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残華  作者: さーさん
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第一話:予言の双子

 


 ドタバタと屋敷を荒らす無粋な騒音が耳に届く。

 もうすぐ、騒音の正体たちは屋敷の最奥にあるこの部屋に踏み入ってくるだろう。 


――この子たちを捕らえるために。


 腕の中の二つの温もりを掻き抱き、若い母親は唇を噛み締める。


「いいですか、二人とも。ここを動いてはなりません。何が起こっても、けして動いてはいけませんよ」


 普段は優しい表情を厳しく引き締めて、母親は娘たちに言い含める。

 今年八歳を迎える幼い娘たちは、屋敷を包む荒々しい雰囲気を鋭敏に察してそれぞれに怯えている。まったく同じ顔を持つ一卵性双生児の娘たちを、母親はなだめるように抱きしめた。 


「何が起こっているのです、お母様。お父様はどこにいらっしゃるのですか?」


 怯えを隠し、毅然と問うたのは双子の姉の方だった。

 娘たちの父親は少し前に双子の傍を離れたきり、帰ってくる気配はない。その直後に双子の住む屋敷の前に大勢の近衛兵たちが現れて侵入してきたのを、双子は知っていた。


「お、お母様。家の中で魔術が使われています。いつも、家の中で魔術を使ってはならないとお父様がおっしゃられているのに……」


 震えながら姉にしがみついた双子の妹は、視線を彷徨わせながら身体を縮ませている。

 その双眸も顔も同じであるが、二人が浮かべる表情はまったく異なり、双子であっても違う人間なのだとはっきり意識させる。

 母親は怯える娘たちの姿に胸を痛ませるが、徐々に騒音が近づいてくるのを感じ取ってより表情を厳しくする。


「よいですか。時間がありません。わたくしが今から言う事をしっかり覚えておくのです」


 腕の中の双子がそれぞれ頷くのを確認し、母親は続ける。


「アマリリス、例えこれから何が起ころうと怨んではなりません。憎んでもなりません。サフィニア、貴方たちは誇り高きウィンターソン家の魔術師であることを忘れてはなりません。

 誰が何を言おうと貴方たちがこの世に生まれ出でたことを後悔してはなりませんよ」


 双子の生まれた家は建国時から国に貢献してきた、由緒正しい高等魔術師の一族・ウィンターソン家の直系血筋である。下手な貴族よりも高い教養を持ち、魔術の最先端を行く一族だ。これまで常に新たな魔術を編み出し、世界を発展させてきた。

 その血筋ゆえに双子は物心がついた時から魔術に関する半端ない知識と技術を学んできた。例え八年に満たない短い時間であっても、魔術という超常の力に惑われないように磨いてきた技術は、そこらのはぐれ魔術師では一生かかっても身に着けられない代物だ。

 その知識と技術はこれから双子の歩む茨の人生を少なからず助けるだろうと母親は確信している。


「「はい、お母様」」


 戸惑いの強い表情で、双子は一字一句違わない返事を同時に返す。

 素直で聡い娘たちを見つめ、母親は泣きそうに顔を歪める。


「アマリリス、サフィニア。最期に――どうか、わたくしたちが貴方たちを愛していたことを忘れないで」


 伝えたい言葉はまだたくさんある。幼い娘たちへ教えたいことも、与えたいものも多く残っている。しかしそれは双子に課された運命が許さない。

 母親は娘たちの行く末を案じて胸を痛める。どれほど辛い現実にぶち当たろうと、これからは娘たちに母親はもう手を差し伸べてやれないのだ。

 脆い表情をすぐに元の厳しいものへ変え、母親は身を切る想いで双子から腕を離す。


「お母様!」

「ダメだよ、サフィー」


 離れた温もりにすがろうと手を伸ばした妹を、姉がたしなめる。 

 それだけで妹はぐっと押し黙り、代わりに自分と瓜二つの姉に抱きついた。不安でたまらないと全身で体現している。


「いい子だから、二人ともお母様の言葉を訊いてちょうだいね。どんなことがあっても、二人で強く生きなさい」


 母親は最後に娘たちの頭をそっと撫でると立ち上がる。手放した温もりを名残惜しく思うが、時間は待ってくれない。背後から注がれる娘たちの視線を感じながら、母親は部屋を出ていく。

 決然と去る母親の背を双子はじっと目に焼き付けるように見つめていた。幼くても、けして鈍くない直観がそうすべきだと告げていた。

 そしてこれを最後に、双子と母親が顔を合わせることは双子が死ぬまでなかった。



                  

  *****




                      

 時は八年前にさかのぼる。

 近年まれに見る大嵐に襲われ、多くの被害を出したその日の夜に、由緒正しい魔術師の一族に双子の女児が生まれた。歴史を顧みても類を見ないほど大きな魔力を持った双子である。


 その同時刻。

 建国から国を支えてきた大神殿で、国王の妹にして国一の預言者であった巫女が託宣を下した。神殿の奥に祀られていた神鏡が割れ、その凶事を占って出た託宣である。

 いわく、


『いずれ国を揺るがすであろう脅威が誕生し、多くの犠牲を持って国は滅ぶであろう』


 どこまで信憑性がある話であったのかは分からない。

 しかし、嵐の過ぎ去った翌日に巫女はこれを国王に報告し、のちにまで禍根を残す赤子狩りが始まった。国王は嵐の日に生まれた赤子を国中から全て探し出し、廃れた歴史に残る魔女狩りの要領で、くべた炎の中に放り込み殺したのである。

 その中には国王の命に背き、人の目を盗んで育てられた者もいた。

 その一例がウィンターソン家の双子である。

 当時最高峰の魔術師であった双子の両親が、細心の注意と複雑で狡猾な魔術を用いて大切な我が子を護ったのだ。 

                                             

 それから八年。

 双子が発見されるきっかけとなったのは、彼女たちが生まれ持った膨大な魔力であった。もとより歴代に誇る大きさであった魔力は歳を重ね、双子が成長するのと比例してさらに留まることを知らず、増加し続けていたのだ。        

 その魔力が魔術師として最高峰の両親の魔術を持ってしても隠せなくなった時、双子の存在は世間の明るみに出た。 

 二人の魔術師の結界を圧迫し、破壊するほどの魔力量は国の脅威と認知され、さらにその出生が知れるまでそれほどの時間はかからなかった。


「そこをお退きください。カトレア様」


 そして、予言された双子を亡き者にしようとする国の近衛兵たちが今まさに押しかけてきている。


「お断りしますわ。大事な我が家に無断で踏み込んで、赦されるとは思ってはいませんよね?」 


 双子たちの母親は上品に微笑んで首を傾げる。

 不確かな予言に惑わされ、建国以来貢献してきた一族に刃を向けた国王をすでにカトレアは見限っていた。双子の出生が明るみに出てすぐに国王はウィンターソン家に近衛兵を向け、一族の末端に連なる者まで捕え、魔術で隠していたこの屋敷までたどり着いた。

 娘たちを逃がす暇もなく押しかけてきた近衛兵たちを足止めするため、双子の父親は先に近衛兵の前に立ちふさがったはずだ。

 彼がこの場に居らず、近衛兵がここにいるという事実は彼がすでに殺されたことを意味している。


「まさか、貴方のような方がこのような裏切りを働くとは。今ならその罪にも国王様は温情をかけて下さるでしょう、そこをお退きください」

「その剣に付着した血は夫のものですか? そして、今度はわたくしから娘たちまで奪うのですか」


 鋭い指摘が飛び、目の前の近衛隊長が顔色を曇らせる。

 しかし一瞬よぎった同情はすぐになりを潜め、代わりに国王に仕える忠実な仕官の顔に変わる。


「もう一度警告します。そこをお退きください」


 対する返答は明快であった。

 カトレアはここに至るまでに密かに織り成していた魔術を行使する。


「――術式起動。 《焼け》」


 魔術を発動させるフレーズが辺り一帯に不思議な響きをもって浸透した。

 途端、前触れなく近衛兵とカトレアの間を一面の炎が覆い尽くした。


「っ……!」


 近衛兵たちは滅多に見ることのない魔術の織り成した炎に、驚き揃って後退する。

 その間にも炎は勢いを強くし、生き物のように近衛兵たちの取り込もうと迫っている。


「ま、惑うな! カトレア=ウィンターソンは幻術の高等魔術師だ! ゆえにこれは実体のない幻である!」


 果たしてそれは真実であった。

 カトレアが魔術の中でも幻術を最大の得手としていることは有名である。幻術はその名の通り、幻を生み出して他者を惑わす術である。その幻は本物とほとんど同じ光景を作り上げ、術に嵌った者に本物以上の威力を与える。

 幻術と見破られてもカトレアは動揺を見せず、嫣然と悪魔の微笑を浮かべてささやく。


「あら、本当にそう思う? ならば触れてみなさい。炎は熱いでしょう?」


 言葉には言霊が宿り、それ自体が人の意識に触れ力を持つ。

 そのまま炎に特攻した近衛兵たちは急に身体が燃え上がる熱さを感じてのた打ち回り始めた。

 

 炎は熱い。

 そう認識したら最期、炎に触れたら火傷を負うという錯覚を強く刷り込まれ、実際の痛みとなる。


「そう簡単にここを通れるとは思わないで下さいな」


 良家の子女らしい、しとやかな笑みを浮かべカトレアは宣言する。


「《割れろ》」


 幻術の発動詞と共に屋敷が揺れ、その床が真っ二つに割れる――という幻覚が発動する。

 発動者であるカトレアの前には、魔術に怯えるいくつもの顔があった。

 それでも、この圧倒的優位はいつか覆り、カトレアもまた討たれるであろう事はすでに見当がついていた。

 だからこれは時間稼ぎ。


 大事な娘たちを逃がすための、命を懸けた時間稼ぎが始まった。 


                       


 *****




 頼る大人のいなくなった部屋の中で、双子は互いに寄り添いあってじっと座っていた。

 双子が座る床の上には、双子を中心に大きな魔方陣が描かれ、ほのかに淡く発光している。

 それは転移の魔方陣であり、現存する魔術の中でもかなり高位の難しい術である。また、大掛かりな魔術であるために発動するまで短くない時間がかかる。

 双子の両親はそれが完全に発動するまでの時間稼ぎに出て行ったのだ。


「アマリー、私たちどうなるのかな? お父様もお母様も、帰ってくるよね?」


 双子の姉に抱きついた腕に力を込めてサフィニアはつぶやく。

 途切れ途切れに今なお響いてくる悲鳴や騒音の中に、母と父の声はない。

 押しかけてきた近衛兵、飛び出して行った父、不穏な言葉を残した母。そして家を荒らす破壊音。どれを取っても、不安の材料にしかならない。

 

「また、いつもみたいに楽しく暮らせるといいのにね」


 アマリリスの声音にはすでに事態を見越した諦観が含まれている。

 口にはしないが、帰って来ない父の身に何か起こったことも、母とは二度と会えなくなる可能性も、自分たちの身が危険に晒されていることも理解していた。


「どうしてこうなったのかなぁ」


 生まれ以来、何か特別に悪いことをした記憶はない。確かに些細な悪戯で大人を困らせたこともあるが、それが今の状況に繋がるはずもない。両親は人一倍間違いを嫌うため、誰かの役に立つことはあっても罪を犯すことはなかったはずだ。

 双子にはいきなり平穏な生活を壊される心当たりは全くなかった。


「……この前ね、伯母様が来たでしょう? その時ね、伯母様が言ってたわ。『貴方たちは呪われてるのよ』って。だからじゃないかな」

「サフィー、いつそんなこと言われたの?」

「アマリーがいない時」


 勝気で気の強いアマリリスが、内気で心優しいサフィニアと離れることは少ない。

 それならば以前家を訪れた伯母はわざとサフィニアが一人の時を狙って言ったのだろう。アマリリスがその場にいれば、皮肉で返すなり怒るなりするだろうが、サフィニアは素直だから真に受けてショックを受けたはずだ。

 卑怯な伯母へふつふつと怒りが湧いて来るのを感じつつ、アマリリスはにっこりとサフィニアに笑いかけて言う。

 

「そんなの耄碌もうろくしたおばさんの妄言だよ。気にしちゃダメだ」

「そうなのかなぁ」

「そうに決まってる」

 

 次に会った時は必ず伯母に報復しよう、と密かにアマリリスは心に決める。

 結果的に言えば、双子が伯母に会う日は永遠に来なかった。

 互いの不安を紛らわすように会話をする双子の足元で、一際大きく魔方陣が光を放つ。

 同時に魔方陣に込められた魔力が大きく変動する気配に、もうすぐ転移の魔術が発動するのだと無言の内に双子は悟る。


「何だぁ? そのでっかい魔方陣は」


 双子以外誰もいないはずの部屋に、のぶとい男の声が響いた。


「え……」


 先に声の主を目に捉えたのはサフィニアの方だった。驚きに目を見開き、硬直する。

 その視線を追ってやっとアマリリスは部屋に侵入した男に気付いた。

 ぼさぼさで手入れのされていない髪やひげ、酒を飲んだ後なのか離れたところにいる双子のところまで酒のにおいが漂ってくる。


「「誰?」」


 アマリリスはキッと男を睨みつけて、サフィニアは怯えに体を竦ませて同時に誰何すいかする。

 返ってきたのは、にやにやとした気持ちの悪い笑みだった。


「あんたたちが予言の双子かぁ。さっすが、お貴族様の小娘は綺麗な顔してるもんだ」

「わ、私たちウィンターソン家は貴族ではありません! 公認魔術師です!」

「あり? そうだっけ。まぁ、そんなことはどうでもいい」


 幼い頃から魔術師としての誇りを説かれてきた双子は、人一倍侮辱されることに敏感だ。

 アマリリスの場合、言うべき時と状況を先に分析してしまうが、サフィニアは純粋で素直すぎる。


「俺はなぁ、どこぞのお偉いさんにあんたらを殺すように言われてんだ。何でも、あんたらってば巫女様に予言されたこの国を滅ぼす存在なんだってっよ。神か悪魔か知らんが馬鹿らしーよなぁ」

「よ、予言ですか?」

「おうよ。でもまぁ、俺様がお偉いさんの言う事聞く必要はあんまりなかったりする。あんたらくらいべっぴんさんだと、売れば結構な金になるだろーなぁ」


 壁に背中を預けていた男が、嫌らしい笑みを浮かべて双子に近づいてくる。酒が入っていても、足取りは軽やかに力強い。男は腰に差した無骨な剣の柄を握る。

 明らかに自分たちに害を成そうとしている男を前に、反射的にアマリリスは妹をかばう体制になる。


「それ以上近付くな、この下種げす!」


 立ち上がって妹を背に隠し、アマリリスは吐き捨てる。姉として妹を護らなければならない、という生まれて以来意識の底に根付いてきた信念に沿った行動だった。

 サフィニアはアマリリスの背と男を交互に怯えた目で見つめる。しかしサフィニアもただ庇われるだけではない。口元を小さく動かし、呪文詠唱を始めていた。口の動きはアマリリスの身体でさえぎられ、男からは見えないはずだ。

 高速で編み上げる術式は転移の魔術の術式に干渉し、その起動を速めるためのもの。

 

(どうか、間に合って)


 身体が震えるのを隠しもせず、アマリリスにすがり付き、サフィニアは強い集中力が必要不可欠な術式を高速で編み上げていく。


「良家のお嬢ちゃん、そんな汚ねぇ言葉を吐いちゃーいけねぇぜ? 特に、立場ってもんを知ったほうがいい」

「何だ、この程度の罵詈雑言で怒るのか? 思った通り小さい器だな」


 アマリリスはふんっと鼻で笑う。

 男は顔色を変えて剣を鞘から抜き白刃を晒す。その剣先をアマリリスの首元に突き付けて、男は苛立ちを隠そうともしない。


「俺様もよぉ、好きで子どもを殺したいわけじゃーない。女のガキのくせして肝が座ってるのはいいことだが、少しは媚びたらどうだぁ?」

「あんたと一緒にするな。私はお前のようなドブネズミと違って誇り高いんだよ」


 首筋に伝わる刃物の冷たさに怯えるどころか、挑戦的で馬鹿にした冷笑がアマリリスの顔に浮かぶ。アマリリスには目の前の男の、イライラした心情が手に取るように分かっていた。


「私たちは公認魔術師ウィンターソン家の直系血筋。小さいからってなめてんじゃないわよ」

「……嬢ちゃん、知ってるか? どんな生まれに関わらず、“死”ってのは皆平等に来るもんなんだぜ?」


 すっと男が目を細める。その手に握られた剣が、アマリリスの首を薄皮一枚の厚さに引き裂いた。

 かすかな痛みを感じてもアマリリスは毅然とした態度を崩さない。

 その代わりに動揺したのはサフィニアの方だった。

 

「アマリー!」

「サフィー、ダメだよ」


 振り向かずにアマリリスが制止すると、悔しげに顔を歪めてサフィニアは引き下がる。

 すでに転移の術式は完成直前にまで来ていた。あとは強引に魔力を込めて、強制発動させるだけである。

 そのための機会をサフィニアは姉の背後で必死に見極めようとする。


「いい覚悟だ」


 男がささやき、剣がアマリリスの首筋を離れ振りかぶられる。

 その一瞬を狙ってサフィニアは叫んだ。


「術式起動! 《転移せよ》」


 発動の魔術詞マジックフレーズに従い、即座に転移の魔術が発動した。二人を囲む魔方陣が強く輝き、部屋中に目を刺す光が溢れる。

 サフィニアは生まれ持った膨大な魔力を足元の魔方陣に注ぎ込み、その術式の機動力を上げる。一度正常に発動した魔方陣は何があっても止まらない。


「なにぃ!?」


 魔方陣の輝きに驚き、男がわずかに後退した。

 その隙にアマリリスはさっと身を引き、魔方陣の中に座り込んだサフィニアを抱きしめる。

 転移の際にどんな衝撃が来るか分からない以上、互いにしがみついていないと転移途中に片方だけあらぬところに放り出されかねない。

 

 刹那。


 アマリリスは見た。光で目を潰した男が無造作に懐から小剣を取り出して投げる様を。それはまっすぐに双子の方へ飛んできている。転移が間に合わないと察した瞬間、アマリリスは動いていた。サフィニアの前に乗り出し、両腕を大きく広げてかばう形を取った。


 サフィニアもまた、何も見落とさず全てをその目で見ていた。

 男が小剣を投げ、それが自分たちの方に向かってきている光景も。そしてサフィニアの前に身体を投げ出したアマリリスの胸に、その小剣が深々と刺さった瞬間も。細部までしっかりと両目に刻んでしまった。


「ア、アマリー!」


 サフィニアの絶叫が響くと同時に転移の魔方陣は完全に効果を発揮し、双子はその部屋から姿を消した。

 何が起きたのか分からなかった。混乱した頭でサフィニアは自分の身体の上に崩れ落ちてきた姉を抱き留める。小剣はアマリリスの胸に刺さり、傷口からは大量の血が溢れてサフィニアの衣服を濡らす。呆然と意識を失った姉を見つめ、サフィニアは震える腕を伸ばす。

 

「アマ、リー」


 反応は返ってこなかった。

 長距離移動をする転移の術式の中で、サフィニアは呆然とアマリリスを抱きしめる。二人を濡らす赤い血潮が妙に暖かく感じられた。

 

 両親の残した転移の魔方陣が双子を導いた場所は、ひどく湿ってひんやりとした場所だった。座り込んだ地面は冷たく、双子から体温を奪っていく。サフィニアに冷静な思考回路が残っていたなら、そこが地下だとすぐに分かっただろう。

 地面の冷たさにはっと我に返ったサフィニアはアマリリスに声をかける。


「アマリー! アマリー! しかっりして!」


 泣きそうになりながら、目的地に着いたことにも気付かずにアマリリスの身体を揺する。

 その胸から大量の血があっという間に流れ、周囲に大きな血溜りを作っていく。 

 双子の姉を失うかもしれない、という間近に迫った片割れの“死”にサフィニアは恐怖した。


「動かしてはならぬ!」


 どうしていいか分からないサフィニアに、雷のような叱責が飛んだ。

 反射的に身を竦め、サフィニアは片割れを揺すっていた手を止めた。


「誰?」

「動かしてはならぬ。怪我がひどくなってしまうぞ」


 双子の目の前に現れたのは、頭に白いものが混じり始めた老人だった。外見の割りに眼光は鋭く、しゃんと伸ばされた姿勢のいい身体は大きく威圧的だ。

 双子に近寄った老人はアマリリスを厳しい表情で見下ろして、痛ましそうに顔を歪める。


「これはひどい……。間に合わなかったか、すまない」

「あの?」

「サフィニアだな? わしはルドヴィック=ウィンターソン。そなたらの実の祖父じゃ」

「え、と。お、おじい様ですか?」

「そうじゃ」


 サフィニアは老人をまじまじと見つめる。

 今日まで生まれた屋敷から出たことがなかった双子は祖父母の顔を見たことはない。だが老人の目に宿った色は双子と、ひいては双子の父親と同じ澄んだ蒼である。また老人の顔だちもどことなく父親に似ている。


「ア、アマリーが……。アマリリスを、助けてください!」


 わらにもすがる思いでサフィニアは祖父に懇願するが、ルドヴィックは哀しげに首を横に振る。

 それは、助けられないということ。


「そんな。お願いです、私のお姉ちゃんを助けてください! そのためなら何だってしますから、お願いします! ずっと、ずっと、生まれた頃から一緒にいた大切な姉なんです、お願いします……っ」

「すまない、サフィニア。その傷はすでに手遅れで、わしには治せんだろう」

「でも、魔術なら! 治癒の魔術なら傷を治せるはずです!」

「そうじゃな、魔術なら。――ただし、そなたの魔術でなら助けられるぞ」


 ルドヴィックの鋭い視線がサフィニアを射る。

 それだけでサフィニアの身体は竦んでしまう。


(怖い)


 サフィニアが怯える時、いつもアマリリスが前に出てその背に護ってくれていた。――なのに、その背が今はいない。その事実がさらにサフィニアの幼い心を打ちのめす。

 途方にくれてサフィニアはかぼそく尋ねた。


「私なら、何ができるというんです?」

「そなたとアマリリスは双子じゃな? ならば、その身体のつながりを使って禁術を使うのじゃ」

「き、禁術!?」


 一瞬、状況を忘れてサフィニアは目を剥く。

 禁術はその名の通り、現存しながらあまりにも凶悪かつ酷薄で非人道的であるとされる、威力の強すぎる魔術の総称である。例としては一度死んだ人間を甦らせ、意のままに操れるゾンビを作り出す魔術などが上げられる。

 数秒の後に祖父の言葉を頭に飲み込み、サフィニアは顔色を悪くする。


「そんな、まさかアマリーを死んでも動くゾンビにでもしろって言うんですか!」

「待て待て、誤解じゃ。甦らせるのではない。アマリリスはまだ生きている」

「それなら何を?」 

「使うのは時限の魔術と付加の魔術じゃ」

「じ、時限の魔術……」


 時限の魔術は時を操る、禁術の一種だ。現在過去未来に干渉する術式であるが、あまりに複雑で高度かつ魔力の消費量が大きい魔術のため誰にも使えない魔術である。時間に干渉するという人の身を超えた威力を持つがゆえに、禁術指定にされている。

 ちなみに付加の魔術は対象物に何らかの能力や物を与える魔術だ。


「付加はともかく、時限の魔術なんて」

「できる。そなたらの強大な魔力なら何とかなるはずじゃ」

「ええっ?」

「アマリリスを救いたくば、しなければならぬ」


 厳しい現実を突きつける言葉にサフィニアはぐっと押し黙る。

 ルドヴィックは険しい顔で続ける。


「それにはそなたの命を削る必要があるのじゃ。寿命を削ってまで、アマリリスを助けるか?」

「当たり前です!」

「ならば――」


 ルドヴィックの説明した内容はこんなものだった。

 まずアマリリスの胸の傷を時限の魔術で塞ぐ。これは治療するのではなく、アマリリスの体の時間を巻き戻して胸に傷を負ったという過去を抹消するのだ。

 次に付加の魔術でアマリリスの身体に、同じ肉体構造を持つサフィニアの生命力を与える。アマリリスの身体には一時的に外部から与えられる生命力を自分の生命力に変換する能力が付加されることになるのだ。

 口で言えばたやすいが、いまだ八歳のサフィニアには荷が重く、ある程度はルドヴィックが術式を補佐することになる。

 最後にルドヴィックはサフィニアに確認する。


「よいのか? そなたが与える生命力はそなたの寿命。おそらく、残った寿命の半分がアマリリスに与えられる。これは、明確な未来にあるそなたの寿命を削る行為だぞ」 

「そんな遠い未来なんかより、今は、アマリーの方がとっても大事なんです」


 泣きそうな表情で笑い、サフィニアは手の平をアマリリスの胸の上に置く。すでに小剣は胸から引き抜かれ、どくどくと赤い鮮血が溢れてきている。

 サフィニアの小さな手の上にルドヴィックのしわだらけの手が乗る。


「「展開。《我、ここに全てを捧げ代償を求めん》」」


 そして、サフィニアの人生最大の奇跡が起こり始めた。



 *****




 見渡す限りに広がる暗闇。かすかな音も生物の気配も感じられない、冷たい虚無の闇の中でアマリリスは目を覚ました。自分の存在すらも不確かに思える一面の闇の中でアマリリスは困惑する。何度瞬きをしても払拭されない暗闇は、幼い心に不安しかもたらさない。

 

「ここは……?」


 何故自分はこんなところにいるのか分からずに、アマリリスは首を傾げる。苦労して意識を失う前の記憶を辿り、何とか思い出す。最後に見たのは自分に向ってくる小剣の輝き。耳にはサフィニアの絶叫がこびりついている。


「ああ、そっか。刺されたんだっけ?」


 おそらく致命的な傷を負ったはずだが、特に痛みを感じた記憶はない。胸に小剣が刺さるの自分で確認したし、胸に一瞬にして凄まじい熱が生まれたことは覚えている。

 痛みを意識する前に意識を失ったのは、良かったのか悪かったのか。


「となると、ここが冥界というやつなのかな?」


 本当に小剣がアマリリスの胸を貫いたなら、まず生きてはいないだろう。ほとんど即死に近い傷を受けたはずだ。 

 自分の死を悟りながら、アマリリスは死の実感を持てずにいた。

 以前、寝物語に母親から教えられた死後の世界を思い出し、寒々しい虚無の闇を一望する。


「冥界ってのは、何か寂しいな。熱烈な歓迎を期待してたわけでもないけどさ」


 ぶるっと身体を震わせる。いつの間にか、アマリリスの身体は氷のように冷たくなっていた。自分の身体を抱きしめて、温もりを取り戻そうと手でさする。

 何もない場所で隣を見るが、そこに生まれて以来傍にいた片割れはいない。どんなに寒くても温もりを分かち合ってきたサフィニアはいないのだ。

 そのことに気づいて、アマリリスは急速に心細くなる。 


「光?」


 暗闇以外のものを求めてきょろきょろと辺りを見回していると、突如視界を引き裂く純白の光を目にした。まぶしさに目を細め、ふらっとアマリリスはそちらに踏み出す。光を浴びれば、冷め切った身体も少しは温まるかもしれないと思ったのだ。

 ふらふらと穏やかな光に吸い寄せられるアマリリスの背後から、聞き馴染んだ声が届いた。


『アマリー』

「え?」

『アマリー、帰ってきて』

「サ、サフィー?」


 双子の妹の声を聞いた気がして振り向くが、そこに映るのは純粋な闇のみだ。アマリリスが求める自分と瓜二つの気弱な妹の姿はない。

 サフィニアに会えることを期待した心がひどく落胆する。

 しかし、それは聞き間違いでも幻聴でもなかった。


『アマリー、お願い。帰ってきて』

「サフィー、そこにいるのか?」


 身体は光に吸い寄せられそうになるが、意識は徐々に妹の呼びかけに惹かれて暗闇の奥へと誘われる。声を辿って妹の姿を探そうと無理矢理身体を反転させた瞬間、ぐんっと強力な引力を感じた。アマリリスの身体は抗う暇もなく、ぐんぐんと暗闇に引きずり込まれていく。 

 初めは驚きに呆然としたアマリリスも、光がどんどん遠ざかるのを見て顔をひきつらせた。周囲を彩る闇の感触がいまさらにおぞましくなる。この時になってやっと、アマリリスは闇の正体に気づいた。


(怖い。怖い、これは……“死”だ!)


 目覚めて以来、アマリリスを取り巻いていたもの。それは人間ならいつかは体験する死の気配。身体に温もりがないのは当然だ、死者は体温など持たないのだから。

 初めは意識していなかったために感じ取れなかった明確な“死”への恐怖。理性や度胸などでは超えられない圧倒的な恐怖を傍に、アマリリスは絶叫する。


(怖い怖い怖い、誰か、いや、ぁぁあああああああああああああああああああああああああっ!)


『アマリー!』

「サ、サフィニア!」


 助けて、とアマリリスは耳に届く妹の声にすがる。濃厚な死の気配を肌で感じ、逃れようと身体をじたばたともがき暴れさせる。最後まで死の恐怖から逃れられないまま、アマリリスは闇の中で意識を手放した。


                       

 *****




 結論から言えば魔術は成功した。禁術の行使によってアマリリスは一度堕ちた冥界から魂を呼び戻され、今はサフィニアの膝の上で寝苦しそうに寝息を立てている。

 もう二・三時間も経てば自然と目覚めるだろうと祖父はアマリリスの頭を撫でて言う。

 サフィニアたちの座り込んだ冷たい床は、アマリリスが流した大量の血液が乾いてこびりついている。じめっと湿った空気は少し血なまぐさい。 

 閉鎖的な場所を赤く染めた原因であるアマリリスの胸の傷は、完璧にふさがれている。多少顔色は悪いが、今のアマリリスは健康そのものだ。

 反対に無茶をしたサフィニアは今にも倒れそうである。

 そんなサフィニアを心配そうに見つめ、ルドヴィックは言う。


「そなたたちは急いで逃げなければならん。ここもあまり安全ではないのだ。そなたらを追い、殺そうとたくらむ人間の目を逃れるためには、この国を捨てるしかない。大丈夫か?」

「はい……」


 いつ意識が混濁して倒れてもおかしくな状態で、ぼんやりとサフィニアは頷く。国を捨てるということは、永遠に生まれ育った屋敷に戻れないということだ。両親にも、もうきっと会えないだろう。

 ことの重大さを理解しても、サフィニアには抗えない。この先に何が待っていようと、アマリリスさえ傍にいてくれるなら乗り切れるはずだ。

 双子の足元では、ルドヴィックの下に来た時のそれよりさらに大きな転移の魔方陣が淡い光を放っている。長い時間をかけて準備を終えた魔方陣は、膨大な魔力を注ぎ込むだけですぐに発動できる状態だ。

 祖父は父親によく似た顔を物悲しげに歪めて孫娘たちに別れの言葉を伝える。


「サフィニア。強く生きるのだぞ。――そなたらを最後まで護りきれない、我が一族を恨んでもかまわん」

「いいえ、おじい様。けして、恨むなと誇りを持てと、お母様はおっしゃいました。だから恨むことはしません」

「そうか……、カトレアらしい遺言だ」


 年齢と共に鋭さを帯びてきたルドヴィックの強い眼光は脆く崩れ、その目には涙が滲む。

 サフィニアは最後の力で魔力を魔方陣に注ぎ込み、部屋を覆い尽くす閃光の中で悲しげにささやいた。


「さようなら、おじい様」


 ありがとうございます、という言葉が届いたかどうかは分からない。

 迸った光と共に魔方陣は威力を正確に発揮し、サフィニアの視界から祖父の姿が掻き消える。

 その後、双子がルドヴィックと再会することは永遠になかった。


 転移の魔方陣に運ばれて、双子が放り出されたのは朝露で湿った草の上だった。

 魔力を極限にまで使い果たしたサフィニアは草の上に倒れこむ。強い疲労に倦怠感を味わいつつ、徐々に薄れいく意識の中で、サフィニアは時限の魔術を行使した時のことを思い出していた。

 禁術を使ったことで自然とサフィニアが理解してしまったことがある。


 私たち双子はあと十年しか生きれない。


 もともとサフィニアに運命付けられた寿命は長くなかった。

 二十八歳という若さで、これ以降も増大し続ける魔力に身体を蝕まれて死ぬはずだったのだ。大きすぎる魔力はサフィニアの身をゆっくりと腐敗させ、腐臭を辺りにまき散らしてゾンビのようなおぞましい身体を晒し、サフィニアは死ぬ予定だった。

 しかし寿命の半分を双子の姉に与えたことで、運命は変わった。

 十年後の春。十八歳の春にサフィニアとアマリリスはほぼ同時にその命を使い果たし、死ぬだろう。それはサフィニアの本来の死に方よりずっと穏やかで眠るような死のはずだ。

 サフィニアは自分たちが死ぬ日取りを、時限の魔術で知ってしまった。


「……一緒に生きたいよ。アマリー」


 だから置いて逝かないで。

 伸ばした手の先に、アマリリスの温かい手がある事に安堵してサフィニアは気を失った。



ここまでが過去編になります。

次からは双子が死ぬ、一ヶ月前から始まります。


そこまで長く連載するつもりはありませんが、お付き合いお願いします。

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