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残華  作者: さーさん
12/39

第十話:初デート

サフィニア視点です。



 ふっと気づけば、上下も分からない黒と白の入り乱れた混沌の世界をサフィニアの意識は浮遊していた。

 サフィニアは不思議そうに首を傾げて周囲を見回し、すぐに納得する。

 これは夢だ。

 時折眠っている時に訪れるこの場所は、サフィニアの深層意識が作り出した架空の世界だ。周囲の色が落ち着かないマーブル状態なのは、サフィニア自身の心が乱れているからである。この世界のすべては創造者であるサフィニアの状態に依存している。

 冷静に深層心理の織りなす世界の有様を眺めて、サフィニアは失笑を漏らす。

 これほど世界の色が乱れているのは、間違いなくアマリリスを通して『真理の渦』で知った情報のせいだろう。平静の時の深層世界はどんな色でも一定の色合いを見せる。自分では何でもないことだと心に整理を付けたつもりだったが、実際にはずいぶんと動揺していたらしい。

 サフィニアが取り乱す前にアマリリスが珍しく取り乱したため、荒ぶる感情は奥に引っ込んでしまっていたのかもしれない。 

 ちょうどいい。この機会に自分の心を整理してしまおう。


 世界の意思はサフィニアたち双子を三百年後の歴史の礎として生み出した。


「でもそれって逆を言えば、そんな理由がなかったら私たちは生まれなかった、ってことよね」


 生まれてくる人間には必ず存在意義や生まれた理由がある。少なくともサフィニアはそう信じている。無駄に生まれてくる命は一つもないと。

 しかし本来ならそれは世界に生きる人間が知るはずもないことだ。世界――“神”の意図は、ある意味触れてはならない禁忌の一つだろう。

 今回双子はその“神”の導きによってそれを知ってしまったのだが。


「私たちは、必要だった」


 双子は世界に必要とされている。未来の多くを救うために生まれてきた。

 それはとても幸福で光栄なことなのか?

 そう考えた途端、それを否定するように空間の色がさらに動いてさらにめちゃくちゃな色合いになった。

 空間は本当に正直だ。考えに反して心はそれを否定しているらしい。


「うーん。駄目だな、私って結構天邪鬼だったみたい」


 空間が意思表示してくれなければ、サフィニアは自分の本当の心を掴みきれない。

 その点はアマリリスの方がとても素直なのだ。自分の感情に忠実、という点において。

 さらにサフィニアは考え続ける。

 正直な話、自分の存在意義などいまさらどうでもいいのだ。それに頭を悩ませる時期は過ぎ去り、今は自分の見つけた存在意義によって人生を歩んでいる。

 では何故、これほど不快感を自分は感じているのか。


「ああ、そっか」


 不意に答えは脳裏に閃いた。

 単純で、それゆえにサフィニアには最も大きな根幹的とも言える理由。


「私は赦せないのね。――世界がアマリーを傷つけたことが」


 より正確には、両親を含めサフィニアの大事な人々を運命が傷つけ奪ったことが赦せないのだ。

 世界に生きる人間には何らかの役割があり、双子を助けるために死んでいった肉親たちはそういった宿業の下に生まれてきていたのだろう。双子がここまで生き抜いたことも、諸刃の剣の才能を生まれ持ったことも、十八という若さで死ぬこともそうだ。

 しかし、そんなことには納得できない。例え人間が世界の駒の一つであろうとそんな理由でアマリリスを、両親を喪うは我慢ならないのだ。両親や双子にそんな苛酷な宿業を課した運命という“神”が赦せない。

 それは一種背徳的な憎しみだった。

 サフィニアは渦巻く世界でうっすらと微笑を浮かべる。それは見る者に寒気をもよおさせる殺気の入り混じったものだった。


 両親が大好きだった。

 アマリリスは誰よりも大事だ。

 オスカーも愛しい。

 エナや兄妹たちも大切。


 それなのに、双子の死は残される者を傷つけ、サフィニアの生は両親とアマリリスの犠牲の上にある。

 『真理の渦』から舞い戻ったアマリリスが泣き叫んだように、サフィニアもまた怒りと悔しさを運命に対して感じずにはいられない。例え運命におかげでオスカーたちに出会えたのだとしても、奪われた多くのもののためにサフィニアは運命を恨んでいる。

 しかしサフィニアはそれらをすべて理性の下に心の奥にしまいこんだ。冷静に考え、衝動に任せて動かないように深層心理まで追い落とした。

 運命が敷いた役割の先で未来のこの島国を救えると言うなら、運命の通りに動こう。――サフィニアのちっぽけな憎悪よりも、未来の命の方が重いと思うからだ。


 アマリリスはサフィニアが優しいと言う。

 自分より他人を悼む優しい子だと。


 だがサフィニアはそう思わない。

 優しいのではなく、もっと自分本意で臆病なのだ。

 だって、怖い。大切な人たちが傷ついて、自分から離れていくのではないか、そう思えて怖い。だからサフィニアは周囲の人間が傷つくことを赦せない。

 いつまでも傍にいて欲しいから、自分より他者を優先していたわるのだ。


「だから私は赦さない。世界の思い通りになんか、させないよ?」


 例え運命のレールを歩もうとこれ以上、運命の名の下に犠牲など出させない。

 ささやいた瞬間。空間が凄い勢いでまっさらに真っ白に塗り替えられていった。サフィニアが自分の心に添った言葉を言ったからだ。

 同時に身体がふっと軽く浮上する感覚に襲われる。

 

 ああ、起きなきゃ。




 ***** 




 ぱちっと目が覚める。夢の中で心の整理を付けたおかげか、目覚めはいつになく爽快な気分を運んできた。

 サフィニアはぱっちり冴えた目をこすり、ぐっと背伸びをする。昨夜の魔力枯渇の影響でやや気だるい感じは残っていたが、昨夜よりずいぶんマシになったと思う。何せ昨夜は自力で歩くことすらままならなかったのだ。

 ソファから身を起こして視線を彷徨わせるとオスカーと目が合う。


「あ、おはよう。オスカー」

「おはよ。もう昼だけどね」

「本当だ。いい天気ねぇ」


 オスカーは苦笑しつつ台所の方に消えていく。やがて彼は今まで準備していたのだろう、二人分の昼食を抱えて戻ってきた。


「わぁ、おいしそう!」

「そう言ってくれたら嬉しいよ。作ったかいがある」


 目の前に並べられたのは、野菜がたっぷり挟まれたサンドイッチだ。使われているパンは昨日、孤児院でエナが焼いたものだ。

 オスカーの料理の腕は普通なもので、エナやサフィニアほど上手く作れないが不味くもない、というもの。普通に暮らす分には問題なく、今朝はアマリリスにサフィニアの世話をくれぐれもよろしくと頼まれていた。魔術を使わせるな、独りにするな、目を離すな。アマリリスの注意はそれ以外にも事細かに告げられており、サフィニアの一日の自由はほとんどなくなってしまった。

 サンドイッチを手に取り、これから絶対安静を言い渡されている三日間の予定を考える。いまだ執筆途中の『残華』の続きを書いてもいい。魔術は使えないけれど、新しく魔術概念を考えてもいいし、魔導書を記してもいい。やること自体はたくさんある。


(でも)


 窓の外をちらりと見やり、オスカーに視線をやると目がばっちり合って赤面する。

 せっかくの天気なんだから、軽く外で散歩もいいだろう。もちろんオスカーと一緒に。短時間の外出ならアマリリスもきっと認めてくれる。 

 

「あ、あのね。オスカー」

「うん?」

「これ、食べ終わったら、少しでいいからその……二人で出かけない?」


 やはり駄目だろうか。今日は家で缶詰状態の方がいいだろうか。

 恐る恐る尋ねると、オスカーはやや驚いて目を丸くした後にふっと表情を緩ませた。彼は視線を窓の外に向けて、「そうだね」とうなずく。


「無理しないんなら、行こうか。ちょうど天気もいいし、花見とかもいい」

「本当!? やった!」

「二人だけでどっかに行くのも、久しぶりだよな」

「うん。考えてみれば、もう何年もそんなことしてないわ」


 嬉しそうに頬を薔薇色に染めてサフィニアは過去を振り返る。

 サフィニアが作家になった頃から互いに忙しくなって、共に遊ぶことがなくなった。オスカーも実家の家業を手伝い始めたし、互いに自立し出した頃だからだ。

 それでも交流が途絶えなかったのは、単にサフィニアが定期的にオスカーを訪ねていたことと、オスカーがサフィニアの執筆した作品を本として編集していたからだ。

 オスカーの家はギルドを営んでおり、島国中に店舗を繰り出す本の組合ギルドの元締めだ。サフィニアの作品を本として売り出すことを提案したのは、オスカーの姉であったりする。 


「それじゃあ、初デートとしゃれこむかい?」

「デ、デート? そうだね、うん!」


 デートという単語に赤くなりながらサフィニアは華やかに笑んだ。考えるだけで胸が高鳴り、楽しみで仕方なくなってくる。

 目を潤ませ、頬を薔薇色にしたサフィニアの笑みを直視してしまったオスカーは、一瞬目を見開いてそっと視線を逸らした。その頬に朱色が浮かび上がっていく。


「……? どうかしたの?」

「な、何でもないよ。紅茶でも入れてくる」

「え? うん」


 いきなり挙動不審にそわそわし出したオスカーに疑問符を浮かべながら、その姿を見送る。

 自分の姿を見ることができないサフィニアには、今自分の『恋する乙女』の顔ではにかむ姿にどれほど誘惑の色が込められているか、さっぱり分かっていなかった。  

 言葉通り、紅茶を用意しているのだろう。しばらくすると台所からふんわりと優しく甘い匂いが漏れてくる。

 その匂いに癒されながら、サフィニアはつかの間の幸せにどっぷりつかりこんだ。


(私、幸せだなぁ)


 どうか、この幸せが死ぬまで続きますように。

 誰とも知らない何かにサフィニアは切実に祈った。


「オスカー、出るならどこに行く?」

「じゃあ、サフィーはどこに行きたい?」

「どこでもいいよ。オスカーと一緒なら」

「そっか。じゃあ、俺について来てくれない? 紹介したい人がいるんだ」

「誰?」

「秘密」

 

 戻ってきたオスカーに紅茶を渡されながら見たオスカーの表情に、サフィニアは内心で首をかしげた。その目が何かを懐かしむようで、どこか寂しげだったからだ。けれどその理由を聞いてはいけない気がして、こくりと頷くに留めた。

 それから食事を終えた二人は、外出するための準備を始めた。といっても、サフィニアはいまだ化粧などしたことはないし、済ませておくこともないので、昼食の片づけが終わるとさっさと外出することができた。


「サフィー、身体が辛くなったらすぐ言うんだよ? いいね?」

 

 家を出る時に何度も念を押されたが、その心配さえも嬉しくてサフィニアの気分は高揚しっぱなしだった。


「大丈夫。もう、身体の疲れはほとんど取れてるから」


 実を言うとそれは嘘で、激しい運動――例えば走ったり――は無理がある。普通に歩く分には大丈夫だが、今日はいつもに増して疲労が溜まりやすいだろう。

 しかし、無理をしてでもオスカーと外出したい。

 オスカーはじっとサフィニアの瞳を覗き込んで、その感情を探ろうとしていたが、すぐに苦笑を浮かべて手を差し出してきた。


「手、繋がない?」

「!」

 

 サフィニアは驚いて差し出された手を見る。

 どきんっと心臓が跳ね上がり、気恥ずかしさを覚えながらもおずおずと手を出すとオスカーの手にすかさず取られる。

 その手の温かさと力強さに安堵が込み上げてきて、気分が高揚する。


「さ。行こう」  


 オスカーに優しく手に引かれてサフィニアは歩き出した。

 オスカーが療養中のサフィニアを気遣って歩幅を小さくしているので、二人の歩みはことさらゆっくりしたものとなった。ちらりと隣を見れば、互いに視線が合って笑いあう。

 ぎゅっと握り締めた手の温もりが、これは夢ではないと告げていた。


「少し買っていかなきゃいけないものがあるんだ。市によっていい?」

「うん。でも、何を買うの?」

「花だよ」

「花?」

「そう。手ぶらで会いにいける場所じゃないんだ」

「ねぇ。その花は私が選んでいい?」

「いいよ。きっと、その方があの人も喜ぶ」


 あの人、という言い方はとても親しげで、いったい誰に会いに行くんだろう? と不思議になる。

 そんなサフィニアにオスカーは何も言わず、やんわりと目を細めただけだった。

 ゆっくりゆっくり、寄り添い合いながら二人が市場に着いたのはそれから半時ほどたった頃だった。

 双子の家からさほど距離の離れていない場所に設けられたそこは、王都の南地区にあることから南市場と呼ばれている。王都は四地区に区分されて、西区と南区には庶民のよく訪れる市場がほぼ毎日開かれている。

 サフィニアは家での食事の材料は南市場でよく買うが、毎週孤児院に行く時だけは西市場を訪れる。べつに南市場で買い物をして孤児院に行ってもいいのだが、西市場の方が珍しい食べ物やお菓子、果物が溢れているからだ。反対に南市場は野菜や花など自然溢れるものが多い。

 昼時という時間帯もあってか、人の溢れる市場ではそこら中で美味しそうな匂いを放つ露店が溢れていた。


「うわぁ。見て、オスカー! 今日はあの店、野菜餅売ってるわ。美味しいのかしら?」

「あの店はよく試作品を出しては失敗にてるんだよね。この前なんか、海産物で餅作ってさ、見た目も凄まじい餅を売ってたよ。というのもさ、餅の間から小魚の顔とか尻尾とかが突き出してるんだよ」

「それ、私は見たことないけど……売れてた?」

「サフィーは食べたいと思う?」

「……思わない」

「それが答えだよ」


 南市場に何度もお世話になっているサフィニアも、何度かあの店を覗いたことがあるが、真新しい記憶では何故か表面が青色になった材料不明の餅がおいてあった。もちろん、一つも売れていなかったけれど。


「あそこの餅は、普通のあんこ餅が一番よ」

「そうそう。奇抜すぎるのも問題だよな」


 味云々以前に、食べたくない。見た目がもろに食欲を減衰させるのだから仕方ない。

 もっと外見に工夫を凝らせばいいのに、と思いつつサフィニアは市場を見回す。


「花屋に行くのよね?」

「ああ。ほら、あそこにある」


 指された方向を見れば、装飾品を売る店の間に小さな花屋があった。周囲の店に圧倒されて見落としがちな店だが、今が旬の花が多く取り揃えてあるのがうかがえる。


「サフィー、できれば白い花で花束作ってくれる? 俺にはどうもにも花の好い組み合わせがわかんないから、いつもは店の人に花束を作ってもらってたんだけど」


 了承の意味を込めて頷くと、オスカーは嬉しそうに笑った。

 目当ての花屋の前まで来ると、オスカーは店番をしている若い女性に会釈する。店の女性もオスカーの顔を見るとぱっと笑顔になり、その態度からそれなりにオスカーはこの店の常連なのだろうと察する。


「こんにちは。今日も花、貰えますか?」

「もちろんいいわよ、お客さん。あら、珍しく今日は人を連れてるのねぇ。しかもとっても可愛い子じゃない。恋人?」

「はい」

「え? うっそ、本当? 良かったわね! 念願叶ったのね?」

「はい。口説くの、大変でしたよ」


 さらりとオスカーが告げたことにサフィニアは赤面してうつむいた。本人の傍で、そんな恥ずかしい会話をしないで欲しい。

 それでも『恋人』と言われたことはサフィニアを十分幸せな気持ちにした。

 サフィニアは上気した頬を隠すように店の女性に頭を下げ、色とりどりの花を目で追う。

 昔から花は好きだった。自分たちの名前が花から付けられたからかもしれない。実の母も花好きな人だったし、屋敷にはいつも綺麗な花が溢れていてその世話をしていた。今だって、双子の家の小さな庭にはサフィニアが世話をする花がいくつか植えてある。

 思えば、花は双子にとって家族を繋ぐ大切なものだったのだ。

 その花が、今はオスカーとサフィニアを繋いでいると思うとほのかに温かな想いが込み上げてくる。


「サフィー、ここで花を選んでてくれる? 俺、少し離れるけど」

「? うん。待ってるね」


 花選びに集中していたサフィニアは、どこに行くの? とは言わなかった。言わなくても、彼は必ずサフィニアの下に戻ってきてくれる。――去り行くのは、サフィニアの方なのだ。

 サフィニアは熱心にじっくり一つ一つ花を見つめていき、花束を作っていく。その作業はゆっくりとしたものであったが、その分想いの篭った花束ができた。

 言われた通り、白い花を基調にできた可愛らしい感じの花束だ。

 

「これだけ、貰います。いくらですか?」


 店番の女性に差し出すと、女性はふふっと笑って首を横に振った。

 その意味が分からなくてサフィニアは首を傾げる。


「お金はいらないわ」

「え?」

「彼がその花を届ける人は私の知り合いなの。だから、いつも彼には無償でお花を渡しているのよ」

「いいんですか?」

「ええ。それより」


 戸惑うサフィニアに、女性はきらりと怪しげに目を輝かせた。

 

「貴方が噂のサフィニアちゃん、でいいのよね?」

「え、ええ。私を知ってるんですか?」

「知ってるも何も、オスカーくんの口からよく聞いてるわ。貴方のこと。彼ってば、ここに来るたびに惚気話していくのよねぇ」

「は?」


 うふふっとの温かい眼差しで女性が微笑む。

 思わぬ方向に転びつつある話題に、サフィニアは目を白黒させた。


「あ、あの。あなたはオスカーとはどんな関係なんですか?」

「うーん、……親戚みたいなものかな。心配しないでも大丈夫よ、これでも私は三十三で子どもも夫もいる身だからね」

「三十三!?」


 サフィニアは驚愕して目の前の妙齢の女性を凝視した。とてもじゃないが、三十代には見えない。二十代前半くらいの歳に見える。化粧で誤魔化しているわけでもなく、本当に溌剌とした美女という感じだ。

 サフィニアは外見で人は判断できないものだと感心した。


「お若いんですね」

「ま。ありがと」

「それで、あの。オスカーはどんな話を?」

「気になる?」

「気になります」


 女性は悪戯っぽく笑うと、そっと周囲を見回してオスカーが戻ってこないことを確認し話し出した。


「オスカーくんのことは彼が生まれた頃から知ってるんだけどね。サフィニアちゃんは異国から来たんでしょ? サフィニアちゃんたちが来た辺りから、オスカーくんの話に貴方が良く出てきてね。貴方が昏睡状態から目覚めた日なんか、夕方に私のところに嬉しそうに報告に来てくれたわ」


 十年前、この島国に来たばかりの頃の話をしているのだろう。サフィニアは、島国に着いた当初は直後の慣れない大魔術の連発で疲労して長い間眠り続けていた。

 オスカーがそんなサフィニアのことをずっと見舞ってくれていたのは知っている。


「それで、たしか十歳くらいだったかしら? 顔を真っ赤にして、『サフィーに告白された』とか悩んでいたわね。なのに、『僕は好きじゃないから』とか言う理由で断ったんでしょ? 中途半端な気持ちで付き合いたくないとか今時珍しく誠実よね。ところがところが、大きくなってもオスカーくんってサフィニアちゃんの話題が一番多いのよ。私に言わせれば、あんたその子のこと好きなんでしょ、って感じなんだけど本人がさっぱり気付いてないからおかしいったら」


 そこまで聞いてしまったサフィニアは羞恥に顔を真っ赤にしていた。

 まさか、そんな深いところまで知られていたとは。確かにサフィニアは十歳の頃を境に、何度も何度もそれこそ何百回とオスカーに自己主張アピールしてきたが、他者に知られるのはかなりの羞恥を伴った。

 昔からオスカーのことになると周りが見えなくなるのだ。

 たまらず顔をうつむかせたサフィニアには気付かず、女性は続ける。


「で、この頃はなんだか大人になったせいか、自分の気持ちに気付きだしたっぽくてね。『この頃俺なんか変なんだよ』とか真面目に相談してくるわけ。で、それがもうたまんないくらいの惚気でさ。サフィニアちゃん一色なんだわ。『それが恋よ』って教えてやったら面食らってたわね」


 ふふっと当時を思い出してか、女性は笑って生暖かい目をサフィニアに向けてきた。


「――というわけで、私はオスカーくんの人生相談役、ってところかしら」

「は、はぁ」


 オスカーとは長い付き合いだが、女性はサフィニアの知らないオスカーをたくさん知っているようだ。そんなことに些細な嫉妬がサフィニアの中に生まれた。


「……いいなぁ」

「何が?」

「いえ。貴方は、私の知らないオスカーをたくさん知ってるから」


 複雑そうに笑うサフィニアに一瞬驚いて、女性はふっと微笑んだ。

 それは慈愛を感じさせる、母親の笑みだった。

 ついこの間子どもを生んだ同じ歳の友人が、生んだ赤子を見ている時に同じ目をしていたのを思い出す。 


「サフィニアちゃん。知ってる? 男はね、とっても格好付けなの。好きな子の前では、みっともない姿なんて見せたくないのよ。オスカーくんのそんな場面を知らないってことは、貴方がオスカーくんに好かれてるってことでしょ」

「――でも、女の方としては、どんな姿でもいいから全部隠さず見せて欲しいでしょう?」

「そうなのよねぇ。男の格好良さに惚れたわけじゃないんだから、全部知りたいわよね。隠されたら、信用されてないみたいで不安になるのにね」


 私の夫もそうなのよ、と女性は仕方なさそうにため息をつく。その様子には確かに夫に対する愛情が感じられた。

 一気に共感し合った二人は、親しげに笑みを交わす。今会ったばかりなのに、ずいぶん前から知っているような気分になっていた。


「サフィニアちゃんはオスカーくんを愛してくれてるのね」

「――はい」


 即答だった。

 どんな相手であっても、この質問だけは即答できる自信があった。

 女性は嬉しそうに顔を綻ばすとちらっとどこかを一瞥してささやいた。


「サフィニアちゃん。オスカーくんをよろしくね」


 その言葉にサフィニアは目を見開き、やんわり微笑んだ。胸にはしった痛みは隠して、肯定はせずに、そうできたらよかったのにと思いながら微笑んだ。

 サフィニアはオスカーを幸せにできない。彼に与えられるのは、一時の幸せな思い出と――ひどい傷だけ。


「ごめん。待たせた」


 そこへ丁度良くオスカーが戻ってきた。

 サフィニアが彼を振り返り笑って見せると、何故かオスカーは黙り込んで探るような眼差しを女性に向ける。


「……変な話、してないですか?」

「まっさかぁ」


 女性がにたにた笑い、オスカーは少し顔をしかめてため息を吐いた。

 

「ともかく、花はありがとうございます。サフィーも、綺麗な花束だな。ありがとう」

「うん」


 女性にはどこか憮然と頭を下げ、サフィニアには満面の笑みが向けられる。

 それだけでオスカーの気持ちなど丸見えなのだが、オスカーの笑顔に魅了されているサフィニアはその違いに気付かない。 


「サフィー、ちょっといい?」

「何?」

「こっち来て」


 頭の上に疑問符を浮かべ、言われたとおりとことこオスカーに近寄ると、オスカーは服の袖から何かを取り出してサフィニアの頭に載せた。精確には、サフィニアの側頭部で二つにくくられた髪の間に。


「え?」


 驚くサフィニアにオスカーは笑って言った。


「俺からサフィーに。前から、あげたいと思ってたんだ」

「え?」


 そんなことを言われても、自分の頭に付いたものなんか見えるはずがない。分かるのは、オスカーが何かをくれたということだ。

 分からないなりに、取り合えず御礼を言ってみる。


「ありがとう……?」

「あっはっはははははははは」

  

 そこへ二人のやり取りを見守っていた女性が盛大に笑い出したから、場の雰囲気が何とも言えない微妙なものになった。

 オスカーはほぼ睨むように、サフィニアは困った顔で女性を見る。

 笑いに笑って、笑いすぎで涙のにじんだ目をこすり、女性はサフィニアに手招きをする。

 大人しくサフィニアがそちらに歩み寄ると、女性は後ろの荷物を探り出し、中から手鏡を取り出した。はい、とそれを渡される。


「ほら、確認してごらん」

「あ、はい。ありがとうございます」


 ありがたく手鏡を借りて鏡を覗くと、見慣れた自分の顔が映った。しかし、その中に見慣れないものが二つ。自分の頭にのるそれを見たサフィニアはあっと目を見開いた。

 髪飾りだった。

 紫色の藤の花の形をした、かんざしの髪飾りだ。

 サフィニアが軽く頭を動かすと、しゃらっと小さな音を立てて藤の花の形の飾りが揺れる。


「綺麗」


 鏡ごしでしか見れないが、一目でその髪飾りが上質のものなのだと理解できる。

 サフィニアの髪に飾られると髪の色と相俟って絶妙な色合いになり、よく似合っていた。

 ぱあっと見る間にサフィニアの表情が明るくなる。


「オスカー! ありがとうっ、大事にするね!」


 先ほどとは違い、目を潤ませて満面の笑みを浮かべたサフィニアにオスカーがうろたえた。

 そんなオスカーの態度はものともせず、サフィニアはオスカーに駆け寄り勢いよく抱きついた。


「ありがとうっ」


 目一杯の感謝をこめてぎゅうっと抱きしめる。

 場所は人目も多い市場だというのに、周囲なんて気にせずに感情のままに行動した。

 始めは驚いていたオスカーも、嬉しそうには頬を緩めると抱きしめ返してくれる。


「熱々ねえ、お二人さん」

「はい!」

  

 女性の冷やかしすら温かく感じてしまうほど、サフィニアは幸せだった。

 

「まったく。オスカーくん、君は何だか変なところで間抜けなんだから。ものをあげる時は、まず相手の手に渡しなさい、手に。じゃなきゃ、何をもらったのか分からないでしょう。手鏡を持ってた私に感謝しなさい」

「……ありがとうございます」

「何か言いたそうね」

「いえ? 何も」


 長い付き合いで、反論すればやり込められると知っているオスカーは懸命にもお茶を濁すにとどまった。


「それじゃ、また来ます」

「ええ。その時はまたいろいろ聞かせてね。サフィニアちゃんも一緒に連れてきていいから」

「はい」


 女性がひらひらと手を振り、オスカーとサフィニアは揃って軽く会釈するとその場を離れた。また二人並んで手を繋ぎ、市場を歩いていく。 


「オスカー。髪飾り、ありがとう」

「サフィーがそこまで喜んでくれるんなら、贈った甲斐があるよ」


 互いに目を合わせ幸せそうに笑う二人は、どこからどうみても恋人同士にしか見えない。

 二人は立ち並ぶ露店を見て回りながら、その歩を街の端の方へ向けた。

 やがて市場も遠のき辺りから家々が消え、人の姿が消え、自然が溢れる舗装されていない道に出て行く。歩く道は十年王都に住むサフィニアも見たことがない場所だった。

 けれど、サフィニアに不安はなく行き先を尋ねたりはしなかった。着けば分かる話である。


「あ。見て、あれもしかして桜?」

「本当だ。もう桜の時期は終わったような気がするんだけど」

「んー、もしかして八重桜かな」

「八重桜?」

「そう。普通の桜が散った頃に咲き出す桜なの。よく見たら、花びらの数が凄く多いし、葉もついてるし。たぶん、八重桜だわ」 

「へぇ。物知りだな、サフィー。たしかに桜にしては花びらが多い」

「確か、八重桜は花びらが三百枚あるんだって」

「三百! そりゃ華やかだな」


 のんびり二人が歩く先にはさまざまな自然が溢れていた。遠くを見れば山があるし、すこし道の脇を見れば小さな川がちろちろと水を流している。その周囲ではせりの草が群集し、歩道の脇には“仏の座”や“耳菜草”が生えている。

 サフィニアは花や草を見ては立ち止まり、目を輝かせて観察した。

 ここ数年。こんなに楽しく自然と触れ合ったのは久しぶりだった。

 王都に自然が少ないわけではないが、そもそも用もなく自然のある場所まで行く余裕はなかったし、家を出ることも昔と比べて減ったからだ。


「サフィー。そろそろ見えてきたけど、あそこだよ」


 またもや道端の花に見惚れるサフィニアに苦笑し、オスカーが指し示した道の先を見て、サフィニアは目を見張った。

 まだ歩くと距離があるが、道の先にあるのは綺麗に四角形の形になった石の集まりだった。平たく言えば、墓場である。


「お墓?」


 サフィニアが唖然とつぶやけば、オスカーはどこか寂しげに微笑してうなずくと墓場を見つめて言った。


「あそこに、俺の母さんが眠ってるんだ」






 今回はわりとほのぼのしたお話でしたね。

 アマリリスの時といい、お墓の出番が多いです。

 次もサフィニア視点で行きたいですが、しばらく更新できそうにありません。

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