第十三話:魔術
アマリリス視点です。
ただいま改稿中につき、話に矛盾が生じているかと思われます。それはご了承ください。
アマリリスは整った顔に苦悩を滲ませているファランシスに、完全に理解する間も与えずに説明を続けた。一般的に御伽噺としか捉えられていないものの実在を説くのだ、変な理屈をつけて反論される前に全てさっさと説明した方がいいように思われた。
「魔物の存在は知っているな? それがこことは別の、遠い大陸から来たことは?」
「ああ、知っている」
「てっとり早く説明するとだな。大陸には魔物が蠢いている。大昔にどこぞの狂った研究者が生み出した負の遺産なんだが、その魔物どもは繁殖力が高くて非常に凶暴だ。しかも餌は人間。食される側になった人間たちは存亡の危機に至って考えたのさ、魔物に対抗する術を。それで生まれたのが魔術で、俺はそれを扱う魔術師の一人だ。
この国にいるはずがない魔物を俺も偶然知ってな、ゲイルの魔物討伐にひそかに力を貸してたんだよ」
正確には魔物討伐に主に関わっているのは妹のサフィニアで、アマリリスはあくまでも代理である。しかしアマリリスはファランシスとサフィニアを不用意に接触させたくなかった。万が一にもサフィニアに害が及ぶのを避けたくないのだ。
ばれてしまったからには仕方ないが、必要以上に情報を公開するつもりはなかった。
アマリリスとゲイルの視線の先で、ファランシスは意外にもあっさりと馬鹿げた現実を受け入れた。
「なるほど。ここに来た方法も魔術か?」
「そうだけど」
「便利だな」
「は? いや、まぁ便利は便利だけど」
予想とは違う言葉にアマリリスは一瞬目を丸くする。
ファランシスはアマリリスの人差し指の上で瞬く光球をじっと凝視し、しばらく黙考する。再度顔を上げた時には、すでにその顔から完全に混乱は失せていた。
もともと理解は早いほうだから、納得してしまったのか。
「そなたが魔術師なのは分かったが、何故魔物討伐に関わろうと思ったのだ」
「悪いか? そもそも、魔物討伐は剣士の仕事じゃない。俺たち――つまり、魔術師の仕事だ。そのために魔術は生まれたんだからな」
「そうか。少し聞きたいのだが、魔術とはどんなものなのだ?」
「は? どんなって……何が言いたいんだ?」
どんな、という質問は曖昧すぎて答え辛かった。
話題が妙な方向に向かっている気がしてきて、アマリリスはいぶかしげにファランシスを見つめる。この少年の質問の意図が、アマリリスにはよく分からなかった。
「いや。魔物のことを知っているなら分かろう。魔物は我々王家の手には負えない。だが魔術なら対抗できるのだろう? ならば我らも――」
「やめとけ」
ファランシスの話の先を察して、アマリリスはその言葉を遮った。すっと胸の内から冷えていく感覚に陥り、自然とアマリリスの視線は冷え冷えとしたものへと変わる。
その迫力に押されて、ファランシスもひゅっと息を呑んで口を閉じる。
「魔術を使えば魔物は倒せる、それは真実だ。だけどな、この国に魔術を広めるのはまだ早い。お前らが、この国の人間が魔術なんてものにうかつに手を出しても良い結果は出ない。魔術ってのは便利な分だけ危険性が高いんだ。ずぶの素人が過ぎた力を手にしたら破滅を生む。それくらい分かるだろ?
だいたい、一朝一夕で都合のいい力が手に入ったら苦労しないんだよ」
図星だったのだろう、ファランシスはぐっと顔を歪める。
ファランシスの考えることは何となく解る。魔術を取り入れれば現在王都を騒がす魔物への対抗手段となり、引いては国力の上昇も期待できる。魔術と言う大きな力が大衆の前に明かされれば、高度な文化も栄えてくるかもしれない。
しかしアマリリスは魔術が今の島国に必要なものだとはどうしても思えなかった。『真理の渦』で目にした未来では、三百年経ってようやく魔術は国中に普及し、その存在を晒され認知されていた。それも大陸から飛来する魔物という脅威に逆らう唯一の手段として。
あの時代にこそ、魔術は必要とされるのだ。
――今では、早すぎる。魔術という大きな力は、この時代の島国には手に余る代物だ。
「だが」
「反論するんじゃない。お前は魔術を知らないから、この国に取り入れたいと思うんだ。実際便利ではあるし、強力な武器にもなる。……そう、武器なんだ。魔物を殺せるほどの威力の力だぞ? 人間なんて、一撃で木端微塵に跡形もなく殺せる。
しかも、魔術を習得するにもこの国に魔術師は俺くらいしかいないんだ。絶対に必要な知識も、技術も、中途半端にしか伝えられない。中途半端な力ほど怖いものはない。
いいか、ファランシス。誇張でも何でもなく、魔術は選択と方法を間違えば、一瞬でこの王都を消滅させることだってできるんだ」
アマリリスは神剣な顔でファランシスを諭す。
文献でしか知らない史実だが、実際に一国の都を一発の魔術で焦土とした魔術師も過去にはいた。普通の人間にはそれほどの技術も魔力もないが、双子のように例外的存在はいつか生まれてくる。それでなくとも、魔術は一歩操作を間違えると暴発する可能性が高い。魔術の習得とは常に危険と隣り合わせなのである。技術の未熟な初級魔術師の魔術の暴発事故による死は、大陸では噂話にもならないほどよくある話だった。
それを身を持って知るアマリリスには、ファランシスの甘い考えは愚の骨頂にしか思えない。
「魔術は今のこの国に必要な文化じゃない。魔物が現れたのだってほんの偶然の産物だ。それに関しては俺やゲイルだけで十分に対処できる」
「その偶然がこの先起こらないと、どうして言えるんだ? アマリリス、今回の魔物騒動で我が国は約三十名の死傷者を出しているんだ。民間の被害は少ないから情報規制もできている。だが、我が国の軍の兵士が次々に傷つき倒れた。ゲイルがいなければもっと被害は増えていただろう。我々に魔物に対抗する武力が必要ないはずがない」
きっぱりと断言したファランシスからは真剣さが痛いほど伝わってくる。それは、一国の王子としての責任感から来るのだろう。ファランシスの主張は王子として正しいものだ。
だがアマリリスの脳裏には、『真理の渦』で取得した情報が渦巻いていた。だからこそ、きっぱりと返すことができる。
「必要ないさ。今回以後、魔物がこの国に侵入することは絶対ない」
「何故だ?」
「俺たちが結界を築くからさ」
ぼそりと小さくつぶやく。それは小さすぎて誰にも届かない。
三百年後の世界で自動発動していた島国を覆う結界は、魔物を一匹たりとも領土の中に入れないだろう。そしてそれを張るのはアマリリスたちらしい。現実的に考えてあれほど巨大な結界を張ることは無理だが、『真理の渦』に未来の可能性として存在するからには、今は見落としている何らかの方法があるはずだ。
アマリリスとサフィニアがあの結界を張るなら、他国の人間の脅威はあっても魔物の脅威は十分に激減する。その頃には自然と魔術も大陸から渡ってきているはずだ。
「とにかく、そこらへんは俺に任せとけ」
「……アマリリス」
ファランシスは納得がいかないという顔でアマリリスを睨む。
それよりもさらに鋭い視線でアマリリスはファランシスを見返した。
「黙れよ、ファランシス。それ以上食い下がってみろ。お前の記憶をいじることもできるんだぞ? 魔術師ってのは、そういう禁忌的な手段だって持ち合わせてるんだ」
アマリリスは抜身の刃を思わせる鋭い目でファランシスを射抜く。その身から発される得体の知れない威圧感は、傭兵のゲイルさえ背筋を凍らせるほど圧迫感の含まれたものだった。アマリリスは他者にはむかってはならない、と本能的に知らしめる壮絶な微笑をする。
それを直視したファランシスは思わず一歩後退った。
「分かったか?」
アマリリスの再度の確認に、真っ青な顔でファランシスはうなずく。
了承と納得を得たところでふっとアマリリスは表情を緩ませる。態度は一変させ、再びいつもの態度に戻った。
「よし! じゃあこの機会に聞かせてもらおうか」
「……何を、だい?」
その唐突な変化に戸惑いながら、ファランシスはかすれた声で尋ねる。
アマリリスはにっと笑って言う。
「もちろん、これまでの魔物関係の情報は洗いざらい吐いてもらうぞ。俺が魔物退治に参加したのはつい最近だからな、初めの頃に何があったのか知らないんだよ。敵の魔術師と魔物を捕まえるんなら、情報は必要不可欠だろ。そうだよな、ゲイル――っておい?」
ずっと黙って話の流れを見守っていたはずのゲイルは、目を見開いてアマリリスを見ていた。
何をそんなに驚いたのだろうか、とアマリリスは怪訝な顔になる。
ゲイルは先ほどのアマリリスが発した威圧に驚いていたのだが、それをアマリリスが知るはずもない。
「あ、ああ。何の話だ?」
「だから、これまでの魔物のことについて教えてくれって話だけど。どんな魔物でいつ現れたとか。敵の魔術師を捕まえなきゃいけないだろ」
「そのことか。やはり、魔術師が関係していると思うか?」
「そうじゃなきゃ、おかしいだろ。魔物だけが渡ってきたなら、勝手に繁殖して増えてもっと大きな被害も出てるはずだ。何か、誰かが魔物の動きを抑制するか、制御してるとしか思えない。……魔物を操れるのは魔術師じゃないと無理だしな」
「厄介だな。今まで確認された魔物が五体。これだけの魔物の種類を一度に操れる奴なんて聞いたこともねーぞ。本当にできるもんなのか?」
「さぁ。そこらへんに俺は詳しくない。ただ……できなくはない、だろ。薬と魔術漬けにしたらいい。そうするにはすっげえ、時間と苦労が必要だろーけど」
実際に話していても現実味のない話だ。
魔物を使役対象とする考え方はそれほど新しくない。実現の有無はともかく、魔物を人間の意のままに操る場合の利益は半端ないからだ。しかしどんな強力な魔術と薬を使っても、魔物を長期的に操るのは難しい。それを一度に五体、下手をすればそれ以上の数の魔物を使役したという話は、古今東西聞いたこともなかった。
そんなことを成し遂げた魔術師を小さな島国で、実戦経験の少ない双子と傭兵だけで相手取るのは、なかなかに面倒な状況だった。ひとつの油断が致命傷になりかねない。
「待て。二人とも。魔術師はアマリリスだけではないのか?」
「当たり前だろ。俺やゲイルみたいに海を渡ってきたやつは何人かいる。今回の魔物はそいつの使い魔の可能性が高いんだ」
「使い魔?」
ファランシスの混乱した様子の質問に、アマリリスは答える。
「使い魔ってのは、一流の魔術師が高度な魔術と薬を使って従えた魔物のことだ」
「魔物を従えられるのか!?」
「その手の研究に人生を費やすような一流の魔術師なら、可能かもしれないって話だ。歴史的にも五体以上の使い魔を持った奴なんていねーはずだけどな……。ここにいるんだから、しゃあねえ」
「それは……本当に、大丈夫なのか?」
「まぁ、厄介だな」
その説明にファランシスは不安そうに顔をしかめる。
アマリリスは苛立たしげに髪を掻き上げ、ゲイルに視線を移して厳しい顔を突き合わせる。
「ゲイル。相手の目的は分かるか?」
「分からんな。魔物を操るのが楽しい、なんてことはないよな」
「そんな主体的なことは分からん。問題は、敵が何をしたくて動いてるかってことだよ。魔物を操るのに快感を覚えてるんなら、もっと大っぴらな動きをしてもいいんじゃないか? いくら魔物を一度に操れるのは一体限りとは言っても、動きが小さすぎる。餌が欲しいなら街にそのまま放てばいいし、操るのが目的でも同じことだろ。それに何で、魔物が現れるのはいつもここなんだ?」
「この場所でしか魔物を放てない理由があるとか」
「何だそれ。例えば……あの森の奥に隠れ住んでるとか?」
アマリリスが指したのは、丘陵と面した深い森だ。王都の西側に広がる鬱蒼と茂った暗い森は、王都ができる以前から忌避されてきた場所だ。あまりに深く広く、暗い――得体の知れない土地。その面積は王都全体の倍以上の広さを誇ると言う。
魔物の出現範囲から見て、何がしかあの森に隠されているのは確実だ。
「あの森がどうなってるか、調べられないのか?」
「無理だ。あの森は魔力を多く孕みすぎてる。普通魔物ってのは体内の魔力が大きいから、魔術の索敵に引っかかるんだ。でもあそこじゃあ、森の放つ魔力が魔物の魔力を隠しちまって、探せない。しかも森の魔力に阻害されて魔術も威力が落ちる。
もし調べるんなら、俺たちが自分の足で入って地道に調べないと。でもそれをするのは危険すぎるし、魔物以前に迷子になって出られなくなる可能性が高いぞ」
「何つー、ジレンマなんだ」
「まったくだよ」
ゲイルとアマリリスは困惑顔で顔を見合わせ、ため息を吐いた。
これ以上議論しても答えは有用な出てきそうにない。情報が少なすぎるのだ。
渋い表情で黙り込んだゲイルを尻目に、アマリリスは疲労と共に開き直った。
「分からん! もう様子見しかできないな。魔術師本人が動き出してくれたら早いんだけど」
「その魔術師を捕まえられそうかい?」
「捕まえなきゃなんないだろ」
ファランシスの確認にぶすりと答えたアマリリスは、ふっと自分が持ってきた荷物を目の端に見つける。それから偶然とはいえ、双子の秘密に触れてしまったファランシスを見る。
二つを交互に見つめたアマリリスは、魔物とはまったく別の件で閃いた。
「そうだ。この際だ。献上品を完成させるか」
「何? 何のことだ、アマリリス」
二人のいぶかしげな視線を無視し、アマリリスは自分の荷物の中身を漁った。すぐに中から、しまっておいた王妃に献上する短刀が出てくる。
アマリリスの取り出したものを見て、ファランシスは目を見張る。
「それは」
「王妃への献上品」
「できているではないか」
「できてない」
「では、それをどうするのだ?」
まぁ見てろ、と笑ってアマリリスは二人から距離を取る。着いて来ようとした二人を押し留め、アマリリスはある程度離れた芝生の上に短刀を置いた。
困惑するファランシスとゲイルに、にやりとした顔で言い放った。
「最後の仕上げだ。ちゃんとそこで見てろよ! それと、間違っても俺がいいって言うまでこっちに来るなよ。身の安全を保障できないからな」
厳しく二人を睨み付けて念を押すとアマリリスは短刀の傍に膝をつく。
アマリリスが思い至ったことは至極単純なことだった。もともと王妃に献上する短刀は魔力を注ぎ込み、王家の血を取り入れてしまえば魔導具として完成するはずだった。ここで問題だったのが、どうやって王家の血を手に入れるか、である。それがファランシスに魔術の存在を知られたことで、今なら簡単に解決できると気づいたのだ。
それは現状で唯一の嬉しい誤算だった。
「展開。《我、汝を創造せし者》」
万が一にも失敗するわけにはいかないので、術式を省略せずに正当な手続きを踏むことにする。
短刀の下の地面に淡い魔方陣の原型が現れ、鞘に刻まれた文様が同じ色に輝く。魔術的な意匠のひとつひとつに意味があり、待機状態になっているそれらを今から起動させるのだ。
「配置。《影響範囲:血統に基づいた者、半径一メル》」
短刀の下で魔方陣がくるくると回り、奇怪な模様を次々と規則正しく編んでいく。
この時点に至るまでに短刀に魔術文様と古語を彫り込んでいるので、術式は確定されている。アマリリスは魔術でそれを再確認し、短刀に刻まれた術式に沿って魔術を発動させるだけでいい。
本来はアマリリスが緻密な作業を為すところを、ずいぶんと楽な感覚で魔術を発動させることができそうだ。
「術式発動。《我が意に沿い、我が意に応えよ》」
魔方陣から光の粒子が立ち昇り、きらきらと短刀に降り注ぐ。短刀に刻まれた文様も一際強く輝き、今や文様はくっきりと短刀に浮き上がっていた。
それと一緒にアマリリスの身体から魔力が抜け、短刀に流れていく。
アマリリスの魔力保有量を鑑みれば微々たる量だが、平均的な一般人の魔力と同じくらいの量が、この魔導具を創造するために必要となった。
「発動。《刻め》」
アマリリスは成功を確信して最後の魔術詞を唱える。
短刀の下で魔方陣はぱっと強く輝き、花が散るように一瞬で消え去った。鞘の文様も同じように一瞬で輝きを収め、元の平常の状態に戻る。
一見するだけなら普通の短刀が芝生の上に残った。
全ての術式が完璧に発動したのを見届けるとアマリリスは短刀を持ち上げる。その鞘からすっと短刀を抜くと、その白刃に刻まれた古語が淡く輝いている。
アマリリスは満足げに笑って、ファランシスとゲイルを振り返った。
ゲイルは興味深そうに、ファランシスは呆けた顔でアマリリスを見ている。
「一体何をしてたんだ?」
「ちょっと魔導具を造ってみた」
「魔導具? そんなに簡単にできるものなのか?」
「うーん。俺のは魔力量にものを言わせてる部分もあるけど、多分大丈夫だろ」
普通なら魔導具ひとつ造るのに魔術師は長い時間をかけた苦労をするものだが、アマリリスは物の創作に関してはサフィニアにも真似できなほどの才能を有していた。
苦笑をしてそんな事実は誤魔化し、ファランシスの前に行く。間抜けな顔を見せている王太子に、アマリリスは刀身の部分を見せて言った。
「ファランシス。血をくれ」
「……は?」
「だから、血。一滴でいいからこの刃の上に落とせ」
「な、何故だ?」
「いいから」
ファランシスの当惑も最もだが、説明は面倒なのでぐいっと短刀を押し付ける。
短刀とアマリリスの顔を交互に見比べたファランシスだったが、数秒後には渋々従った。服の袖から護身用のナイフを取り出し、指の先を切る。
ファランシスの血が一滴、刀身の上に垂れた。
落ちた一滴の血は刀身を滑らず、淡く古語を輝かせる刀身ににじむようにして吸い込まれた。同時に刃の上に小さな魔方陣がいくつも閃き、消える。
アマリリスはそれを満足げに眺め、刀身を鞘にしまった。
「よし。これで完成だ」
「……完成?」
「ちょうどいい。ファランシス、性能を試してみろ」
アマリリスはにやりと笑って短刀をファランシスに渡す。
受け取ったファランシスは戸惑いがちに鞘を抜いた。現れた刀身の古語は先ほどまで放っていた淡い光をすでに収め、少々風変わりな普通の短刀になっている。ファランシスはそれに安堵とも落胆ともつかない複雑な表情で見つめた。
そんなファランシスを横に置き、アマリリスはゲイルに気軽に提案する。
「ゲイル。ちょっとこいつに斬りかかってみてくれ」
「「は?」」
ゲイルとファランシスは揃って目を丸くする。
アマリリスは悪戯っぽく笑うと、明らかに面白がる表情でいいから、とゲイルを促す。
「大丈夫だから。本気でこいつに斬りかかれ」
「いや、でも。俺、この人の護衛だぞ」
「だから、この短刀の性能を試したいだけだって。魔導具なんだよ。ファランシスには傷一つつかないから安心しろ。――たぶん」
「今、さらっと不安を煽ることを言わなかったか?」
「空耳だ」
半信半疑の表情でゲイルはアマリリスとファランシスを交互に見る。だが、アマリリスの自信に満ちた表情を見て諦念のため息を吐くと渋々腰に下がった神剣を抜いた。そのまま、ある程度距離を取って構える。
神剣の切先を向けられたファランシスは自然と息を呑んだ。
すっと厳しい表情になったゲイルが、疾走して神剣を振りかぶり、その刃がファランシスに届くかと思われたその時――バンッと激しい衝突音が響いた。
「おおっ。やっぱり成功だな」
えっ? という顔でゲイルは巨体を大きく宙に浮かせ、衝突の反動で後方に弾き飛ばされる。
それを目の前でばっちり目撃したファランシスは唖然とする。アマリリスの軽い一言がやけに印象深く耳に届いていた。
数秒後、十メルほど離れた場所にゲイルは身体を投げ出し、彼と大地のこすれる音が響く。続いて辺りに響いたのはゲイルの呻き声だった。
「っ……いったい何が起きたのだ?」
はっと我に返ったファランシスがアマリリスを仰ぎ見る。
鬼気迫る顔で説明を請われたアマリリスは、どこか誇らしげな顔で口を開く。
「俺の魔術で一定条件下で発動する魔術を短刀に付加したんだ。例えば、」
とゲイルを指差す。
「ゲイルみたいに害を加えようとした奴が至近距離まで来ると、小結界が張られて防いでくれるし、今みたいに相手は衝撃波を受けて吹っ飛ぶ。あの衝撃波はけっこう、身体にくるぞ」
二人の視線の先では、アマリリスの言葉を証明するようにゲイルがふらふらと立ち上がっている。その顔は苦しそうに歪み、とても大陸で傭兵をしていた歴戦の男には見えない。
身体を鍛えてあれなのだ、一般人ならば気絶していただろう。
「ちなみにこういう、魔術を一定条件下で発動させる単体を魔導具という」
「それは……凄いな」
「勿論、普通の短刀としても使えるさ。ただ、そこまで丈夫に作ってないから手入れは怠るなよ。劣化防止の魔術なんて付加してないからな」
そこまで言ってアマリリスは劣化防止のための魔術も付与しておくべきだったと考える。
しかし単に劣化防止、と言っても、その効果を出すために付与する魔術の数は片手の指の数を超える。今からでは間に合わない上にすでに鞘も刀身も完成していしまっている。時間があれば再製作も可能だが、時間は差し迫っている以上、それは高望みしすぎだろう。
「あと、その短刀。王家の人間にしか抜けないからな」
「何故だ?」
「さっき、お前の血を垂らしたからだよ。お前と同じ――つまり、王家の血を引いてない奴はその短刀を鞘から抜けない。もちろん、魔術的な効果も働かない。王家の人間以外にとってはがらくた製品だな。ま、製作者の俺と俺の血筋は別だけどな」
この世で短刀の鞘を抜けるのは、王家の人間とウィンターソン家の人間だけということになる。しかしもう一ヶ月もしない内に双子は死に、今度こそウィンターソン家の血は途絶える。それは事実的に王家の人間にしか扱えなくなることを意味する。
「アマリリス。それでは短刀の手入れができないのではないか?」
ふっと眉を寄せて言われた言葉にアマリリスは意表を突かれ、黙り込んだ。
正直な話、そんなところまで考えていなかった。アマリリスにとって武具とは自ら磨くものであって、他人任せにするものではなかったからだ。
たらりと冷や汗を流したアマリリスは、無理矢理笑みを作って強引に言い切った。
「それくらい自分でやれ!」
「何だそれは」
「忘れてたんだよ。ま、王家の人間直々に手入れされるほどの価値はあるぞ。たぶん、この国で魔導具を造れるのは俺だけだからな。のちのち稀少品になる」
何せ三百年後には宝剣になっているくらいだ。
そんな確証など知らないファランシスは呆れ顔でアマリリスを見る。
「いい加減すぎないか」
「そんなことはない。絶対に役立つ日が来る。王妃には適当にそこらへんをぼかして渡しといてくれ。いつか、使われる日が来たらばれるだろうけど」
「ああ。分かった。――貴重なものを、感謝する」
ファランシスは嬉しそうに言い、大事そうに短剣を持ち直した。
製作者としてファランシスのその行動はとても嬉しい。自分の造ったものが大事にされるなら、これ以上に嬉しいことはない。
そこへ、ややふらつきながらゲイルが戻ってくる。
「お。大丈夫か?」
「そんなわけあるか。俺を何だと思ってんだ」
「ちょうどよく居合わせた実験体?」
「……」
いっそすがすがしいほど言い切ったアマリリスをゲイルはじとりと見つめる。
そんな視線をものともせずアマリリスは平然としていた。言葉を繕ったところで意味はない。
「ふむ。ゲイル。この鞘を抜いてみてくれ」
アマリリスの言ったことを試すつもりなのだろう。ファランシスが短刀を差し出す。
それを受け取り、ゲイルはげっそりと疲れたつぶやきを洩らす。
「貴方も俺で実験するつもりですか……」
それを笑顔でファランシスが無視し、ゲイルは余計疲れた顔になる。
言われた通りゲイルは鞘から短刀を抜こうとしたが、その強力を前にしても鞘はぴくりともしなかった。
ファランシスはその様を感心した顔で眺める。
「凄いな。これはこれで便利そうだ」
「便利?」
「短刀として以外にも使えそうだよ」
「へぇ? どんなふうに使うつもりだ」
興味深い言葉に聞き返すと、ファランシスは笑って語った。
「昔な、女癖の悪い王がいたのだ。たしか三代前の王だったはずだ。その王が手当たり次第に女に手を出すから、ころころ子どもが生まれ、王子王女がたくさん生まれた。それは喜ばしいことだが、問題なのはその子が本当に王の子か、分からなくてなぁ。何せ、人妻にまで手を出していたから。それで壮絶な跡目争いが起きたのだ。何せ、この子は王の子だと偽証言が山ほど出てきたらしいからな。
その点、この短剣があれば王族かどうか一発で判明するではないか」
ファランシスの語った内容に、アマリリスは複雑な表情になる。
たしかにそういう使い道もあるだろう。だが、そんなふう使うために造ったわけでない。
「……まぁ、勝手に使え」
やや不満はあるものの、短刀の持ち主はファランシスであり、王家だ。製作者の手を離れたものに、製作者が使い道の文句は言えない。
複雑な表情をするアマリリスを無視し、ファランシスは突然きらきらと輝く笑顔になる。
「さて。アマリリス、王城に参ろうではないか」
「は?」
「母上に直接渡してもらう、と言っただろう」
「忘れてなかったのかよ」
「もちろんだ。倒した魔物の処理も頼まねばならん。……こら、アマリリス逃げるな。ゲイル、捕まえてくれ」
じりじりと後ろへ下がって逃げようとしていたアマリリスは、その言葉に脱兎のごとく逃げ出した。だが追ってきたゲイルにあっけなく捕まり、軽々と小脇に抱えられる。
アマリリスは悲鳴を上げて嫌がった。
「うぎゃあっ、何しやがる! ゲイル、離せ!」
「少し落ち着いてくれ。抱えにくい」
「だ・か・ら! 抱えてもらう必要なんかない!」
「そうしなきゃ逃げるだろう」
「当たり前だ! お前、女中さんたちの餌食になるのがどれだけ怖ろしいか知らないだろう!? てめぇが着せ替え人形になれ!」
王城に招待された日の悪夢はまだ記憶に新しい。もう二度とあんな格好になるのは嫌だった。
アマリリスは全力で抵抗するが、ゲイルの男にしても強い腕力の前ではどうにもならない。
魔術で逃げてしまえばいいのに、その時のアマリリスはすっかりその選択肢を忘れていた。つい、人前で魔術を使わない、という身に染み付いた日々の鉄則が現れてしまったのだ。
「あっははは。そんなに嫌なのか? 普通の女性は喜ぶものだろう」
「俺を“普通の女性”でひとくくりにするな! 男に生まれたかったくらいだ」
「たしかに男勝りな性格ではあるようだな」
「ニコニコ笑ってじゃねぇっ! ファランシス!」
怒鳴るがファランシスの表情はまったく変わらない。どころかこの状況を楽しんでいるようだ。
憎々しげにアマリリスは二人を交互に睨むが、効果はあまり見られなかった。
かくしてアマリリスは王城にやむなく連れ去られたのだった。
*****
ぼすんっと柔らかい音を立ててベッドに沈み込む。さすがに王城のベッドは高級品だけあって寝心地は最高だ。双子の小さな家に設置したベッドとは格段に差のある寝心地は、遥か昔の記憶を刺激する。
十年以上も前、両親のいた頃に寝ていたベッドはこんな感触だった。
ぐったりと白いシーツにしわを作りながら、アマリリスは身体から力を抜いた。
場所は王城の客室。今回アマリリスに特別に与えられた部屋だ。いくら王太子の友人だからと言って、これほど豪華な部屋を無償で与えられていいのかと思う。
それでも今だけはその心遣いが嬉しかった。例え、今の疲労の原因が相手方にあろうと。
時はすでに夜中だ。部屋全体が暗闇に包まれ、灯篭から漏れ出る光が部屋を照らしている。
昼間、ファランシスに連れ去られたあとに待っていたのはまさしく地獄だった。予想通り、女中たちに着せ替えられ、身体を悲鳴を上げながら磨かれ、化粧し、王妃の前に放り出された。
アマリリスがもっと普通の女子らしい感性を持っていたなら、高級なドレスを着て化粧もされる状況を楽しめたかもしれないが、アマリリスにとっては忍耐との闘いだった。元は名門のお嬢様のアマリリスだが、幼い頃に受けた待遇とほぼ同じものを今受けるのは、意外に嫌なことだった。もはや平民の暮らしの方がよっぽど楽だと断言できる。
「あー、くっそう。次会ったら絞め殺してやる」
ファランシスに殺気だった呪詛を送っていると、アマリリスの意識は朦朧としてくる。
本当に今日は散々な一日だった。ロジャスティンとリックとは喧嘩まがいのことをして、さらにファランシスに魔術師であることはばれる。さらに問題の魔物を従える魔術師の足取りは追えず、調子に乗ったファランシスに王城で遊ばれ……。
これまでの人生でも最悪な一日ベスト十に入りそうな一日だ。
いい感じに眠りに落ちようかという頃。
コンコン、と客室の扉をノックする力強い音が耳を捉えた。
「っどこのどいつだぁ! 阿呆!」
最悪のタイミングで睡眠を邪魔されたアマリリスは怒声を上げて起き上がった。
何故今日はこんなに悪いことが続くのか。何か悪いことをしただろうか?
額に血管を浮かべたアマリリスは憤怒の表情で客室の扉を勢いよく開ける。
扉の向こうにが呆れ顔で既知の人物が立っていた。
その人物の姿に、直前までの怒りが驚きと共に一散する。
「何やってんだ? アス」
そこに立っていたのは、見慣れた平民服ではなく、貴族の格好をした親友だった。
「ロ、ロジャー。何でここにいるんだ?」
しかもそんな格好で。
唖然と立ち尽くしたアマリリスの顔から言いたいことを察したのか、ロジャスティンは肩をすくめて苦笑した。
「これでも侯爵後胤だからね。ある程度ちゃんとした格好をしないと登城できないんだ」
「そ、そっか」
「アスもアスで珍しい格好じゃん」
「え? あ、ああっ! うわっ、ちょ、……出てけ!」
言われて初めてアマリリスは自分の格好を思い出した。
そうなのだ。女中たちに普段の服を取り上げられて、今は別の服を纏っているのだ。夜に纏う物――つまり夜着である。それも、貴族のお姫様が着るようなひらひらしたものだ。
アマリリスは羞恥に顔を真っ赤に染めると、開いた扉を閉めようとする。
しかし、ロジャスティンは苦笑してそれを押し留めた。
「な、何のつもりだよ! つか、何しにきた! 昼間のこと、怒ってないのかよ!」
頭に血を昇らせてアマリリスは絶叫する。
そう。二人は珍しく喧嘩別れのような状況で別れたはずだ。一日も経たずして平然と顔を見せるロジャスティンが信じられない。
ロジャスティンは苦笑して言った。
「いや。もうそろそろ頭が冷えたかと思って。昼は何だったのか、聞かせてもらうよ」
「そ、それはっ! 条件反射というか」
「ああ。やっぱり? 取り合えず、中に入れてよ。ファランシスの許可は取ってるから」
「そこは俺の許可を取れよ! だいたいだな、こんな夜中に女の部屋を訪ねてくんな!」
「今更それを言う? いつも工房で同じ部屋で仮眠取ったりするのに」
「それと今とは状況が違う!」
押し問答の結果、アマリリスの方が押し切られてしまった。
まさかこれでロジャスティン相手に徹夜するはめになるとは、さすがにこの時は思ってなかった。