表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/14

16回目③


16回目③


 森林階層──それがダンジョンの6階から10階に広がる、自然模した異形の領域だと知った時は驚いた。地上のようでありながら、空気にはどこか閉塞感が漂っていて、息をするたび土と魔力の混ざったにおいが肺にしみ込む。


 俺たちはこの階層で生活費を稼ぐことにしていた。主な仕事は素材の採取。薬草、魔樹の枝、時には珍しい果実も収穫できる。ギルドでも需要が高く、換金率も悪くない。


「この辺りの《紅焔草》、しっかり乾燥させれば火属性魔法の触媒になるのよ」


 母がそう言いながら、手際よく薬草を束ねていく。父もすっかりベテランの雰囲気で、魔物の警戒をしながら黙々と採取に励んでいた。


 この階層では《火》が弱点となる魔物が多く、冒険者たちはつい火を使いたくなる。しかし、ひとたび火が広がれば、この森の構造は一変し、災厄の舞台と化す。


 特に危険なのが──虫だ。


 この森林階層には《燐蛾》《灰蜻蛉はいとんぼ》と呼ばれる、火に強く引き寄せられる魔物が生息している。焚き火の灯に集まった彼らが、火をまとったまま飛び回ることで、周囲に火の粉を撒き散らし、爆発的な延焼を引き起こす。


「だからね、焚き火をするなら絶対に《防火結界》か《遮光シールド》を使うのよ」


 母が念を押すように言うと、父も頷いた。


「火はな、便利だが同時に最も危ない。特にこの森の中ではな。昔、それで仲間を一人亡くした」


 ……気をつけよう。慎重になりすぎて損することはない。



◆◆◆


 王都の商業区を、俺たち三人はほぼ日課のように散策していた。


「今日もいないね……」


 何気ない呟きに、母が優しく笑う。


「会えるといいわね。あなたがそう思える誰かに」


 俺は頷きながら、けれど心の奥底では“誰か”じゃないことを自覚していた。


 ──彼女だ。


 村長だった頃、屋敷に飾っていた彼女の肖像画。何十年も共に過ごした愛しい人。

 その面影を、今日も探していた。


 そして──いた。


 それは偶然だったのか、神の悪戯か。


 雑踏の中、彼女は確かにいた。画の中の姿そのままに、少しだけ背伸びした少女の姿で。


「……」


 思わず駆け寄る俺。隣には両親がいたが、構っていられなかった。

 もう何度も、何度も失ってきた。今度こそ、話をしたい。


「ごめん、ちょっといいかな!」


 彼女が立ち止まり、振り返る。


「……なに? あなた、子供でしょ?」


 ああ、そうだ。この流れ。だけど、今回は違う。老人口調は、もうない。


「えっと、急に声かけてごめん。でも、君のこと、ずっと──」


「……はぁ」


 彼女は、俺の後ろをちらりと見る。

 そこには笑顔の父と母。俺と手を繋いで、少し後ろからついてきていた。


「──いい年して、親とべったりなんて気持ち悪い」


 世界が、音を失った。


 何かを言い返す前に、彼女は立ち去った。

 まるで、何もなかったかのように。


 俺は、立ち尽くしたまま動けなかった。


 沈黙の中、父が軽く笑いながら、俺の頭に手を置いた。


「気の持ちようだから、気にするな。な?」


 母はやや強めに俺の背を叩いて、にっこり笑う。


「そんな子一人だけじゃないわよ。他にもいっぱいいるんだから」


 ──違う。そんなわけない。


 俺は、彼女と“実際に”過ごした記憶を持っている。

 彼女と、村長として、妻として、幾度も日々を重ねてきた。

 たとえそれが過去の時間でも、虚構ではない。


* * *


 次の日、俺は一人、ギルドに申請を出していた。


「しばらく、一人にさせてほしい」


 両親は驚いていたが、事情を話すと、しばしの沈黙ののち、了承してくれた。


「無理するな。気が済むまで潜ってこい」


 父の声が背を押した。


 森林階層の採取エリアに、一人。

 疲れた心を休ませるつもりで、森の静けさに身をゆだねる。


 夕暮れが近づき、冷えてきた空気に、俺は小さな焚き火を起こした。


 ──あぁ、温かい。


 ……虫除け? 結界?

 頭の片隅で、警鐘が鳴っていた。けれど、気が回らなかった。もう、何もかもがどうでもよかった。


 そして、次の瞬間だった。


 ──燃えながら飛ぶ《燐蛾》が、俺の視界を横切った。


「……しまった」


 火は、枝から葉へ、葉から樹皮へ、樹皮から周囲へ──


 まるで生き物のように広がり、数十匹の火をまとった虫たちが火の粉をばらまく。


 それは、まさしく“飛んで火に入る森の虫”。


 あっという間に、森は赤く燃え上がり、立ち込める黒煙の中で──俺の意識は、また途切れた。



《おぉ!使徒よ! 死んでしまうとは、情けない!》


 


《これからも我を愉しませよ》


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ