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残華  作者: さーさん
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第十八話:魔力

サフィニア視点です。

 


 見事な快晴に恵まれたその日、ルンルンと歌を口ずさみながら子どもがスキップする。その顔には輝く笑顔が浮かび、足元では少し変わった毛並みの子犬が子どもにまとわりつきながら走る。

 誰が見ても微笑ましく思う光景を見ながら、やや複雑な気分でサフィニアは彼らの後ろを歩いていた。


「楽しそうだね」

「うん。何て言うか、幸せそうよね」


 オスカーの言葉に相槌を打つ。

 視線の先では平穏を絵に描いたような光景が繰り広げられているが、サフィニアにはそれが逆に不気味に見えて仕方がない。しかし魔物と遊ぶ子ども――イルが幸せそうにはしゃぎまわっていることも事実で、あえて彼らの空気に水を差そうとも思わないのだ。

 三人と一匹はあまり人気のない整備された道を通っていた。隣の街へ続く道だ。

 昨夜はアマリリスと話し合って幾つかのことを決めた。その内の一つに、今日サフィニアたちがイルたちを隣街の病院にいる母親の元へ連れて行くことも含まれている。

 アマリリスが朝になって手を回し、サフィニアがイルを期間限定で預かることになった。それはイルの傍にいる魔物から目を離せないという理由もあったが、双子はイルを母親に合わせたいとも思っていたのだ。

 サフィニアとアマリリスは孤児だ。母親とも父親とも死別してしまい、二度と会うことは叶わない。だがイルの母親はまだ生きている。ならば生きているうちに、取り返しのつかないことが起こる前に、会った方がいい。別れというものが唐突に訪れることをサフィニアは十分に理解していた。


「あーっ、蝶々! ひらひらしてる! テンテン、捕まえよう」


 花の周りを飛ぶ小さい黄色の蝶々を見つけてイルが目を輝かせる。

 ぎゃんぎゃんと魔物が返事をして、イルと揃って蝶々を追いかけ始める。


「うわぁ、蝶々が少し可愛そうかもな」

「あはは。でもオスカーたちも昔はしていたでしょう?」

「そりゃあね。あの頃は何しても楽しかったし、綺麗なものを追いかけるのは子どものさがだよ。一緒になって虹の麓を探したことだってあるだろ」

「そうね。結局泥だらけになって終わりだったけれど」


 ふふっと笑いながら二人は過去を思い出す。

 サフィニアの子ども時代はお世辞にも子どもらしい豊かなものではなかった。両親が健在の頃は遊ぶためのおもちゃをたくさん与えられていたが、その分徹底的に知識や魔術を叩き込まれた。この島国に来てからは周囲の環境に慣れるために必死だった。一般の子どもに比べると遥かに苦労が多い子ども時代を送ったと自覚している。

 けれど子どもらしく一日中遊びまわった記憶も確かにある。


「私、この国に来て初めて虹を見たの」

「へぇ。大陸では見られなかったのか」

「私たちは屋敷から出してもらえなかったから、知識としては知っていたけど、実際に見たことはなかったわ。だから虹を見た時とっても感動した」


 生まれを罪とされた双子は屋敷の中に閉じ込められて育った。その目に映るのは両親と広い屋敷と庭だけだ。狭い、その場所だけが双子の生を許される唯一の場所だった。

 外を知らない双子が外を知った時、かけがえのないものを失った。

 故郷を追われ、足を踏み入れた土地。

 何もかもが敵に見える中で、始めて見る外の自然の美しさに見惚れた。心の余裕が欠片もない中で、初めて目にした虹は大きな衝撃をサフィニアに与えたのだ。


「世界にはこんなにも綺麗なものがある。この国に来て、そう思ったの。私たちが知らないものはいっぱいあるんだ、って」


 恐怖はいつも双子の心に巣食っている。今もそうだ。

 けれど恐怖以外の感情も得ることができた。

 自然を慈しむ心はその一つだった。


「オスカー。昔みたいに、また一緒に虹が見たいわ。あの頃と同じ感動は持てないけど、きっと綺麗だなって思えるから。貴方ともっとたくさんのものがみたい」

 

 時間は少ない。抱えた問題も山ほどある。

 だがその中でオスカーと過ごす一瞬一瞬が美しいものであればいいと思う。サフィニアの死後、オスカーの心に残る思い出が綺麗なものであれば、と。

 輝く笑顔で言うサフィニアにオスカーは目を細め、そうだねと頷いた。


「もっといろんなものを見よう。まだ、時間はあるんだ」


 オスカーの前向きな響きを持つ言葉にサフィニアは少し目を見開く。

 残り少ない時間を、一ヶ月にも満たない時間を『充分だ』とはサフィニアには言えない。どうしても焦りが先に出て、『足りない』と思ってしまう。

 自分とは真反対の捉え方をするオスカーが、サフィニアには少し眩しかった。

 

「うん。今度は二人で、ね」

「あはは、そうだね」


 笑って二人は遊びまわっているイルと魔物に視線を向ける。

 ちょうど魔物が蝶々を口に挟み込んで捕らえているところだった。器用にも生かしたまま口にくわえている。イルがきゃあきゃあはしゃぎながら、手を叩いて喜んでいた。

 無邪気だが、蝶々に同情を覚える光景にオスカーが苦笑を洩らす。


「あーあ。捕まったな」

「かわいそうだけど……。仕方ないわね」


 イルと魔物が蝶々をどうするのかと見守っていると、イルは魔物の口の中でもがく蝶々を充分に観察した後に何事か魔物に言う。すると魔物はあっさり蝶々を解放した。

 弱々しいが、蝶々はひらひらと飛び去った。


「へぇ。凄いな」


 てっきり蝶々の命はこれまでかと思っていた二人は意外そうにその光景を見た。

 一方でサフィニアはあっさりイルの命令に従った魔物を見る。もはや意外性の固まりとしか思えない魔物だ。高位の魔術師でもないイルの言葉に従う、稀有な魔物。


(本当に、あれは何なの? どう、対処するべきなの)


 イルは魔物を可愛がっている。魔物もイルに懐いているように見える。

 彼らを最終的にどうするべきなのか、サフィニアは結論を出しかねている。彼らを引き裂くことが、本当にいいことなのか。

 穏やかな光景を見ると殊更、魔物の危険性を忘れて彼らを引き裂くことの残酷さをまざまざと感じさせられるのだ。

 だがサフィニアはあの魔物が絶対に安全だと言えない限り、魔物の排除を念頭に置いて行動する。

 それによってイルが悲しむことだけがサフィニアの胸を痛めるのだ。 


「サフィー姉ちゃん、オスカー兄ちゃん!」


 昨日と今日でずいぶんと二人に懐いたイルが駆け寄ってくる。


「イル、転ぶなよ」


 笑ってオスカーが注意すると少し速度を落としてイルは二人の下まで来た。笑顔で手振り身振り、先ほどのことを報告する。


「蝶々! 黄色の蝶々、凄く綺麗だね。ひらひら、飛んでた! いいなぁ、ぼくもお空を飛んで見たい!」

「そっか、綺麗だったんだな。それにちゃんと蝶々を離してあげてたし、偉い、偉い」

「えへへ」


 オスカーに頭を撫でられたイルが照れくさそうに笑う。

 サフィニアもふっと目元を緩ませると、イルの背丈に合わせてかがみこみ、言った。


「イルくん。お空を飛んで見たいの?」

「うん。だって気持ち良さそうだよ!」

「そうだね。高いところは怖くない?」

「うーん。分かんない」


 首を傾げるイルに苦笑して、サフィニアは祖国で見た文献を思い出した。

 屋敷の外に出ることこそなかったが、双子はその分祖国の現状を書物や両親の口から知らされていた。どんな動物がいて、どんな文明で、どんな器具があるのか。

 その中の一つに魔術なしで空を飛ぶ道具を開発途中であると聞いたことがあった。魔術を使えない一般人向けの道具だったと思う。

 魔術師は元々人数が少ない。魔力を持つ人間で、素養があり、充分な教育を受けられる家庭にいないと魔術は習得できないからだ。


「空を飛びたいならね、イルくん。自分で、空を飛ぶ道具を造ればいいのよ」

「ええ? そんなことできる?」

「できるわ。人間、頑張れば何とかなるものよ」

「本当っ?」

 

 目を輝かせるイルに、本当だと頷く。

 魔術がない分、機器の文明が盛んなこの島国でなら空を飛ぶ道具もできるかもしれない。サフィニアはそう考えている。

 純粋に期待を膨らませているイルに、サフィニアはちょっとした親切心で言った。


「イルくん。一度だけ、私が貴方を空に連れて行ってあげるわ。一度だけ、ね。一緒にお空を飛んで見ましょう。だからその後は自分で空を飛ぶ道具を造るのよ」

「サフィー姉ちゃんはお空を飛べるの?」

「ちょっとした反則技だけどね。約束するわ。イルくんも約束、守れる?」

「守る!」


 こくこくと激しくイルは首を上下に振る。

 二人は小指を出すと指切りをした。


「いつ? いつ、お空を飛べるの?」

「そうね……。貴方のお母さんのお見舞いが終わって、一段落着いたらね」

「分かった!」


 きゃあっと歓声を上げてイルは飛び上がり、少し離れたところでお座りをしていた魔物のところへ走っていく。

 サフィニアが微笑んでそれを見ていると、横からオスカーが心配そうに尋ねた。


「良かったのか?」

「えーと、どれのこと?」


 およそ、馬鹿げているとしか思えない会話の内容だったので、サフィニアは抽象的な問いに小首を傾げる。

 オスカーは少し迷った後により詳しく質問をした。


「空を飛ぶ約束とか、道具のこととか。ほとんと全部について」

「うーん。無責任すぎたかな。空を一緒に飛んであげるくらいはできるわ。空を飛ぶ道具はね、造れないこともないの。この国の技術がそこまで発展できるかどうかは、分からないけど」

「そうなのか?」

「うん。魔術なしでも人間はいろんなことができるのよ」


 驚くオスカーにサフィニアは頷く。

 祖国では魔術という人外の力があったばかりに、一部の文化が栄え、一部の文化は著しく乏しかった。その点、魔術のないこの島国では発明品が毎年山ほど出てくる。

 魔術漬けの暮らしを送っていた双子は、この島国で魔術のない豊かな暮らしをする人々に心底驚愕を覚えたものだ。

 人間は自分たちが思うより余程たくましいのである。


「絶対に不可能なことはあるわ。でも初めから不可能だと決め付けていては、何も出来ない。だからあんなことを言ったの」

「魔術のことはあの子に教えて良いのかい?」

「今ならたぶん大丈夫。まだ子どもだし……。それに、私とアマリーがいなくなればこの国の魔術は途絶えるわ。どうあがいてもイルくんに魔術は使えない。魔術がこの国に普及するのはもっと先の話だもの」


 本当はイルに不用意に魔術を見せるべきではない。それでもこうしたいとサフィニアは何故か思ったのだ。

 サフィニアの言葉にオスカーは納得しようで、それ以上追及することはなかった。 


「――あ」


 再び歩き出し、少し行ったところでサフィニアが声を上げる。

 視線の先に整備された街並みが見えていた。


「もうそろそろ着くね」

「意外と早かったかな。イルがいるからもう少し遅くなるかと思ったんだけど」

「子どもは元気だもの。でも帰りは疲れきってそうよね」

「その時は俺が背負うよ」

「うん。よろしくね」


 王都に隣接する街は二つほどあるが、どちらも距離が離れた場所にある。整備された道で繋がっているとは言え、子ども連れなら半日はかかる距離だった。だがイルがはしゃいで走った分、速く着けるようだ。

 サフィニアは西に傾く太陽を見上げ、ぽつりとつぶやく。


「やっぱり今日は泊まりになるかも。下手をすれば、明日も。街に着いたら宿を取らないと」

「アマリーから紹介状は貰ってるんだろ?」

「うん。幾つか宿を教えてもらったし、病院の位置も教えてもらったよ」


 魔物という危険分子を孕んだ道行きなので、アマリリスはそれは真剣にあれやこれや世話をしてくれた。一つ一つ注意事項は言われたが、最後にはアマリリスの署名が入った簡易的な紹介状を持たされた。

 それを取り出してオスカーに見せると、やや呆れ顔をされる。


「アマリーは本当に顔が広いな。隣街まで自分の庭みたいだ」

「あながち間違いでもないだろうね」


 サフィニアは家の中に閉じこもりがちだが、アマリリスは王都に限らずあらゆる場所に足を運んでいる。転移の魔術を使えば簡単に距離も短縮できるから、魔術を多用して国中に一度は足を運んでいる。

 嘘ではなくアマリリスは国中に伝手があるのだ。正直サフィニアにもアマリリスがどこまで足を運んでどんな人間関係を築いているのか、把握できていない。 

 それでもアマリリスは必ずサフィニアの下に戻ってくる。悪いことは赦せない性質だから人間関係について心配もしていない。

 残り少ない人生を双子とは言え、過剰に束縛し合うのは互いにとって不本意なことだ。アマリリスは自分の人生を好きなように生きるべきだとサフィニアは考えている。


 そう簡単に説明すると、オスカーは諦めのような、呆れのような、微妙な顔で曖昧に笑ったのだった。




 *****




 日が暮れる。

 茜色に染まった空を見上げながらサフィニアは一息吐いた。

 今サフィニアたちは街の片隅にある宿にいる。もちろんアマリリスが紹介してくれた宿だ。

 街に着くまでは何も問題がなかった。だが本当に大変だったのは街についてからのことである。

まず目的の宿がなかなか見つからず、時間を取った。加えてイルの母親が入院しているという病院は、街中にあるのではなく、さらに少し離れた場所にあることが分かったのだ。宿を確保した時にはすでに日が傾き始めていたため、仕方なくサフィニアたちは病院訪問を諦めた。

 初めて訪れる場所ということもあって今日はろくに目的を果たすこともできなかった。


(イルくんには悪いことをしたわ)


 イルは本当に母親に会えることを楽しみにしていたのだ。今日はまだ母親と会えないと分かった時のイルの落ち込み様はサフィニアもオスカーも申し訳なく思うほどだった。

 それからイルは宿のベッドでふて寝よろしく眠り込んでしまった。


「お腹は空かないのかな」


 外の夕日から視線を宿の内に戻し、すやすやと眠っているイルに視線を向ける。

 イルは夕食を食べていない。もしかしたら夜中に空腹で起きることもあるかも知れない。

 サフィニアは少し考えた後に立ち上がる。


「少しだけ手軽なお菓子でも買っておいた方がいいわよね、きっと」


 オスカーは用があって今はいない。

 宿にいるのはサフィニアとイル、魔物だけだ。

 サフィニアはさらさらと紙に言付けを書いて外に出る準備をする。その過程でふと魔物が目に留まった。

 魔物は今も大人しくイルの傍に丸まっている。さながら普通の子犬のようだ。

 サフィニアはじっと魔物を見つめて近寄る。

 魔物はその気配に敏感に気がついてまぶたを開き、警戒の眼差しでサフィニアを見た。それでもサフィニアに危害を加える気配はない。


「貴方。本当に不思議ね。イルくんの騎士のつもり?」


 魔物が人を食べることはあっても守ることはない。高位の魔術師に強制的に従わせる使い魔でさえ自主的に主を守ることはない。

 その常識をこの魔物は覆している。


「もし本当にそうなら貴方はもう、魔物ですらないのかもしれないわ」


 ぽつりとつぶやき、サフィニアは魔物から視線を剥がした。

 イルと魔物から目を離すことは良策とは言えないが、いまさら魔物が急にイルに害を与えるとも思えない。だったら完全に日が暮れてしまう前に買い物は済ませた方がいいだろう。

 そう判断するとサフィニアは魔術詞を唱えようとする。


「《転移せよ》」


 普段から多用している魔術だ、万が一にも間違えることはない――はずだった。

 転移の魔術の魔方陣が現れた瞬間にサフィニアはさっと顔色を変えた。


「まさかっ」


 急激にサフィニアの魔力が魔方陣の許容量を超えて膨れ上がっていた。

 このままでは魔力の過多で転移の魔術は暴発する。大した衝撃波が起こるわけはないが、宿全体を揺らすことになる。

 サフィニアは魔術の失敗を感知すると同時にほぼ反射で魔術を正式な手順で解いた。


「《紐解キャンセルけ》!」


 瞬時に編み上げられた魔術は解体され、込めすぎた魔力が霧散する。

 サフィニアは無事に魔術を中断できたことにほっと安堵して冷や汗を拭った。


「どうして?」


 何故、失敗したのか。

 それも初級魔術師がするような、魔力の調節ミスによる失敗だ。滅多に使わない魔術ならまだしも、最も使い慣れた魔術でする失敗ではない。

 不可解に思いながらサフィニアは自分の手を見つめる。

 そっと魔力を微量に垂れ流してみた。


「……おかしい」


 すぐに異変に気がついた。

 サフィニアの保持する魔力が急激に量を増やしていた。もともとサフィニアとアマリリスは歳を取るごとに徐々に魔力が増えていく体質だ。魔力が増えることは問題ではない。問題なのは、この一日で増えた魔力の量だった。

 これまでの十八年の歳月の中でも際立って急激な増え方だ。

 こんなにも急に魔力量が変わったなら、魔力の制御を誤るのも必然だった。


「いまさら、どうして」


 不安が込みあがってきたところでサフィニアははっと気がつく。

 脳裏にある一つの考えが浮かんでいた。

 これなら。

 今から死ぬまでの間に毎日これほど魔力が増大していくのなら。


「魔術結界が……国を覆えるほど大きな結界を保てる魔力が、満ちるわ」


 アマリリスが『真理の渦』で見たという、国周辺を覆う大きな魔術結界を構成するに当たって不足していた要素がそれを補う膨大な魔力だ。

 双子はそれぞれ身に余る魔力を持っているが、それでも国を常時守れる結界を張れるほどの量はない。その分の魔力をどこで補うのか、それだけが問題だった。

 だが双子の魔力がこれからも異常に増えていくならば話は別である。


(そういうことなの? 私たちが結界を張るための、魔力だと言うの?)


 予測が正しければ一つ、頭の痛い問題が解消される。

 だがサフィニアの心中は複雑だった。


(まるで結界を張ることが私たちの生まれた意味だとでも言うようね)

 

 良すぎるタイミングがサフィニアを自嘲的な気分にさせる。

 サフィニアはそれを頭を一度大きく振ることで打ち消した。


「今は買い物よ、買い物」


 サフィニアは気を取り直してもう一度転移の魔術の魔術詞を唱える。

 失敗の理由が分かっているなら、二度と同じ間違いはしない。


「《転移せよ》」


 果たして魔術は完璧に発動した。

 転移の魔術の淡い光に包まれながらサフィニアは少しだけ表情を厳しくさせるのだった。




 *****





 すーと直線が引かれる。定規も使わずに書いた直線はまっすぐで、綺麗に複雑な模様を構成していく。

 暗闇の中、魔術の光で照らされた宿の机上で、サフィニアは真剣な面持ちで作業をしていた。その様子は見ているだけで緊張感が伝わってくる。

 夕方にイルのためのお菓子と一緒に急遽買ってきたペンでサフィニアは魔方陣の構成図を書いていた。 それはアマリリスから『真理の渦』での話を聞いた時から考えていたものである。唯一、魔力不足という欠点によって使い物にならなかった構成図だ。

 こつこつと細心の注意を持って書かれていく構成図は、魔術に精通した人間が見れば度肝を抜くものだった。

 まず、魔術の術式はサフィニア独自の改良が成されてより高度で精密なものとなっている。加えてそれは理論的に可能であっても、けして実現は不可能と思われるものだった。


(でも私たちならできる)


 可能であるなら実現しなくてはならない。双子が愛する国と、愛する人々の子孫を守るために。何より今を生きる、遺していく人々のために。

 この魔術に双子の死後に遺された人々の未来が宿っている。

 そう思えば真剣に取り組まざるを得ない。


 サフィニアの作業が終わりを告げたのは夜も更け、朝が近づこうという時間帯だった。

 構成図を完成させたサフィニアはじっと完成したそれを見つめる。間違いがないか、念入りに確認してからほっと息を吐いた。

 安堵と同時に緊張も取れて身体が弛緩する。


「……やっと終わったわ」


 まだまだ再考の余地はあるだろうが、だいたいの構成は出来上がった。あとはアマリリスとも相談して細かい部分を突き詰めていけばいい。

 一度は夢物語の産物だと思った馬鹿げた術式の基ができあがってしまった。

 それならば、あとは実行に移すだけである。

 サフィニアは間違いなく人生で最大の魔術になるはずのそれを見つめ、ゆるゆると自嘲に似た笑みをこぼした。


(こんなに大きな魔術を使うのは、あれっきりだと思っていたのに)


 十年前。人生の岐路に立ったあの日にアマリリスに施した魔術が、サフィニアにとって人生最大の魔術だと思っていた。これ以上の規模の魔術を扱う日は二度と来ないだろう、と。

 実際には違った。

 もしも、この魔術を完成させるならそれは双子が死ぬその直前しかない。それならぎりぎり魔術を行使するための準備も整う。何より双子の魔力がそれまで待たないと十分な量に達しない。

 サフィニアは自分の手を見つめ、何度も手の平を握っては開いた。

 今この時も急激な勢いで魔力は増え続けている。異常な速さだった。

 おかげで今のサフィニアは魔力が上手く安定せずにうかつに魔術が使えない。現在使用できる魔術は使い慣れたもので、中級の魔術までだ。高等以上の魔術を使えば暴発させてしまうだろう。


「このままだと少し不便ね」


 嘆息しながらサフィニアは慎重に魔術を使い始めた。


「《転送せよ》」


 転移の魔術の一種で物品のみを遠隔地に送る魔術だ。

 今書き終えたばかりの大結界の構成図の真下に小さな魔方陣が現れて発光する。

 送り先はもちろんアマリリスの下である。魔力の件に気付いた時点でサフィニアはアマリリスに連絡を取り、彼女もまた同様に魔力が増大していることを確認した。

 アマリリスは届いた構成図を見て、それに必要となる準備をすぐにでも開始してくれるはずだ。大結界を張るためには、媒介に使う多くの材料が必要となる。さらにそれを決まった定位置に配置しなければならない。遠隔地にまで赴いて準備する体力勝負はアマリリスの専門だ。


 構成図が確かに転送されたのを確認するとサフィニアは大きく息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかった。

 長時間の集中作業は神経を使うため、サフィニアを疲労させている。


「大丈夫? サフィー」


 背後から声を掛けられたサフィニアは驚いて振り返った。

 てっきり寝ているとばかり思っていたオスカーが、すぐ後ろで心配そうに立っている。


「寝ていなかったのね」

「うーん。正確には偶然目が覚めただけだよ。君こそ、また無茶をしていないか? こんな時間まで起きてるなんて……。日が昇ったら行くところもたくさんあるんだぞ」

「ごめんなさい。ちょっと急ぎの用があって。すぐに寝るから」


 諌められたので素直に謝罪してサフィニアは立ち上がる。

 宣言どおり、もう眠るつもりだった。これ以上の作業は身体に悪い。サフィニアはアマリリスのように常に身体強化の魔術を使っているわけではないから、身体を崩しやすいのだ。

 ふらふらと歩いてサフィニアはベッドまで行き、ベッドの端に腰を下ろした。


「オスカー、ちょっとだけ話をしない?」

「でも……」

「お願い」


 サフィニアを気遣ってオスカーはまゆをひそめるが、最終的には渋々と承諾した。彼ほどサフィニアの『お願い』に弱い人間もいないだろう。

 隣に腰を下ろした彼に嬉しそうに微笑みながらサフィニアは言う。


「ねぇ、覚えてる? 私とオスカーが始めて会話をした日のことを」

「もちろん。君はなかなか声を返してくれなかったから」

「うん。私もアマリーも、とっても周りを警戒してたんだもの」


 当時は何もかもが未知のもので、双子は必死に自分たちを守ることを考えていた。大陸でも両親以外の人間と関わった経験が極端に少ない双子だ、いきなり放りだされた他人の中でどんな態度をとるべきかすら分からなかった。

 その中で初めてサフィニアがこの国で口を利いた人間が、オスカーだった。


「私は弱くて……怖くて、アマリーがいない場所に一人でいることすらできなかったわ。周囲のみんが私たちを傷つけようとしてるみたいに見えた。

 でもオスカーは凄く熱心に何かを伝えようとしてくるから、話してみたくなったわ」


 言葉も伝わらないというのに、オスカーは毎日サフィニアの下へ花を持って訪れた。アマリリスにどれだけ怒鳴られ、追い返されても根気強く双子の前に姿を現わし続けた。おかげで当時の双子の部屋はいつも花で溢れていたものだ。


「それは……何というか、最後はもう半ば意地だったんだ。それにサフィーとアマリーを初めに発見したのは俺だったから、変な責任感もあったのかもしれない。子ども心に好奇心もあったし、話してみたいとも思った」

「そうなんだ。でも、おかげで私もアマリーも、やっと周りに目が向けられるようになったのよ」


 アマリリスは意地を張って認めないだろうが、双子の心を一番に開いたのはオスカーだった。誰もが双子を持て余していた中でオスカーだけが双子に真正面からぶつかってきたのだ。

 当時を思い出してサフィニアはふふっと笑う。


「貴方には感謝してもしきれないわ」

「そんなおおげさな……。大したことはしてないのに」


 困ったような顔をするオスカーにサフィニアは静かに微笑する。

 目を閉じれば鮮やかにこの十年の出来事が思い出せた。サフィニアの短い人生の中でアマリリスの次に最も関わった人間はオスカーだ。幸福な時、オスカーは必ずサフィニアの傍にいた。


(本当に感謝しているわ)


 オスカーがいたからサフィニアの人生は華やかだった。彼の存在がサフィニアを幸せにした。

 冗談ではなく、波乱に満ちた人生の中で最大の幸運はオスカーに出会えたことだとサフィニアは断言できる。


「――貴方に出会えて、本当に良かった」


 つぶやくサフィニアの表情はどこまでも幸せそうだった。





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