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第9話 ルナ・ラント

「あ~、運が悪い!」

 リュウは第三惑星トレスのウェイ自治州州都に設置された軍附属病院で大いに愚痴っていた。

「どうしたの? にいに」

 十四、五歳の痩せた少女が優しい声を響かせる。

 少女は水色のパジャマに身を包み、白いベッドの上で上体を起こしていた。肩の長さで切りそろえた艶やかな黒髪と黒い瞳の少女は、少し垂れ目気味で人懐っこい表情を浮かべている。

 数メートル四方の病室は四人定員で、他の入院患者も小さな女の子ばかりだ。少女はその中では一番の年嵩に見える。

 病室は清潔感を重視した内装で、白い壁、白い天井、グレイの床。水色のカーテンは風に揺れ、街の喧騒が微かに聞こえる。

「なぁ、ルナ、聞いてくれよ。俺、人の命を助けたのにメッチャ怒られたんだぜ」

「え~、なんで?」

 無邪気に愚痴をこぼすリュウに、ルナはきょとんとした表情を返した。

「う~ん、忖度(そんたく)できないからかな~」

 ベッドサイドには患者の体調をモニターする機械や見舞客用のスツールなどが置かれている。リュウは、そのスツールに腰かけていた。

「そうなんだ。まぁ、にいには、にいにが正しいと思ったことをやればいいよ。他の誰が認めなくても、ルナは、わかってあげるから」

「ありがとう。そんなこと言ってくれるのは、ルナだけだよ」

 リュウが素直に礼を言うと、ルナは鼻の穴を少しだけ膨らませた。

「へへ~ん。ところで、にいに、彼女できた?」

「えっ、何だよ、急に」

 リュウにとっては触れて欲しくない話題だ。しかも、この話題に関してルナは容赦がない。

「ただ一人の肉親としては(はなは)だ心配なんだよ。職場に若い女の人はいないの?」

「同じ船に乗ってるのはグスタフだけだよ」

「お仕事先には?」

「突っ込むなぁ」

「諦めて洗いざらい白状しなさい」

 ルナは垂れ目気味の優しいまなざしは、悪戯(いたずら)を楽しむ幼子(おさなご)のようだ。

「う~ん、そう言えば、第二惑星で凄く綺麗な人に出会ったな」

「ふ~ん、にいにって、面食いなんだ。で、どんな人? ルナに言ってごらん」

 可愛い刑事さんの取り調べに、リュウは全面的に屈服することにする。

「綺麗なんだけど、寂しそうというか、悲しそうというか」

「へ~陰のある美人ってこと? で、お話しできたの?」

「残念ながら、あんまり。その代わりマッチョなおじさんとは友達になった」

「はは、何それ」

 ルナ、可笑(おか)しそうに笑った。静かで穏やかな笑いだ。

「だから、今度、第二惑星に行くときはチャオの芋焼酎を買わなきゃなんだよ」

「なんだか、よくわかんないなぁ」

 ルナはそう言いながら、軽く咳込んだ。

「おい、大丈夫か。ルナ」

 ルナはバツが悪そうな表情を浮かべ、何とか声を絞り出す。

「うん、大丈夫」

 そんなタイミングで、リュウのスマートウォッチの音声通話の呼び出し音が鳴った。コールしているのは『シーナ惑星連邦軍付属ウェイ中央病院』とある。ここの関係者だ。

「はい」

『そろそろ面会時間は終わりです』

 ある程度の年齢を感じさせる落ち着いた女性の声だった。

「わかりました」

『お帰りの際、最寄りのナースステーションにお寄りください』

「了解です」

 リュウは、もう少し妹と過ごしたいと思ったが素直に返事をする。

「じゃあ、にいに、海賊船に気を付けてね。トレス周辺には、いるみたいだから」

 音声通話の内容を聞きつけて、ルナは別れの挨拶(あいさつ)をした。

「いや、さすがに軍の輸送艇は襲わないでしょ。それに襲うのはクワトルの財閥系の船だけだって聞いてるよ」

 もう少し、もう少しだけルナと話をしたい。リュウはそう思った。

「義賊って奴?」

「さぁ、どうなんだろ」

「ルナのことは心配しないで、元気でね。無茶しないでね」

 リュウの想いを断ち切るように、ルナは元気に手を振る。

「じゃあ、また来るから」

 リュウは少し寂しそうに立ち上がった。


「ルナ・ラントさんの御家族の方ですか?」

 ナースステーションで待ち構えていたのは、看護師ではなく若い男性ドクターだった。

「はい」

 リュウが返事をすると、そのまま、ナースステーション横の個室に案内された。

 眼鏡をかけた若い黒髪の男性ドクターに、三十前後と思われる金髪を御団子にした女性看護師が付き従う。

「あの、一体何でしょうか」

 リュウは何かとても嫌な感じがして、勧められたスツールに腰かけるとすぐに正面に座ったドクターを問い(ただ)した。

「さっそくですが、妹さんの病状に関してです。正直、あまりよくありません。申し訳ないですが余命は、あと半年か一年」

 若い医師はとても怖ろしいことを(よど)みなく言ってのけた。

「そ、そんな、今日は元気でしたよ!」

 大きく目を見開き、食って掛かるリュウに、ドクターは首を横に振った。

「お気持ちはお察ししますが」

 横から金髪の看護師がフォローに入る。

 リュウは浮かした腰をスツールに戻すと、一生懸命言葉を探した。

 『はい、わかりました』で終わりにできる話ではない。

「骨髄移植とかで治るんじゃないんですか」

 リュウは、上目遣いに唸るように言葉を吐き出す。

「適合するドナーが見つからないんですよ。あなたを含めて。しかも妹さんの体調が思わしくなくて移植に耐えられそうにないんです」

 ドクターの説明もリュウを納得させるには至らなかった。

 リュウは一生懸命、何事か考えている。

「そうだ! アルカの医療機関は? 第四惑星クワトルの衛星軌道にある科学都市アルカなら人工知能と遺伝子工学の力で、どんな病気だって直せるって。いまなら同じシーナ惑星連邦のメンバーなんだから診てもらえるはずでしょ!」

 アルカは直径数キロの球状の人工天体で、かつては恒星間移民船だったらしい。もともと人間を遺伝子レベルで改造して惑星環境に適応させる研究をしていたそうで、今も遺伝子工学に関する優れた研究施設が残されている。統合戦争前は独立した国家だったが戦乱の中でチャオ帝国の支配下に置かれ、次にクワトル連邦に併合された。チャオ帝国の支配下にあっては、人間を戦争のために強化する研究をしていたとも聞く。

「無理ですよ、ラントさん」

 ドクターは溜息をついた。

「お金だったら何とかします。だから」

「アルカにあるのは病院ではなく研究機関です。医療行為もしているらしいですが相手にしているのはクワトルの上流階級だけです。我々みたいな庶民は相手にしてもらえません」

「そんな!」

「今、アルカが力を入れているのはアンチエイジング、不老長寿の研究です。白血病の研究ではありません」

「年寄よりを長生きさせるよりも、子供の病気を治す方が重要じゃないですか!」

 リュウは思わずドクターの腕をつかんだ。看護師が慌てて間に入る。

「まあ、落ち着いて」

「そんなこと、私に言われても困る!」

 リュウの腕を振り払いながら、ドクターはリュウから視線を外した。

「ルナはまだ、十五歳なんですよ!」

「家族として残された時間をどうしてあげるのがいいか、考えてあげてください。ルナちゃん、本当は薬の副作用で辛いのに、あなたの前では気丈にふるまっていたんですよ」

 元気そうにしゃべっていたルナの姿を思い出して、リュウは涙を浮かべた。

「畜生、ルナの奴、無理しやがって」


 その後、どうやって病院を出たのか、リュウにはよく思い出せなかった。

 惑星トレスにあった三つの国は今は全て自治州になっている。ハン、チャオ、ウェイ。

 リュウがいたのはウェイ自治州に置かれたシーナ惑星連邦軍の附属病院だ。白く、大きく、立派な五階建てのビル。今のリュウが妹のために用意できる最高の医療機関だ。しかし、それでも妹の命を救うには不足だという。

 ウェイには四季があり、今は秋だ。風が冷たく、空は鉛色の雲に覆われている。

「我らに真の平等を!」

 拡声器が血を吐くような男の声を運んできた。

 魂が喪われたような表情のリュウが首を巡らすと、病院の隣に立つ州政府の庁舎と、その前の広場に群れ集う数千人のデモ隊の姿が目に入った。デモ隊は数百人規模の警官隊に取り囲まれている。

「クワトルによる搾取を許すな!」

 デモ隊のシュプレヒコールを聞きながら、もしクワトルの上流階級に匹敵する権力を手にすることができたら、妹の命を救うことができるかもしれないという考えが、ふと頭をもたげた。

『いや、ありえない』

 戦時中であれば、戦場で手柄を立てて出世するということも、あったかもしれない。

 しかし、戦争はすでに過去のもので、おまけにリュウが配属されているのは手柄とは無縁の輸送部隊だ。上官に叱責され、処分を受ける奴が何を言うかと、リュウは自らの考えを(あざわら)った。

「あと、半年」

 軍を辞めて妹のそばにいようかとも考えた。

 しかし、その場合、軍の病院から出て行かなくてはならない。

 そんなことをしたら、妹の死期を早めかねない。

「くそっ」

 冷たいものが頬に当たった。雨だ。

 リュウは鉛色の空を睨むと近くにある宇宙港に向かって歩き始めた。

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