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残華  作者: さーさん
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第十四話:犠牲者

アマリリス視点です。



 夜が明けた。

 王城のなめらかな生地のカーテンの隙間から漏れる朝日を浴び、アマリリスはふうっと重いため息を吐く。その瞳は真っ赤に充血し、ただでさえ厳しい目元をさらに険しく見せている。

 大変不本意なことにアマリリスは徹夜をしてしまった。その原因に目を向け、ぎりっと睨み付ける。

 視線の先ではロジャスティンが苦笑していた。

 鍛冶師仲間と一緒に徹夜するのはアマリリスにとって日常茶飯事だ。自分たちの造る武具や鉄についての交渉や意見交換、議論をしているとあっという間に夜は明けてしまう。

 しかし、今回は多少事情は違っている。

 アマリリスは苦々しい顔で自分の身体を見下ろす。ファランシスが面白半分で用意した服は、ぞっとするほど可愛らしいひらひらのついた衣装である。

 サフィニアが着ていたなら手離しで褒めるのだが、いくら同じ顔でも自分が着ているのを見ると嫌悪の方が先に立つ。もはや似合う、似合わないの話ではないのだ。

 こんな衣装を着ていることもあって、ロジャスティンとの会話は妙な雰囲気が始終立ち込めていた。会話の内容と言えば、ほとんど昨日に喧嘩に関する説教で、これもまた自分が悪いと思っているのでアマリリスも強く反撃に出られないまま、時間は過ぎて今に至る。

 元々アマリリスが客室で一休みしようとしたのも、ロジャスティンが訪ねてきたのも朝方に近い真夜中であったせいで、とうとう徹夜だ。。


「アス。そんなに睨むなって」

「睨みたくもなるわっ! 夜が明けっちまったじゃないかよ! 俺は家に帰って安眠をむさぼりたいだけなのに、何でどいつもこいつも邪魔しくさるか!」

「八つ当たりすんな。そもそも、お前が」

「説教はもういい! そんなのはファランシスに言ってろっ」


 アマリリスは額に青筋を浮かべて怒鳴ると大きく深呼吸をする。落ち着け、と十回ばかり心の中で繰り返すと徐々に昂った精神も収まってくる。

 視線をうろうろ彷徨わせているとカーテンの隙間から覗く外の光景が目に留まった。王城の窓からは朝日に照らし出される王都が見渡せる。王城は王都一の高い建築物で土地自体も高い位置にある。そのため、城下の見晴らしはよく、特に朝方は幻想的と言って差し支えない光景を目にできるのだ。

 じっと美しい夜明けの王都を眺め、ふっと切ない気分になる。

 祖国を追われ辿りついた異郷の地、そこが双子にとって第二の故郷になって久しい。

 気づけば、ロジャスティンに尋ねていた。


「ロジャー。お前、この国が好きか?」

「はぁ? 何だよ、いきなり」

「いいから答えろ」

「好きだよ。好きに決まってんじゃん。自分の生まれ育った国に愛着持たない奴はそういないだろ」


 少なくともアマリリスは自分の生まれた国を愛してはいないが、ロジャスティンの言いたいことは分かった。

 思い出すのは『真理の渦』で見た光景だ。運命に導かれて命がけで得た真理を信じるなら、アマリリスの造る魔導具がこの国を救うらしい。残り一ヶ月もない時間で、アマリリスはいくつの魔導具を造れるだろうか。時間がない、という事実は妙な焦りをアマリリスに与える。


「この国が、滅ぶのは嫌だよな」

「おい? アス、どうした。頭の螺子でもぶっとんだのか?」

「ぶっとんでねぇよ。失礼な」


 反射的に言い返し、アマリリスは静かに考える。ロジャスティンに視線を戻すと、怪訝そうな顔をしていた。たしかに我ながら唐突な話を振ったと思う。

 アマリリスは頭の中で残された時間の計算をしながら、確認を取る。


「二週間だったよな」

「リック爺の課題のことか? それなら二週間だ」

「何でも造っていいんだよな?」

「そう言ってたけどな」


 昨日、アマリリスが工房を出た後にロジャスティンは必死で工房の頭領・リックをなだめ、説得してくれたらしい。何かの間違いだから破門にはするな、と頼み込んだのだ。

 もともとリックにしても流れで出た言葉であったから、さほど真剣にアマリリスの破門を考えていないだろう。むしろロジャスティンが説得したおかげで、破門にしない理由ができた、という点もあると考えている。


(……別に魔剣でもかまわないよな?)


 もちろんリックの『何でもいい』という発言の中には“魔剣”などというふざけた存在は含まれていないはずだ。

 それはアマリリスも理解しているが、正直な話、時間がなさすぎるのだ。リックに提出する武具を創り、さらに魔剣を創り、その他の魔導具も創る。魔物の件も忘れてはいけない。

 一ヶ月足らずで今抱える全てを解決するのは至難の業――と言うより、無謀である。短縮できる作業工程は全て短縮しなければならない。

 アマリリスの頭の中はすでに魔剣に向けられていた。

 三百年後、魔物の軍勢に立ち向かって島国に勝利を導き出せるほどの威力を持ち、なおかつ悪用されないようにも手を打つ必要がある。


(そもそも魔剣ってのは誰にでも扱えるものじゃないしな)


 古来より魔剣と呼ばれる存在は使い手を選ぶ。魔剣を扱うだけの身体的、精神的技能に熟達していなければ、魔剣のもたらすものは希望ではなく破滅になるだろう。

 アマリリスの魔剣は然るべき時に、然るべき人物の下へ渡らなければならない。

 しかし、未来を読めるわけではないアマリリスには、そうできるだけの知恵も技術も検討がつかなかった。所詮は運に任せるしかできないのだろうか。


「……なぁ、アス。リック爺の試験を受ける気はあるんだよな?」

「ん? ああ、一応な。望み通りのものを提出できるとは限らないけど」

「後継者云々はどうする?」

「放置だな。別に俺やお前が頭領じゃなくても、工房はやっていける。

 リック爺は大げさに心配してたけどさ、うちの工房の連中より腕のいい職人は在野にそういない。王家にとっても、他の交渉相手にとっても、うちの工房は絶対に切り捨てられない存在だろ。別に交渉能力に難がある奴ばっかりでも、何とかなると思う。

 注意すべきは、工房全体の質が落ちること。ついでに工房の連中の突飛な奇行が、目に余るほどのものじゃなければいい。リック爺がまとめてるとは言え、ここまで何とかなってたものが急に崩壊するがない」


 王都の片隅で爆発や奇声が上がれば、工房の同僚が原因であると考えて間違いないのが現状だ。今さら同僚がとんでもない事件を起こしても生暖かい目で見られるだろう。リックの悩みはある意味心配のしすぎではあるのだ。

 それに工房の連中も限度は弁えている。王家から再三職人の行動に対する注意は受けていても、衛兵に捕まった者は一人もいないことがその証左だ。


「ま、アスの考えにおおむね賛成だ」


 ロジャスティンが肩をすくめて言う。

 リックの後継者問題は今でなくてもいい、とアマリリスは考える。リック自身が何と言おうと彼はアマリリスより確実に長生きをするだろうし、時さえ待てばロジャスティンが次期頭領になれる。彼の貴族としての義務も大変だろうが、工房の頭領はそこにいるだけでいいのだ。

 頭領が毎日駆けずり回っていなくても、同僚たちは日々勝手気ままに過ごしている。


「ったく。頭の痛いことばっかだ。ロジャー、いい加減に出て行け。俺はファランシスの部屋に怒鳴り込みに行く」

「はいはい。王太子の部屋にやすやすと入れると思ってるのか?」

「大丈夫だ。昨日、ファランシス付きの衛兵と知り合いになった。きっと笑顔で通してくれる」

「……アスの社交性にはいつも驚かされるよ」


 呆れ混じりにつぶやくロジャスティンをせかして追い出す。

 夜着のまま王城を徘徊するのは嫌だったが、まだ早朝で人に出会うことも少ないだろう。

 アマリリスは豪奢な客室を綺麗に整えたあと、足早にファランシスの部屋へ怒鳴り込みに行ったのだった。


                          


 *****





 再びアマリリスが魔物の出現を察知したのは、王城で頭の痛い世間話に興じていた夕方だった。微弱な自分の魔力が伝えてきた気配に、アマリリスは思わず椅子から立ち上がる。

 それをアマリリスを部屋に招いてお茶をしていた王妃とファランシスが驚いた顔で見上げる。

 早朝、アマリリスはファランシスの部屋に特攻をかけて自分の服を取り戻そうとしたが、逆に女中メイドたちに捕まってしまった。あとはめくるめくるお人形劇である。もちろん人形はアマリリスだ。

 今のアマリリスはすっかり肌もぴかぴか、どこぞの貴族のお姫様のようである。

 着飾られて向かったのはやはり王妃の下で、それ以来半日以上も王妃とのお茶会に強制参加させられている。


「まぁ、どうなさったの? アマリリス様」

「王妃様。申し訳ありません。火急の用事ができてしまいました。席を外しても構いませんでしょうか」

「ええ。それは構いませんわ。ですが、また貴方とはお話したいわ。今度、一緒にお茶会をしてくださる?」


 たおやかな王妃の視線にアマリリスは一瞬うっと言葉を詰まらせる。

 断りたい。もの凄く断りたい。

 だが相手は仮にも王妃である。しかもこの場を途中で抜け出さなくてはならない。

 アマリリスは一瞬の苦悩の後、笑顔が引き攣らないように気をつけて頷いた。


「はい。王妃様。私のような者でよろしければ」

「本当? お願いね」


 王妃はほんのりと頬を染めて嬉しそうに笑う。その笑顔は作られたものではないと分かるから、余計に気まずい想いが込み上げた。

 さすがに王妃の前では普段の男のような言動はできないため、アマリリスも過去の教養を引っ張り出して見事な淑女を演じている。その苦痛さえを除けば、アマリリスはこの王妃のことが好きだった。半日も王妃と一緒に話していられたのは、その人格にアマリリスが惹かれたからだ。でなければ無理にでも退室している。

 王妃に一礼すると、アマリリスは部屋を去る直前にファランシスにささやいた。魔物が出たぞ、と。

 その瞬間、わずかにファランシスの表情が変化したが、母の手前、何かを言うことはなかった。

 王妃の部屋を出ると、アマリリスは意識して人目のないところまで行く。


(ゲイルはどこだ?)


 王城にふさわしい精緻な造りの廊下を不自然ではない程度の速さで歩きながら、アマリリスは無詠唱で魔術を展開する。もともと王都に掛けている探知の魔術を応用して、ゲイルの居場所を割り出す。

 ゲイルの気配は王城の南側に察知できた。

 手近な部屋にするりと身体を滑り込ませて、即座に座標を固定して転移の魔術詞マジックワードを唱える。

 転移した場所は、王城の敷地内に併設された兵舎のような場所だった。王城内の凝った細工は見られず、実用性を重視した無骨な造りだ。

 アマリリスはすぐさま周囲に視線を走らせ、部屋の隅に二つ並ぶ質素なベッドに腰掛ける目的の背中を見つける。


「ゲイル!!」 

「うおっ!?」


 ほとんど反射的に叫ぶと広い背中がびくっと震える。

 ゲイルはさっとアマリリスを振り返り、その腰に差した剣柄に手を当てる。咄嗟の出来事に険しくなった顔はアマリリスを認めると軽い驚きに彩られる。


「なんだ、あんたか……。急に現れるな、心臓に悪いぞ」


 その様子に弱冠の罪悪感を抱くが、事態は一秒を争うことを思い出す。


「悪いな、魔物が現れたんだ」 

「魔物が!?」

「今すぐ行けるか?」

「ああ、もちろんだ」


 さすがに傭兵だけあって、理解は早い。

 二人は互いに厳しい顔を突き合わせて頷く。


「《転移せよ》」


 日頃から使い慣れた魔術をほとんど無意識のうちに練り上げ、発動させる。八年近く常用してきた魔術だ、例え注意を払っていなくても失敗するはずはなかった。

 術式は完璧の精度を誇っていたが――問題は転移先にあった。

 まず初めに感じたのは、のどに小骨が刺さったような小さな違和感。微かな感触だったが、アマリリスの直感は警鐘を鳴らす。

 その直後に魔術は発動し、二人の身体が宙に浮く。


(っ……これは!)


 全身が魔術に絡み取られたのを察すると同時に、アマリリスは自分の魔術が跳ね返されたのを悟る。さっと顔から血の気を引かせ、慌てて発動した転移の魔術に介入する。

 このまま転移した場合、発動途中に跳ね返された転移の魔術は目的地とはまったく別方向に効果を発揮していしまう。その先は予測不可能の域で、深海の中やどこぞの山奥、下手をすれば空中や宇宙空間に転移する可能性もあり、人が生存できる場所であるとは限らない。


「《変換せよ》!」


 発動してしまったものは仕方ない。ならば、術式を上書きして転移先を定め直せばいい。ただ、その転移先でまで弾き返されたら打つ手なしだ。

 冷や汗混じりに運任せで魔術の発動を待つ。だが幸運にも魔術は正常に作動した。

 視界に見慣れた街並みが映り、足が石畳に触れた途端、どっと安堵が押し寄せてきた。アマリリスは思わず脱力して手近にあった壁に寄りかかった。


「あ、危なかったぁ」


 過ぎ去った危機感にいまだにばっくんばっくん自己主張する心臓に手を当て、アマリリスは大きくため息を吐いた。あの一瞬に感じた恐怖はなかなかにきつかった。何せ一歩間違えば死にかねない。

 しかし魔術師ではないゲイルは、アマリリスの一瞬の攻防など知らず、いぶかしげな視線を向けてくる。


「おい。魔物はどこなんだ?」

「あー、悪い。不都合があって転移できなかった。……だけど、この近くだ。何だか魔物の気配が移動して」


 額に滲んだ冷や汗を手でぬぐい、ゲイルに説明する言葉が不自然に止まる。アマリリスはみるみるその顔を厳しくし、ほとんど怒鳴る勢いで言った。


「やばい! 街中で動き出しやがった!」


 アマリリスの叫びと別の金きり声が重なった。二人は人気のない脇道から飛び出し、大通りに出る。夕日に照らされた大通りには、いまだ多くの人が出歩いていた。叫び声のした方向を見ると、絶叫がさらに複数重なって聞こえてくる。


「獣だ! 獣が現れたぞ!」

「いやぁあああああああっ、誰か助けてぇっ」

「うわぁあああっ、な、何だあれっ! 何なんだよっ」


 恐怖にいろどられた絶叫と共に、混乱がさらなる混乱を呼び、騒ぎが起こった方向からどっと人々が逃げ出す。彼らは口々に「獣がっ」「逃げろっ」と叫んでいる。

 アマリリスとゲイルがいる方向にもどっと人が押し寄せてきて、二人はあっという間に人波に飲み込まれてしまった。


「くそっ! 間に合わなかった。おい、ゲイルお前だけでも行けっ」

「無茶を言うな!」


 阿鼻叫喚しながら逃げ惑ってくる人々とは反対の方向に行くのは、この上もなく大変だ。巨体のゲイルでさえ、なかなか進めない。じりじりとしか前に進めず、さらに人にぶつかり、怒鳴られる。精神的な焦りが一秒ごとに積もった。

 逃げ惑う人の群れが途切れた場所を縫うようにして二人は必至に走り抜けていく。

 アマリリスは足を持ち上げる度にはためくドレスの裾に何度も転びかけ、苛々と歯を食いしばった。それが五回に及ぶと一度足を止めてドレスの裾を手で持ち上げた。


「ああっもう! 動きにくいんだよっ」


 やたらひらひらしたドレスの裾を破きたい衝動に駆られるが、借り物だ。帰ったらファランシスに制裁を加えることを決意し、アマリリスは先を行くゲイルの後を遅れて追った。

 走っていくと、何故か何もせずに立ち尽くしているゲイルの姿が目に入る。何をしているのか、と思った直後に探知の魔術が突然魔物の気配が消えたことを察知して驚愕する。


「ゲイル!」


 全速力で走りその隣に並ぶと、ゲイルは怖いくらい強張った顔を向けてきた。

 ゲイルの視線の先を見てアマリリスは凍りつく。端正に化粧をされた顔を真っ青にして、口元を両手で覆った。

 間に合わなかった。

 店終いを始めていたのだろう、不自然に畳まれた露店。露店が飾っていた商品が石畳の上にぶちまけられ、一部は壊されている。その中で一際異彩を放つのは――身体の一部を失くしてうめく、人間たち。

 辺りにむわっと吐き気をもよおすほど濃い血の匂いが充満していた。これほどの血の匂いを嗅いだのは、十年ぶりだった。


「魔物は」

「もう、逃げられたよ」


 ゲイルの問いに震える声で答える。

 最悪だ。魔物はすでに食事を終えた。残ったのは、食い散らかされた人間たちだけ。

 アマリリスは一度大きく身体を震わすと、すぐさま自らを叱咤して動き出した。それはゲイルも同じで、それぞれ呻く者の傍に行く。

 今するべきことは呆然とすることではない。喰われた人間を介抱し、一人でも多く助けることだ。ぱっと見た限り、血を流し倒れているのは五人。

 アマリリスはその一人に駆け寄り、顔を歪めた。

 片手と両足が食いちぎられていた。意識は失っている。周囲にたまった血で、アマリリスの纏うドレスがあっという間に血を吸って重くなる。

 アマリリスは一瞬どう処置すべきか迷い、ゲイルを見た。彼の駆け寄った人間は胴からはらわたがはみ出て、片足の膝より下がない。


「っゲイル! 俺が、魔術を使う。少しの間人払いの結界を張るぞ」

「治せるのか!?」

「いや。傷口を塞げるだけだ。失ったもんは取り戻せない。出血多量で死ぬ奴もいるだろ。取り合えず、ゲイル。そこの人のはらわたを腹の中に詰め直せ」

「おう」


 込み上げる吐き気を抑え込み、アマリリスはふらりと立ち上がった。

 まずは人払いの結界を張らなければいけない。間違ってもアマリリスが魔術を使う場面を他者に見られてはいけないからだ。さきほど逃げた人たちの通報ですでに兵がここに向かってきているはずだ。

 血の海の中に立ったアマリリスは暗くなり始めた空を見上げ、ため息を吐きたくなるのを堪える。


「術式省略。発動。《顕現》」


 面倒なので途中省略し、結界を張る。

 防御の術式に手を加えれば簡易の人払いが可能になるのだ。本来なら人払いのための術式があるが、それは直径五キロメルほどの地域から人を撤退させるものだ。今はそこまでの性能は求めていない。

 ゆらりと周囲百メルを囲う円形結界が張られ、アマリリスは怪我人たちを見る。


――助かりそうにはなかった。


 アマリリスは魔術医ではない。一般に知られる魔術では、傷口を塞ぐことしかできない。喰われた腕は生やせないし、失われた血液の生成もできない。ぐちゃぐちゃになった内蔵の欠けた部分を補うことも、怪我を負ったという事実も消せない。

 もしそれができるとしたら、時限の魔術だけだ。人の身体の時を巻き戻せば、彼らの怪我はなかったことになるだろう。しかし、それでも助からない。その時死ぬはずだった人間を生かそうとするには、それ相応の代償がいる。昔、サフィニアがアマリリスのために人生を半分投げ売ったように。

 それでも、できることをしなければならない。

 アマリリスはふらりとまた怪我人の下に戻り治癒の魔術を施そうとする。

 怪我人の倒れた石畳の上に魔方陣がきらめき、術式が編まれていった。しかし、治癒の魔術が完成しようした時。


「ぐっ」


 アマリリスは魔術の失敗を悟って顔を歪めた。

 術式を間違えていた。異常を抱えて発動した魔術はどんな効果をもたらすか分からないので、アマリリスは失敗を悟った瞬間に急いで魔術を中断する。

 動きを止めた魔方陣は一瞬の沈静の後に大きな閃光と衝撃波を放った。それをもろにくらってアマリリスの身体は吹っ飛び、ごろごろと石畳の上を転がる。


「大丈夫か!?」


 目を剥いたゲイルが慌てて駆け寄ってくる。

 とっさに受身を取ったので身体のダメージは少ないが、何箇所か擦り傷ができた。地面が石畳だったのが運の尽きだ。


「あーっ! くそ、くそっ! 失敗した! この俺が、魔術師見習いみたいな失敗をいまさらするなんて!」


 がばっと起き上がって怒鳴る。目を丸くするゲイルは無視した。 

 予想以上に自分が混乱していることをアマリリスは認識する。どれほど酷い惨状でも、血の海や怪我人を見てうろたえる殊勝な精神があったとは、自分でも驚きだった。

 ふがいない己への怒りに双眸をめらめらともやし、アマリリスは勢いのまま立ち上がった。

 一度や二度の失敗でめげるわけがない。

 

「詠唱が駄目なら刻むまでだ」


 アマリリスは低く唸って、思考を切り換える。

 そもそもアマリリスは昔から詠唱による魔術が苦手だった。今でこそ日々の研鑽によって詠唱も難なくこなせるが、魔術を習いたてだった頃は、古語ルーンの発音がなかなか上手くいかずに魔術を失敗していた。

 その代わりにアマリリスが得意としたのは、古語ルーンの詠唱ではなく、古語ルーンを刻むことだ。古語ルーンは形が複雑かつ繊細で、正確に描くのは極めて困難とされる。そのために近代の魔術はもっぱら詠唱式に固定されたのだが、アマリリスの場合は古語ルーンを魔力で世界に直接書き込む、刻印式の方が成功率は高いほどだ。

 普段は使わないそれをアマリリスはこの場で振るう。


《我、ここに記す》

《我が願い、我が想いに応えよ》


 アマリリスは怪我人の前まで行くと、立ったまま空中に古語ルーンを描き始める。指先に魔力が溜まり、発光現象が起きる。発光する指先を動かし文字を書けば、そこに光の軌跡で文字が浮かび上がる。指先から伸びる光は糸のように空中に漂っていた。

 アマリリスの指は素早く動き、刻印式の魔術を素早く完成させていく。

 

《救済》


 文章の最後にその古語ルーンを刻む。

 詠唱時に術式省略する時とほぼ同程度の速さで描かれた古語ルーンは、空中で踊り、アマリリスの号令を待っている。


「発動、っと」


 効果は激烈だった。

 詠唱発動は失敗したが、今回はまともに発動した。

 対象であった怪我人の傷口がみるみる塞がる。ただし、やはり食い千切られた片腕と両腕は戻らない。一人でも多く命が助かることを願いながら、アマリリスは次の患者の治療に取り掛かった。


 魔術による応急処置が全て完了し、人払いの結界を解いたのはアマリリスとゲイルが現場に辿りついて十分経った頃だった。

 結界で魔物が現れた場所を見失っていた兵たちもすぐにやってくる。

 ただ、医者の下に運ばれてもこれ以上の処置はしようがないだろう。あとはもう、患者の生命力に賭けるしかないが、アマリリスの目には患者たちにそんなしぶとさがあるようには見えなかった。


「ゲイル。一度戻ろう。誰かに見つかったら面倒だ」

「そうだな」


 二人は互いの姿を見て、やるせない顔を見合せる。

 お互いにひどい有様だった。身体中、患者の血でべたべたしている。下手に兵に見つかったら、二人が五人を害したと思われそうだ。

 アマリリスはゲイルの手を取ると、宙に手を躍らせる。念のために詠唱で魔術を行使するのはやめておいた。先ほど二度も魔術を失敗したのだ、三度目がないとも限らない。


《転移》


 そう記された古語ルーンに魔力を込めて発動させる。

 今回は転移の魔術は失敗はしなかった。独特の浮遊感の後に二人は王城のアマリリスに与えられた客室に無事に到着する。

 見慣れない豪華な部屋を見回して人目がないのを確認し、疲労の濃い顔をゲイルに向ける。アマリリスの顔は連日の疲労と重なってもはや能面のようだった。 


「ゲイル。お前も自分の部屋に戻るだろ?」

「ああ。王太子のほうに連絡に行く前に、この格好をどうにかしないとな」

「転送するよ」


 そう言うが早いか、アマリリスはゲイルにだけ転移の魔術を施そうとする。

 宙に文字を描くアマリリスを見て、ゲイルは首を傾げた。


「さっきから思っていたんだが、その魔術は何だ? 見たことがない形態だが」

「そりゃそうだ。これは初期型の古い魔術だからな」

「初期型?」

「一定以上の魔力と技術さえあれば誰にでもできる。手に魔力を込めて、ただ古語ルーンを刻んで強引に発動させるんだ。これが使われていたのは、それこそ魔術も世界に知られていない頃――史実によれば、例の魔物を量産した狂った研究者が使っていたとされる魔術の形式なんだよ」


 その昔、人間の身にして神になることを望んだ研究者がいた。その研究者は一人で未だ世界に片鱗すら晒していなかった魔力と魔術の存在に気づき、それを極め、新たな魔物という種を造り出した。その研究者の残した遺産は魔物だけに留まらず、千年以上が経った今も人々はその研究者の遺した技術の域に到達できていない。

 その研究者自身が行使していたと言われるのが、刻印式の魔術だ。誰にでも可能な方法でありながら、古語ルーンの精巧な形をまねるのが困難ゆえに使い手がほとんどなく、必然的に廃れた魔術様式である。しかし伝説的な狂人研究者が使っていたと言われるだけあって、成功時の威力は詠唱式よりも強い。


「刻印式の魔術は最も古く、最も高難度な魔術様式、らしいが……俺は生来こっちの方が性に合っててね。サフィーでさえ、刻印式の成功率は半分以下なんだが、俺はほぼ完璧に発動できる。それでも詠唱式の方が慣れれば楽に使えるからそっちを普段は使ってんだけど、焦った時や精度を求める時はこっちを使う」


 そこまで言って、アマリリスは真理の魔術も詠唱式ではなく刻印式ですれば良かったのでは、と思い至る。今頃気付いても意味のないことだが、いまさらながら苦い思いを抱く。

 アマリリスは止めていた手を再度動かして転移の術式を宙に刻む。


「んじゃ、また後でな。ゲイル」

「ああ。助かるよ」


 ゲイルの少し疲労の垣間見える笑顔を見送り、アマリリスは一息ついた。自分の身体を見下ろしてぼろぼろになったドレスを見咎め、さらに肩を落とす。

 全身にねばねばと血液が染みついたようで、気持ち悪かった。

 アマリリスは柔らかな絨毯を血に塗れた靴とドレスで汚しながら浴室に向かう。人が来る前に血を洗い流しておきたかった。

 ぼろぼろのドレスを手早く脱ぎ、浴室に滑り込んでシャワーを全身に浴びる。身体を濡らす冷たい水は血の気の引いた顔からさらに体温を奪う。足元に流れる水は朱色に染まり、流れていく。 

 ふっと視線を巡らせると綺麗な鏡に映りこんだ、今にも泣きそうな顔をした自分と目が合う。それは双子の妹と驚くほどよく似た、不安定で頼りない表情だった。


――脳裏に浮かぶのは、石畳を覆い尽くす大量の赤黒い血液。無造作に散らばった元は人間の手足であった肉片。


 鮮明に先ほどの惨状を思い出し、うっと吐き気を感じて口を手で押さえる。胃から戻ってきたものは何とか喉下で飲み下した。 

 ことさら意識的に荒い呼吸を繰り返し、べたべたと血に汚れた身体を石鹸を使ってこすり上げる。どれだけ泡まみれになっても、鼻孔に残る血の匂いは落ちそうにない。

 肌に赤みが出るほど身体をこすって、アマリリスは自虐的に笑う。何て無様な姿だと鏡に映る自分を見て思った。


「っとに冗談じゃない。サフィーと交代しといてよかった」


 今のサフィニアは魔力枯渇で魔物討伐から遠ざけられている。今回に限り、それでよかったと心底安堵した。

 サフィニアに先ほどの光景は見せられない。被害者の悲惨な姿が、むごい血の海が、その優しい目に映らなくて良かった。そういう荒仕事はアマリリスの役目だ。

 もしあれを見てしまったら、きっとサフィニアは錯乱する。その心に二度と消えない傷を負ってしまう。それだけは何としても避けなければならない。


「魔術師の野朗。何考えてやがる……」


 アマリリスの転移の魔術が跳ね返されたのは、おそらく魔物を操る魔術師の小細工のせいだ。今まで姿影も匂わそうとしなかったのに、何故今回に限って妨害工作をしてきたのか。――わざわざ、魔物に食事をさせるためだけに。

 どうしてもちらつく血の海を頭から振り払い、憎悪をこめてアマリリスはつぶやいた。


「許さなねぇ。待ってろ、すぐにとっ捕まえてやる」


 双子の愛する国の王都で起きるふざけた事件。どうしても許すことはできない。もう二度と、あんな犠牲者を出してはならない。そして、サフィニアにそんな光景を見せるわけにもいかない。

 魔物が現れたのはやはり西区だった。西区には双子がお世話になった孤児院がある。そこで血の繋がらない兄妹やエナが住んでいるのだ。次の被害者が彼らではないという保証はない。

 もう二度と――それこそ、この先何十年何百年の先も、魔物の被害が出ることは許さない。


「俺たちの結界で防げるってんなら、いくらでも結界くらい張ってやる。魔物を殲滅するためなら、魔剣だって造ってやるさ、いくらでもな!」


 ばんっとアマリリスは目の前の鏡を殴り、決意を新たにする。

 実際に被害を目にすれば、どれだけこの島国にとって魔物が脅威か分かる。祖国に捨てられた双子を受け入れてくれた国が、祖国の魔物の軍隊で滅ぶようなことがあってはならない。

 アマリリスは怒りと共に自分のすべきことを再確認した。


 その後のアマリリスの行動は早かった。

 地獄の光景によって受けた精神的打撃をものともせず、浴室を出ると備え付けのバスローブ姿になる。代わりの服がないから仕方がない。

 それから使う気のなかった鈴をならし、一人女中メイドを呼んで代わりの服を用意してもらった。女中メイドは血の滲む客室の絨毯などに驚きつつも、何も言わなかった。

 さぁ、ファランシスの下に行こうとアマリリスが意気込んだ時だった。

 客室の扉がノックされて、掛け声と共に開いた。入室してきたのは、ちょうど用事のあったファランシスとゲイルだ。


「うっわぁ、出鼻挫かれた」

「うん? どうかしたのか?」

「今、あんたに会いに行こうとしてたんだよ」

「そうか。ところで、その絨毯は?」


 ファランシスは女中メイドを下がらせるとどす黒く変色した絨毯に不審の目を向ける。


「魔物の被害者の治療してたら血だらけになったんだよ。それが染み付いちまった。あと、ドレスもやばい」

「そうか。あとで回収しておこう」

「弁償もんか?」

「いや。私が肩代わりしておく。もともと私のわがままで着飾らせていたのだからな」

「あっそ」


 それはありがたいことだが、そのわがままの餌食にされた側としては素直に礼を言いたくない複雑な気分になる。

 ファランシスとゲイルは客室の椅子に座り、アマリリスも寝台に腰掛ける。


「それで? どうなった」

「大騒ぎだ。一応、もみ消す努力はしているが。野犬が襲ってきた、ということにしておいた」

「つっても、誰もそんなこと信じないだろうな」


 ゲイルの嘆息にファランシスも同意して頷く。

 何人もの人間が魔物の姿を見た。得体の知れない獣の姿を。化け物が現れた、と噂が流れるのも時間の問題だ。

 ふっとファランシスは真剣な表情になると、アマリリスに告げた。


「被害者が、三人息をひきとったよ。他の二人も厳しいだろう」


 アマリリスは息を呑み、数秒後にゆるゆると息を吐いて小さく頷いた。

 助からなかった。

 分かりきってはいたが、実際に言われるときつかった。


「ファランシス。すまない。魔物を取り逃がした」


 深い後悔と共に吐き捨てると、ゲイルから聞いていたのだろう、ファランシスは顔色を変えずに首を振ってアマリリスのせいではないと答えた。

 しかしそんな慰めに意味はない。アマリリスは一人、唇を噛んで悔やんだ。


 夜明けに近付いた頃。残りの被害者二人が死んだと報告がきた。









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