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Thorn4

天使はとうに限界を迎えていた。 

茨は天使にまで根を伸ばそうとしていた。茨により、純白の羽はうす黒く染まり、かつて世界を祝福した救いの歌声は、今や枯れた喘ぎのような声に変わり果てていた。

天使が降り立ったことで眠りから目覚めた者もいたが、茨に夢を奪われ、心を空虚にされた人々の数はそれを遥かに上回っている。

広場で歌を響かせ、人々に届けるにはもう、力も声も足りなかった。

「ごほ…。歌が吸いとられていく…。」

天使の視界が段々とぼんやり霞んでいく。薄れゆく意識の中で、天使は広場の片隅、周囲の茨に這い寄られようとしている中、仲間に必死に訴えかけている一人の若者の存在に気付く。


「なあ!目を覚ましてくれよ……!!」

若者のスティールは、空虚な目をしたかつての同僚の肩を激しく揺らし、懇願するように叫ぶ。

しかし、同僚はただ、うすぼんやりと空を見上げているだけで、その呼び掛けに応えることはない。

「俺はここにいるのに。おまえの大事なものはすぐそこにあるのに…!!!」

揺すっていた手はずるずると力なく落ち、若者は自分の胸元をぎゅっと握りしめた。祈るように、そして自分自身に言い聞かせるように、彼は独り呟いた。


そんな光景を目にした天使は、最後の力を振り絞り、周囲の茨を避け、スティールの前にふわりと降り立つ。

「貴方は目覚めてなお、悲しい顔をしている。…それはどうして?」

天使には不思議だった。人々は夢を忘れ、無の状態にある。

天使の歌声で目覚めたのなら、そこには希望が宿っているはずなのに。天使の問いかけは、純粋な疑問だった。

目の前に現れた圧倒的な「天使」という存在に、スティールは驚愕し、一瞬息を呑んで立ち尽くした。しかし、彼はすぐに唇を強く噛みしめ、強い瞳で天使を見つめ返した。

その瞳には、深い悲しみの中に、消えることのない強い意志が灯っている。

アンバランスだが、確かな「命の輝き」がそこにはあった。

今度は、天使が驚愕する番だった。こんな絶望的な状況で、人はこれほどまでの輝きを放てるものなのか。

天使は、吸い寄せられるようにスティールの頬に触れ、その瞳をじっと覗き込む。

「悲しいのに……どうして、そんなに輝いているの?目を覚ましたから?」

スティールは、震える声で語り出した。

「天使様が降り立つ前、俺もあいつらと同じだった。夢を失くし、思考も感情も全てがからっぽだった。」

スティールは記憶をたどるように言葉を紡ぐ。

「だが、あんたの歌声が聴こえたとき、思い出したんだ。鍛冶屋として大剣を作ることに情熱を注いでたことを。仲間と切磋琢磨した日々を。そして……」

スティールの声が一度、苦しげに詰まった。

「……自分が、無意味な日々を過ごしていたという残酷な現実を。」

自分の放った言葉に、スティールは再び傷ついた。

茨によって奪われた膨大な時間、失われた感情は、二度と戻ってこない。

それでも、彼は前を向いた。

「ありがとうございます、天使様。あんたのおかげで、俺はまた夢を抱くことが出来た。失った過去には戻れない。けれど、これからは新しい時間を紡ぐことができる。俺はその未来を信じたいし、今度こそ、何も失いたくない。」

それは、自分自身への宣誓だった。スティールは高らかに言葉を放つ。


「周りにいる仲間達はまだ目覚めない。それが悔しくてたまらない。けれど、未来のために動きを止めることは、もう絶対にしない。俺は、夢を、未来を諦めない。だから……俺の輝きが消えることは、もう無いんだ。」


天使は、スティールの瞳の奥に燃える、鍛冶屋の炉火のような熱い意志に圧倒され、言葉を失った。

自らが授けたはずの歌声などよりも、目の前のスティールが放つ意志の光の方が、遥かに眩しく見えたからだ。


「……あなたの方がずっと眩しい。」 


それしか言葉が出なかった。これ以上の言葉を発する権利など、無いようにさえ感じた。

その言葉を聞き、スティールは涙を浮かべながら、出会ってから初めての笑顔を見せた。照れたように、はにかんだ。

天使は悟った。

ただ聴かせて目覚めさせるだけではない。人々の苦しみに想いを寄せ、隣に寄り添うことで奏でられるメロディこそ、この茨に覆われた世界における真の「救いの歌」になるのではないか。

枯れ果てた喉が、熱く脈打つ。

「歌いたい」という想いが、今までとは違う形で込み上げてくる。

例え、枯れた掠れた声だとしても。今、この人々のために歌いたい。目覚めさせるだけでなく、後の絶望さえも共に背負いたいとさえ思えた。

天使の胸に今まで感じたことがない「痛み」と、それに似た「熱」か宿る。

それは天使の使命でもなく、茨に奪われることはない、天使自身の意志という名の鼓動であった。

天使に自覚はない。しかし、絶望的な状況の中で、小さいけれど、決して消えることはない光が生まれたのだ。

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