たちに課せられた半月に満たぬ寿命、それが妥当なもののように、アマリリスの姿は感じさせた。

 魔物の怒髪天を前にしても、ぴくりとも反応が返せないほど、アマリリスもサフィニアも心身共に疲れ果てていた。


『その気がないなら何故! 貴様はっ……貴様は、あやつの魔力を身に纏っている!!』

「…………お前はもっと怒るかもしれないが。お前らを操ったのは、魔道具なんかじゃなくて……ロドラルゴの血と記憶と知識だったわけだ」

『貴様、何を可笑しなことを……?』


 半身半疑、と言った様子で魔物がぐるぐる喉を唸らせる。

 アマリリスはぽつりぽつりと、魔術結晶に囲まれ仮死状態で眠る男の存在を語った。

 サフィニアは血色の魔物は長らく異空間内で過ごしてきたが、研究所内には入ったことがないと聞いている。だから仮死状態で滅びを待つ男の存在を、この魔物は知らなかったのだろう。

 

 魔物は苛立たしげに、しかし黙ったままアマリリスの話を聞いていた。

 馬鹿な、と一笑に付すことができない証拠を、魔物自身が目の前で確認していたからだ。

 小物の魔物相手なら命令できるほどの、アマリリスが受け継いだロドラルゴの気配、それは強大な力を持つ魔物に対しても抑制力になるくらいには効果を発していた。 

 その力に耐え切れず自己崩壊を起こした敵の魔術師の命令にさえ、抗うことができなかった魔物が、ロドラルゴの記憶に耐え切ったアマリリスに対し、牙を剥くことは不可能だった。

 例え、どれほど憤怒を抱いても。


 全ての話を聞き終え、長い沈黙が場を支配した。

 アマリリスは語るだけで体力を消耗してぐったり地面にすがりついていたし、サフィニアに言えることは何もなかった。ゲイルは静観を決め込み、血色の魔物は終始不機嫌で時折地団太を踏み、地面を揺らした。

 結局のところ、魔物に与えられた選択肢は限られていた。

 

 やがて、忌々しげな様子で血色の魔物は結論を出した。


『何と言おうと、貴様が利己のために我が創造主を侮辱する行いをしたことは変わらぬ!』


 ロドラルゴの血に触れ、その記憶と力をかすめ取った。

 墓荒らしも同然の罪を犯したことに変わりはない、と魔物はアマリリスを鋭い目で射抜く。

 アマリリスは弁解することもなく、それを肯定した。


「そうだな。だから俺はあんたに殺されてもいいと思ってる」

「アマリー!!」


 サフィニアは半ば悲鳴と化した声色で、双子の姉を咎める。

 ここに至ってサフィニアは魔物の怒りの理由を理解していたし、その怒りが妥当なものと知っていた。それでもアマリリスの、軽く自己の命を投げ出す発言は許せなかった。

 目の前の魔物にはアマリリスの命を奪う理由があり、さらにそれだけの力もあるのだから。

 アマリリスはちらりとサフィニアを一瞥したが、いつものように発言を取り消すことはなかった。

 サフィニアは息を呑み、魔物と姉の様子を交互に伺う。その体内ではいつでも魔物から逃走できるように、なけなしの魔力を集めて魔術を編み上げていた。


 しかし、サフィニアの憂慮は杞憂に終わる。


『……だが貴様はあの紛い物を始末した、我の要望通りに。その点だけは評価せねばならん』


 赦すわけではない、と魔物は言う。


『いずれ、必ずや貴様の罪に応じた代償を払わせる。それを忘れるな』

「……分かったよ。なるべく早く、償いはするさ」


 要するに、魔物は現時点でアマリリスを殺す気はないと言いたいのだろう。いずれ、それ相応の報いとしてアマリリスは何かを要求されるのかも知れない。

 それでも、サフィニアはひとまずの危機が去って、ほっと息を吐く。


「それと。ロドラルゴから……伝言だ」

「……アマリー?」


 ふっとその場の空気が変質した気がして、サフィニアは戸惑いと共に姉を見つめた。

 先ほどまで地面に懐いていたアマリリスはすっと背筋を伸ばし、魔物の目をまっすぐに見返す。異空間そのものを圧する気配は自然と畏怖の眼差しを集め、他の生き物は目の前に傅きたくなるだろう。

 そしてアマリリスは――感情の浮かばぬ顔で口元だけを緩め、何とも形容しがたい複雑な面差しで――笑っていた。


アマリーの笑い方・・・・・・・・じゃ、ない)

 

 アマリリスはもっと、からっとした笑い方をする。楽しい時は大声を上げて笑うし、皮肉を言う時は口角を上げて憎たらしく嗤う。もっと感情を素直に表現した笑い方をする。 

 こんな、表情の作り方を忘れたような歪な笑い方はしない。


「あ……」


 ぞ、とサフィニアの背筋に悪寒が走った。

 見慣れたはずのアマリリスの姿に、何百年もの孤独に耐えた一人の男の姿が重なった。

 この時。確かにアマリリスは自己以外の、神に最も近付いた男の身代わりとしてその場にいた。

 サフィニアの怖れなど知らず、アマリリスは伝言を口にする。


「『――行け。わたしの先を見て来るがいい』」


 ざっと魔物が全身の毛を総毛立たせる。

 その目は酷く動揺した様子で、アマリリスを凝視していた。


『っは……、言われずとも。我はこのような地に、お前に囚われたりせぬ』


 見くびってくれるな、と吐き捨てる魔物の声は緊張したように震えていた。その言葉が既に永遠の眠りに就いたロドラルゴに向けられたことは、予想に難くなかった。

 魔物は感傷をこらえるように数瞬の間、沈黙した。それから、ふっと顔をサフィニアたちが歩いてきた方――研究所の方へ向け、そちらにのそりと踏み出した。

 もうサフィニアたちに用はない、とばかりに血色の巨躯は木々の隙間に紛れていく。

 その背に、アマリリスが静かに声を投げた。


テンテン・・・・、戻って来いよ」


 あの王都で何も知らないイルが、魔物の帰りを待っている。三日も無断で留守にして、さぞ心配しているだろう。

 サフィニアの脳裏に、泣きべそを掻きながら孤児院を脱走し、魔物を探す子供の姿が浮かんだ。

 アマリリスの念押しに、魔物は一度足を止めて、グルルと不快そうに鳴いた。


『貴様に言われるまでもないわ』

「……そうかよ」


 血色の姿が完全にサフィニアたちの視界から消える。

 じっと魔物の姿を目で追っていたサフィニアは、しんと辺りの森が静まり返る頃、やっと詰めていた息を吐くことができた。全身の筋肉が弛緩して、つい地面に座り込む。

 格上の魔物に睨み付けられて平常心を保てるほど、サフィニアの精神は強くない。その怒りを真正面から受け止め、かつ堂々と話し合いに持ち込めるアマリリスの度胸だけは羨ましかった。


「ねえ、アマリー……アマリー!?」


 ふっと双子の姉の状態を確認したサフィニアは、小さな悲鳴を上げた。

 つい魔物に気を取られた隙に、アマリリスは本格的に地面に倒れ込んでいた。やはり疲労しきった身体で魔物との交渉は負担だったのか、辛そうに歯を食いしばっている。

 サフィニアは慌てて立ち上がり、自身も転びそうなりながらアマリリスに駆け寄った。

 それは魔物の怒気に当てられたにしても、急な変容だった。たった数瞬、目を離した隙に姉の身に何が起こったと言うのだろうか。


「アマリー!! 大丈夫っ?」

「……はっ、く……いや、ちょ……と、大丈夫じゃ、ない」


 アマリリスは両手で胸元を強く抑え、息苦しそうに喘いでいる。

 普段は聞かない姉の弱音に、サフィニアはさっと顔色を悪くしておろおろとしてしまう。

 アマリリスの負った怪我は決して軽いものではないが、表面的な傷は可能な限り、魔術で癒している。それでも皮膚は爛れた痕が残ってしまっているが、これほどアマリリスが苦しむ代物ではない。

 無茶をし過ぎたのだろうか。

 元来、アマリリスは強がりで、痛い、怖い、と言った弱気な言葉は口にしない性質だ。それを言うということは、アマリリスがそれほど追い詰められているという証左だ。

 しかしサフィニアには原因が分からない。サフィニアは魔術師であって医師ではなく、表面上に問題がなければ、身体の内部の異常など見抜けないのだ。


「おいおい……大丈夫か。魔術ではどうにもならないのか?」

「ゲイル、無理よ。だって……魔術は対象物がはっきりとしないとかけられないの。特に人体の治療には繊細な注意が必要で……原因が分からなきゃ、手も出せないわ!」


 血色の魔物と対峙している時は傍観を決め込んだゲイルも、さすがに心配そうに寄ってきて、アマリリスの状態を確認している。

 アマリリスは紙のように顔面真っ白で、脂汗を大量に掻いていた。


「そりゃそうだよなぁ。……アマリリス、どこが痛いんだ? 位置的には心臓か?」


 本人に聞くしかない、とばかりにゲイルが小首を傾げて尋ねる。

 アマリリスは薄く目を開け、ゲイルに向かって口を開く。


「っ……ぁ、かふっ、鎮……痛、剤、持って……る、から」

「――鎮痛剤?」


 サフィニアとゲイルは一瞬、お互いに顔を見合わせた後、はっと我に返って慌てて手元の荷物を漁り始めた。

 異空間に入る時、手荷物は最小限に抑えて来た。だが数日分の食糧や魔導具、後は手軽な治療セットも持って来ている。サフィニアには治療セットに鎮痛剤など入れた記憶はないが、アマリリスが独自に用意していたのかもしれない。

 鎮痛剤はすぐに見つかった。見た覚えのない粉薬が治療セットの奥に詰め込まれていた。

 サフィニアはそれを残り少ない水に溶かし、慎重にアマリリスに飲ませる。

 アマリリスは何度か粉薬を吐きそうになりながら、何とか飲み干した。


「っ……ふ、は……」

「アマリー……」


 心底辛そうに息を荒げる姉に膝枕をしながら、サフィニアは掛ける言葉もなく、その容態を見守った。

 徐々にではあるが、鎮痛剤が幸を奏したのか、アマリリスの呼吸は整いつつある。

 それ自体は喜ばしいが、アマリリスの尋常ではない苦痛の原因は掴めていない。そしてアマリリスは鎮痛剤を用意していた点から、この事態を予期していたのだろう。


 アマリリスは何か、隠し事をしている。

 それも命に直結するような、身体的な問題を。


 サフィニアは疑う余地もなく、既に確信していた。

 命に直結するとは言っても、双子の寿命は残り半月と決まっている。その運命の瞬間まで、双子の命は逆に保障されているのだ。

 アマリリスとサフィニアの死因は寿命。一人一人に定められた天命を全うした結果の死だ。

 だからアマリリスの抱える身体的な問題は今日、明日に関わるものではないだろう。おそらく、普通に生きていけるなら、年単位の先の未来で死を招くような何かだ。

 それも一般的な病ではないだろう。

 サフィニアはほぼ直観的にアマリリスの身に起きた現象を推測する。

 双子だからか、お互いに関するこの手の直観が外れたことは一度もなかった。


「サ、フィー」

「なあに?」


 汗で額に張り付いたアマリリスの深緑の髪を手で払いながら、静かにサフィニアは言葉を待つ。


「ご、めん」

「……」


 その謝罪は重大な隠し事をしていたことへのもの。

 そしてもう一つ。


(そっか。わたしに言う気はないのね)


 言葉にせずとも理解できた。

 ここまで事態がばれても、アマリリスはサフィニアに隠し事を明かす気はないらしい。

 今のはそれに対する謝罪も含んでいるのだろう。


(もう……仕方ないなぁ)


 何だかんだ言って、アマリリスは一人で背負い込みがちで、隠し事が多いのだ。

 双子と言っても妹分のサフィニアでは、アマリリスの苦痛を全て引き受けることはできない。その昔、アマリリスに背に庇ってもらい始めた幼少期から、それは決まっていたことだ。

 それでもサフィニアは可能な限り、アマリリスを支えてきたつもりだったけれど、充分ではなかった。

 とても悔しいことだが、サフィニアは自身の役不足と弱さを認識せずにいられなかった。


「いいよ。アマリー、赦してあげる」


 だからサフィニアにできることは、姉を責め立てることではなく、赦して受け入れることのみだった。

 どんな罪も、許容すること。

 どこか遠くへ行こうとするアマリリスを待ち続けること。

 それがサフィニアの最大の役割なのだ。


 サフィニアの赦しの言葉に、アマリリスはふっと口元を緩めて微笑する。


「あ、りがと」


 安堵の表情。

 その一瞬で姉の全身から余分な力が抜けたようだった。

 しばし、穏やかな時間が流れた。

 ゲイルは決して双子の邪魔をしなかったし、双子が言葉を交わすこともなかった。


 そう間を置かずして、アマリリスはサフィニアの膝上で寝息を立て始めた。



 *****




 初めに異変に気付いたのは、周辺の警戒を行っていたゲイルだった。

 あのままサフィニアたち三人は同じ場所に留まり、小休憩を取っていた。すぐに動いても良かったが、アマリリスを起こしたくなかったし、何より三人揃って疲労困憊だった。

 異空間内の魔物の多くはロドラルゴと共に永遠の眠りに就いており、それほど危険もないはずだった。


「おい、地面が揺れてないか?」

「え?」


 ゲイルの一言にサフィニアは困惑して顔を上げた。

 初めはごく微細な揺れで、気のせいかとも感じた。だが徐々に揺れは大きくなり、サフィニアもはっきりと地面の震動を認識せざるを得なかった。

 

 地震。


 知識として知っていても、体験するのは三人揃って初めてだった。

 ただでさえ、魔境然とした異空間内の森は歩き難く方角を見失いやすい。それに加え、不自然に震動する地面はその場で踏ん張ることすら難しかった。

 サフィニアは小さく悲鳴を上げ、未だに目覚めぬ姉の身体を抱き締める。


「おいおい、やべぇぞ、これ!」


 ゲイルが近くの木に手を突き、戦慄した声を上げる。

 その直後。サフィニアはゲイルとは別の意味で、身を慄かせた。


「何、これ……どうなってるの!」


 この異空間はロドラルゴの残した魔力によって維持されている。ロドラルゴ当人が仮死状態と化しても数百年間、保持できる程度には空間内の魔力濃度は高かった。

 それも例の魔術師によってずいぶんと空間内の魔力が消費され、異空間内に穴が空き始めてはいたが、まだ百年近くは空間維持に問題ない程度に残されていたはずだ。

 少なくともアマリリスはそう断言したし、サフィニアも肌で魔力濃度の高さを推し量れば、それくらい理解できた。


「なんで……こんな急に、空間魔力が減ってるの!?」


 ぞっとする勢いで、異空間が崩壊し始めていた。

 もはや異空間を保てないほどに空間内の魔力が急激に減ってきている。まるで誰かが、何かが空間内の魔力を馬鹿喰いしているかのようだった。

 サフィニアは魔術師として、誰よりも早く、的確に危機を理解した。


「ゲイル!」

「何だ!?」

「今すぐ、ここから……この異空間から脱出しなきゃ!」

「そうしたいのはやまやまだがな! 出口はまだまだ先だぞ!」


 サフィニアたちの住む島国に通ずる空間の綻び、そこまで行かなければならない。

 だが走っても到達するより先に異空間が崩壊するだろう。異空間の崩壊に巻き込まれれば、下手を打つと即死する。空間と空間の狭間――未知のその場所に落ちれば、生還は望めない。

 かと言って、正確に位置を決めて転移できるほど、サフィニアも体力・魔力共に回復していなかった。まして空間内がこれほど不安定だと座標がぶれて、どこに転移するか分からない。


「ゲイル。とにかく、アマリーを抱えて!」

「おうよ」


 すぐ移動できるようにゲイルにアマリリスの身体を受け渡す。

 サフィニアは生死の危機に慄きながら、必死に頭を回転させ――視界に映った一点に目を留めた。


「あ……あれよ!」


 薄暗い森の中にあって、くにゃりと空間の歪んだ場所。この灰色の空間にいくつも存在する空間の綻びだった。それは“魔力の歪”として、世界各地のどこかに繋がっていると考えられていた。

 例えその先が海の中でも岩の合間でも。とにかく、外界に繋がっていることは間違いない。

 サフィニアはその綻びの繋がる先を知らない。だから可能なら元来た空間の綻びから、あの安息の島国に帰りたいと考えていた。


 迷ったのは一瞬。


「ゲイル! 時間が無いわ、あそこに飛び込むの!」

「っ……了解!」


 二人とも猶予がないことだけは分かっていた。

 一か八か。この場所に留まるよりはマシ、と目に留まった空間の綻びに走り出す。

 ぐらぐらと揺れる地面、空間のあちこちがぎちぎちと軋む感触。

 サフィニアは何度も転びながら、ほんの数十メートルを走った。

 先を行くゲイルが空間の綻びを前に一瞬、躊躇う素振りを見せ、その後に意を決して飛び込む。姉を抱いた大きな背中をサフィニアも必死に追いかけた。


 世界が、歪む。

 背後に崩壊の気配が、眼前に未知の暗闇が待ち受けていた。


 行きとは異なり、空間の綻びの繋がる先は見えない。

 魔術で特定する暇も、座標も道も固定していない。下手を打てば空間と空間の狭間に閉じこめられ、押し潰される。そんな危険もあった。

 くらっと真っ暗闇の中で意識が遠退く。それも、鈍器で頭部を殴られた後のような嫌な酩酊感と共に。


(ア、マリー……)


 サフィニアは何も見えない前に向かって、無意識に手を伸ばす。

 その手を掴み返してくれる感触は――当然のように無かった。



 *****




「……い、……おい、……か」


 遠くから誰かが呼んでいる。

 ぐらぐらと身体を雑に誰かが揺さぶっている。

 誰だろう。双子の姉はいつも豪快なことをするが、こんな荒っぽい起こし方はしない。オスカーだって、朝起こす時は肩を揺さぶるくらいで。

 だいたいサフィニアの寝起きはそれほど悪くはないのだ。


「んん……?」

「あっ、やっと起きたか。大丈夫か、痛いところは? 怪我はしていないな?」


 寝起きにまず見たのは、浅黒い大柄な男の顔。


「ひゃあっ!? な、何。あ……ゲイル、ね」

「そうだ、ゲイルだ。今一瞬、俺の顔を忘れていただろ」

「ごめんなさい……」


 サフィニアは寝起きの驚きで上半身を跳ね起こしたまま、バツの悪い顔で謝る。

 それからきょろきょろと辺りを見回した。サフィニア達が座っているのはひんやりと冷たい石畳の小道の途中のようだった。小道、というよりは裏路地と言った方がいい。視界に光は乏しく、巨体のゲイルが居心地悪そうに身を縮める程度に狭い。

 徐々に状況を把握してきたサフィニアは、ひとまず、まともな場所に放り出されたことに安堵する。


「って、アマリーは!?」

「大丈夫だ。まだ意識はないけどな」


 双子の姉の姿を慌てて探すと、ゲイルはその巨体をわずかにずらして、その背後の石畳を示す。アマリリスは路地の壁にもたれるようにして座っている。

 サフィニアは路地の壁とゲイルの間をすり抜け、アマリリスの容体を確かめる。


「っ……熱が酷いわ。早くどこかで休ませないと」

「そうだな。とりあえず、この路地を抜けよう。じゃねーと、ここがどこかも分かったもんじゃねえ」


 二人は顔を見合わせて頷き合う。

 ゲイルがさっとアマリリスを背負い、サフィニアはその間に荷物の無事を確認する。

 人気が無く怪しい裏路地だが、石畳で整備されている以上、どこかの街の一角だ。小さな村などでは整備された道なんてお目に掛かれないし、遠くから聞こえる喧騒は多くの人の営みを教えてくれた。

 何はともあれ、人の声の届く方へと歩き出す。


 そして。

 サフィニアは二度と見ることはないと思っていたものを、目にすることとなる。

 狭い路地を抜け。建物と建物の薄暗い隙間を抜けた先に大通りのような場所に出る。その大通りから多少の警戒心と共に一歩、出て――


「「え?」」


 サフィニアとゲイルの驚愕の声が重なる。


「おいおいこりゃあ……」


 ぱし、とゲイルが呆けた顔で額に手を当てる横で。

 サフィニアは二階建てのレンガの建造物から垂れ下がるものから目を離せないでいた。

 いくつも、いくつも。それを誇れといわんばかりに建物に取り付けられたポールに翻っている、その旗は――


 勇猛果敢な獅子と、魔術師を意味する杖を同時に描く真紅の国旗。

 大陸一の領土を誇る帝国のシンボル。


 そこは双子の生まれ故郷。

 “予言の子”を生み出した一族を皆殺しに追い込み、双子の運命を狂わせた場所。


 サフィニアたちが呆然と見上げる先に異風堂々と建つ王城。


 帝国の、王都だった。




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