第5話 宇宙強襲揚陸艦ブルーリッジ
宇宙強襲揚陸艦ブルーリッジは、第二惑星ドゥオの大陸から五〇〇メートルほど離れた沖合に停泊していた。全長三〇〇メートル、全幅一五〇メートル、紡錘形の艦本体にデルタ翼をつけたような形状の艦だ。
灰色と暗灰色の電波吸収塗料で迷彩柄に塗装され、砲塔類を格納する機能を有するなど、ステルス性を高める工夫がなされている。洋上艦に見られるような艦橋はなく、艦の上部は洋上艦の航空母艦のような全通甲板になっていた。
ブルーリッジは統合戦争末期にチャオ帝国が建造した艦で、五〇〇名の機動歩兵と、歩兵の侵攻を支援するための無人戦闘艇二十五機を搭載可能だ。
電磁バリアを無効化する電荷中和式のプラズマ砲、高出力レーザー砲、電磁誘導砲、対艦・対空ミサイルといった一通りの攻撃用武装のほか、パルスレーザーミサイル迎撃システム、迎撃ミサイル発射装置などを完備している。
なお、第七艦隊の旗艦ということだが周辺に他の艦艇の姿はない。大気圏突入能力を有するのはブルーリッジだけで他の艦艇は衛星軌道上に待機しているのだ。
リュウとグスタフの乗る高速輸送艇ケンタウロスは、無人戦闘艇ハルピュイアにエスコートされ、何とか無事に着陸し全通甲板の中ほどで停止した。数人の消防隊員が群がり、ミサイルで損傷した機体に消火剤が噴きつけられる様子がモニターで確認できた。
「ま、くよくよ考えても仕方ない。ともかくお届け物を渡すとするか」
惑星ドゥオの多少きつめの重力に抗いながら、リュウは操縦席から体を起こした。一瞬、立ち眩みを起こしそうになる。
「ホントに仕方ないよね」
グスタフも各種機器のシャットダウンを確認すると、重そうに副操縦席から立ち上がる。
ヤドクグモの血清が入った大きな銀色のアタッシュケースは、後部に設置された予備搭乗員席に安全ベルトで括り付けてあった。
「まっ、これで人の命が助かるんなら、俺は本望だよ」
リュウはアタッシュケースをつかんでグスタフに笑顔を向ける。
「はいはい」
一方、グスタフは何もかも諦めたような表情をしていた。
高速輸送艇ケンタウロスの外に出ると、強烈な夕陽とプールサイドの様な酷い湿気がリュウとグスタフを出迎えた。潮の香りと焦げ臭いにおいが周囲に漂っている。焦げ臭いにおいの原因はケンタウロスの損傷部分で、消防隊が消火剤を噴きつける作業の真っ最中だ。
「あ~あ、やっぱり、酷いや。これは一日やそこらで直ったりしないだろうな」
ケンタウロスの損傷具合を確認してグスタフは嘆息する。
慌ただしい足音に気付いて視線を向けると、二人の看護兵が走って来るのが見えた。体格のいい男と普通の体格の男だ。負傷者がいないか心配して来てくれたのだとリュウは思った。
「ヤドクグモの血清は?」
だが、リュウたちのもとに辿り着き、体格のいい男性看護兵の口から出た最初のセリフは、これだった。リュウたちを気遣うものではない。
「これです」
リュウがアタッシュケースを差し出すと、体格のいい看護兵が素早くアタッシュケースを受け取り、中身を確認する。そして、普通の体格の看護兵と小さく言葉を交わすとリュウに一言告げた。
「御苦労」
そして、二人して元来た方へと走り去る。振り返ることもなかった。
やがて消防隊もいなくなり、飛行甲板に残されたリュウは、しばらく呆然としてから呟いた。
「これで、おわり?」
「うん、仕事は終わったね」
納得いかないという風情のリュウに対し、グスタフは達観したような態度だ。
「俺たちが怪我してないか、心配してくれないの?」
「見るからに元気そうだよね」
「第四惑星の補給基地から、はるばる旅してきたのに、ねぎらいの言葉は?」
「御苦労って言ってたよ」
「ケンタウロスも壊れちゃったのに」
「担当者を見つけて修理のお願いをすれば、直してくれると思うよ。それは看護師さんや消防隊の仕事じゃないからね」
リュウは深いため息をついた。
「いつものことじゃん」
グスタフはリュウの肩を叩く。輸送部隊が荷物を届けるのは当たり前で、大概の場合、感謝の言葉をかけられたりはしない。
「そうだよな、これで誰かの命が助かるんなら、それで満足しなくちゃ」
「そうそう、そういうこと」
「寄道しちゃったけど、船の中の食糧、足りるかな」
「三日分の予備があるから足りると思うよ」
「じゃあ、飯でも食うか」
「ひとパックしか残ってないグリーンカレー、僕が食べてもいい?」
「いい。許す」
二人はケンタウロスに向かって引き返そうとした。
「お~い! そこの二人」
妙に野太いかすれ気味の声がリュウとグスタフの背中を打つ。二人は思わず足を止めた。
「?」
振り返ると、全通甲板の中央に設けられた兵員輸送用エレベーター付近から、四人の男女が夕陽に照らされながら、こちらに歩いてくるところだった。緑の迷彩服を着た二名の男女と、赤い詰襟のジャケットに黒のスラックスという軍服姿の二人の女性。妙な組み合わせだ。
声を発したのは迷彩服の男性らしい。背はあまり高くないが服の上からでも首が異常に太く胸板が厚いのが分かる。浅黒い肌で黒い髪はくせっ毛だ。悠然と大股で歩いており茫洋とした雰囲気が漂っている。年齢はリュウたちよりもいくつか上、三十歳前後だろうか。
彼に付き従うように歩いている女性は丸いロイド型の金縁眼鏡をかけ金髪を三つ編みにしていた。豊かなバストに恵まれているのが迷彩服の上からもわかる。ちょっと俯き加減で緑の瞳も伏し目がちだ。二十代後半くらいに見える。
赤い詰襟の軍服の一人は赤毛をツインテールにした元気の良さそうな女性で、足音が聞こえてきそうな元気な歩き方だ。中肉中背で鼻の近くのそばかすが目立つ。下手したらリュウたちよりも若いかもしれない。
そして、赤い軍服のもう一人は、長身でブルネットのクセのない艶やかな髪を長く伸ばし、光沢のある黒いカチューシャをつけていた。何かの装置が埋め込まれているらしく、カチューシャの中で小さな青い光が踊っている。色白のくすみのない肌で、深い色の青い瞳が意志の強そうな光を放っている。静かな佇まいの美しい女性だ。リュウたちと同じくらいの年齢だろうか。
「ヤドクグモの血清を迅速に届けていただき、心から感謝する」
リュウたちにあと一メートルほどの距離に近づいたところで四人は立ち止まり、ブルネットの髪の美しい女性が口を開いた。その声は通信機から聞こえていた、あの硬く澄んだ声だった。
「輸送隊所属リュウ・ラント二等兵曹です」
リュウは慌てて表情を引き締め、完璧な敬礼をして見せる。ブルネットの女性から改まって感謝の言葉をかけてもらい、リュウはとても嬉しそうだ。
「同じくグスタフ・グラスゴー二等兵曹です」
つられてグスタフも敬礼する。
「こちらこそ、危ないところを助けていただき、ありがとうございました。セシリアさん」
目の前の女性が先ほどの通信相手と確信したリュウは飛び切りの笑顔を彼女に向けた。だが、階級が上の者に対してファーストネームの「さん」づけは軍隊組織ではルール違反だ。しかも、よほどプライベートで仲が良い相手ならともかく、これが初対面と言っていい相手だ。案の定、セシリアの横にいた赤毛のツインテールが目を怒らせてリュウを睨んだ。
「当然のことをしたまでだ。撃墜されなくてよかった。おかげで部下の命が救われた」
多少、困惑の表情を浮かべながらも、セシリアは丁寧に言葉を返す。
「あなたのような美しい方の頼みをきくのは無上の喜びです。これからも、なんなりとお申し付けください」
リュウの発言を聞いて、赤毛のツインテールはさらに目を怒らせ、グスタフは空を仰いだ。 迷彩服の男は不快そうな表情を浮かべ、迷彩服の女性はため息をついた。
「君は依頼者の容姿を基準に仕事を受けるか否かを決めるのか?」
セシリアは、ほとんど表情を変えず、静かな口調でリュウの瞳を見つめた。
「あっ、うっ」
気圧されてリュウはうめく。
「人として、いかがなものかと思うが」
セシリアは、さらに畳みかけた。赤毛のツインテールがいい気味だとでも言いたげに笑いをこらえている。
「申し訳ありません。つい調子に乗りました」
リュウは失態を認めてあっさりギブアップした。
「ふん、馬鹿な奴だ」
屈強な迷彩服の男が掠れた声でつぶやく。すると、赤毛のツインテールは、そんな迷彩服の男に対して攻撃を開始した。
「偉そうに。そもそも、こんな騒ぎになったのは、機動歩兵の連中が艦内にヤドクグモなんか持ち込んだからでしょ!」
「持ち込んだわけじゃねえ、蜘蛛の奴が、勝手についてきたんだ」
迷彩服の男は心底面倒くさそうに、赤毛のツインテールを一瞥した。
「はぁ? おんなじでしょ! そもそも、ジャングルから戻った時に、マニュアル通り洗浄や除菌をしっかりやってれば、ヤドクグモなんか入ってくるわけないんだから! おまけに自分たちが刺されまくって血清使い切っちゃうし!」
「あ~、悪かったよ」
迷彩服の男はそう言いながらも腕を組んでそっぽを向く。
「なにそれ、ちっとも謝っているように見えないんですけど!」
赤毛のツインテールの声が一オクターブほど跳ね上がった。
しかし、迷彩服の男は全く動じない。
「もう、やめなさい。カサンドラ」
「だって、隊長ぉ、こいつらのせいで、オリエはあんなに苦しんで!」
「アスタナ隊長、部下が言いすぎました。申し訳ありません」
「いや、気にしてない」
それまでのやり取りを聞いていたリュウとグスタフは機動歩兵部隊隊長アスタナのセリフを聞いて目を丸くした。そこは気にするべきなんじゃないだろうかと。
そして、そう思ったのは、どうやらセシリアやカサンドラも同様らしい。セシリアの表情に影が差し、カサンドラの顔に再び血の気がのぼっている。険悪な空気が漂っていることを察知して、迷彩服を着た眼鏡の女性が一歩前に進み出た。
「航空隊の皆さんには、御迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」
そして、俯き加減にすまなさそうな声を出して謝ると、深々と頭を下げる。
「いえ、いいんです。ノーラさん」
セシリアはそう言うと気の毒そうな視線を眼鏡の女性に送った。
どうも、これは普段から繰り返されているパターンなのではないかとリュウは感じた。眼鏡の女性が妙に幸せ薄そうだ。
「はぁ、どうなることかと思った」
グスタフがリュウの隣で溜め息交じりに呟く。
そのタイミングでリュウのスマートウォッチが着信音を響かせた。
みんなの注目がリュウに集まる。
「えっ?」
至急という赤い表示が文字盤で光っており、リュウは慌てて音声メールを再生した。
『リュウ・ラント二等兵曹! 貴様、なぜ第二惑星にいる! 至急、第三惑星に行けと命じたはずだ!』
怒号に近い叱責だった。音量も最大に近い。メールの送り主の感情を端的に表している。
「あ~あ、やっぱり怒られちゃった」
グスタフが諦めたような口調で嘆く。
ノーラが気の毒そうな表情を浮かべ、セシリアが心配そうに話しかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「ぜんぜん大丈夫です。ちゃんと説明すれば、きっと、わかってもらえますから」
リュウは半ば自分に言い聞かせるように、セシリアに言葉を返す。
「ダメだと思うけど」
グスタフは、リュウの横で思い切りため息をついた。
「報告します。急遽、人命にかかわる物資の輸送依頼が入りました。他の高速輸送艇が出払っておりましたので自分が対応せざるを得ませんでした。なお、第二惑星において反政府ゲリラによる攻撃を受け、高速輸送艇ケンタウロスは損傷、修理に相応の時間がかかる見込みです」
リュウは律儀に直立不動で録音すると音声メールにして送信した。送信先は第四惑星の補給基地。光の速さでも片道十数分はかかる勘定だ。
「血圧が高そうな上官だな。ところで第三惑星での用事って何だったんだ?」
リュウの置かれた状況に興味を示したようで、屈強な体躯を誇るアスタナが話しかけてきた。
「ウェイ自治州のビンテージワインを受け取って、第四惑星クワトルの総統府にお届けするというおつかいです」
隠しても仕方がないので、リュウは正直にぶちまける。
「はぁ? なんだそりゃ」
「建国一〇周年記念式典後の晩さん会で、総統以下政府高官の皆さんが飲むんだそうです」
「なんだ、ゴマスリの付け届けか、くだらねぇ」
誰に向けるわけでもないが、心底軽蔑したような表情をアスタナは浮かべた。
「まずいわ~エリートさまの出世の邪魔しちゃ、今から船の修理してたら建国記念日に間に合わないでしょ」
カサンドラが深刻な表情を浮かべたのでリュウは不安になってきた。
「やっぱり、すぐできないですかね、修理。今日中とか」
リュウは視線を泳がせながら、最後の望みを託して誰にとはなく助けを求める。
「整備班には、よくお願いしておくが、たぶん無理だと思う」
セシリアはスマートウォッチで整備班を呼び出しながら、残酷な事実を口にした。
「そんなぁ~」
いたたまれない時間が流れた。
「そこを、何とかお願いできないか」
セシリアがスマートウォッチで、修理を急ぐように整備班に掛け合ってくれている。
相手は、もう今日の仕事は終わりだという趣旨の話をしているらしい。太陽は地平線の彼方に沈み、だいぶ薄暗くなってきた。
「ありがとう。感謝する」
押し問答の末、セシリアはそう言って通話を終了した。リュウは期待に胸を膨らませる。
「すみません。お手数おかけしました」
「いや、今日は状況の確認をしてくれるだけだ。実際の作業着手は明朝ということらしい」
セシリアはすまなそうに交渉結果を報告した。
「そうですか」
リュウが肩を落としていると、スマートウォッチに、また着信音が鳴った。
「返事が来たみたいだよ」
グスタフが音声メールの再生を促し、リュウは屠殺場にひかれる牛のような表情で再生ボタンをクリックした。
『てめぇ、俺の顔をつぶす気か! 帰ったら処分だ。わかったな! このクソが!』
軍の高官とは思えない口汚い罵声が周囲に響き渡った。
「はぁ~」
リュウは思い切り、ため息をつく。
「ほらね」
グスタフの目も死んでいた。
アスタナが、ゆっくりリュウの横にやってくると、リュウの肩に腕を回す。リュウは、とても腕とは思えない重みを肩に感じた。おまけに胸の筋肉は大型車両のタイヤのような硬さとボリュームだ。
「おまえ、気に入った」
「えっ、はっ?」
屈強なおじさんに気に入られても、そんなに嬉しくはない。
スキンシップなら女性の方がいいのに、とリュウの眼が語っていた。
「船の仲間が世話になった礼をしてやる、一緒に来い」
「礼って、いったい?」
「御免なさい。お酒を飲みたいだけなんです」
眼鏡の金髪女性ノーラが、例によってアスタナ隊長のフォローに回った。
「いや、仕事中ですし」
リュウも酒は嫌いではなかったが、アスタナからは危険な臭いしかしない。できれば二人で飲むのは遠慮したいと思った。
「陽が落ちたから俺はオフだ。どうせ、おまえも輸送艇の修理が終わるまでヒマだろ」
「しかしですね」
「しかしもカカシもあるか、それとも何か、俺の酒が飲めねえとでもいうつもりか?」
「いや、どうせ飲むんなら、可愛いお嬢さん方と一緒の方が」
とうとう本音が出た。親睦を図るならセシリアの方がいいと思い、リュウは救いを求める視線をセシリアに送る。この際性格のきつそうなカサンドラが一緒でも構わない。いや、その方がアスタナの抑止力になるのではとも思った。
「副長も一緒だ。文句はないだろ」
「そんな、隊長ったら、可愛いだなんて」
困惑気味のセシリアたちを尻目にアスタナが勝手に参加者を決定する。金縁眼鏡のノーラがうっすら頬を染め嬉しそうに身をくねらせた。
「僕は修理に立ち会わなきゃいけないから、ケンタウロスに残るね」
グスタフは、そう言うと後ずさりを始める。
「あっ、コラ逃げるな」
「ケンタウロスで待ってるね~」
グスタフは言い終わらないうちに一目散にケンタウロスに向かって駆けていた。
「さ、行こうか」
リュウは力づくでアスタナに拉致されそうになる。
「あ、あのそちらの皆さんは?」
リュウは引きずられながらも最後の望みをかけてセシリアに声をかけた。
「申し訳ないが、我々はまだ勤務時間中だ。先ほど整備班に無理を言ってしまったしな」
セシリアが無表情に返答するとカサンドラが横で大きく頷く。
「じゃあ、お仕事が終わったら来てください。待ってますから~」
その言葉を残し、リュウはアスタナに引きずられていった。
「なんか、軽い奴ですね」
エレベーターへと押し込められるリュウを見ながら、カサンドラはセシリアに同意を求めた。
「だが、彼は私たちの命の恩人だ。自分の立場を考えず、この惑星に来てくれた」
「仕事ですし、ある意味、当たり前のことだと思いますけど」
カサンドラは全く納得していない様子だ。
「この世の中、その当たり前を通すのが、実際には難しいからな」
そう言うセシリアの眼は、気のせいか暖かい光に満ちているように見えた。