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第6話 カシスビール

 いったんアスタナの部屋に寄った後、リュウが連れていかれたのは宇宙強襲揚陸艦ブルーリッジの一般食堂だった。兵と下士官用の広い食堂で、一度に二、三百人が収容可能な規模だ。それでも、ブルーリッジの乗員数を考えれば足りない。食事は交代でとるのだろう。壁は白、床はフローリングを思わせるこげ茶色の合成建材、テーブルや椅子は淡い色合いの木製だ。

「早いですね。アスタナ隊長」

 配膳用のカウンターにアスタナたちがトレイを置くと、奥の調理場から漆黒の肌の若い女性調理員が近寄ってきた。確かに食事をとっている人間はまだ誰もいない。どうやらアスタナ隊長は勝手に勤務時間を切り上げたらしい。

「ちょっとだけな。もう晩飯はできてるんだろ?」

「ええ。メニューはローストポークとキャベツの酢漬けとオレンジですよ」

 女性調理員はそう言いながら、テキパキとアスタナのトレイの上に食事を盛りつけ始めた。他の調理員たちはオレンジを切ったりローストポークを切り分けたりと調理作業の真っ最中だ。

「あと、悪いがビールもつけてくれ。こいつの分も」

 女性調理員の目が曇った。アスタナが差し出した左手首のスマートウォッチに無言のままハンディタイプの読み取り機を近づける。

「アスタナ隊長、今週分の割り当てはジョッキ一杯分しか残ってませんけど、どうします? グラスで二人分出しますか?」

「ええっ! まだ週の前半なのに、もうそんなに飲んじゃったんですか?」

 一緒に並んでいたノーラが驚いたような表情を浮かべる。ちょっと芝居がかっているので本当はそんなに驚いていないのかもしれない。

「配給がすくねぇだけだ」

 アスタナはバツが悪そうに口を尖らせた。

「毎日好きなだけお酒を飲んでいたら病気になっちゃいますから」

 漆黒の肌の女性調理員がとがめるような視線をアスタナに向ける。

「俺は飲まなくても大丈夫です」

 リュウは、アスタナとの酒盛りを回避できる口実を見つけて内心喜んだ。

「そんなわけいくか! それじゃあ礼になんないだろうが。俺が飲まなくても、お前には飲ませる!」

「いやいや、そんなにムキにならなくても」

 リュウは困惑した。遠慮ではなく本当に嫌がっていることが伝わらないのだろうか。

「仕方ないですね。では私の配給分でビールをジョッキ二杯」

 ノーラの申し出に、リュウは頭を抱えた。

「わりぃな、副長」

「まったく、ノーラさんが甘やかしたりするから」

 女性調理員も不満げな表情を浮かべながら、なみなみと琥珀色のビールを注いだジョッキを三つ出してきた。恐ろしいことに出されたジョッキはかなり大きく、一リットルはありそうだ。


「さっ、飲もうぜ」

 アスタナは嬉々とした表情を浮かべ、出入り口から一番遠い食堂の隅を陣取った。四人掛けのテーブルでアスタナの隣はノーラ、アスタナの正面はリュウという座席配置だ。

「さて、上司へのゴマスリより人命を優先したリュウ・ラント君の漢気に感謝し、乾杯!」

 アスタナは愉快そうにしているがリュウは今後のことを考えて憂鬱になった。豪快に喉を鳴らすアスタナとは対照的にリュウのジョッキはほとんど減らない。

「ん、なんだ。うちのビールは口にあわないか?」

 アスタナが心配そうな表情でリュウの顔を覗き込む。面倒くさいのでリュウもジョッキの四分一ほどを一気に喉の奥に流し込んだ。

「おお、良い飲みっぷりだ」

 嬉しそうに飲むアスタナのジョッキは、すでに半分に減っている。そして、ひとしきりビールでのどを潤すと食事の方をむさぼり始めた。二百グラム以上ありそうなローストポークが見る見るうちになくなっていく。

「相変わらず、良い食べっぷりですね」

 その様子をノーラがうっとりした表情で見つめていた。気が付くとノーラのジョッキも半分くらいに減っている。二人ともビールを飲むペースが随分速いが幸い酒は配給制らしいので、度を越した酒盛りになることはなさそうだ。

「まぁ、ここじゃあ、飲むことと喰うことぐらいしか楽しみがないからな」

 大きな肉の塊を飲み下しながら、アスタナはノーラに応えた。

「確かに、あんまり仕事内容はよくありませんよねぇ」

 ノーラが少し赤くなった目でアスタナを上目づかいで見つめる。

「ああ、丸腰相手に電磁誘導ライフルぶっぱなすとか、あり得ねえだろ」

「何かあったんですか?」

 ずっと黙っているのも気が引けたのでリュウはキャベツの酢漬けを頬張りながら聞いてみた。

「ゲリラ掃討作戦でちょっとね~」

「俺は弱い者いじめってやつが大嫌いなんだよ」

 ノーラの声にかぶせるようにアスタナが腹立たしそうな唸り声を上げる。

 詳しいことは言わないが、傍若無人なこの人も、それなりに苦労してるんだなぁとリュウは思った。すると、アスタナは急に自分の腰の辺りに手を伸ばし、赤い液体が入ったそれなりの大きさの瓶を取り出した。そして、赤い液体を飲みかけの自分のジョッキに注ぐ。

「えっ? 何ですか? それ」

「カシスリキュールだ」

 そう言うと、赤くなったビールをぐいと飲んだ。どうやら途中で自分の部屋に寄ったのは、これを取りに行くためだったらしい。

「あ~隊長、私にもください」

「おう」

 そう言うとカシスリキュールをノーラのジョッキにも注いだ。

「お前も飲め」

「えっ?」

 了解したわけでもないのに、アスタナはリュウのジョッキにもカシスリキュールを注いだ。せっかく減ったジョッキの中身が増える。

「お前をもてなすために部屋から持ってきた秘蔵のカシスリキュールだ。普段、俺がビールに入れるのは焼酎だけどな」

「カシスビールっていうビアカクテルなんですよ。あぁ、甘くて美味しい」

 ノーラが頬をピンク色に染めながら、にっこりと笑った。

 飲んでみると確かにノーラの言う通りだ。しかし、口当たりが良い一方、アルコール度数が格段に上がっていることに気づく。

 ノーラのことをまともな人だと思っていた自分の愚かさをリュウは呪った。

「あの、個人的に酒類を艦内に持ち込むのは御法度ですよね?」

 先ほどのやり取りからすると、この艦ではビールを配給制にしているらしいが、勝手に焼酎やらリキュールやら持ち込まれたら、管理部門の努力は水の泡だ。

「つまんねえことを気にするな。上官の命令に逆らった奴の言葉とも思えん」

「いや、俺はですね」

 ただの酒好きの規律違反と一緒にしないでほしいとリュウは思った。どうもアスタナに気に入られたのは規律違反仲間だと思われたかららしい。

 気が付くと正式な食事時間になったらしく、食堂に人が増え始めた。だが、アスタナたちが飲んでいるテーブルに近づこうとする勇者は一人もいない。

「まったく、優等生は航空隊の隊長一人で十分だっつうの」

 アスタナはジョッキをあおると、つまらなそうに息を吐いた。

「え、セシリアさんのことですか?」

「おまえさ、あの女のこと狙ってるだろ」

 リュウを低い声で脅しながら、アスタナはニヤリと笑う。

「えっ」

 リュウは激しくうろたえた。

「態度がさ、バレバレなんだよな」

「いや、別にそんな、ただ綺麗な人だなって」

「いやらしい奴だな。殺されるぞ。何せ『虚空の死神』の二つ名で恐れられている女だからな」

「そんな怖い人には見えませんよ、確かに射撃は正確でしたけど」

 恥ずかしさで顔が赤くなるのを誤魔化すように、リュウもジョッキをあおった。

「統合戦争では、宇宙母艦一隻、宇宙戦艦二隻、宇宙巡航艦一隻、宇宙駆逐艦五隻を葬ってる。加えて叩き落した戦闘艇の数は数え切れねぇ。殺した人間の数もな」

「統合戦争って、いったいセシリアさんは何歳から戦場に出てるんですか?」

 リュウが気にしたのはセシリアの戦場での活躍ではなく年齢の方だった。統合戦争が終わったのは十年前だからだ。

「十四からだよ」

「そんな!」

 その年齢のリュウはグスタフとコンピューターシミュレーションゲームで遊んでいた。少し口うるさいが優しい両親のもと、命の危険など感じることなく暮らしていたのだ。

 幸せだった。あの日までは。

「ところで俺の二つ名はな」

「いや、興味ありませんけど」

 暗澹とした気持ちと、酔った気分の悪さのせいで、リュウは思わず無愛想に答えた。

「なんだとぉ! 俺を馬鹿にしてるのか」

「あ~何とかしてくださいよ」

 アスタナは、たいして激高した様子でもなかったが、凄みながらからんでくるのに辟易してリュウはノーラに助けを求める。

「あっ、ウチの副長にも、ちょっかい出すつもりか。いやらしい奴だな」

「出しませんてば」

「嫌だ、隊長ったらヤキモチ妬いて」

 ノーラは嬉しそうに身をくねらせている。

「ところでよお、俺はチャオ出身だ。お前、出身はどこだ? 軍隊で下っ端仕事をしてるってことはチャオか? ひょっとしてウェイか」

 明文化されたルールは何もなかったが、シーナ惑星連邦において、士官は第四惑星クワトルの出身者で占められ、兵や下士官といった現場仕事要員は、第三惑星トレスや第二惑星ドゥオの出身者ばかりだった。そして、さらに念の入ったことに、第二惑星ドゥオで治安維持の任務についているのは、第三惑星トレス、国で言うとチャオ帝国やウェイ共和国の出身者ばかりだ。

「ハンです」

 お気楽だったアスタナの顔色が変わった。ハンはチャオ帝国に支配され、クワトルによって統合戦争で唯一核兵器が使用された第三惑星の小さな島国だ。

「そうか、大変だったな。恨んでるだろ、チャオやクワトルを」

「父も母も死にました。家族を失うのなんて、ハンの人間にとっては普通のことです。でも」

「でも?」

 ノーラが興味深げにリュウの目を覗き込んだ。ノーラの眼もとは赤く、すっかり酔っぱらっているように見える。

「でも妹がかわいそうで」

「どうかしたのか?」

 眉間にしわを寄せながら、アスタナが問い質す。

「病気なんです。放射線にやられて」

 リュウの声が震え、嗚咽をあげはじめた

「あ~、泣き上戸なんだ」

 ノーラが酔った目で蔑むような視線をリュウに送る。

「ピーピー泣くんじゃねえよ」

 アスタナの低い声が響き渡り、リュウは瞬時に泣き止んだ。代わりに怒りの表情を泣きはらした目元に浮かべる。

「悲しんだらいけないんですか!」

「そうです。酷いですよ~ 隊長」

 ノーラが面白そうに今度はアスタナを責める。結構無茶苦茶な人だとリュウは思った。

「メソメソしてないで、できることをやるんだよ!」

「やることやってますよ! だから軍人になったんじゃないですか!」

リュウはまっすぐにアスタナを睨む。

「ほんとはクワトルの軍隊なんか大っ嫌いなのに、妹を軍の附属病院に入れたいから!」

「最新設備、腕のいいスタッフ、安い費用、でも入院できるのは軍関係者だけですからね~」

「う~ん、悪かった。まあ、飲め」

 ノーラの奏でる不協和音に落ち着きを取り戻したのか、アスタナは頭をかいた。

 ついでにリュウのジョッキに、さらにカシスリキュールを注ぐ。すでにビールよりもカシスリキュールの方が多くなっているように見える。

「まぁ俺も似たようなもんだ。他にできることのない戦馬鹿だしな、クワトルの奴らの下につくのは気に入らなかったが」

 そう言いながら、自分のジョッキを飲み干した。

「困ったことがあったらいつでも俺に言え、力になってやる」

「いいんですか? そんなこと言って」

 ノーラが笑顔を浮かべている。

 よくわからない人たちだとアルコールでぐるぐる回り始めた頭の中でリュウは思った。

 そして、真っ赤なジョッキの中身を惰性で飲み干してしまう。 

「大丈夫だ」

「自分はもうダメです」

 分厚い胸を叩いたアスタナの前でリュウは急に意識が遠のいていくのを感じていた。どうも飲みすぎたらしい。 

「遅かったみたいですね」

 急速に暗くなっていく世界に、硬く澄んだ美しい声が聞こえてきた。その美しい声の主と言葉を交わしたいと思ったリュウだったが、もはや身体が言うことをきかない。

「そうだな、悪い、お開きだ」

 腹立たしいことに最後に聞こえたのは、低く掠れたアスタナの声だった。

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