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残華  作者: さーさん
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第二十五話:喧嘩

サフィニア視点です。



 じとっとサフィニアが睨み付ける先で、乾燥した血液でどす黒く汚れたソファに気怠そうな様子で腰かけたアマリリスが、きまり悪そうに視線を彷徨わせている。

 サフィニアの献身的な看病のおかげでアマリリスはその日の夜のうちに意識を取り戻し、一昼夜明けた今では全身の至るところにあった切り傷もほとんど治っている。つい先ほど近所の医者を呼び診断してもらったが、アバラ骨に罅が入っており、現状では痛み止め程度しか治療法はないという話だった。

 完治にはまだ遠いが、魔術の効果を計算すれば約三日ほどでアバラ骨の罅も治り、通常通りに動けるようになるだろう。

 ただ今回の怪我にあたってアマリリスは体力を大幅に削っており、さらに日頃の無理で溜まった疲労が一気に出た結果、今でも高熱が残っているため医者からしばらくは安静にしていろと厳命されている。

 取り敢えずの危機は脱したところで、サフィニアは主に精神的な疲労でぐってりと居間のテーブルに突っ伏してしまっていた。


「……悪かった」


 アマリリスが少し枯れた声で短く言う。

 その顔に普段の張りはなく、両目の下には隈もでき、無造作に下ろした髪はぱさぱさになっている。上半身を起こすのも辛そうな様子で、明らかな疲労が彼女の両肩に圧し掛かっているのが分かる。

 工房に何日も不眠不休で泊まり込んで帰ってきた時でも、ここまでぼろぼろになった姿は見たことがない。子どもの頃、知り合いに朝から晩まで剣術や体術の訓練を受けていた時でさえ、ここまで疲労の濃い表情はしていなかっただろう。

 十年前のあの事件を除けば初めて、アマリリスは心身ともに限界を迎えているのが見て取れた。


「……アマリーなんて、もう知らないんだから」


 サフィニアはその姿を見て泣きそうに歪め、顔をぷいっと横にそらす。

 まだ怪我人のアマリリスにこれ以上の心的負担を掛けたくないという気持ちとアマリリスの無茶な行動に怒る気持ち。そして先ほどまで胸のどこかに巣食っていた、アマリリスを失うのではないかという恐怖。それらが混在して、サフィニアはどう反応していいか分からない。

 ただ簡単には許したくなかった。


――先に約束を破ったのは、アマリリスの方なのだ。


 二人で生まれて二人で死ぬ。

 それが祖国を脱したあとに交わした双子の一番大切な約束だった。

 たとえ時を同じくして生まれた双子であっても、それぞれに違う道を歩み伴侶を得て、違う時刻に死ぬのが本来の双子の在り方のはずだ。それを覆したのが、禁術指定にされた時限の魔術であり、この世の運命と呼ばれる力の流れである。

 ほんのコンマ数秒しか違わないお互いの死期を知った時、双子はその後の人生のすべてを互いに預けることを決めた。隣を歩くのは異性の伴侶ではなく、もう一人の自分になった。  


『どうしてわたしたちが双子に生まれたのか、分かる?』


 遠い異国の地にたどり着き、まだ言葉を習得できていなかった頃、サフィニアはそんなことを口にした。

 当時サフィニアは禁術を使った反動による十日間の昏睡から目を覚まし、ちょうど容体も安定してきたところだった。その時すでにサフィニアは二人の身に起こったことのすべてをアマリリスに打ち明け、二人は互いの寿命のこともそうなった過程の話も共有していた。

 サフィニアの寿命を半分与えられたことに、アマリリスは強い衝撃を受けていた。どちらが同じ立場でも同じ行動をしたはずなのに、アマリリスは妹をきちんと守れなかった、人生を奪ってしまったと考えたようだ。 

 サフィニアはベッドから身体を動かせないもどかしい状況で、厳しい顔で落ち込む姉を必死でなぐさめた記憶がある。だからアマリリスの暗い表情を変えたくて発された言葉だったのだろう。


『わたしたちは一人じゃ弱くて生きていけないから。だから二人で生まれたんだよ』


 誰よりも貴方が大切なのだと。貴方が大切だから命を与えたのだ、と。それはごく自然な成り行きで貴方が気にする必要はない、わたしは後悔してなんかいないのだ、と。

 ただ伝えたかったから成された約束の言葉。


『ねえ、わたし一人じゃ生きていけないよ』


 言葉も文化も、まるで何も通じない異世界のような場所でたった二人だけ。頼れるのはお互いのみ。

 そんな中で独り生き抜くことは、サフィニアにはとてもできない。でもアマリリスさえ一緒にいてくれれば、両親がいなくても、何も分からなくても生き抜けると信じていた。

 サフィニアは残された今の時間を歩むため、自分の大切な片割れのため、すがるように告げた。


『一緒に生きて、アマリー』 


 今にも壊れてしまいそうな、暗く不安定な表情をしたアマリリスの手をサフィニアはぎゅっと握った。手の平の温もりと共に生気も伝えるように。


『一緒に生きて……十年後に、一緒に死のう。二人一緒なら何も怖くないでしょう?』


 それまでサフィニアにはたくさん怖いことがあった。

 優しくて大好きだった両親との別れ、生まれ育った大地との別れ、アマリリスを永遠に失いかけたこと、言葉も文化も全く分からない周囲の環境――幸せだった生活はたった一日で崩壊し、ほとんどのものを奪われた。 

 祖父を犠牲に、何とか守り切ったアマリリスだけはもう失いたくなかった。アマリリスが死ねば、サフィニアもすぐに後を追って死んでいただろう。

 それくらいに、サフィニアはアマリリスの存在に依存していた。


『…………分かった。ありがとう、サフィー』


 アマリリスは憔悴した顔でじっと妹を見つめ、それでも小さく笑ってかすれた声で言った。

 十日間の昏睡から目を覚まして初めて見た、アマリリスの笑みだった。

 それが嬉しくて、ついぽろっと泣いてしまった。アマリリスは初めはあたふたとして、だがすぐに一緒になって泣き出した。

 その日、二人は辛かった記憶をすべて洗い流すように涙が枯れるまで泣き続けた。


 それが、始まりの約束の記憶。



「どこに、行って来たの」


 サフィニアは顔をそむけたまま、硬質な声で問いただした。しばらくの沈黙の後に西区の森、とアマリリスが白状し、サフィニアは目を剥く。

 王都の西側に広がる広大な森――何人たりとも不可侵、ひとたび森に足を踏み入れれば帰ってくる者はいない、そう人々に噂される場所だ。

 もちろんサフィニアは人々の森に関する噂も、森の実態が稀に見られる高濃度魔力の異常地帯“魔力の歪”だということも知っている。

 それを理解しているからこそ、そこに足を踏み入れる愚かさと危険をよく分かっていた。


「あ……アマリーッ!!」


 サフィニアはがたがたっと椅子を蹴って立ち上がり、わなわなと身体を震わせてアマリリスを凝視した。衝撃のあまり、言葉もなく口を開閉させるしかない。

 頭が真っ白になるほどの驚愕の後に胸にこみ上げてきたのは、強烈な安堵と怒りだった。

 よく、あの森に入って無事に帰って来れたという安堵と。

 たった一人で、サフィニアに一言もなくそんな危険地帯に行ったことへの激高。


「な……何でっ、一人でそんな、ことを……っ!! し、死ぬかもしれなかったんだよ!? どうしてっ、わたしには、そんなこと何も言ってなかったじゃない!」 


 胸に湧き上がる激情に触発されて、じわっと目元が熱を帯びて視界が滲み始める。

 感情のままに涙を零しながらも、サフィニアは鋭い眼差しをアマリリスに注いだ。


「また、一人で勝手にして……わたしを置いて逝く気だったの……っ!?」


 悲鳴に近い声で、サフィニアはずっと心の底に押し込めてきた叫びを口にする。


「わたしはっ、守られるしかできない、弱い女の子じゃ、ない!!」


 その時サフィニアの頭にあったのは、十年前姉を含める多くの人間に守られ無傷で生き延びた、弱く幼い自分の姿だった。

 生まれた時間は数分程度しか違わない、サフィニアとアマリリス。

 それなのに、そのたった数分の差が二人に明確な違いをもたらした。

 アマリリスは『姉らしく』妹を守り、サフィニアは『妹らしく』その守りを享受してきた。互いに支え、助け合っていても、その支え方には明らかに差異が生まれていた。 

 それは十年前、侵入者を前に対峙した時の双子のそれぞれの態度に一番現れていたはずである。アマリリスが表に立ってサフィニアを危険からかばい、サフィニアはその後ろで状況を打開するための手を打つ。まるで前衛と後衛を区別するように、二人の立場は明確に役割分担されている。


(でも) 


 サフィニアが後方で事態の改善にどれだけ手を尽くしていても、その時アマリリスが妹を守るために身を挺していることに変わりはない。あの時、アマリリスが敵の凶刃にかかって死にかけたように、アマリリスはその身にたくさんの傷跡を刻んできている。そのおかげでサフィニアは無傷のままだ。

 長い間、サフィニアはそれを歯がゆく思ってきた。

 次々と既存の魔術をより高度に発展させて力を付け、本を漁って知識を身に着けても、本当の意味でアマリリスを守ることができていない。

 アマリリスが肌に傷を作るたび、サフィニアは無傷でいる自分の無力が我慢ならなかった。

 だから、いつか――とずっと願ってきた。今度こそ、自分がアマリリスを守るのだと。


「わたしだって、アマリーを守れるわ! 足手まといになんか、ならないっ」


 危ない橋を渡るなら、二人一緒に渡りたい。そのまま無事に橋を渡るにしても、奈落の底に橋から落ちるにしても、全てを共に分かち合いたいのだ。

 危険だから、怪我をしてほしくないから、なんて一方的な思いを押し付けて、アマリリス一人だけで危険な橋を渡るような真似はしてほしくない。

 アマリリスが怪我をすれば、サフィニアだって辛いのだ。


「何でも、一人で危険なことをしないでよ!!」


 昨日から溜まった疲労と涙で顔をぐちゃぐちゃにして、それでもまっすぐアマリリスを睨み付けて、サフィニアは訴えた。

 あの運命の別れ道から十年――それがサフィニアの抱えた想いのすべてだった。


 アマリリスはソファの上に身をもたせかけたまま、完全に硬直していた。

 生まれてからこの方、サフィニアがここまで怒ったのはおそらく初めてだろう。

 もともと仲の良い姉妹で、特に喧嘩らしい喧嘩もしたことがない。互いのことは互いが一番分かっていると胸を張って豪語できる関係を保ってきた。

 だからこそ、互いに怒りをぶつけるように状況になったこともなかったのだ。


 重い沈黙が居間に落ちた。


 その場に張られた今にも切れそうな緊張の糸を切ったのは、アマリリスの方だった。

 瞬きもせず重ね合わせていた視線を外し、一度心を落ち着けるように瞑目する。再びまぶたを押し開けるとソファに寝かせていた身体を起こして座り直す。

 サフィニアの苛烈な眼差しとアマリリスの落ち着いた眼差しが、再び交差する。


「サフィーの気持ちを軽視したつもりはなかったんだ、ごめん」


 姉の眼差しはひたむきで、そこに嘘も誤魔化しもないことは分かった。

 それでもサフィニアは唇を噛んで黙り込んだまま、じっと先の言葉を待つ。 


「一人で行ったのは、単純にそうした方がいいと思ったからだよ。二人揃ってあんなところに行って、どっちも身動きが取れなくなったら、それこそ絶体絶命だ」

「……でも、一言断って行くくらいできたでしょ? そしたらわたしも、いつでも動けるよう準備していたわ」

「それは悪かったと思ってる。でも、サフィーにはあの魔物とイルのことを任せてたから」

「それはそうだけど……」


 苦々しく顔を歪めて、サフィニアは口ごもる。

 確かに隣町に出発した時点で、テンテンの正体は判然としていなかった。いつ、イルともどもテンテンの鋭い爪の餌食になるか分からない状況。あの時は、王都で五人もの人間を食い散らして逃走した魔物はテンテンかと思われていた。

 互いに危険な場所に身を晒していたことに、変わりはない。

 だけど、とサフィニアはうつむいて、かすれ声で訴えた。


「何も言わないのは、反則だよ、アマリー……」


 今度はアマリリスが口を閉ざす番だった。

 アマリリスは自分なりの状況判断とサフィニアの身を想うがために、一人で行動をおこしがちだ。

 しかし、それはあとに残されるサフィニアの気持ちを今一歩理解しきれていない証拠である。

 それと同様に、サフィニアにも一人で身を張って立とうとするアマリリスの気持ちが理解できない。

 ただそれだけが、二人のすれ違いの原因であった。普段は誰も立ち入れないほど互いを理解し合う双子は、こと危機に面した時には他者から見た方がよほど歴然と分かるすれ違いを起こす。あるいはそれこそが、姉と妹という立場の違いが作り出す溝なのかもしれない。


「いきなり、アマリーから痛み・・が伝わってきて……帰ったら、すごい怪我してて……また、失うかもしれないと思った」


 サフィニアは顔を俯け、きゅっと唇を痛いほど噛む。

 この姉には決して本当の意味では分からないだろう。何も知らされず、いきなり大切なものを失う――置いて逝かれるものの恐怖は。

 サフィニアに、一人で危険に立ち向かっていく孤独な恐怖が分からないように。


「もう、二度としないで」


 その声はかすれていたが、はっきりとアマリリスの耳にも届けられた。

 アマリリスは無言で首を縦に振る。それから、再度謝罪の言葉を口にした。


「すまない」


 その声は重たい静寂の落ちた居間によく響いた。

 サフィニアは張りつめた顔をうつむかせたまま、小さく頷いて謝罪を受け入れる。そうすると、どっと疲れが押し寄せてきて、そのままサフィニアはふらふらと近くにあった椅子に座り、テーブルに伏せった。

 それはアマリリスも同様のようで、アマリリスも一度は起こした上半身をぐったりとまたソファにもたせ掛けている。


 いつになく、気まずい雰囲気の沈黙が二人の間を長いこと支配した。





 *****




 いつの間にか、伏せったテーブルの上で眠ってしまっていたサフィニアは、ふと家の玄関が開く音と複数の足音を聞いて目を覚ました。家にかかった防犯用の魔術が反応していない以上、不審者のはずもなく、寝起きでぼやける目を両手でごしごしとこすり、だるい身体を起こす。

 居間の中央にあるソファの上で、アマリリスも人の気配に気づいたらしく、身を起こそうとしている。

 二人の視線は自然と玄関から居間に続く扉に吸い寄せられた。

 そう長くない廊下だから、訪問者たちはすぐに二人の前に姿を見せた。

 居間に入ってきたのは、昨日イルを孤児院に帰しに行ったオスカーと普段通りの巨体を持て余したゲイルだった。何故か、オスカーの腕にはテンテンが大人しく抱かれている。

 サフィニアは突然現れたゲイルに少し不思議そうな目を向け、オスカーにぎこちない笑みを向ける。


「お帰り、オスカー」

「ただいま。ごめん、少し手間取って遅くなった」

「ううん、こっちこそイルのこと全部任せちゃったし」


 椅子から立ち上がろうとするサフィニアを片手を上げて制し、オスカーはちらりとアマリリスの方を確認して笑みを見せた。


「良かった、もう大丈夫そうだね」

「……悪い、世話をかけたみたいで」

「本当だよ」


 オスカーは肩をすくめてアマリリスに近づく。そのまま、テンテンを片手で抱き直し、もう片方の手を無造作に伸ばした。

 ばちん、と痛そうな音が響く。


「っぃ……てぇ」

 

 唖然とした空気がその場を支配した。

 アマリリスは額を手で押さえ、痛みに顔をしかめてオスカーを見上げる。

 オスカーは今まさにでこぴんをした手を下して、にっこりと作ったような笑みを浮かべて言った。


「あんまり、俺の恋人を泣かすなよ」


 どうやら、オスカーもまた今回は怒っているようだった。

 サフィニアは完全に硬直した状態で、二人の様子を息を呑んで見守る。


「すまん」


 アマリリスは疲れたような息を吐き、オスカーを見上げて謝罪の言葉を洩らす。

 オスカーも怒りを引きずる気はないらしく、普段通りの態度で「いいよ」と簡単に頷いた。

 それで居間に漂う奇妙な雰囲気はすっかり解消される。


「それにしたって酷ぇ有様だな、おい」


 やや呆れ気味の声を上げたのは、それまで困った顔で入口に立ち尽くしていたゲイルだ。彼は巨体をのしのしと動かして、ひょいっとオスカーの頭越しにアマリリスを覗き込む。

 アマリリスはゲイルを見上げ、苦笑いを洩らしていた。


「これでも治った方だよ」

「そりゃ、なおさら酷いぞ」


 二人が軽い雰囲気で話始めるのを、サフィニアはぼんやりと眺めていた。寝起きのせいか、抜けきらない疲労のせいか、まだ意識はどこかそぞろだ。

 そこへ、オスカーがテンテンを抱いたまま傍まで来る。

 サフィニアは魔物と恋人を交互に見比べ、小首を傾げる。


「何でテンテンを抱いてるの?」


 いくら停戦の約束をしたとは言え、テンテンは紛れもなく魔物である。異例なことに理性と知識を兼ね備えているが、警戒して足りないことはない存在だ。

 それを、オスカーはあまり理解できていないのか、苦笑気味に笑った。


「この子、玄関に座って動こうとしないんだよ」

「……何で?」


 そう言えば、とサフィニアは思い出す。

 オスカーたちが家を出て行ってから、テンテンの姿を今まで一度も見ていない。家から出て行く気配がすればさすがにサフィニアも気づいただろうし、家を徘徊している気配もなかった。

 テンテンはおそらく、彼らが出て行って一歩も玄関の前から動いていないのだ。

 何故、とサフィニアは猜疑の混ざった視線をテンテンに送る。


「イルを待ってるんじゃないか?」

「イルくんを? そんな、忠犬じゃ……」


 あるいまいし、と否定しようとして口をつぐむ。

 大人しくオスカーの腕に納まったテンテンの目が、ここではない別の方角に向いていることに気づいたのだ。


(あの方角は)   


 その視線を辿った方向にあるものを察し、完全に閉口する。

 テンテンの眼差しの方角にはイルの所属する孤児院があるはずだ。テンテンは冗談でもなく、イルの帰りを待っているように思われる。

 まさに忠犬。

 正体を自己申告された今でも、テンテンが魔物であることを疑わしく感じる行為だった。

 サフィニアはため息を吐いて、意識を別の場所に飛ばしているテンテンに言った。


「取り敢えず、魔物騒動が解決するまではイルには会わせないわよ」


 その言葉でようやく、テンテンの目がサフィニアを捉える。

 黄金を宿した目に不満の色を見て取って、サフィニアは憮然と言葉を重ねた。


「イルくんと貴方の関係が何なのか、知らないけど……貴方だってイルくんを危険な目に合わせたくないんでしょう? 貴方の傍は、あの子にとって危険すぎる」


 テンテンはサフィニアの言い分を理解しているはずだが、抗議するようにぐるぐると喉を鳴らしてくる。  

 子犬の姿で威嚇されたところで恐怖も感じないが、サフィニアは説得のために言葉を重ねる。


「そう長く時間はかけないわ。――あと、数日よ」


 サフィニアは目を細め、頭の中に今日の日付を思い浮かべる。

 もう、花残月はなのこしづきの終わりを迎えている。それは双子に残された時間があと半月を切ったということに他ならない。 

 充分な時間が残っていない。どんなに時間を割いても十日――それくらいしか、魔物騒動に費やせる時間はないのだ。

 わずかな沈黙の後、魔物が歯をむき出しにして唸った。


『愚かな』 


 あの、直接脳に響くような声がきーんとサフィニアたちの中に届いた。

 サフィニアの視線の先で、魔物は人間で言う冷笑のようなものを目に浮かべていた。


『わずか数日限りで我が対の獣を倒そうと図るか』


 そんなことできはなしない、と魔物の目は言葉にせずともはっきりと告げいていた。

 だがサフィニアは顔を歪め、決然と返す。


「それでも、わたしたちは成さなくてはならないのよ」


 もし期限内に魔物騒動を収められないなら、それこそこの国の災厄の始まりである。ゲイルだけでは敵は倒せない、この国のただ人に魔物は相手にできない、そして魔物のテンテンはきっと人間の事情など知ったことではないだろう。 

 双子に後はもうないのである。


『何故、かくも人とは愚かなのか』


 理解できん、とでも言いたげに魔物は視線を逸らした。

 サフィニアはその黄金の瞳に呆れや侮蔑だけではなく、寂しげな感情を見た気がして、眉をひそめる。

 しかし、それを追及することはできなかった。


「――サフィー、そいつは何者だ?」


 サフィニアが驚きに目を瞬かせた先で、アマリリスが険しい表情で立ち上がっていた。今は身体を動かすのも怠いはずだが、警戒態勢でテンテンを睨んでいる。

 その周囲に渦巻く魔力の流れで、いつでも魔術を使えるような状況になっていることが、一目で分かった。

 その隣でゲイルも背負った大剣の柄に手を掛けて、いつでも抜ける状態でこちらを注視している。


「えっと」


 さて、どう説明するか。

 サフィニアは困った顔で言葉を探す。

 今まですっかり忘れていたが、テンテンとの協定についてアマリリスには一切話していない。つい昨日の朝のことで、アマリリスの異変を察知したのがその日の昼だった。話をする余裕も時間もなかったのである。

 テンテンは自分から何か動く気はないらしく、オスカーの腕の中でじっとしている。

 数秒の間、緊張感の漂う膠着状態が生まれた。


「テンテンは……その、協力を取り付けてあるから、ひとまずは大丈夫だと思う」

「協力、ねえ」


 先の質問の答えになっていない返答に、アマリリスは疑わしそうにテンテンを見る。

 アマリリスの疑いは正当なものである。本来知恵を持たず、人類の仇敵とされる魔物と協力関係が成り立ったことなど、歴史的に一度もない。 

 本来有り得るはずのないことを言われても、一度では信じられないだろう。

 サフィニアとて、実地に体験していなければ協力などできなかった。魔物の記憶を見て、魔物の身にある感情や考えを知らなければ、とても手を取れなかったのだ。   


「何が目的だ?」


 アマリリスの追及に、魔物は一貫して答えない。先ほど声を発したのが気のせいかと思うような態度だった。

 サフィニアはアマリリスを何とか納得させようと間に入って言葉を尽くす。


「テンテンは人間と同等の……ううん、わたしたち以上の知識と理性を持ってるの。今のところ、わたしたちを害する気はないわ。そうだったら、今頃わたしもアマリーもきっと殺されてる。テンテンはただ、イルくんを守ってるだけよ」


 どんなに考えても、他者を説得できそうな説明はできそうになかった。

 サフィニアも、今の説明をアマリリスの立場になってされていたら、納得がいかなかっただろう。今のところ、という不確定な不安要素や魔物が人間を守るという奇想天外な目的、行動を普通の感性では認められるはずがない。

 だがサフィニアには、アマリリスが信じるという確信もあった。

 アマリリスは言葉を尽くす妹をじっと見定めるように見つめ、仕方がないと言いたげな態度でため息を吐いた。 


「分かった。取り敢えずは信じる」

「おい、」

「ゲイルも、その手を離せ」

「……」


 ゲイルは何か言いたげな表情でアマリリスを見下ろすが、渋々と大剣の柄から手を離す。

 アマリリスはすとん、とソファに座って変わらず鋭い視線をテンテンに向けて言った。 


「おい、ひとつ聞くけどよ……お前、ロドラルゴの生きた遺産じゃねーだろうな?」


 その言葉に反応したのは、テンテンではなくサフィニアの方だった。

 サフィニアは瞠目してアマリリスを凝視する。どうして、と言葉が口から漏れた。


「やっぱりかよ、くそっ」


 妹の態度で自分の疑問が正しかったことを知り、アマリリスはやけっぱちな態度で毒づく。

 ロドラルゴの遺産が今回の事件に関わっていることは、可能性のひとつとして前から考えられていた。それでも改めて認知すると心が荒まずには済まないのか。

 いや、違う。

 アマリリスの態度に違和感を持ったサフィニアは、眉をひそめて問いただす。


「アマリー……あの森で、何を見たの」


 アマリリスとサフィニアの視線が束の間、交差した。


「俺が見たのは……」


 サフィニアの視線の先で、アマリリスが顔を歪める。無造作に下ろした新緑の髪をぐしゃぐしゃに掻き上げ、途方にくれたような表情で言う。


「今回の事件、初めから最後までロドラルゴの遺産が関わってるはずだ。俺が見たのは……そいつとそっくりで、まったく違う魔物と……魔物騒動の犯人らしき男だ」

「っ……見たの!?」

「それ、本当か!?」


 サフィニアとゲイルの驚愕の声が重なる。

 その時、オスカーの腕の中で魔物がぴくりと反応したことに、誰も気づかなかった。


「ああ。何もできなかったけどな」


 アマリリスは苦々しい顔で肯定する。

 逆にサフィニアは事態が急激で解決に向けて走り出したような気分になっていた。解決への条件はちゃくちゃくと揃いつつあるような、そんな気がしていた。


「ってことは、やっぱり敵はあの森に潜んでたのか」


 ゲイルが顎に手を当ててつぶやく。

 だがアマリリスは首を横に振ってきっぱりとそれを否定した。


「いいや、違う。敵はあの森どころか……この国にすら、拠点を置いていない」


 え? とその場の全員が困惑した顔でアマリリスを注視した。

 当のアマリリスは心底忌々しげに、さらにその場を混乱に叩き落とす真実を告げる。


「奴はここじゃない、異空間に拠点を置いてやがるんだ」





   




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