第九話:真相
アマリリス視点です。
怒涛の勢いでいくつもの光景が視界の端を駆け抜けていく。それらはひとつひとつ認識する間もなく意識の端を流れていくが、同じくらいの速さで情報が流れ込んできて、すべての光景が何を意味しているのか、余すところなくアマリリスは理解してしまっていた。
未来も過去もごちゃ混ぜになって見せつけられる情報に、アマリリスに唯一の事実と運命という流れの残酷さを知らしめた。
アマリリスはあまりの情報量に破裂しそうな頭で、必死に全てを噛み砕いて理解していく。
たくさんの光景がアマリリスの視界を高速で駆け抜けていった。その中には、アマリリスがさきほどその目で見てきた者たちの姿もある。アマリリスの前で“赤子狩り”から逃れた赤ん坊の人生、魔剣を持って墓の前で話していた青年の人生、トリストリアの新国王の送った人生。彼らのこれから送るであろう運命をアマリリスは見ているのだ。
(これが、未来。これから、起こること、なのか)
視覚を通して暴かれていく未来の姿にアマリリスは呆然とする。
どんな魔術でも、未来を予知することはできない。何故なら、未来は予知されると必ず変化してしまうからだ。
しかしアマリリスは今例外的にその未来を知ろうとしていた。
知りたくない。知ってはならない。
恐怖とともにアマリリスはそう思った。しかし、どんなに拒絶しようとも『真理の渦』から流れ込んでくる情報は留まることを知らない。
それらは嫌が応でもアマリリスに真実を突きつけた。
『真理の渦』の提供する情報の中には、常々双子が抱えていた疑問の解答も存在した。世界の流れに組み込まれた、双子という異端因子の生まれ出でた理由、かつて祖国で不確かな予言が出された理由、肉親を失って島国に流れ着いた理由――すべてが解明されていく。
それによってアマリリスの心を襲ったのは、納得でも、疑問の解消によるすがすがしさでもなかった。
(そういうことだったのか。俺たちが生まれて、父様と母様が犠牲になったのは、全部……そのためだったって言うのか!)
理解と同時に湧き上がってきたのは、憤怒と悔しさと――絶望。
『真理の渦』に蠢く世界の意思が見せた情報にアマリリスは、怒りのあまり絶叫した。ふざけるな、と。そんなことのために自分たちは生まれて、親族を失い、祖国を追われ、アマリリスは一度死にかけ、生まれながらに不当な魔力量を授かり、寿命は十八歳まで縮んだというのか、と。
アマリリスあらん限りに絶叫した。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ! そんな馬鹿げた話があるか。そんなことのために俺たちは死ななくてはならないのかっ! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ!
怒りと憎悪に精神を燃やしたアマリリスはあらん限りの激情を『真理の渦』に宿った世界の意思にぶつけ続けた。
その精神を掴み引っ張る凄まじい引力に導かれ、現実世界に戻るその瞬間まで罵倒し続けた。
やがてアマリリスは自分を呼ぶ妹の声に気付く。ひどく焦った妹の声に、戻らなければと思う反面、ここで力尽きてしまえばどんなに楽だろうと一瞬だけ考えた。アマリリスが死ぬことで今ある運命の流れが激変することを知りながら、そうしてやれればどんなにいいだろうと思った。そうできたら、不条理な運命を敷く何者かに一矢報いてやれるのに。
それでも十年間の内に染み付いた生への渇望には抗えず、アマリリスは光に向かって戻っていく。
その先に待つ妹に、残酷非道な現実を知らしめなければならないことがひどく憂鬱だった。
*****
重い。
目覚めてすぐに感じたのは、身体の上に大岩を乗せられたように重たい気だるさだった。精神的にも肉体的にも、アマリリスは疲労していた。
目覚めることをひどく億劫に思いながら目を開けると、泣きそうな顔でこちらを覗き込んでくるサフィニアが目に映る。
その顔を確認することでアマリリスは自分が真理の魔術の行使に失敗したことを思い出した。精確には、失敗したと一言に言える出来事でもなかったが。
全てを理解した今では、アマリリスが真理の魔術に失敗したのは偶然ではなく、ただ運命がそう導いた必然であったのだと断言できる。つまり、今回の失敗はアマリリスのせいではない。
とりあえず、妹に何か声を掛けなければとアマリリスは口を開く。
「……助かったよ、サフィー」
「アマリー! 大丈夫っ? 良かった、意識が戻って。どう? どこか変なところないっ?」
「ちょっと疲れただけ。身体に問題はないよ」
改めて自分自身の身体を点検すると、濃い疲労はあるものの怪我や動きに支障はない。廃人になるのはまぬがれたらしい。
今回消費したのは体力と魔力、それに精神力だけだ。身体の機能には一切問題ない上、三日もすれば全て全快する程度の消費である。
かすれた声でそう説明するとサフィニアはほっと安堵した様子で強張った頬を緩める。
「よかったぁ。もう、どうなるかと思ったんだからね。アマリーがあっちに引き込まれたらどうしようって思って、すっごく怖かったんだから。さすがに禁術を使っても、『真理の渦』に沈んだアマリーの魂まで連れ戻せるか分かんないし、心配したんだからね、分かってるっ?」
「うん、ごめん」
「ごめん、じゃないよ。もう」
涙ぐむサフィニアに申し訳ない想いを抱きながらも、アマリリスはさらりと言われた言葉に頭を悩ませる。
つまり、もしもの時は魔力の枯渇をものともせず魔術でアマリリスを助けるつもりだったのか。そんなことをすれば間違いなくサフィニアは死んでしまう。予測していたこととは言え、そんなことにならなくて良かったと心底安堵する。
もう二度と、アマリリスは妹を犠牲にしてまで生き延びたくなかった。
「……っとに、不条理だぜ」
十年前の心境を思い出すと同時に、『真理の渦』で見て理解してきた全てを思い出してアマリリスはつぶやいた。
――十年前、サフィニアがおのれの本来の寿命を魔術で強引にアマリリスに分け与えたことさえ、世界が双子に課した運命の流れであり、必然で当たり前な流れだったなんて、最悪すぎて笑えてくる。
突然暗い笑い声を洩らし始めたアマリリスに、サフィニアが目を丸くする。いったい何ごとだとその目が問いかけてくる。
その目を見るとアマリリスは無性に悲しく、泣きたい気分になってきた。
「アマリー? もしかして、気がふれた?」
「狂ってないから!」
ちょっとした憤慨と、そんな何でもない平和な会話ができる安堵が込み上げてくる。
アマリリスは深呼吸を一つして、『真理の渦』で見てきたものをサフィニアに伝える覚悟を決める。
「サフィー。あのな」
「うん」
「俺、とんでもないもの見ちまった」
「えーっと、世界の始まりの記録でも見てきた?」
「いや。そんな世界規模の秘密を暴いたわけじゃないよ。――むしろ、今更な感じの超絶にムカつく記録というか事実だ」
「ふぅん?」
不思議そうに、何も知らない顔で小首を傾げるサフィニアの姿にアマリリスは顔を歪める。
もしも、『真理の渦』で見たことが事実ならアマリリスはこれからサフィニアにひどい世界の現実を晒し暴くだろう。――そうしなければならない理由が、アマリリスにはある。
どんなにアマリリスが世界を憎み、嫌悪しても、その先にある未来のためにアマリリスは世界の意思に添った選択をするしかないのだ。
(この、畜生が)
苦悩しながらもアマリリスが選択することすら、世界の意思が決めた流れなのである。それに大人しく従うことが、無性に苛立たしく悔しい。双子の存在を創り出し、波乱ばかりの道を歩ませた運命という強大な存在には、反発心しか生まれてこない。
アマリリスは生まれて初めて、世界を憎んだ。
「サフィー。少し、目を閉じてみろ」
「え? 何で?」
「いいから」
「え、あ、うん」
意味が分からないという顔で大人しくまぶたを閉じるサフィニアに、アマリリスはそっと手を伸ばし、その手に触れた。
あとは魔術を発動させるだけだ。
アマリリスはなけなしに残った魔力で低級の魔術を省略詠唱で発動させる。
「《伝達》」
サフィニアの手の甲にほんのり小さな魔方陣が浮かび上がり、魔力が流れる。
魔術によってアマリリスの持つ情報がサフィニアに伝わって行っているのだ。アマリリス自身が見たままに、理解解釈したままに。感覚共有、情報共有をする。
ぴくりと身体を揺らしたサフィニアは抵抗せずに、その情報を受け入れていく。
だんだんと険しくなる妹の表情を目に納めながらアマリリスはくしゃりと顔を歪める。
喜びも怒りも悲しみも楽しさも嬉しさも苦しさも辛さも痛みも、双子である二人は当然のごとくこれまで共有してきたが、この憎悪だけは共有したくなかったと思った。
やがて、魔方陣の輝きが消えて魔術の効力が消える。
アマリリスが見てきた全てが伝えられたサフィニアは、しばらく目を閉じて沈黙したまま何も言わなかった。
変わりにアマリリスが独り言をつぶやく。
「……“予言の子”は俺たちだけじゃなかった。あの嵐の日に産まれて、“赤子狩り”を逃れた人間全員が“予言”の対象だったんだ」
『いずれ国を揺るがすであろう脅威が誕生し、多くの犠牲を持って国は滅ぶであろう』
双子が生まれた嵐の日の、祖国の巫女によるくだらない託宣は確かに的を射ていた。その内容に間違いはない。ただし、その内容があまりにも大雑把すぎただけで。
予言の対象はあの嵐の日に祖国で産まれた全ての子ども。
そして、祖国が滅ぶのは――三百年後だ。
「その頃になってようやく、この島国が大陸に見つかって……帝国が、この島国を侵略しようと狙ってくる」
双子の祖国の研究成果により作り出された魔物による軍が、この島国を襲う。遠い異国の地を支配下として属国にし、併合するために。まさに、アマリリスが見たのは祖国が島国を襲う直前の光景だったのだ。
そしてアマリリスの理解が正しければ……
――双子が遺す、魔術的遺産が三百年後の島国を救うのだ。
例えば巨大な結界。例えば魔導具。例えば魔導書。今まで双子が『自分たちが生きた証に』と造り出してきたものや、おそらくこれから双子が造り出す全ての遺産が三百年後に大きな影響を及ぼすのだ。
魔術が存在しないはずの島国で唯一、帝国へ対抗する手段として発見された遺物として、双子の遺産はこの島国の防衛線の要となるだろう。
一度帝国の魔物を退けてしまえば、どれほど大きな帝国とは言え、二度の出兵には時間がかかる。そして三百年後の島国には、一度だけなら魔物の襲来を防ぐ戦力がある。
「大陸では“予言の子”の誰かが新しい国を建国する。その国が、魔物の軍隊派遣で弱体化した帝国へ出兵して、攻め入るんだ」
民衆が歓喜しながら見送っていた兵隊たちが派遣される兵であり、トリストリアがこれから建国される国だ。トリストリアを建国するのは、アマリリスの目の前で“赤子狩り”を逃れた赤子。今、双子と同じ歳である誰かが将来トリストリアを建国する。
それだけではない。“予言の子”の血を受け継ぐ子孫が、各地でそれぞれの役割を担って帝国を滅ぼすのだ。
トリストリアの猛将として戦の最前線を駆ける青年。
帝国の悪行で苦しみ、餓える人々を癒す巫女。
誰より先に帝国に反旗を翻す決断を下した名君。
魔剣を片手に魔物を葬り帝国を弱体化させる英雄の息子。
その誰もが“予言の子”の子孫であり、その遺産を受け継いだ者たちだ。彼らは唯一の歴史を大陸に刻む一因子として、いつかこの世に生まれてくる。
「――俺たちは、三百年後の祖国を滅ぼす一因となるために、産まれたのさ」
苦虫を千匹はすり潰したような苦き切った声音で自嘲的に、アマリリスは核心を突くささやきを洩らした。
身体を蝕むほど膨れ上がり、時と共に増加する魔力量も、魔術師として最高の教育を幼少の身に叩き込まれたことも、両親や親戚が双子を逃がすために死んだことも、あと半月で双子が死ぬことも。全てそのためだった。
「そんな馬鹿げた話があるか……?」
声が激情のあまり震える。
ずっと自分たちの意思で選択し、人生を歩んできたと思っていた。サフィニアを十年前庇ったことも、遠い島国で居場所を見つけ鍛冶師になったことも、魔導具を造ろうと思ったことも、全て自分の意思で選んだと思ってきた。
それなのに――
その選択さえ、世界の意思という運命に決められた流れの一部だったというのか。
『真理の渦』で示された真実は、双子が歩んできた人生の全否定を意味していた。
「ふざ、けるなっ」
身体の芯が熱くなり、視界が目元に滲みだす涙でぼやけてくる。
アマリリスは両手で顔を隠し、大粒の涙をぼろぼろと流し始めた。
一生懸命生きてきた。
サフィニアに負い目を抱えながらも、けして押し潰されないように必死に生きてきた。
一分一秒ごとに迫る確定した“死”に怯えて抗って。
時間を無駄にしないために焦って急いで、生きてきたのに。
――将来祖国を滅ぼすため、たかがそんなことのために双子は“普通”と異なる、苦労のにじむ人生を送ることになったのか。
もし普通に産まれていれば。
せめてもっと寿命があれば。
アマリリスとサフィニアはもっと別の人生を送れたはずなのに。
両親と幸せな家庭で育まれていたかもしれない。
アマリリスは鍛冶師として自立できたかもしれない。もしかしたら、恋をして“女”として家庭を持つこともあったかもしれない。
サフィニアは辛い恋をせずに済んだかもしれない。オスカーと幸せな夫婦になって、共に老いていけたかもしれない。
祖国で別れた両親は死なずに済んだかもしれない。魔術師として、別の選択をして生きていけたかもしれない。
そんな、普通にあったはずの幸福を双子は得られないのだ。
「ふざけてんじゃ、ねぇ!」
混乱をきたす頭でアマリリスは泣く。
行き場のない激情を全て吐き出しながら、夜闇の中で吼えた。
「……アマリー」
静かに目を開けたサフィニアがそっと手を伸ばし、アマリリスの服のそでを小さく掴む。
涙でにじんだ視界に蒼白になって、顔を歪めたサフィニアが見えた。
「ごめんね。アマリー、ごめんね。アマリーにだけ、たった独りで、あんなものを、見せちゃってごめんね」
あんな酷いものを独りで見させてしまってごめんなさい、とサフィニアは謝る。
伝達の魔術で、アマリリスの見て感じて理解したことは全て共有できる。だがそれゆえに、アマリリスが『真理の渦』でどれほどの衝撃を受けたのか、知ってしまったのだ。
そんな場所に独り、行かせてしまったことを。
「また、独りにしちゃった。アマリー、怖かったよね? ごめん、ごめんなさいっ」
同じように両目を潤ませてぼろぼろ泣きながら、サフィニアはアマリリスの隣でそんなことを言う。
アマリリスは一瞬言葉を失い、顔を隠す腕をのけて泣き笑いの表情を作った。
「そんなこと、気にするな」
自分の出生よりも、姉の身を案じるサフィニアの優しさにアマリリスは胸が熱くなるのを感じた。
胸の中でくすぶる激情が少し収まる。
それでも、心の中に穿たれた虚無感だけはそう簡単に満たされてはくれなかった。
「サフィー、ごめんな。俺、すっごいふがいないけど、今だけは……泣かせてくれ」
「うん、うん」
必死で何度もサフィニアはうなずく。
そこにあるのはアマリリスへの無尽の優しさ。ただ、アマリリスのためだけにあるサフィニアの気遣い。
妹の優しさに感謝してアマリリスは胸の内の激情を涙に変えて、ぼろぼろと遠慮なく泣き始める。
「ふぅぅ、うぁあああああああああああああっ!」
泣いて泣いて、泣いて。何がそんなに哀しいのか、と思うほど泣いた。
幼い子どものように、声を押し殺さずに盛大に泣き喚いた。
どうして。
どうして。
と、無茶苦茶な感情に振り回されながら、疲労で頭も身体もぐったりしてしまうほど泣いた。
まさにそれは慟哭。
自分の人生そのものに対する慟哭だ。
これまでの十八年の人生に悔いはないが、どうしようもないやるせなさがアマリリスを掻き回している。
「あああああああああああああっ、っあああああああああっ!」
夜の闇にアマリリスの叫びが浸透していき、ぽつりと空から水滴が垂れてきた。やがてそれは、ぽつりぽつりと増えていき、ぱらぱらと空から降り出す。
「雨が」
サフィニアが驚いて顔を上げると、夜闇にまぎれる暗雲が星の光を覆い隠していた。
アマリリスの慟哭に呼応したように降り出した小雨は、アマリリスの顔を流れる涙を洗い流していく。雨は涙と共にアマリリスの激情までも洗い流し、どこかへ連れ去っていった。
長い時が過ぎ、雨を止み、ずぶぬれになって喚くのを止めたアマリリスはぼんやりと晴れていく空を眺めて、サフィニアにささやいた。
「サフィー。……ありがとう」
「ううん。私は、何もしてないよ」
頭を振るサフィニアに苦笑して、アマリリスは腫れぼったい目をこすり、いまだに流れ続ける涙をぬぐった。それでも次から次へと涙は零れ出てくる。当分、止まりそうになかった。
「俺さ、サフィーと二人で、双子で良かったよ」
「そうだね。私もそう思う」
二人だからここまで来れた。
二人だから、ここで生きていられる。
どちらが欠けても今の大切な生活は成り立たなかったし、ずっと挫けずに立って歩いて来れたのだ。
「ったく。これじゃあ、どっちが姉か分かんないなぁ。なっさけねえ」
自嘲気味にぼやいたアマリリスだが、サフィニアは笑ってその言葉を否定した。
「お姉ちゃんは、アマリーだよ。私じゃあ、大切な時に妹を守れないもん」
「……そんなことはないさ」
確かにアマリリスは妹を第一に考えて、護りたいと思ってきたし実際護ってきた。けれどそれは特別なことではなく、サフィニアだってアマリリスをきちんと護ってきているのだ。
今のように、アマリリスとは別の方法でサフィニアは姉を守っている。
アマリリスにはサフィニアほど優しく、他人のために生きられない。他者の心を救うことなんてできない。
「サフィーは、強いな」
どれだけ挫けそうになっても、アマリリスがこれまで挫けずにいられたのはサフィニアがいたからだと改めて認識した瞬間だった。
「悪い。すっかりびしょびしょになっちまったな。風邪ひかない内に早く帰ろう?」
「う、でも」
「……? どうした?」
「オスカーたち、心配してるよね」
「そりゃまぁ、こんな夜中に失踪したら心配するさ」
「お、怒られる。ううん、凄い哀しそうな顔で迫られちゃう」
「それは……仕方ない」
この後、アマリリスの転移の魔術で孤児院に帰還した二人は待ち構えていたエナやオスカーに捕まり、サフィニアの予想通りの展開を迎えることとなった。
*****
翌日。アマリリスは自分の手の中に納まった短刀を睨むように見下ろしていた。
それはアマリリス自ら鍛え上げた刃に、落ち着いた装飾ながら見事な蒼の宝石があしらわれた鞘に包まれた護身刀である。短期間に鍛え、さらにほかの職人にも無茶を言ったため、名刀と呼べるほどの出来ではない。王家に献上できる最低限のレベルを保持しただけの短刀だ。
先日王妃に請われて造った短刀は、未だ魔導具ではない。すでに短刀の刃の部分に魔導具の効力の要ともなる古語をアマリリスが手ずから刻み、鞘にも魔術的な文様を鞘師に頼んで描いてもらっている。あとは魔力を注ぎ、王家の血液を取り込めば完成だ。
しかしアマリリスは短刀を魔導具にすることに葛藤を抱いていた。
――俺はこれを魔刀にするべきなのか?
昨日の昼までなら躊躇いもなく短刀を魔導具にしただろう。けれど、『真理の渦』で自分の運命を知ってしまった今では、かなり大きな抵抗があった。
簡単に言えば、“運命”に従うのが癪なのだ。
『真理の渦』で見聞きした王家に伝わる宝剣とは、おそらくアマリリスが王家に献上するこの短刀だろう。アマリリスの造る魔導具は確かに三百年経っても充分な効力を発揮できる業物だ。例え、その短刀自体が大した代物でなくても、アマリリスの魔術が付与されればその限りではない。
アマリリスは自分の造る魔導具の出来に自負を抱いている。
しかし、この短刀が本当に“宝剣”となるとするなら、アマリリスが今魔導具を造らなければその未来はあり得ないはずである。
「もし俺が造らなかったら……」
脳裏に浮かぶのは、アマリリスの造った思しき魔導具を使って大陸からの魔物の大軍を必死で倒す三百年後の人々の姿だ。魔導具がなければ、この国は亡びるとまではいかずとも、甚大な被害を被るだろう。
かと言って、素直に魔導具を造ってしまえば、そのレールを敷く運命に対して大きな反感を持ってしまう。世界の意志とも言うべきものに定められた使命と宿業、それに踊らされて苦しんだ今までの人生へのやるせなさ、怒り、混乱、憎しみ、それがふつふつと心の奥底から湧き上がってくる。
昨夜赤面したくなるほど大声を上げて泣いて発散したはずの想いは、いまだにアマリリスの中で少しくすぶっているのだ。
不確かな未来に思考をめぐらせていると、工房に出勤する前にサフィニアから聞いた言葉が甦ってくる。
『私は嫌だな。この国が、滅ぶのは』
サフィニアにも、アマリリス同様の“運命”に対する抵抗が少なからずあるはずなのに、サフィニアは静かにそれだけを告げてきた。
サフィニアはこれから残りの魔導書を完成させ、この島国を覆う結界の創設の模索に取り掛かるだろう。その点において、サフィニアはアマリリスよりもよほど柔軟で冷静な思考回路を有しているのだ。
「俺だって、この国を滅ぼしたかないさ」
だからこそ、アマリリスはサフィニアに『真理の渦』で見て理解した情報を全て渡したのだ。そうすることで、島国全体を覆うほどの通常不可能とされる巨大な結界を造ることができるから。
もし双子が三百年後の話を知らなければ巨大な結界なんて無意味なものは造るはずがない。確かに大陸から流れ込んできた魔物の影に脅かされているが、これまで島国を一つ覆うほどの結界など考えついたこともなかったのだ。
「……昨日、俺は選択してたんだ」
サフィニアに情報を伝えた時点で、アマリリスは魔導具を造ることを決意していたのだ。運命に反感を持とうとアマリリスはけして三百年後のこの島国に生きる人々を見捨てられない。この島国に恩義がある。そして双子の親しい人たちの子孫を辛い目に遭わせたくないと思っている。
アマリリスがこんな苦悩の末に魔導具の製作を決意することすら、運命の流れなのだ。
鬱々とした思考を抱え、それでもアマリリスは嘆息ひとつでつぶやいた。
「しゃーねぇ。運命に踊らされてやるか」
この愛する島国と、その大地に住む人間たちのために。
ふっとアマリリスは笑みをたたえて短刀をより強く握り締めた。
決めたからには即行動、である。
アマリリスは一度短刀を机の上において、帰宅の準備を始めた。取り敢えず、短刀に魔力を吹き込み最後の調整をしなければならない。その作業を人目の多い工房でするわけにもいかなかった。
「にしても昨日の俺はひどかったな」
あんなに無茶苦茶な感情に振り回されたのは初めてだった。この島国にたどり着いて、ずっと昏睡状態だったサフィニアが目を覚ました時さえ昨夜ほどの錯乱的な感情は味わっていない。
本来アマリリスはたいていのことを気にしないさっぱりした性格をしている。確かに双子に現在の運命を与えた世界に憤りはあるが、昨夜ほどの感情の洪水に襲われることなど早々ない。実際、一日経ったとは言え、あっさりアマリリスは感情を収められた。
「ということは、やっぱ『真理の渦』に呑み込まれかけた反動か」
本来、廃人になるところを無事に何事もなく生還できたと思うのが間違いだ。『真理の渦』はそんなに生易しい存在ではない。
おそらく『真理の渦』に触れたことで異常なほどアマリリスの精神は混乱をきたしていたのだ。本来なら些細なはずの負の感情が大幅に増幅された状態で現実世界に帰還した結果があの大泣きだ。
その精神異常の欠片も今一つ決意したことで完全に払拭されて、急速にアマリリスの思考は鮮明さを取り戻していっていた。
(そもそも、俺が“運命”を憎んでばかりもいられないんだよな)
気の遠くなるような先の未来のための布石として、自分たちが波乱万丈な日々を送らねばならなかったのかと思うと多少憤りがある。
それでも、だからこそ双子はこの島国にたどり着きそれぞれの幸福を極められたともいえる。家族を失い、故郷を追われ、寿命も生命も奪われても――ほかに大切なものをこの島国で見つけられたこともアマリリスは理解しているのだ。
『真理の渦』の影響が徐々に抜けてきているのを実感しながら、アマリリスは手元のものを鞄に詰めていく。早い帰宅のために今日は仕事を大急ぎで終わらせたのだ。
久しぶりに自宅で食事を取るか、と頬を緩ませた時だった。
「あ? アス、帰るのか?」
ロジャスティンが横からひょいっと視界に割り込んできた。珍しく昼間から帰宅しようとする友人の姿に目を丸くしている。
「おう。悪いか」
「いや、悪くはないけどさ。何か、リック爺が俺とあんたを呼んでんだよ」
「俺たちを?」
「そう。だから帰るのはもう少しお預けだ」
ロジャスティンの言葉に何故かどうしようもない嫌な予感が込み上げてくる。
アマリリスが顔をしかめたのを見て、ロジャスティンは苦笑しながら「ほら行くぞ」と促した。
荷物を置いてその後ろに続きながら、アマリリスは第六感が告げてくる予感が当たらないことを祈ったが、あいにくその願いは聞き届けられなかった。
リック爺は工房の奥に設置された頭領専用の部屋にいた。彼が工房の跡を継いで数十年使われている部屋はリックの私物であふれかえり、片付けようにもどこから手をつければいいか分からない状態である。
その中で床に散らばるものを横にどけ、リックは小難しい顔で椅子に座って二人を待っていた。ロジャスティンとアマリリスの姿を確認すると手近な椅子に座るように促してくる。
大人しく椅子を持ってきてリックの前に並んだ二人に、リックは少しの黙考の後重々しく口を開いた。
「お前たちも薄々気づいていただろうが、そろそろお前らが一人前になれたかどうか、試そうと思う」
二人は現在リックの下で働く鍛冶師見習いである。見習いとなって八年、今ではそれぞれに数は少ないながら別個の客も受け持てるほどに鍛冶師としての腕を鍛え上げた。だが一人前と認められるには、リックの行う選定で満足な成果を上げなければならない。
以前から二人の選定の件は工房でも話題になっていたので、リックからの話を聞いた二人は大した驚きも見せずに表情を引き締める。
しかし、話は二人の予想を超えた方向に進展することになる。
「もしお前らがわしの目に適う武具を鍛え上げれば、わしはお前らを正式に工房の職人として認めよう。今まで通り工房で働き続けるもよし、工房を出て他の場所に行くもよし、王家の専属職人になっても一向に構わん。わしはお前らの方針に口を挟みはせん」
リックの視線を受け、暗にアマリリスが王妃から護身刀の依頼を受けたことを仄めかしているのだと悟る。
確かにこのまま腕を磨けば、王家専属の鍛冶師として声がかかることもあるだろう。王太子と王妃の覚えもめでたく、アマリリス自身も自分の腕に自信を持っている。
しかしアマリリスの寿命がそれを許さない。
「初めに聞いておくが。ロジャー、アス、お前らは工房で働く意思はあるか?」
「「ある」」
二人の見事な即答が異口同音に返された。
リックが嬉しそうに一瞬、目を細める。
あとから思えば、嘘でもここで否定しておけば良かったのかもしれない。未来を見る能力を持たないアマリリスには次に落とされる爆弾発言に対する逃げ道など、作ることはできなかった。
「わしはもうずいぶんな歳だというのは知っているな?」
「そりゃー、見ての通りだしな」
「確か、今年六十八だっけ? それで現役ってのが凄いよな」
ちなみにこの国の男性の平均死亡年齢は五十九歳であり、リックは高齢も高齢な存在だった。いつぽっくり逝ってもおかしくはない、鍛冶師として現役であることが驚異的なほどである。
「そうじゃ。しかもわしには後継者が一人も居らん」
「……候補くらい一杯いるだろ」
「……そうそう。なんせ、国中の熟練の鍛冶師がここに集まってんだからさ」
この時点で二人はリックが言い出すことを何となく分かってしまった。
二人してだらだら冷や汗を流して目を逸らし、いいわけじみた返答を返す。
「いや。どいつもこいつも同じ工房で働いてても協調性がない。どころか、人格破綻者の勢ぞろいじゃ。ここは王家の信用を代々得てきた工房じゃぞ? あんな奴らに任せといたら、いつか王家に首をちょんぎられる」
そう。この工房の唯一の欠点。それは、集まってくる職人が揃いも揃って人格や性癖に問題のある、しかし腕はいい連中だということだ。
鉄に見入られ、王都の街を歩くたびにそこらの鉄を見ては擦り寄って気味悪がられる鍛冶師。
反対に美意識が高く自意識過剰で毎日鏡を見て愛をささやく変人鞘師。
元盗人でかなり短気な上、人間嫌いの研師。
芸術意識を持っていて王都の至る所に変な物造っては迷惑がられる白金師。
工房の職人のほとんどは『腕はともかく良好な人間関係を保てない』のだ。
例え人格に問題がなくても、仕事に夢中になりすぎて手持ちの仕事を終えるまでは周囲が目に入らない連中も多い。彼らによって工房の明かりは年中絶えることなく、鉄打ちの音は深夜も明け方も響いて王都の安眠を妨害する。
工房にはいくつかの法がある。職人はそれだけは守ること具無づけられ、多少の諍いはともかくきとんと働き武具をそれぞれ造っている。それによって変人の職人は束ねられ危うい均衡を保っているのだ。
だが、武具を打つだけが工房の仕事ではない。売り手としての交渉や工房全体の統括、王家との関係の持続のための工作、それらは現在ほとんどを頭領たるリックによって支えられている。
リックの言う後継者とは、その仕事を引き継げる人物を指すのだが、そんな人物が工房にいればリックの苦労は大幅に減っていることだろう。
「そこで、だ。今回の試験でより優秀なもんを造った方を、後継者とする」
そんな事情も相俟って、リックは真剣かつ断定口調で宣言した。
それを聞いた瞬間、くらっと眩暈を感じたアマリリスを誰も責められないだろう。
(冗談じゃねえっ、俺はあと半月で死ぬんだぞ!)
悲鳴に似た叫びが胸中に吹き荒れるがぐっと我慢する。
隣を見れば、ロジャスティンもまた渋い表情で押し黙っていた。おそらく、アマリリスも似たような表情をしているはずだ。
「無理だな」
「悪いができねー」
そうして、揃った拒絶がはっきりと突き出されたのだった。