15回目④
15回目④
あの妻だった彼女の髪を、見間違えるはずがなかった。
神殿での仕事の合間。ふと立ち寄った行商区の喧騒の中。
通りを行く人の流れの中に、ひときわ懐かしい背中があった。
「ま、待ってくだされ……!わ、わしと少しばかり話をしてはくれないじゃろうか」
自分でも気づかぬうちに、足が動いていた。
まるで、何かに導かれるように。
たった一度しかないはずの人生──いや、“何度も繰り返した”中でも、心から愛したあの人が、目の前にいたのだから。
声をかけた瞬間、彼女がこちらに振り向く。
その顔を見た時、確信に変わった。間違いなく、彼女だった。
──愛した妻。
「え……子供……? わたしに、何か?」
若い。自分が知る彼女より、ずっとずっと若い。
けれど、目元の線や、口元の形、首筋のホクロまで、何もかもが一致していた。
「わ、わしは、わしは…」
ああ、もう一度会えた。もう一度、話せる。
そう思った瞬間──
「子供なのに、老人口調って……正直、気持ち悪くて嫌いなんですけど」
その言葉は、頭の中で何度もこだました。
彼女は、そのまま冷たい視線を投げかけ、足早に去っていった。
残された少年は、何も言えずに、ただそこに立ち尽くしていた。
◆ ◆ ◆
「不敬の発言。即刻、連行を」
通りを監視していた神殿の侍従が、静かに命じた。
「待てっ! それ以上はやめろ、あれは……!」
駆け寄ろうとしたわしの腕を、護衛が優しくも確実に押さえつける。
「使徒様……どうかお静まりください。これは、規定に従った処置でございます」
「違う……わしは、なにも……」
声にならなかった。いや、ならなかったのではない。
この世界で、“神の使徒”という立場は、あまりにも絶対だった。
だからこそ、彼の困惑や、必死の否定でさえ、“処刑の許可”と受け取られた。
◆ ◆ ◆
その夜。
神殿の一室。蝋燭の灯りが静かに揺れる中。
わしは、自室の床に膝を抱え、ただ俯いていた。
(なぜ、あんなことに……)
後悔と、嫌悪と、重すぎる自責の念。
(わしが──神の使徒でなければ、あれは処刑されなかったのに……)
ただの一言だった。
ただの、すれ違いだった。
ただの、些細な拒絶だったはずなのに──
この手に宿った“立場”が、命を奪ってしまった。
それを、誰も咎めない。むしろ、周囲はそれを当然だと受け入れている。
それが“神の使徒”という存在。
(わしは……そんなものに、なりたかったのか?)
部屋に射し込む月明かりの下、小さな肩が震えていた。
声はもう出なかった。
ただただ、自問が心の中で繰り返されていた。