第二十二話:始祖遺跡
アマリリス視点です。
高い塀に囲われた王城には裏門と表門があり、表門から入った西側には王城より幾分背の低い無骨な建物が軒を連ねる。王城に施された精緻な造りとは逆に、その建物に求められるのは実用性のみである。
王都と王室を守る兵たちの滞在する兵舎、その中でも王室に近い近衛兵にあてがわれた兵舎の一室。そこに設置された質素ながら丈夫なベッドの上に、アマリリスは足を組み座っていた。
昨日ファランシスと待ち合わせた時に会えると思っていた、ゲイルに会いに来たのだ。だがゲイルも雇われの身で暇なわけがなく、アマリリスは仕方なく勝手に王城に侵入して勝手にゲイルの部屋で待っている。ゲイルには魔術で一報入れてあるが、彼が仕事を終えて戻ってくるのがいつになるか、アマリリスにも分かっていなかった。
連日の徹夜で披露した身体をこれ幸いと休める。さすがに他人の、それも男の寝台を借りるのは抵抗があるので、座って目を閉じるぐらいしかできないが、近ごろのアマリリスにはそんな休憩すら久しぶりである。
しばらくして、ぴくりと身体を震わせて閉じていた目を開ける。魔術で身体強化された耳は、遠くから聞き覚えるのある足音を捉えていた。
そう時を置かずして、部屋の扉がばんっと乱暴に開かれた。
「マジでいやがった!?」
ゲイルは開口一番に驚きの表情で叫ぶ。
その様子にアマリリスは呆れ顔になって言った。
「何だよ、それ。嘘だとでも思ったのか?」
「そーいうわけじゃないが……急すぎるんだよ。王太子からお前に会いに行けとは言われてたけどよ、まさかいきなり『今お前の部屋にいるんだけど』なんて念話が来るとは思わないだろ」
「ああ、そりゃ悪かったな、驚かせて」
「まったくだぞ」
ゲイルは肩をすくめ、アマリリスの真正面に木椅子を持って行き、座る。
目の前のいかつい男と話し込む前に、とアマリリスは虚空に片手を躍らせる。魔力のこもった指は淡く発行して力ある文字を宙に刻み込んだ。
すぐにゲイルの部屋全体にひとつの結界が張られる。人払いの効果を込めた結界で、魔術に耐性がないこの国の人間なら、結界が解かれるまではゲイルの部屋の近くに寄ってくることはないだろう。
ゲイルはアマリリスの指の閃きを興味深そうに眺めている。
「いつ見ても、面白いよな、魔術ってのは」
「そうか?」
「俺には魔術は使えないから、何がどうなってそんな効果が出るのか、不思議だよ。しかも、そんな綺麗な模様なのに、人を簡単に殺せる威力があったりするんだからな。おっそろしいもんだぜ」
「綺麗、ねえ。確かに綺麗なのかもしれねーな」
双子にとって魔術は物心つく前から慣れ親しんできたものだ。体外に放出された魔力の輝きや魔方陣の模様を見ても、そこからは威力や術式の性質、難易度を読み解くだけである。その外見を美しいとも綺麗だとも、わざわざ感じ入ることはない。
それは双子が魔術に身を浸すがゆえに、魔術の恐ろしさも理解しているからだ。魔術は世界を変えるほどの大きな力、扱い方一つで善にも悪にもなりえるもの。だからこそ、魔術に身を浸そうと魔術に心を奪われることはない。
魔術に心を奪われ、魅入られた者の行きつく先は――狂気しかない。
(あの、ロドラルゴみたいにな)
ジャン=ピエール=ロドラルゴ。魔術の始祖にして、魔術に魅入られた狂人の代表者である。
彼の者に関して一切の事実は歴史に埋もれたままだが、最初に魔術に魅力に取りつかれた彼の者の狂気が、その後の魔術文明を作ったと言っても差支えはない。むしろ現在でも、彼の者の遺したものは解明しきれず、死してなお存在を世界に刻み込んで入る。
しかしその狂気が魔物という存在を世界に誕生させ、多くの犠牲を強いていることを考えれば、彼の者の遺したものが決して良い影響ばかりではなかったことが分かる。
人の道を踏み外した狂人の業績は時に人間の文明を活性化させる一方で、取り返しのつかない過ちや災害を引き起こす。
そして魔術はどれほど便利であっても、果てしない可能性を持っている点において、災いの種にどうしてもなってしまうものなのだ。
「……それはともかく、だ。ゲイルに聞きたいことがあって呼び出したんだ」
最近、サフィニアからロドラルゴの遺産の存在を示唆されて以来、ロドラルゴに関して意識が向かいがちなのを自分でも認識しながら、アマリリスは思考を切り換えてゲイルに話を切り出す。
「俺だって仕事放って来てんだからな、何もないじゃ済まされねーっての。それで?」
ゲイルは苦笑気味に肩をすくめ、話を聞く体勢を取った。
「ゲイル、お前がこの国に飛ばされてきたのはここ二・三年の話だったよな?」
「ああ。正確には三年半前になるか」
「三年半、ね。ゲイルがこっち飛ばされた原因と飛ばされてきた場所を教えてくれないか?」
「そりゃ構わないが……聞いてどうするんだ?」
「件の犯人を捕まえるヒントになればと思ってね。俺たちもそうだけど、あっちだって何らかの事故か何かでこの国にたどり着いたはずなんだ」
「ああ、そっか。そうだよな」
ゲイルは納得した様子を見せ、自分がこの国に来るに至った経緯を簡単に話し始める。
それを聞き逃さないよう、アマリリスも耳を澄ませた。
「もう知ってるだろーが、俺は古代遺跡にあった転移魔方陣の誤作動で飛ばされてきたんだ。当時の俺は傭兵になって大陸中を放浪してたんだけど、新しく見つかった古代遺跡の調査をするって話で、その研究者どもの護衛を引き受けたんだよ。……あの時はまさかこんなことになるとは思ってなかったんだがな。とにかく、その遺跡の調査で付いて行った場所にな、えらく古い魔方陣があったみたいなんだ」
「みたい? 曖昧な言い方だな?」
「ああ。何つーか、魔方陣はこう、足元……石作りだったんだが……そこに直接刻まれててな、初めは変な模様が描かれてるくらいにしか思わなかったんだよ。大きかったし、俺にゃ魔術の知識はねーしな。それで魔方陣にある部屋の中央辺りまで来て、うっかり何か踏みつけっちまったんだ。ぱきって音がしたのは覚えてる。あとは魔方陣が勝手に光り出して、そのまま暴発だ。まぶしくって目がつぶれるかと思ったぞ」
「踏みつけた、ねぇ」
当時を思い出してか、ゲイルは苦虫をすりつぶしたかのような顔をする。
そんな事故で存在すら知らなかった異国に飛ばされては、たまったものではなかっただろう。言葉は通じず、職もなく、一晩の宿もお金もない。そこから生き抜く苦労は、孤児院に保護されて大切にされた双子の比ではないだろう。
転移先が海原や上空、地中など生存できな場所ではなかっただけ、マシなのかもしれないが。
アマリリスは自分なりにゲイルの話から分かることを推測する。そうは言っても、アマリリスは大陸の事情にあまり詳しくない。古代遺跡がどういったもので、通常どんな役割や効果を持つのか、良く知らない部分も多い。
「まぁ、間違いなく、その踏んだ何かが転移魔方陣に作用して暴発したんだろうが……。転移魔方陣が古代遺跡にねぇ。ゲイル、古代遺跡には転移魔方陣とか、高度な魔術文明の名残がよくあったりするのか?」
「いや。そんなことはねーよ。確かに古代遺跡から上質な魔力化石や宝石とか、貴重なもんが発見されるのはよくあるけどよ。基本的に魔術関連のものは昔の効果切れの魔導具とかが出てくる方が多い。たまに伝説級の魔導具や今回みたいに魔方陣、高度な魔術の名残が見つかることもある。つってもほとんど有り得ないレベルの話で、俺があれを発動させたのも、かなり稀な話だよ」
だから俺も注意を怠った、とゲイルは言う。
アマリリスはその話に眉を寄せ、思い浮かんだままに疑問を口にした。
「その、かなり稀な魔方陣の暴発で、この国に飛ばされた? そんな偶然、あるものなのか……?」
双子が転移の魔術で飛ばされてきた時も、ほとんど魔術の暴発に近い形で飛ばされてきている。何せ、あの時は双子にとって安全な逃げ場所が一切なかった。そのため、今考えればかなり無茶な話だが、一縷の望みに託すように普通な有り得ない曖昧な情報を書き込んだ魔術で転移をしたのだ。サフィニアの曖昧な記憶から聞く限り、だいたい“双子が安全に暮らせる場所”と言うような条件を組み込んでいたはずだ。座標指定すらしていない転移が無事に作動しただけすごい話である。
(もしかして……転移するのに、道ができてるのか?)
一定の条件下において、転移の魔術がこの島国に到達できる道筋ができあがっている。その可能性はあるのかもしれない。調べるには膨大な時間と苦労が伴う推論だが、有り得ない話でもない。
もしそうだとしても何故、という疑問が湧いてくる。
(ま、今の俺たちには関係ない話か)
気を取り直して、ゲイルにまた尋ねる。
「それで? 初めてこの国に来た時、どこに着いたんだ?」
「あー、王都だよ。王都の南区辺りだったかな? そこらへん、よく覚えてないんだが……気づいたら、医療所で寝かされてたもんだから、人伝に聞いただけでよ」
「王都の南、か。俺たちは西区だったけど……王都であることに変わりはない、か」
「ああ、そうだな」
「ところで、お前と一緒に遺跡にいた奴らは誰もこっちに来てないのか?」
「少なくとも俺と同じ場所には飛ばされてねーな、この三年、こっちで会ってないし」
「うーん、転移の魔方陣は中央にいる人間しか移動させられないからな……大丈夫だろうけども」
古代遺跡にあるような刻印式の持続可能な魔方陣は、中央辺りの決められた範囲にあるものにしか効果を発揮しない。その範囲内にいたのがゲイルだけなら、魔方陣の暴発に巻き込まれたのはゲイルだけのはずである。
ひとまず、ゲイル以外の人間がこの国に飛ばされてきていないのは行幸だ。この小さな国が、大陸の知るところになるのは遅ければ遅い方がいいのだ。
「にしても、転移の魔方陣ね。話に聞く限り、ずいぶん高度な技術の遺跡だよな? 確か、俺たちがあっちにいた頃は転移の魔術がやっと解明されて確立してきた頃だったはずだけど」
「そうだな、三年前の時点でも転移の魔術はそこまで実用性のあるものじゃなかった。各国の城とか重要拠点に一つ、二つ、設置できればいい方で……」
転移の魔術は分類としては中級に属するが、実際にはほとんど手出しできない高度な技術を伴うものである。双子が祖国から逃げ出す際に使った魔方陣も、祖国で魔術の第一人者と言われた両親が決死の覚悟で練り上げたものだった。
双子にとっては便利な術式程度の認識でも、他にとって転移の魔術を個人で行使できるのは、驚愕に値する成果であった。
アマリリスもそこらへんはぼんやりと認識しているので、首をひねる。
「ますますおかしいな。なぁ、そこって……始祖遺跡だったんじゃ?」
「かもしれない。今となっちゃあ、判らないけどよ」
始祖遺跡とは、魔術の始祖たちの遺した遺跡のことを指す。
ジャン=ピエール=ロドラルゴが魔術の始祖として際立って有名で忘れられがちだが、魔術を発見し、その基礎理論を組み立てた人物は他にも存在した。ロドラルゴを中心とした十人の男女で、時に賢者と呼ばれる彼らの遺跡を始祖遺跡と呼ぶ。ロドラルゴについての詳細は伝わっていないが、他九名の賢者の行跡は比較的多く文献資料が残されている。
一説によれば、ロドラルゴは他の賢者たちと一線を画した才を有していたらしい。賢者たちは紛れもない天才であったはずだが、ロドラルゴの才はその遥か上を行った。ロドラルゴはその才ゆえに人間を超越した技を身に着け、数百年単位で生きていたと考えられている。
そして現代に至るまで解明されていない魔術理論のほとんはロドラルゴ個人の研究成果の部分である。時折発見される彼の遺跡の遺物は、いまだに解明しきれず、また危険物が多い。
魔術は時間の流れと共に確かに発展を重ねているが、現代の魔術の基礎を築く理論のほとんどは九名の賢者の研究成果を総合したものによるところが大きい。
ちなみにロドラルゴの遺した遺跡はそのまま、ロドラルゴの遺跡と呼ばれることが多い。
「……まぁ、今は関係ない話だったな。とにかく俺たちとゲイルは王都に転移してきた、それは確かだろ? ついでに敵方の魔術師も、この王都に出没したってことは同じく王都に何らかの事故で転移してきた可能性が高い。海を漂流してきて偶然ってのも考えられなくはないけど、王都の近くに海はねーし、まず魔物を移動させられるわけもない」
「その魔物なんだが……本当に、どこに隠れてやがるんだ? と言うか、魔物を小出しして王都を襲わせる意味が解らん。ちょっと使い方を考えれば、裏で一国を操ることだってできるはずなのになぁ」
「何か別の目的があるか。もしくは単にそこまで考えられる脳を持っていないか、狂人の道楽か、ってとこだろ」
「どうにしたって嫌な話だ」
「まったくだね」
ゲイルの言う通り、敵方の意図や目的はさっぱりと見えてこない。歴史上、たった一人にしか成し得なかった魔物を操るという行為も、相手方の意味不明な動向によって王都の攪乱以外に効果は表れていない。これが王家に対する反逆、抵抗などを目的としたテロ組織によるものならもっと別の出方があっただろう。そうではなく、敵はおそらく個人で、社会的な抗議や反逆を目的としているわけでもないらしい。
(目的何てない、そう言われた方がしっくり来る)
アマリリスは敵方の魔術師はあまり優秀ではないと検討をつけていた。宝具術式にしても、盲点こそ突かれてしまったが、大した術式でも策略でもなかった。あの場で魔物を逃がしてしまったのはアマリリスとゲイルの力不足、判断不足の面が強い。
敵方が双子の存在をそれとなく察知し、警戒されているはずなのに、あれ以来大きな妨害行為が来ないというのもまたおかしな話だった。
(普通、排除しようと動くもんなのにな)
魔術師が複数王都にいるのは解っているが、それがどこの誰かは判っていないのかもしれない。何に知ろ、不可解なことばかりだった。
「魔物がここ数日、現れないのも変だ」
特に魔物に現れて欲しいわけでもないが、現れないとなると逆に怪しくも感じられる。双子の妨害を恐れている、ということも考えられなくはない。
「何を基準に魔物を王都で暴れさせてる……?」
分からないとアマリリスは首をひねる。
「考え込んでるところ悪いんだけどよ、魔物の隠れてる場所ってだいたい見当は付いてるんじゃないか?」
真面目なゲイルの言葉に引かれて顔を上げ、アマリリスは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「――むしろ、見当がつかない方がおかしいだろ」
そのまま、顔を西の方角に向ける。兵舎の壁を越え、王城を抜けて平民の家の連なる西区に想いを馳せる。双子が七年近くも孤児院で過ごしたその地域には誰も踏み入ってはいけないと言われる禁域が存在しているのだ。
アマリリスはこれまでの魔物の出現地域を脳裏に思い浮かべ、告げた。
「魔の森だ。あそこ以外に考えられない。そうだろ?」
サフィニアが魔狼と出会い、赤獅子まで姿を現した西区の丘の向こう側。そこに広がる果ての見えない深く鬱蒼とした森。足を踏み入れた者は誰一人帰って来られないと昔から怖れられ続けた通称“魔の森”だ。
当初から双子はあの森に何かがあることに勘付いていた。魔物の出現場所は決まってあの森の近くで、王都に大型の獣を完璧に隠し通せる場所はあの森の中にしか存在しない。
敵方の魔術師も魔物も、あの森にいる可能性が高い。
「だったら何で、あの森に出向かないんだ」
「そっくりそのまま返すぞ、ゲイル。王家に雇われ、魔物殲滅の依頼を受けたお前は、どうしてあの森に入って魔物と敵魔術師を探し出さない? 何で今まで俺たちにそうするよう、言わなかった?」
「……」
互いに厳しい顔を突き合わせ、二人は同時にため息を吐く。
答えはできなかったから、だ。
アマリリスは腰かけたベッドに両手を後ろに付いて、天を仰ぐように互いに分かり切っていたことを言葉に乗せた。
「あの森はおかしい。たぶん……あそこは森全体が魔力の歪になってる。人を狂わせ、魔術を狂わせる。昔からの言い伝えってのは馬鹿にできないよな。あそこは無暗やたらと入って行ける場所じゃない」
それは双子がこの地を訪れて、西区の奥に広がる森を初めて見た瞬間から理解していたことである。西区の深い森は大陸において“魔力の歪”と呼ばれた異常地帯なのだ。
魔力の歪は、一定の地域に異常なほど高濃度の魔力が溜まった場所のことを言う。高濃度すぎる魔力は訪れる者に魔力酔いを起こさせ、時には時空間を歪めてしまうこともある。よく魔力の歪に入ったものが神隠しにあったように、失踪時と同じ姿形で時を超えて現れるという逸話も聞くくらいだ。
魔力の歪で取れる魔力化石は純度が高く、非常に貴重な反面、採取するには少なくない危険を伴う。人間は魔力の歪に長期間滞在できないのだ。もし一定以上長い間、魔力の歪に居続けると感覚器官や精神に異常をきたしてしまう。
アマリリスは西区に広がる森を思い起こし、大きくため息を吐く。
「ゲイル、お前はいつあそこが魔力の歪だって気づいた?」
「気づいたもの何も……見た瞬間、これはやべぇと思ったよ。魔力の歪を見たのは初めてだけどよ、直感があそこに近づくなって警鐘を鳴らすんだよ。あれほど凄まじい魔力の歪も珍しいんじゃないか?」
「たぶんな。俺はそこらへんのこと、よく知らないけど」
さすがの双子も、あの土地には迂闊に手を出せないのである。例え、あの森の中に重要なものが隠されていると判っていても。
積み重なるばかりの問題要素に頭が痛くなってきそうだった。
「あー、そうなると敵魔術師はあの森の中でどうやってまともに生活してるんだ?」
当然と言えば当然のゲイルの疑問に、アマリリスは一瞬押し黙る。
「……あの森の中に無事に生息できるのは、それこそ魔物くらいだ。万全の対策を立てたって、半日いられるかどうかってとこだろ。だからまともな身体を持つ人間なら、どうしてもこの王都に生活基盤を持つしかないはず……。何にしたって、あの森の中で口にできる食料は確保できないからな」
魔力の歪となる地は、全てにおいて普通と異なる。そこで取れる薬草も果物も、そのまま食べたり、通常通りに使用しようとすると人間の身体の害になるのだ。純度の高すぎる魔力化石を口にするのは、岩塩をがぶ飲みするのと一緒だ。
「つまり、敵さんは王都と森を行き来してるって? だったら、あの森を監視してる衛兵の目に引っかかるんじゃないのか」
「おいおい、相手は魔術師だぞ? いくら低級の、おそらく魔術師とは名ばかりでも、魔術を使える時点で一般人の手には負えない。ただ人の目を誤魔化す術はたくさんある。宝具術式じゃあ難しいかもしれないが、何らかの魔導具を持っていたら簡単だ」
「なるほど」
「それに、単純に歩いて森に行き来してるわけでもないだろうさ」
「……魔導具とか?」
「そこまでは解らない。ただ……王都を襲ったあの正体不明の魔物、途中で探知の魔術の包囲から消えた。何らかの魔術で妨害されたか、本当に王都から消えたのか……どっちかな?」
敵の人数は間違いなく少ないのに、魔物という圧倒的な戦力、そして明かされない手の内が、双子たちを後手に回す。
「一番いいのは、敵がほいほい罠につられて出てきてくれることだけど……そう簡単に行くかどうか」
「罠? って、あの噂のことか?」
「噂というか、もう指名手配してるようなもんだよ。目撃情報を募ってんだから」
「それもそうか。あんまり効果は無さそうに思えるんだが」
「頭の痛いことにね」
ファランシスと共謀して作った罠の内容を思い浮かべ、アマリリスはため息を吐く。
「あんまり手をこまねいているわけにはいかないんだよなー、そう時間もないし、これ以上の被害者だって出したくない。……だいたい、何でこう、騒々しいことばっかなんだよ」
双子の死期は迫っている。もう少しで死ぬ、という人間が何故ここまで命を懸けた事件に巻き込まれて無駄に時間を過ごさなければならないのか。もう少し、ゆったりと最期の時間を使いたいものである。
半ば愚痴交じりにぼそっとつぶやいて、すくっとベッドから立ち上がる。
「お? どうした」
「ここでだべってる時間はない、取り敢えずは行動してみねーと」
「はぁ、それでどうするんだ?」
「西の森に突入してみる」
「は!?」
ゲイルは目を丸くして、がたっと椅子から立ち上がる。
自然とアマリリスはゲイルの巨体を見上げる姿勢になった。
「いやいやいや、さっきの話し合いは何だったんだっ? あそこは魔力の歪で、人間が無暗に踏み入ったら危険で手が出せないって話だっただろっ、言ってどうすんだ!」
「危険だからって何もしないんじゃあ、死んでいった奴らに悪いし、事態は好転もしないし」
「そりゃそうだが、そう簡単に命を懸けるようなことをするんじゃねえ!!」
アマリリスは思いの外、ゲイルの反応が大きいことに素直に驚いた。自分でも唐突すぎる発言だと分かっていたため、多少の驚きや反対もされるとは思っていたが、顔を険しくして憤られるほどではないと考えていたのだ。
目を瞬かせて沈黙したアマリリスの両肩にがしっと手を置き、ゲイルは溜まっていたものを吐き出すように懇々と説教を始める。
「だいたい、お前たち姉妹は危なっかしすぎる! まだ十八のガキのくせに何でそう、危険なことにばっかり首を突っ込んでいるんだ。本当は今回のことだって一般人のお前たちが関わることじゃねえし。この前だって、俺が行く前に妹さんは勝手に赤獅子なんて大物を相手にして倒しちまうし……いや、あれは行くのが遅れた俺も悪いが……とにかく、普通はいくら優秀な魔術師でも、お前たちみたいな直接的な戦いなんてしないんだよ! 魔術師は後衛職だ、確かに魔物に反撃できるのは魔術って決まってはいるが、それは前衛が魔物を相手に持ちこたえている前提で掲げられるもので、魔物と魔術師が一対一なんて馬鹿な真似は普通しないし、普通の奴は魔力の歪に入るなんて考えもしない!」
長々と双子への心配とも愚痴とも取れる台詞を吐かれ、アマリリスはぽかんとするしかない。ゲイルの必死さは伝わってくるが、いまひとつ言いたいことがはっきりと分からないのだ。
アマリリスは困惑した顔で小首を傾げた。
「ええっと、うん。それでつまり、何なんだ? 魔力の歪に行くのに反対ってことか? 俺だって何の対策もなしに行ったりしないって」
「そうじゃなくて……! っお前たちは、自分たちの命をないがしろにしすぎだって言いたいんだよ。会った時から何となくは感じてたんだ、お前たちは危険を顧みなさすぎる。死ぬことを恐れてないって言うか……死んでもいいと思ってるみたいな。だから、さっきみたいに簡単に危険なことをするって言うあんたらを見ると……こう、もやもやして悲しくなってくる」
「もやもやって、お前、もっと的確な表現をしてくれ。子どもじゃないんだからさ」
「ちゃかすんじゃない」
別にちゃかしてるわけじゃないんだけど、とアマリリスは苦笑する。
その顔を見て、ゲイルも多少は落ち着きを取り戻して一度大きくため息を吐いた。
「あまり、死に急ぐなよ。まだ十八だろ、先は長いんだぜ? ……俺たち大人がもっとしっかりしてれば、魔術師とは言え、お前たちみたいな子どもを便りにせずに済むのにな。偉そうなことを言える立場じゃねーけど。少しは配慮してくれ」
「要は俺たちを心配してくれたんだ? ありがと」
何となく、ゲイルの言いたいことは理解できた。彼の言い分は間違っていない上に、おそらく大人として適切な忠告をしてくれているのだ。
だが双子はその期待に沿えない。どうあがいても半月と少し先の死は免れない。限られた生を存分に生きようと必死に時間を過ごす有り方も、いまさら変えられない。
そんなことを教えられるはずもなく、多少の罪悪感を感じながら、アマリリスは適当に頷いた。
「一応、配慮しとく」
そこでやっと表情を柔らかくしたゲイルを見つめて思う。
(こいつなら、俺たちの死を悲しんでくれるんだろーな)
きっと、そうだろうと確信できた。
それは妙に物悲しく、また胸の痛みを感じさせる喜びの混じった複雑な心境だった。
「それはともかく、俺だって無作為に魔力の歪に手は出さない。人間が唯一、あの地で無事にいられる方法は一つだけあるんだ。……魔力を遮断すればいいのさ」
「魔力を遮断?」
「魔力の歪で狂わされるのは、異常なほど高密度の魔力を身体が吸い込むから。なら、周囲の自然魔力の影響を一切受けないようにすればいい。結界系の魔術を上手く応用すれば何とか自分にだけ、それができる。森自体が魔力で変容してたり、獣の心配もあるけど……そこもまぁ、何とかなる」
「何て言うか、本当に規格外って感じだな、おい。自然魔力ってのは空気にだって含まれてる。自然魔力の遮断ってのは呼吸を止めるってことと同じじゃないのか?」
「呼吸止めたら死ぬっての。そこは突貫作業で魔導具を造ってあるから大丈夫だ」
まだゲイルは疑わしげな表情で見下ろしてくる。
アマリリスは頭に思い浮かべた手段を事細かに問い詰められる前に、とゲイルの肩をぽんぽんと安心させるように軽くたたく。それでようやくゲイルの両手の重みは肩から退き、アマリリスは小さく笑う。
「何かあったら、すぐ念話で呼ぶし、転移の魔術で逃げられる。そう簡単にへばったりしねえ」
大丈夫だ、と念を押す。
「んじゃ、また今度」
何か言いたげなゲイルを無視し、アマリリスはすっとその脇をすり抜けて部屋を出て行こうとする。慌てて振り返ったゲイルを最後に視界の端に捉え、ひらりと後ろ手に手を振る。
「時間取らせて悪かった。話聞かせてくれてありがと」
次の瞬間、アマリリスは転移の魔術の発動詞を唱え、ゲイルの前から姿を消した。
あとには苦々しげな顔をしたゲイルだけがぽつんと残されたのだった。
ロドラルゴの説明、くどすぎますかね……?
同じことを何度も書いてる気がしてます。