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残華  作者: さーさん
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第三十話:牙と銅貨

サフィニア視点です。



 ずん、と茶褐色の大地が一瞬大きく振動する。それに合わせて空気もびりっと震え、遠くまで振動を伝えていく。それは空気に溶け込んだ魔力が、魔術に共鳴してさざ波を起こす現象だ。極めて純粋な自然魔力が宿った地で起こりやすい。

 サフィニアは両目を閉じて、たった今辺りを震わせた魔術を完成させようとしていた。

 そこは身の丈ほどもある雑草が伸び放題になり、青々と茂った幹を無造作に成長させた木々が乱立する山中だった。人の手も入らず、地元の人間も滅多に寄り付かない。その一角、周囲の草を円形に刈り取って剥き出しにした大地に、サフィニアは片膝を突いて座っている。

 少し離れた場所では、オスカーが固唾を飲んで事態の行方を見守っていた。

 サフィニアの右手は地面に突き刺した小剣の柄を握り、左手は手の平を大地に添わせている。小剣の白刃は古語ルーンが輝き、地面に埋もれた切っ先からは四方八方へ線が伸びている。もし障害物をすべて排除して全貌が見えたなら、それは巨大な魔方陣を描いていることが分かっただろう。

 サフィニアは神経を左手に集中させ、大地の下に編まれた魔術の術式を探る。たったひとつ、術式が狂えばすべてが無駄になる精密な作業は、理論ではなく感覚にものを言わせる部分が多い。それだから双子は天才であり、また魔術理論の発展が遅れている証明でもある。

 ロドラルゴたち、時の賢者たちが魔術を発見してから千年以上。魔術の最先端を行った賢者たちの遺産はとうに多くが失われ、魔術理論もまた発展途上である。何故、そんな魔術が成り立つのか、構図が明かされなくても魔術は使えるのだった。

 どれほどそうしていたか、すっとサフィニアはまぶたを上げた。少し張りつめた蒼の双眸が、古語ルーンで輝く小剣に注がれる。ゆっくりと小剣に込める魔力を引かせ、魔方陣が正確に周囲に刻まれたのを確認する。強く握りすぎて上手く動かない指を小剣の柄から剥がし、はぁぁと大きな吐息を零した。

 サフィニアからの魔力の供給が失われたことで、大地に走る魔方陣は輝きを失う。一方で小剣の白刃に刻まれた古語ルーンは、勝手に魔力を怯えて輝き続けている。その輝きこそ、魔方陣が大地の下で生きている証左だ。

 

「っ……ぅあ」


 そのまま立ち上がろうとして、サフィニアは強い眩暈に襲われる。ぐるっと視界が回って、また大地にすがりつくように座り込んだ。

 それを見たオスカーは慌てて、がさがさっと茂みを揺らしてサフィニアの下に近づく。

 オスカーの両手がサフィニアの肩に回され、その身体を支える。その手の平の感触が、どうしようもなく疲弊しきったサフィニアの心を安堵させるのだ。


「サフィー、無茶のしすぎだよ」

「……ごめんなさい。時間が、ないものだから」


 その言葉にオスカーの手が強張るのが分かった。

 二人に残された時間はとても少ない。ずっと分かっていることを口にするのは、恐ろしいのだ。それが真実だと突き付けられてる気がして。

 サフィニアは意識して大きく呼吸を繰り返しながら、オスカーの手に自分の手を重ねる。


「……それでも、倒れたら余計に意味がないだろ? あんまり、無理をしないでくれ」

「うん」


 サフィニアは素直に頷く。

 この辺鄙な場所に来て大掛かりな魔術を行使しているのは、つい先日構図を完成させたばかりの大結界を張る下準備のためだった。アマリリスには軽く請け負ったが、年中家に引きこもりがちで体力のないサフィニアには、なかなか重労働な内容である。今日一日だけでも、早朝から六ヶ所も巡って同じ作業を繰り返した。明日六ヶ所巡って、それで終わりである。

 大結界を張るためには、島国の十二ヶ所に楔となる魔導具を埋め込み、それを媒体にして発動する魔方陣を同じ数だけ張らなければならない。アマリリス製の魔導具はそれぞれ繋がっており、最終的には王都に埋める予定の魔導具にパスを繋げる予定だ。島国の中でも自然魔力の溢れる土地に埋まった魔導具は、時と共に魔力を蓄え続け、魔術が発動すると同時に王都の魔導具へ蓄えた魔力を供給する構図だ。

 もともと大結界の構図自体はそれほど難しい作りはしていない。問題となるのは、大結界を長時間維持できるだけの膨大な魔力がどこから供給されるか、である。そこは幸いにして魔術文明のない島国には、使われていない自然魔力がまだ辺りに豊富にたゆたっている。それを活用するための魔方陣を、十二ヶ所設けたのだ。

 あとは大結界の魔方陣を完成させるだけの膨大な魔力。こればかりは双子が補わなければならないが、双子の日増しに増量する魔力が、大結界の成立の助けとなるはずだった。


「さぁ、もう帰ろう。サフィー」

「それなんだけどね……」


 オスカーの手を借りて立ち上がったサフィニアは、ふわっと柔らかく笑った。楔を打ち込む六ヶ所目にこの地を選んだのは、ある期待があったからである。その視線を乱立する木々の奥に向けて、声を弾ませて言う。


「この山のふもとにね、有名な温泉地があるらしいの」

「温泉?」

「そう。健康にもいいけど、若い人には美肌の効能があるって有名らしくって。アマリーに行ってみたらいいって言われて……。その、今日はそこに宿を取らない?」


 転移の魔術で家に帰るのは簡単だ。多少の手間と魔力の消費で、遥か遠い家まで一瞬で帰れる。

 それでもアマリリスに勧められたように、オスカーと旅行気分を味わってみたいという細やかな乙女心が、サフィニアにもあったのだ。

 オスカーはきょとんとした眼差しを、ふっと和ませて快く頷いた。


「そうだね。ぼくも温泉は入ってみたい。話には聞くけど、なかなか体験はできないから」

「でしょう? じゃあ、早く行きましょう!」


 サフィニアは目を輝かせ、オスカーの腕を取る。

 二人にとって温泉とは噂には聞くものの、滅多に体験できないものである。王都周辺に温泉は湧いておらず、温泉に入るためには片道二十日も掛けて旅をするのが一般的だ。王族は人生に一度、訪れる慣習があるようだが、一般市民には風の噂で聞く憧れにすぎない。

 ちなみに、アマリリスは数年前に温泉地を訪れて入ったことがある。サフィニアと違って、アマリリスは転移の魔術を大いに活用して普段から各地を巡ることがある。それ以外にも、見習い鍛冶師として先達に連れ添われて各地に行く機会もあるから、その行動範囲はかなり広い。

 サフィニアは昔、温泉に入ったと嬉々として報告に来たアマリリスの姿を思い出す。手入れなど一切しない姉の肌が、とてもすべすべに見えたのが印象的で忘れられない。


「≪転移せ――≫ 」


 舌に馴染んだ魔術詞マジックワードを完全に言うことはできなかった。

 ばちんっと突然内側から膨らんだ魔力がはじけ、構築しかけていた魔術の術式を破壊した。びりっと衝撃が足元から這い上がってきて、サフィニアはよろける。

 同じ衝撃をオスカーも受けたようで、二人そろって転倒しかけたが、お互いを支え合ってしのいだ。


「っ……今の、魔力の?」

「ご、ごめんなさい。急に魔力が増えたみたい」

 

 ばちばちっと身体の表面でくすぶっている自分の魔力を視界に収め、サフィニアは顔を歪める。

 ここ最近常に量を増やしている魔力は、時にこうして何のきっかけもなく突如増量する。あまりに不自然で急激な魔力の増量は、身体に少なくない負担を強いる。またその度に魔術の制御が難しくなるのが、難点だった。

 サフィニアは両手で肌をすりすりと撫で、溢れる魔力を身の内に抑え込んでいく。

 こんな時に脳裏をよぎるのは、やはり本来のサフィニアの死因である。もしアマリリスに寿命の分割をしていなければ、サフィニアは二十八歳で魔力に身を蝕まれて腐敗させながら、壮絶な最期を遂げていたはずだ。 


(魔力量の過多で死ぬなんて、本当にあるのかとは思っていたけれど)


 実際に異常な魔力量の増量を体験してみれば、その死因も身を以て理解できる。人間の身体には容量があり、それを超えた魔力を収めることはできない。脆弱な人間の身には、確かに膨大な魔力は毒だった。

 それは現在、サフィニアの身に這い寄る悪寒や気怠さが証明していた。

 

「……今回はずいぶんとたくさん、魔力が増えたみたいだね。身体は大丈夫?」

「何とか。でもちょっと息苦し……オスカー?」


 サフィニアは目を丸くして傍らの恋人を見上げた。

 二人の、お互いに不思議そうな視線がぶつかり合う。


「ねえ、もしかして魔力を見えるようになったの?」

「え? うん、たぶん」


 あっさりと肯定され、サフィニアは数秒ほど言葉を忘れた。

 世界の至る所に、自然の一部として魔力は溢れている。特にこの島国では魔術文明がないために、誰の手も入っていない純粋な魔力が空気中まで溢れている。だがただ人に魔力は容易には視得ない。もし魔力が簡単に視認できたなら、魔術はもっと早くに文明に現れていただろう。

 魔力を視認するためには、精神集中などの地道な訓練と普段から魔術に触れていることが前提になる。ただ双子のように生まれた瞬間から魔術に触れている者は、いつの間にか、魔力を視認できるようになるのだ。魔術を行使するために最低限必要なのは、魔力を視認し体感できることで、それができれば魔術師の素質はわずかにでもあると言える。

 サフィニアはまじまじと恋人を眺め、ため息を吐くようにつぶやいた。


「オスカー、意外と魔術の素養があるのかも……」


 オスカーが魔力視認できるようになったことは、よく考えれば有り得ないことではない。サフィニアはずっと魔術を彼の傍で使い続けてきたし、最近それは特に顕著だ。オスカーが魔術に親和性を発揮しても何もおかしくはないが、よくあることとも言えないのだった。

 オスカーは困ったような、微苦笑を浮かべる。


「そうかな? それだったら、嬉しいけど」


 実際のところ、これは種も仕掛けもある話だった。

 オスカーはサフィニアの目を盗んで、アマリリスから魔術の指導を受けている。あまりに急で、時間もないことから、アマリリスからも基礎の基礎しか教えることはできないとあらかじめ言われていた。それでもアマリリスのスパルタ教育で、オスカーは魔術習得の最初の難関を超えようとしていた。

 まだアマリリスの口から何もサフィニアに伝えられていない以上、オスカーも口をつぐむしかないのであった。


「あーあ、もう少し時間があったら、オスカーに魔術を教えるのに」

「……習得できるとも限らないよ?」

「魔力が感知できるなら、最低でも低級魔術くらいは使えるわ。それだけでも生活が結構楽になるのよ? 火を炊くのも一瞬で済むんだから。その分、扱いには要注意だけど」

「君たちは、何でもかんでも魔術でやりすぎだ」

「それは否定できないなぁ」


 サフィニアは普段の生活を振り返って、くすりと笑う。

 もともと双子は魔術が生活に組み込まれている方が自然な家庭に生まれた。それはこの島国に逃げてきてからも、独力で魔術の解析を行うことでさらに自分から切り離せないものとなった。双子にとって魔術は最大限に利用するもので、孤児院を出てからは誰の目も避ける必要が無くなり、生活の半分以上の作業を魔術で済ませている。

 そこに高度な技術が必要とは言え、確かに怠惰とも見えなくない。サフィニアに限って言えば、魔術のおかげで体力不足に陥っているという側面もあった。


「ま、いまさらだよ。……そろそろ大丈夫かな」


 サフィニアは自分の身体を見下ろして、魔力の流れを内外から確認する。

 突如魔力が増えた時、自分の状態をきちんと把握していなければ魔術の行使はとても危険だ。うっかり魔力を規定より多く供給すれば、簡単に魔術は暴発するだろう。 

 サフィニアは魔力が身体に馴染むのを待っていたのだ。


「行くよ。――《転移せよ》」

 

 今度こそ、転移の魔術は成功の兆しを見せた。

 ふわっと転移の魔術特有の、宙に浮く感覚を味わいながら、サフィニアはまだ見ない温泉地に期待を膨らませたのだった。




 *****



 ふぅ、と緩やかな吐息が零れ落ちてくる。

 サフィニアは赤く頬をほてらせ、片手に持った扇をゆっくりと煽ぐ。春のまだ冷たい夜気が顔にかかるが、それを心地良いと思うくらいには身体が芯から熱かった。

 それもこれも、初めて温泉に入った余韻のせいである。

 サフィニアはちょうど座れる大きさに彫られた石椅子に腰かけ、怠いほどほてった身体を覚ましている最中だった。その向かって右手には木製の簡易な掘立て小屋のようなものがあり、その戸には夜に溶け込む紺色の暖簾がかかって、湯気を模したマークと女性を示すマークが並んで描かれていた。

 この地帯は温泉がぽつぽつと湧き出る場所で、各温泉のある場所には脱衣所を兼ねた掘立て小屋が、近隣住民の善意によって建てられている。きちんと温泉によって男性専用、女性専用と決められており、女性用の掘立て小屋の近くには地域住民の有志から覗き防止の見張りまでいる。

 この辺りは温泉の恩恵にあずかって、各温泉の周囲には毎日屋台が出張ってくる。ほぼ毎日が王都の市や祭りのような有様で、夜に差し掛かり始めた時間帯でもまだ人のざわめきが耳に届く。サフィニアが今持っている扇も、近くの出店で格安に売られていた代物である。

 サフィニアはひとしきり女性用の温泉を堪能し終わり、今はオスカーを待っている。男性用の温泉地は観光地の中でも奥の方にあり、なかなか合流も難しい。魔術を使えば簡単に見つけ出せるだろうが、わざわざそれをするほど焦って合流する理由もなかった。

 はぁ、と吐息がまた自然と込み上げてくる。

 気分が憂鬱なのではなく、ただ熱に浮かされるように呼吸が苦しい。それは心地良い苦しさで、身体を支配する眠気と気怠さと共にずっとそうしてぼんやりしていたくなる。  

 確かに王都まで噂が届くだけあって、温泉は耽美なものだった。王族がわざわざ人生に一度は訪れる、いわば聖地のような場所だけある。


(でも、アマリーと一緒に入ってみたかったかも)


 一人で満喫するのもいいが、知り合いと一緒ならもっと楽しめた気がするのだ。特にサフィニアは数年前までの孤児院暮らしで、多人数での水浴びや入浴に慣れていた。孤児院ではひとりひとり入浴していたら人数上とても時間がかかるため、一度に二・三人ずつ入っていた。子どもたちが大して広くもない浴室で遊びまわって、よく怒られたものだ。

 だから家を建てて自立してからは、しばらく一人風呂が寂しかったことを思い出した。


「……ちょっと贅沢な後悔、かな」


 ふふ、とサフィニアは微笑する。

 その時だった。とんとん、と肩を軽く叩かれて横から声がかかったのは。


「何が贅沢なの、御嬢さん」

「っ……誰、ですか」


 サフィニアは反射的に立ち上がり、息を呑んで声を掛けてきた人物を見た。

 そこにいたのは二人の若い男たちだった。今まで屋台を巡って来たらしく、その手には焼いた格肉を刺した串が持たれている。へらへらと軽薄に笑う男たちは面白がるようにサフィニアをじろじろと見ていた。

 あまりに不躾な眼差しに、サフィニアはたじろいで一歩後退する。


「何の用ですか」

「そう硬い声出さないでくれよ、ほら、一人みたいだからさぁ。俺らと一緒にちょっと遊ばねえ?」

「そうそう、君可愛いし。おいでよ」


 ぐいっと腕を引っ張られて、サフィニアはたたらを踏む。

 その顔は先ほどまでとは正反対に青ざめ、狼狽を浮かべている。

 これがナンパだということはすぐに分かった。だがサフィニアにはどう対処していいか分からない。


「っ……放して!」

「うおっと」


 サフィニアは男の腕を振り払って、自分の腕を胸元に抱え込む。それからきっと鋭く男たちを睨み付ける。

 男たちは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに意外そうに顔を見合わせて笑う。


「へぇ、意外と強気なんだ」

「いいねえ、一緒に行こうぜ」


 男が再度伸ばした腕を一歩後退して避け、サフィニアは必死に考えを巡らせる。


(どうしよう。――魔術は使えないし)


 こんなに人目のある場所で、魔術を行使するわけにはいかなかった。魔術を失えば、サフィニアはただの弱い女の子でしかない。必死に抵抗を見せるしかできないのだ。

 王都のお膝下で、サフィニアはこんな風に誰かに声を掛けられたり、害を加えられたことはない。それは王都の治安が徹底されているからではなく、アマリリスが傍にいたからだ。双子は王都でそれなりに有名だったし、アマリリスが手を回していたおかげで、誰もサフィニアに手を出そうとは考えなかった。

 しかし、一度王都を離れてしまえば勝手はまるで違う。


(ああ、わたし……こんなにも)


 その存在が傍らにいない今、自然と脳裏にその姿が思い浮かぶ。いつでも初めに思い出すのは、生まれた時から変わらない背中だった。

 十年前も、それから今までも。


(アマリーに守られていた)


 どれだけ自分が姉に頼っていたか、守られていたか。こんな時こそ実感するのだ。

 それでも助けて、とは念じられない。あるいは念じれば、双子の絆でアマリリスに伝わるかもしれないが。


「……連れがいるので、行けません。他の人を探してください」


 ぐっと目元にこみ上げてくる涙を抑え込んで、はっきりとサフィニアは男たちに言った。

 ただ守られるのは嫌だから。これ以上、頼り切るなんてできないから。

 十年前のあの日から、サフィニアは自分なりに強さを求めてきたつもりだった。


「ふぅん?」

「へぇ……」


 男たちは目を瞬かせ、まじまじとサフィニアを眺める。

 その姿に、サフィニアはあまり無理強いはされない気配を読み取って少し安堵する。

 ごめんなさい、と頭を下げてそのまま逃げようとした時。


「サフィー?」


 恋人の声を聞いて、サフィニアは弾かれたように振り返った。

 オスカーが雑踏に紛れてサフィニアと後ろの男たちを怪訝そうに見ていた。サフィニアと目を合わせると何かを感じ取ったのか、速足で近づいてくる。

 サフィニアは今度こそ安堵から脱力思想になって、慌ててぐっとこらえた。


「オスカー……」

「サフィー、大丈夫か? ……あの、貴方たちは? 彼女に何か用ですか」


 さっとオスカーはサフィニアの腕を支え、男たちに険のある眼差しを送る。

 男たちはオスカーとサフィニアを交互に眺め、軽く笑った。


「なぁんだ、本当に連れがいるんじゃん」

「うーん、残念。可愛い子と遊べると思ったのに」


 オスカーの腕にしがみついたサフィニアは、意外にも二人の男が気さくそうに笑っているのを見て目を瞬かせた。一人で相対している時は恐ろしく感じたが、冷静によく見ればそう悪い人柄にも見えない。きちんと話をすれば、聞いてくれるようにも見えた。

 自分が怖がりすぎていたのかもしれない、とサフィニアは思い直す。

 そうしているうちにも、男たちはあっさりと引き下がった。


「じゃあ、声を掛けて悪かったな」

「ばいばい、可愛い御嬢さん」


 やや気障な感じに手を振って、男たちは雑踏に戻って行った。


「……」

「……大丈夫?」

「うん」


 サフィニアとオスカーは顔を見合わせ、お互いにそっと嘆息を零した。

 しばらくの沈黙の後、オスカーは気を取り直した様子でサフィニアを見下ろす。


「災難だったね、ナンパなんて」

「初めてだったから、ちょっと慌てちゃった」

「いや、何もなくてよかった。もし何かあったらアマリーに殺されてたよ」

「……そうだね」


 サフィニアは過保護な姉が怒り狂う姿を簡単に脳裏に浮かべ、冗談と分かっていても真剣に頷く。

 オスカーも同じなのか、多少引き攣った苦笑を浮かべていた。


「待たせてごめん。それじゃあ、気分を取り換えて観光してみる?」

「もちろん! 少しお腹も空いたし、何か食べて宿に戻りましょう」

「そうだね。食べ物はたくさん売ってるみたいだし」

「全部美味しそうだから、選ぶのが大変そう」


 二人は一気に表情を明るくして、腕を組んで屋台の広がる雑踏の方向へ足を向ける。

 暗闇を浮き彫りにする火の明かりに照らされた屋台の数々からは、意識すると余計に美味しそうな匂いが漂ってくるのが分かる。食べ物以外にもお土産用の小物や郷土の装飾品も並び、見て回るだけでも目を楽しませてくれそうだ。   

 二人はゆったりとした足取りでひとつひとつ、出店を覗いて行った。

 

「アマリーにもお土産買っていきたいなぁ」

「ああ、いいかもね。でもアマリーが喜びそうなのって難しくないかい?」

「うーん……、確かに」


 サフィニアは小首を傾げながら、出店を覗いてうんうんと悩む。

 お土産だと言えば、アマリリスはそれが何であっても喜ぶだろう。しかし、だからと言って適当なものを選ぶつもりもない。普通の女の子なら装飾品や可愛らしい小物を選べばいいが、アマリリスはそれより実用性のあるものを好む。趣味もまた男性寄りで、お土産となると選ぶのが難しい。

 ふと、一風変わった出店を覗いた時、オスカーがひとつの作品に目を止めた。


「……あれはどう?」

「なぁに? えっと、変わった首飾りね。男性用?」

「みたいだね」


 それは革紐に先の尖った何かの動物の牙と半分に割られた銅貨が通された、首飾りだった。二つでセットになっているようで、同じ形式の首飾りが二つ紐でまとめて置かれている。

 サフィニアたちが手に取ってまじまじと見ていると、出店の主人が出てきて言った。


「そいつに興味があるのか、御嬢ちゃん」

「あ、はい」


 白い口髭が印象的な老人は、淡々とした口調で商品の説明を始めた。

 少したじろぎながら、サフィニアはそれを黙って聞く。


「そいつぁ、ここいらの山に祀られた神の牙を模したヤツだ。昔は山から下りてくる動物からの被害が多くてな、住民たちは野生の動物たちを怖れて、変な話だが、生贄をささげて拝み奉っていた。生贄差し出すから村に手を出すな、ってことだろうが。だからここいらは動物の姿をした神の伝説が多い。――それで動物の一部を装飾品にして、「自分は貴方たちの同類だから害さないでくれ」って意味で厄災封じの効果があるって言われてる。

 ついでに銅貨の方は、何でも願いが叶うってお触れ込みだ。ほら、この二つ、ぴったりと断面が合うだろう? 別たれた二人を繋ぐって意味もあるらしい。まぁ、眉唾物だがな」


 自分の商品をやや貶す勢いで、老人は説明を終える。

 サフィニアはじっと首飾りを見つめ、由来を思い返しながらふっと笑った。


「おじいさん、これ下さい」

「買うのかい?」

「ええ、由来が気に入ったの。姉のお土産にするわ」

「ほぅ。なら包装してやろう」

「ありがとうございます」


 サフィニアは老人の親切に微笑んで、財布を取り出す。

 自分でも取って付けたような首飾りの由来のどこを気に入ったのかは分からなかったが、アマリリスにはそれが必要な気がした。魔術を志すものとして、容易に神の存在は認められるものではない。真理の魔術で世界に運命の流れがあることを知っていたら、その運命の流れこそが神だと思えてくるのだ。

 それでも、半ば直感的にアマリリスにはその首飾りが似合う気がした。


「ほらよ」


 支払を終え、綺麗に包装された首飾りの袋を受け取る。

 二人は笑顔で頭を下げ、その出店から雑踏に戻った。


「それ、気に入ったの?」

「うん。見つけてくれてありがとう、オスカー」

「ただ目に留まっただけだよ」


 サフィニアはお土産を失くさないように大事に抱え、オスカーに笑顔で寄り添った。

 その夜は興奮してなかなか眠れないほど、サフィニアは楽しみながら店を巡って行った。


――二人が宿に戻ったのは、完全に世界は夜の帳が下りて多くの人が眠りに就いた頃合いになった。



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