第十一話:コーネリア
サフィニア視点です。
多くの墓の中にひっそりとその墓はあった。適度に磨かれ整備された墓はまだそれほど傷んでいない。墓石の周囲も雑草が生い茂っているわけではなく、綺麗に整備されていることから、親族が何度も訪れていることが窺えた。
『コーネリア=ディルモンド』
墓石には簡素にその名だけが彫られていた。
オスカーは墓の両脇にある花差しに持ってきた花束を二つに分けて供えると、ふっと微笑してサフィニアを振り返る。
「ここが俺の母さんのお墓。一度、サフィーをここに連れて来たかったんだ」
「……亡くなられてたのね」
「六年前にね。サフィーは会ったこと、なかったっけ?」
「小さい頃に何回か、あるかな」
とは言え、本当に片手の指の数ほどしか会った記憶はない。それも、双子がこの異国の地に来たばかりの頃の話だ。オスカーの母親らしき女性が双子の引き取られた孤児院に何度か来ていた。
内気なサフィニアではろくに話はできなかったし、祖国を追放されたばかりで精神的にきつい時期だったため、彼女との関わりは薄かった。
ただ、昔時折訪れていた彼女がオスカーの母親だということしか覚えていないのだ。
「小柄で元気な人だったんだ。孤児院のエナさんとも仲が良かった。いつもくるくるいろんな場所で動いてたんだけどね、六年前の秋に突然倒れた。その日は朝から頭が痛い、とか言ってたんだけど軽い風邪かと思って誰も気にしなかった。なのに、夕食作ってる時にいきなり倒れてそのまま死んだ。信じられないくらい、あっけなかったよ」
当時を思い出しているのだろう、オスカーは悔しげに眼を細めて墓を見つめる。
「本当に、誰も気付けなかった。気が付けば手遅れだったさ。葬式は親しい人だけ招いた小さなものだったから、サフィーが知らないのも無理はないよ。たぶん、友達の中でも知らない奴は多いんじゃないかな。俺の母親が死んでるってこと」
「後悔、してるのね」
「ああ。別れの言葉すら、言えなかったし聞けなかったから。母さんが苦しまずに逝けたことだけが唯一の救いだよ。でも、例え異変に気付いていても何の手の施しようもなかったと思う、ってのは今だからこそ言えるのかな」
「お母様のこと、好きだった?」
「好きだったよ。俺の自慢の母さんだった」
本心からの言葉なのだろう。オスカーは誇らしげな笑みを作って、そっと墓に触れる。
その背中を見ながら、サフィニアはそれ以上かける言葉を失った。懐古と哀愁が混じった背に、触れてはならないと思わされる。
一気にしんみりとなった空気を吹き飛ばすように、オスカーは話題を変える。
「サフィーたちの両親はどうなんだ?」
「私たちのお父様とお母様? うーん、私たちは両親の死に立ち会ってないわ。ただ、お母様は『これから何が起きても怨んではならない。誇り高きウィンターソン家の魔術師であることを忘れず、この世に生まれたことを後悔してはならない』そう言われたわ」
「立派な人だな」
「ええ」
『アマリリス、例えこれから何が起ころうと怨んではなりません。憎んでもなりません。サフィニア、貴方たちは誇り高きウィンターソン家の魔術師である事を忘れてはなりません。
誰が何を言おうと貴方たちがこの世に生まれ出でた事を後悔してはなりませんよ』
母の遺言となったその言葉を、一字一句違うことなく双子は覚えている。それは父の遺言でもあり、双子の十年間の生き様の指針となった。
けして故郷を恨まず、自分を哀れまず、たくましく生きていく支えとなったのだ。
「私たちは、両親の墓を訪ねることもできないわ。葬式も出してもらえなかった。――だから、いつでも墓参りができるオスカーが少しだけ羨ましい」
国家反逆罪を犯した両親の葬式は出されなかった。それどころか双子の出征に関わった血族は根絶やしに殺され、他者に悼まれることも許されなかった。墓があるだけ、マシだと言える。両親の墓の隣には祖父の墓も並んでいるはずだ。
荒野にある、罪人たちの墓場の一角に。
双子は真理の魔術でその事実を知って以来、ずっと親の供養も墓参りもできないことが悔しかった。サフィニアが魔術の改良に熱を入れた理由のひとつは、両親のいる墓を一度でいいから訪れたいと願ったからだ。転移の魔術が大幅に改良できたのには、そんな背景がある。
(でも、私たちは結局お墓参りなんてしてない)
転移の魔術が改良された今、簡単に双子は大陸まで行ける。もちろん、墓参りだってできる。それでも、双子はいまだに両親の墓を訪れていなかった。
一つ目の理由として、“予言の子”として有名な双子が大陸に一歩でも踏み入れるのは大変危険であること。
二つ目の理由として、もし墓参りをしてしまえば母の遺言を違えてしまいそうだから。
荒れ果てた墓を見て、双子が自我を失うほどの激怒をしない理由がない。双子の実力なら、大陸でも最も大きな領土を誇る祖国を魔術一撃で半分以上を焦土にできる。
罪人墓場で、誰にも振り返られず、そこらに転がっていたやや大きめの石を置かれただけの墓。粗末でいい加減で、寂しく不名誉な墓。
双子を助けたために、そんな場所で眠ることになった両親に合わせる顔がなかった。
「オスカーはよく、お墓参りしてるのね?」
「あ、ああ。三ヶ月に一回は来るよ。俺以外にも、来てる人は多いと思う」
暗い気分を払拭しようとオスカーを振り返る。
双子の過去を知る彼は、その顔にはサフィニアに対する心配と気遣いが浮かばせていた。それでも努めて平静を装って答えてくれる。
そんなに酷い顔をしていたのだろうか、とサフィニアは申し訳なく思う。
確かに双子にとって両親や自分たちの身に襲いかかった過去は悲惨で、今でも思い出せば怒りを覚えずにいられない。しかし十年でそれらの想いと折り合いを付け、心の整理はもうできている。彼に心配をかけてしまうほどのことでもないのだ。
「そっか。オスカーのお母様は幸せね」
「そうだといいけどね」
「きっと、そうよ。たくさんの人に墓参りしてもらえるってことは、それだけその人が愛されてたってことなんだから」
サフィニアは改めて目の前の墓を見つめる。
これだけ綺麗に保たれた墓に眠っているのだ、清くまっとうに、美しく生きた人なのだろう。コーネリア=ディルモンドという人は。
サフィニアはオスカーの隣に並ぶと、座り込んでお墓に手を合わせた。目を閉じて静かに黙祷を捧げる。
(オスカーを、生んでくださってありがとうございます)
サフィニアはこの大地でオスカーの存在に救われた。
誰よりも先にサフィニアに手を差し伸べてくれた彼に恋をして、恋人になれて、今とても幸せなのだ。この墓に眠る女性がいなければ、オスカーが生まれることはなかったのだとサフィニアは感謝する。
「オスカー。また、今度一緒に来てもいい?」
「そのために、連れてきたんだ。母さんにサフィーを紹介しておきたかった」
真剣な目でオスカーはサフィニアを見つめてくる。
そして、墓に向かっておもむろに彼は言葉を続けた。
「母さん。この人が、俺の好きな人だよ。――赦してくれるよな」
オスカーの最後の言葉には、『結婚を』という言葉が隠されていた。サフィニアの知らない水面下で進む結婚式に招くことができないからこそ、オスカーは今の内に報告しておきたかったのだ。
そんな恋人の心境など露知らず、サフィニアは心の中でささやいた。
(私が死んだら、貴方に一度でいいから会って話してみたいです)
もし、本当にあの世という場所があるなら、だが。
冗談でもオスカーにそんなことは告げられないから、言葉にはしない。
死んだら、双子は十年ぶりに両親に会えるだろうか? そうであったらいい、と思った。
「もうそろそろ帰ろう。日も傾いてきたしね。早く帰らないと俺がアマリーに叱られるよ」
「う……、そうね。アマリーは怒らせたくないわ」
アマリリスは怒ると特段怖い、ということはないが、怒らせるのは得策とは言えない。アマリリスはサフィニアに対して怒っている時、無言で家を出ていく。それから過去最長一ヶ月ほど家に帰ってこなかったことがある。その間、取りつく島もないどころか、会うことすらできない。謝る機会すら与えられないので、その間罪悪感にしくしく胸を痛ませることになる。
しかもアマリリスと喧嘩する時は決まってサフィニアの方に原因があるのだ。アマリリスはやはり姉なのか、サフィニアに関してとても許容範囲が広い。だから喧嘩になることはほとんどないが、サフィニアが無茶をした時にアマリリスはよく怒る。
今回も言いつけを破って無茶をすれば、アマリリスは怒るだろう。残り少ない時間を姉妹喧嘩に費やすほどサフィニアも愚かではないつもりだった。
過去を振り返って苦笑を交わした二人は、墓に揃って頭を下げると墓場をあとにした。互いを離さないよう、しっかり手を繋いで元来た道を戻る。
しかし、二人の懸念に反してそれから二日間アマリリスは家に戻ってこなかった。
*****
絶対安静を言い渡された三日間は、サフィニアにとって穏やかなで至福の休日だった。
その代わり、アマリリスは二日間帰ってこず、『真理の渦』を見た直後であることもあってサフィニアの心配の種になった。
「はぁ」
ふっとした瞬間に、小さく無意識のため息を吐いてしまう。
ここ最近は鍛冶仕事に熱中して家に帰って来ないこともままあったから、今回もそうだと思う。なのに、今回だけは不必要に胸がざわついていた。
それを見咎めたオスカーが苦笑いをして言う。
「サフィー。あんまりため息を吐いてると、幸せが逃げるぞ?」
「そうよね、ごめんなさい」
「俺が工房に行ってみようか? アマリーの顔を確認してくるくらいならできるだろ」
「ううん、それはいいや。多分、大丈夫」
アマリリスの身は心配だが、それよりも問題なのは、アマリリスが傍に居ないことを自分が必要以上に心細く思っていることだった。
(やっぱり、早く相談したいのかな)
魔術を禁止されているなら、とサフィニアは『真理の渦』で回収してきた情報の分析を試みた。その中で最も注目すべきは、やはり島国を覆う大結界だろう。考えてみても、馬鹿げた話である。国一つを強固な結界で覆い続けるなど、無茶苦茶だ。
例えできたとしても、結界としての防御能力がいちじるしく低下した、薄く脆いものができるはずだ。強固な結界にはそれ相応の代償――つまり、魔力と技術が必要なのだ。
(私とアマリーの魔力を合わせても、そんな大規模なものは造れない)
普通の魔術師をあと三百人は集めないと、造れない。
(二十八歳の私になら、ぎりぎりできたかもしれないけど)
本来、サフィニアの寿命は二十八歳であった。それをアマリリスに半分分け与えたために、サフィニアの寿命は十八歳まで縮んだ。その死因は、人間の身体の毒となるほどの魔力を身の内に溜め込んだからだ。計算して今の双子の全魔力の二倍近い魔力を。
そんな量の魔力をまっとうに操れるのは、それこそ神域に踏み込んだものくらいだ。まず、人間には無理である。だからこそ、サフィニアは身の内の魔力を放散できずに溜め込んで、魔力に脆い肉体の器を腐食されて死ぬはずだったのだ。
(でも、大結界がある未来があるってことは、どこかに見落とした考えがあるはずなんだけど)
これがさっぱり、思いつかないのである。
だから直接未来を実体験したアマリリスの話をもっと詳しく聞きたいのだが、当人の音沙汰がないわけである。
「あれ? 私ってずいぶん薄情な理由でため息吐いてる?」
確かにアマリリスの身は心配だ。だが双子の姉は家にいるより工房にいる方が最近では長いくらいで、『真理の渦』の件をのぞけばアマリリスを心配する要素はあまりない。それとて、アマリリスなら一人で自己解決できると踏んでいる。
つまり最近の憂鬱の原因は、遅々として進展しない魔術結界の方にあるのではないか。
そう思い当るとサフィニアは妙に納得した気分になった。
「薄情? サフィー、何の独り言?」
「あ。何でもないから、気にしないで」
「そうか?」
「それより、今日は私が夕飯を……」
「駄目」
「えー。もう約束の三日目よ? ほら、元気だし魔力も体力も万全よ? 料理くらい」
「だーめ! 今日までは俺の仕事だろ。そこで大人しくしてな」
夕食時。
普段ならサフィニアが台所に立って料理を始める時間帯だが、ここ三日間は一度も台所に立っていない。代わりにオスカーがそこで料理をしてくれている。
嬉しい半分、困り半分な気分でサフィニアはここ数日オスカーの接待を受けていた。
世の主婦たちの多くが羨ましがるほど、オスカーは甲斐甲斐しく動く。家事全般は普通にできるし、家事を面倒がらないとても家庭的な性分だ。
しかし、料理好きのサフィニアは長い間炊事ができないことに慣れず、どうしてもそわそわしてしまう。今日も今日とて駄目だしされたサフィニアは、少し自分の両手を見つめた後にいさぎよく諦めた。
どうせ今日までの我慢だ。明日の朝食は必ず自分で作ろう、そう決意する。
サフィニアは手持ち無沙汰な暇な時間を、魔導書を読むことで費やした。
もちろん、自分で書いた魔導書である。この島国には、魔術師なんていないから他に魔導書なんてない。あってもオカルトと遊び混じりの根拠のないマイナーな本ぐらいだ。とは言え、世に出せばサフィニアの本とてオカルト本の仲間入りだ。
「あった、ここ間違ってるわ。直さないと」
確か今手にした魔導書を記したのは、五年前くらいか。手の中の紙束を眺めてみる。ちょうど、サフィニアが魔導書を書き出した頃で今と比べてつたない文章が目立つ。
魔導書、といってもそれらは実験記録と成果をまとめた羊皮紙を、種類別に分けてまとめただけの代物だ。本の形に編集されてはいない。
これらが後世―-それこそ三百年後にまで残るなら、今の内に魔導書の整理をしておく方がいい。なにぶん、遊び半分に記したものだから間違って書かれたものも多い。
(それと、今度オスカーに編集してもらってちゃんとした本にしてもらおうかな)
だが、これらを量産するつもりはなかった。魔導書は腐っても魔導書で、むやみやたらに他者に見せてしまったら取り返しのつかない事態になりかねない危険なものだ。
特に魔術の概念がないこの国で、やたらめったら内容を試されたら魔術の暴発など簡単に引き起こされる。他にも、魔導書を正しく理解した人物がそれを悪用しないとは限らない。
「鍵をかけておこうかしら?」
魔術で魔導書全てに使用条件を付加しておけば、条件を満たす者しか魔導書を使用できなくなる。どころか、内容を理解することもできない。
大陸では『使い手を選ぶ魔導書』なんて山ほどある。それらのほとんどが古書とされる、貴重な文献だが、未だに紐解かれず宝の持ち腐れ状態になっているものも多い。
そうだそうしよう、とさっそく魔術を使おうとしてサフィニアはと我に返る。
(あ、危ない危ない。今日まで魔術は禁止だったわ)
慌てて持ち上げかけた手を下ろし、胸をなでおろす。
この三日間よくした動作で、いかに自分が魔術に依存してきたか分かる動作だった。
もう魔導書を見るのはやめておこう、と紙束から手を離した。
その時、がちゃっと玄関の扉が開かれる音と誰かがばたばたと入ってくる物音が立て続けに聞こえてきた。
「アマリー!?」
やっと帰ってきたのか、とサフィニアは顔を輝かせて立ち上がる。その際に膝上においた魔導書がばさばさと落ちて慌てて拾った。
それらをきちんと整理して机の上においたサフィニアが居間を出ようとすると、ぬっと顔をだしたアマリリスと鉢合わせた。
「アマリー! お帰り。……すごい隈ね」
「ただいま。そんなに疲れた顔してるか?」
「うん。もの凄く不健康な顔よ。一気に老けた感じだし、ちゃんと睡眠取ってるの?」
「それがここ二日徹夜続きなんだよ。だから、寝かせてくれ」
言うが早いか、アマリリスはふらふらとした足取りで居間にあるソファーまで行き、倒れこんだ。勢いよく、どさっとソファーに沈み込む。
「アマリー、帰ってきたのか」
騒ぎを聞きつけたオスカーも台所から顔を出す。
アマリリスはそちらを見もせずに手を振って応えた。
いい加減な対応にオスカーも目を丸くし、サフィニアと顔を合わせる。
「大丈夫かしら?」
思わずつぶやいたサフィニアだが、返答はまったく予知しない場所から返ってきた。
「いろいろと工房でごたついてたからな。体力の限界なんだろう」
「っ……!? ゲイル!」
「久しぶり。少しお邪魔させてもらう」
サフィニアとオスカーが驚く中、居間に顔を出したのは小さな家に似つかわしくない鍛えられた巨体だった。王家に雇われているゲイルである。
困惑する二人をよそに、ソファーで死体さながらになったアマリリスが疲れた声で言う。
「あー。もう、俺ここ動きたくねえ。ゲイル、そこらへんの椅子に座ってくれ。あとはサフィーに任せる」
どうやら連れて来たのはアマリリスで間違いないようだ。
困惑しながらもサフィニアはゲイルに傍にあった椅子に座ることを勧めた。
ソファーは完全にアマリリスに占拠されたため、新しく椅子を持ってきてサフィニアも座る。
オスカーは一度居間を見回して台所へ戻って行った。
「ゲイル。えと、いきなりどうしたんですか?」
「あー、その前に。この前はすまなかったな。現場にいけなくて、全部あんたに任せっちまった」
「え? ああ、大丈夫ですよ。住民の人々を抑えてくださったんですよね? ありがとうございます。今度からはしっかり影響遮断の結界を張って魔術は使いますから」
サフィニアに三日前のことを蒸し返す気はなく、それよりと現状の説明を要求した。
「話すとややこしいんだが、簡潔にまとめるなら、また魔物が出たってことだな」
「魔物が!?」
「ああ。彼女と二人で対応したんだが」
ゲイルの視線が一度アマリリスに注がれる。
当の本人は疲れきって話に口を出す気はないらしい。
サフィニアは魔術が使えない三日の間に起こったことに、悔しさ混じりに歯噛みした。
「正直なところ、魔物をあと何匹狩ればいいのか、さっぱりだな。この短期間で魔物が繁殖した可能性もあるわけだしよ。それで一昨日の夜、五人、西区で犠牲者が出た」
「犠牲者が! それは」
「魔物だな。俺たちが駆けつけた時には、すでに魔物は逃げてたよ」
「逃げられた? どんな魔物かも分からないんですか? アマリーがそこにいたんなら、転移の魔術ですぐに行けたはずですよね? それでも発見できず、逃がしたって言うんですか」
赤獅子が襲ってきた時同様に、この三日間はサフィニアに代わってアマリリスが王都全体に探知の魔術を仕掛けていた。だから、反応があれば一瞬で現場にアマリリスが駆けつけることができたはずだ。取り逃がすことなど、ほぼ有り得ない。
だが、現実にはそうならずゲイルは否定の言葉を吐き出した。
「どうにも今回は事情が違ってね。彼女と転移の魔術で転移したところ、座標とは違う位置に強制的に転移させられた。座標に近い場所に転移していたからすぐ向かったが、その場にあったのは五人の食い荒らされた死体だったのさ」
「強制的に? つまり、魔物が現れた場所――座標の位置に人避けなどの結界が張られていた可能性がある、ってことですね。つまり今回の魔物騒動にはやっぱり魔術師が絡んでいる?」
アマリリスの魔術を妨害できるのは、魔術師だけだ。防御ではなく隠蔽の効果を持つ結界が転移先にある場合、転移は不可能となる。どころか魔術同士が反発しあって、まったく違うあらぬ方向に跳ばれてかねない。
今回は座標がぶれたとは言え、目的地の近くに出れたというなら相手の魔術師の腕はアマリリスより下ということになる。
「そうだ。現場を調べてみたら、確かに魔術が使われた痕跡があった。それも低級の隠蔽までされていた。えーと、何だ? 魔術について詳しく知らないんだが、媒体の魔力を引き出して魔術を使う……」
「宝具術式」
ここでようやくアマリリスがのそりと上半身を動かし、話に乗って来た。
姉の口から出た名称に、サフィニアは目を丸くする。
「宝具術式って……凄い古典的な魔術ね?」
宝具術式というと、もはや魔術とすら言えない初歩の初歩の術式だ。近代の大陸では詠唱による魔術が一般的であるが、一昔前は魔力の篭った媒体を使って魔術を使う宝具術式が使われていた。
これが不便な魔術で罠や奇襲にしか使えない、廃れた魔術なのだ。
世界には至る所に魔力が溜まる場所があり、そんな場所にある石や水という無機物は自然と魔力を帯びるようになる。魔導具とはっきり違うのは、魔導具は何らかの特殊な能力を持っていたりするがそれらは魔力が篭っているだけで他の無機物と何ら変わらないことである。
しかし、時と場所と条件を揃えて配置したりすると特定の魔術が発動することがある。これまた偶然に期待する程度の発動率であり、運よく発動しても簡素で簡単な魔術ばかりなのである。魔力を孕んだ無機物は“宝具”と呼ばれ、“宝具”による魔術を宝具術式と呼ぶ。
今やその“宝具”も“魔力化石”と呼ばれ、上質の魔導具の生産に使われるているのが現状だ。
そんなわけで、サフィニアが目を丸くするのも当たり前な話だった。
「たぶん、魔方陣の模様を念頭に置いて配置したんだろうな。死体のあった場所を囲んで五隅に媒体の“魔力化石”――いや、“宝具”があった。ほら」
アマリリスが自分の服をまさぐり、手の平に乗るくらいの石を放り投げる。
それを受け止めたサフィニアがじっくり観察してみるが、どう見ても少し大きいだけの普通の石ころだった。
「これが本当に“宝具”の役割を果たしたの?」
「おそらくな。今はなんともないけど、さっきまでまだ微弱な残留魔力があったから間違いねえ」
「ふうん」
手の平で石を転がしながら、サフィニアは考える。
ずいぶんとおかしな話だ。宝具術式なんて面倒で効率の悪い魔術を使う理由がどこにあるのか。現場に居た魔術師は、本当にそこを隠蔽するつもりがあったのか?
時間稼ぎにしても効率が悪すぎるし、意図がさっぱり分からない。
「ただの無知な人間が魔術を使ってみた、としても無理があるわね。何で宝具術式なのかしら?」
「さぁな。ただ、分かってるのは相手が初級魔術師だってことくらいだ。あーっ、そんな奴に遅れを取ったなんてムカつく!」
宝具術式は廃れたと言っても、失われたわけではない。ごくまれにだが、宝具術式の使い手はいる。そのほとんどは魔術師かぶれの連中か、もしくは魔術の才能が極端にない魔術師である。彼らを指す名称は多々あるが、魔術の腕が良くない者を総称で初級魔術師と呼ぶのだ。
その点、今回関わっている魔術師は宝具術式を用いたことから初級魔術師と思って間違いないだろう。
「そうは言っても、宝具術式って瞬発的威力は媒体によったら凄いもの。とくに残留魔力が残るくらいなら、よっぽどいい“魔力化石”だったに違いないわ。売った方がよっぽどお金になって得すると思うんだけどな」
「サフィー、ここは大陸じゃねーんだから“魔力化石”なんてものに価値はねーって」
「ああそっか」
「犯人の考えがどうとかはおいといてだ、サフィー」
「うん?」
「魔物退治の方は明日からゲイルとサフィーに任せる。好きにやってくれ。代わりに俺はこれから二週間で魔剣を造ることにした」
前半部分はともかく、後半部分にサフィニアは目を瞬かせる。
アマリリスが昔、魔導具を造っていたことは知っている。しかし魔術を日常的に使いこなす双子にとって、魔導具はあまり用を為さない代物だった。魔導具というのは、下手な扱いのできない道具でもあるので、後生に悪用されることはあってはならないとアマリリスは生産をやめたはずだ。
それを承知しているサフィニアには意外感を隠せない。
「アマリー。魔剣を作ることにしたの?」
「まあな。正確には造らざるおえないというか。少なくとも、そこらの人間に簡単に扱えるものを造る気はないぞ。扱いにくく、強力で暴力的で壊滅的なやつを作ってやる」
「何それ」
「諸刃の剣、って感じ?」
「意味わかんないよ」
ともかく、普通の魔導具を造る気はないということか。
自分なりに納得してサフィニアはゲイルに視線を戻す。アマリリスの行動に関して、サフィニアは取り立てて干渉する気はなかった。短い人生だ、したいようにすればいいのである。
視線を受け止めたゲイルが姿勢を少し正す。
「最後になったんだが。今回の犠牲者で王家の方から通達があった」
「何です?」
「これまでの全犠牲者の数が今回の五人を合わせて約十二名。と言ってもこれは一般人の数だぞ。それで情報規制もそろそろ難しくなってくる。だからと言って魔物なんてふざけた話を広めるわけにはいかない。だから、もし次に魔物が出て俺が退治できなかった場合、軍が動く」
「軍!? いくら鍛えた兵でも一般人が魔物に対峙するのは無茶ですよ。しかも、軍が動くなんてことになったら大騒ぎになります。これまで以上にこちらが動けなくなりますよ」
「そんなに大事に捉えなくてもいい。軍の連中が実際に魔物退治するわけじゃねえ。
これだけ不審死が相次いだら軍が動かないわけにはいかないだろ? 王都で獣が出て人間襲ってるってんだから、民衆は当然軍が退治してくれるって思うはずだ。建前でも、そういう『働いてますよ』って姿を見せなきゃいけねーんだよ。実際に魔物退治をさせるわけにゃいかねーが、王都の巡回とか警備を今より建前的に強くする必要が出てくる。
だいたいあっちも軍が動いても手も足もでないことはよく分かってんだ。初期に魔物狩りに軍が動いてな、えーと何人だったか……二十人? くらい死んだらしい。
とは言え、軍が出張ってくると傭兵の俺とじゃ、上手い折り合いがつけられなくなる。少し動きにくくなるのは覚悟しといた方がいい」
「二十人……」
新たに追加された情報にサフィニアは呆然とした顔になる。
初期の頃はゲイルのみで魔物に対応していたはずだが、ゲイルが雇われる前に軍も一度動いたのだろう。その結果が二十人の兵士の殉職である。どんな魔物と相対したのか知らないが、魔物を相手取ったにしては軽い被害である。
しかしそれは大陸の基準であって、この島国では大きな被害だ。むしろそれだけの被害が出て、今まで情報規制ができている方がおかしかった。
「四十人だってよ」
「アマリー?」
「軍と一般人合わせて四十名までの犠牲者なら何とかなる。だけど、それ以上死者が出たら王家の力でも情報規制できないって言ってた。王都に不安が広がったら王家の威信とか経済状況とか政治に影響が出るし、四十人以上の死者が出たらさすがに事態が大きくなって何が起こるか分からないって我が国の王太子様が言ってた」
実のところ、三十以上の死を誤魔化せただけでも凄いことだと思う。
魔物の横行する大陸なら「仕方ない」で済ませられることが、魔物を認知しないここでは済まされない。その差はとても大きい。
「五体の魔物で死者が三十人弱ってのは、十分いい数字なんだがな」
大陸の常識を知るゲイルが嘆息する。
それに同意して頷きながらも、サフィニアは異を唱えた。
「それでも、三十人だわ。死者の数が少ないからって、いいことではないでしょう。三十人もの人が大切な命を奪われて、人生を終わらせてしまったことは忘れてはいけないことよ」
「まったくその通りだ」
「どっちも正論なだけに、反論できないな」
ゲイルが苦笑して肯定し、アマリリスがぼそりとつぶやいて嘆息する。
居間に居る三人の顔にはそれぞれに疲労が現れていた。
何もしてないのに気疲れしたサフィニアは、脳内で情報を処理しながらふっと首を傾げた。
「ねぇ」
「うん?」
「宝具術式を使った人って本当に初級魔術師なの?」
「は? 違うのか?」
「だって……。初級魔術師が、魔物を操ってるの?」
「「は?」」
サフィニアの指摘にゲイルとアマリリスは同時に目を丸くした。
「つまり、よ。犯人は『魔物に食事をさせて、さらに逃がす』ために宝具術式を使ったのよ。他にも別の可能性はあるけど、犯人が魔物のために結界を張ったのは確実なことでしょ。それってつまり――魔物を操ってるってことよね?」
それは怖ろしい予想だった。
魔物を従属させることはできない。だが薬品や魔術を利用すれば、数体の魔物を捕獲して行動を操ることは可能である。しかしその危険性は他の比ではなく、初級魔術師程度の人間に成せる技ではない。それを現在確認されている分だけでも、五体。有り得ない数字であった。
アマリリスとゲイルが無意識の内に見落としていた、大きな穴だ。
この時アマリリスは『真理の渦』で見た三百年後の光景を思い出していた。
「魔物を従えることができるようになったのかしら? ここ近年の大陸では」
引き攣った表情でサフィニアは首を傾げた。
こちらを見るアマリリスとゲイルの表情も心なしか引き攣っている。
「――最悪ね」
返事を返さない二人を見回し、サフィニアは顔をしかめてつぶやいた。
三百年後に繋がる因子はもうすでにこの時代から、現れようとしているのだ。
これが最悪じゃなくて何というのか。
サフィニアはこの日最大のため息を吐いたのだった。