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残華  作者: さーさん
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第十九話:記憶


 太陽が顔を出して辺りを明るく照らし出した朝方、爽やかな小鳥の鳴き声を耳に、サフィニアたちは白亜の建物の前に立っていた。

 目にまぶしいほど白い、他の建物よりも一際大きな建物は昨日訪れ損ねた医療所だ。王都の医療所と同じくらい立派なこの建物の中に、イルの母親は入院しているらしい。

 昨日期待を外されてふて寝したイルは、就寝時刻がいつもより早かったせいか、太陽が昇る頃には起きだしてきた。

 サフィニアは逆に例の魔方陣の作成で夜更かしをしてしまい、普段より早い朝にあくびが込み上げてくるのをぐっとこらえている。

 オスカーに手を引かれたイルは医療所をきらきらとした目で見上げている。その目が、母親に会うのが嬉しくてたまらないと言外に訴えている。

 それを横目にサフィニアはふっと目を細めた。


(私たちも両親が生きてた頃は、こんな目をしてたんだろうなぁ)


 屋敷の敷地から出ることを禁じられていた双子は、仕事で家を空けた両親が帰ってくるのを毎日いまかいまかと待っていた。両親が帰ってきたら、玄関までとことこと迎えに行く。帰宅した両親は笑って双子をそれぞれ抱き上げたり、頭を撫でたりして迎えてくれるのだ。

 それがいかに幸せな日常か、当時はまったく理解できていなかった。

 今のイルを見ると当時の幸せな家族の形を思い出して懐かしくなる。


「それじゃあ、行こっか。面会の申し込みは推薦状をもらってきてるし、すぐにお母さんに会えると思うから、もう少しの我慢ね」

「うん! お母さんに会えるんだよね、我慢できるよ!」

「そっか、偉いな、イル」


 嬉しそうに言うイルの頭を、オスカーが優しく撫でている。

 平和そのものの光景だったが、サフィニアは少し困った顔で二人の足元を見下ろした。

 発見した当初から変わらず、魔物はイルの傍でおとなしくしている。魔物に街中で暴れられては困るので、道中は始終この魔物に意識を向けていたが、やはり態度は依然として変わらない。

 だが今問題なのは、そこではない。


「ところで……、イルくん、ここは動物は立ち入り禁止なのよ。その……テンテン、を連れて入ることはできないから、ここで大人しく待っててもらわなきゃいけないわ」

「ええっ!? テンテンは入れないの? 絶対?」

「うーん、ダメかな」

「そっかぁ、お母さんに会わせたかったんだけどなぁ」

「うん、それはまた今度にしましょう。お母さんが退院して外に出られた時に」

「退院? お母さん、できるかな」

「できるよ、きっと。だから今は我慢してまた今度にするの。ほら、行っておいで」


 落ち込むイルの肩をぽんぽんと叩いて、サフィニアはオスカーを見る。アマリリスから渡されていた各種書類を鞄から取り出して渡した。

 オスカーはそれらを受け取って少し眉を下げ、尋ねる。


「サフィーは一緒に来ないのか?」

「うん、私はここに残るよ。だからイルくんとお母さんのことはお願いね」

「それはもちろん」


 サフィニアもイルの母親に会ってみたいが、それは魔物の存在が許さない。凶悪な魔物を一体だけ医療所の入口に放置しておくなど絶対にできないのだ。オスカーに魔物と必要以上に接触してほしくないこともあり、サフィニアは魔物と一緒に医療所の入口でお留守番になる。

 それをオスカーも察しているのだろう、足元の魔物とサフィニアに物言いたげな視線を向けるが、何も言わない。


「俺と一緒に行こう、イル」

「うん。テンテン、ここでおねえちゃんと一緒に待っててね、すぐに戻ってくるから勝手にどっか行っちゃ駄目だよ!」


 イルが屈みこんで魔物にそう言い聞かせると、ギャンギャンと魔物は承諾するように吠える。

 それを確認したイルはオスカーに手を引かれて医療所に浮き足立って入っていく。


「いってらっしゃい」

「またあとで、サフィー」


 サフィニアと魔物は二人の背中を見送る。二人の姿が見えなくなるとぴりっとした緊張が生まれて、サフィニアと魔物は互いを牽制するように見た。

 ずっと医療所の前に立っておくのも迷惑なので、サフィニアはイルたちを待つために場所を変えることにした。少しだけ躊躇って魔物に向かって言う。


「……あちらで二人を待つから、付いてきてちょうだい」


 それが魔物に通じたかどうかは自信がなかったが、サフィニアは近くに植えられた樹の根元辺りに歩いていく。

 日が昇って肌が焼かれ始めていたので、樹の木陰に入ると多少は涼やかになる。まだ春だというのに、長袖では少し暑くなるような天気だった。

 魔物はサフィニアの後を距離を置いて付いてきた。

 樹の根元に腰を下ろしてそれを確認し、サフィニアは確信する。


――この魔物は人の言葉を理解している。


 薄々勘付いてはいたが、この魔物は知能が高い。どこまで人の言語を理解しているかまでは判らないが、ある程度は判っているのだろう。

 だからこそ、サフィニアにとっては不気味で恐ろしい。


「本当に、何だっていうの、あなたは」


 落ち着いた輝きを放つ魔物の金色の瞳を見つめ、苦々しくつぶやく。

 イルと魔物に出会って三日、サフィニアたちがイルを害することがないと悟ったのか、魔物の眼差しは当初のぎらぎらしたものから多少穏やかなものになっている。

 異常に理知的に感じる正体不明の魔物をサフィニアはどうすることもできず、ただ監視する。 

 しばらくは魔物とサフィニアの緊張を孕んだ沈黙が続いた。 

 イルとオスカーが戻るまで続くかと思われた沈黙だったが、ずいぶんと時間が経過した後に変化は起きる。

 それまでじっと地面にお座りをしていた魔物がのそりと立ち上がり、警戒するサフィニアの方に寄ってきたのだ。

 サフィニアは思わず立ち上がり、魔物を凝視する。


「何……?」


 これまで魔物はイルの傍にべったり張り付いて、サフィニアには近づきもしなかった。魔物もサフィニアが天敵である魔術師だと判っていて、警戒していたのだろう。

 今魔物がその距離を詰める理由が分からず、油断のないように構える。

 魔物がぐるぐると喉を鳴らす。

 その場を支配する緊張感は際限なく大きくなっていった。



――オマエ テキカ?


 

 突如、キーンと耳鳴りのように言葉が頭の中に直接響いた。

 サフィニアはびくっと身体を跳ねさせて強張らせる。何なのか、と焦って周囲を見渡すが、付近には他の生物の姿は一切見えない。


「っ……今の、声」



――コタエロ オマエ イル テキ?



「イル……? ま、さか」


 サフィニアは慄然として目の前の小さな魔物を凝視した。

 今この場でイルの話題を出すような存在はこの魔物しかいない。

 果たしてその予想は、サフィニアにとって不幸なことに的中していた。


「あなたが話してるの?」


 震える声で問うと魔物が首を縦に振る。

 明らかに肯定している。

 サフィニアは一瞬気が遠くなるのを感じて、必死に気を引き締めた。この場では一瞬の油断も命取りだと判っていても、連続する有り得ない出来事に現実逃避したくなる。

 人間に懐くのも以上なのに、言葉を話すなど異常を通り越して論外だ。



――テキカ?



 再三の問いを繰り返し、魔物が小さな身体からぐるぐると鋭い唸りを漏らして威圧感を放つ。

 サフィニアは息を呑み言葉を詰まらせる。前に赤獅子マンティコアと相対した時でさえ、ここまでの戦慄は感じなかった。


(これは、駄目)


 今のサフィニアではこの魔物に対応しきれない。

 そう切実に実感する。

 赤獅子マンティコアの時のようにある程度距離があるならともかく、魔物との距離がこれほど近くては無傷ではこの魔物を制圧できない。どれほど改良しても魔術には詠唱が必要不可欠で、詠唱破棄のできる中級魔術はこの魔物には効かないだろう。

 こんな時にはアマリリスに一緒にいて欲しかったと思う。姉はサフィニアより近接戦がよほど得意なのだ。


「敵……って、誰の? イルくんだけ? それとも、あなたのこと?」


 からからに乾いた喉から声を絞り出す。



――イル キズ ツケル



「いいえ、私はイルくんを傷つけない。イルくんを傷つけるのはっ、貴方の方よ!」


 サフィニアはぐっと気圧され気味の自分に喝を入れて、魔物を睨み付ける。

 この魔物とイルが共にいること、それ自体がすでにイルにとっての厄災にして不幸だ。魔物を傍に置けば、今巷を混乱に陥れている魔物騒動に必然的に巻き込まれる。食うか、食われるか。殺すか、殺されるか。そんな残酷な世界にいたいけな子どもが迷いこむのだ。

 だからこそイルを傷つけるのはサフィニアではなく、この魔物の存在なのだ。

 それを理解しているのか、いないのか、魔物は何の反応も見せない。

 重く張りつめた沈黙が続いた。



――エラベ



 再び頭に魔物の言葉が鳴り響いた次の瞬間。


「っ……!!」


 にぃと笑うように口を開いた魔物からぶわっと強大な魔力が溢れた。それと同時に黒い霧が発生して瞬く間に辺りを染め上げていく。

 サフィニアは濃密に纏わり付いて来る魔物の魔力に気圧されて全身を強張らせた。


「な、ん」


 魔物の魔力は大きくても、サフィニアの魔力ほどではない。それなのにサフィニアは喉を引き攣らせ、全身のを動きを止めて顔色を真っ白にする。

 自分がどれほど大きな魔力を持っていても、サフィニアはこれほど大きな他者の魔力を浴びたことはなかった。それがサフィニアを停滞させる。

 サフィニアの視界は見る間に漆黒に変わり、外界の明かりが小さくなり始めたのを見て、はっと我に返る。


「っ……《顕現》!」


 果たしてタイミングが遅すぎる気もしたが、魔術結界を周囲一帯に張る。黒い霧を辺りに広め、周囲に害を与えるのを防ぐために霧を閉じ込めようとしたのだ。

 結界が張られた時にはサフィニアの視界は完全な闇一色となっていた。


(やられた) 


 冷や水を浴びせかけられた気分で、サフィニアは歯噛みする。

 魔力酔い。

 それが今サフィニアを襲った現象である。

 人間は一定上の大きな魔力に出会うと気分が悪くなったり、圧されて身動きを取れなくなる。時にそれは心臓停止まで人間を追い込むことがあるが、それは稀だ。主に強力な魔物と対峙した時や発動状態の上質の魔導具を前にして起こる症状である。

 本来なら膨大な魔力量を誇るサフィニアが陥るはずのない状態であるが、今回は経験不足ゆえに混乱してしまった。


(何が起こっているの)


 真っ暗闇の中でサフィニアは一人、息を堪えて警戒する。じっとりと肌に汗の感触が鮮明に伝わってくる。

 体感的にはとても長かったが、暗闇に覆われてすぐにぽわっと浮き上がるものがあった。


「な」


 闇に白く浮き上がったのは、巨大な魔物だった。

 サフィニアはその雄々しい魔物を目に入れ、驚愕に息を呑む。

 深い赤色の毛皮、不思議と理知的に落ち着いた金色の双眸、開いた口からのぞく鋭い牙の数々。四本足で立ち、サフィニアを見据えるその魔物は、まさにイルがテンテンと呼んだ小さな魔物を巨大化させ、多少凶暴化させたような姿である。 

 どう見ても、先ほどの魔物が変体したとしか思えないような魔物だ。


『選べ、人間』

「え!?」


 耳に響く流暢な言葉に、サフィニアは唖然とする。

 何を、と疑問が頭に浮かぶ前に魔物は告げる。


『敵か、味方か。どちらかだ』


 その言葉を最後に、サフィニアの意識は視界と同じく闇に包まれ、遠くなった。




 *****




 “ソレ”が生まれて最初に感じたのは、じわじわと身を浸蝕する不快感だった。ぼんやりと存在する意識の片隅で、傍にあるものを嫌悪した。

 それは相手も同じようで、反発するような気配がひしひしと伝わってくる。

 どれくらいの時間かは分からないが、長いこと互いに反発し合いながら、ソレらは同化してしまいそうなほど近くにあり続けた。


 次の変化は劇的だった。

 隣の不愉快な存在以外、何もなかったソレの世界は突然揺らぎ、直後に激しい痛みに襲われた。ソレはあまりの苦痛に暴れ、混乱した。ソレは生まれて初めて“痛み”を知った。

 どうやら隣のヤツも同じ苦しみを共有しているらしく、ソレとヤツは互いに衝突しながら暴れ狂った。

 長い苦しみの後に、突然ソレの隣からヤツは離れて行った。ぱっと半身が引きちぎられたような感覚と共に、どれほど疎んでも同化していたヤツはあっさり隣から消えた。

 ソレは激痛の中であっても、そのことを悦んだ。ヤツの存在が遠ざかって、身を襲う痛みさえ少し和らいだ気がした。

 完全にヤツの気配が隣から消えたと感じるとぱっと全身を何かに貫かれるような感覚を覚えた。それは純白の光だった。光がソレの全身を照らしている。ソレが初めて見た色はまぶしい白の輝きだった。

 突然のことに驚いて暴れているとゆっくりゆっくり滲むように世界の輪郭が見え始めた。

 この時、ソレは初めてまぶたを開き、周囲の世界を目で認識しようとしていた。

 暴れるのをやめ、じっと周囲を観察して警戒していたソレの目に初めに映ったのは、ひょろりとした影だった。生まれたばかりのソレにはまだ認識できていなかったが、その影は人間の男のものだった。

 濁って曖昧な視界の中で、目の前に立った人影はソレを見下ろし、なにかをぶつぶつ発している。


(……?)


 まだ言葉も知らぬソレはいぶかしげに人影に焦点を当てる。

 徐々に人影や周囲の物陰が鮮明になってきた頃、のそりとソレは身体を動かしてみた。酷く重くのろまな身体は鈍重に震えただけだった。

 その動きに人影が何かをつぶやくのをやめた。

 人影からの視線が強くなったのを敏感に察し、ソレはぴくりと身を震わせる。



 逆らってはならない。

 

 

 何故か、ソレの本能はそう告げていた。

 ぐるぐるとソレは怯えたように唸る。

 

「――、――」


 人影がすっと筋張った手をソレに伸ばし、ソレの頭をつかんだ。

 びくっと全身を強張らせたソレは次の瞬間、苦悶にかすれたうめき声を漏らした。まるで脳みその細胞をひとつひとつ探られ、暴かれ、晒されるような形容しがたい不快感がソレを襲っていた。キンキンと芯まで届く不快な感覚に、ソレは元々大してなかった全身の力を持っていかれる。

 ぐてっとソレが突っ伏したところで人影の手は離れ、不快感はなくなる。



 グルルル、ウゥー



 別の生き物の唸り声が聞こえた。

 ソレは疲労で全身を動かせないまま、ざあっと嫌悪に身体の毛を逆立たせて牙をむき出しにする。

 ヤツだ。

 つい先ほどまで隣にいた、ヤツの声だ。

 傍を離れても、ヤツに対する嫌悪と苛立ちは健在だった。その気配、声、姿……すべてが気に入らない。

 ふしゅーとソレは鼻息を荒くする。

 もしも身体が万全の状態であったなら、ソレは我を忘れてヤツに飛び掛かっただろう。それはヤツの方も同じはずだ。


(……!)


 突然ヤツが苦しむ気配がした。弱いうめき声が聞こえてくる。

 見ると先ほどまでソレの前にいた人影はヤツの方へ移動し、ソレの時と同じように何かをヤツに施している。

 伝わってくるヤツの苦痛の色にソレは少しだけ胸がすくような気分になる。

 人間で言うところの「ざまぁみろ」と言った気分だった。

 しかし同時にソレは人影を恐れてもいた。思わずヤツの苦しむ声を聞きながら身を小さく縮ませるほどに。


「――、――! ――!!」


 ヤツを解放した人影が両手を広げ、歓喜したように何かを叫ぶ。

 ソレもヤツも人影の行為を身を縮めて見つめていた。

 獣なりに、人影の並々ならぬ狂気を感じ取っていたのだ。  


――これが、ソレの生まれた時の記憶である。






 ソレは生まれてから、一年の月日が経った。

 ソレは生後一年にして着々と知識と力を蓄えていた。初めは訳が分からなかった周囲の状況もある程度まで認識し、生まれ持った身体能力を存分に自ら振るえるようになった。

 生まれて初めて見た人影は、ソレを生み出した、言わば『親』とでも言うべき人間の男だった。男は人間として最低限の食事を取るだけで、ずっと研究にのめりこんでいる。 

 ソレとヤツは男の研究課程で出来た実験体だった。男に寄れば“そこそこの傑作”らしい。男の目指すものとは程遠いが、研究材料としては興味深いと細い目をさらに細くして言っていた。  

 男は生まれた当初からソレを放置した。ソレが初めにいた研究所内は人間の住居にしては広すぎるほどだったが、ソレと同類の“研究資料”によって埋め尽くされ、ソレは研究所の周囲を覆う深い森をうろうろして自活していた。

 弱肉強食。

 研究所の周囲の森は、男の創り出した生物によって溢れ、凄まじい力と力の衝突の起こる野生の世界と化していた。

 その中で住処を確保し、他の同類たちを狩って食料を確保するのは、まさに至難の業だった。それでもソレが森で生き抜けたのは生まれ持った身体能力の高さは無論のこと――ソレが『親』たる男に目をかけられていたからだ。   

 森に住む男の“実験体”たちは決して男に逆らえない。気まぐれな男の収集に応じ、男の言うままに生き死んだ。男に目をかけられた個体は、森の中で怖れられるように一歩距離を置かれ、避けられたのだ。


「お前は何を“神”だと規定する?」


 男がにやにやと歪な笑みを浮かべて尋ねてくる。

 ソレは迷わず即答した。


『我らにとっての神は、まさにお前だ』


 自分たちをこの世に生み出し、その生と死の手綱を握る絶対的な存在。それを神と言わずして何と呼ぶのか。

 そう、男に面と向かって淡々とソレは言った。

 男はソレの答えが気に入ったのか、ふぅんとつぶやく。


「なるほど、お前たちを創り出したのはこのわたしだ。その血肉、心、生命、時間――あまさず全てわたしのものだ。お前たちはわたしに刃向えない、わたしはお前たちにとってはまさに理不尽な支配者か」

 

 どこかつまらなさそうに言って、男は「ならば……」と続ける。

 

「お前らの神であるところの、わたしの神は何だ?」


 ソレを見下ろす男の目は虚ろに、しかしぎらりとした狂気を孕んでいる。

 迂闊な答えを返すと殺される、という確信があった。

 それでもソレは素直に答える。


『お前が一番に信じるものだろう』

「それがお前の定義か。その論で行くとわたしの神はわたし、ということか」

『もしくはお前を超える者か』

「……わたしを超える!? はっ、ははははははは、面白いことを言う! わたしを超える者など、千年経とうと現れはしない!!」


 心底おかしいとばかりに男は笑いこける。

 男の笑い声は周囲の木々の奥にまで響き渡っていく。それはまるで、男の支配力を示すかのように。森を打つ男の笑い声には、絶対的な自負と確信、そして狂騒的なまでの激情があった。

 実際に男の言葉は決して自意識過剰なものではなかった。


 男が息絶え、千年が経とうと――男を超える人間は現れることはなかったのだ。


 男の身に孕んだ狂気とは真反対の怜悧な理性は、それを人生の半ばにして正確に見抜かせていたのだ。

 ソレは黙って男の言動を見つめていた。

 突然ぷつりと男は笑うのを止め、ゆらりとソレに背を向けた。


「……足りんな。この程度の世界を支配しただけでは――まったく足りんのだ」


 確固たる足取りで研究所に戻っていく男の背を見送り、ソレは胸の内で問いかける。

 今でも足りないと言うなら、どこまで到達すればお前は満足できるのか、と。

 あながち比喩でもなく、男は“神”として世界に君臨していた。

 世界を創り、自然を創り、生命を創り、ありとあらゆる事象を支配する。そんな強大な存在を“神”と称するなら、男はすでにそのうちの三つまでこなしていた。

 ソレはくいっと空に首を伸ばす。

 灰銀色・・・の雲一つない、空。

 男の研究のためだけに、男の技術で創られた完璧な世界。他の世界と断絶されて、時間の流れすら無に帰したような、有り得ない世界。

 人間の身にして“神”の真似事をしてしまえる男が何を求めているのか――ソレが理解できる日は来なかった。


『……お前は我らに何を求めて、生んだのだ』


 ソレは不可解げにつぶやく。

 男の姿が完全に建物の中に消えた頃、キィィィンと耳をつんざく音が頭の奥に響いた。

 ソレは不快気に顔を歪め、低い唸り声を喉から漏らす。


『忌々しい、今日こそ屠ってくれる』


 森の中から、生まれる以前からの天敵が近づいてくる気配がする。

 ソレとよく似た姿を持つヤツは、ソレと同程度の実力を誇る双子の片割れだった。この世に産声を上げる前から隣に並んでいた、理由も分からないほど憎い存在。

 ソレとヤツは生まれて以来、互いに反発し合い、何度殺し合ったかも覚えていない。しかし双子ゆえの拮抗した実力差が、互いに致命傷を与える隙を許さず、どちらも生きながらえている。


 魔物に類を見ない高度な知性を宿すソレと戦闘力にのみ特化したヤツ。


 双子は同族嫌悪のために、殺し合わずにいられない。

 いつか、この牙で殺す。

 そう互いに渇望し続けて一年。その時はまだまだ遠い。

 

 ソレはヤツの気配に威嚇するようにびりびりと森を震わす咆哮を上げ、ヤツの気配の方へ四足で俊敏に走り出す。

 今日も弱肉競争の闘争の日常が再開された。






 それから瞬く間に長い年月が過ぎ去る。

 ソレとヤツの決着は付かないまま、気が付けば人間の人生が三回は送れるほどの時が流れていた。

 何らかの方法で延命に成功し、二百年近い歳を経た男の成果によって男の研究所の周囲はすっかり変貌し、男の様子もまた変わっていった。

 当初はソレに多くの知識を与え、時にふらっとソレを呼び出しておかしな会話を強いていた男は、五十年が過ぎたあたりからソレに興味を失ったようだった。

 最後に呼び出されてから約百年後、ソレは再び男の前に呼び出された。


『すっかり変わったようだな』

「……そうか、わたしは変わったか」


 そうだろう、と男は能面のような顔でつぶやいた。

 ソレが生まれた頃の男はまだ人間味が残っていた。隠しきれない狂気の中に、人間らしい貪欲な願望と世界を打ち破る強すぎる輝きがあった。

 しかし今ソレの前にいる男から漂うのは、年月と共に身に着けた圧倒的な力と――破滅の匂い。ぐるぐると虚無の闇が男を包み込んでいる。

 どれだけ肉体の延命を可能にしても止められない、精神の老いがあった。


『お前も死ぬのか』


 深い感慨めいたものが、湧いてきていた。

 その人間の身ひとつで世界を覆し、最も神に近づいた男。そんな偉大で強大な男でも、抗えない事象があるのかと実感した。

 この男でも死ぬのだ、と初めて実感したのだ。


『満足したか、我らが創造主よ』

「さて……どうだろうな」


 人形のように無機質な動きで男は小首を傾げる。

 ソレは男から自分の足元に注意を移動させ、尋ねた。


『これが、今生の別れか』


 ソレの足元に青白い魔方陣が鮮やかに広がっていた。その魔方陣の示す効果は封印、である。

 魔方陣はソレの足元だけでなく、辺りの森のあちこちで見られているようだった。

 ソレが男に視線を戻すと男はうっすらと口角を上げる。


「お前ならば、わたしの生む世界の先にまで届くかもしれん」

『お前の世界の先だと?』

「その目で見てくるがいい、そして刻め。――わたしが残す世界の先を」


 ソレの足元の魔方陣が一等強く閃いた。

 足先から徐々に力が抜け、ソレは抵抗もしないまま地面に伏せる。いつものように地面から男を睨み付け、最後にソレは言葉を絞り出す。


『何故、我らを生かした?』


 男の生んだ研究成果は数え切れぬほどだが、ソレとヤツほど長い時間を生き抜いた研究成果は少ない。そしてそこには、少なからぬ男の意志が影響していた。

 勝手に生み出し、勝手にソレの未来を決める創造主たる男。

 ソレと男の関係は他の研究成果とは微妙に違った。すべてを封印し、闇に葬ろうとする今になって男がソレを呼んだ時点で、そのことは証明されている。 


「――――」


 男の言葉はソレの麻痺した耳にまで届かない。

 ソレは自らの親の無表情を目に刻みつけて、意識を深い深いまどろみの中に落としていった。 





 

 かくして膨大な月日が過ぎ去る。

 それは男を凶悪にして偉大な研究者と歴史書に刻ませるほどの時間。男の存在が史書の、御伽噺の登場人物となるほどの流れだった。

 目覚めることないと思われた深い眠りの底から、ソレは意識を浮上させた。

 まるでこの世に誕生した時のような、おぼろな世界をうっすらと開いた視界に映した。ひとつの影がソレの前に立ち、あの男のように暗い哄笑を上げている。

 混乱とまどろみから完全に復帰できない意識の中で、ぼんやりとソレは認識する。

 ソレを深淵の眠りから覚まさせた者は、親たる男と似たような狂気を宿している。しかしソレにしてみれば、目の前の影の狂気はまだまだ可愛いものだった。


(愚かだな、人間)


 お前程度で我らは使いこなせない。

 そう、心の中でソレは嘲笑する。

 感覚の傍らに、長い時を敵対するヤツの気配を捉えていた。ヤツらしく、すっかり敵対的な気配を目の前の影に向けている。

 ふと影の笑いが止まり、何かの動きを取った。

 貧弱な魔力と穴だらけの魔術の香りが漂った。


(っ……何だと!?)


 次の瞬間、その貧弱な魔力が膨大で上質の魔力と術式に塗り替えられた。

 その気配にぱっちりと意識は覚醒し、ソレにとっては懐かしい畏怖を肌で感じ取る。あの男の気配のする魔術だった。それが周囲でソレと同様に目覚めだした敵対的なモノを服従させている。

 ぱっとヤツの闘気や敵意が消え失せた。どうやらヤツは情けなくも萎縮してしまったらしい、あの男の気配のする魔術に。


(厄介なものを遺してくれた)


 ソレはすでに男がこの世にいないことを知っていた。

 だからこそ、その魔術が目の前の影の実力によるものではないと解っていた。これは男の遺した何かによる魔術だ。男の残り香にすぎない。

 しかし、それでもソレや他の同胞はなかなか逆らえない。

 あの男はそれほどに絶対的だったのだから。


(いいだろう)


 ソレは驚愕を収め、冷静に心中でつぶやく。

 しばしの間、様子を見よう。

 そして必ずや目の前の影を出し抜いて見せよう。

 こんな程度の低い人間ごときに服従するなど許されないことだ。


 ソレの狙う絶好の機会が訪れるまで、ひそかに目を光らせ牙を隠そう。

 そう決意してソレは再び目を閉じる。

 

――その時まで、力を温存するのだ。




 *****



 呆然とサフィニアは闇にほの白く浮かぶ巨体を見つめる。

 意識が呑まれる前と変わらず、魔物はじっとサフィニアを見据えている。

 魔物の何らかの力によって意識を失ったサフィニアは、そこで奇妙なものを見た。それは名もない魔物が生まれ、過ごした日々の光景だった。

 夢から覚めた今、それが目の前の魔物の記憶なのだと直感的に理解した。


「貴方は……」


 血の気の失せた顔で、サフィニアは魔物を睨む。

 紛れもなく人間以上の知性を宿した魔物の眼差しに、手の付けられない恐怖が込み上げてくる。


「ロドラルゴの、遺産」


 ジャン=ピエール=ロドラルゴ。

 世界で初めて魔術を発見し、それを極めた末に魔物という種を造り出し世界に広めた男。その男が手がけ、現在にまで遺された最古にして最強の遺物。

 それが目の前の魔物の正体だった。


(倒せない)


 サフィニアでもアマリリスでも、この最古の魔物は倒せない。一時的な足止めになれるかどうかも怪しい。

 魔物の記憶を見てしまったサフィニアは、魔物との残酷的な力の差を充分に理解してしまった。今のサフィニアにはまともな対抗手段も打つ手もない。

 まさに進退窮まっていた。


「私に、何を望むの」


 恐怖で引き攣った舌を無理矢理動かし、尋ねる。

 この魔物がここにいるということは、ロドラルゴの遺産を発見し、この魔物を目覚めさせた者から無事に逃げ出したということだろう。

 そしておそらく、その者が今回の魔物騒動の影にいる人物だ。

 何故この魔物が姿を偽り、人間の子どものお守りなどしているのか、理解できない。

 この魔物がサフィニアに何を求めているのかも。


『我の目的は、ヤツを今度こそ食い殺すことだ。そしてあの人間も、消す』


 ヤツとはこの魔物の双子の片割れのことだろう。あの人間は魔物騒動の犯人だ。

 ぐるぐると威嚇の唸りを上げる魔物に冷や汗がびっしりとにじみ出てくる。


『その上で問おう。――我が敵になるか、味方になるか』


 二つに一つだ、とその眼差しが告げる。

 この時点ですでにサフィニアの取れる行動は一つしかなかった。敵になることを宣言すれば、今ここでサフィニアは殺される。残り少ない命数とは言え、まだ死ぬわけにはいかない。

 サフィニアは嘘でも味方になると宣言しなければならないが、目の前の魔物に嘘は通用しないだろう。

 死か、生か。

 まさに二つに一つだ。


「その、前に……、何故、貴方はイルくんの傍にいるの。何が、目的? イルくんを利用する? 殺すか……食べるの?」


 これだけは聞かねば、と無理矢理声を絞り出す。

 魔物は気分を害した様子もなく、逆にふっと笑うような気配を洩らした。


『食らうならとっくに食らっている。あれは、我を助けた。人間の子にあれほど懐かれるとは思ってもみなかったが……』  


 予想外に和やかな返答が返ってきて、サフィニアは面食らう。

 ここに至ってサフィニアは、自分の持った印象が間違いではなかったことを悟った。まるでイルを守る騎士のようだ、と思ったあの印象が。

 常識で考えて有り得ないことだが、何せ、あのロドラルゴの遺産だ。有り得ないことはない。

 サフィニアはふぅ、と意識的に息を吐くと言った。


「いいわ」


 この魔物がイルの味方をするならば。イルを害さないならば。


「貴方と手を組みましょう」


 サフィニアにはこの魔物に敵う部分はないように思えるが、魔物はサフィニアの助力を欲している。

 そして規格外の事態とは言え、無用に強大な存在と争うのはサフィニアも本意ではない。この魔物が人間を食料とせず、国を騒がせないなら、手を組んだ方がいい。

 魔物の記憶を見たサフィニアには奇妙な確信があった。この賢い魔物は、その知性ゆえに魔物らしい暴走は起こさない。過ぎた力はいつか打たれる、それを知っているのだ。


『ほぅ……、いいのか?』

「目的は一緒よ。それに……あなたも私も、イルくんの害になることは望まない。そうよね?」

『よく分かっているな』


 面白そうに、魔物が金色の目を細める。

 サフィニアには何故、この魔物がこれほどイルを気に入っているのか、分からない。どれほど魔物に高度な知性があっても、魔物と人間が基本的に手を取り合うことはないと思われていた。


(あるいは……この国の子どもだから、かな)


 魔物の脅威を知らない平和な国の、無邪気な子どもだからこそ、魔物という異質な存在も受け入れられたのかもしれない。

 ふとサフィニアは気づいて首を傾げる。


「ねえ、イルくんは貴方の正体を知っているの?」

『知ってはいるが、イルはそもそも魔物を知らん』

「そうよね……、まだ小さいし、ね」


 イルとて魔物が他の動物と多少違うことは気づいているだろう。しかしどこまで、その脅威を認識して一緒にいるのか。

 もしこのままイルと魔物が共にあり続けるなら、そこらへんもきっちりイルに教えておく必要がある。

 サフィニアもアマリリスも、一ヶ月しないうちにこの世を去る身だ。何があっても、イルを助けることはできない。   

 その他で魔物を知るのはゲイルだけで、彼に柔軟な対応を迫るのは酷に思えた。


『……そろそろ、戻ってくる頃か』


 ついと首を巡らせて魔物がつぶやく。

 

『我らの姿が見えないとあれが心配するな』


 その言葉と同時に、巨大な魔物の体躯がみるみると小さく変化した。元の子犬のような大きさになると同時に周囲の闇も徐々に晴れて行く。

 あっという間にサフィニアの周りは元の平穏な日常の姿を取り戻した。時間が経って強さを増した日差しが、サフィニアと魔物の足元の木陰をくっきりと際立たせている。

 しばし呆然とサフィニアは周囲を見渡す。それから、すっかり可愛らしい体躯に戻った魔物を見つめ、


「テンテン、ね?」


 名前と本性のあまりのギャップにくすり、と笑う。

 それに魔物は弱冠耳を垂れさせ、恨めし気に唸り声を上げた。どうも、すんなりイルに与えられた名前を受け入れたわけではないらしい。


「おねえちゃん、テンテン!」


 ちょうどよく、イルが白亜の建物から飛び出してきて、きょろきょろとしているのが見えた。

 イルの下に行こうとサフィニアは樹の木陰から出ようとする。

 その前にすでに魔物は走り出していて、まるで本物の子犬のようにイルの足元に纏わりつく。イルもまた嬉しそうに笑って魔物を抱き上げている。


「……」


 思わず足を止め、サフィニアは目の前の光景に見入る。

 それは魔物と人間の交流としては、あまりにも平穏でのどかで、どちらも幸せそうだった。


 ふっとサフィニアは笑みを浮かべ、ゆっくりとイルの下へ向かった。




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